リーディング技術・内容

タロットリーディングの力

今日はタロットリーディングの話です。

タロットリーディングには、いろいろな力(能力)が働きます。そして、それらの混合、バランス、さじ加減によって、その回の、または自分流のリーディングが形成されると言っていいでしょう。

いろいろな力とは何かと言えば、大きくわけて、3つの要素があります。

ひとつは、タロット自身の力。もうひとつは、自分(タロットリーダー)の力。さらには、環境(場・フィールド)の力です。

ちょっと「天」のニュアンスは違いますが、天・地・人の要素みたいなものでしょうか。

まず、タロットの力。これは、タロット自身に由来するもので、端的に言えば、タロットの種類による色分け、一種のエネルギーや質の違いと言えます。

サイキック的な言い方をすれば、それぞれのタロットの霊と、それが属する世界のようなものと表せます。おとぎ話風に例えれば、タロットには国があって、それぞれ違うみたいな感じです。

正直言いまして、タロットの力が、全部同じとは考えられません。やはり、強い力を持つものもあれば、さしたる影響(力)を持たないタロットもあると言えます。

さらに言えば、働きかける層やポイント(影響や効果が現れる性質)が、タロットの種類によって変わってくるところもあります。占いに向いているカードもあれば、ゲーム向けのもの、メンタルケアに向いているカードもあるということです。

相談・リーディングをするという意味においては、タロットの持つ力が強ければよいわけでもなく、それだけコントロールや使いこなしも難しくなり、やはりこれは自分との相性のようなものがあると思います。

次に、タロットリーダーの力です。

これは、技術や知識的なものから生まれる力と、もともとその人自身が持つ(超能力的な)力とがあると言えます。前者は学習し、訓練すれば向上しますが、後者は生来の素質のようなものなので、練習すれば身に付くというものでもありません。

誤解されやすいのが、道徳的な意味での人間性です。

必ずしも、いい人、まじめな人、道徳的に優れて人間性が高い人が、すばらしいリーディングをするとは限らないわけです。ただし、人徳と言われるように、「徳」の力というものも確かにありますので、それが力になることもあります。

それでも、タロットリーディングの場合は、一般的な意味での善悪や人間性の良し悪しにこだわっていては、純粋な意味でのフラットな見方ができないこともありますから、人間性の良さがリーディングの力になるとは言い切れないものがあるのです。

最後に、場の力があります。

タロットリーディングを実践的に行うようになった方ならばわかると思いますが、リーディングは結構環境に影響されやすいところがあります。

そもそもタロットリーディングは、通常の意識とは異なるものに移行して行われるところがあり、それには特定の儀式であったり、場の静寂性や清浄性を保つための工夫を必要としたりします。

あまりにも雑多で、人の声が飛び交うような場所で意識を集中させることは難しく、よいリーディングができるのは厳しいと言えます。また、サイキック的に強い不浄や念が残っている場所などもやりにくいでしょう。

ほかに、(周囲にある)モノによっても、タロット(リーディング)のエネルギーを乱される(介入してくる)ことがあり、非常にタロットが読みにくくなる場合があります。

具体的には、持ち主や売り主が意識を強く投影している宝石などの鉱物、ペンダント・指輪などの装飾品、サイキック的な護符のようなもの、結界陣、シンボル、強く念を注がれた人形類、スマホなど電磁波を強く感じさせるものなどです。

とはいえ、これも「人」の力によっては、あまり干渉させなくすることも可能ですし、気にならない人には何も問題ないこともあります。

何より、人の力が優れていれば、場を支配することもできるからです。支配と言うと、聞こえが悪いですが、要は場のコントロールです。これがリーディングにおいても、案外と大切なことでもあるのです。

ということで、最初に戻りますが、結局、タロットの力、タロットリーダーの力、場の力が混ざり合い、その人の総合的なリーディングとして表現されるわけです。

「和音」という言葉があるように、それぞれによっての調和がなければ、不協和音として響きますし、調和が保たれていれば、よいハーモニーを奏でることになるでしょう。

また、それぞれの力の強い弱いをカバーしあうことも可能です。

まあしかし、私自身が感じるのは、何よりも、現実に存在する人、つまりタロットリーダーの力が一番重要かと思います。

タロットリーダー(の力)がしっかりしていれば、おおむね、リーディングの力も強くなります。

それと、タロットとタロットリーダーの相性、関係性(ラポール)も力を発揮するうえでは重要でしょう。まさにお互いに相棒であり、相棒が信頼できなければ、よいリーディングはできません。

