リーディング技術・内容

タロット展開での未来

以前は、タロットリーディングにおける過去の重要性(過去を読むことの大切さ)を何度か強調してきました。

それは、タロットの使い方において、占いではなく、主として心理部分や、自分の思っているストーリー(思い込みや信念)にフォーカスして、リーディングする技法を用いるからです。

そうすることで、現実(具体、事象、実際のこと)と心(自覚している意識と、無自覚な意識の部分)を調整、調和させ、結果的(段階)に霊的(統合的)な成長や発展につなけていくという仕組みがあります。

しかし、私たちの時系列は、過去・現在・未来と、三つの枠でとらえるものです。

本当は、現在、この時の瞬間〃しかないと言われるように、現在がもっともポイントとなるのかもしれませんし、未来という時系列の方向性があり、未来をタロットでリーディングすることの意味も考える必要があるでしょう。

果たして、時系列的に見て、タロット展開での未来パートは、何を示し、どう解釈すればよいのでしょうか?

あくまで「タロット占い」として見れば、それは、今後起こる事象的可能性であると考えますよね。平たくいえば、これから起こること、このまま時間が進めば、どうなるかを示している内容です。

では、占いとしてではなく、そのほかに未来のパートについて、考えられことはあるのでしょうか?

これも、過去の時と同じように、心理的に見ていけば、新たな視点が出てきます。

すなわち、未来に対する(クライアントの)心理、心の内が出ていると見ることができます。

それは、ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあるでしょう。

それをどう判断するのかは、実際の相談場面におけるクライアントの反応、過去や現在のカード内容などからわかることもあれば、タロットの展開方法(規則)に従ったカードの出方によってわかることもあるでしょう。

後者(カード展開規則によるもの)は、例えば、カードの正逆によって、問題かそうでないかを判断するみたいなことです。

いずれにしても、未来に対するイメージを見て、あまりにネガティブに想像していたり、逆に、現在や過去に問題が残っているのに、放置した状態で、ひたすら無理矢理ポジティブにしようとしたりしている状態をバランス調整して、未来を真っ当なイメージに変えていく作業があるのです。

すなわち、これは未来の想像でありつつ、創造に関わるわけです。

ほかにも、考え方によっては、未来のカードが理想や、なりたい状態を示していると見たり、タロットが示唆する未来の対処法や解決策として見たりすることもあります。

さらには、これからの選択肢として、未来のカード(複数出た場合)を想定することもあります。

すると、未来に起こることを予想する「占い」に近いものになるように思われるでしょうが、確かに、タロットリーディングにおいても、そういう未来事象の予測としての部分がまったくないわけではありません。

しかし、違いは、時系列をきっちり分けて読むのではなく、心理的、あるいは無自覚的な意識の層では、時系列の流れは一方向ではなく、同時に存在していたり、逆方向の流れも考えることができる(読む)ということです。

言い方を換えれば、私たちは、心の中では、過去へも未来にも飛べることができ、いつでも三つの時系列の塊が同居しているようなものと言え、その関連性をもってリーディングするのです。

ですから、すべての時系列は(一方向的だけではなく)関係しており、未来を読むことは、現在や過去にも当然つながっていくわけで、その逆もまたあるのです。

パラレルワールド(平行世界観)的に考えれば、未来のカードが示すものは、カードの数、またはカードの象徴性の数だけ存在する可能性として見ることもでき、どの世界のスートリーを選択したいかは、自分・クライアント次第とも言えます。

それでも、タロットが見せる、あなたに提案する、タロット的に言えばよいストーリー(世界)があると考えます。

ほかの言い方をすれば、タロットを象徴として、自分の中にある「いろいろな平行世界」を、タロットとタロットリーダーの協力のもとに、自分が総合的に見て選択するというようなものです。

さらに難しいことを言うと、タロット的によいストーリーというのも、ひとつとは限らず、どのレベルや次元に重きを置くかによって、答えも変わってくるのです。(マルセイユタロットの、ある伝統の場合、どのレベルが今重要かということは、タロットそのものの出方と、細かな象徴の確認によって判明することがあります)

