タロットの使い方
インスピレーションを得る簡単な方法
よい意味で、いつもと違う自分を発見したり、エネルギーを高めたり、アイデアや気づきを得たりするには、いわゆるパワースポットや波動の高い場所へ行くのはよい方法です。
もう1つは、よい人(クリアーな雰囲気の人、霊性の高い人、エネルギーが満ちている人、ある分野で成功や専門性を収めている人など)に出会うこと、会いに行くことです。
反対に波動を落としたり、運を悪くしたりするのはむしろ簡単で(笑)、その逆のことをすればいいいわけですが、普段の生活や仕事で忙しかったり、ストレスを感じたりしても同じ意味に近くなります。
つまり、高めるよりも下げる方向は日常的でもある(普通に生活していてもなる)ということです。
従って意識して、レベルを落とさない心がけ・行動が求められます。
これはよく言われることですが、精神的には、やはりネガティブなことを思わない、口にしないということが大切でしょう。(言霊といわれるように、言葉の波動があります)
とはいえ人間ですので、それをするなと言われても感情的にはどうしてもネガティブさは発生します。
ですから発生すること自体は当たり前だと流し、肝心なのはいちいち反応したり、判断(審判)を下したりしないということが大切となるでしょう。
とにかく、「自分が思うほど人は気にしていないものだ」と、「楽天的」に生きるのがよいことです。少しくらいわがままなほうが、実は多くの人はバランスが取れているものなのです。
そして体力・肉体的には睡眠をよく取る、バランスのよい食事を心がける、よい食べ物を摂取する、運動するなど当たり前のことを行っていくことです。
もしマルセイユタロットを学習した人ならば、特に精神的にはタロットカードを使ってバランスを図ったり、調整したりすることができます。
たとえば楽観的・楽天的になろうと思えば、「愚者」を見ているだけで本当にそのような気分になってきます。
反対に少し自分を律したり、集中力を持たせようとしたりする場合も、ほかのカードによって同様に行うことができます。
こういう使い方は言われてみれば「なぁーんだ」と思うかもしれませんが、タロットは占いの道具だとばかり思っている人にとっては意外な方法だと思います。
ただ実際に効果を上げるには、タロットと自分、タロットと世界の関係をつけていく必要はあります。
もちろんある程度の知識も要ります。でもそれができると、本当にタロットは心のパワーを導き出すことができます。
実は精神だけではなく、肉体的・霊的な調整にもマルセイユタロットは使えるのですが、そのことは今回は詳しくは述べません。ただそうした機能があるということも知っておかれると、マルセイユタロットにますます興味が湧くことでしょう。
一方、タロットを知らない、持っていない人へも、自分を高めたり、よいインスピレーションを得る方法のひとつをご紹介したいと思います。
それは過去、自分がよい発想を得られたり、気分がよくなった場所を思い出すことです。
人にとってはそれが近所の公園だったり、なじみの神社だったりします。
また自然の場所に限らず、ビルだったり、駅だったり、人工的な場所である場合もあります。
また厳密に同じ場所ということではなく、象徴的に同じということがあります。たとえば図書館と書店、資料室などは共通していると見ます。
自然の場所でも、場所は違っても「海が見える」ところ、木や建物が同じような角度や配置による場所などということもあります。
振り返れば必ず、共通したあなたの「よい場所」があるはずなのです。大げさに言えば、あの時、あそこへ行ったから今の私があるというような所です。
それを思い出して、今後の人生にも、節目節目に場所を活用すると面白くなってきます。
タロットはどの種類を選べばよいのか?