タロットとのラポールが相乗効果を生み、タロットとあなた(リーダー)から力を呼ぶ起こすのです。


タロットへの向き不向きと壁。

タロットの(タロットを読んだり、扱ったりする)才能や、タロットに対する向き不向きについて、受講生の間で話題になることがあります。

たいてい、皆さん、「私には才能がない」「タロットに向いていない」と言われるのですね。(笑)

まあ、自分自身で「自分は特別なタロットの才能がある」「自分はタロットに向いている」と言っている人は、ほとんど聞いたことがないですから、安心していただきたいと思います。たいていは、他人が言ってくれるものです。

そして、受講生でも、どういう時に「向いていない」とか、「才能がない」と嘆くのかと言えば、タロットリーディングの壁にぶつかった時リーディングがなかなかスムースに行かない時です。

普通に考えればわかりますが、何事においても、障壁や停滞もなく、スーと上達していくことはありません。

どんな天才の方でも、高みを目指すとなれば、一度は壁にぶつかったり、進化がないと思うことがあるはずです。

むしろ、壁に当たった時というのは、裏を返せば、今までその壁の存在・レベルさえ気づいていなかったわけですから、そこまで到達した証でもあるのです。

タロット、特にタロットリーディングにおいて、私の経験から言わせていただければ、リーディングが上達・進化・発展する際には、以下のようなことが現れやすいかと思います。

 

●壁や限界を感じる

これは先述の「壁」にぶち当たったように感じる状態です。ひどい時には、さきほど述べたように、「自分はタロットには向いていない」「やめよう」と思うこともあります。

しかし、これもすでに説明したように、その時点での知識と技術、感性に限界が見えた時であり、またこれまで積み重ねて来たものが開花したり、ブレイクしたりする直前状態とも言えます。言い換えれば、変容する前の停滞・準備です。タロットで言えば、「吊るし」の状態です。

ここで何とか踏みとどまり、苦しいけれども、タロット(リーディング)を継続していくことにブレイクのチャンスも訪れます。

また、この状態の人で、一時的にはタロットから離れてもよいこともあります。一種の気分転換・リセットをすることで、急にアイデアや覚醒が起こることもあるからです。精神が疲弊すると、その回復自体に時間を要しますので、思いきってタロットからしばらく離れてみるのも一案です。

 

●これまでのやり方が通じない、積み上げたものが崩壊した感じがする

この状態は、壁に当たるようなものよりも、さらに深いものです。言わば、大変革の前触れです。

壁に当たったと感じるものは、小さな段階別の障壁と言ってよく、これはこれで大変ではありますが、まだましなほうなのです。その段階でタロットから離れても、また戻ってくる可能性も高く、戻ってきたら、案外、またスムースに続けられる場合も多いのです。

しかし、この、「すべてが通じない」「もう終わり」「ガラガラと崩れてしまった・・・」という大きな衝撃を感じる状態の時は、とても強烈なものであり、完全にタロットから離れてしまう危険性が大です。タロットから離れるというより、自分自身や人生に対しての疑問や喪失という感じさえあります。

私は二度ほど、これを経験しております。もうこの時は、本当に大変でした。信頼していたものが何だったのか、自分のやってきたことは間違っていて、すべてが空しいと感じるほどでした。

何とか、この衝撃的体験、奈落に落ちるような境地を越えると、回復、いや回復というより、死からの再生(蘇生、新しい命が宿る)というイメージで復活します。タロットで言うと、「審判」でしょうか。

この時、ステージというものが明らかに変わり、リーディングは別物として、新たなものが出現します。一見、やっていることは同じでも、質が違うという状態です。これは実は、大きな喜びでもあります。

 

●困難なケースやクライアントが現れる

ボランティア、プロ問わず、他人に対して、本格的に相談・タロットリーディングをしていると、ある時、とても難しいケースのクライアントに出会うようになります。

こうした場合、普通に今までのタロットリーディングをしているだけではなかなかうまく行かず、途方に暮れるような状態にタロットリーダーがなります。

結局、うまくリーディングできず、自分のふがいなさや、クライアントに満足なものが提供できなかったことを悔やみます。それでも、自分はどうすれば良かったのかがわからない・・・と言った状態です。

