タロットの使い方
自分を拡大させること
なでしこフィーバーはしばらく続きそうですね。
これは快挙ですし、個人的にはサッカーが好き(昔サッカーやってました)なので、毎日話題があってもいいくらいです。(笑)
さてそんななでしこたちをまとめ上げた佐々木監督。なかなか面白い方ですよね。
オヤジギャグで場を和ませていたとか。オヤジギャグは両刃の剣であり、はまれば脱力するほど笑いと緩和を誘いますが、失敗すると非常に気まずい寒い空気を醸し出します。(苦笑)
つまり、同じ使うにしてもそれはタイミング次第だということです。
まさに「間」であり「呼吸」なのです。サッカーもパスやシュートのタイミングが重要ですよね。こあたりはマルセイユ版のタロットでは「運命の輪」や「力」に描かれているところです。
ところでそんな佐々木監督の帰国後の会見での言葉を見ていますと、興味深い発言がありました。
それは「北京五輪の時は日本はベスト4を目標としていたけれど(実際そうなったのですが)、メダルを取った3チームは最初からチャンピオンを目指していたという違いに気がついたので、今回は優勝目指して準備し戦ってきた」というお話です。
これはチーム全体の目標設定の話ではありますが、いわゆる「セルフイメージ」にもつながるものです。
現に澤キャプテンに監督はそのこと(優勝すること)を伝え、全員で共有意識として浸透させ、選手自分たちの目標・イメージとして定着させ、それにより選手自らの意識(練習の質)も高まってきたことが語られていました。
言ってみれば、チームの目標が最高度に上げられたことで、選手一人一人のセルフイメージも上げられたということです。
「自分たちは優勝するのだ」「優勝できるチームなのだ」と自ら一人一人イメージを作り上げていったわけですね。
それが全体として確実に浸透した時、まさに「チームが優勝する」という心象風景が精神の面では事実として受け取られていたということでしょう。
もちろんセルフイメージを上げるためには、ある程度の実力と自信・実績が必要です。ベスト4に北京五輪で行けたからこそ、優勝のイメージも持つことができたと言えるかもしれません。
ただ重要なのは、なでしこで言えばいつまでも「ベスト4」という「今なら十分可能」という目標・イメージで留まるのではなく、最初からもっと上のイメージと目標を持った方が現状の枠を突破できる可能性は高いということです。
これは以前も書きましたが、「自分はほどほどの人生でよい」「私はしょせんこんなもんです」などと言っていれば、まさにその通りかそれ以下の人間・人生になってしまうということなのです。
私の考えるマルセイユタロットの中には、神性(神なる部分)が人間にはあると見ます。その発現のためにタロットを学び、使う目的でもあります。
いわば自分の人間として幻想を抱かされた限界説の枠を突破していく作業でもあります。それはエゴや一部のペルソナと言ってもよいでしょう。
タロットを使うとそうした自分の「取るに足らないと思わされている人間としての」小さな枠、時には大きな枠まではずしていくきっかけが与えられます。
それは自分のイメージ(セルフイメージ)の拡大でもあります。
自分が拡大した時、それまで否定してきたこと、できなかったこと、融合できていなかった点などが問題なくできるようになってきます。
今まで問題となってきことがそうでなくなってくるのですから、人から見れば運が良くなったようにも見えます。これは自分の次元が上がったことを意味するのです。
あなたはもっと大きな存在であり、さらに拡大できるはずなのです。
タロットから示唆を得るということ。
タロットカードからはいろいろな示唆が得られます。
ところで「カードから示唆を得る」という表現を私はいつもしていますが、これには具体的にふたつの「示唆」があります。
ひとつは積み重ねた知識と、カードの絵柄・意味(象徴)とが合わさって得られる示唆。
いわば物事・記憶の整理であり、入れた知識を変換して取り出している、意味づけしているという作業です。
タロットの実際的な恩恵は実はここにあります。
たいていの場合、見たり聞いたり読んだりして得られた知識・情報は一度自分の中にしまい込まれ、なかなか取り出すことができにくいものです。
