リーディング技術・内容

実践は型にこだわらなくてもよい

「そのようになるよ(そのようなことが起きるよ)」

「そのようになるように頑張ってみようよ」

「そのようになれるよ」

「そのようになるのは(それは)嫌なのかな?」

「そのようになりたいと思っている?」

「そのような気持ちがあるのよね」

「そのように見てみる(考えてみる)のはいかが?」

「そのようなことは無視していいんじゃないかな」

 

これは何なのかと言いますと、タロットリーディングにおけるカードの読み方の一例です。言い換えれば、カードからの情報の取り方でもあります。

 

このほかにも、もっとたくさんあるでしょうが、だいたいこんなパターンでカードについて読んでいるのではないかと思います。

 

私はタロットリーディングと占いとを区別した書き方をこのブログでもよくしていますが、その二つは、ある観点からすれば、同じようなものにもなるのです。

 

「リーディング」は創造的で、クライアント自らの気づきを促すのに対し、「占い」は断定的、クライアントには受動的で、未来予測が中心になると定義することもできますが、それもあくまで一例に過ぎません。

 

上記のように、リーダーの質問や読み方のパターンをこうして列挙してみれば、何のことはない、カードから読み取っている情報という意味では、すべて同じようなものと言えます。

 

強いていうならば、読み取った情報が運命的・決定的なニュアンスなのか、流動的、あるいは、これから作り上げていくか(実現させていくか)の違いみたいなところがあります。

 

ということで、カードからの情報でクライアント・相談者をよい方向に導いたり、癒しや気づきを与えたりするというところでは、やり方やアプローチが違うだけで、実は占いもリーディングも同じ面があるわけです。

 

しかし、その違いを見ていくのもまた有意義で、それはクライアント側からということもあるのですが、むしろ、リーダー側についても言えるのです。

 

というのは、例えば、タロットを読む人、タロットからの情報を扱って、どのように人に提供し、人様の役に立つのかという、自分のタイプとか、向いている方法を知ることができるからです。

 

自分が占いタイプの読み方、情報の与え方をしたほうが、クライアントのためになるという人(それでクライアントに満足してもらう人)もいれば、タロットによって、心理的な内面のブロックや葛藤、トラウマなどに気づいてもらい、それの解放や調整に向けてサポートするという読み方をするのが向いている人もあり、さらには、一種のコーチのように、実現したい目標や状況を、カードの情報や象徴を利用しセッティングして、達成しやすくさせるという方法が向いている人など、いろいろ、個性によってあるわけです。

 

これに、タロット以外の技術を学んでいることもあるでしょうし、自分の興味や関心から、どんなことをしたいのかによっても、またさらに自分のスタイルが決まって来ます。

 

もちろん、方法や技術は目的に適っていれば、数種類を混合させることもできますし、どんなやり方をやってもOKというところがあります。

 

私が実際にタロットリーディングする時でも、最初に書いたような読み方(情報の取り方)のパターンを各種織り交ぜ、時に未来予測的で断定的な占いになることもありますし、心理的な(葛藤や問題パターンに陥らせている)データの気づきに導くこともあります。また、目標を定めるための指標やモデルとしてカードを扱うこともあります。

 

カードリーダーの中には、かたなくなに自分が習った方法に固執し、これでないと絶対にうまく行かないというような人がいますが、それはあくまでその技術や方法の「」を高めることでは有効ですが、実際の相談者に対して、まさに「相談」したり、「セッション」したりして、クライアントのために役立つ情報提供や施術をするということでは、無意味になる(こだわりがかえって問題をややこしくさせる)こともあります。

 

私のブログを読んでいて、タロットの占い活用はダメだと思っている人がもしかするといるかもしれませんが、決してそんな単純な話をしているわけではないのです。

 

確かに、今のタロットの一般的な認識や占いとしてのツールで多く使われる現状を肯定しているわけではないのですが、私も実際に占いの館のようなところに出てタロットリーディングしてきたをことを思い出して見ても、現場のリアルな世界では、本当にいろいろな方が、それこそ「人間らしい」問題や悩みごとを抱えて相談に来られます。タロットの占い活用が、多くの人の役に立っていることがあるのも事実です。

 

予約紹介制ではない、ランダムに市中の人が来られる現場では、机上の空論みたいなものとか、座学で勉強していた読み方など、吹き飛んでしまうこともしばしばです。

 

そこにはどす黒い情念のようなものも渦巻いていますし、逆にあまりにも空虚で機械のような感じになってしまっている人もいます。

 

