リーディング技術・内容

小アルカナとリーディングの二方向

マルセイユタロットでは、大アルカナと小アルカナ(のうちの数カード)の絵柄はかなり異なり、特に小アルカナ数カードは、その記号的な絵柄もあいまって、なかなか読みにくいということがあるようです。

残念ながら、日本では、マルセイユタロットはいまだマイナータロット(苦笑)ですので、マルセイユタロットに関する読み方の本はとても少なく、独学は不可能に近いかもしれません。

また、マルセイユタロット使い・講師の方でも、旧タロット大学で学習した関係者、その方々からの流れの人が多く、いわゆる「カモワンタロット」のリーディングメソッド(カモワン流)が広まっていることがあるのですが、カモワンメソッドでは大アルカナが重視される傾向があり、小アルカナの扱いと読みについては簡略されていたところがありました。

私は旧タロット大学出身で、カモワンタロットから入りましたが、だいぶん前に独立して、オリジナルな道を進んでいます。

そのうえで、自分なりに小アルカナの読み方の方法を探求、実践してきました。その中には、おそらく、どの講座でも言われていない方法があると思います。

それはさておき、小アルカナにも、実は読み方としては、ふたつの方向性があります。

そのふたつの方向性は何かと言えば、昨年、同時期に書いたブログ記事に詳しいので、再掲しておきます。

「タロットリーディングの二方向性」

つまり、タロットリーダー側がタロットの象徴性や意味を当てはめて読む方向性と、タロットの側からタロットリーダーに向けて、まるでタロット自らが、問いやテーマとして語りかけてくるかのような方向性です。

タロットを見るか、タロットから見られているかの方向性の違いと言い換えてもよいでしょう。

これを小アルカナにもあてはめることができます。

しかしながら、特に数カードは、記号的な図柄になっていますので、タロットからの方向性を想像するのは困難かもしれません。

私の生徒さんにも言っておりますが、小アルカナのリーディングには、まず慣れが必要です。

簡単に言えば、小アルカナと仲良くなる意識と言いますか、感覚です。

人間でも、相手のことで苦手意識があれば、あちら側に伝わり、ますますコミュニケーションが取りにくくなります。

ですから、小アルカナと親しくなり、日常使いできるようになっていくのが大事です。それは読むのではなく、慣れるということであり、何かメッセージを得ようとか、リーディングして意味を見出そうとか、意識を向け過ぎないことです。

それより、最初は、戯れのように、小アルカナと遊ぶことがいいのです。

そして、4組ごとのイメージを持つようにします。具体的には、数カードならば、剣・杯・杖・玉(ソード・カップ・ワンド・コイン)の10枚セットごとに、それぞれの組(つまりは四大元素になりますが)を全体でとらえるようにします。

すると、先に挙げたふたつの方向性のうちのひとつ、タロット側から見られている意識のようなものが、数カードからでも浮かぶようになってきます。

大アルカナでは、カードを使ったタロット瞑想というのは、割とメジャーですが、小アルカナを瞑想することは、あまり言われていません。

でも、小アルカナでもいいわけです。

私は小アルカナをアクティベートすると言っていますが、小アルカナを活性化しないことには、なかなかリーディング、いや、リーディングすること、読むことを、カードが助けてはくれません。

タロットリーダーとして、忘れがちなのは、タロットの声を聴くという感覚であり、学習してタロットに慣れてくると、思考と論理性、つまりカードの意味を問いに当てはめようと、ガチガチになってくる傾向があります。

むしろ、最初の頃の感覚、タロットとお友だちになろうとしていた時のあの感覚を思い出すことです。

また、絵がないとイメージできないというのは早計です。

それは視覚を強調しすぎるからでもあります。人間には、五感としての視覚以外の感覚もありますし、第六感といわれるような、不思議センサーもあると言われます。

もちろん、タロットは図像ですから、小アルカナと言えど、視覚から入るのが当然です。

しかしその視覚から入ってきたものを、別の感覚に置き換えることで、絵からだけではない何かをつかむことができます。

小アルカナの数カードは、視覚にウェートを置きすぎる感覚をバランス化したり、調整したりすることにも役立つのです。(ゆえに4組に分けられています)