私はマルセイユタロットを使い、教えていますが、世の中にはタロットカードの種類はそれこそごまんとあります。
タロットカードの規定を厳密にしようと思えばできないことはないでしょうが、今ではただ単にカードに象徴的な絵が描かれてあれば、タロットカードと称するようになってきました。
ここでタロットの優劣について語るつもりはありません。結局のところ、そのタロットが好きかどうかの話になるからです。
もちろん好き嫌いとは別に、ある種の論理的・霊的理屈付けでカードの選択をすることも可能ですが、それでもやはり最終的には自分とそのタロットカードとの相性みたいなところに行き着く氣がします。
要はタロットにおいて、何を自分は求めるかということになるでしょう。それによって、選ぶカードも異なってきます。
また、タロットによって気付きを得たり、自分を見つめ直すことができたり、成長・発展のツールとして使うことができたりするのであれば、そのタロットの種類や技術は究極的には関係ないということになります。
だからある人にとってAというタロットが自分を成長させてくれるものでも、Bのタロットからはあまり何も感じられないということはありますし、その逆にBのタロットのほうが人によっては人生の指針になるほどすばらしいということもあります。
それは知識不足によって起こる場合があります。そのタロットの深い知識を知らないで、見た目の印象だけで使うというようなケースです。
けれども、知識を得たとしても、やはり自分にとってエネルギー的に受け付けないとか、知識が入ったから逆に好きではなくなったということもあり得ます。
要は人生が充実し、幸せになるのであればタロットはどれでもよく、それも自分にとって相性が良ければ最高だとなります。
そして、これはかなり以前にも書いたことがありますが、自分がタロットを選んでいるように見えて、実はタロットから選ばれていることがあるのです。
やはりタロットが持つ霊的・エネルギー的背景もあり、それと自分の霊統のようなもの、エネルギーの特質・個性(表現)によっては適合度合いにも違いがあり、最初に選んだタロットであっても、使う内、学ぶ内になじめないようになってしまうこともあるのです。そうして今度は違うタロットに導かれたり、出会ったりします。
自分に合うタロットを見つけると、まず心がワクワクしてきます。そのタロットを眺めている時、ふれている時間が楽しくなりますし、自然とさらに学びたくなります。自分の中の好奇心が刺激される感覚ですね。
しかし一方で、特別な因縁のようなものがある場合は、抵抗感が増したり、重い気持ちになったり、自分と周囲に異変が起こったりする場合もあります。
こういうケースではそのタロットをしばらく続けてみて、どうしても無理ならば種類を変えるかしてもよいのですが、ある浄化(の過程)が行われれば、そのタロットに適応していけるようになり、反対に人生を変えていくほどの大きなパワーにタロットがなる場合もあります。
またそれほどまでではなくても、最初はワクワクしていたのに、途中からつらくなってくることもあります。これはむしろよい傾向で、真剣にタロット(を使って自分)に向き合えば、ずっと楽しいなんてことはあり得ないと私自身は思っています。
それでも、その楽しくないことでさえ、最終的には楽しいと感じられるようになるのが自分とそのタロットの真の(新の)相性と言えるかもしれません。
私にとってはそういうタロットが、まさしく「マルセイユタロット」なのです。
タロットへの導かれ方は、それこそいろいろとありますが、やはりふとした縁、きっかけから始まることが多いので、まずは興味をもったものに飛び込んでみることです。
自分の性格が嫌な人へ。
私は以前公務員をしていたほどなので、やはりどちらかといえば「まじめ」傾向にあると思います。
そういえば、ブログタイトルの説明文にも「まじめさ」と書いていましたね。(笑)
そんな私でも今はタロットの講師をしているので、一般的に言えば変わり者、仕事内容だけ聞くと「まじめ」とは言えないのかもしれません。
実際には私にもふまじめなところはたくさんあります。(^_^;)