カードを簡単に定義づけたり、またクライアントの問題のパターンを形式的に当てはめ過ぎたりして、人(やカード)をモノのように扱っていると、とんだしっぺ返しをくらいます。

 

人にはがあり、さらには魂、霊があります。どんな人にも崇高な部分と、低次で貪欲な部分、あるいは破壊や消滅のような願望も眠っている場合があるのです。

 

そんな実際の現場、人を相手に、小賢しく考えた「型通りの理論」など、通じないことがほとんどです。(しかしタイプや型の学習が無駄と言っているわけではありません。それはそれで必要でもあります)

 

タロットで相談していると、人として生きる悲しさや苦しさも思う反面、いつも人の可能性や偉大さも思い知ります。そして、自分など、ただのサポート者に過ぎない、たまたま何らかの縁で関わらさせていただいた立場・存在なのだと謙虚になることもできます。

 

そうですね、いわば、マラソンランナーに対して沿道で声援を送る者で、偶然声が届いたとか、支援する側で水を手渡すことができた人みたいな感じです。主人公はあくまでランナーのほうですし、ランナーがゴールを目指して自分で走っているのです。

 

これは講師として講義をしていても同じで、教えているようでいて、本当に教えられていることが多く、私自身、生徒さんから救われていると実感することはいつもです。ありがたいことだと真に思います。

 

タロットリーディングを営業でやるようになったり、講師のように教える立場になってきたりしますと、どうしても「先生」などと言われ、人によってはえらそーな感じに見えたり、傲慢になってきたりする方がいます。また、逆に「先生」であろうと、必要以上に自分を縛ってしまう方もいるかもしれません。これはどちらも問題でしょう。

 

それでもまだ、自分が先生と呼ばれる立場になったことを自覚して、よい意味でクライアントや生徒さんの(模範や温かく見守るような)先生であろうとすることは悪いことではないと思います。

 

人を救うというのは大げさで、おこがましい表現ですが、仮にも人様から相談を受けようという人は、自分も相手も同じ人間であることを思い、勉強してきたからとか、人生経験・年齢が上だからとか、相談技術を身に着けたからと言って、上の立場でえらそうにしても始まらないのです。

 

共感と言われますが、人は苦しみをわかってもらえたり、悩みを受けて入れてもらえたりして初めて、次の段階に進むことができます。

 

そういうことでは、占いがどうの、リーディングがどうのという違いにこだわることは必要ないです。(違いを意識したり、明らかにしたりすることは、別の意味では重要にはなりますが)

 

タロットを学び、タロットリーダーとして、誰かにの役に立ちたい、リーディングを仕事にしていきたいという方は、あなたなりのやり方で、人様に向き合い貢献し、、クライアントはもちろんのこと、自分自身も成長していくことができればよいかと思います。

 

最初の基礎や技術の型は大切ですが、あなたがどうしたいのか、最初の気持ちでもいいので、そのことをよく思い(出し)、やがては自分流の方法で相談スタイルが出来上がっていくことでしょう。型破りと言われる段階と所以です。

 

その過程は、マルセイユタロットの「手品師」から「戦車」に描かれているように思います。(そして、背景や高いレベルに、ほかのカードたちがあるという印象)

 

特に「戦車」になるためには、その前の(数の)段階、「恋人」が重要だと思います。

 


タロットの逆位置(リバース)

タロットの展開法、タロットのスプレッドには、たくさんの種類があります。

有名で、よく使われているメジャーなものもありますが、タロットリーダーやタロティストのオリジナルなものも少なくないでしょう。

かく言う私も、オリジナルスブレッドはいくつか持っています。その中でも、リーディング用と占い鑑定用みたいに分けているものもあります。

ただ、もともとカモワン流のマルセイユタロットから入った口でもありますので、カモワン流のカード人物の視線を追う流動的スプレッドに慣れていたこともあり、いわゆる固定スプレッド、例えばケルト十字などのタロット界ではよく使われている方式は、逆に違和感があったのも事実です。

まあ、展開法、スプレッドというものは、目的のための手段ですから、目的からはずれていないのであれば、やり方、方法としては何を選択してもOKだと思います。

要するに、自分かタロットの種類に合っていて、使いやすく(読みやすく)、タロットを使うその目的に適っていればいいのではないでしょうか。

さて、そうしたタロットの展開法の中で、カードを正立に置くか、逆位置(リバース)に置くかという違いのもの(種類)があります。

私自身は、正立だけの方法と、逆位置も出す方法との両方を使い分けています。このブログで、時々やっている企画モノでは、正立だけ置く方法を採用していることが多いですね。

