タロットの使い方

カードのエネルギー・ニュアンスをとらえる。

私はあまり活動の様子をブログでは掲載していないので、隠密タロット講師(笑)みたいな感じになっていますが、一応、関西を中心に、時には出張して関東や遠方などにも講義に出ております。

よく行っているのはもちろん関西の三都、京都・大阪・神戸ですが、中でもカルチャーセンター講座(京都新聞文化・よみうり文化)を受け持っていることもあり、京都と神戸は、中心の活動地になってきています。

先日、京都の、とある洋館カフェで、生徒さんとともに新年会を行いました。こんな感じのところです。

sinnenkai

遠方からも駆けつけてくれた人がいたり、生徒さん同士でも久しぶりの人や初対面の人もあったりと、いろいろではありましたが、皆さんタロット話を中心によい時間が過ごせたようです。

私の場合、まず受講していただく講義も基本として当然皆さんには重要ではありますが、受講生同士の交流による「趣縁」(趣味や趣きのある縁という意味の私の造語)も大切にしています。

講座はタロット占いというより、タロットをツールにして自他の成長や統合・調和を図るというものが中心ですので、その場限りには終わらず、深く学んでいく友・仲間として、タロットを共通言語に受講生同士のつながりもできてくるのです。

こうした場(タロットをテーマにした勉強会や交流の場)に行くと、「力がもらえる」とか「勇気が出る」とか、「癒される」と言った人も増えています。

普段は職業や役割など社会的にはいろいろな立場の人がいますが、マルセイユタロットを前にすると、「太陽」のカートが示すように、誰もが平等になり、素直に、「一人の悩んだり喜んだりする人間」として、つきあう仲間ができてくるのがよいところです。

今回の新年会ではちょっとしたゲームをし、参加者(10名以上の方がいました)一人一人を、全員でカードによって象徴してみるということを行いました。(メッセージつきで)

すると、不思議なことに、一人の人をほかの方々でタロットで表すと、かなりの確率で同じカードが選ばれるのです。

これは実は不思議ではなくて、ある意味、当然です。タロットを学習した人は、タロットの表現するエネルギーにふれ、ニュアンスをつかんでいます。

そして誰かを見た場合、その人の(表している)エネルギーの質と、タロットのそれとを比べてキャッチし、言葉で「カード」として示しているのです。

ここで大事なことは二つです。

ひとつは、カードがある種の特徴的エネルギー(「エネルギー」という表現がわかりづらい場合は、単に「質」と言ってもよいです)を示しており、それがタロットを学ぶと自分の中にセンサーとして蘇るということ。

そして、誰もが人やモノをタロットで表現できる能力を獲得できること、これは言い換えれば、見たままの「誰それさん」ということではなく、名前や服装とかの奥にある、その時のその人自身のエネルギーをとらえることができるようになるということでもあります。

いわゆるチャネリングやオーラを感じるテクニックと近いものなのです。

これの何がよいのかといえば、タロットの表すエネルギーやニュアンスがわかることによって、この世界をエネルギーやニュアンスによって見る視点ができるということです。

それは一言でいえば常識からの脱却であり、自己の再統合、スピリチュアルの始まり(復活のきっかけ)、人としての再出発でもあります。カードでいえば、「吊るし」の視点を持った「愚者」の旅が開始されたと言ってもよいでしょう。

ちなみに、新年会で来ていた受講生の方には、講座としては入門・入り口であるカルチャーセンタークラスの人もいらっしゃいましたが、その人たちでもカードできちんと表現できていたことは、注目に値することです。


理屈で理解するタイプの人とタロット

私のところにタロットを習いに来る方々は、私自身がそうなのだからでしょうが(^_^;)、結構「頭で理解したい」タイプの人が少なくありません。

極端な人になりますと、「スピリチュアル」という言葉を使うのも好きではないとか、ましてや「霊感タロット」なんてもってのほかという傾向の人もいます。まあ、私も霊感タロットみたいな言葉は好きではありませんが。(苦笑)