自分がタロットを見て、必死で読もうとするのではなく、何も浮かばない、意味がわからない・・・といった状態に陥った時、方向性を反転させて、タロットから自分が見られているという感覚・空間にして、タロットが自分(タロットリーダー)全体を包み込むかのような雰囲気にすると、あなたはタロットの世界に参入したようになり、カードの声を聴きやすくなります。

それは顕在意識の停止・死のような感覚であり、自我というのもを手放すのにも似ています。平たく言えば、読み(読もうとする意識)のあきらめ、お任せみたいな感じです。

しかし、矛盾するような話ですが、だからと言って、まったくの無知識では、何も機能せず、ある程度の理性・知識があってこそ、そうした通常の思考方法とは別の世界があることに気付くようになるのです。

言ってみれば、光のためには闇が必要であり、そのまた逆も言え、二元性質の理解(きちんとした区分け)によって、一元(二元の統合次元)が見えてくるわけです。

だから、別のものを分離する認識力は、知性から生み出されるのです。

要するに、ただタロットを眺めていても始まらず、ある程度、勉強しないとだめですよ、ということです。(笑)


天使のカードたち

マルセイユタロットの大アルカナで見た場合、天使、あるいは天使的な象徴絵図を持つカードは次のカードたちです。

「恋人」「節制」「審判」「世界」

たった4枚しかないと言えますし、逆に4枚もあるという感じもします。

もっとも、天使的な絵がないカードでも、天使を象徴させると考えられるカードはあります。が、ここでは、絵として明らかに天使的なものが描かれているカードのことを言っています。

天使の象徴にはいろいろな解釈があると思います。

四大元素的に考えることもできますし、一般的な印象で、救いや癒しということもあるでしょう。

象徴は核になるもの(本質やエネルギーのようなもの)は同じでも、多重・多層に意味を見出すことができ、それゆえ、具体性や個人個人(個別)においては、違う言葉や意味になることは普通です。(この部分はさらっと書いておりますが、タロットの解釈を理解するうえで最重要なことです)

ですから、一口に「天使」と言っても、人それぞれのとらえかた、意味合いが出てきます。

もし、あなたが、宗教的、あるいはスピリチュアル的に「天使」の存在を信じていれば、カードにおける天使の象徴も、実在性を帯びると言いますか、かなりほかの人よりリアリティあるものとして認識されるでしょう。

リアリティがあるということは、それだけ本当に(現実的に)力を持つということです。

従って、天使が信じられる人にとっては、天使のカードは大きな効果やパワーを実際に持つようになるのです。

このことは、天使に限らず、タロットにおる象徴が、その人にとってリアリティがあればあるほど意味を持ってきますし、現実にその力を発現させやすくなります。

これは別の見方をすれば、タロットリーダーが、タロットの絵図の象徴を、クライアントの実際性・リアリティ性にどれだけシンクロさせたり、結び付けたりすることができるかにもよってくると言えます。

さて、天使の象徴カードに戻ります。

これら天使カードの4枚は、厳密に言えば天使ではないものも含まれますが、一応天使的なものとして今は考えます。

それでも、一枚一枚、どれも同じ姿の天使は描かれていません。そもそもマルセイユタロットにおいては、細かな意味で、まったく同じ象徴の絵図は存在しません。似ていても、どれも微妙に違えて描かれています。

この法則からしても、天使はわざと別々の絵図になっていることがわかります。

ということは、それぞれ別の意味や役割があるのだと取ることができます。また、それでいて、当然ながら、全体としては、やはり「天使」なのです。

ここから考えて、もしかすると、マルセイユタロットの天使カードは、個別の一枚ずつの意味を見出しながらも、4枚セットというひとまとりで見る必要もあるのではないかということです。

すると、天使のカードたちの解釈も、また面白いものになるのです。


タロットの組み合わせを入れ替える

タロットの展開法、いわゆるスプレッドというものは、いくらでもあります。

もちろん、伝統的・代表的で、広く知られている基本のようなものもあるのですが、今この時でも、自分のオリジナルなものを発明している人もいるかもしれず、しかも、タロットの種類によっても違うものがありますから、それこそ、無数にあると言えるでしょう。