間違っているかもしれませんが、私が調べたり、聞いたりした話では、タロットの逆位置(リバース)をリーディングや占いで取るようになったのは、それほど古いものではない(新しいものだ)ということです。

マルセイユタロットを見てみれば、小アルカナの数カード(数札)は、正逆が一見しただけではわからないものもありますし、説によっては、正立と逆位置が反対のものさえあります。(ある正立状態が実は逆であるという解釈が存在しています)

おそらく、デザインから見ても、マルセイユタロットの数カードは正逆で見るものではないと私は思っています。

大アルカナや小アルカナの宮廷カード(コートカード)は、明らかに正立がどの状態かが見てわかるような絵柄ですから、これに逆位置のケースを考えるのは、あってもいいかもしれません。

ともかく、いつの頃からか、タロットでは逆位置・リバースを見るようになり、正立の場合との解釈や意味を変えるようになってきました。

その理由として考えられるのは、私の推察ではありますが、やはりシンプルに判定がしやすくなるという利点があったからではないかと思います。

つまり、正立は良し、逆位置は悪い、または、正立の意味と逆位置の意味では真反対になるという読み方です。

逆位置を採用することで、カードそのものを読むよりも、正逆の位置だけで良し悪しが最初にわかるというのは、鑑定的な意味では効果的だったと考えられます。ということは、パフォーマンス(的意味合い)も大きかったのだと推測されます。

そういう意味では、やはりタロットが占い(の道具)としてよく(メジャーに)使われるようになってきたことが、逆位置・リバースの取り入れにつながってきたと考えられます。

あと、ウェイト版(ライダー版)の登場により、小アルカナの数カードにも絵がつけられたことで、正逆を判断しやすくなったこともあるのかもしれません。そのウェイト版が、占いで多くの場や人に使われるようになることで、さらに逆位置解釈も拡大して行ったと思われます。

逆に言えば、もともとタロット占い、タロットリーディングにおいては、逆位置(解釈)はなかったのではないかと想像できます。

ましてや、占い・リーディング以外での活用になってきすと、ますます正逆の区別は意味がないということになります。それよりも、カードの図像そのものや、構成に注目するのが自然です。

ともあれ、今やタロットでは、逆位置・リバースを取ることが、普通になってます。

ただ、その解釈はまちまちでもあります。

さきほど述べたように、正立では良い、逆位置では悪いと解釈するものと、正立の意味と逆位置の意味が正反対で読むものがまずあり、これはタロットの逆位置解釈では、一般的と言えるかもしれません。

これに対して、あくまで正立の解釈を基本として、逆位置は正立を阻害したり、ブロックしていたり、正立からのズレ・不調和を来している状態と見る方法があります。

これだと、逆位置は必ずしも悪いという意味にはならず、また正立の反対の意味というわけでもありません。いわば、一時的な「正立の別状態」で、何かの気づきや修正が図られれば、正立に戻すことができることになります。

逆位置の解釈は、すでに書いたように、タロット活用が自分の目的に適っていれば、どのようにしてもよいとは考えますが、個人的な意見としては、正立を良い、逆位置を悪いとしてしまうのは、少々問題があるのではないかと思います。

もちろん、正立が良いこと、逆位置が悪いことと設定していれば、カードの位置だけでもおよその判定をすることができて、特に占いには便利であるとは考えますが、この解釈方法は、そもそも良し悪しとか、善悪という二元的価値を強く植え付けてしまいがちで、つまるところ、カード自体にも良し悪しをつけて見るようになってしまいます。

それは、タロットにはよいカード・悪いカードがあるという前提になり、吉凶判断に囚われた見方になるのです。

タロット、特に大アルカナは、二元を統合する方向性にあると私は見ていますので、あまりに吉凶のような二元分離の価値観にはまってしまうと、自己の成長や拡大、意識の向上が滞ってしまうおそれがあるのです。

良し悪しというのは、見た目や形ある世界のルール、一般的価値観(世間体や外の人、環境から押し付けられた価値観)であることが多く、これが個人の心理・精神の世界になってきますと、一概に良し悪しは決められなくなってきます。

またスピリチュアル的に言えば、高次意識になればなるほど、善悪、吉凶の境目はなくなり、すべては同じ(金太郎アメみたいなコピー的な同じという意味とは別です)という思考・感覚になると言われ、つまりは、同じレベルの価値観からいい悪いを判断していては、そのレベルの世界観でしか物事を見ることのできない人間で固定されてしまうことになります。(言い換えれば、霊的な成長が見込めない)

