タロットの使い方

タロットの直接的・間接的扱い。

タロットの使い方としては、様々なものがありますが、大まかににわけるとすると、二通りで考えることができます。

ひとつはタロットを直接使う方法、そしてもうひとつは間接的に使うというやり方です。

直接に使うというのは、タロットリーディングやタロット占いを想像していただければわかりやすいですが、タロットを直接引いたり、展開したりして、自分あるいは他人の質問に答えるというものです。

さて、もう一方の間接的にタロットを使うというのは、タロットを、あるモデルや元型的な象徴としてとらえ、物事の把握、真理の追究、状況の整理、心理的・霊的な解放と発展に使うというものです。

タロットを直接引いたりすることが少ないので(引くこともありますが)、間接的と述べています。

私の場合、ある時から、もうほとんどタロットを間接的な方法で扱っています。

直接的にタロットを引くこともありますが、どちらかといえば、間接的に使うほうが個人的には面白いのです。

あと、直接的に扱う場合でも、質問に対するタロット展開をするというより、タロットの絵柄やエエネルギーを感じて、瞑想のような方法で、タロット(の表す「何か」)とコンタクトして、自分を見つめ、整理するのに使うことが増えました。

不思議に思うかもしれませんが、個々の質問に対してタロット展開して読むというより、一枚あるいは数枚のカードをイメージして(あるいは実際に目の前に置いたりして)、回答を待つというような姿勢のほうが、展開を読むより、はっきりとわかる場合があるのです。

ただし、心がクリーンでなかったり、落ち着く状態になかったりする時は、展開をしたほうが気づきがあったり、指針が受け取れやすかったりすることもあります。

それはマルセイユタロットの独特の読み方になりますが、絵柄に画かれた細かな象徴(シンボル)客観的に拾っていくことで、いわば物理的(心で感じるというのではなく、実際に出ている象徴のカウントや事実的な観察という意味)な観点で見ることが可能だからです。

もちろんそのカウントした象徴の意味の解釈は、やはりイメージや心と結びつきますので、純粋に客観的なものとはいえませんが、出たままの象徴の数や形をそのまま発見していくというのは、それでも通常よりは客観性を持つものです。

だから心がブレているような時に、こうした、「展開してタロットを読む」というのは有効なのです。

それから、直接・間接という意味では、タロットに関係している「直接」という意味と、タロットそのものとは直接関係はないものの、全体として見ると、タロットを扱うことには意味があるということでの「間接」があります。

言い換えれば、後者は、「タロットをする(扱う)という行為自体に意味を持つ」という考えです。

私たちは何かと日常は忙しかったり、ただ習慣的に惰性で流されていたりするものです。

言ってみれば、あまり自分や物事を深くを意識することがないまま、オートマチックに一生過ごしてしまいがちなのです。悪く言えば、一種の睡眠奴隷状態とも言えます。

ここで、タロットをする時間というのを持ちますと、意識に変化が生じます。

というのは、タロットをリーディングしたり、扱ったりすることは、通常の意識が特別なものに変化しなければできないようになっているからです。

その特別な意識になることで初めて、自分自身とまともに向き合ったとか、重要なことなのにそのまま見過ごしていたとか、自分の中にほかの意識が存在していたとか、夢や目標、本当にしたいこととはこれだったのかとか、そのような気づきが現れ、日常の奴隷意識状態からの解放、意識の覚醒のようなものが始まるのです。