これもひとつの壁に当たった状況と言えましょう。この場合は、特にクライアント側から知らせてもらえるという「お告げ」のような形です。「新しいリーデイングスタイル・レベルになる時ですよ」という意味とも考えられます。クライアントは、そのために現れたメッセンジャーとも言えます。

 

●直感と知識の間で葛藤が起きる

これは女性のタロットリーダーに多いのですが、タロットに対して、自分の直感性で得た情報と、学習して身につけた知識からの情報とが、自分の中で対立するかのように感じ、今まで読めていたものが、固まってしまったようになって、うまく読めなくなってしまうというケースがあります。

慣用的な言い方をすれば、右脳と左脳の対立、また、女性性と男性性との葛藤とも言えます。

女性はもともと巫女性と言いますか、直感が開かれている方が多く、むしろ、何も知識がなかった時のほうが、その直感力でタロットを感覚的に読み取っていた(情報をチャネリングしていた)のですが、知識が入ることで、左脳的な論理性や整合性を求めるようになり、それは、右脳的とも言える直感性での合理とは異なるものなので、対立してしまうようになるという仕組みです。

これとは逆に、本来ある直感力を封印していたり、閉じてしまっていたりして、男性的・論理的に生きてきた女性が、タロットと接することで、女性性や右脳的なものが開かれつつあることで、その過程でフリーズや葛藤を起こすという場合もあります。

男性の場合は、タロットの知識を得ることで左脳的な論理性を上げられるので、タロットを知識的に読むことができ、つまりは、男性としてはタロットに対して、とっかかりができやすく(アプローチがしやすく)なり、リーデイングがスムースになる場合があるのです。(しかし、やがてその読み方に限界が来ますが)

どちらにしても、自分の中の女性性・男性性の統合のテーマが、タロットリーディングを通して現れているとも言え、それぞれ、逆の性を受け入れつつも、何よりも、自分の性をもっと受容することで、この不協和音状態を克服していくことができるでしょう。やはり、これもひとつの「壁」です。

 

まあ、いろいろと壁や一時的な限界は、誰にでも訪れるものですが、タロットに向いている・向いていないで言えば、つまるところ、タロットが好きかどうかという点に尽きるのではないかと思います。

本当にタロットに向いていない人は、そもそもタロットに出会うこともなければ、たとえ出会っても、タロットを勉強しようと思ったり、使おうと思ったりはしないものです。

あなたがいまだタロットに関わっているのなら、それは向いている証拠です。

そして、あなたがタロットが好きなのであれば、必ずタロットはあなたに、タロット的な表現で、応えて(答えて)くれるものなのです。

 


今年のテーマでカードを引く場合

新年になって、タロットを持っている方は、今年のテーマとか、今年はどうなる?みたいな感じで、タロットを引く(展開する)ことがあると思います。

新年のタロット引きについては、いろいろな方法を使うことができるのですが、もっともシンプルな方法は、(大アルカナ)一枚だけカードを引くという「一枚引き」です。

一枚引きは、たった一枚にすべてが象徴されているという、実は高度な読みが必要なのですが、逆に、一枚の意味として、簡単(単純)に読むこともできるという不思議な方法なのです。

つまり、初心者ほどシンプルに読め、上級者ほど、複雑に見てわかりづらくなるという代物です。(笑) 

ですが、さらに極めていくと、知識と直感が融合した、明らかなメッセージの形として、強烈に伝わってくる情報があるのが瞬時にわかってきます。

と言っても、一枚では、やはり抽象的過ぎて漠然としたものになりがちです。

しかし、タロット(マルセイユタロット)はよくできており、一枚の抽象性を具体化する、言い換えれば、より現実の情報に変化させるためのカード群があります。

それが、小アルカナです。

小アルカナを使うことで、わかりづらかった大アルカナの一枚引きに、具体性を補強することができるのです。

さて、ここで、カード以外にも重要な要素があることを述べておきましょう。

それは質問(の形態)です。

タロットを引く時、どう質問するかによって、出たカードの読み方も変わるのです。

このことは意外に知られていませんが、タロットリーディングの初級・中級レベルにおいては極めて重要なことなのです。

ただし、それを超えたレベルになってきますと、質問は逆に意味をなさなくなり、究極的には、タロットへの質問はいらなくなります。引いたカードが、すなわち象徴ですので、反対に、展開されたカードから質問を絞っていくようになるのです。