そう、実はどんな人にも自分の中には多くの人格(性格)があり、そのうち比較的出やすい外面の性格性が「自分だ」と思い込んでいることがあります。
出やすい部分というのは、やはりもともとの生まれ持った気質ということもありますが、育った環境・成育歴によって培われたものも少なくありません。
たとえ生まれ持った気質だとしても、それをマイナス点に考えるのではなく、同時にプラスの面も考慮するとよいでしょう。
たとえばきまじめで慎重な人は、それだけきっちりしており、いい加減な人ではないということになりますし、細かいことは苦手でややだらしない人でも、くよくよしない楽天性を持つということになります。
こうした(性格のプラスマイナスを見る)ことはよく言われていますので、今更という感じもあるかと思います。
ただ、マルセイユタロットを学習すると、大アルカナの22枚の象徴があらゆるものに関連していること(実はその逆の発想のほうが大事なのですが)を知りますので、自分にも22人の人格が存在していることがわかるようになります。
ということは、いい加減に見える自分にも慎重な自分が潜在していますし、保守的な人間にも進取の気性に富んだ人が隠れていることになります。
それをカードで実感し、認識していくことができると、思わぬ自分の可能性が広がるのです。
つまりそれは、実のところ、一種の囚われからの解放になります。
囚われと言うと、つい思考・考えばかりにき気をとられますが、人間や性格としての自分の囚われもあるのです。これもつまるところは「思考の枠」であることに変わりはないのですが。
そして、私たちは「自分を変える」という表現をもって自分の変化・変容を目指しますが、タロット的には自分を変えるのではなく、自分を知る(思い出す)といったほうが正しいでしょう。
まじめな自分に自由奔放である自分がいることも認め、反対に型にはまるのが嫌いな人は、型の中でその自由性を発揮することの喜びを思い出すことになります。
これをカードで表せば、「正義」あるいは「吊るし」から「愚者」、「愚者」から「正義」・「吊るし」ということで語ることができるでしょう。
タロットの効果は単なるカードから出る言葉だけの意味ではありません。そこに象徴として存在する「目に見えない力」や「認識力」も含まれるのです。
それはたとえば、「タロットの霊」という存在が、あなたに完全さを思い出す手助けをしてくれるようなことです。
ですからタロットを使った自己変容というのは、ただ本で読んだり、人から言われたりすることとは質が異なってくるのです。
話を戻しますが、性格では自分の今ある気質というのも大切したほうがよいです。
人間には先述したように、タロットで言うと、一人の人の中に22の人格があると象徴できますが、ベースとなる存在がやはりあるのです。
ベースがないと、それこそコロコロと変わる多重人格者みたいになってしまいます。
あなたの生まれ持つ基本的な気質を「変えたい」と思って、足かせのように感じいる人もいるかもしれませんが、それを持って生まれたということは、逆に天命、宇宙や神の望みとして考えることもできます。
つまり、平たくいえば、あなたらしさは神(宇宙)が望んだ現実世界でのあなたの表現方法(神の分身)なのです。
「私はまじめでいけない」と思うのではなく、これが自分の個性、表現なのだと愛し、それを受け入れ、この特質をどう社会や人に貢献することができるのかと、得意分野・フィールドを探求することが重要です。
と、同時にベースの性格に振り回されたり、囚われたりしないよう、自分には違う性格もあるのだと発見し、認めていくことで、自分の真の解放につながっていきます。
一番悪いのは、自分のベースの性格を自己卑下し、悪いもののように捨て去ろうとすることです。
先にも書いたように、タロット観からすれば、変わるというのは新しいものに変化したり、古いものを捨てたりすることではありません。
別の自分を思い出す、認識するということです。以前の自分、過去のこともプロセスとして等しく価値を持つのです。
こうした考えでいると、自分が嫌でなくなり、無理矢理変えなくてもよいことがわかって楽になってきます。