特にマルセイユタロットは絵柄の構図そのものに秘密があり、そうした意識の変化が生じやすいよう設計されています。

そのため、マルセイユタロットと出会う縁やタイミング、さらには出会っても、関係を続けていくかどうかの縁なども、特別なものがあると私は考えています。

とにかく、タロットは、その扱いの中でも、直接的なものだけではなく、間接的な方法にも注目してみるとよいでしょう。

直接的にタロットを扱っていた時よりも、それだけあなたの世界は豊潤なものとなっていきます。


行動に移せない理由

ここでは、ふたつの観点からその理由を見てみます。

それは、

●やり方がわからない
●やる気にならない

というもの(理由)です。

これも陰陽原理みたいなものです。

やり方が表で、やる気が裏、方法(技術・知識)と心(感情・モチベーション)の問題と言い換えてもよいでしょう。

このふたつは、一緒になっていたり、別々であったりします。

しかしながら、区別して見たほうが解決も早く、行動もはっきりしてきます。

最初の「やり方がわからない」という場合、自分のリアリティや世界観の経験値が不足していることが多く、簡単に言えば、自分の知らない世界は知らないという状態です。

例えば、タロットを学習する人で、タロットリーダーやセラピストとして自営を目指したいという方の場合、

そもそも独立する具体的な方法がわからない、お金を自営で稼ぐ方法がわからない(雇われて働くくらいしか思いつかない、経験がない)などがあります。

どこでタロットリーディングして、どのようにお客様を呼ぶのかという「やり方」がわからず、
実践的に動けないわけですね。

これはいくらセラピーやタロットの勉強をしても解決しませんから、ひたすら専門技術と知識を極めても関係なく、入れる情報の分野が異なるわけで、学ぶ内容や方向性を変える必要があります。(知らないことは人に聞いたり、学んだりすることが必要)

ここでも、とにかくやってみる(実践してから、わからないことを聞く)というタイプと、頭や知識から入るというタイプがいて、自分にあったほうで始めるとよいです。

大切なのは、何がわからないのか、何を知らないのかということを自覚し、その知識を持つ人や、専門家、モデル、書籍、講座などから情報を入手することです。つまりは目的にあったやり方を学ぶことです。

ただし、自分の個性に合わない方法を学ぶと、遠回りや苦痛が増えますので、自分の特質は知っておいたほうがよいでしょう。

あと、後者の、「やる気にならない、やる気がおきない」という場合は、いくらやり方を学んだり、その情報を入れたりしても、やはりこれも方向性が違うので、努力の割に無駄が多くなります。

自分をブロックしているものは何か、行動に移せない気持ちは何か、あるいは、そもそもそれを行うことが本当の自分の気持ちに合致しているのかなど、見つめ直し、ブロックならば解消することも場合によっては必要となるでしょうし、合わないということならば、やめる勇気も大切となります。

行動の最初の動機が、実は何か違うことがしたかっただけとか、違う自分になりたかっただけとか、自分の価値を自分で認められるよう何かをしたかった・・みたいなことはよくあるものです。

つまりそれを行うこと・達成すること自体が目的(その対象自体が目的)ではなく、自分の心の葛藤が、そのまま自分の行動面における膠着状態として現れていたということです。

例えば、婚活しなければ・・と思っているのだけれどなかなか積極的にできないというのには、結婚が目的ではなく、変わりたいけれど変われないとか、経済的な将来の不安を解消したい思いが婚活を自分に強要していたとか、まあ、そんなこと(葛藤や真の悩み)が隠されていたような状態です。

また、やり方を知らないから不安になっていて、行動をブロックしていたという両方がからむ場合もありますので、やはり行動に移せないのなら、心から探ることは効果的です。

とはいえ、一人ですべて調べる(自分の心の内を調べる)のは難しいことがあります。

自分のことは自分でわかっているようで、意外にわからないものだからです。

ですから、人の力を借りるとよいです。あるいはツールとして、ほかのモノやほかのモノサシを使います。それがタロットでも可能です。

それから、何かができないことは必ずしも悪いことではありません。

積極的なこと、ポジティブなこと、あることができることはすばらしいという誤解があります。

昼があれば夜があるように、動けないこと、できないこと、それそのものにも(よいと思える)意味があります。

心や体を守ってくれていたり(休息の必要性)、うかつに行動することにストップをかけていたり、事故に遭う危険性を警告していたり、蓄積や発酵・醸成させていくことが示唆されていたり・・・まさにマルセイユタロットでいえば「吊るし」や「月」で象徴されるようなタイミングや時期があるのです。