さて、その質問ですが、簡単に、質問によって違いが出る例を示しましょう。

新年に切り替わった今の時期なら、最初にも述べたように、今年(一年)をテーマにしたことをタロットで見てみたい、引いてみたいと思うでしょう。

それで、質問を、

1.「今年どうなりますか?」

とした場合と、

2.「今年はどのようにすればよいか?」

というものとでは、最初からカードの見方・読み方が違ってくるのがわかると思います。

1の質問ですと、「カードの象徴や意味のようになる(予想される)一年」という感じで、いわゆる運命的な占いの見方になります。

これとは異なり、2の質問だと、「カードで象徴される行動を起こしていく、目標として設定する、取り組んでいく」というような読み方になります。

つまり、1では受動的であり、2は能動的になるということです。言わば、外部に従う運命論的なものと、自らが創造していくものとの違いの目線とも言えます。

例えば「運命の輪」というカードが出たとすれば、

「今年は運がいい年だ」「縁が巡ってきますね」「クルクル回るがごとく忙しい年でしょうね」と読むのが1に対応した読み方ですが、「チャンスをつかむ」「時間を無駄にせず有効活用する」「自分が輪を回すがごとく、行動を開始する」「縁づくり、交流に励む」「続けてきたことを完結させる(一回りさせる)」などとして、2への答えとして読むことができます。

もちろん、どちらが正しいというものではありません。両方ともタロットの読み方であり、象徴としてとらえられるものです。

ただし、マルセイユタロットに伝えられている奥義的な教義の見地に立てば、1の読みは、自らをある次元に閉じこめるものとなり、実は長い目で見ると危険なものと言えます。

反面、実は1的な質問と読み方は人間の欲求に即したものでもあり、楽しく感じられたり、魅力があったり、リアリティをもったりして、その虜になるのです。

結局、タロットも使い方によって、毒にも薬にもなります。ですが、やっかいなことに、ある人にとっての毒は、ある人には薬のように思え、その逆もあるのです。

とは言え、少なくとも、タロットへの質問を工夫するだけでも、多角的なものの見方ができ、ひとつところに囚われない自分を構築していくきっかけとなるでしょう。


「占い」と「リーデイング」の違い

今日はタロットリーディングと占いの違いの話をしようかと思います。

「リーディング」と「占い」の違いについては、人それぞれの考え方がありますし、そもそも大きな枠で考えれば、その違いはないと言えるかもしれません。

ですから、ここで述べるものも、あくまで私の考える「違い」であり、それもたくさん(私自身でも考えているものの)中のひとつと受け取っていただけるとよいです。

両者の相違で、一番シンプルでわかりやすいのは、カードにランクやクオリティ(の違い)をつけるかどうかです。

もちろん、ほかにも「当たる・当たらない」で見るかとか、「未来予測重視か、過去整理・浄化が重視か」「他者から指針を得るか、自らが気づきを得るか」など、いろいろな区分け(違い)の見方があります。

今言っているのは、タロットカードにいいカードと悪いカードという区別をつけるか、カードはいいも悪いもないとするかの違いの見方です。

前者が「占い」になり、後者は「リーディング」となります。

まあ、問題はその良し悪しの基準を何にしているかということなのですが、ここでは一般的な価値観と言っておきましょう。

悪いこと、アクシデントが起こること、のようなものがカードに象徴されているのが「悪いカード」で、その逆のよいこと、吉兆を示すのが「いいカード」というわけです。

または、カードのポジション(正逆、置く位置など)にいいか悪いかを決めて判断するパターンもあります。いずれにしても、出たカードにいいか悪いかの意味が明確にあるわけです。