ですから、正逆を採用した展開を用いるにしても、その解釈に、単純に正立が良い状態・良いことが起きる、逆はダメ・悪い状態というような見方をしていては、まずいこともあるわけです。

また正逆で正反対の解釈するもの、例えば悪い意味のカードと決めているものは、逆になればよいことになってしまいます。これもちょっとおかしな話で、結局その違和感は、もともとカードに吉凶的な解釈をしてしまっていることにあると言えます。

ということは、正逆解釈問題に関わらず、カードごとに善悪、吉凶、良し悪しを意味として決めていることが根本的な問題だとなるでしょう。

そのほうが読みやすく、スピードも速く、何かと便利であるのもわかるのですが(そして実際に、いいこと・悪いことはカードの通りに起こるという人もいるでしょうが)、そうした(吉凶)次元を超えて解釈する読み方に慣れていくほうが、長い目で見れば双方(クライアント・リーダー)のためになるかと思います。

とはいえ、正立だけの展開法を推奨している(逆位置採用を否定している)わけでもありません。

何度も言うように、展開法は手段であり、目的ではありません。正逆を採用することで、リーディングがしやすくなり、総合的なセッションとして見た場合、効果的になることもあります。

それに、案外、正立だけで読むというのは、あらゆる要素(ポジティブ・ネガティブ)を考慮に入れて読まないといけないので、実はかえって高度な場合もあるのです。

ただ、正立だけ出す展開の良さもあります。

タロット界では、もはや正逆両方を取ることが普通になっているので、やってもらうほうも、逆位置(リバース)は何か悪い意味ではないかとマイナスにとらえてしまうことが多くなっており、逆が出ただけで恐怖や不安に駆られる人も少なくないのです。

それに対し、正立だけ出るということは、見た目の安心感がかなり大きくなります。言ってみれば、自然にポジティブな気持ちにさせるわけです。

聞くところによれば、あのホドロフスキー氏も、正立だけのものでしかカードを展開しないのは、心理セラピストでもあるホドロフスキー氏にとって、クライアントに余計な不安を与えない配慮もあるということです。

タロットカードの正逆の展開、あなたはどう採用し、どのように解釈しますか? それを決めるのもあなたの自由です。


タロットが読めないと思っている人に

このブログでも、何度かお話したことがありますが、私は最初、まったくタロットに関心がありませんでした。

ですから、タロットの世界(業界)に入ったのも、偶然と言えます。(ただ、見方を変えれば必然ではありますが・・・)

ましてや、タロットにたくさんの種類があること、そして自分が初めて学習したタロットが、その中の古典的なマルセイユ版であることも知りませんでした。まあ、結局、私はマルセイユタロットしかやらないことにはなりましたが。

そんな私ですから、初期の自分のタロットリーディングも惨憺たるありさまで(苦笑)、意味を学んでも、カードがほとんど読めませんでした。

自分はタロットリーダーには向いていないとつくづく最初の講座中思ったもので、リーディングのできない自分が恥ずかしくもありました。できれば講座を途中でキャンセルして帰ろうかとも思うほどでした。(笑)

しかし、当時の先生から聞かされるタロットリーディング以外の神秘学的内容や、古代象徴系の話はとても興味深く、タロットを通して本当の自分や宇宙を知るという教説には、自分の好奇心・探求心に火をつけるワクワク感がありましたし、実はタロットを習うこと自体はとても楽しい面もありました。

ちょっと話はそれるのですが、この受講中の楽しさは、もしかすると自分の特質とも大きく関係しているのかもしれないと思うところがあります。

これまで、ほかのセミナーや講座を受けることもありましたが、タロットの学びは格別でした。

それは人見知りのある私でも、タロット仲間には、気の合う人が多かったということもありますし、その自分の特質というのが、知識などを学ぶことが好きであるということもあったからです。

そして、これらをさらに自分の内的なデータとして掘り進めていくと、仮に過去生というものがあるのなら、私は修道院や僧院のようなところで学ぶ形式と生活が過去にあったのかもしれず、しかもその繰り返しが結構あり、それゆえ自分にはなじんでおり、たとえそれが(経済や自由さにおいて)苦しいものであっても、精神的には楽しく、充実していたのではないかと思うところがあります。

そうした(大人になっても続けていく)学院形式は、悪く言えば現実逃避の部分もあったでしょう。修行生活と言っても、実生活で自ら働いて生活していくのとはまた別で、おそらく、寄付とかお布施とかもあって、稼ぐという行為は、托鉢的なものや半ボランティア的な行為、院による作物や食物の製造(西洋だとワインとかチーズ)などで、院生活のための収入を得るものになっていたかもしれず、いずれにしても、外の社会で働くのとは違っていたと考えられます。

私にはもともと現実逃避的な性質があります。(苦笑) それが先述したように、何かを学んでいる時と、その仲間との交流の時間は、自分の精神としては、現実を忘れるほどの喜びと楽しさを感じることがあり、そのため、今述べたような過去生データのスイッチが入るのではないかと推測している部分があるのです。

話を戻します。

タロットリーディングが、技術的にもまずかった当初の私ですが、ある時を境に、急に視界が開けたように、タロットが読めるようになりました。

いったい何が起こったのでしょうか?

