タロットの使い方

マルセイユ版宮廷カードの構造と活用

また宮廷カードは、大アルカナや数カードととも当然リンクしていますので、それらのカードとのつながり方、カードの出方によって探る方法もあります。

ただ、マルセイユタッロトにはおいては、すべてを自分が持っているという仮定のもとにカードを見ますので、引いたカードや、自分が思ったカードが決定事項ではありません。

言ってみれば、例えば宮廷カードでも16枚全部の可能性と気質を一人の人が持つのです。

ただ、状況や能力に応じて、または問題や偏りなどで、特定のカードの気質になっていることがあります。

先ほど指摘したように、16枚全部を持つのが(完全なる)人間でもありますので、宮廷カードを自分と照らし合わせて精査することによって、バランス回復を試みたり、自分の状況を内外の面で把握したりすることが、カードの使い方としてできるのです。

特に宮廷カードは、実際的・現実的人間像を象徴しますので、自分がどのような人物になればよいのか、どのような人物像によって修正や回復が働くのか、具体的なこととして見ることができます。

足りない部分は自分以外のその人物像(気質・エネルギー)を体現している人と接触すればよいですし、ありすぎる場合はその逆も言えます。

これはイメージではなく、イメージの世界(カード)を利用した具体的(現実の人間との交流による)方策なのです。

表と裏、設計(企画・計画)と現実・行動 潜在と顕在・・・世の中(と人)はこうした二元の構造になっていますが、その架け橋となるのがマルセイユタロットなのです。


オラクル的にタロットを使う。

マルセイユタロットのカードは、かなりいろいろなことに使えます。

私はいずれ、その使い方をまとめて発表できればと思うほどです。(このブログでも書いていますが)

それはマルセイユタロットの絵柄と構成が、一見無造作で簡単に描かれているようで、その実、極めて高度に、あらゆるものの「象徴」「モデル」「元型」として作られているからです。

さて、そうしたマルセイユタロットの使い方のひとつとして、今日は、オラクルカードとしてタロットを使う方法をお伝えしたいと思います。

オラクルカードは、そのオラクルという意味が「託宣」や「神託」ということですので、まさしく「お告げ」的にメッセージを受け取りたいという時に使えるカードであり、カードには裏とか別冊のものに文字で意味が書かれている場合が多いです。

絵柄も天使とか神様的なカードが大半で、そのメッセージは優しく、ポジティブなものがほとんどです。

ということで、セッションなどでも、オープニングやクロージングに使われることが多く、クライアントを後押ししたり、自分の選択に確信を抱いてもらったり、勇気や愛を持ってもらったりする効果があります。

何よりも解釈は絵と文字があるので、ダイレクトに伝わるということがよいわけです。

一方、タロットカードは絵はあっても、文字はカードの名前しかありませんから(隠された文字は絵柄の中に存在します)、意味や解釈はリーデイングしなくてはなりません。

そのため、すぐにはわからないこともありますし、リーダー(読み手)によってはいかようにでも解釈できてしまうことがあります。

ですが、タロットの、そのオラクル的な意味での欠点をカバーすれば、オラクルカードの代わりとしても使用できます。

要するに、タロットに直接的なメッセージがあればよいわけです。ということは、タロットカード一枚一枚に決まったメッセージを、「オラクルカードモード」みたいにして、決めておけばよいのです。

さすがに78枚では多すぎるかもしれませんので、22枚の大アルカナだけでもよいでしょう。

ということで、22枚のタロットの大アルカナカード一枚一枚を、それぞれカードの象徴から導き出した文章なりメッセージなりを作ります。

この時、具体的に書くということが必要なのと、内容はできるだけポジティブなものがよいでしょう。象徴を読み取る際にも、直感やインスピレーションで受け取ったほうが、よりオラクルらしくなります。

また一枚につき、何種類かのパターンが出ることもあるでしょうが、最終的にはそれらを推敲し、一番しっくりくるひとつのメッセージや文章にします。

もし文章が難しい場合は、単語や熟語でも構いません。むしろそのほうがズバリという感じで、オラクル的であり、いいかもしれません。

こうして22枚を作り終えたら、あとはカードを引いたときに、そのメッセージと取らし合わせて読んだり、見せたりするだけです。

注意するのは、タロットの引き方です。当然一枚引きになるのですが、通常、タロットのスプレッド(展開法)では、正立と逆向き(リバース)を取ることが多いです。

ただ、タロットをこのオラクル代用で使う場合は、先行きを見たりする吉凶占いや、問題を見たりするリーディンではないので、カードを引く人にポジティブ的な気持ちで見られるように、正立でカードが出るようにすることです。