とにかく、少なくとも、「未来は現象・実際としてこうなります」と決めてしまう読みにこだわるのは偏狭だと思います。

そういう読みは、むしろ、人によっては制限や縛りをかけたり、不安や恐れを助長させる結果となってしまい、ある意味、選択可能であった人の運命のレールを、ひとつに決めてしまうことにもなりかねません。

それでも、ネガティブな思い込みや予想に偏りがちな人の思念を切り替えるため、あえて、よいと思われる(そのように出た未来のカードを占い的に読んで)未来予想を告げることで、ネガティブな部分を浄化(変化)させていくこともできる場合があります。

喜び、嬉しさ、ワクワク、ハッピー感は、一瞬で、場や自分(クライアント)の気分・思いを変化させることもあるからです。

ただ、ぬか喜びをさせたり、本当(本質)の問題が未処理のままだったりすると、その喜びもすぐ消えて、また問題意識や不安・恐れが出てきますし、現実に起こることも、自分で創造していくところがありますから、元の木阿弥になることが考えられます。

その面では、占いの未来予測も慎重にしないといけないこともあるかもしれません。

けれども、しっかりした占い師さんの場合は、カウンセラーとしての能力もありますので、怖い未来や、万歳・棚ぼた未来をただ見せるだけには終わらないのが普通でしょう。自分の心理や行動の影響も、ちゃんと言ってくれるはずです。そのうえで運勢的な示唆も与えてくれるものです。

タロット展開の未来パートも、なかなか奥深く、面白いものです。


自分の願望のカードが出ると思っている人に。

タロットリーディングやタロット占いを行う場合、相談者(クライアント)側がカードを選ぶにしろ、タロットリーダー側がタロットを引くにしろ、どちらにしても、タロットをシャッフルして(くって)、偶然にカードを出します。

それを相談者(クライアント)の問題や課題、話す内容に照らし合わせて、象徴的に解釈を行って、相談者に気づきを与えるのが「タロットリーディング」であり、よい未来や選択の判断、運勢や具体的なことを当てていく、見ていくのが「タロット占い」だと言えます。

この時、タロットリーダーではなく、クライアントがカードを引く場合、こういう疑問を投げかける方もいます。

引いたタロットカードは、クライアント(自分)の希望するカードが出ているのではないかと。

実際に、何人かの人は、自分の思うカードが出ることが結構あると聞くことがあります。これは裏を返せば、その人にとっては、自分の希望したカードが出るに等しい感覚になると言ってもいいでしょう。

では、希望するカードを出すという芸当は、もしかすると、訓練すればできるのではないかと考える人もいるかもしれません。

私は生徒さんの勉強会やイベントで、カード当てゲームをすることがあります。

この目的は、いつと違った感覚でカードと親しんでもらうことや、直感力をあげることなどがありますが、一回くらいのゲームでは、なかなか皆さん、どのカードが出るのかを当てるのは難しいのが実状です。

それでも、その日、直感がさえている人は、結構当てる人もいたり、ちょっとしたきっかけで、それまでまった当てられなかった人が、当てられるようになったりするケースもあります。

サイコロも、強く念じれば希望する目を平均値以上に出すことが可能と言われています。(まあ、結局、たくさんの回数ふっていくと、平均値に収まると言われますが)

「一念岩をも通す」ということわざがある通り、何らかの強い思念は、実態・現象に影響を及ぼすこともあるかもしれませんし、スピリチュアルな世界では、強いイメージや想念が現実を引き寄せるという考えもあります。

もし、全部ではなくても、ある程度、自分の希望するカードが思いだけで出せてしまうのであれば、偶然出たタロットカードをもとにするタロットリーディングや占いは、そもそも成立しないのではないかと考えられる部分もあります。

ここで、占いとリーディングの違いを、再度見ることにより、この問題は、「占い」では問題になるけれども、「リーディング」においては、必ずしも問題とはならないことを説明したいと思います。