物事が成就するのにも、季節と同じように4サイクル(春夏秋冬、始まりからピークを迎え、収穫ののち衰え、籠もる時期を経て、また始まるサイクル)があります。理念的には3サイクル(創造・維持・破壊)でもあります。

タロットカードを引くことにより、その象徴性をもって、自分がどの時期にいるのか、どの状態なのか、調べることもできるのです。


タロットの4組と願望(目標)達成

マルセイユタロットと言いますか、ほかのタロットでも西洋占星術でも共通していますが、四大元素という思想体系があり、4つのメレメント、4つ組、4つのグループ、4つの枠組という概念で物事をとらえることができます。

このことから、私たちは最低でも4つのとらえ方、4つのパターンが、あらゆるもので透徹しているのではないかと、古代思想的には考察できます。

これは個性というものとは少し違うのですが、それでも、4つのタイプということに、人を分けることは可能でしょう。

そこで、意外に思うかもしれませんが、目標達成や願望実現にも、実は4タイプがあることが想定できるのです。

これについて詳しく語ろうとすると、4つを10の構造に細かく分けて語らないといけませんので、省略します。

ここでは4をふたつに分けて考えてみましょう。

そのふたつとは、どれをもって中心や焦点とすれば自分にとって効果的となるかという点と、達成しやすいフィールドや表現方法という観点です。

そのふたつが、それぞれタイプとして4つに分かれると考えます。

4つは、つまりは四大元素のわけですが、これは風・水・火・地(土)というエレメント(元素)です。

それをタロット的に見れば、4つとは剣・杯・杖・玉、一般的にはソード・ワンド・カップ・コインという名称(モノ・道具)で表現されています。

モノや道具に置き換えられているのは、それをツールとして扱うという意味が込められてもいる(と考えることもできる)からです。

さて、先述したように、ふたつの観点で見ると、人によって4タイプあるわけですが、まず、自分にとっての効果的なポイント、つまりは得意技みたいなところは、簡単に言えば、剣(風)タイプは思考であり、杯(水)タイプは感情であり、杖(火)タイプは直感であり、玉(地)タイプは感覚となります。

つまり、自分が信用する(信用がおけると思うもの、なじむもの)は、それぞれその4つのうちの一つだということです。

このタイプを間違って、別の焦点で物事を見たり、扱ったりすると、なかなか対象の本質がわかりにくかったり、補足や理解に当たって非効率になったりするのです。

例えば理屈で理解したいタイプの人が、感覚で理解しようと無理にしても難しく、反対に感情が納得しなけば、いくら理論(勉強)で学んで正しいとわかっても実行できないなんてことがあるわけです。

まあ、こういったことはユング派などの心理学でも言われていること(上記の4タイプはユング派の語るところでもあります)なので、比較的よく知られている話でしょう。

あと、付け加えれば、自分の得意タイプが逆に自分を縛ることにもなるので注意が必要です。自分の得意技だからこそ、それにこだわって周りが見えなかったり、逆に効率を悪くしたりすることもあるということです。

さて、ここからがあまり聞いたことがない話だと思います。

私はタロットを見ていて、そしてこれを使い人の相談をしている中で、気づいたことがあります。

どうも、人によっては、叶いやすいフィールド(分野)と叶いにくいフィールドというものがあり、それは4つのタイプと関係しているのではないかと。

世の中には様々な願望達成法や、目標に到達するメソッドが紹介され、また日々生み出されています。

読者の中にも、そうしたものを幾つかお試しになった方もいらっしゃるでしょう。

今のところ私自身は、そうしたものにはあまり関心はないのですが、ただ仕組みについては興味があります。

それで現時点の私の結論として、願望実現法は、ある程度普遍的なもの、普遍的レベルで到達できるものもあるにせよ、やはり個人によって違ってくる(個々によって効果が違う)というものになっています。