展開法にとても重要な意味を置く人と、ほとんど重要視していない人が、タロット使いの人の種類として存在します。

私の立場・考えで言いますと、ある展開法にはこれでなければならないという強い思い入れや展開法のルールを順守する姿勢があるのですが、一方、展開法・スプレッドは、実はなんでもいいという思いも同時にあります。

タロットは一種のゲーム(お遊びとかの意味ではありません)として考える部分があり、ゲームにはルールが必ずあります。

そのゲームのルールを途中で変えることはタブーと言えます。ただ、ゲームをしている者たちの間で了解が取れれば、途中変更もありですが、しかし、ゲーム自体を成立させているルールの変更は問題です。

スポーツで言えば、例えば、サッカーをしていたのに、これからはバスケのルールにしますね、では、まったく違うスポーツになります。

これが、サッカーで最初は11人制でしていたけれども、人数が集まらないので(やる人が減るので)、5人までというルールで、ゴールとフィールドも狭めたものに変えましょうか?というのは、双方のチームが了解ならば可能ですし、サッカーという本質のゲームも変わっていません。

タロットの展開法の適用も、つまりは、そういうことです。

そして、タロットでのセッション、リーディングの目的が、クライアントの問題解決やアドバイス、癒し、気づきに導くことにあるのなら、それができる(目的が達成できる)ものであれば、タロットの展開法など何でもいいということになります。

さて、前置きが長くなりましたが、私は、展開法は結構、オリジナルや自由でやるのが好きなところがあります。(セッション・リーディングでは、ある決まった展開システムとルールのもとで、厳格にやることが多いですが)

そんなもののひとつには、カードを数枚引いて、すべてを自分(または問い)の象徴と見て(まあ、タロットとはそういうものですが)、いろいろとその出たカードを並び替えてみるという方法があります。

この方法を行う場合、一枚だけだと、正逆の位置くらいしか入れ替えができませんから、まずは最低、二枚のカードは引かねばなりません。

ですが、二枚では情報量として少ないと言えますから、やはり3枚を基本として、慣れれば5枚くらい増やして行けばよいでしょう。

正逆は取らず、正立だけで見ます。(すなわち、いい悪いを含めて、あるいはそれらを超えて、そのカードそのものの象徴総体として意味を取るということ)

シンプルに見たい時は3枚、もう少し深く見たい時は5枚という感じでしょうか。

本当はテーマを掲げずに、ただ引くだけでいいのですが、テーマをあえて最初に設けてやっても構いません。

では、ちょっと例示してみたいと思います。

今、皆さんの関心としては、新型コロナウィルスのことがあると思いますから、それをテーマにして5枚引いてみましょう。

引くカードは大アルカナ22枚の中からとします。

では、私が引いてみます。

はい、出たカードは、マルセイユ版の私が使う名前の言い方で述べますと、数の小さい順から、1「手品師」、3「女帝」、14「節制」、18「月」、20「審判」でした。

今は数の順で挙げましたが、これらは実際にはバラバラに引いて出て来たもので、それを並べ替えをして観察します。

マルセイユタロットをお持ちの方は、自分でもやってみてください。

並び替えは、引いたカードを裏向きにしてシャッフルして整列させてもいいですし、自分の感覚で、表向きのまま、なんとなく並び替えてもいいです。

図像を見ないように裏向きにシャッフルしてやったほうが面白いかもしれませんが、あえて図像を見ながらのほうでも気づきがあります。

今回の例としは、「新型コロナウィルス問題」としてのテーマ(問い・大テーマ)がありましたが、カードを引いたあと並び替えをする時に、もっと具体的テーマ(小テーマ)に絞って、さらに小テーマごとに、入れ替えて見ることも可能です。

「ウィルス問題」を大テーマとして、「今後どうなるのか?」という小テーマで並べ替え(シャッフルして出す)てもよいですし、「今自分にできることは?」でもよいでしょう。ほかにも、「自分はこの問題をどのように見たらよいのだろうか?」というもので、やってみるのもありです。