と言いつつも、タロットに関わる以上、どうしてもスピリチュアルであり、いわゆる「霊感」かどうかは別としても直感やインスピレーション、目に見えない心の領域は扱うことになります。

それでも「頭」「理屈」において、そういう世界を少しでも理解しておきたい、とらえ直したいという思いがあるわけですね。

精神世界や占いに興味を持たれる方は、やはり心や目に見えているものだけではない裏の世界に関心があり、そしてそれを伝える多くの方も、心の解放、心でわかること(感情・感性・直感での把握)、腑に落ちることの大切さを語られます。

場合によっては理屈とか頭で考えていることは一切無駄であり、それに従う必要はないと言われる方もいます。

私もタロットの世界におりますので、その言い分もわかりますし、心でわかることの重要さ、自分の感性・本質(自分らしさ)の把握と表現が幸せな生活を送る意味でも欠かせないと思っています。

ただその過程においては、「頭」でわかる必要のあるタイプの人がいること、もしくはその段階というものが必要であることは意外にあまり言われていません。

男性の場合は、むしろそれしか本質に行き着く道程・方法がないとさえ言えます。(最終的には違いますが)

女性でも、自分の中に男性性が潜在していますから、その男性性を満たすことでは、心の構造、目に見えないもののとらえ方などで「頭」の理解が必要なこともあります。

反対に男性は自分の中の女性性のためには、理屈を超えねばならないことがあります。簡単な言い方をすれば、女性(性)に対して降参するということです。(笑)

話が逸れましたが、とにかく、全員とは言いませんが、たとえタロットのようなものを扱ううえでも、心だけではなく、頭(理屈)で落とし込まないとわかりづらい人がいるのは確かです。

こういう人は、どうしても頭でわからないと動けない、自分に信用をおかすことができないとなるのです。結局は頭を通した感情の世界でもあるのが面白いところです。人は感情が納得しないと、葛藤を起こすか、嘘をついたまま抑圧するかになって、のちのち問題となります。

損得や数値、理論であっても、それに合意(納得)するかどうかは意識の問題であり、そこに感情は無視できないものです。

ということで、頭での理解は、さきほど「過程」と表現したように、あくまでタロット理解のプロセスであり、当たり前ですが、これが全てではありません。言い方は悪いですが、腑に落ちるための方便みたいなものなのです。

というと、論理性は感性に劣るのかといえば、実はそうではなく、高い知性というものは高度な論理性を伴い、低い感性(好き嫌いレベルのようなもの)をはるかに凌駕して、適切な選択を与えてくれます。

タロットの、特に小アルカナに流れる四大元素論を理解していけば、心と頭は優劣関係のものではなく、ともに本当の知性・智慧に行き着くための相互扶助センサーだと言えます。

それでも、もともとの気質・タイプ、あるいは後天的に形成されたパーソナリティ(性格)によって、理屈で理解する過程をふまえたほうがよい人と、直感的に心でとらえたほうがわかりやすい人という違いはあります。

私は前者の傾向を持つので、そういう人の気持ち・精神構造がわかるのです。

こういう人でも、タロットをずっとやっていますと、いずれ頭で考えていた理屈がガシャーン(笑)と壊れるような衝撃を覚えるようになります。

そして壊れたガラスの向こうに、が見えるようなります。

これを言葉で表現しようとすると、最初は「何を言っているのかわからない」ものとなりますが(今でもそうですよね(笑))、それはあなたがずっと頭で考え続けたから行き着いた、ある本質(の別次元)なのです。

これは他人には説明しづらいものではありますが(言葉や論理では説明しづらい)、「直観」として、あなた自身が心でストンと理解できたのと同じ状態となっています。

すると今までの考察してきた思考(理屈)も、一瞬で過去も現在も未来もネットワークが張り巡らされたような感じとなり、「そういうことだったのか!」と無数の論理のつながりが「心」に瞬間的に来ます。

