タロットの使い方

今年をタロットで象徴してみる。

タロットを継続して扱っていますと、やがてタロットと物事が結びついてくるようになりますし、タロットの絵柄が、あるエネルギーを象徴させることがあります。

今年2014年の初めに当たり、イメージで出てきたのは「戦車」のカードでした。

タロットには全体性と個別性の意味がありますので、自分にとっての意味はもちろん、世界的なことでも「戦車」で象徴させられることが起こるのかもしれません。

ここで全体性と個別性と言いましたが、スピリチュアルな観点での厳密さで言えば、実はすべて個別性です。

これでは、何のことを言っているのかわかりませんよね。

わかりやすく言いますと、すべては自分の目を通して見た世界(宇宙)であるということです。

ですから、今回の「戦車」にしても、あくまでそれは自分がこれから見るであろう「世界」の全体性であり、言わば、自分自身の目や価値観を通して見るものなので、実は個別的だと述べているのです。

とはいえ、ここもまた面白いところなのですが、このブログを今読んでいるあなたにとっても、やはり「戦車」に関連することが、今年、象徴的に生じる可能性があるのです。それはあなたが今、「あなた自身という存在」で見て、経験していることだからです。

すべては主観であり、それが客観のように見えるのが「世界」や「宇宙」ではないかと考えています。

ともあれ、このようにタロットによって一年を象徴させることができますので、もしタロットを持っている方は、シャッフルするなり、イメージするなりして、タロットカードで自分にとっての「今年」を考察してみると面白いでしょう。

これは言ってみれば、タロットという乗り物によって未来への旅行をしているようなものです。(この部分も「戦車」の象徴性と重なります)

今月に私はタロットの受講生の皆さんと新年会を開催しますが、その時にも一年の象徴をカードで表すということはやってみたいと思っています。

その際、面白い方法も提案する予定です。複数の方が集まるからこそ、できる方法なのです。

ほかの皆さんも、今年を占うような気持ちで、集まりがあれば皆さんでタロットを引いてみるのもよいでしょう。共通したカードが出たり、自分にとって特徴あるカードが出たりして、いろいろな「世界」を経験できます。

ちなみに、「戦車」から出てきたメッセージは「スピード性」であり、特に処理や判断速度の向上ということが伝えられました。

さて、少しお知らせをしたいと思います。

今年早期のマルセイユタロットの講座ですが、まず名古屋で開催予定です。

現在、名古屋基礎講座の受講生を募集中
です。早期お申込み特典の締め切り日(1/6)が近づいておりますので、興味のある方は期日までにお申込みされるとお得です。

それから4月からは大阪もしくは神戸にて基礎講座ハイクラスを春期定期講座として開講する予定です。

この講座に、すでに前もって受講のご希望がある方は、ご連絡いただければ、その方のご希望のスケジュール中心で、4月からの講座日程を組むことが可能です。

また関西以外の遠方の方は、ご招待(出張費ご負担)いただければ、そちらに出張講座もさせていただきます。

招待が難しいとおっしゃる場合は、その地方での講座募集をしてみるという手立てもあります。人数が集まれば、出張費なく開講できる場合があります。一度ご連絡ください。

それではどうぞ、よろしくお願いいたします。


目的と手段を整理するための道具

私はタロットの講師なので、受講生さんの前などで話をします。

まあ、言ってみればそれが仕事でもあるわけですが、決して私は人前で話をすることが得意なタイプではありません。

今でもたぶんわかる人にはわかると思いますが、結構人見知りするタイプですので(^^;)、初めて会う皆さんの前ではとても緊張しますし、慣れた方でも最初の導入部は、いまだにテレがあることが多いものです。(苦笑)

そんな私でもタロットの講師をしていられるのは、ひとえにタロットの話をすることが好きだからであり、また講義を実践することで経験が積まれ、訓練と慣れもあって、次第に前よりもスムースになってきているということです。

ということで、まずはその話すテーマや扱っていることが好きなのか、愛しているのか、情熱を持っているのかということが、しゃべりがうまいとか、話好きだとかいう前に大きな要素があると私は思っています。

たとえ木訥な語りであったり、とちったりしながら話しても、やはりその語っていることに真剣さを感じられる場合は、人は聞いてくれるものだからです。思いは伝わるということですね。

