タロットの使い方
明日の日食に向けて
明日は金環日食ですね。
一大天体ショーなので、近づくにつれ報道も増え、いろいろと巷でも話題になっています。
明日の観察に向けて準備万端の人もいらっしゃるでしょうし、グラスが入手できず、とりあえず待つだけという方もいらっしゃるでしょう。また「別に関係ない」として、普通の日常を過ごす方もおられるでしょう。
これはまさに個人の自由であり、どう受け取ろうがその人次第です。
さてそうした中で、やはりタロットの学習をされていらっしゃる方は、この天体の特別な並びに関心を寄せられている方は多く、敏感な人はすでに何かを感じ取られているかもしれません。
せっかくですから、前日の今日や当日に、タロットを展開してみるとよいでしょう。
その際、自分のことの問いをしてもよいですし、しなくてもよいです。展開方法も自由ですが、複雑なものより、シンプルなもののほうがメッセージを得たり、インスピレーションがわいたりして、わかりやすいと思います。
何とか意味を読み取ろうとするよりも、今回は、このような天体配列の特別な日・節目にタロットを引くこと自体に意味があると考えればよいでしょう。
これまでの期間においても、講座の場や受講生のために今回の日食をテーマにしてタロットを展開した場合、不思議と太陽と関連する配列のカードが出る(「太陽」そのものカードは逆に出にくいかもしれません)ことが多かったです。
また個人的には「月」のカードと日食は関連があると思っており、ずっと日食とタロットをイメージしていますと、「力」と「斎王」も背景に浮かんでくる気がしました。
「力」では「力」の女性もそうですが、彼女の抑えているライオンにもいろいろなことが関係しているように思えます。単純に「目」にも気をつけたほうがいいでしょう。
今回は天気が悪い予報が出ていますので、直接日食グラスを通してうまく観察される方は案外少ないのかもしれませんが、それだけに直接の観察ではない内的な観察というものの意味が深くなるような気がしております。
明日は事前に引いたカードともに日食の時間を過ごすのもよいでしょうし、周囲のざわめきとは別に、自らは静寂な観察を心がけてもよいと、イメージされるタロットからは伺えます。
少なくとも、多く人と一緒に観察していても、その瞬間は一人の時間を大切にするとよいでしょう。
私自身は日食グラスを入手できなかったこともありますが、もともと直接の観察意欲が不思議と少ないものでしたので、おそらくそうした内的な意味があると想像しています。
ですから報道や他の人の観察に惑わされず、自分自身の思いとやり方で(もちろん危険のない方法で)観測すればよいのだと感じます。
その意味では、「日食なんて関係ない」と思われる方はそれはそれでOKだと思います。そういう時は、まさにもっと重要なことがその人にはあるのです。
科学的で正しい判断と方法を心がけながら、選択と行動は自分の感性に任せるというのが、タロットを通じた私からの提案です。
タロットカードで場所を決める
この連休で各地にお出かけされている方、または外出を計画されている方は多いと思います。
目的地が決まっている人はよいですが、まだどこに行こうか迷っている人もいらっしゃるでしょう。
そこで今日はタロットを使っての場所決めと言いますか、自分にとってのふさわしいところを探る方法についてお話したいと思います。
一応はマルセイユタロットを基本に、そのカードの意味を知っている人を対象とします。
また、実はこれはカードの意味をそんなに知らなくても感性や感覚で選択することもできるものです。
まずクロスを敷いた比較的大きめの机などの上に、イメージで地図を作ります。(空想するということ)
地図は自分が今回選択して、現実的に行ける範囲をイメージするとよいでしょう。
ただ将来的に可能であるとか、可能どうかわからないけれど、自分にとって意味のある場所を探索したいという場合は広さは自由です。
次に大アルカナを用意して、裏向きにシャッフルします。この時に「自分にとってふさわしい場所」「行っておくとよいところ」という具合に想像しながらシャッフルします。
そしてイメージで描いた地図のところへカードを一枚ずつ裏向きのままに自由に置いていきます。この時、カードを置く際にはその場所のイメージをありありと思い浮かべながらするほうが精度が上がります。
自分が想像上で目に付いたところ、気になる箇所、どこでも置いていってください。次に、これでだいたいは置き終わったかなと思う枚数でストップし、その後、すべてのカードを表向きにします。
ここから二通りの解釈方法があります。どちらを選択するかは自分で決めてください。
