タロットの使い方
タロットの多層構造がもたらすもの。
タロットの初学者や中級者でも、タロットが多層構造をもっているということに、なかなか理解が及ばない方がいます。
これは現象として表れると、ワンワードやキーワード的にタロットを解釈してしまうという事態が起きます。
前にも言いましたが、「自由」といえば「愚者」、「愚者」といえば「自由」と固定して覚えてしまう様相です。
そのため、実際のリーディングにおいても、ひとつしか「解」がないととらえているので、その自分が思うタロットからの「解」が、どうもクライアントとの話や問いと適合しない、矛盾すると感じた時、まったく読めなくなって固まります。
でも安心してください。ほとんどの人はそうなるのです。むしろそれが正常と言ってもいいくらいです。
なぜならぱ、私たちは小さい時から学校教育で、そして成長してからは社会(職場等)で、答えはひとつ、または論理的・汎用的に誰もが客観的にわかる回答を導き出すよう訓練されてきたからです。
それはつまるところ、「ひとつのことに対して、ひとつの正しい物語があるのだ」という考え方に行き着きます。言い換えれば世界は客観的でひとつでしかないとうものです。
それを守っている限り、タロットを読み解くことは難しいままとなります。
これを解き放つには、まずタロットが一枚一枚はもとより、複数がコンビネーションを組むとさらに多層に意味を伴ってくるということをまずは「味わう」ことです。
見え方や答えはひとつではないと、自分のこれまでの思いこみをはずすことも大切です。
タロットから何かひとつを思い浮かべても、まだ別の考えはないか? といつも思うことです。
一個だけで満足しない癖をつけます。
また思いついた考えを、すぐさま打ち消し、さらにまたそれを否定するというように打ち消しの連続をしてもよいです。
その他タロット以外、たとえば夫婦間・恋人同士・友達の間でも、ある共通の出来事や一緒に過ごした時間のことを思い出してみます。
その時どう思っていたか、どんな景色や人物が印象に残っていたかをお互い話してみるとよいでしょう。
すると、もちろん同じところもありますが、まったく二人では違った見方や印象を残している部分もあることに気がつきます。
この場合は異なる人による見方の違いですが、実は同じ人でも過去起こったその出来事のその時の思いと、今からふりかえってみた時の気持ちとではまた違ってくることもあるのです。
それは結局、起こったことは客観的には一つのことでもあっても、モノの見方、感じ方によって別のことになるからです。
そう思えば、この世の中の出来事は「人」が認識する世界なのですから、人に感情やモノの見方がそれぞれある限り、まさに千差万別、ひとつとして同じ出来事は存在しないと言えます。
ということは、あなたの生き方や暮らす世界は、あなたの心次第、とらえ方次第でいかようにでも変わるのです。
ですから、タロットにより多層的な見方をしていくようになると、その分、生きる世界の選択肢が増えることにもなります。
通常では人は固定しがちでブレイクしにくいところがあります。
そのため、人と関わる必要性があり、このように社会でたくさんの人と関係を持ちます。
しかしタロットではタロットによる多層構造が活きているため、タロットをしていくだけで、多くの人と関わるのと同じように、モノの見方の多様化が起こりやすくなります。
今までまじめにひとつの正しい「解」を見つけようとしてきたあなたが、タロットにより解き放たれ、いろいろな次元でのいろいろな「解」があることに気がつくようになります。
そしてあなたの人生の質を向上させるのにもっともふさわしい生き方と解を、タロットを通して得ていくようになるのです。
その意味ではまたひとつの「解」ではあるのですが、算数のように絶対として強制的に導き出される「解」とは異なり、自分で「選択している」という違いがあります。
つまり客観のように思っていた世界は、実は主観であり、自分の意志で選択できるものだということを多層構造を知ることにより理解する作業がタロットということになるのです。
縁の理解がもたらすもの
何かの教えや講座、そしてそれを伝える講師たちのとの出会いは、やはり縁の中でも特別なものを感じることがあります。
世に師匠と弟子(筋)と言われるように、おそらく大きくは霊的なもの、目に見えない縦糸のようなものが含まれているのではないかと思います。(カルマ的と呼んでもいいかもしれません)
もちろん単純な縁、興味による縁というのもあるでしょう。
前にも書きましたが、タロットカード「恋人」にも表れているように、そうした縁は自分(人間)の実際の行動と、目に見えないキューピッドで例えられる存在・象徴によって結ばれた時に生じるのです。
ですから、何もしないで縁がやってくるのではなく、やはりあなた自身の行いによって縁は選択しているのだと言えます。