ただ思いだけでは、やがて限界が来たり、時にはうまく伝わらなかったりすることがあります。

そのために「話す」「伝える」ということの技術を磨くことも求められるわけです。

ここでよくありがちなのは、目的と手段を取り違えることです。

話す技術を高めようとする余り、いつのまにか技術に走ったり、テクニックに溺れたりして、話をする自分に酔うようなことにもなりかねません。

本当の目的は、相手に自分の伝えたいことが伝わるということです。すなわち目的の達成度や質を高めるために、技術や方法があり、それを磨いているわけです。

いくら話がうまくなったからと言っても、聴く相手に何も残らないようでは本末転倒です。

そんな間違いはしないと思うかもしれませんが、話す技術が上がると、話をすることそのものが楽しくなり、方向性が変わってくることがあるのです。

別に話をすることが楽しくなるのはいいことですが、やはり楽しいので「話をすることそのものを目的」としてしまい、もともとの伝えたい内容と本質からずれてしまって、あれもこれもとコロコロとやっていることが変わり、ただお金儲けや自分が楽しみたいだけに終始してしまうような人も見受けられます。

今、講師の話で例えていますが、この目的と手段の取り違えは、ほかの仕事や要素でもよく起こりうることなのです。

まあしかし、それは悪いことばかりではなく、自分が目的だと思っていたことが、手段を講じているうちに、手段のほうに本質の種が隠されていることを発見し、目的が変化して、自分が達成したい本当の目的に行き着くというケースもあります。

例えば、先ほどの講師の場合でも、話をすることそのものの楽しさに目覚めたのなら、実は自分はコミュニケーションの方法や上達を、それがうまく行かない人たちに伝え、教える使命があったのだと気がつくような場合です。

ともかく目的を決めることはよいのですが、その目的というものは、人生の中で変更は可能なものであり、どのレベルのものを目的と据えるかによって、その変更具合も変わってきます。

崇高で抽象的な目的を自分の中に抱く場合、細かな手段や方法というものはとても些細なことになり、いわば手段においては、正しいとか正しくないとかでは判断できないものとなります。言い換えれば大目的の前では、細かいことなどはどうてもいいようなものです。

ですから迷った時などは、高い目的性に一度自分を置いてみて、その目線から選択を見つめると、結構あっさり決まることがあります。(どちらでもよいというような考え方になる) これはマルセイユタロットで言うと、「」の象徴でもあります。

この逆に、目的を具体的で細かなものに設定すると、手段はそれに適うか適わないかにおいては、はっきりと○×が出ますが、しばしば低い目的性によって、「これでよいのか?」と悩むことも生じます。

それではどちらの目的を持てばよいのかとなりますが、これはケースバイケースであり、目的というものを整理させるためには、やはり「象徴」ツールを持つことが得策です。

マルセイユタロットやカバラーの生命の木などの象徴ツールは、非常にこれらを効率よく整理してくれます。

そのためには、象徴ツールへの知識が必要となりますが、いったんそれを理解すると、混沌とした世の中と自分を、合理的に把握できるようになり、すべてのもののつながりも見えてきて、まさに自分の中に羅針盤や現実的・精神的地図を持ったような感覚となることができます。

私たちは本当の地図を持たないがために、いつも迷ったり、悩んだり、彷徨ったりして、自分の今の立ち位置や、そもそもの自分というものがわからくなっているのです。


クリスマスにタロットを感じる。

もうすぐクリスマスですね。

気温も冷え込みつつあり、それらしい雰囲気(北半球の一部の地域がイメージするクリスマスですが)にもなってきました。

さて、クリスマスと言えば、現在はサンタクロースやプレゼント、ケーキ、もみの木、恋人、家族・・といったイメージがありますし、何より教会やキリスト教という雰囲気がしてきますよね。

とはいえ、これらのイメージはかなり誤解があったり、おかしな行事を日本ではしていたりするのだと想像できます。

私は外国に住んだことがありませんので、特にキリスト教圏のクリスマスが実際にはどんな風にされているのかはわかりませんが、少なくとも日本の今のクリスマスのものとは意味も形も異なるのはわかります。

またタロットなど学習することによって、クリスマスが、いわゆるキリスト教だけのものとも言えないことがわかってきましたし、そのルーツは結構、世界共通の「ある認識」によるのではないかという推測も成り立ってきました。

一言でいえば冬至太陽信仰に関係するということです。

そうやって見ていくと、「クリストマスとは何か」「サンタクロースとは何者なのか」というテーマも、いろいろと興味深い考察もできます。それもマルセイユタロットを学び扱っていくうえで、出てきた事柄なのです。

たとえば、サンタクロースは必ずしも優しいおじいさんとも言えず、カードでいえば「13」や「隠者」、さらには「手品師」ともつながっていると言えることもできるのです。(その他のカードとも関連はあります)

一方、純粋にキリスト教的な行事や儀式、さらには雰囲気としてクリスマスを経験するのも、実はタロットの学び(理解)にもつながるのです。

それはなぜかと言いますと、まず第一には、タロットが西洋の人物や習俗を絵柄としているからです。(創作系の東洋的なタロットは別ですが)