ということは、同じ方向でカードをそろえ、トランプをする時のようなシャッフルで混ぜることです。通常のオラクルカードでも、そうやって引く場合が多いですよね。

ここで留意しておくことは、このオラクル的な方法もタロットカードを使うものではありますが、普通にするタロットリーデイングとは適用や使用する次元も異なるということです。

言い方を換えれば、、同じカードではあっても、別の方法(技術)をしているということになるのです。

ですから、ノーマルなタロットリーディングとは区別しないといけないわけです。

そうしないと、「オラクルで引いたカードではあのような意味だったのに、タロットリーディングでは別の意味になって、わけがわからない」と、質問をする側の人が混乱してしまうことにもなりかねないからです。

ただし、オラクルカードが天使のようなエネルギーや力が働いていると考えるのならば、タロットカードはやはり使い方は違っても、そこにはタロットの精霊が働くと見ることができます。

この両方をタロットリーダーは理解しておく必要があります。

なお、オラクル的方法でタロットを使う場合は、実践を何度か繰り返し、その意味(メッセージ)とカードがシンクロしてなじむように、慣らしていく時間・積み重ねがいります。

これはリーダー側にも、自分が書いた意味のオラクルであっても、「きちんと確かなカードが出るんだ」と実感する必要もあるからです。

うまく行けば、迷った時のシンプルな自分へのメッセージとして有効に使うこともできます。

興味のある人はやってみてください。


多様な見方と完全性

マルセイユタロットでは、自己の成長過程を見る順番とカードの関係というものがあります。

しかし、その見方は実は単純なものではなく、横方向意外にも縦方向、時には斜めやクロスとして観る場合もあります。そして逆方向に進む(戻る)見方もあるのです。

私たちの人生もそうした多様な見方をすると面白いです。

だいたいにおいて、何かに悩んだり、落ち込んだり、袋小路に陥ったりしている時は、モノの見方が一方向に偏っていることが多いものです。

自分の信念や思い込みが極端であったり、ひとつの信仰に近いものを抱いていたりすると、やはり考え方や行動に硬直してきたものが出てきます。

要するに、固さには柔らかさが必要であり、逆に柔らかくなりすぎると固さも必要になってきます。

ただ、意外に思うかもしれませんが、柔らかさも固さも、どちらにおいても、結局は多様性(多様なものの見方)が必要になってきます。

柔らかさではわかるでしょうが、固さでもそうなのです。簡単に言えば、ひとつの信念や意志を固めるには、ほかとの違いがたくさんわかったほうがいいいからです。

つまり個性は多様性から生まれるということです。

さて、人生の見方をシンプルながらも少し多様性を持たせる見方として、始まりから見る方法と終わりから見る方法があります。

始まりから見るというのは、誰もが普通に思うやり方で、自分の生まれた時から今に至るまで、そして未来に今後続いていくという生から死に向かっての方向性です。

終わりから見るというのは、文字通り終末、つまり死から生(誕生)に向けて振り返っていくような方向性です。

例えば、自分の人生、まだまだ何年もあるよと思うか、もうあと何年間しか満足に活動する時間がないと思うかの違いです。

もちろん自分が死ぬ時なんていうものはわかりませんから、平均寿命やだいたいの感覚でしか終わりは予想できませんが、それでも残りの人生を、まだまだあると見るのか、もうこれだけしかないかも・・と見るのとでは、いろいろなことが変わってくると思います。

どちらの見方をすべきかとか、どちらが正しいというのではありません。ひとつのモノの見方を多層や多様にする一案ということです。

そうすれば、あせっている時は「まだまだある」と考えられますし、何だか毎日同じ事ばかりの繰り返しで充実していない、退屈だと思っていると、「もうこれだけしかない」と見て、奮起することもできるかもしれないのです。

あと、できるだけ自分は完璧な世界(宇宙)に住んでいると思うとよいでしょう。

不幸を感じたり、困難な人生で思ったりする時は誰でもありますが、それでもこの世の中、宇宙は完全で完璧だと考えるのです。

そうすると自分のとらえ方が実は完全ではなく、そのせいで、「よくない状態」と自分が思っているだけと見る向きが出ます。言わば、社会や人のせいにしにくくなるのです。

ただし、これ(宇宙は完璧という考え)もいろいろな見方があり、段階・レベルによっては、あえて完全ではないような様相になっていると思うこともできます。

変な表現でわかりづらいかもしれませんが、この世は完全で完璧ではあるものの、同時に矛盾に満ち、不完全極まりない世界でもあるのです。

もう少し別の言い方をすれば、不完全と思わせる実働部隊のようなものが存在する(自分の見方・とらえ方も含めて)と考えればよいかもしれません。

ですから、つまるところ、多様な見方を獲得する術を身につけるとよいのです。

多方面から見て考えることができれば、自分がはまっている罠や、完全なるものを一部しか見ていない(見せられていない)ことに気がつく可能性がそれだけ高くなるからです。

自分が一瞬一瞬においても、どんな状況においても、完全性(中立性でもあります)を見つけること、それに戻していくことによって、まさに世界や宇宙、もちろんあなた自身も完全へと回帰していくわけです。

