リーディング技術・内容
小アルカナ 玉(コイン)と肉体
マルセイユタロットの小アルカナと呼ばれるパートは、4組という4つのエレメントを象徴化させた構造が中心となっています。
これに対して、大アルカナというパートもあり、タロットにおける大と小のアルカナの違いは、色々な考え方・見方がありますが、概ね、本質と具体、精神・魂と現実面での象徴の違いという分け方がされています。
大アルカナと小アルカナはともにタロットのシステムとして必要であり、両方あって象徴の完全性がなされます。
このことについて、さらに詳しく書いてみたいところもありますが、それはまたの機会としまして、今回は小アルカナの中でも、さらに現実面を象徴すると考えられる「玉(コイン)」のパートについて述べたいと思います。
先述したように、マルセイユタロットと言いますか、だいたいのタロットの小アルカナは、「4組」という構成になっており、それは剣・杯・杖・玉、一般的な英語の言い方では、「ソード・カップ・ワンド・コイン(もしくはペンタクル)」と呼ばれています。
4組にも階層・次元の異なり(いわば波動や周波数の違い)があると考えられ、中でも、玉(コイン)は、もっとも低く、かつ安定したものを象徴しています。
ただし、小アルカナ(もしくはタロット)での高い低いの次元は、いい・悪いとは別です。
「玉」は端的に言えば、物質性や形となる基本・土台を表し、多くはコインの象徴そのままのお金や経済を意味しますが、私たちを構成する基礎そのものとして見ると、まさに「肉体」を表すと言ってもよいでしょう。
スピリチュアルなことや精神世界に関心のある人は、その名の通り、心や精神にどちらかといえば、傾きがちです。
そしてセッションや相談においても、問題の原因は心や精神性(思考と感情)にあると考えたり、解決の糸口を見出したりします。
これはタロットの大アルカナ・小アルカナでいえば、大アルカナ中心の見方ですが、あえて小アルカナの範囲だけで考えれば、剣(ソード)・杯(カップ)を中心にした見方(とアプローチ)とも言えます。
確かに、心が変われば現実(行動とその結果と環境)も変わることが多いものですが、反対方向の見方も普通に成立すると思えます。
それ(反対方向)は小アルカナで言えば、「玉」からの方向となります。
言い方を換えれば、具体からのアプローチであり、お金や形、肉体や土台から原因と解決を求めるということになります。
ここで肉体をクローブアップしてみます。
私たちの問題は、案外、体と、その体に取り入れるものに起因していることがあるものです。
最近は、腸内環境や微生物の働きが、思考や感情にまで影響を及ぼしているという説や研究が、結構発表されています。
自分が考えるから、思うから、問題や結果が出ているのではなく、肉体とそこに存在するもの(微生物)たちが、私たちの思いや考えを規定し、大げさにいえば自分の世界を創造しているのだ考えることもできるわけです。
また私たち、人の肉体は、特殊な幾何学構造(数値と比率)でできており、それは古代の神殿や崇高な場所に施されてきた構造原理と同じであるという説もあります。
それが心の構造とも関係しているのですが、肉体もそうだということです。
簡単に言えば、私たちの体そのものが聖なる神殿なのです。
ところが、その神殿が、本来あるべき姿から離れ、破壊されたり(自分で破壊している)、アンバランスになったりして、聖なる波動とかけはなれた器(うつわ)になっていると考えられます。
それは自分が摂取している食べものや、周囲の影響からということもあるでしょう。
どこかに体をぶつけたり、傷を負ったり、また心理的なトラウマなどで、体が知らず知らず変形してしまっていることもあるかもしれません。
結局、肉体というベースに問題があるため、いくら知識を入れたり、思考や心の想い方を変えようとしたりしても、体・器としてのものが悪くなっているので、それに応じたものしか思考できないことになるのです。
変わろうと思っても変われない、同じ問題がずっと続いている、原因不明で、何かしらずっと体調不良があるというのも、肉体そのものと、摂取している食べもの、バランスに問題があるのかもしれません。
微生物や腸内環境にあっても、本来調和すべき割合とは異なる比率で、何かが過剰になったり、不足になったりしているおそれもあります。
もちろん、思考や環境によって影響することもあるかもしれませんが、逆に考えれば、肉体のほうが問題だから、そういう思考・状態に、どうしてもなってしまうという発想もありえるでしょう。
私も整体に通っていますが、その先生から、肉体が全体を調整しようとしたり、その時の状態を記憶したりする仕組みついて、聞いたことがあります。