最初のほうに、タロット占いとタロットリーディングの違いを述べました。それをもう一度、上の文章に戻って読み直してください。

「タロット占い」では、出たカードは、未来予測や選択、現状の良し悪しの判断の根拠になる重要なものになります。もしこれが、クライアントの強い念で、その人の希望するカードを出していたということになりますと、それは占い(占うため)のカードではなくて、その人の希望がただ出ただけに過ぎないものとなります。

占い師が「あなたの未来はこうなると、カードに出ています」と答えても、クライアントの願望を言ったのと、実体は変わらなくなります。

もし、クライアントが自分の希望するカードをイメージしていても、あくまで偶然出たのだという認識であれば、まだ「占い」としての余地はあるかもしれませんが、クライアント自身がすでに予見していたかのごとく、「ああ、やっぱり私の希望したカードが出た」ということであれば、これは、占いをしていると言えるかどうかは難しいと思います。

翻って、「タロットリーディング」の場合はどうでしょうか。

タロットリーディングも、やり方自体は、タロット占いとあまり変わりありませんし、偶然出たカードというものが根拠になるのも同じです。

しかし、カードに対する解釈や扱いが占いとは異なります。

出たカードはあくまで、クライアント当人にとっての「象徴」であり、極端なことを言えば、質問の具体性を超越し、クライアント自身の今の状態を全体(でありながら個別も)象徴していると考えます。

ですから、仮に、クライアントが強い念をもって、自分の希望するカードを出したとしても、その一連のことが、すでに象徴であり、すなわち、このクライアントにとって、その希望するカードそのものが、非常に重要な象徴的意味合い(具体性や現実で起こることを意味するようなものではないこと)をなしていると言えるのです。

要は、希望する・しないに関わらず、出したカードを象徴として検討することに意味があると見るのです。

自分(クライアント)が強く希望しているカードであり、それが当人も自覚しているのならば、そのカードはかえって、本人を見る(自分を見つめる)上で、強烈な意味を持つことになります。

言ってみれば、わざわざシャッフルしなくても、もともとそのカードを強く意識しているのなら、タロットリーディングの場合において、偶然出す必要もないくらいです。

例えば「戦車」を出したいと思っていて、それが出せるくらいの人ならば、もう最初から「戦車」を出しておいて、「戦車」というカードから、クライアント自身を見つめ直す、問い直すということをしてみればよいのです。

ですから、クライアントの希望するカードがたとえ出たとしても、リーディング(タロットを使った対人援助)という観点や方法では、必ず問題になるというわけではないのです。

さらに、それでも、タロット占いやタロットリーディングにおいての偶然性を出したい場合は、タロット占い師、タロットリーダー側が、なるべくフラットな気持ち・状態を保って、カードをくったり、シャッフルしたりしてカードを引くことで、相手の念が入らないカードを出すことが可能になります。

それでも、能力者ばりに(笑)、タロットリーダーがシャッフルしているカードを念操作して、タロットリーダーに自分の希望するカードを出させるほどの人は、もう占いやリーディングするより、自分で思い描くイメージ、想念でもって、願望実現したり、人生をいい方向にコントールしたりできるはずですから、それをトレーニングしたほうがいいでしょう。

それほどまでではないにしても、自分がタロットを引くと、いつも思っているカードが出てしまって、偶然性の中の必然性のシンクロニシティやインパクトが感じられないという人は、タロットをイメージやビジョンのトレーニングツールとして活用することをお勧めします。

自分が成し遂げたいことを、タロットに投影して、そのカードを出せる自分と、現実に成し遂げたいことが現実化できるという確信とを、リンクさせていくわけです。

カートをシャッフルして引くのではなく、最初から願望実現や目標のための、設定装置・イメージやビジョンの強化装置として使うという感じですね。

このようなタイプの人は、サイキックな力も強いので、いろいろとサイキック的な力の影響とコントロールも、人によっては難しいこともあるかもしれませんので、サイキックにおける師匠のような人を持つとよいかもしれません。

