タロットの使い方

自分の気分を見分ける、数値化する。

マルセイユタロットはその独特のデザイン・構造のため、それぞれある種の周波数・波動を表していると考えられます。

そういった、いわゆる一定の普遍的な数値がある一方、おそらくその日その日で受ける個人の印象で変わる周波数・数値もタロットから出てくると想定できます。

周波数を計測するものがないので厳密にはわかりませんが、私たちの持っている感覚でも、大まかな区別はできるものと思います。

まずとても簡単なのが、ふたつの区分です。つまりはいい・悪いの気分とか、何も感じないか、ちょっと心が動くかのふたつのものです。

さらに三区分、四区分と増やしていくことができますが、その基準には古代の世界観による宇宙の表現を利用するとよいでしょう。

たとえば創造(発生)的なもの・安定的なもの・破壊的(変化的)なものとか、風・水・火・地(土)的なものとかで感じる方法です。

またメーターや目盛りのように、グッドフィーリングからバットフィーリングを4~10段階くらいまで意識しておいて、区別していくのもよいでしょう。

ここから結局、感覚もトレーニングで鋭敏にすることができることがわかります。

たとえば「声」も最初は大声とか小声とか、ただしゃっべっている声くらいしか意識しないかもしれませんが、ちょっと考えると、高い低いだけではなく、怒った声、悲しい声、ひそひそ声、快活な声、叫び声、歓喜の声・・・などいろいろあることに気がつきます。

日本語をよく調べれば、それらをひとつひとつ、熟語として表現していることもわかるでしょう。

色なども同じですね。単に赤とか青だけではなく、中間色、微妙な色合いを言葉でもうまく表していると言えます。

いずれにしても、最初は誰でも「受信感覚」と「表現」は、ふたつくらいの単純なものではあっても、意識してトレーニングすると次第に細かな違いもわかってくるようになり、やがてはまさに「千差万別」を見分けることができるようになるかもしれないのです。

その違いこそが、人間がつかむ、周波数の違いと言ってもいいでしょう。

スピリチュアル的にも周波数の違いはあらゆるものに影響し、運・生き方までも左右するものであると考えられています。

すると、その違いを自分の感覚で見分けられるようにするということは、人生においても重要事項になってきます。

トレーニングにはいろいろなやり方があるとは思いますが、タロットを使ってチューニングしたり、個別感覚を見たりすることも可能でしょう。

「気分転換」とよく言いますが、その本質は周波数の変換にあり、文字通り気分が変わる(変わっている)ことを自分が知っておく(気付いておく)必要があります。

中途半端な気分転換よりも、がらりと変えることのできる方法や場所・事柄を技術としてマスターしておくことが重要です。

それには、やはり自分の好きなもの・嫌いなものが、抑圧されたり麻痺したりしてわからなくなっていることから脱却させておくことも大切です。

いわば、体裁や人のことを気にしすぎて取り繕いや欺瞞ではなく、素直な自己表現の過程が求められるわけです。

とりあえずは、この気分は自分のメーターでは何段階なのか、というのを練習してみると面白いでしょう。


動物を象徴として見る。

動物占いというのがあるように、昔も今も動物を象徴として見るというのは、比較的よく行われていることです。

マルセイユタロットでも、動物たちはたくさん登場します。

もちろんこれらは無意味に描かれているわけではありません。

「かわいいねぇ・・」とか「変なの・・」とか、一般的に私たちが動物を見るような目線で見ていては、タロットカードの動物の意味を把握することはできません。

ただ、見た目の印象というのも意味がないわけではありません。特にマルセイユタロットの「愚者」に描かれている「犬」は、人によって見え方が違うようにわざと描写されています。

絵の犬が勝手に動くわけではないのですが、見ようによっては表情や動き方が、毎回違うように思えてきますので不思議です。

私はよく講義でも、この「愚者」の「犬」がどのように見えるかを受講者の方々に聞くのですが、やはりいろいろな感想が出てきます。

見え方が違うのは、各人の心理状態が異なるからです。

こうした、その時の「生の感覚・見た印象」というものによって、今の心模様を洞察することができます。

一方、もうひとつ大切なのは、動物が象徴する伝統的とも言える意味合いです。象徴学的な見方と言ってもいいでしょう。

たとえば、ライオン(獅子)は、古代の世界のとらえ方である「四大元素」では「火」を象徴します。

「犬」も、各民族で古くから神話などでどのように扱われてきたのかを知っておくと、特別な意味がわかってきます。

タロットにおける動物たちは、皆、象徴的意味があり、それは人類の普遍的シンボルでもあるのです。こうして、象徴の意味と見た目の印象とが相まって、総合的なものと個別的な回答の両方が得られることになるのです。