必要に迫られて、あるいはインパクトが強い記憶の場合は強引にでも導き出せることができるのですが、ちょっと前に読んだ本の内容ですら、意外に私たちは忘れているものです。
そして、思い出せるにしても、今度はその得た知識を自分の中でどのように整理・統合するのかという問題も起こってきます。
これがタロットを学習していると、その象徴機能の働きにより、思い出すことも起こりやすくなりますし、どの知識がどの系統に属するのかという引き出しに整理しなおす(パソコン的に言えばフォルダで整理する)こともできるようになります。
つまりカード自体が引き出しであり、フォルダなのです。これができるので逆にいえば、記憶を取り出しやすい、思い出しやすいとも言えます。
そして「示唆を得る」ことのもうひとつの形態は、まさにダイレクトにカードから教えてもらう、感じるというようなものです。
もしかすると自分の記憶の中にあったことなのかもしれませんが、感覚としては、カードが人間のように現れ、語りかけてくるというようなものなのです。
これは人格化という物事を人間のように扱うことでできてきます。いわばカード一枚一枚を「人」として見る方法です。
そうすると、実際にカードの人物とコミュニケーションするかのような感じで、カードから示唆を得ることができます。
女性の皆さんならば、幼い頃にぬいぐるみと語り合っていた経験はありませんか?
これは同じ原理なのです。
そして実はそれがタロットとの会話に活かされるのです。ということは、幼い時に自由に発想していた感覚・イマジネーションを思い出せば思い出すほど、カードが読みやすくなってくるということです。
私たちは大人になるにつれ、それを失うか、してはいけない、バカなこと、幼いことと自分で封じ込めて来ました。
その解放が、意外にも大人になった今の私たち自分自身の本当の解放にもつながってくるのです。
「たとえるもの」としてのタロット
タロットは今までの自分の考え方や思いこみ、とらわれをはずしていくのには大変よい道具です。
それはひとつには、タロットの絵柄があらゆることを象徴しているので、自分の心や人の心、世の中や世界のことを改めて象徴的に「客観的に」ながめることができることが大きいと言えます。
実はこれは簡単にいえば、「たとえ」という方法の一種なのです。
人は何かを別の物事にたとえるという手法を実はよくやってるのですが、そのことの自覚や効果をあまり知りません。
たとえば・・・(と今私がやろうとしていることもまさに「たとえ」です)
喫茶店やレストランで人と会話をしている時、思わず事柄を説明しようとして、テーブルにおいてあった調味料のびん等を、人や物として見立てた経験はあるでしょう。
また自分の言葉から「言ってみれば・・・」「つまりは・・・」「それは○○でいうと、△△のことだよね」という表現が出たこともあるはずです。
タロットをこれを「絵柄のついたカード」でやっているのです。
「たとえる」ということは、そのこと自体をそのまま示すのではありません。あくまで「たとえ」ですから、本物の仮の形だとも言えます。
しかし、誰しもが直接同じことを見たり、聞いたり経験できるわけではありません。
あなたが経験したつらいこと楽しいことも含めて様々なことは、それ自体をまったく同じ時間と空間、舞台、人間、環境配置で他の人に経験させることは無理です。
厳密な意味で同じ経験もできませんから、あなたの感じたことを他人にまったく同じように理解させることも本来はできないものです。
ところがたとえ話だと、すべてが同じとは言いませんが、他人にもあなたの経験をある程度理解させることができます。
それは、あなたの経験(理解)と他人の経験(理解)に共通しているものがたとえ話にはあるからです。
人とは異なる経験や理解なのに、他人にもわかるのが「たとえ」なのです。
ここで大切なのは、共通しているものがあるということです。
たとえ話がお互いに成立するのは、たとえ話自体の「たとえ」がともに経験しているか、理解しているかが鍵となります。