この考えからしても、4つのタイプで達成しやすい分野が分かれるというのもうなずけるのです。ただ、この4タイプは、上に書いた4つのタイプ(思考とか感情とかのタイプ)とはあまりリンクしません。また別物の4タイプと思っていただくとよいでしょう。

このタイプ別が現実的に表れれば、例えば、恋愛においては比較的望み通りうまく人、仕事で目標が達成しやいすところがあるという人、健康や身体能力のことでうまく行くという人、お金や成功という分野で願望が実現したという人もいるかもしれません。

もちろん、どれ(どの分野)でも願望が実現したという人もいるでしょう。そういう人は、おそらく、最強のフィールドを得意としています。

それ(最強のフィールド)は「運」という分野です。

こうなってきますと(運を味方につけますと)、総合的にどの分野でも、望みは叶いやすくなるでしょう。

実は四大元素ではこの4つのエレメントを超える、第5元素(フィフスエレメント)があると考えられています。

面白いことに、マルセイユタロットの「運命の輪」(運命を象徴するカード)には、四大元素と第5元素との関連が盛り込まれています。

望みが叶わない理由は、自分の中のブロックや思い込み(これは自分の守護や本当の成長のための恩恵の場合もあり)、現実感やセルフイメージの限界、カルマ、他人の思念や社会・環境の障害、果ては物理法則や普遍的な宇宙と地球の法則など、いろいろと原因は考えられますが、個人個人のタイプ(言い換えればモノの見方・とらえ方の特徴)によっても変わってくると想像できます。

その個人個人のタイプとして、4つのタイプも影響していると見ることができそうです。

ということで、自分の叶いやすいフィールド(分野)をまずは見つけてもらって、そこに集中して行き、幸運の輪を回して、ほかの分野に好影響を与えていくか、すべてに影響する「運」そのものをつかんで、全体に降ろしていくかによって、現実的な意味での望み通り(望みに近い)人生が送りやすくなるのではないかと思います。

実は書いた本人が言うのもなんですが、現世利益的な願望達成(法)そのものと、運勢をよくするというなことには、個人的にはあまり興味がありません。(笑) いい・悪いの問題ではなく、単に私の興味や価値観は別にあるからです。

ただ先ほども書いたように、そのシステムや働きには注目したいところがあります。なぜならば、タロットで言えば、「力」のカード以上のことの考察と実現には必要のことだからです。


タロットの象徴的・神話的部分の重要性

タロットリーデイングやタロットを活用すに当たり、大切なことは象徴的神話的世界観(を感じること)を豊かさにするということです。

特に人様に行うタロットリーディングになりますと、悩み事の相談ということが多くなりますから、その悩み事とは、つまりは仕事や恋愛など、生き方に関わる現実的なことがメインとなりますので、タロットにおける神話的な概念や意味合い(抽象的で非現実的なストーリーや意味)は、知っても役に立たないのではと思われる人もいます。

言ってみれば、カードの意味を単語的に暗記したほうが確実に、しかも具体的にアドバイスできるのだと考えてしまうわけです

この観点にとらわれてしまうと、例えばマルセイユタロットの「愚者」というカードに、サン(聖)・ロックという聖人伝説をあてはめて考察してみる、などのことをお話ししても、「そんなことはいいから、愚者が出ればどのように読んで、実際的なアドバイスをするのか教えて欲しい」と思ってしまいます。

だから、単語的な意味や、具体的なケース事例(つまりは読み方のパターン)に、こういう人は関心が行きます。

その気持ちはわかります。私も以前、ことタロットリーディングの技術向上という点では、いろいろな読み方・アドバスの事例集のようなものがほしいと思っていた時もありましたから。

しかし、ずっとマルセイユタロットに関わってきて今思うのは、それは次元を固定しまうことであり、相談者と同じ見方(同じ現実的・個別的次元)で考えてしまうのは、むしろ(解放において)問題であるということです。