このほか、タロットと関係しつつも離れますが、動物の特徴(姿形や行動・本能などから来る特徴)から、霊的なエネルギーをその動物で表現することがあります。

日本人では、狐とか狸とか蛇とかが比較的多いでしょうか。

これらはその動物たちの霊というより、その動物的特徴が、ある種の目に見えないエネルギーの質と似ているから、私たちの意識を通して、そのような動物形象で映し出されるものと考えることもできます。

ちょっと気持ち悪い話になってきましたので(^_^;)、話題を変えまして、もっと楽しい動物象徴の見方にふれます。

それはよく言われるような、「自分は犬が好き」とか「猫が好き」とかということから始まり、さらには犬が好きでも、どんなタイプの犬が好きなのか、犬のどういうところが気に入っているのかなどを観察して行くと、まさに自分というものの、ある一部を映し出していることに気がついてくるというものです。

反対に嫌いな動物などでも考察することができます。

これは自分の中にある、あこがれている気風であったり、逆にあまり見たくない部分であったりします。つまりは、動物も象徴化すると、自分(あるいは人)のことを見る象徴ツールになりうるのです。

好みの動物が変わったり、嫌いな動物が気にならなくなったりするのは、それが自分の意識の拡大や変化を示唆していることがあります。この場合、自分の人間関係が変わっていることに気がつくこともあるかもしれません。(動物が、好みや嫌悪感を持つ人のタイプを象徴していることがあります)

その他、動物(生き物)の存在そのものがセラピー・癒しになったり、生き甲斐になったりすることもありますので、動物というものは人間(も動物ですが)にとって、シンボル的にも、実在としても重要であることがわかります。


「愚者」になる体験と「13」

マルセイユタロットの大アルカナは、人の型やパターンを象徴している意味あるのですが、言ってみれば、大アルカナ22枚の表現を誰でも内に持つということになります。

これがわかってくると、タロットを自己の人生に活用していくことができるのです。

22枚のカードの中でも、とりわけ特種なカードがあり、それが「愚者」です。

この「愚者」のみ、マルセイユタロットの大アルカナにおいては、数・番号を持ちません。その欄は空白になっています。ある意味、何の数でもないということになります。

さきほど、「22枚の表現が自分にある」ということを述べました。ということは、「愚者」も皆さんの中に存在するわけです。

そして、数を持たない「愚者」には、順序もなけれ階級もなく、何かにならねばならないこともありません。ここでいう「」とは、タロットが絵柄で象徴しているあり方や表現方法だと言うことができます。

「数」のない世界というと、ちょっと想像がつきにくいですが、逆に数のある世界というものを考えますとわかってきます。

例えば時間は数で表せます。いや、数で表すことによって時間を捕捉していると言ってもいいでしょう。

時間が数で表せるのであれば、その長さ・期間、移行する流れ、つまり過去・現在・未来の把握というものにもつながってきます。

またも数によって表すことができます。増えた減った、ある・なし(持っている・持っていない)、大小・増減の世界は数によるわけです。

従って長さ(時間)や量を意識しない世界というのが、「愚者」の世界(観)ということになります。

ただ現実的には私たちは「愚者」のように時間や量・形を意識しない世界に存在することは難しいです。

物質の世界にいる限り、つまりは生きている限りは、人は真の意味で「愚者」になることはできないと言ってもよいでしょう。

しかし、マルセイユタロットの秘伝では、大アルカナの表現をこの世界に表すことは可能と伝えられています。

確かに完璧や全部を表現することはできないかもしれませんが、それに近づくことは可能です。

「愚者」というカードがタロットにあるのなら、愚者の表す状態を自分の内に見たり外に発見したりして、自分自身の愚者的体験をすることで、「愚者」なるエネルギー・状態を自分のものにしていくことができます。