西洋の、特に宗教行事的なものの中には、もともとには深い意味があることが多く、そのためタロットで描かれているものもあり、それを実際に目にすることで、タロットの絵柄を生身のような感覚で見ることができるようになります。

さらには、クリスマスともなりますと、イエス・キリストの誕生伝説とも結びつき、聖母マリアや天使たちのイメージとともに、人々の純粋な祈りや敬虔さ、優しさ、穏やかさ、復活のエネルギーなどが感じられることもあるからです。

この時期に教会に行くと、あまり普段は鋭敏ではない人でも、それらを感じられる人が多くいらっしゃると思います。

こうして、例えばカードに描かれている「天使」の象徴に流れているエネルギー・表現を、これも生身で味わう機会を得るのです。

すると、今度はそれを記憶しているあなたがタロットを展開した時、そのエネルギーがあなたを通して復活してくるのです。

言ってみればこれが「審判」のカードの秘密のひとつです。もちろん「節制」やほかのカードたちでも同様のことができます。

マルセイユタロットは、本当はカトリックのキリスト教とは対立する思想を裏の背景に持ちます。

ですから、ここでキリスト教の教会に行くなどとのことは、相容れない行動であると理屈では思ってしまう人ももいるでしょう。

また無宗教な人間がクリスマスだけ雰囲気がよいからと、教会に行くのもどうかと言う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし今述べているのは、表・裏とか、正当とか異端とかの話に関係なく、人々が絵やお話、宗教等で表現しようとしてきた「」を本質的に見てみましょうと言っているのです。

クリスマスはその本質を実際に体感するよい機会なのです。


タロットで劇的な変化がありますか?

タロットをしている私に、以前、立て続けに、それぞれ別の方から、同じようなことを聞かれたことがあります。

それは「タロットによって、すごく変わった点とか、出来事はありましたか?」というものです。

この質問はなかなか私に気付きを与えてくれました。

ひとつは、「マルセイユタロットのすばらしさを伝えている人ならば、どれだけ劇的なことがタロットによって起こる(起こった)のか、知りたい」という欲求が、普通に人にはあるだろうなということ、

ふたつ目は、思い返してみると、タロットと関係する強烈な事件というものは、意外に思い浮かべられるものは少ないということでした。

ふたつを詳しく説明します。

ひとつめの事柄は、言わば当たり前のことですが、商品なりサービスなり、また哲学なり宗教などではあっても、「そんなにお前がいいって言うのなら、具体的にどれだけ良かったかのエピソードを語ってくれよ」と、人は薦められるものに対して、効果を期待して吟味するということです。

ですから物事のお勧め、あるいは商売になればなおさらですが、「効果・効用を説明する」ということがあるわけです。使用前・使用後の表示や広告みたいなものですね。

そして、さらに言えば、その使用前・使用後の対比は劇的であってほしいという願望も人にはあるということです。ただし、あまりにもそれが違いすぎると、逆に人は怪しいと感じることもあるでしょう。

とはいえ、やはり「劇的な変化」のインパクトがあればあるほど、それだけまさに「劇的な印象」を説明を聞いたほうにも受けることになります。まあ、そのほうがウリになりやすい、アピールしやすいということにもなるでしょう。

さて、ふたつ目ですが、実は残念ながら、マルセイユタロットを学び、使っていくということは、そんな劇的な、ドラマや漫画のような話ではないということです。

でも人によっては、劇的なポイントを経験したり、突然変化を迎えたりすることもあると思います。

事実、私もいくつかの、衝撃をもって語ることの出来るお話はあります。しかし、それは内的なもので、表面的・外面的に誰が聞いてもびっくりするような話ではなく、あくまでタロットの象徴を通して感じられた個別体験の意味においてとなります。

マルセイユタロットを使うということは、まるで薄皮をはぐように、自分の思い込みや囚われをはずし、本来の自分を取り戻す作業と言えます。

日々蓄積した要素が、ある日突然、一気に解放を迎えることもあります。それは蓄積というものあってのことで、それが魔法のランプのように、何でもその時その時に願い事を一気に叶えてくれる道具となるわけではありません。

言わば、ロールプレイングゲームにおけるポイント数とゲーム展開の変化のようなもので、タロットによって自他の理解が進むにつれ、さらにタロットはそれまでの次元とは異なる智慧を開く鍵に変化していくというような印象です。

段階や次元が上がる時は、内的には衝撃や一気の開放感が確かにあることはあります。その意味では、劇的と言えるでしょう。

ただある日を境に、突如運が良くるとかそういう類のものではありません。気がつけば、以前の自分とは大きくいい意味で変わっている、成長しているという感覚です。

しなしながら、それはやはりタロットを使ってきたからこその道のりであり、何もツールがない時よりかは、間違いなく自分の認識の変化のスピードや深さは違っていたと言えます。