言わば、一種の小さな悟り状態と言えましょう。

これを繰り替えすと、理屈のスピードも速くなりますし、心と理屈が対立することが少なくなり、「感じるために理屈があり」逆に、「理屈のために感じがある」という相互交流になってきます。

しかも、これはとても気持ちのよい状態なのです。「心豊かで知的な」自分みたいなことになるからです。


意識や気分を変えるツール

以前も書いたことがありますが、タロット好きの方にも、ふたつのタイプがあります。

ひとつはタロットに限らず、いわゆるカードタイプの象徴もしくはメッセージツールが好きだというタイプ。

そしてもうひとつは、タロットカードの種類や相性を強く選択するタイプ。

前者の場合は、カードコレクターみたいになって、タロットもいろいろなものを集められますし、オラクルカードとか、創作系の心理カードとかも持つことが一般的ですね。もともとタロットを昔から見たり、使ったりしていたという人が多いです。

カードを使うことが目的ではなく、人を癒したり、自分の気持ちが安まったりすることが大事という傾向で、要は目的のためならツールは何でもよいという大らかな感性の人です。価値観は「幸せ(物心両面の満足)」が重要と見ます。

反対に後者は、タロットにもともとあまり関心がなかった人によくあり、とあるきっかけでタロットにふれ、その最初に学んだタロットに惚れ込むみたいなことがあります。また、少しこだわりを持つタイプが多い気がします。価値観は「真理、向上(特に精神性)」を重要視します。

私の場合は後者であり、純粋にマルセイユタロットひと筋という感じです。(笑) それは相性もあるのですが、特別な理由も存在します。やっているうちに、ますます縁が深いことも実感してくるということもあります。

どちらがよいとか悪いとかの問題ではなく(またあくまで傾向ですから、必ずしもこのように分かれたり、どちらがどっちというものでもありません)、自分とタロットとの関係、自分が何を重要価値として置きたがるのかを見るうえでの区別です。

使い方についても、いろいろなカードが好きな人は、まさに実践においても、複数のカードを駆使されますし、ひとつにこだわる方は、そのひとつでオールラウンドにツールとして使いこなすようになります。

ここであまり言われていない、カードを持つことの意味もお話ししておきましょう。

複数であれ、ひとつであれ、タロットやカードツールを持つことは、一言で言えば気分を変える効果があるのです。

スピリチュアル的に言うと、波動や周波数変換です。

人は実は気分によって現実ともリンクしており、気のせいではなく、気分によって自分の状態が変質する(外の現実も)ことに大きな意味があるのです。

何を思うのかが重要ではなく、どんな状態であるのかがポイントです。見た目は笑っていても心は悲しんでいれば、それは楽しい波動を発しているとは言えないということです。

そこで気分(自分の本質の状態)をうまくコントロールできればよいのですが、なかなか難しいものです。

ところが、好きなことに打ち込んでいたり、好きなものに接していたりすると、気分をいい方向に簡単に変えることができます。

カードのことが好きでたくさん持っていたら、特にお気に入りのものを出したり、見たりするだけでその人の気持ちは変化します。

そうすると、カードはたくさんあれば有利のように感じられますが、ひとつをこよなく愛していれば、その効果もまた絶大であり、多くの中のひとつより、オンリーワンであるほうがかなり強いパワーを持つことがわかります。

とはいえ、いろいろな種類があれば、変えたい気分によってカードを選択できるという利点もあります。

どちらにしても、カードをシンプルに気分転換装置として使うこともできるということです。そこにはやはり絵や象徴があるということが効果を高めているといえます。

ということは、カード選択においては、自分が見ていて気持ちが良いとか、意味ありげに感じるとか、違和感を持たないというようなもののほうがよいわけです。

ただし、特別な意識になる場合は、少々変わった感覚もあり得ますので、一概に好き嫌い感覚だけでは選択の要素とは言えません。

それでも少なくとも、気持ちをよい方向にしたいという場合は、やはり気に入ったもの、見ていても好きと感じるものがよいでしょう。

タロット講座中でも、生徒さんたちがタロットを並べている時、明らかに雰囲気が変わっていることに気がつきます。そのタロットに縁が深かったり、楽しさを感じられたり、学びを真剣にされていたりする方はなおさらです。