大アルカナでも小アルカナでも、よいカード、悪いカードがあり、それに基づいて判断していくのが「占い」ととらえます。

一方、カードにいいも悪いもないとする設定が、リーデイングだと述べました。

カードの象徴自体は、それそのものを表すだけであり、いいか悪いかの解釈は人間の思いや環境(状況設定)次第ということになります。

典型的なケースでは、「神の家」(一般では「塔」)や「13」(一般では「死神」とされるカード)が、両者の解釈の違いとしてわかりやいかもしれません。

13(番)」のカードを例にすると、絵柄からして「死神」と呼ぶ人もいるくらいですから、不吉で悪いカードと思われがちで、そういう意味づけで判断されると「占い」になってきますが、「13」の象徴そのもので見る「リーディング」形式だと、決して「13」も悪いカードとは決められないものです。

「13」の絵柄は、なるほど、西洋でいう死神(装束)に近い絵柄ですが、そもそもなぜ西洋では「死神」がこの絵柄のような存在なのかとか、その意味や経緯を知り、「象徴」として理解すれば、この奇怪に見える「13」の骨の人物、その存在が持つ大きな鎌も、恐怖や死という言葉だけのものではないことがわかってきます。

たとえ「死」というキーワードがあったとしても、その死は、実際の死とは限らず、象徴として見れば、死は再生や成長のための段階、通過儀礼とも考えることができます。

悪いカードと決めつけてしまえば、もうそれ以上の解釈の発展はなく、そもそもタロットカードが「象徴」である意味も失ってしまいます。

「象徴」は多重性と階層性を持ち、ゆえに時代や種別を超越し、元型的にすべての人に相通じるものを持ちつつ、個別的にも対応されます。「象徴」だからこそ、見えない(心・霊的)世界にも浸透することが可能なのです。

ただ、いい・悪いというような、カードにランク・色をつけることが悪いわけではありません。

特に現実的・実際的場面(一般的価値観を元に判断するもの)の選択においては、はっきりとした良し悪しの基準がないと決めにくい時があります。

「こちらの道のほうがいいですよ」「あちらは悪いですね」とわかったほうが、すっきりし安心するのが、現実に生活する人間の心理です。

従って、吉凶判断、良し悪しに基づく選択のための指針に、「占い」的技法・意味づけによって、タロットを使うのも活用術のひとつと言えます。

ここで言っておかねばならない大事なことは、カードの「設定」です。

いい・悪いのような、カードにランクや意味をつける設定にしてカードを引くのか、あくまで象徴として見るリーディングの設定でカード引くのかという取り決めをはっきりしておかないと、両者は混濁します。(ごっちゃの解釈になる)

逆に言えば、カード自体に最初から良し悪しが決まっているのではないということです。

良し悪しにするのは、そのタロットカードを引く(解釈する)人間側なので、結局、設定が大事だということです。

タロットリーデイング・占いは、一種のゲームです。

ゲームのためにはルール・設定が不可欠であり、それがゲーム中に破られると、ゲーム自体が成り立たなくなります。

トランプで考えてもわかるように、大富豪をしているのに、神経衰弱みたいなルールにされてしまうと、プレーヤーは混乱してしまいます。

タロットカードは絵柄のついた象徴ツールであるので、絵柄自体は変わらなくても、設定によって、いかようにでも姿(ゲーム内容)を変えます。

占いをするのか、リーディングをするのか、どちらにしても、最初にはっきりカードの設定を決めておくことです。

悪いカードと決めておいたのに、読んでいるうちに、いいカードになってしまうというようなことはおかしいわけです。ただし、そういう、いいから悪いに変えること、悪いからいいに変わることもある・・・というような設定がOKのものなら、それはそれでもよいのです。

さて、話を少し戻しまして、結局、カードにいい・悪いとか吉凶で見る判断をする(占い)は、生活や現実に即しているものだということができます。

言わば、人々の生(なま)の悩みというか、欲求・願望をストレートに表す望みとか知りたい情報へのアドバイス、判断みたいなことです。それは精神的ではあるのですが、現実生活にダイレクトに結びつく「物質(モノ)感覚」だとも言えます。

言い換えれば、求める充足感が、物質的なもので満たされるイメージなのです。

例えば、パートナーや家族という「人間」を得ているイメージ、よい仕事、そこから波及する給料を得る、利潤というお金が得られる、よい暮らしのためのよい家を持つ、楽しく過ごせる友人や仲間を持つ、時間であっても、たくさんある自由な時間という貯金的で物質的イメージによる「時間があること」・・こういうモノ的な何かが満ちる感じとでも言いましょうか。