特にまじめ傾向の人は、まじめだからこそ正しさにこだわり、時には正しくあろうとしすぎる自分の固さに嫌気を持つこともありますが、そのまじめさがまたすばらしいことであり、自分をいい加減なものから救ってきたことに感謝し、自分を愛することが大切となります。
「正義」を例にしたカードのペア思考
マルセイユタロットには、カード同士でペアや対になるカードがあるという考え方があります。
これは思考法さえマスターすれば、自分でも知識が増えれば増えるほど、そのペアになるカードの量やルールも増加していきます。
ですから、およそ「このカード同士がなぜペアになるのか」ということが、一瞥したところではほとんどわからないという組み合わせも生じるのです。
このペアの発見という訓練を続けていると、世の中の構造も同じように無限のペアでできているということに気がついてきます。
それは答えを言ってしまえば、究極的には陰陽で表される二種のエネルギー表現のことなのですが、一般的に考えられている陰陽、男女的なエネルギーよりも複雑な形で二元(ペア)が存在するので、それを学ぶのもマルセイユタロットの役割のひとつかと感じられます。
宇宙や世界はつまるところ、単純でシンプル(たとえば陰陽エネルギーのような顕れ)なのですが、その出方・見え方は実は複雑であるというのが面白いのです。
さて、こうしたペアの見方で出てきたもので、「正義」のカードに関連する話をします。
「正義」といえば、その名の通り、「正しいこと」と訳してもいいわけですが、この正しいもの、正しくないものというのが実はやっかいな代物です。
正しいか正しくないかということは、それを判定する基準やルールが必要です。
明文化された法律に違反していないから正しいと言えることがありますし、自分の信条(心情もある)に合致していないから正しくないということもあります。
つまり文章や目に見える形だけではなく、目に見えない心や思い方、感じ方が正誤の基準やルールになっていることもあるということです。
むしろ実際には、このことで正誤の争いが起こっていると言ってもいいかもしれません。
それはさておき、このように心の部分で正しいか正しくないかを主張しあうと、結局心は目に見えないものなので、なかなか判断の決着を見ることができません。
しかも、その心の基準は争っていることそのものの基準ではないことも多いのです。
たとえば「あなたのやり方は間違っている」と相手が主張していると、字面だけでは「やり方」の正誤の争いのように見えます。
しかしこの人が本当に言いたいことは、「あなたに従ってきたけれども結果が出ていない、無駄にした時間とお金はどうしてくれるのだ」というものかもしれませんし、もっといえば「あなたは私が思うような人ではなかったと認めてほしい」という場合もあるでしょうし、さらには「私があなたのもとで頑張ってきたことを認めて謝罪してほしい」ということかもしれないのです。
実はたいていの場合、相手を批判したり、認められなかったりして「正しい」「正しくない」の判断になる場合は、もちろん「相手が間違っている、自分は正しい」ということが言いたいこともあるのですが、それよりも、「(正しい・正しくない以前に)自分の頑張りや立場を認めてほしい」ということがあるのです。
「私はこうしてきた」「私はこのように頑張ってきた」、それが正しいか正しくないかは本当はわからないけれども、人から「間違っている」とは言われたくないし、認めたくもない。
なぜならば、それは自分の生きてきた歴史を否定されることにつながるからなのです。
「オレだって」「私だって」好きでやってきたわけじゃない、やらされていたかもしれない、そこまで気がつかなかった愚か者かもしれない・・・でも批判されたら、間違っていたら(正しくないとされたら)、いったいそれまでの頑張ってきた自分はどうなるのだ?どうなるのよ!という怒りや悲しみが奥底にはあるのです。
もちろん全部が全部このようなパターンではありませんが、少なからず正義の争いの中には、心理的に、このような自己保護(保全)機能にふれてしまうことがあるわけです。
さて、この記事の最初にはカードのペアの話をしていたわけですが、今まで「正義」一枚をテーマにしてきたようでいて、その裏にほかのカードがペアとして存在していたのに気がつきましたでしょうか?