事例は、皆さんが気にしているテーマにしましたが、もちろん、自分特有のテーマ、問題(問い)にしても使えます。

そして、先述しましたように、テーマも問いも決めずに、ただタロットを数枚引いて、いくつかのパターンに並び替えて見ることで、自分に気づきが起こることはよくあります。

並び方も横一例にきれいにする方法もあれば、ある図形になぞらえたり、ランダムに、自分の置きたいところに置いたりするというのでもよいです。

何回かやっていると、不思議なもので、数枚のカードのそのカードたちにおける組み合わせは(枚数にもよりますが)たくさんあるにも関わらず、なぜか、「これだ!」「この展開(並び)だ!」と思う、唯一のものがわかるようになります。

たぶん、その並びこそが、あなたに対して、あるいはテーマにとって、今タロットが告げたいことなのでしょう。

出た(選ばれた)タロット自体に強い意味があると考えられるうえに、さらに、並び替え、組み合わせにおいても、確かなメッセージ性やインパクトを残すのなら、それはやはり特別な意味があると考えるのが、タロットでは妥当かと思います。

自己リーディングでは客観的になれずに、難しいところがあるのですが、この方法だと、意外にタロットを俯瞰して見ることができ、普通に問いを思って、自分でタロットをある展開法によって引いてリーディングするより、読みやすいかもしれません。

実はリーディングの練習にもなりますので、興味のある方は、ぜひ一度、やってみてください。


展開法、スプレッドの作り方

タロットの並べ方、いわゆるスブレド・展開法は、いくらでもあると言えます。

とは言え、伝統的と言いますか、タロットのサイトとか、タロット本を見れば、王道としてどこでも紹介されているような展開法は、それだけ使いやすいのだと考えられます。

タロットの展開法にこだわる人もいますが、個人的には、なんでもいいのではないかと思っています。

前にも書いたことがありますが、結局、どんな目的をメインとするのかによります。

占いとかタロットリーディングの目的は、結局、相談者・クライアントの問題解決とか癒し、幸せに導くことになってきますから、それができるのであれば、方法は何でもOKと言えます。

極端なことを言えば、たった一枚のカードでも、クライアントによいアドバイスができ、相手も納得できるものであったのなら、それでいいわけです。

逆に、やたら複雑な展開をしても、相手にさっぱり伝わらない、何もカード群から適切なものが思い浮かばない、カードが読めない・・・となれば、形式倒れで、中身はないと言えます。

ということは、どんな展開法・スプレッドでもいいので、タロットリーダー側が使いこなせるもの、その展開法で読める自信があるものを選択していくことが重要になります。

しかしタロット学習初心者の段階では、一枚引きすらうまく読めないこともありますから、もっとたくさんの枚数の出る展開法のリーディングが難しいのは当たり前です。(余談ですが、実は一枚引きは枚数こそ少ないですが、リーディングとして情報が限られますので、かなり難しい展開法の部類と言えます)

ですから、三枚くらいのものの、セオリーとも言える展開法から入って、それに慣れていくことが段階としては大切になるかもしれません。

ある程度、少ない枚数のものに慣れたら、やはり、もっとたくさん枚数の出る展開法にチャレンジしていくとよいでしょう。枚数が多ければ、情報量も多くなり、それだけ、深く広いリーディングが可能だからです。

単純な展開法だと、読み方も浅くなってしまう傾向があります。

そして、多くの人に使われている展開法は、使いやすいとは言えますが、ずっとタロットをやっていくと、自分に合わないと感じるようになることもあるかもしれません。

そういう場合、自分でオリジナルな展開法を作るのもよいです。

師や先生を持たず、自分でタロットを学び、リーディング技術を身につけていく人の中には、最初からオリジナルの方法を試していく人もいます。

世に披露されている展開法は、あくまでモデル・型みたいなもので、最終的には自分流の使いやすい、読みやすい方法に変更したり、新しいものを発案したりして、それに効果があるのであれば、常用していくのはありでしょう。