タロットにおいても、魔術(西洋魔法)的な分野が合っている可能性もあります。(しかし、よい指導者や組織と出会えるかはあなたの縁次第でしょうし、能力や力を欲しての、安易にサイキックや魔法の世界に入るのは危険です。またそういう目的では、学ぶことは認めてくれないでしょう。黒魔術の世界は別とししても)

ちょっと横道にそれましたが、自分の願望でタロットが出てしまうと思うような人は、まずはタロットリーダーや、占い師側にカードを引いてもらうことで、少しは和らぐ思いますので、そうしてみるとよいでしょう。

あとは、早く、占いレベルのタロット扱いを脱却することですね。


タロットの時系列リーディング 過去

タロットの展開法では、時系列、特に過去・現在・未来を、出すカードの位置で決めている場合がよくあります。

例えば、スリーカード、三枚引きの技法では、単純に見て、向かって左のカードが過去、真ん中が現在、右が未来を示す(象徴する)カードだという具合です。

この時系列の方向性も、なぜ左が過去で右が未来なのか、考えてみると面白いのですが、残念ながら、カード単体と全体も含めて、その方向性に統一性があるシステムを持つカードは少ないかなと思っています。

その点、マルセイユタロットは、左と右の方向性には時系列的な意味合いもあるので、展開法においても、左側から右側にかけて時系列が進むと考えるのも妥当になります。

さて、こうしたタロットの時系列展開で、よく質問があるのは、「過去のカードの意味は何か?」「そもそも過去のカードは引く必要がないのではないか?」というものです。

過去はもうすでに終わったことであり、今更、カードを引いて読んだところで、何の意味があるのかというニュアンスですね。

これは、いわゆる「タロット占い」の観点であれば、そうかもしれません。

占いの質問では、クライアントの焦点・関心は、現在のことから未来にかけてが大半だからです。

占いの場合、だいたいにおいて、今の問題や悩みごと、迷いがあり、それを未来にはよくしたい、自分の思い通りにしたい、よい運勢の方向・選択を(未来においてなるように)選びたいという気持ちで、タロット占いを求める・行うからです。そこに過去への関心はほぼありません。

もし占いで、過去のカードに意味をもたせるとするならば、今までの選択パターンを見たり、占い師がクライアントの過去を当てて、その占いに信頼や神秘性をクライアントに抱かせたりする効果があるというものでしょうか。

ですから、クライアントにとってというより、占いの場合、当たることで評価が意識されるものは、過去のカードの読みは、占い師にとって重要(自身の力量か試される試験紙のようなもの)と言えるかもしれません。

しかし、占いというより、心理的なリーディングということになってきますと、がぜん、過去のカードは重要な意味を持ってきます。

占いの場合でも、過去のカードに、クライアント(質問者)のパターンを読むことがあるとは言いました。

そのパターンが、意外にもクライアント本人には、気がついていないケースもあるのです。

いつも同じような恋愛をしている、似たような恋人を選んで別れているとか、困難や苦痛の場面に遭遇すると、同じ反応をしていた・・・など、自分では盲点になっていて、改めて指摘されると驚くことがあります。

また同じパターンに気がついていても、それに意味が特にあるとは思っていないとか、隠したい、人には言いたくない部分であるとかの場合もあります。

そうした、自分のある種の反応・行動パターンを、過去のカードが表していると読み、それに気づいてもらって、現在以降に活かしてもらうことができます。

ほかにも、過去のカードを出してリーディングすることにおいて、とてもたくさんの意味があります。それらは私の講義で説明しております。

しかしながら、展開法(スプレッド)によっては、過去のカードはあまり枚数を出さないことのほうが多い気がします。それはやはり、タロットとその展開法が、占いとして開発・発達してきたところが大きいからと考えられます。先述したように、占いだと、現在から未来にかけて焦点が向くからです。

たとえ過去を読むことに意味があると認識したところで、上記で述べたように、展開法自体が過去のカードの枚数が一枚とか、二枚とかの少ない状態では、あまり詳しく見ることができないのも事実です。