「たとえばサーフィンでいえばですね・・・」とあなたが話したとしても、相手がサーフィンを知らなくてはたとえ話にはならないということです。
ということは、誰しも理解している、あるいはわかっている、感じられるようなことがもっともたとえの道具としてはよいということになります。
つまり普遍的なものです。
そしてタロットはその普遍性を持つのです。
タロットは人間誰しもが持つ心のパターンや有り様といったものが表されているだけではなく、一番最初に記したように世界のあらゆる事象をも象徴しているのです。
ここにタロットが、「たとえ」としても優れていることがおわかりいただけたかと思います。
本当のタロット体験とは。
タロットを深く理解していくには、知識と実際の体験が必要です。
知識は学んでいけばいいので努力した分に素直に比例すると言えますが、体験のほうはどちらかといえば自分からというより、向こうからの訪れるかのような感覚的なものなので、力業(ちからわざ)でどうにかなるとは言い難いところがあります。
この体験とは、タロットがまさに自分の人生や生活、そして実体験・実際の世界とリンクしていることに、カード一枚でもいいから心の底から感じる体験のことを指しています。これが本当の「タロット体験」なのです。
しかし、そのような「体験をする」にも、やはり自分から求めていく努力もいるのです。
たとえば人をリーディングしていくことや、常に自分の経験をタロットで考えていく(あてはめていくこと)などがこれに当たります。
タロットを学び、ただ待っていればタロット体験が必ず訪れるというものではなく、自分の行動によってその機会やチャンスを広げていく意識が重要になります。タロットに対する真摯な姿勢とも言えましょう。
そうすれば、タロットの精霊がそのような体験をあなたに必ず用意してくれます。
いつそれが訪れるかは人によって違うのですが、実はタロットの知識・学習の量・期間・質にも関係してきます。だから感覚だけではなく、知識と行動も大切なのです。
何もこのことはタロットに限らず、ほかのどの分野でも言えることです。
何かのことを考え、実行していても壁にぶち当たり悩む時があります。アイデアも行き詰まり、解決の糸口さえ見つからない一種の膠着状態です。
そして、「もうだめかも・・・」「もう何も思い浮かばない・・・」というようなギリギリの状態になった時、突然インスピレーションがわいたり、思わぬところから援助の申し出があったり、突破口が開いたりするものです。
これはそれまでの努力があればこそ、いわば天がそれに応えたということでもあるでしょう。
言い方を変えれば、自分の必死の努力によって、天(通常の感覚を超えたもの)に至る道をその時つなげた(開いた)ということになります。
このあたりはタロットカードの「恋人」や「審判」、「吊るし」「13」「節制」などに描かれていることです。
とはいえ、なかなか自分一人でタロット体験を目指すのも大変なことです。
そこで、私は今までのタロットを教えてきた経験を活かし、秋から予定しているマルセイユタロット講座では、そのタロット体験をなるべく味わっていただくことを講座の中で企画しています。
一度コツをつかむと、あとは自分で経験を増やすことができます。その一種のモデルや原初体験を自分からつけていくことを指導しようと思っています。
そのほかの点でも大幅に講義内容には改良を加え、使えるタロット、感じるタロット、知識としてのタロット、行動(ビジネス)に活かせるタロットということを中心にして、マルセイユタロットをお伝えしていくことになります。この講座はどこにもない私のオリジナルなものです。
マルセイユタロットを深く知り、自分の体験と結びついてくるようになると、もうそのタロットは魂が吹き込まれたも同然となってきます。それはあなたにとって、本当にすばらしい生きた宝物となるのです。
目に見えない世界の情報はこうして現れる。
昨日は、目に見えない情報もそれなりのルールに基づいている可能性があり、それが信じられれば目に見える情報とともに有効に機能する(活用することができる)というようなお話をしました。
では、目に見えない情報の現れ方、受け取り方、ルールとはどんなものなのでしょうか?