そこで、オリジナルなものを作るに当たり、たぶん知っている人は知っているでしょうが、ここでヒントを挙げたいと思います。

一番重要なのは、ストーリーの構成要素を考えることです。

タロット占い、タロットリーディングは、結局、人に伝達する形を取るので、それは一種の「物語」形式なのです。

皆さんも論文の構成などで、学校で学ばれたかと思いますが、序論・本論・結論とか、起・承・転・結とか、人に伝えるストーリーや文章には基本の型があります。

タロットを使って人に話をする場合、占い要素を重視するケースでは、時系列(過去・現在・未来の要素)はほしいところです。なぜなら、占いは、特に、状況推移や未来を知りたいという人が多いからです。

カウンセリング的なリーディングにおいてタロットを使う人の場合でも、時系列、特に過去は大事なので、やはり時系列要素は必要と言えましょう。

あと、問題を示す要素、それを解決していく要素、それに、この世は人間社会ですから、の要素(鍵となる人物とか、理想の人とか、人間関係なら相手や自分を表す人物像とか)もあるとよいです。

タロット界では、ケルト十字という有名な展開法がありますが、あれの10個の要素(カードを置くところの意味)は、占いに来る人の、知りたい情報をうまく網羅しているのです。

このような「要素」を挙げていき、それらを起・承・転・結とか、いつ、どこで、誰が、どのように、どんな方法で・・・みたいな、国語で習ったような質疑応答、物語作成法に従い、並べて行きます。

そして、その「要素」こそが、カードを引いて置く場所になります。すると、あら不思議、あなたのスプレッドが完成するわけです。

図形の意味とセットにして、ある図形上に形を整えていくと、さらにそれらしく見えてきます。

例えば、△(三角)を使う並べ方はよくありますが、これらの角の三点の位置に、要素としての意味を置きます。(形はよくあるものでも、自分なりの意味・要素を置けばオリジナルになってきます)

そうですね、ぱっと思いつく事例としては、左に「現実(物質)」、右に「精神(心)」、上の頂点に「統合観点」という要素・意味とします。

すると、

●統合

●現実 ●精神

のような三角形と意味になります。(上図は三角ではないですが、三角として想像してください)

この三点にそれぞれ、カードをシャッフルして一枚ずつ置くとします。

今、仮にやってみましょう。(今回はマルセイユタロットの大アルカナのみで)

結果は、

●統合観点(斎王)

●現実(悪魔) ●精神(愚者)

こんなカードたちが出ました。(これも三角図としてイメージしてください)

このカードを引いた人は、物質・現実としての象徴性に「悪魔」、精神性においては「愚者」、それらを統合するのに「斎王」ということになります。(皆さんへのメッセージにもなります)

読み方はいろいろありますが、一例として、「悪魔」に支配される現実から、心は「愚者」のように自由になりたいと思うものがあり、その対立・葛藤が問題になっているのですが、「斎王」は精神性と受容性のカードですから、気持ちとしての「愚者」を重視しつつも、「悪魔」を受け入れ、そこから脱却するには、どうやら現実の学びが必要である(斎王の意味から)とわかるわけです。

つまりは、逃避するより(あるいは、今の現実から逃げたければ、変えたければ)、逆に現実(「悪魔」に象徴され、自分が嫌っている世界・事柄を)学べということですね。

この「要素」は、今、抽象的と言いますか、精神とか物質とか大まかな感じで、具体的に絞っていないので、読みにくいかもしれませんが、もっと、仕事の問題、自分が望んでいる状態、解決策やアイデアというように、わかりやすく、具体性をもって要素を設定することで、カードをもっと読みやすくすることができます。

この△の例は、気づいた人もいると思いますが、マルセイユタロットの「運命の輪」をモチーフに思いついたものです。あるいは、弁証法の形でもあります。

このように、一枚のカードをもとに、展開法、スプレッド作るという方法もあります。

まあ、究極的には位置とか形を決めなくても、思いついた要素をその都度、カードから引いて行けば、出たカードと要素の意味をつなげていくと、自然にストーリーになっていることもあります。