ひとつはカードの正逆を無視して、単純に「いい感じ」のするカードの表れている場所こそ望ましいと判断する方法。
もうひとつは正逆に意味をつけ、正立は無難かよい効果(カードの意味や絵柄の印象において)が得られるところと考え、逆向きはあまり望ましくない場所か、もしくはそのカード自体の意味やエネルギーが特に欲しい場合に適している場所だと見る方法です。
カードの絵柄や意味がよくわからないという人は、あらかじめカードにふられている「数」が高いほうがよいと決めておき(つまり「世界」を最高とします。数のない「愚者」はよい意味でも悪い意味でも大逆転やイメージの裏切りがあると考えます)、その出方によって望ましい場所や順番を決めることができます。
タロットカードはある種のエネルギーを象徴していると考えられるので、出たカードによって、それ(エネルギー)に応じた(関係した)土地や場所であると、推測や判断が可能なのです。
これは見るタイミングによって変化しますので、いつも同じではないということは考慮に入れておいてください。
たとえば連休期間はAという場所がよくても、来月には違うC地点がよくなっているかもしれないですし、Aは逆によくない場所に変化していることもあるわけです。
気になる人は気学的な方位と照らして合わせてもよいですが、タロットの場合はあまり必要以上に気学的なものと結びつけることはしなくてよいと考えます。
そして高度になってくれば、出たカードの象徴を関連させ、浮かび上がる図形や土地のグリッド線と併せて考察することもでき、その活用によってはとんでもない効果が出ることもあるでしょう。
いずれにしても大切なのはカードを信頼することであり、タロットの霊とともに旅や移動しているイメージを自分に培うことです。
マルセイユタロットを知って日本を知る。
タロットと聞けば、皆さんは西洋的なものというイメージが浮かぶでしょう。
事実、タロットは基本的には西洋で作られたカードなので、それは間違いないことです。
ただ最近は「タロット」と名のつく絵のついたカードはたくさん創作されていますから、その中には中国風やインド風のもの、その他エスニック的な色合いを持つカードなど、いろいろ存在していると想像されます。もちろん日本的なものもあるでしょう。
ただ、それ(雰囲気や絵柄)とは別に、タロットからそれぞれの民族や私たち日本との、特に目に見えない部分でのつながりを見て取ることも可能なのです。
私の扱っているマルセイユタロットは、それが顕著です。なぜならば、マルセイユタロットは歴史ある伝統的なタロットだからです。
私自身、マルセイユタロットと出会い、これに親しんできますと、最初は西洋的なものへの探究に向かいましたが、次第に日本の霊的ともいえる伝統や特質へも回帰する傾向が強くなってきました。
このようになるのも、実のところ、西洋でも日本でも根源的なものは同じだと感じるようになるからです。
マルセイユタロットは霊的なイニシエーションを含む伝統的なものを内包していると考えられるため、マルセイユタロットを学んでいくうちに、いわば世界共通のシンボル・象徴として元型的なものの理解が進んでくるようになります。
そういう意味では、どの国・どの民族においてもマルセイユタロットの奥底に流れているものは共有されるのですが、自分自身が日本人であるからなのか、私には日本の源流的なものへの関心がさらに想起されるように感じるのです。
講座の中でも、私はタロットカードの名前やカテゴリーの名称について、日本的な呼び名で扱うようにしていますし、受講者の方にもそれをお勧めしています。
一般的にはタロット関連の呼称は西洋的に英語で呼ばれることが普通です。(カップとかコインとかコートカードとか…)
私があえて日本的な呼び方を採用しているのも、前述した伝統性・霊性を理解するうえでは、おのおのの国や民族の伝統性に即したほうが逆に本質を「感じ取り」やすいためなのです。
当然ながら、表面上の名前とか呼び方だけを変えても意味はありません。その心というか精神を感じることが大切なのです。
ここで急にやわらかいたとえになりますが、かつて「美味しんぼ」というグルメ漫画で、主人公・山岡士郎と父親の海原雄山との料理対決において、主人公は「フグの白子」に似たものを表現するため、「タラの白子」を提供したのですが、海原雄山はそれを用意した山岡士郎を嘲笑しつつ、自分は「子牛の脳みそ」を出した話がありました。
海原雄山いわく、「最上の芸術は、同じく最上の芸術をもって語らねばならない」ということで、レベルの落ちた同種の代用品では本物の質を表現できないと言いたかったわけですね。(白子や脳みそが実際に料理としておいしいかどうかは別ですが…(^_^;))