私が思うに、タロットの占い的な活用は、この私たちの中にあるモノ的なイメージを満足させることに目的があるという印象です。

一方、タロットを象徴として、ただリーディングするという姿勢では、モノを満たすものとは別感覚で、モノを超えた感覚であり、モノとか精神(精神という形)の充足ではなく、むしろ破壊、霧散、無限の拡大、希薄化という感じです。

ものすごく簡単に言えば、「タロット占い」はどこかにランディングしたり、固定させたりするイメージで、「タロットリーディング」はその逆の、流動や浮動みたいな感覚ですね。

あるいは、ひとつの確固たる成功ポイントに導くのが「占い」で、ポイントが無数にあって、どれも選ぶことが可能(しかし成功という概念で言えないもの)だと悟って(気づく)ための方法がリーディングと言えましょう。

とはいえ、どちらがいいとか悪いとかでもやはりなく、その人が何を望むのかということによって、占いとして使うか、リーディングをしていくかになるでしょう。

まぁ、どっちもゲームなので、ルールを守って、選んだゲームを楽しんでください、と言っておきましょう。(笑)


タロットリーディングトレーニング法

前回に引き続き、タロットリーディングの話になります。

今回は、タロットリーディングの具体的なトレーニング方法を少し語りたいと思います。

タロットリーディングの練習では、タロットを引いて、そこから何か意味を見出す訓練というのが一般的です。

しかし、タロットリーディングに限らずですが、何事も、ただ漫然とやっていては技術の(飛躍的な)向上は望めません。

たとえば、タロットを一枚引いて、そこから何か読み取ろうと、ああだこうだと考えていても、いつも決まった内容とか、少し覚えているそのカードの単語的な意味とかを出すというのがせいぜいです。

また、いつも毎回同じパターンの練習では、人間、飽きが来てしまうものです。

そこで、練習にも工夫がいります。

工夫の方法はいろいろとありますが、そのひとつとして、TPOと言われるように、時間・場所・状況によって、読みを変えていく訓練は比較的効果的です。

まず、「時間」です。

リーディング練習をする際、時間(制限)を設定することです。

限られた時間内で、いかに読みををするのか、あるいは発想・アイデアを出すのかの訓練は、いわば、パソコンでいうと、処理速度を上げるようなもので、それだけタロット的頭脳の回転が向上し、読みの力が増します。

また同時に、数を挙げる(出す)方法と併用すると、さらに効果的です。例えば、5分以内で、20の言葉を思いつくみたいな感じです。

次に、「場所」です。

自分の部屋ばかりでやっていても、気分や波動が同じになって、読みもワンパターンなものになりがちです。

そこで、思いきって、カフェで練習したり、他人の家で行ったりなど、場所を変えてみるのです。

また電車や車の移動中に、例えば、スマホやタブレットに入れたタロット画像を起こしてイメージし、読むという方法もあります。

別に機器やカードがなくても、イメージさえしっかりできれば、数の順番に言葉を思いついていく訓練をしていってもいいです。大アルカナだけでも22枚ありますから、時間つぶしにも結構使えるものです。

さらに自宅で行う場合でも、反対側(クライアント側)から見てみる(自分のポジションのチェンジ)というのもいいかもしれません。

最後に「状況」です。

これは状況・シチュエーション・問いを設定するというもので、皆さんもよくやっていることかもしれませんが、やはりリーデイングトレーニングでは役立つものです。

そもそも、何も問いや設定がないとタロットは読みにくいものです。

特に初心者ほど、問いは細かく設定したほうが読みやすい傾向があります。

それは、問いがはっきりしていると、そのことについてカードから情報を得ようと集中する(意識がフォーカスされる)ので、的が絞りやすくなるためです。

ただ、上達してくればしてくるほど、問いにはあまり意味を持たなくなってきますし、抽象的な質問からでも、具体的なものを導き出すこともできるようになります。しかし、最初のうちは問いを絞ったほうがいいです。