日常の中ですぐに意識を変えられるものは、なかなかありません。タロットはそのようなツールとしては、とても効果的なものであると言えます。


今年をタロットで象徴してみる。

タロットを継続して扱っていますと、やがてタロットと物事が結びついてくるようになりますし、タロットの絵柄が、あるエネルギーを象徴させることがあります。

今年2014年の初めに当たり、イメージで出てきたのは「戦車」のカードでした。

タロットには全体性と個別性の意味がありますので、自分にとっての意味はもちろん、世界的なことでも「戦車」で象徴させられることが起こるのかもしれません。

ここで全体性と個別性と言いましたが、スピリチュアルな観点での厳密さで言えば、実はすべて個別性です。

これでは、何のことを言っているのかわかりませんよね。

わかりやすく言いますと、すべては自分の目を通して見た世界(宇宙)であるということです。

ですから、今回の「戦車」にしても、あくまでそれは自分がこれから見るであろう「世界」の全体性であり、言わば、自分自身の目や価値観を通して見るものなので、実は個別的だと述べているのです。

とはいえ、ここもまた面白いところなのですが、このブログを今読んでいるあなたにとっても、やはり「戦車」に関連することが、今年、象徴的に生じる可能性があるのです。それはあなたが今、「あなた自身という存在」で見て、経験していることだからです。

すべては主観であり、それが客観のように見えるのが「世界」や「宇宙」ではないかと考えています。

ともあれ、このようにタロットによって一年を象徴させることができますので、もしタロットを持っている方は、シャッフルするなり、イメージするなりして、タロットカードで自分にとっての「今年」を考察してみると面白いでしょう。

これは言ってみれば、タロットという乗り物によって未来への旅行をしているようなものです。(この部分も「戦車」の象徴性と重なります)

今月に私はタロットの受講生の皆さんと新年会を開催しますが、その時にも一年の象徴をカードで表すということはやってみたいと思っています。

その際、面白い方法も提案する予定です。複数の方が集まるからこそ、できる方法なのです。

ほかの皆さんも、今年を占うような気持ちで、集まりがあれば皆さんでタロットを引いてみるのもよいでしょう。共通したカードが出たり、自分にとって特徴あるカードが出たりして、いろいろな「世界」を経験できます。

ちなみに、「戦車」から出てきたメッセージは「スピード性」であり、特に処理や判断速度の向上ということが伝えられました。

さて、少しお知らせをしたいと思います。

今年早期のマルセイユタロットの講座ですが、まず名古屋で開催予定です。

現在、名古屋基礎講座の受講生を募集中
です。早期お申込み特典の締め切り日(1/6)が近づいておりますので、興味のある方は期日までにお申込みされるとお得です。

それから4月からは大阪もしくは神戸にて基礎講座ハイクラスを春期定期講座として開講する予定です。

この講座に、すでに前もって受講のご希望がある方は、ご連絡いただければ、その方のご希望のスケジュール中心で、4月からの講座日程を組むことが可能です。

また関西以外の遠方の方は、ご招待(出張費ご負担)いただければ、そちらに出張講座もさせていただきます。

招待が難しいとおっしゃる場合は、その地方での講座募集をしてみるという手立てもあります。人数が集まれば、出張費なく開講できる場合があります。一度ご連絡ください。

それではどうぞ、よろしくお願いいたします。


目的と手段を整理するための道具

私はタロットの講師なので、受講生さんの前などで話をします。

まあ、言ってみればそれが仕事でもあるわけですが、決して私は人前で話をすることが得意なタイプではありません。

今でもたぶんわかる人にはわかると思いますが、結構人見知りするタイプですので(^^;)、初めて会う皆さんの前ではとても緊張しますし、慣れた方でも最初の導入部は、いまだにテレがあることが多いものです。(苦笑)