それは、訓練を続けたことと、コツをつかんだということにあります。私の先生も述べていましたが、タロットリーディングは一種のアートなのです。日本語では、芸術というより、「芸事」の「芸」というのに近いでしょう。

芸事ですから、よほどの才能がある人とか、霊感的な特殊能力のある人(そのような人は、タロットを読むのではなく、自分の特殊能力でチャネリングすることが多いのですが)以外は、やはり師匠(先生)について学ぶほうがよく、しかもただ学ぶだけではなく、一人の時も、よく訓練しておく必要があります。

また師匠・先生に言われたことだけをするのではなく、自分なりに創意工夫し、常にリーディングの向上に努めることが求められます。思考だけしていても始まらず、人に見せる実践トレーニングも芸事には大事です。(カードで言うと「手品師」)

このあたりが普通の勉強とは違い、芸事の習得の特徴でもあるでしょう。何よりも、タロットという芸を愛している(好きである)ことが重要です。

一方で、芸やスポーツには、確かにセンスの問題というのもあるかもしれませんが、私自身はセンスはあるほうだとは言えず、普通だと思います。それよりも、「コツをつかむ」ということに集中してトレーニングすることです。

タロットリーディングが芸事であっても少々やっかいなのは、タロットの種類や展開の方法によっては、そのリーディング方法も異なってくることと、教える人の言うコツと、本人のつかむコツというのが合わないと言いますか、噛み合わないことがあるのです。

まあ、ほかの芸、たとえば踊りとかでも、流派があるように、タロットも一種の流派や流儀の違いがあります。

さらに、先述したように、教える方は、自分のコツを伝えようとしますが、それが人によってはコツとはならないことがあるのです。

従って、先生の言われる方法だけでは、本人としてのコツがつかめないこともあるわけです。ここが、自分なりの工夫がいるという理由なわけです。

それでも、あきらめないことが大事です。コップの水で例えれば、タロットの知識やリーディングの訓練が、次第に自分というコップの中に溜まっていき、いつかあふれ出す時が来ます。

私が急にタロットを読めるようになったのは、コツをつかもうとトレーニングしてきたことと、それらが一定の蓄積を超えて、リーディング脳とも言える、脳内や精神的内部のタロット的思考のネットワークがつながったからだと思っています。

それが突如、読める感覚となって現れます。いわばタロットリーディングにおける開眼みたいなものですが、それにはきちんとした蓄積があってのものなのです。(開眼にもレベルがあり、また次の段階で読めない(これまでのコツでは通用しない)状態が現れ、それを乗り越えて、さらに高度なリーディングに変容していきます、その繰り返しみたいなものです)

タロットとの会話と言いますか、タロットか好きで、タロットをさわっていると、向こうから語りかけてくような感覚も出ます。それらも、蓄積によって現れると言えます。

開眼する前にも、その過程では、「あっ、いい感じで読めている」という、コツをつかみかけるような時があります。その感覚を忘れないことですし、そうしたことが次第にたくさん起こるようになってくるとよいのです。

読めない時はがっかりしたり、自分にダメ出ししたりするかもしれませんが、多くの生徒さんは、できないことにフォーカスしがちで、できていることに意外に無関心なのです。

自分ひとりでトレーニングしていても、比較の意味でわからないことがありますから、やはりタロットを学習する仲間とか、友人とタロットリーディングをし合ったり、勉強会などか開催されると参加したりして、自分ができていること、読めていることを人から評価してもらう機会を作るのもよいでしょう。(当然、できていない部分も見えますが、そこは落ち込まず、冷静に受け止めて、向上させればよいのです)

あと、なるべく具体的な目標も大切で、例えば「いついつのイベントまでには、出演できるよう、読めるようにしておく」という決意と実行が、具体的目標・節目となって、現実に作用しやすくなります。