その前提では、やはり宇宙は完璧で完全であると想定する必要があるのです。

マルセイユタロットはまさにそのことを描いており、私たちが完全性を回復させるためのツールだと言えるのです。


自分自身を納得させるための材料と仕組み

人は、自分に対しての行動なり、考えなりの理由をつけたがります。

おそらく人には、不合理な(不合理と感じている状況の)中では生きにくいようにセッティングされた何かがあるのでしょう。

簡単に言えば、すっきりさせたい、わからないままにしておきたくないという感情です。

それが何かを知りたい、探求したいという好奇心にもつながる場合もあります。

さて、そうした自分の中で自らを理屈づけるものを探す機能が働いているとすれば、私たちが普段、自分で見たり聞いたりするものの中にも、そのような目的でフォーカスしているものがあると考えられます。

それがシンクロとして現れることも考えられます。

つまり、こう思っている、こう考えている、こう行動しているという自分に対して、答えや理由になるような事柄を自然に(無意識的にでも)見つけようとしていると言えます。

ということは、自分がふれている外側の対象物(生じている現実の出来事)を観察すれば、自分の心がわかるという仕組みです。

よく、外のものは内なる投影であると言われる所以です。

しかし、ここで重要なのは、外は内なるものの投影とは言え、必ずしも潜在意識の情報や自分が解除しなくてはならないものが映し出されているとは限らないということです。

ただ、今述べてきたように、自分の思考や行動、あるいは価値観とか好き嫌いといった感情まで含んで、自分が納得する理由を見つけようとしていると考えると、単純に、「自分は今こんな風に思っている、こんな風に動きたいと考えている」というように見ることもできるのです。

例えば、自分は変わりたいと思っている人が、人の書いたブログの記事やSNSの投稿を見る時、「私は変わりました」という人の感想や、「こういうセラピーが効果的」という宣伝広告、「天気が変わりつつある」と情報、「芸能人の凋落や新人のネタ」とか、果ては「地球・宇宙が数千年規模の変革期を迎えている」などの壮大な内容のものにも出会うことになるのです。

この場合、共通しているのは「変化・変革」です。いいも悪いも含めて。

これは自分の心が映し出されていると言えばその通りですが、心の全部が映し出されているわけではなく、言ってみれば、ただ自分が見たいものを見ている、自分がフォーカスしているものに当たり前のように出会っていると述べられます。

それ(外のもの)を見たり聞いたりすることで、自分の思い(この思いは表面的な自分がわかっていないこともあります)を納得させている(あるいは確認している)わけです。

ここで出会うものには、何も自分がしたいとか、望むものだけとは限りません。フォーカス(注目)しているものであるので、望みとは反対の内容に遭遇することもあります。

つまり、あることに注目すれば、この世や宇宙は二元構造で表現されますので、その逆のものも同時に見ることになるからです。(一元・完全は二元によって構成され、より完全を理解するよう、二元で物事を見るよう自然になっている)

むしろ、あることを「正」とすれば、その「正」を際立たせるために、「不正」とか「悪」とか「正ではないもの」とあなたが感じるものと余計出会うことも増えます。

何かを強烈に思っていれば、その思い、思っている自分自身を納得させるため、その「思い」がクローブアップさせられることを私たちは望み、それを見つけようと機能させ、実際にそれを裏付ける外側のものと出会わせるという仕組みです。

ですから、自分の叶えたいことや、そうなってほしいというものに出会うとは限らず、逆のことも見たり遭遇したりするのです。

「戦争がなくなればいいと願っている人」は、反対に戦争のニュースや日常での争い事を見ることで、自分中の「争い」に注目しているその事実を自身が納得する(させる)ために、そうした「争いフォーカス」の材料を集めていると見ればわかりやすいでしょう。

白黒どちらでもいいと思っているものや、別に意識がそれほど及んでいないもの、注目していないものには、まさしく「どちらでもいい」ように、ランダムに、気にならない程度に出会うことになるでしょう。

タロットカードを引いて、象徴的にその人の内面をカードによって見るという行為においても、その人が何に注目し、どうしたがっているのかを確認する作業になります。(それだけとは限りません)

フォーカスしたり、注目したりしているものがわかると、自分の状態もわかりやすくなります。

その「注目」自体、そのままでよいのか、修正がよいのかを見ていくことが可能です。それは、マルセイユタロットの機能の中に、中立性を回復させたり、神性と通じたりするものがあるからです。