この場合は、物語を構成する力と、問題の本質に行き着くための質問力が要求されるでしょう。

ということは、いわばコーチングであり、カードを使って自由に聞いていく(自由とはいえ、目的のために質問を計算的に、意図的に選択している)ことができる人は、コーチング能力や技術がある人ということにもなります。

それが難しい場合は、最初から決められている展開法、スプレッドを使うほうがやりやすいです。王道のスプレッドは、それだけ、スートリングが自動的にできるようになっているからです。


技術・メソッドの伝承、選択

私はもともと、日本でいうところの「カモワンタロット」からタロット(と言ってもマルセイユタロットオンリーですが)に入った者です。

このところ、少しカモワンタロットの話題にふれることがあったので、久しぶりにカモワンタロットについて、検索してみました。

すると、いろいろな人が、まさに様々な解釈・思いで、カモワンタロットを見ている(リーディング・鑑定・占いも含む)ことがうかがえました。

近頃はYouTubeなどの動画も、タロットで普通にたくさんあるので、カモワンタロットもあるのかなと思って調べてみますと、やはりありましたね、幾つか。なかなか見ていて面白かったです。(カードの著作権はどうしているのか気になりますが…)

こうしていろいろな人のを見ますと、私がカモワンタロットを習い、実践してきた頃とは、かなり、とらえかた・考え方が違ってきたかなという気がします。

悪く言えば、本来と言いますか、最初の頃に伝えられていたものが曲解されているところもありますし、勝手に技法とか解釈が変えられているところもあるように感じます。

逆に、よく言えば、それだけ、個性的(バラエティ)に発展・拡大してきたと言えないこともありません。

もちろん、カモワンタロットにつきましては、きちんと認定講師の方々がいらっしゃいますから、その方たちに習うのが、一番最新の情報も得られ、正統に最も近いところにいるのだと思います。

それでも、カモワンタロットから離れてだいぶん経つ私から見ても、「うーん、どうなんだろう、これは…」と思う解釈で教えられている人を目にします。

それは、技術的なこともあるのですが、もっとも大切な、カモワンタロットに流れている精神といいいますか、教義のところでひっかかることが多く、それが伝わっていないのだろうなと感じます。(伝わりを感じるものもありますよ)

それがないと、仏作って魂入れず・・・みたいなことで、いくら形をまねても、カモワンタロットからは大きく離れてしまうのではないかと思います。

「そういうお前は、すでににカモワンタロットから離れたのだろう?」と言われればそれまでで(苦笑)、私が言っても説得力はありませんが。(苦笑)

しかしながら、今でも、私自身は、カモワン流の技術はすばらしいと思いますし、長年、個人的には研究もしてきたところで、どうしても思うところはあるのですね。

カモワンタロットのことを述べていますが、これはあくまで例であり、言いたいことは、別にあります。

それは、技術・メソッド伝えるということはどういうことか? というテーマです。

マルセイユタロットで言えば、「法皇」のカードに関係しますし、レベルを変えれば、「隠者」とも言えるかもしれません。もっと広く考えれば、「太陽」とか「審判」とか「世界」とか、別のカードでも表すことができるでしょう。

一般的に、メソッド・技術の伝承となれば、当然、その技術面が強調され、それを身につけることが大前提となります。ただ、それが身につけられたかどうかを判定するのは、機械(モノによっては機械のこともあるでしょうが)ではなく、人です。

人には感情もあり、すべて公平に判断することは難しいでしょうから、どうしてもそこに誤差のようなものが生じるでしょう。師匠が気に入ったお弟子さんに肩入れすることもあれば、ひどい場合には、経済的なことで、免状の判断が左右される場合もあるかもしれません。

そして、「伝承」ですから、さらにまた人から人へと伝えられていく過程で、ある程度の基準はあっても、やはり人の判断になりますから、次第に伝承される中身が変わってくるのは、普通に予想がつきます。

もし伝承が(世代など)だけではなく、同時期に複数の人にされていく、もあるとすると、その枝分かれ分は膨大な数になって行き、伝承された人の数だけ、実は流派のようなものもあると見ていいかもしれません。