ほかにも、他人リーディングの修行ということで、一か月何人見るとか、合計〇〇名の人をリーディングするというような目標を立てて、実行していくのもよいでしょう。

ただし、この数稽古形式は、慣れとかコツをつかむきっかけになることもある反面、数さえ満たせばうまくなると思って、検証や理論なしで、ただがむしゃらにやり続けても、ますます混乱を来したり、変な固定的な読みの癖がついたりする恐れがあるので(リーディングが占いレベルオンリーになりがち)、注意が必要です。(「手品師」や「皇帝」だけはなく、「斎王」や「女帝」も必要だとマルセイユタロットでは例えられます)

プロでやっている人でも読みづらいこともありますし、うまく行かないこともあるのですから、反省はしてもダメ出しはせず、コツをつかんで自信をつけ、よきリーダーになっていただきたいと思っています。

あなたのタロットリーディングによって、救われる人もいるのです。


タロットリーディングの二方向性

タロットリーディング、タロットを読む方法、そのアプローチの仕方というものは、かなりたくさんあると考えられます。

絵から直感的に読むもの、絵を何か現実のものにあてはめて読むもの、タロットの(象徴的)システムや体系から読むもの、タロットの意味から読むものなど、様々です。

最初は教えられる先生や学ぶ本、動画などからの、いわば教科書的・共通的なリーディング方法を取り入れますが、次第に個性的なものと言いますか、自分らしい読み方に固まってくるものです。(固まり過ぎても問題ではありますが・・・)

まあしかし、最初に教えられる先生、初めに学ぶ元となる教材からの影響はかなり大きく、たとえあとで先生を変えても、その影響は自分の個性的な読み方を形成していく(形成される)うえでも、核となって残っていると感じます。まるで生まれたばかりのひなが、最初に見たものを親やモデルとするかのようです。

それはともかくとしまして、今日の話題は、タロットリーディングにおいて、大きく分けるとふたつの方向性があり、その、普段は気づきにくい、もうひとつの種類の読み方があるということと、それを意識してみるのもよいのではないかという提案です。

普通私たちが行っているタロットリーディングは、最初にも述べましたが、あくまでタロットを自分がどう見るのか、見えるのかという、自分側が中心のスタンスです。

直感的であるにしろ、論理的であるにしろ、対象としてのタロットカードがあり、それを自分が見ているという方向性のものです。

しかし物事の見方は少なくとも二方向、いや、本当はもっと多様なものがあると考えられます。

つまり、タロットとタロットリーダーの関係で言いますと、少なくとも、もうひとつ、タロット側を中心にした視点があるということです。

タロット側の視点とは何か?と考えた場合、これもいろいろな意見はあるかもしれませんが、私は、これがいわゆるタロットの精霊とのコンタクト的なリーディングになるのではないかと推測しました。

ちょっとサイキックや霊的な世界、技法的には西洋魔法的なタロットとの関わり方やタロットリーディングの方法の感覚に近いと思います。

あえて簡単に表現すれば、タロットの精霊が私たちに語りかける、情報を教えてくれるみたいな感じでしょうか。

ということは、タロットリーダーがタロットを見てどう思う、どう見るというのではなく、反転して、タロットが私たちをどう見る、どう思う(笑)みたいなものになります。

これと少し似ているのが、タロット的な象徴や意味から問題を見てみる、捉えてみるという、リビジョン的なタロットリーディングです。

この場合、例えば、「戦車」というカードが出れば、問題を「戦車」のカードの意味に当てはめるて解釈したり、リーダーの見え方で考察したりするのではなく、その問題は「戦車」の視点を必要としている、「戦車」がその問題を扱う、という逆の発想になります。

書いただけ(文章から)では、違いがわかりづらいかもしれませんが、要するに、自分が中心となるよりも、タロットの象徴や枠組が中心になるという発想です。

しかし、このリビジョン的な見方と、タロットの精霊とのコンタクトによるリーディングとでは、タロット側が中心の立場としては同じようでいて、厳密には違うものだと思います。

これも言葉では説明しづらいのですが、タロットの精霊とのリーディングということになれば、タロットの世界に自分が入り混むと言いますか、タロットと一体となって読むみたいな感覚となるでしょう。

例えるならば、自分が中心のタロットリーディングは、昼間の顕在意識が強い私たちの意識の世界、タロットの精霊関係のリーディングは、夜、寝ていて夢を見ている潜在(別の)意識も含む状態の意識の世界みたいなものでしょうか。

ゆえに、後者は、論理性や常識的な因果性が少なく、通常感覚での説得力に欠ける場合もあったり、理解しづらいところもあったりするでしょう。

しかしながら、タロットというものをあくまで、絵のついたカード(モノ・対象物)として、それを自分が見ているという感覚だけで続けていると、タロットの物理的(三次元的)な枠組から出ることができず、当たり前のリーディングや、現実的・現世的な意味での吉凶解釈のリーディングになりがちだと思います。