心理的なリーディングをするには、それでは少し物足りないと言えます。

ですから、オリジナルな展開法でもよいので、もし心理的な意味でタロットを使おうとするのなら、過去を象徴するカードを、ある程度枚数を出すようにしてみてもよいかもしれません。

そして、このことが、今日一番言いたいことであるのですが、過去をリーディングすることによって、クライアントの人生、エネルギーに変化が出ることがあるのです。

それは、クライアント自身が、過去を受け入れることの、サポートができるからです。

ただ、過去を受け入れると言っても、誰かを赦さなければならないとか、自分の過去を称賛したり、感謝したりしなければならないということではありません。(そうできても、よいですが)

ただありのままに、自分の過去の、特にその時の抱いた感情を受け入れるということです。怒りや憎しみ、つらさ、悲しさ、寂しさ、悔しさ、反対に、嬉しさ、喜び、期待感、ワクワク感など、思い出していただくわけです。

過去となってきますと、やはり、親・兄弟・姉妹・家族との記憶、問題がどうしても出ることが多くなりますし、これまでの仕事や恋愛、人間関係においてのインパクトのあるシーンなどが印象としても出て来るでしょう。

それらが、今に全く影響を及ぼしていない人はほとんどいないのではないでしょうか。

過去としての事象は終わったことであっても、心の中の時間では続いているわけです。それが自分ではわからない状態か、認められない状態、逆に気にし過ぎて、葛藤や心理的苦痛・トラウマなどになっている状態、これらが現在の生きづらさ・問題として現れていることが少なくないのです。

過去のカードによって、隠れていたもうひつの時間の流れ、いや停止している時間(そこに過去の感情が貼りつき、固定されている)といってもいいものに入り、その時間を今の時間と同調させるように動かします。これは「運命の輪」の象徴性にも関係します。

過去の誰かや、何かを赦すのはあとでもいいですし、できなくてもいいと思います。

それでも、こうして現在まで生きてきた自分自身を認め、潜在的に止まっていた時間の中で感情を抱え続けていた、もう一人の自分、過去世界の自分を受け入れる(特に評価とか判断とかはしなくてもよく、どちらかと言えば、感情にフォーカスするほうがよいでしょう)のです。

たとえ受け入れられなくても、そうした自分がいたことを、もう一度発見してもらうだけでも、かなり癒しや浄化の面においても、違うことになります。

カードは絵なので、過去の実物の記録フィルム・映像を見せられるわけではありません。そこにも生々しくない(古傷をえぐるような痛さがない)緩和装置が働きますし、マルセイユタロットの図像の力そのものもあり、特殊な効果も期待できる部分があります。

私たちは、完璧な人間など、いません。

悩み苦しみ、迷う人は、ある意味善人であり、完璧や理想を追い求めるのが強いがゆえに、そうなっているとも言えます。

みんな、過去においては、恥部もあれば、間違いをした、失敗したと思ったこともあるはずです。それをいまさら正すこともできませんし、もし自分が害を被った側だとすれば、その気持ちを、無理やり愛や赦しに換えるようなことも難しいでしょう。

ここで言いたいのは、死後に行わわれるというものと近いことです。過去をただ改めて見て、「大変な人生(過去)だったなあ」とか、「あれはひどかった、苦しかった」「あの時は良かった」とか、そういう振り返りを過去カードによって行うというものです。

不思議なことに、それだけで、変容が起きる場合があるのです。その理由は、ここで書いたような、ふたつの時間のシンクロと流れが始まることや、感情の浄化などのことがあるかもしれませんが、ほかの理由もあるでしょう。

過去のエネルギーが戻れば、私たちは心理的に、今と未来に向かって、もっと積極的に、前向きに生きていけるものに変わっていくのです。

占いで、「未来によいことがある」と言われれば嬉しいのはわかりますが、過去のことが置き去りにされたり、抑圧されたりしていると、そのよき未来さえも引き寄せることができない(自分で自分の運命のを変えてしまう、言い換えれば、たくさんの可能性の中から、過去の苦しいエネルギーに引き合うものを選択する)こともあるわけです。