ケース事例集もあるにはあったでよい部分もありますが、結局、そういった読みやアドバイスの個別事例にこだわることは、タロットを本当の意味で使いこなすことからは、ズレていくものになります。

ここが狭義の占いやカウンセリングと、タロットリーディングとの違いだと思っています。

マルセイユタロットでリーディングをする人は、このタロットの特徴と展開方法・読み方からしても、占い的ではなくなることが多いのですが、かといって、カウンセリング(心理の世界でいわれる狭義のカウンセリング)でもないということです。

※リーデイングには、いろいろな考え方がありますし、様々な方法と活用スタイルがあのますので、結果的に占いであったり、カウンセリングであったりする場合もあります。

ひとつひとつの具体的なケースよりも、統合的・全体的・神話的・象徴的なストーリーがまずは基本にあって、それがタロットが表したり、接触したりする世界なのです。

その大きな、そして抽象的とも言える型やスートリーが、実は私たち人間の生活と現実を創造しています。

創造するということがわからなければ、関係していると言ってもいいでしょう。

もっとわかりやすく言えば、人は同じような思考や行動を、時代や立場が変わってもいつも行っているものだということです。同じことを時代を変え、人を変え、繰り返しループのように続けています。

だから、扱うモノや人は変わっても、問題としては根本的に同じであり、そのパターンを理解して、そこから超越する目的を持たないと、また繰り返しの牢獄に閉じこめられたままになります。

実は象徴的神話的世界は、その救済についても語っています。マルセイユタロットを次元を上げて扱っていくと、そうしたスートリーとつながることができます。

私たちは現実に起こることに振り回されすぎて、生きるに精一杯であり、現実を超えた次元の世界を象徴的でも想像することをしなくなった(ふれられなくなったこと)こと、そういったことにに無自覚であることが問題なのです。

具体的・個別的次元(個人的フィールドとその表現)になると、個性によって数多くわかれてきますので、元はひとつであっても、ずいぶん違うものに見えてしまうようなります。

ということは、タロットの接触する大元のような、統合的神話的世界の原理や仕組み、ストーリーパターンを知っておけば、現実的にも、どう思い、考え、受け止め、開始し、改革して終わらせ、また創造していくのか、その人個人の問題や悩みに応じて適用していくことが可能になってくるのです。

一度大元に還って地図を上から眺め、整理してまた現場に戻るという表現が適切でしょうか。

そのため、個人の情報は必要です。それ(個性)が元の象徴的・神話的で表される大きなエネルギーを、現実的・具体的なものへと変換させていくからです。

これが相談者自身に答えがあるという理由であり、実は、答えがあるというより、答えを決めている(現実化している)と言ったほうがいいでしょう。

ここで問題なのが、象徴的・神話的世界とそのエネルギーへの接触のためにタロットを使うにしても、タロットに対する豊富なイメージ・芳醇な想像を促すための知識と感覚がいることです。

つまり、タロットは異世界へのゲートでもあるのですが、そのゲートを本格的に起動させるにはは、タロットに対する信頼はもちろん、タロットへの豊かなイメージ(形成)が必要なのです。

そうすると、ある種の磁力・電気力のようなものをタロットが帯びたようになり、ゲートがゲートとして機能します。

単純に単語やカードの意味を覚えたところで、それではゲートを開かせ、機能させるには力不足です。

言い方を換えれば、タロットを生き物のように生命力をあふれさせるためには、タロットの描く、その象徴的で壮大な背景・ストーリーを知る必要があるのです。

例えばカタリ派やテンプルナイツ(神殿騎士団)とマルセイユタロットとの関連性を知ると知らないのとでは、やはりマルセイユタロットそのものの力が変わってきます。

ただしこれも知識としてただ単に覚えてもあまり意味はありません。(歴史の丸暗記みたいなもの)