簡単に言えば、時間にとらわれない、量にとらわれないというようなことを意識し、実際にその思いで何かしてみる(行動する)ことでしょう。

例えば行き当たりばったりの無計画を経験したり、ハプニングすらイベントのようにして楽しんだりするようなことです。こうすると、最初は不安であっても、失っていたワクワク感や好奇心を蘇らせることができます。

自分が直接できない場合は、そういうことをしている人や状況を見る(疑似体験する)ことで、できる場合もあります。

量も、特にお金のことにも関係しますので、普段のお金勘定から逸脱した使い方や貯め方をするというのも面白いでしょう。

偶然かどうか、「勘定」という言葉は、「感情」と同じ音であり、あなたの日常のお金勘定が自分の感情と結びついていたり、表現していたりすることもあるわけです。

ということは、囚われたり、マンネリになっていたりする感情を、日常とは異なるお金勘定(数のとらえ方)で、変化させたり解放させたりすることも可能と言えます。

もったいないとか、こんなことしたら恥ずかしい、ばかばかしいとか思うと「数」の世界に囚われ、なかなか「愚者」になったり、愚者的体験をしたりすることができません。

「数」で捕捉された世界は、12の世界観とも結びつき、これを破壊させるには13の力が必要です。つまり、マルセイユタロットで言えば「13」(カードの「13番」)のエネルギーです。

「13」と「愚者」が、22枚の中でも数的・名称的に異質性を持ちつつ、二枚が構図的に共通しているのも理由があります。

日常を安定させることも大事ですが、自分の持つ自由性と破壊性の覚醒によって、次元を上げたり超えたりすることもできると認識しておくとよいでしょう。


タロットカードが物事の理解を進ませる。

マルセイユタロットでは、物事の本質やあることへの方法なとが読み取れます。

学び・学習においても言えることで、たとえば、「斎王」や「法皇」「隠者」などのカードの象徴性を考察することで、基本的で効率的な学習方法と態度がわかります。

もうひとつ言い方を変えれば、自分が身につけたり、知ったりしたこと(情報取得したこと)を、カードが象徴として整理し、自覚しやすくさせてくれると述べてもよいでしょう。

たいていは、人は記憶したことでもうまく場面場面で思い出すことができず、せっかく本を読んだり、セミナーを受けたりして知識を得ても、それを効果的に活用することは難しいものです。

ところが、タロットのよいところは、絵柄の象徴ということで、視覚的にもインパクトがあり、何かを記憶したり思い出したりするのには都合よく働きます。

タロットを扱うようになればわかりますが、それも意図的に思い出そうとせずとも、自然に、まさに「気づき」のように、「ああ、これはこういうことだよね」「ここではあのやり方が使えるわけだ」というようになるのです。

まるで自分の記憶庫やデータベースから、何者か高次の存在が、整理して取り出してくれるような感覚です。

しかも、そのまま取り出すのではなく、本質を悟らせてくれるかのような変換も行われるところが、またタロットのよい点です。

さて、ではさきほど、学習の事例で挙げたカードをもとに、「学び」の効率性についての一部をお話しておきます。

斎王」というカードは本を手にして静かにたたずんでいる女性の絵柄になっており、一般的には「女教皇」とも呼ばれるカードです。

そしてこの女性の態度を観察すれば、まさに自分の中に学びを受け入れること、すなわちインプットしている様子がうかがえます。

一方、「斎王」と対称的(対照的でもあります)なカードである「法皇」は、集まっている弟子か聴衆に向かって話をしているように描かれています。

ということは、外に向けて話をする、すなわちアウトプットしている(学んだものを人に話すことをしている)と取れます。

インプットとアウトプット、学びにおいてはこのふたつは重要な過程でもあり、記憶を定着し理解させるのには両方必要だと言われます。

さらに、インプットにおいて、斎王の細かな象徴を見ると、「繰り返し」をするということが見えてきます。

意外に知られていませんが、この「繰り返し」をして学ぶ、繰り返しインプットするということは、極めて理解において重要な行為です。

同じ本でも二度以上反復して読むと、最初読んだ時とは違う気づきや理解が必ず得られます。人の話でも、一回聞くより二度聞いたほうが確実に理解の深さが違ってきます。

ただし、より効果的にするには、繰り返す材料が優れたものであればあるほど効果を発揮するということです。「斎王」でいえば、手にしている本自体もすごいものなのです。(繰り返す価値があるもの)