ですから、過去のカードを出すこと、リーディングすることも、決して無駄ではなく、それどころか、人によっては大変重要な意味を持つのです。


タロットの儀式について

タロットを引いたり、展開したりする時、流派や教える先生・学校によってそれぞれだと思いますが、大別すると、ある儀式を行うか、特に何もせず、シャッフルやカッティングに入るかということになるでしょう。

つまり、タロットを引く前に儀式をするかどうかという点です。

また儀式をするのは、あくまでタロットリーダーだけで、クライアント側は何もしない、参加しないというものと、タロットリーダーが中心とはなるものの、クライアントも一緒に儀式に参加してもらうという、ふたつにも分けられるかと思います。

私自身は、自分が習ったもの(形式)が、儀式ありのもので、クライアントも参加してもらう形式だったので、ずっとそれを続けていますし、講師になってからも教えています。

ただその儀式の意味は、それなりに考えないといけないと思います。

教えられたから漫然と続けているというのでは、それこそあまり“意味”がありません。

儀式を行う意味と、その行為・手順には、それなりの意味が込められていることが多いです。「多い」ということは、そうでないというか、そもそもの儀式行為の意味が忘れ去られて、形骸化している場合もあるからです。

タロットに限らず、ほかの儀式行為や伝統においても、ずっと続けて行ってはいるものの、本来、何のためにその行為をしたり、形を作ったりするのかという意味がわからなくなってしまったものも少なくありません。

私は大学時代、民俗学をやっていましたので、古くから続く伝統的な儀式が、無意味なものでないことは知っていますが、それでも調査してみると、もはや意味は失われ、ただの継続行為と化しているものもありましたし、時代とともに解釈や意味も変わってしまっていくものが結構あるように思いました。

ここで、意味がわからないから、やらなくていいとは一概には言えないと思います。

それはすでに意味がわからなくなっていたとしても、形や行為そのものに一種の力が宿るように工夫されている場合があり、今のやっている人には意味なく見えても、見る(わかる)人が見れば、そこにパワーや結界のようなものが働いていることがわかることがあるのです。

とはいえ、あまりに無意味になって、ただそこに心や魂が入らないものは、やめてしまってもいいものもあるかもしれません。途中から変わって、ずっと間違いを続けていることも、意味が失われていると、あるからです。

ですから、全体的に、もう少し、(伝統的な)儀式の本質を研究したり、知ったりすることは、一般においても重要なのではないかと思います。すると、本当に必要なものは続けられますし、そうでないものをやめられるきっかけにもなります。

その時、見たままのことだけではなく、例えば、儀式者が行う、手や足の動きによって形成される空間や形のようなもの、つまりは普通は見えない空間や形を、感性の部分まで想像性を行きわたらせ、そこから見えてくる景色をイメージすること、感じることが必要ではないかと考えます。

もちろん回数など「数」の意味も含め、知識的に、古代からの象徴性の学びも理解のうえでは必須でしょう。

さて、タロットに戻りますが、本当は儀式のひとつひとつに意味があると考えられるのですが、今の時代、さきほども言ったように、意味がそもそも、もう失われていたり、そこを知ろうとしたりする人も少なくなってきたので、儀式を詳細にしていくというのは、西洋魔法を厳密する魔法的(儀式魔法的)タロットを中心に行うもの以外は、特にこだわりはいらないのではないかと考えています。

逆に言うと、タロットに魔術的効果を求める場合は、きちんと行う必要があるということです。

タロットを心理次元(心の中の問題やデータの浄化、自己意識の投影としてカードを引いて整理していく方法)で扱う場合も、儀式はある程度、あったほうがよいと私は考えます。

その理由は、儀式が意識の切り替え装置になっているからです。

詳しくは講義で述べていますが、人は、日常と非日常の境目を、無意識のうちに、一日にも、また一年のサイクルにおいても、出入りして繰り返していますが、それを意識化すること(機会)が一般には少なく、ここが(精神的)混乱の要因のひとつにもなっていると考えられるからです。