これとはやや趣は異なりますが、西洋の霊流や深奥部分の理解には、日本の伝統に基づいたほうが把握がしやすい面があり、その逆方向もあるということです。
先述の漫画の話でいえば、「白子」や「脳みそ」としては別々のものでも、両者が共有するおいしさ・特質こそは私たちが本当に理解しなければならないものだとなります。
言ってみれば知ろうとしているのは本質や真理であり、それには西洋も東洋もなく、根源的に同じだということなのですが、一方でそれはレベルや表現があまりに違い過ぎると理解に支障を来たすことにもなりかねないのです。
その意味ではマルセイユタロットは他分野の深い部分を整理し、理解するうえでは安心してお勧めできるものです。
ですから、逆説的ですが、「日本(の伝統や古代哲学、霊的なもの)を知りたければマルセイユタロットを学べ」と言うこともできるのです。
占いの「当たる」ということを考察してみる。その2
前回から占いでの当たるということについて考察を進めています。
この前は「実は何を言っても人には当たっている部分があるのだ」という、いわば究極のぶっちゃけ理論(笑)を展開いたしました。
前回の記事を読んで、「な~んだ」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、わかる人にはわかると思いますが、「当たる」ことについて書きながらも、違うこと(別の大切なこと)に対して気付いてもらうために記しています。
だから単純に、「何言っても当たっているのなら意味ないじゃん」と思ったり、「いや、当たるということはそんなレベルや話ではないんだ!」と異議を唱えたりすると、記事の真意が伝わっていないことになります。その時は私の書き方が悪いということでもあると思いますので、お詫び申し上げます。
さて続きです。
占いの「当たる」ということについて、今回はちょっとタロットに限定して話してみたいと思います。
占いでタロットを使えば、どうしても今まで起こったこととこれから起こることの予想、そしてそれが自分にとってよいものか悪いものかという判断が(相談者には)重視されるようになります。
その結果、カードに対してある特定の意味をタロットリーダー側は付与するようになります。もちろん、もともとカードに書かれてある絵柄とその象徴から出る多層かつ抽象的な「意味」はあります。
しかし、この場合はもっと具体的で白黒はっきりしたものということです。
たとえば一般的には「塔」と呼ばれるカードが出れば、不吉(凶)で崩壊が起こるという具合です。さらにそれがある占い師にとっては、「恋愛での別れ」をほぼ必ず意味するのだというようなことです。
これはいわゆる科学的な解釈や理屈では説明つきにくいのですが、「同じ波動的なもの・質的なものの共鳴・引き寄せ」という概念を取り入れば(これも非科学的なものとされますが、考え方として受けってください)、ある程度理解が可能です。
それはこういうことです。
まず占い師が学んだり、覚えたりしてもともと知っているカードの知識(意味)をもとにしながら実占を続けます。そのうち占い師は、「どうもこのカードを引くと、こういう意味になることが多い」と経験則で感じるようになります。
それをふまえて、今度は逆に「このカードが(こういう形式で)出れば、こういう意味なんですよ」と、相談者に占い師が告げるようになります。
この場合、当たらないこともあるでしょうが、当たっていると感じた相談者からは驚嘆めいて、「すごい、当たっている」と言われることでしょう。
さらには占い師が詳しいことを言わなくても、「当たっていた」その実際の事柄を、相談者自らが「自分の出来事(これが具体的なこと)」として思い、話します。
これによって、抽象的な意味合いだったカードが、より具体的な意味を持つようになるのです。この繰り返しによって、カードはその占い師によって個別の意味として強化・ 固定されていきます。
ここで重要なのは、カードの持つ絵柄からの「質」や「波動」的なものが、占い師が実占で意味を強化していくたびに、磁力のようなものを帯びていくようになるということです。
もともと存在しているカードの「ある質」が、占い師によってその質(カラー・色と表現してもよいもの)を濃くしているのです。(実際にカードが出ることによって印象が強められることでもあります)
印象やイメージは、実はこの「磁力のようなもの」として表現したある種のエネルギーや質を強めます。相談者の驚き(感情の波・起伏)もさらに力となります。
つまり、「カードのもともとの絵柄による「質」、「占い師のイメージ・印象」、「カードが実際に出ること、引かれること」、「相談者個人の体験・出来事との合致、驚き」の相互作用によって、カードの特質が非常に色濃くなるわけです。