大アルカナのカードでいえば、こうした精霊的、タロット中心的なアプローチの象徴は、「月」のカードにあると私は見ています。このカードこそが、タロットリーディングの意味において、最も奥義を持つものではないかと想像しています。

月には二匹の犬のような動物、さらには、奥にはふたつの塔、それらが微妙にずれながらパラレルに描写されつつ、水たまりには第三者的なザリガニがいます。

さらに、月自体、顔をもって描かれ、月そのものから視線を受けている構造が見えます。いわば、私たちが月を見ているのではなく、月が私たちを見ているのです。

実際の天体としての月を見ている時(あるいは見ていない時のほうが強いかもですが)、皆さんの中にも、月から見られている感覚を得たことのある人がいらっしゃるのではないでしょうか。

元に戻りますと、タロットの精霊の住む世界や、この通常次元とは異なるタロットの世界があると思うような一種のメルヘン的な想像が、実はこの三次元認識の世界観を壊し、新たな世界に飛翔するためのヒントになることでもあると感じられます。

ただし、あくまで、現実(三次元)意識も保ちながらというのが重要で、完全にあちらの世界に浸かってしまうような感覚だと、これはこれで幻想空間にいるようなもので、問題となるでしょう。(自分が支配されるかのようになります、ルシファー的な悪にとらわれます)

錬金術の言葉でははありませんが、「解体(分離)して統合せよ」というように、タロットリーディングにおいても、タロットを見て自分が読む意識と、タロットから問いかけられている、タロットがささやく(攻殻機動隊の「ゴーストのささやき」を思い出します)、タロットがこちらを見ているといような、あちら側からのものの意識とのふたつを分離しつつ、共同作業にすると、本当に統合されたリーディングができるのかもしれません。

最初にも述べたように、タロットリーディングは個性的な読み方に結局はなっていきますが、その中でも、二つの方向性の読み方を意識しておくと、普遍的なもの(全体的なもの)に近づけたり、修正したりできるのではないかと思いますので、覚えておくとよいでしょう。


タロットと三か月の期間

初級、基礎の段階のタロット講義において、よく受ける質問のひとつが、タロット占いやタロットリーディングの期間効力についてです。

裏を返せば、「タロットはどれくらいの期間を想定して占えるのか、リーディングできるのか」ということになります。

これには、一般的には(何をもって一般的なのかは難しいのですが(^^;)、タロットの世界でよく言われている説という意味にします)、三か月の期間だと言われます。

タロットを習う生徒さんにも、そういう話はすでに誰かに聞いているのか、「タロットは三か月しか占えないんですよね」とか、「三か月はこのまま(出たカードの内容)なんですよね」と話す方もおられます。

これについては、私自身は、三か月というのには、ある条件があってそう考えるのが適当としています。

つまり、逆を言えば、三か月がタロット(リーディング)の有効期間とは限らないという立場でもあります。(また同じ質問は、三か月経過しないとしてはならないという立場とも違います)

このブログを読まれている皆さんは、タロットに興味があっての人が多いでしょうから、その皆さんにもお聞きしますが、ではなぜ、一般的に三か月という期間が言われているのでしょうか?

タロットの学習に限らず、ただ機械的に、「そう言われているから」とか、「そう習ったから」とか、「みんながそう言っているから」という姿勢で、何も考えず、疑問も持たずに、そのまま暗記するような態度は問題と言えます。

なぜなのだろう?と思えば、自分で調べたり、教えてもらっている先生に聞いたりすることで、より納得もできますし、知識も広がりと深みが増します。(しかし先生は場合によっては質問について、懇切丁寧に全部教えることはかえって生徒さんの成長の妨げと考えて、わざとヒントしか教えないこともあります)

ですから、タロットの有効期間についても、三か月ということを鵜呑みにせず、自分で考えてみるとよいでしょう。

一応、私の見解をここで今から述べますが、それはあくまで私の考えであり、正しいか間違いで見るものではないと思ってください。

先生や本、色々な人からの意見は参考にしつつ、最終的には自分で考え、判断を下し、そして実際に活用していくことに意味があるものです。

さて、タロットの有効期間三か月説ですが、これは、おそらく人の意識が関係していると考えられます。

コンサル系のブログタイトルなどでも、一時期流行りましたが、皆さんも「90日で〇〇できる」とか「90日で結果を出す」とか見たことがあると思います。

そう、90日はおよそ三か月です。

この期間こそ、私たちが何かをしようとか、変えようとか、やってみようと新しく望む時の意識継続時間と言えるのです。

もっと言えば、これくらいの期間において、あることを強く意識し続けると、思考や感情のパターンに刻印され、習慣化したり、実現に向けて意識がそれに変わってきたりするのです。