しかし、一方で、楽しく、ちょっとタロットで占いでもしてみましょう、というレベルで行う時は、特別な儀式はなくてもよいかもしれません。それでも、自分の中でタロットをする、占いするという意識のスイッチをオンにしていくことは必要でしょう。

まあ慣れている人は、すぐに切り替えができるようになりますし、占い師さんだと、そもそも自分が占う場所自体が、非日常に設定されていることがほとんどですから、タロットを使う儀式自体は少なくても、場そのものがもはや儀式で聖別(非日常化)されていると言ってもいいでしょう。(聖別といっても、占い師さんによっては、必ずしも聖なるものによる場の浄化・設定ではないこともありますが・・・)

このように、タロットを並べたり、シャッフルしたりすることでの行為で儀式化するだけではなく、例えばクロスを敷いたり、その人(タロットリーダー)にとって、とても重要なアイテムを置いたりすることで、儀式を行うことと同じになっているものもあるのです。

もし、リーディングする部屋自体が、いつもの生活する場所と違っていれば、その部屋に入ることそのものが儀式になりますし、たとえ生活に使用する部屋であっても、やはり、何かタロットをする前に、特別なこと(浄めとか祈りなどの儀式)をすると、それが儀式として成立していく可能性があります。

普段儀式をする方は、一度、儀式を省いてやって、自分の読み方がどう変わるか、実験してみてもよいでしょう。反対に儀式をしない方は、儀式のようなことをしてみると、どうなるのか、味わってみるのもよいです。

人の意識の力は強いですから、儀式的な行為をしなくても、場とか自分の直感性・センサーは変えることができるでしょうが、何かのきっかけがあったほうが変わりやすいのも事実です。

見えない部分での意味は、実は皆さんが思っているより、かなり大きなものがあるのですが、それを信じる信じないも人の自由ですから、ここでは選択の自由として、タロットを引く前の儀式を行うかどうかの是非は問わないことにします。

ただ、ひとつだけ言っておくと、私たちは、一方向、あるいは、する方とされる方という能動受動行為を一方向側からしか、普通は見ませんが、される側がする側になり、する側がされる側にも同時になっている、同位的な見方を取り入れると、儀式をしているのは自分ではなく、タロットがさせていると見ることもあるのです。

その視点で行くと、儀式はどんな意味を持つのか、少しわかってくると思います。

しかしその反面、かしこまり過ぎて、タロットと仲良くなれないのでは、これまた問題ではありますね。

タロットは「愚者」に代表されるように、トランプでいえばジョーカー的な性質もありますから、まじめばかりでは、タロットたちも面白くないのだと思います。(苦笑)


タロットの読み方 4つの観点

このブログは、ひとつの読み物として見ていただいている方もいらっしゃると思いますが、「タロット」とか「マルセイユタロット」で検索されて、タロットの読み方とか意味を知る参考にしたいと思って、たどりつく方もおられるようです。

今日は、そういう後者の方のための記事になっているかもしれません。

紹介するのは、一枚の大アルカナを、四つの観点から読んでみましょうというものです。

やり方は、私のほうで、大アルカナを三枚引かせていただきます。(下の画像参照、もし画像が消えていたら、左、真ん中、右という位置で見てください)

そしてその一枚ずつについて、4つの観点から、意味やメッセージをシンプルに出してみるという方式を取ります。

せっかくですから、読者参加型としまして、上記画像で、三つの裏向きのカードがありますので、直感でどれか一枚選んでください。テーマ(問いの内容)は、ご自分で設定していただいてもいいですし、特に具体的になくてもいいです。

その後、下記の、選んだカードの項目を読んでいただければ結構です。

詳細な解説でありませんので(あとで説明しますが、紙上(ブログ上で)リーディングをすることが今回の目的ではありません)、深刻にならず、楽な気持ちで選び、読んでみてください。自分が選んだカード(三枚のうち一枚)が、何のカードだったのか(表)は、最後で言います。

まあ、タロットを少しでも知っている人ならば、内容から、たぶん推測できると思いますが。(苦笑)

 

●(向かって)左のカードを選んだ方

1の観点  焦り過ぎ、またはちょっと自信過剰のところもあるかも。

2の観点  自信をもつこと。積極的になり、とにかくやってみる。

3の観点  昇進や成功の可能性あり、物事か早く動き出しそう。

4の観点  悩むより、チャレンジすること自体に意味があるのでは?