ということで、マルセイユタロットは、それを手にすれば誰でも良くなったり、変化できたりするというもではなく、まさに使い方と継続にその真価があるというものです。

何も知識も実践もなければ、ただの絵柄のついたカードです。

謎問答みたいな話になりますが、「タロットで劇的な変化がありますか? ありましたか?」と問われれば、「タロットそのものからによる直接的なものはありませんが、タロットを識ることによって、自己の体験が劇的なものであったことの理解ができ、その意味では変化は常にあると言えます」と答えられます。

自己の体験が劇的なものであると認識すれば、それは自らの生き方、世界や宇宙のことへの審美を得ることにつながり、本当に「すばらしきかな、人生」という賛美にも変化します。

その途中では山あり谷ありで、逆に虚無感に襲われることもあるかもしれませんが、さらに続けると、タロットはその虚無からも救済してくれるようになるのです。

こう書くと、イメージできるのはやはり「愚者」のカードであり、「愚者」と「犬」との関係が、私たちとタロットのようなものだと言えます。


神と神を響かせる

中京圏の方に予告しておきます。

来年(2014年)、2月から3月にかけて、マルセイユタロット基礎講座ハイクラス仕様を名古屋で開催予定となりました。

受講を検討していても、関西に来ることが難しかった方は、是非この機会をご利用ください。初の中京圏開催ということで、通常よりも割引の特別価格でのご提供になると思います。

詳細は近いうちにブログでお知らせいたしますので、注目しておいてください。

では本日の記事です。

今日、ふとタロットを見ていて降りてきた言葉が「神と神を響かせる」というものでした。

あ、降りてきた・・というと、妙なものに憑依されているとか、逆に神や天使とコミュニケーションしているとか思う人がいるでしょうが、すべて正解かもしれませんし、そうでもないかもしれません。(笑)

現実的な言い方が好きな人は、自分の記憶から、一見無関係な言葉と概念が、普段と違う意識になることによって脳内で結びつき、浮上してきてアイデアとなった・・と言ってもよいです。

まあ、そういった、インスピレーションやアイデアが湧きやすいのがタロットのいいところでもあります。

ともあれ、さきほどの言葉「神と神を響かせる」です。

私がこの時理解したのは、神とは、ひとつには自分の中の神性、そしてもうひとつは外側の神表現です。外側の神表現とは、自然とか環境とか他人とか、見たり感じたりしているすべてのことを言います。

日本人は八百万の神と言い表して、あらゆるものに神性を見てきました。まあこの場合は、神性レベルにもばらつきがあり、いわば人間とは異なる何か、次元の違い、エネルギーの質の異なりを神と表現していたと言え、少しニュアンスは違っているかもしれません。

いずれにしても、自然に対して何かを見ていたわけです。

そして、神(内)と神(外)を響かせるためには、まず外において(見たもの、経験するものに対して)、神性なる尊さ・すばらしさ・驚嘆・感動など、偉大な何かを感じることがよいと思います。

「ああ、すごい!」「これはいいなあ・・」「感動する・・」みたいな言葉が出た時がチャンスです。

その時、ただ感動しているだけではなく、自分の方(内側)に注目します。すると、そもそもすばらしいと感じる「感性」が自分にあることがわかります。

そう思っている自分がいるのは、そう思える、反応できる、評価できる自分があるからです。もっと言うと、同じもの・同じ性質があるから響き合うことができるのです。

その価値がわかる時は、その価値について知っていないとなりません。知っている・理解していることが、認めることにつながります。

だからあなたはすでに知っているのです。外に神だと思えることがあったのなら、それはあなた(の内側)に神性があるからです。

そして感動した時に響いている部分・その何かをよく観察してみましょう。確かに「それ」はあり、鼓動のように共鳴していることに気がつきます。

そうすると内と外の境目がなく、自他の同一感が増します。軽い瞑想とも言えますし、大げさに言えば宇宙との一体感のスモールステップみたいなものとなります。

これを続けていくと、外は神で満たされている世界のように感じますし、自分の神性部分への覚醒も拡大してくようになってきます。

まあ、そうは言っても、またすぐにいわゆる人間的な部分に戻ることは戻りますが(苦笑)、それでも一度気付いた部分は、また再発見しやすいという特徴があるのがよいのです。

またダイレクトにこうして内と外を見ていくのもいいのですが、仲介役として、同じ性質の表現の違いのものを入れてみると、さらに進みませやすくなります。

そのツールがマルセイユタロットとなるのです。神性の発露や気づきための道具と言われるマルセイユタロットは、使ってみるとその効果を実感できます。


Top