そんな私でもタロットの講師をしていられるのは、ひとえにタロットの話をすることが好きだからであり、また講義を実践することで経験が積まれ、訓練と慣れもあって、次第に前よりもスムースになってきているということです。

ということで、まずはその話すテーマや扱っていることが好きなのか、愛しているのか、情熱を持っているのかということが、しゃべりがうまいとか、話好きだとかいう前に大きな要素があると私は思っています。

たとえ木訥な語りであったり、とちったりしながら話しても、やはりその語っていることに真剣さを感じられる場合は、人は聞いてくれるものだからです。思いは伝わるということですね。

ただ思いだけでは、やがて限界が来たり、時にはうまく伝わらなかったりすることがあります。

そのために「話す」「伝える」ということの技術を磨くことも求められるわけです。

ここでよくありがちなのは、目的と手段を取り違えることです。

話す技術を高めようとする余り、いつのまにか技術に走ったり、テクニックに溺れたりして、話をする自分に酔うようなことにもなりかねません。

本当の目的は、相手に自分の伝えたいことが伝わるということです。すなわち目的の達成度や質を高めるために、技術や方法があり、それを磨いているわけです。

いくら話がうまくなったからと言っても、聴く相手に何も残らないようでは本末転倒です。

そんな間違いはしないと思うかもしれませんが、話す技術が上がると、話をすることそのものが楽しくなり、方向性が変わってくることがあるのです。

別に話をすることが楽しくなるのはいいことですが、やはり楽しいので「話をすることそのものを目的」としてしまい、もともとの伝えたい内容と本質からずれてしまって、あれもこれもとコロコロとやっていることが変わり、ただお金儲けや自分が楽しみたいだけに終始してしまうような人も見受けられます。

今、講師の話で例えていますが、この目的と手段の取り違えは、ほかの仕事や要素でもよく起こりうることなのです。

まあしかし、それは悪いことばかりではなく、自分が目的だと思っていたことが、手段を講じているうちに、手段のほうに本質の種が隠されていることを発見し、目的が変化して、自分が達成したい本当の目的に行き着くというケースもあります。

例えば、先ほどの講師の場合でも、話をすることそのものの楽しさに目覚めたのなら、実は自分はコミュニケーションの方法や上達を、それがうまく行かない人たちに伝え、教える使命があったのだと気がつくような場合です。

ともかく目的を決めることはよいのですが、その目的というものは、人生の中で変更は可能なものであり、どのレベルのものを目的と据えるかによって、その変更具合も変わってきます。

崇高で抽象的な目的を自分の中に抱く場合、細かな手段や方法というものはとても些細なことになり、いわば手段においては、正しいとか正しくないとかでは判断できないものとなります。言い換えれば大目的の前では、細かいことなどはどうてもいいようなものです。

ですから迷った時などは、高い目的性に一度自分を置いてみて、その目線から選択を見つめると、結構あっさり決まることがあります。(どちらでもよいというような考え方になる) これはマルセイユタロットで言うと、「」の象徴でもあります。

この逆に、目的を具体的で細かなものに設定すると、手段はそれに適うか適わないかにおいては、はっきりと○×が出ますが、しばしば低い目的性によって、「これでよいのか?」と悩むことも生じます。

それではどちらの目的を持てばよいのかとなりますが、これはケースバイケースであり、目的というものを整理させるためには、やはり「象徴」ツールを持つことが得策です。

マルセイユタロットやカバラーの生命の木などの象徴ツールは、非常にこれらを効率よく整理してくれます。

そのためには、象徴ツールへの知識が必要となりますが、いったんそれを理解すると、混沌とした世の中と自分を、合理的に把握できるようになり、すべてのもののつながりも見えてきて、まさに自分の中に羅針盤や現実的・精神的地図を持ったような感覚となることができます。

私たちは本当の地図を持たないがために、いつも迷ったり、悩んだり、彷徨ったりして、自分の今の立ち位置や、そもそもの自分というものがわからくなっているのです。


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