 

●真ん中のカードを選んだ方

1の観点  執着、完了していないもの、ネガティブな思いがありそう。

2の観点  変化をおそれない、断ち切る、手放す、無駄を省く。

3の観点  関係は終了、先行きに不安、試練ののちによい変化。

4の観点  本当に大切なものは何か なぜそれを手放せないのか?

 

●(向かって)右のカードを選んだ方

1の観点  考えすぎ、発想や生活が平板、計画性の欠如。

2の観点  何かを作る、生み出す、ワクワクする企画を立てる。

3の観点  結婚や恋愛の期待、仕事やポジションの発展。

4の観点  貢献したり、補佐できたりすることは何か?

 

さて、いかがでしたでしょうか。

カードの回答(それぞれどのカードであったか)を発表しますと、左は「戦車」、真ん中は「(名前のない)13」、右は「女帝」でした。

もちろん、意味としては、上にあげた意外のものもたくさん出てきます。ここで書いたものは、非常に易しい読みというか、カードの典型的な意味に近いものです。(それぞれのカードで検索すれば、すぐ出てきそうな意味のようなもの)

では、4つの観点とは何か?です。

1はカードに問題性を見た場合の見方、2はカードから創造性や問題解決的な方策を得る見方、3は占いとして(どうなるか?的な)の見方、4はカードの象徴性、カードそのものになって自分を振り返るような(リビジョン的)見方です。

ここでは4つの観点を示しましたが、ほかの観点も当然あります。

このように、一枚のカードでも、観点、見方を変えれば、読みが違ってくるのです。これは別にカードを読むことだけに限らず、私たちのモノの見方、考え方でも言えることです。

例えば、いつもネガティブなこと、問題性ばかりを見つけようと思っていますと、何を見ても、何が起こっても問題ばかり目につきますし、その反対に、ポジティブや、どうすればいいかのような解決的思考(志向でもある)で見ていれば、そうした人生と生き方に(人から見てというより、自分が感じ、自分が思う自分の人生としては確実にそう)なってくるわけです。

ということは、タロットカードから出す意味やメッセージには、正解はないということになります。

どの視点て見ているのかということや、そこから出されるアイデアや発想、通常思考の転換、感情や心の捉え直し・潜在的なものの発見など、むしろそのプロセスとして、カードリーディングは重視・活用されると言っていいでしょう。

つまり、簡単に言えば、ひとつの答えや正解を出すこと(だけ)が、タロットリーディングの使命ではないということです。しかもその正解とは、結局人間が決めるもので、本当の意味では正解はないのです。

こう言ってしまうと、タロットをする意味とか意欲さえ失われる方も、中にはいらっしゃるかもしれません。

それは、タロットの本当の醍醐味を味わっていない、わかっていないからそうなるのです。また、「人生とは、正解(正しさ)や客観的成功を求めていくもの」と思い込んでいる人の場合もそうです。

究極的には正解はないというのは確かにそうなのですが、一方で世界観を厳密にすれば、その世界においての正解・不正解はありえます。ここもまた、タロットによって、検証することができます。

まずは、タロットを、カードの「手品師」の扱う手品道具のように見て、いろいろなことが考えられる楽しいツールのように思い、タロットを扱っていくことが第一歩です。だから「手品師」は「1」という数を持ちます。

そのうち、正解がないことが正解という面白さに目覚め、「皆が正しい、誰も間違いがない」という次元に行き着こうとする喜びの世界も見えてくるでしょう。


Top