これがわかれば苦労はないわけですが、全部とは言えないまでも、ひとつの有力な表出方法(理解の方法でもあります)があります。
それは目に見えない情報は象徴(シンボル)の形で発信されており、だからこそ、こちらも象徴として理解しなければ(受け取らなければ)ならないということです。
たとえば、先日も私にはこんなことがありました。
このところ暑さで、私は家ではTシャツを着て作業しているのですが(^_^;)、その日は適当なものがなく、「もう何でもいいや」と思って、タンスの奥にあったシャツを取り出して着ました。
そのシャツはサッカーワールドカップの時のものでした。
そうしてお昼になったので、休憩しようとテレビをつけてみました。
普段私はテレビを見ることはほとんどないのですが、天気予報が気になったことともあって、何となくその時はつけてみたくなったのですね。
局はNHKで、番組は誰かをゲストに呼んでアナウンサーがいろいろと質問していくというものでした。
普段は歌手や女優などの芸能人が多いようですが、その日のゲストはなぜか前サッカー日本代表監督・岡ちゃんこと、岡田氏でした。
それで当然ながら岡ちゃんへはサッカーの質問になってくるわけですが、最後の方では今の岡田さんが何に取り組んでいるかの話にもなりました。
岡田さんは今、北海道のあの富良野塾(シナリオ作家の倉本氏主催の塾)の関係で、環境や人としてのあり方の問題などをテーマに、若い人に対して講義しているようでした。(岡田氏が環境や人間のあり方について学ばれ、活動されていたことは知っていましたが)
その時出たお話の中で、ある科学者のことが、岡田氏の口から飛び出てきました。
しかもさりげなくです。まさに偶然出たというような感じでした。アナウンサー側でも流してしまったほどです。
ところが、私はとても驚きました。なぜならば、その科学者の書いた本を、その日の昨日に私自身が偶然のような形で本屋で手にして、思わず購入していたからです。
この流れは私にとっては不思議な偶然が重なっています。
本屋で、ある本を手にしたこと、ワールドカップのTシャツを着たこと、サッカーに係わる人をテレビで見たこと(W杯で「二度」指揮した日本人監督です)、その人が自分が入手した本の著者の主張を語っていたこと・・・
ちなみに私の来ていたワールドカップのTシャツは2002のもので(古くて恐縮です・・・)、その時の日本代表監督はトルシエ氏でフランス人でした。
フランスは岡田さんが最初に指揮した時のW杯の大会でもあります。そして、私はマルセイユタロットをしています。もうひとついえば、トルシエ氏はフランスのマルセイユのチームを2002年以降指揮していた時期がありました。
単なる偶然といえば偶然ですが、これを偶然の必然と思うことが、実は目に見えない情報の受け取り方のひとつなのです。本人(私自身)しかわからない形であるということも重要なポイントです。
そう、いわゆるシンクロニシティを見る(意識する)という方法です。
偶然ではあるけれど、意味をもって連繋している、関連しているその「つながり」や「本質」を読み解くのです。
そしてその関連性を表すのが「象徴」なのです。
逆にいえば、象徴によって、意味のないと思われた事柄同士が意味をもって結びついてくるのです。
そこから、天や神・大いなる存在というものが、自分に何を示そうとしているのかを理解するわけです。
たとえば朝に鳥が二羽飛んでいたのを見たこと、お昼の食堂でコップがふたつ出てきたこと、帰りの電車で遅れが生じ、いつもとは違うルートで二回乗り換えなくてはならなかったことなどあれば、ここにシンボル・象徴として「2」という数が導き出され、それに意味をもたせれば、自分へのメッセージと取ることができます。
こういった「シンクロニシティに意味を見いだす」「象徴として世界を見る」というようなことは、通常の私たちの思考方法ではありません。
けれども、こうした別種の思考方法があるのだと思えば、あなたは違う世界からこの世を見る能力を獲得したに等しくなってきます。
ひとつの方面からの見方では解決しなかったことも、違う世界の視点から見れば氷解することもあります。
目に見えないことを信じられないのは、実は単に、その世界のルールや現れ方を理解する手段を知らないからに過ぎません。
もちろん目に見えない世界の情報を完璧に受け取り、解き明かすことは難しいでしょう。
しかしながら、象徴やシンクロニシティという形で現れ、受け取ることがひとつの方法だと思えば、まったく未知の世界ではなくなってきます。
この訓練をしたり、象徴そのものを理解したりするのにとても役立つのがタロットというわけなのです。
タロットを使えるようになれば、わさわざ自分の周囲に起こっていることを象徴として解釈することをしなくても、タロットを展開すればすでにタロットが象徴そのものでもあるので、それだけで目に見えない情報に迫ることができるのです。