すると、そもそも正統を争うのはどうなのか?意味があるのか?という問題にもなってきます。

なるほど、今は映像・音声記録技術も格段に進歩していますから、見える技術であれば、その伝承も、形としては確実に昔よりかはできるでしょう。

でも、それを思えば、昔の、言葉か文字でしか伝えられなかった時代のものは、果たして、本当に「型」のようなものは、正しく伝わっているのか?と疑問が生じます。

「これは昔から伝わっている唯一の正しい方法だ」と言われたところで、やはり、人から人、あるいは文字で伝えられている限りは、どこか誤認したり、解釈を変えられたりしているのではないかと思うのが普通ではないかと思います。

カモワンタロットを学習していた時代からの知人で、ある道の先生とも言えるお坊さんがいらっしゃり、その方は、「伝わっていることはすべて嘘だと思ったほうがいいですよ」とよく語られます。

この言葉の深い意味は、まだまだ理解の浅い私では、十分ではないものの、さきほど述べたようなことも入っているのではないかと考えています。

要するに、伝統的なもの、すごい伝承の技術というものでも、真理とか、正しいかどうかなどはわからないということです。

特に、「形」というものにこだわり過ぎると、おかしくなって来る気がします。

形に意味がないのではありません。形にこそ、実は奥義・奥伝があることは少なくないと思います。しかし、形だけ真似ても、意味がないわけです。

精神と形が一体になっていると言いますか、その心でやれば、その形になり、その形でやれば、その心になる・・・このようなものではないかと考えます。

この「心」の部分は、ただのメンタルという意味ではなく、霊、あるいは魂と表現してもよい部分を含むものだと、個人的には思います。

日本人がよく、「魂入れろ、心を込めろ」みたいに言うのは、理由があるのでしょうね。

ですから、矛盾した言い方に聞こえるかもですが、技術・メソッドの伝承には、形にこだわらずに、それでいて、形も大切と見ると言えます。

形の意味(形に込められた精神・背景)をよく考えると言い換えてもよいでしょう。

あと、理論と実践というふたつの側面もあります。

理論は言葉や文字で伝承されやすく、これは割に、皆に同じ型(内容)を伝えられやすいです。

しかし、実践となってきますと、施術者、場面場面、対象者、問題・・・ひとつとしてすべてが同じというケースはないはずです。

従って、まさに臨機応変、理論を超えた対応も必要になってきます。

そこから、オリジナルな考え方・技法も出てくるのは容易に想像がつきます。

理論やひとつの正しさにこだわり続けると、実践では通用しないものになってくるおそれがあり、また理論無視で、実践で気分次第、コロコロと変えていくだけのことをしていると、やっていることを体系的にとらえて、ほかの人に伝えることができなくなります。

「伝える」ということでは、実践ケースで起こること全部を伝えるのは、当然無理です。

数々の実践の中で、有効なもの、普遍的に通じ、使えるもの、多くの人に身に着けてもらいやすく、効果が高いものを選ぶ必要性もあるでしょう。

ゆえに、マルセイユタロットでも、あえてカモワン流に言えば、「法皇」の視線カードは、タロットマンダラ(カモワン流の大アルカナ絵図の言い方)において、選択を象徴する「恋人」なのです。(タロットマンダラの並びは、多様な意味があり、もちろん他の理由もあります)

何か技術・メソッドにおいて、正統性に悩んでいる人もいらっしゃるかと思います。

その時、ふたつの視点を持つとよいです。

ひとつは、自分は正統性・純粋性、第一の後継者、そのメソッドの名前にあくまでこだわってみたいのかどうか。

もうひとつは、そのメソッドを使う本当の目的は何か?を考え、目的のための手段とするかどうかです。

その他、自分はそのメソッドをやっていて好きかどうか、楽しいかどうかというのも、人によっては選択の理由になるかもしれません。

どれであっても、重要なのは、あなたの人生にとって、大事なのはあなた自身であり、技術でも方法でもモノでも他人でも教義(が第一)でもないのだということです。


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