それらのものや言葉の示すエネルギー、心でとらえるスートリーを理解し、自分に採り入れていくことで、マルセイユタロットの磁力が増してくるのです。

つまるところ、いかに想像や精神・イメージの世界を、秩序だって(ここが重要)、自分の中で豊かさにするかが大切で、それが実はリーディングの実践における読みの効果と関係してくるのです。

実践リーディングは、現実的選択をアドバイスしたりサポートしたりするように見えて、その相談者が混乱して失った神話的・元型的・精神的イメージとスートリーを回復させることにあるのです。

従って、マルセイユタロットリーダーとなる者は、自分のイメージや精神の世界を豊かにして、さらに整理しておく必要があるのです。

イメージや心の世界を豊かにする必要性は、こうも言えます。

タロットリーディングやタロット活用するにしても、元型的世界との接触があり、同時に、相談者や自分の具体的・個別的次元というのがあります。

このふたつに橋を架けめためには、中間段階として、様々な元型から派生したストーリーやイメージを持っておいたほうがいいのです。

マルセイユタロットを一度習った人でも、その単語的意味や読み方を覚えようとこだわらずに、もう一度、一枚一枚の大アルカナの示すストーリー、象徴の背景、付随する神話体系などを思い出し、わからなければ自分で調べて空想してみるとよいでしょう。

また自国の神話や伝説を読むのもいいですし、好きな国のそれにふれてもよいです。

そして、それがタロットにどう現れているか、現実の背後にどうストーリーが流れているかを観察します。

すると現代にもアマテラスやスサノオ、ゼウスやアフロディーテー(ヴィーナス)、ヘルメスなど神々とその神話が至る所に存在していることがわかります。

私たちは(特に問題状況にある時は)、その(神々や天使の)象徴的力と秩序、理性や神性を内に持ちことを思い出すことが鍵なのです。

現実・具体レベル同士で考察したり選択したりしていても、それはタロットでいえば全部で22枚ある中の、5番止まりでしかないのです。


戦車、節制、世界の調和レベル

マルセイユタロットの「戦車」「節制」「世界」は、ある種のテーマを共有しています。(ほかの組合せも、それぞれテーマを持っていますが)

テーマと言ってもひとつではなく、見方によって複数のものを考察することができます。

今日は、「調和の完成」について、換言すれば「統合」をテーマに、この三枚を語りたいと思います。

もっとも「調和」といえば、「星」など、マルセイユタロットのほかのカードでも表すことが当然できますが、今回はあえて「戦車」「節制」「世界」においての調和を考えます。

さて、まずは「戦車」です。

マルセイユタロットの「戦車」の絵柄を見ますと、一人の御者二頭立ての馬車を操っている様子が描かれています。

この二頭の馬にはいろいろな解釈が可能ですが、ひとつには、この馬は自分自身(の二人)を表すと見てもよいでしょう。

そうすると、御者も自分ということになるのですが、御者の自分から見ると、自分の中に葛藤する二頭の馬がいるわけです。

ともかく、その馬に象徴される「心を御すること・操ること」が、前進や勝利につながると解釈できます。

詳しくは述べませんが、この「戦車」は実は現実的な意味(意識的な世界)での成功や完成を象徴すると言われるのですが、その鍵は、つまるところ、馬を巧みに操る御者になることだと言えます。

すなわち、自己を統御することが重要なのです。

そうすると、私たちがこの現実の世界で行う目標は、自己を統べるということになりますから、調和の意味において、何をまず大切にしなければならないかと言えば、「自分との調和」ということになります。

ここで言う「自分との調和」というのは、外向けだったり、内向きだったりする自己の相反する心(二頭の馬に相当)を統合し、わだかまりのない本当の自分の気持ち(になって)で進んでいくというのに近いでしょう。