このようにして磁力を帯び、特質をかなり濃密に表現するようになったカードは、今度は相談者の相談内容の質(波動といってもいいかもしれません)に応じて、同質的に引き寄せられるかのように登場するのです。
そして、意味の具体化(白黒や吉凶も含む)も進んでいますので、そのカードが出たからその意味を表すということもありますが、逆にそのカードがその意味(の現実・具体)を引き寄せるようなことにもなってくるのです。
言ってみれば、まさにカード自体がその意味や事柄そのものになっているのです。
従ってそれ(ある特定のカード)を引くということ、それを受け入れるということは、実際に相談者がその意味や事柄を起こしたということに等しいくらいの状況を呈するのです。
このシステムのもとにカードが出ますと、「恐いほど当たる」というタロットの印象につながります。
「すごいよタロット、当たるどころか、カードの意味そのものを起こすこともできるなんて!」と思ったあなたはまだ真意を理解していません。
タロットはかように、時にすごいパワーを持ちます。それだけに扱いも試されます。
あなたがどのようにタロットを使うのかは、まさにあなた自身に任されているのです。
タロットリーディングの正しさの基準
タロットリーディングは知識と感性、直観やインスピレーションなどが混ざり合って行われます。
そこには思い込みもあれば、神聖さ、純粋な気持ちも反映されます。
ですから「何が正しいか(どんなリーディングが正しいのか)」という観点に立てば、正しいものを正しいと判断する基準(モノサシ)が不明なため、結局わけがわからなくなります。
逆に言えば、混迷に陥らないためには、リーディングの正しさを判断する基準を自分なりに何か持たなければならなくなるということです。
それが占いになれば、当たるか当たらないか、幸運を獲得することかできるかという基準になりがちです。
すなわちリーディングが当たったり、幸運をつかむことができたりすればタロットリーディングは正解だった(正しかった)となるのです。
占いの場合は占い師の信用、営利的な問題もあって、このような判断基準のリーディングになることもやを得ないことは実状としてあると思います。
しかしながら、それだけでは白黒の世界で、いいか悪いかの二元的な判断ばかりとなり、統合の道やいいも悪いも超えたモノの見方、新しい調和の方向、高い次元への進展が難しくなります。
この世の中は白や黒ばかりではなく、その間のグレーやグラデーションが多層に重なってできており、それらを行きつ戻りつしながら循環し、繰り返しているのです。
私たちが幸運だと思っていることの裏には不運が隠されていたり、波のピークとして幸運を見ればそれは不運という下降の始まりでもあります。
幸せ観というのも人によって、また環境や時代によって、まさに「それぞれ」だと言えます。誰かと比べる自分の幸せというものが実は多く、それは最終的には幻想となります。
だからこそ、相対的な幸せより絶対的な自分としての幸せ(自分基準の幸せ感)を感じれられるようになるほうがよいでしょう。それならば、周囲がどう変化しようと自分の幸せ感は変わらないからです。
結局のところ、自分であれ、相手であれ、この絶対的な幸せ感を基準としてリーディングの正しさを追い求めるとよいのではないかと考えられます。
それは換言すれば霊的な向上の道ということが言えるでしょう。ただ、ちょっと一般的にイメージされている「悟り」というものとは異なるものではないかと私自身は思っています。
この道は自分の何かを増やすというものではなく、もともとあったものを思い出すという方向性です。
相対的な幸せを求めると、どうしても「増やす」「追加する」「拡大する」というように想像してしまうのですが、本当は逆だと思います。
もともと「ある」ので「増やす」必要はなく、「ある」ことに気付くことが大切なのです。
それは外ではなく内に目を向けなくてはなりません。しかしただひたすら瞑想して内観するということではなく、外と関わりながら内(自分)を見て「ある」ことを思い出す作業です。
「ある」ことを実感するためには、反対に「ない」と思い込んでいる、あるいは思い込まされている「枠」や「縛り」のようなものに気付いていく必要があります。
これは知識からでもよいですし、感覚からでもよいのですが、できれば両方からのアプローチが理想です。この作業を繰り返しながら、自分を「在る」「満ちている」状態にさせていく(取り戻していく)のです。
これが象徴的に絵柄や道程として描かれているのがマルセイユタロットだと私は感じます。