行いは思考に従っています。簡単にいえば、あなたがそう考えるから、あなたはあのように動いたということです。
あなたの行動はあなた自身の思考によってもたらされ、それはすなわち、あなたの価値観によって左右されているのです。
ですから、運命論的に行きすぎる傾向の人は、「祈っていればよい関係がもたされる」「占いに頼れば結婚できる」と、実際には自分で行動しない人がいます。
そもそもの思考が「運命」なので、運命で自分を決めてしまうことになり、せっかくの自分の行動によって得られたかもしれない縁にも行き着かないことになってしまうのです
運命も「学」として学び、深く理解し、行動に活かしていけばいいのですが、単なるおみくじ的な発想での運命論では偶然に身をゆだねているようなものです。
とはいえ、究極的には偶然に任せるのもありです。
ただ、それはこの世界や宇宙への絶対的な信頼が必要です。そうすれば「自分は宇宙とひとつなので、神的(創造的)に生きることができる」となるからです。
しかし、それはまずおみくじレベルの発想では無理なことです。
ということは、偶然に任せる危険性のほうが増すということになります。
それより、まずはこの現実の世界であなたが思考を整え、望むべき行動をし、その上で天からの縁を待つとしたほうが効率的でもあると言えます。
「人事を尽くして天命を待つ」のことわざ通りです。
しかしながら、タカモワン版マルセイユタロットのタロットマンダラにおいては、その天からの縁も同時に学んでいこうという姿勢があります。
普通は現実(目に見える)だけの努力と行動の話に終わります。タロットはもうひとつの世界のことも知ろうと心がけるのです。
実あれば虚あり、陰あれば陽あり、この世あればあの世あり、地あれば天ありなのです。
その両方を実学として学び、体験していくことで全体の統合がとれていくのです。それこそが真の成功だとも言えるでしょう。
それには縁を意識していくこと、理解していくことが大切なのです。
人と比べるということは・・・
人はどうしても他人と比べたがります。
自分はあの人と比較して、「○○がうまく行っていない」「劣っている」あるいは逆に「優れている」「あの人より理解している」という感じです。
これはある意味、仕方のないところがあります。
自分一人だけの世界ではないのですから、これだけたくさんの人がいて、多くの生き方、表現の方法があれば比べざるを得ないのが人情です。
しかし、それを逆手にとって考えてみると、このことに対しても見方が変わってきます。
人は誰かと自分を比べたがる傾向を持たされており、またそうし向けられていると取るのです。
ですから、そのまま欲求に従って「人と比べる」という行為をし、その受けた自分の感情のままにまた行動してしまうということを繰り返していると、これはただ反応に生きているだけであることがわかります。
そのようにオートマチックに動かされるのではなく、能動的にこの仕組み、からくりを考察してみるのです。
いわば、箱の外から客観視するような見方です。
そうすると、どうやら私たちは大勢の人に囲まれる世界で生きるように設定されており、それがために人と比べてしまうという気持ちも持たされているのではないかと推量されてきます。
結局、「人と比べる」ということ自体には何か意図と意味があるのではないかという思いに至ります。
それにより、例えば「競争心を煽る」ことなのか、「人との違いを自分が克服すべきため」にそう思うように仕組まれているのだろうかなど、これまでとは違った観点が出てくるでしょう。
よく考えてみれば、人と比べるということは、「自分から人」 そして、「人から自分へ」という図式が成立する行為です。
これを一連のベクトルの流れで書けば、「自分→人→自分」となり、フィードバックする方向性が自ずから設定されることに気がつかされます。
ということは、人と比べることは、「自分を観ることにつながる」ということですし、それがうながされるように「し向けられて」いるのかもしれないと考えられるのです。
ここから先は、皆さんご自身で確かめ、考えてみてください。
カモワン版マルセイユタロットをお持ちの方は、タロットマンダラにそのヒントがあると思って考察すれば大きな気づきが得られるかもしれません。
自分を取り戻す方法
タロットカードの「太陽」と「力」を見ていますと、あることが浮かんできます。
ところで、人は意外に自分を貶めているものです。
自分で自分を傷つけてしまったり、自分の価値を下げてしまうことをしたり、自分のことを何もできない(できていない)人間だと悩んだりしがちです。
そういう時は、やはり誰かに励ましてもらったり、癒してもらったりすることで自分自身を取り戻すことができます。