人の注目は、ある特定の価値観から発していたり、色メガネのような偏向性をもっていたりすることが多いのです。それは悪いものではありませんが、時に傾きがひどすぎる場合、調整も必要になります。

タロットはそのためのツールでもあるのです。


自己表現の無限性

世の中にはまだ現れていないものも含めて、様々な表現の世界があります。

例えば、どこかへ移動する手段・方法・表現として、昔は徒歩がほとんどでしたが、今なら電車・車・飛行機・・・とたくさんあります。そのうちロケットとか宇宙船とかUFO的なもの、タイムマシンすら入ってくるかもですね。

また物理的移動だけではなく精神的移動の方法としては、瞑想して乗り物にイメージで乗るという、タロットカードの「戦車」に描かれていることも可能です。

皆さんも夜見ている夢の中で、世界や宇宙旅行、あるいは異次元の旅をしているかもしれませんね。

というように、表現方法は物理・精神の二元においても、、またさらに細かく分かれて、無限に存在すると言ってもいいでしょう。

さて、そこでタロットの活用についてもこのことが言えます。

タロットを現実に使う(仕事とかお金、実際の効果を得るために使う)のか、あくまで精神の範囲(イメージや想像の世界)だけに使用するのかというものもあれば、タロットリーダーとして表現するタイプを様々に分けて考えるということもできます。

それは、22枚の大アルカナと56枚の小アルカナで構成されているタロット自体に描かれ、分け方も記されているのです。

例えば、自分はどういったタロットリーダーで表現していけばよいのかと思った時、22枚の大アルカナを並べて考えます。

時にはシャッフルしてカードを選んでみてもいいでしょう。

一枚だけではなく、数枚選んでもOKです。複数の組み合わせのほうが、さらに表現方法が複雑になったり、可能性を多くしたり、意外な発想も得たりすることができるからです。

そうして、「手品師」が出れば、まさに仕事として表現してみようと考えることもできますし、「斎王」や「隠者」が出れば、読んだ内容をブログや文章にして書いてみようとか、メールリーディングしてみようとか思えるかもしれません。

「正義」が出れば、クライアントの正しさや誠実さが(自分自身でもよい)表現できるようなアドバイスをしていこうとか、「戦車」が出れば、成功を目指す人のサポートや活用をしていこうとなるかもしれません。

さらに具体的な場所や時間、協力者などを見たければ、小アルカナを使えば可能になります。

ブースでリーディングするのか、家でするのか、お店で提供するのか、車とか移動して行うのか、何かの特典やおまけ、サービスとして付随させるのか、お金をいただくのならどれくらいなのか・・・こういうこともタロット自体でわかることなのです。

ここで重要なのは、タロットで示唆された表現方法が、「絶対」や「正しい」ことだと思わないことです。

いえ、本質的には正しいのですが、それは表面的・現在的価値観での正しい・正しくないの判断で見るのではなく、例えば、「今はそれが適切」であったり、「自分の成長に必要」であったり、「バランスが取れているもの」であったり、「新たな、または意外な可能性」であったり、ということで参考にします。

そうしないと逆に自分の表現を、ある形に縛ってしまうことにもなるからです。

そしてタロットといえど、自分の色メガネ(自己の価値観・思考パターン)は入りますので、ほかの人にもそのタロットから連想される事柄を聞くなどして、表現の可能性を大きく探すとよいでしょう。

人に聞く場合は、ふたつのことを意識するとよいでしょう。

1.ひとつは同じタロットを知っている人から意見を聞く。

2.もうひとつはまったく知らない人から聞く。

1は共通理解(知識)があるので、話しがしやすいことがまず言えます。そして自分も相手も同じことを知ってはいるものの、微妙にズレがあることも利用して、新しい発想を得るということもできるのです。

例えれば、同じ知識があるので回転を共同して回していくことができ、回転のスピードも上がっていきます。しかし相手とのタイミングのズレもあるので、一瞬リズミカルな回転が乱れる時が生じます。

ところが、それが実は新しい回転率や輪に変わることでもあり、新しいアイデアがわきやすいことも意味します。

2はまったく回転率や輪が違うものを最初から合わせようとすることで、当然そこには齟齬や違和感が大きくなり、回転すら成立しないかもしれませんが、両者の歯車がもし合った時、巨大な推進力を生み出すこともできます。

つまり相反するものから第三のエネルギーが出るようなもので、ものすごい発想が生み出されることもあるわけです。

どちらを取るかは、その時次第です。

ともあれ、あなたの表現する方法や形は、時代によっても、またあなたの心やアイデアによっても、いかようにでも変化し、数も限りなくあるのだと思うとよいでしょう。

その時や人に合うものを表現するのもよいですが、まだ表現されていないものを見つけていくのもチャンスを得たり、新しいことを招き入れたりするためにも必要なことがあります。


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