こういうようなことで、カードを通して自分の中で記憶や学びが再整理され、物事の理解と直観の研磨が進むのです。


自らを知るための自己の投影。

心の対話、自問自答によって自らを知るという方法は、心理的にも宗教的にも行われていることです。

しかし、いきなり自分に問いかけても、そこに「いつもの自分」として意識している自分しかいませんので、なかなか難しいことです。

また日常生活で「自分を観る」というようなことは、時間的にも物理的にもやはり困難です。

というのは、ほかの作業があるからで、その時にいちいち、「自分が自分だ」「自分は今、これこれをしているところだ」なんて思っていると、何もできなってしまいます。

ところが、このことがまさに自己認識のヒントになるのです。

日常で自分意識や自らが選択・行動しているというような認識はほとんどしません。

せいぜい、重大な決断をする時か、他人と意見が違ったり、著しく外見が異なったりする環境に身を置かれた時などに「自分」を意識するくらいです。(だからこそ、環境の激変選択の岐路に立たされている時は、「自分」というものを理解するチャンスでもあり、反面、自己を失う危機でもあるのです)

ということは、日常から非日常の意識状態になるよう自分をコントロールすると、より自己を考察することができるというわけです。

それが孤独で落ち着いた環境であったり、瞑想したりして得る境地だったりします。(静かにする瞑想だけではなく、自分のしている行動をひとひとつ、「自分がやっているのだと意識してみる」という行動的な瞑想の場合もあります)

重要なことは、通常の時間感覚・流れを断ち切っものを創造するということです。なぜなら時間の異質性は空間の異質性も生み出すからです。(その逆も真なり)

同じ環境にいてはなかなかそれができないので、強制モードとして自分が動いたり旅をしたりして、それを確保するほうが楽です。(それゆえ、「愚者」は意識の移行も意味します)

そのような非日常の意識になれるような時空が設定できたら、次に自己洞察のツールを使います。

それが象徴ツールです。言うまでもなく、タロットがこの大きな役割を担います。タロットカードを自分の分身たちと見て、自己投影してみるという方法になります。

別にタロットでなくても、人形でも木でも雲でも何でも自分の内面を象徴すればよいのですが、タロット、特にマルセイユタロットの場合は、人間の元型的なタイプ・パターンをうまく象徴しているので、使いやすいのです。

言ってみれば誰にでもあてはまるように作られているわけで、「まあ、とにかく当てはめてみよう」という時に便利な「自己認識セットツール」みたいなものなのです。

その上で、全員に当てはまるパターンでありながら、自分だけに意識される事柄や表現・感覚・意味というものも出てきます。

ここがものすごく重要で、全体でありながら個別、個別でありがら全体という構造でカードに自己投影していくと、自分の個性を大なるもの(人類全体・宇宙)まで拡大していくことができるのです。

その逆に、より自分が自分として持っている個性というものも理解できます。(これにはマイナス・プラス両面あり)

自分を見るのに鏡が必要なように、投影する装置があったほうが自己認識はしやすいのです。

もちろん人間(他人)そのものでできなくはないですが、生身の人間の場合、投影する人が限定されがちか、逆にあまりに多過ぎてやりづらいのも確かです。だからツールが求められるのです。

ただ、鏡に映った自分が自分そのものではないように(左右逆転であること、あくまで映し出されたものであること)、投影されたものは自分の本質ではありません。

最終的には「自分なんてものはない」とさえ理解できるでしょう。

しかしながら、このタロットに投影された自己は本質ではないものの、今の自分を成り立たせている材料、表現でもあるのです。

いわば、自分の本質がまとった様々な自分というわけです。

ペルソナといえばペルソナですが、ペルソナにもふたつあり、社会的にかぶる仮面(普通に他人や自分が思っている自分)と、今生(人生そのもの)の演出のためにかぶる仮面です。

前者は意識的につけかえることは可能ですが、後者は通常は無理です。ただ、ある種のエネルギーとパワーの回復と、自己に眠る神性の認識が進むと、それも可能になると想像できます。


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