ただ、いつもいつもそういうことはできにくいですし、相手もそう都合よく現れてくれるとは限りません。
ですから、落ちこむ前に、ある習慣をつけておくとよいです。
「落ち込む前に」というのは、いったん落ち込んでしまうと、まるでぬかるみにはまるがごとく、ずぶずぶと自分を沈み込めようとしてしまうからです。
自分を貶めることで、できない自分を正当化しようとするために、むしろ余計に自分にムチを打つわけです。
そうなる前に、対策をしておくことが重要です。
そのひとつとして行えるのは、自分で自分を勇気づけることです。
それがまさしく、「力」と「太陽」のカードを並べた時のように私には感じます。
やり方は自由ですが、おすすめの方法として、自分を映した鏡を見るのがよいでしょう。
鏡に映った自分の姿を見て、「私がんばれ!」「ファイト!」と声をかけてもいいですし、そう力まずに、「私やれてる」「私、よくやっているよ」「十分、十分」と自分の努力を自分で認めてあげることも効果的です。
さらに進むと、自分の中にいる「崇高な存在」であったり、過去の傷つけられた自分であったり、様々な存在を感じたりします。
それらの存在に感謝したり、癒しの言葉をかけたりするのもやってみるとよいでしょう。
何より自分の名前を読み上げ、「ありがとう」とか「元気です」などと言うこともよいです。
これはいわゆる自霊拝(自分の霊を拝むこと)に近いものです。
実際にこのことをされた私のタロットの生徒さんが、不安神経症から回復されたということも聞いています。(もちろん通院したり、ほかの努力もされたりした上でのことですが)
また、どうしても自分にコンプレックスがあり、鏡を見ることが逆につらいことになるという人は、タロットの「太陽」や「力」、「世界」などのカードを見てもよいでしょう。
そこに自分の意識や気持ちを投影し、まるでカードと同化するかのように眺めていくと、次第に自分で自分を励ましていくことと同じような感覚を得られると思います。
カモワン版マルセイユタロットを持っている方、「太陽」のカードをご覧ください。ここに二人の人物が手を取り合って喜んでいる姿が描かれていますが、それはどちらもあなた自身なのです。
忘れていたもう一人のあなた自身を取り戻した図だとも言えます。
「太陽」カードによれば、あなたは自分で自分を癒し、励ますこともできるのです。
自分の好きなことを知る方法。
「自分の好きなことが見つからない」
ということはよく聞かれます。
まあ、別に見つからなくてもいいと思うこともありますが、見つかったほうがやはり生き甲斐も出ますし、時にはそれを仕事にしていくこともできますよね。
好きなことを探すセミナーや方法はいろいろな人が、様々な形で優れた技術によって伝えられているので、私から今更とやかく言うつもりはありません。
ただ、とてもシンプルな方法をふたつご紹介したいと思います。
ひとつの方法は、相手がいります。
配偶者とかパートナーとか、友人とか、親とか、とにかくあなたを普段よく知っている人、見ている人が必要です。
やり方は簡単です。相手にこう聞いてみましょう。
「私(あたし、アタクシ、オレ、僕なんでもOK)がうれしそうな(あるいは楽しそうな)顔している時ってどんな時?」
そうすればきっと相手は「そうねぇ、○○している時は楽しそう、活き活きしているよね」と答えてくれるでしょう。
その「○○」こそが実はあなたの好きなことなのです。
なんだ、そんなことか、それなら自分てもわかっているよと思うかもしれませんが、これが意外に自分に響きますし、新しい発見があるのです。
一番の効果は「そうか、私ってやっぱりこれをしている時って楽しそうに見えるんだ」と、改めて確認できることです。無意識の笑顔は嘘をつきません。
でも、その○○、それ自体が好きなことであるのは確かなのですが、「それ(○○)だけ」だったり、それが「一生もので絶対」といったりするわけではありません。
その○○は象徴でもあります。
つまり○○が表す大きな意味を考えるのです。「結局」とか「一言でいえば」とか、○○を別の形で表現してみてください。
たとえば、「結局、動物とふれあっている時なのね」「つまりは、自分の表現ができている時なんだ」という感じですね。
ちなみに、私の場合、「自分が楽しそうにしている時は?」と妻に聞いたら、「タロットの仕事から帰ってきた時(やっぱりタロットの仕事してきたあとは楽しそうに見えるようです)」「アニメを見ている時((笑))」と言われました。
あとふたつ目の方法ですが、これは前にも少し書きましたが、「自分のソウルカードを知る」いうことです。自分のソウルカードには、意外にも自分の好きな道というのが隠されていたりします。
これはちょっとタロットを知らないとできませんね。ソウルカードって何? 詳しく知りたいという方はタロット講座でお伝えしています。記事では少し書いています が。