これには、占星術的な話にもなるのてすが、惑星の回転や周期と、私たちの人間の意識がリンクしていたり、関係していたりする前提で見ておくと、その理由がなんとなくわかると思います。(ここでは詳しくは述べません)

90日、三か月というのは、単数の数で言えば「」が基本になっています。この3が、また意識と関係しているのですが、現実性においては、もうひとつ数が加わる「4」の象徴性が必要で、そのため、90日、三か月というのは、現実というより、イメージや意識のうえで効力が働く期間だと言えるのです。

翻ってタロットを見た場合、タロットは絵柄でできている象徴のカードです。それはイメージや見えない世界、意識や心の部分で強く働き(印象を残し)、影響を与えます。

たとえタロット占い師やタロットリーダーから言葉で何かを言われたとしても、絵としてのカードを見ているわけですから、言葉とともに絵の効果で、クライアントの心に響きます。

そして、タロットを受けた人は、90日程度、タロットで出たものを(無意識も含めて)意識し、イメージの世界にそれを置くようになります。

こうして、タロット占い、タロットリーディングで出た内容が、私たちの意識に三か月程度影響するという話になってきたのだと推測されます。(タロット占いで、経験側的に、三か月の効力期間を感じ、それが法則化されたということもあり得ます)

しかし、この考えに立てば、タロットのことをどれだけ意識と無意識のうえで、刻印するか、されるかの程度によって、三か月の期間効力はあやふやなものにもなります。

強く影響されれば、もっと長期の場合もあるでしょうし、タロットカードをほとんど意識しない、または当たらないとか、迷信の類としてまったく意識的にスルーした(される)場合は、三か月はおろか、一日すら効果がないかもしれません。

また、タロットが意識に影響するという見方ではなく、逆にタロットが意識の何かしらを表すという、方向性を反対にして見ることも可能です。

ただその場合でも、あることを人が(同じように)意識するスパンが90日、三か月だとすると、その三か月以内の意識の状態をタロットが表していると見て、結局、三か月の効力説に行き着きます。

人の意識とタロットの象徴性がリンクする、リンクさせるとすると、タロットで見てみたいと思う期間やスパンの違いによって、タロットはそれぞれの象徴性を示すことも考えられます。

つまり、今年とか来年の象徴として、一年スパンもあり得ますし、明日の状態は?という一日単位のこともありうるわけです。

簡単に言えば、質問によって、タロットはいかようにでも象徴性の期間を変えることができますし、それはまた人の意識(設定)次第だということです。

しかし先ほど述べたように、三か月説にも根拠があり、それは一年のスパンでいうと四半期、春夏秋冬の季節の巡りにも相当します。

これはいわば、3という数と4という数の共同作業であり、イメージや(無)意識、心の世界、あるいは理想や計画上の世界を、現実・形の世界に落とし込んだり、実際に効力と影響を及ぼしたりする仕組みでもあるのです。

タロットを展開する時、それは三か月スパンの私たちの意識や、見えない世界の運勢、予想の投影や象徴として受動的に見るか、三か月にわたるこれからの意識改革の期間として能動的に見るかは、占いか創造的にリーディングするかの違いでもありますが、やはり、90日・三か月とタロットの象徴の示すものは、私たちの意識と関係が深いと言えます。

三か月のスパンに相性がよいスプレッドは、そのままズバリ、三枚のスリーカードを基本とするものでしょう。

三枚を引いて、一枚ずつがひと月分を表すと見てもいいですし、改変(創造)や切り替えのシンボルとして、三か月間の目標とするものと見たり、行動するパターンとか、会ったり、話したりする人の像が出ていると見たりしてもよいでしょう。

タロットと宇宙、人との関連を入れ子構造的に考察するのなら、たった一枚のカードの中にも、自分の一年、数か月、一日というミクロ方向から、逆の、一生や惑星・恒星の周期の壮大なものにまでマクロ的に広げることも可能でしょう。

一説では、例えば、大アルカナ22枚のひとつが、500年から1000年を示すというものさえあります。

それは、先ほども述べたように、宇宙が入れ子構造、ホロン構造的に、ある種の同じ型やパターン、法則性でもって貫かれているからです。

タロットと期間の、皆さんの考察の参考になれば幸いです。


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