なお、トレーニングでは、ただ問いを設定して読むというのではなく、逆にカードを引いてから、設定や問いにあてはめるという方法も効果的です。

例えば、一枚引きをしても、「恋愛」だったらどう読むか、「仕事」の相談だったらどう読むか、「心理」的な葛藤の問題だったらどうか、というように、問題や問いの種類、状況の設定ごとに読み分けていくことをします。

これは小アルカナと併用して、四大元素・4組別に、大アルカナのカード一枚を分けて(分野ごとに分けて)リーディングするというやり方もあります。

すなわち、剣・杯・杖・玉(ソード・カップ・ワンド・コイン)別に、大アルカナを一枚ずつそれぞれにおいて、「剣の意味だったらどうか」「杯だったらどうか」と読んでいくのです。(この場合、小アルカナ4組の意味は、具体的で単純な言葉に置き換えてもよいです)

簡単で、かつ、リーディングトレーニングによって、自己を整理したり、確認したりするという一挙両得の方法としては、大アルカナ一枚について、行動・現実、感情や心理、魂・スピリチュアル(霊性)という階層別(性質・次元別)に読むという方法があります。

例えば、「自分は何をすべきか?」「自分はどういう状態か?」という質問で、「手品師」が出たとします。

「手品師」の現実的な意味では、そのまま「仕事せよ」「働くこと」「収入を得よ」ということかもしれません。

心理的には、「新しい自分になりたい」「散らかった心を整理したい」「優先順位を決めたい」ということかもしれません。

魂的には、「あなたのやっていることは必要ない」「「すでにそのレベルにはない」「霊的な入り口に来ていること」かもしれません。

※これらの読みは、あくまでひとつの例に過ぎません。タロットは象徴ですから多様に読むことが可能です。

もっと簡単に、占い的に、「どうなるのか」という問いに答えて読む場合と、解決的に「どうすればよいか?」に答えて読む場合とに区別してみるのもいいですね。

あと、少々他人が見ていると滑稽になりますが、一人でやる場合だとできる方法で、タロットの人物になりきって(カードの絵柄が人物ではなくてもできます)読むというのがあります。

自分が、例えば「世界」のカードの中央の人物になったようにイメージして、感情や思考を書き留めます。

実はイメージだけではなく、本当にタロットカードの人物のようなしぐさ、態度を自分が模してやると、よりカードの気持ちになることができます。(だから人がいると恥ずかしいものになるのです・・・(笑))

これは、カードのメインの人物だけではなく、細かな象徴の動物とかモノでさえも、慣れたらできるようになってきます。

カードを生命のような息づく存在として感じる訓練でもあります。

頭や思考で何とか意味をひねり出そうとしても限界がありますので、むしろ、こうしたイメージとか感情に浸るようなアプローチが、斬新な意味を見出したり、実際のリーディングの場でも、伝えたいことが感じられたりして、有用なこともあるのです。

それから、何もカードを引くことばかりがリーディングのトレーニングとは限りません。

カードを引かない方法もたくさんあります。

つまりは、カードに描写されている象徴性を、他の分野の印象から呼び起こすというようなものです。

絵画の鑑賞、映画・小説など、ストーリーになっているもの見たり読んだりすることで、カードの象徴性を思い起こし、どれに該当するのかを確認していきます。

簡単に言えば、外側のもの(自分の外で起きたこと、経験していることなど)をタロットに置き換えて見るという方法です。

この方法は、実は特別な修行(タロットを現実の力と結びつかせる作業)に近いものなのですが、それは考えなくてよいです。(笑)

いずれにしても、書き留めるということは大切です。

トレーニングで、やりがちなのは、カードを読んだり、意味が思いついたりすれば、それで終わりというパターンです。

ただ頭に浮かんだことで、やった気になってしまうというものです。

自分ではトレーニングしているつもりにはなっていても、積み重ね、蓄積、データとしては残りにくいのです。

人は忘れやすい生き物です。

ですから、やはり、せっかくトレーニングして、出た言葉とか意味とかは、ノートや資料などに書き込んでおくことです。

それを繰り返し読み直すことで、自分の中で、印象だけではない確かな言葉・知識・データとして固まってきます。

ここにご紹介した方法(の一部)は、すでにやっている方もたくさんいらっしゃると思いますが、それでも皆さんのトレーニングの何かの参考になれば幸いです。


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