それは自分の価値観を知り、それに従って躊躇なく生きる状態と言ってもよいです。

このことは心理系・スピリチュアル系の方々の多くが述べていることですが、これがいわゆる「自分のありのままでいる状態」というものになるかと思います。

こうして結局、「戦車」が示しているように、現実的な意味でも「成功」というのに向かっていくわけです。

次に「節制」です。

「節制」は天使の姿の者が、ふたつの壷を扱い、水を混ぜ合わせている様子が描かれています。

こういった象徴性から、他者と自分との交流ということが見えてきます。

人は自分だけで生きているものではありません。他人がいて、属する集団や組織・社会があります。大きくなれば、地域・国というようにもなってくるでしょう。

ですから、「節制」は、人との調和、社会との調和というものを実現するレベルと言えます。

私たちは、案外と、最初からこのレベルの完成を目指そうとしてしまうので苦しいのです。

「戦車」レベル、つまり自分との調和ができていないのに、いきなり他人との調和、社会との調和を完璧にしようとするので、自分を追いつめてしまうわけですね。

「節制」レベルは、言わば、世のため・人のためなのですが、これはもちろん悪いことではなく、反対によいことと一般的に認識されています。

ですが、あまりに自分を偽ったり、本当に素直にそれができる状態でなかったりすると、自己犠牲を払い過ぎる感情となり、世のため人のためではなく、世のせい・人のせい(自分のせいと思うこともあり)(でうまく行かない、苦しい、つらい)という気持ちにもなり、やらされている感(強制感覚)や、社会や人に貢献できない自分に無力感も覚えてしまいます。

従って、まずは「戦車」レベルで自己との調和を図って自分の特質・自己の価値を知り、その延長線上(「戦車」風に言うと、「戦場」となります)で、世のため・人のために動くとよいのです。

自分との調和が図られていれば、自分でできることとできないことの区別、自分が面白いと思うことと面白くないと感じることも、よくわかる(できる)ようになっているので、心と行動との間に矛盾も少なくなってくるのです。

もちろん、私たち人間は社会的な生き物であり、普段も仕事をしたり、地域社会で活動せざるを得なかったりと、対人関係・対社会的に行動します。

自己との調和・統合を図るより、無理矢理でも対人・対社会との調和を図らねばならないことがあるかもしれません。

理想的には「戦車」レベルでの調和の完成を終えて、「節制」レベルの調和を目指すべきといえますが、同時進行で行うのが現実的という可能性もあります。(とはいえ、「戦車」のほうが重きが置かれます)

さて、こうして「戦車」と「節制」、つまり自己との調和、人や社会との調和が図られれば、ついには神や宇宙と言われる、大きな世界との調和が待っています。

これが「世界」カードレベルの調和であり、最終的な全統合と言ってもよいでしょう。いわゆる現実と精神の融合であり、スピリチュアル(霊性)の完成でもあります。

「戦車」が地(自分)、「節制」が人(社会・他人)で、「世界」は天と言えます。すなわち、天・地・人の調和と統合なのです。

ただ、見方を変えれば、「世界」の調和も他のレベルと同時進行できます。

枠組・段階としては「戦車」「節制」「世界」の3つがあるわけですが、宇宙構造の基本として相似形のフラクタルな関係にあり、それぞれにさらに3つのレベルがあると見ることができ、それゆえに同じ次元であっても、その次元に応じた3つの調和を考えることができるために、同時進行が可能となるのです。

よくありがちな誤りとして、自己との調和・統合の過程で、わがままがよいというようになってしまうことがあります。「わがのまま(ありのまま)」と単なる自分勝手・利己的な「わがまま」とは違います。(「戦車」でいうと、片方の馬だけが暴走しているのが単なるわがままです)

実は多重構造として、「節制」の中にある「世界」レベルの調和を見ることで、悪い意味での「わがまま」にはセーブがかけられます。

わがままでなく、「わがのまま」であると、人からみてもスムースに見えて(反感を買わない、みっともなく見られない)、もちろん自分の心も葛藤がなく晴れやかに(楽しく)行動できているという状態になれるのです。

カードの象徴性を使って、自分をコントロールし、自己実現を図っていくと、自然に人や社会、宇宙と調和していくように、マルセイユタロットのシステムは設定されているのです。


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