そのカードが何なのかは、皆さんで想像してみてください。
追伸 メルマガ登録者で記事アップ時間の秘密を知っている方は、今回はそこには意味はありませんので、自分で想像してみてくださいね。(笑)
マルセイユタロットは現実との調和を図るツール
タロットはスピリチュアルに関心のある人も惹きつけますが、そうした人の中にはやや誤解もあるように感じます。
それはタロットに限らずですが、統合や全体性への方向にこだわり過ぎるという視点です。つまりマルセイユタロットでいえば意識が天上的なのですね。
これはもちろんいいこともあるのですが、私たちは肉体を持ち、個性をもって生きていますので、全体や融合視点ばかりではうまく行かないこともあります。
時には現実逃避に利用されることすらあるのです。
これまで世の中が個別的・具体的・一対一・競争原理の方向に極端でしたので、それも無理のないところではあるのですが、現実から逃げてしまっては元も子もありません。
ところで、マルセイユタロットの場合、ある法則に基づいてカードを並べると、全体や統合の天上志向だけではなく、現実や具体の地上志向にも目を向けることができます。
これはカバラーの「生命の木」も同じような構造だと私は思っています。
つまり、簡単にいえば宇宙や全体、一なるもの、いわば「神」的な大きなエネルギーが、地上・現実世界に様々な形や具体性・個別性をもって表現されるという発想です。
そう、実は統合や全体へ向かう上の視点と、現実や具体に向かう下の視点が見いだされるのです。
これは非常に大切なことで、上への視点や方向性も霊的(スピリチュアル的)にはもちろん大切なのですが、逆に下への還元や表現も重要なのです。
それを考察しないと、上と下が同じであるという認識ができないからです。
この上と下が同じであることを頭と心で理解・実感することが、本当の意味で霊的な発展だと考えられるからです。
従って精神や心が穏やかになるだけではなく、実際もある程度安定したり、豊かになっていったりすることが霊的(スピリチュアル的)には求められ、そうなるのが妥当だと言えるのです。(これはマルセイユタロットでも進化の道筋としては語られています)
ここまでのことは、何を言っているのか、タロットやほかの象徴学を学習されていない方はさっぱりかもしれませんが、言い方を換えれば、たとえば天空の月は地上の女性や男性のロマンと関係しているという仕組みがわかれば、現実にもそのエネルギーを効果的に顕すことができるというものです。
いや、こういうと願望実現法と誤解されるので、付け加えますが、現実世界での月の表現がわかれば、現実でのモノや形が月の(表現の)一部だとわかるので、現実の材料から自分を全体の調和に向かわせしめることが、具体性(現実の事柄、経験)をもってできるようになるということです。
願いを叶えるのではなく、自分の願いを現実世界で表現されているモノや形・人で見つけるという感じです。それはすべてエネルギーの表現と見ることで可能になります。
ですから自分の願いが表現として全体と調和しないもの、現実世界での表現では見つけにくいものならば叶わないか、表現を変えて実現するしかないということになります。
それはともかく、全体性と個別性のつながりをマルセイユタロットで見ていけるようになれば、自分の現実世界での生き方、活かし方もよくわかってくるのです。
そうなりますと、移りゆく世界や実際社会の中でただそのまま反応的に流されるのではなく、普遍的な宇宙の原理に添いながら、個性をもって生きることができるようになります。
つまり、全体を目指せば目指すほど、自分を知ることになりますので、本当の個性の活かし方(表現)をするようになってくるというわけです。(ただし全体や上ばかり見ていては気がつくことができません)
それは決してわがままや勝手というものではなく、自然なものです。
この「自然」というのは、文字通り自分にとって全然苦にならない状態であり、また大いなるものからしても調和するような感覚です。まさに自ず(みずから・おのずから)から然(全)という感じなのです。
完全にこれが調和・完成された時、それはすなわち悟りでもあるでしょう。
タロットの受講生(修了者)用に発刊しているメルマガでは、この記事についてもっと具体的にわかりやすく書いてみますね。結果的に、マルセイユタロットによる願望実現法になるかもですが。(笑)
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