肉体は、問題(怪我とか打ち身とか)が発生しても、その機能の範囲内で恒常性(ホメオスタシス)を保とうと、結局、歪な状態での肉体に変化してしまいます。
それが体癖となり、そのせいで、かえって命を削ったり、問題を引き起こして症状としても出たりすることがあるようです。
言わば、うつ病で例えると、うつにはうつになる体があるということです。(うつになってしまう体へ変化する)
それは心が原因かもしれませんが、実は、ずっと我慢していたことで、うつ状態を発生させるような肉体の形に変化してしまい、それが固定されることで、余計、うつからの回復も難しくなってしまうわけです。
そして、その原因は、仕事とか人間関係などでの要因以前に、もともと、うつ病の体になりやすい微生物バランスや体内の目に見えないエネルギー状態にもあった可能性があるのです。
うつの人が、自然の中の大地に接したり、海に入ったりすることでよくなることがあるのも、そうしたものが(自然のイオンバランス等によって)整えられるからという理由が考えられます。
鶏が先か卵か先かの話みたいですが、いずれにしても、肉体と精神(心)は密接にからんでいるのは確かです。
小アルカナでは、原因だけではなく、「現実」へのアプローチ、働きかけの方向性として、具体分野が出ます。
小アルカナを使い、「玉」ということがメインとしてリーディングできたのなら、肉体ベースから原因と改善方法を探ることもできます。
細かく言えば、玉の数カード10枚、宮廷カードの玉の4枚で、具体的な肉体とのつながりもわかるかもしれません。
たとえ精神的なことでも、瞑想をするより、実際に体を動かしたり、整えたり、食事内容と方法を変えたりしたほうが、効果が出る場合もあるのです。
精神的な相談をされる方は、自身も含めて、肉体ベースをないがしろにしない、別の意味でのグラウンディング(地上・肉体との調整)が必要なことも覚えておくとよいでしょう。(考えすぎる傾向のクライアントにも言えることです)
問題を解決したくない人
タロットリーディングでは、様々な問題を持った方が現れます。
皆さん、当たり前ですが、何かの悩みや葛藤、問題を解決したり、よくなりたいと思われたりしてリーディングを受けられるわけです。
ところが、おかしな話になるのですが、(医療的な)病気と治療で例えるとするのならば、病気に罹っているのに、治りたくないという人がいるのです。
タロットリーディングで言いますと、本当は問題を解決したくはない、ということです。
ただし、ここがまた不思議と言いますか、奇妙なことになるのですが、本人の自覚している意識(表面意識)では、治したい、癒したい、解決したいと思っているのです。
さきほどの医学的な病気と治療の例えを使いますと、医者に診てもらったり、病院へ行ったりして治療を受ける意志は当然にあるのです。
現に、本人は病気で痛かったり、つらかったりしているわけですから、その苦から逃れたい、楽になりたい、正常に戻したいとは思っているのです。
しかし、奥底の意識、別の自分としては、治りたくない、「この野郎、治すのなら恨んでやる!」みたいな(笑)ありえない心(自分)が存在しています。
この理由として考えられるのは、一種の不幸自慢というか、不幸にいること、苦しいことが本人にとっては得になっているということがあげられます。
幼い子どものように、病気でいればお母さんが気にかけてくれる、周囲の人が労ってくれるというような感じで、問題のある自分というものが、その人の何らかのメリットになっているわけです。
メリットとしては、気にかけてくれるというだけではなく、時には経済的なこと(お金が問題状態にあったほうが得られるなど)であったり、何かの責任から逃れられる状態だったりします。
例えば責任逃れだとすると、「私はこんなに不幸で問題を抱えている弱い人間なので、大したことはできません、働けません、一人前のことはできないんです・・・助けてください・・・」みたいな同情をひくような形を無意識に演じているわけです。厳しくいえば、一種の逃避です。
それから、意外な部分では、「癒しを味わいたい病」というようなものもあります。言い換えれば、癒しやヒーリングの中毒症状です。
これはまた逃避よりも厄介です。(実は本質的には逃避と同じですが)
自分の根本的な問題を相談したり、浄化したりしようとせず、その一部や、別の問題に置き換えて、それが癒されることで心地よくなり、自分が変わったり、良くなったりしたほうに錯覚するものです。
根本的な問題について、一挙には解決されないので、少しずつ癒していく、浄化していくという過程では、似たようなことは起きます。
しかし、癒しの中毒症状では、本質・根本の問題に行き着く前に逃げ、別の問題、当たり障りのない、でも本人の意識のうえでは重要な本当の問題と錯覚するようなものを作り上げ、それをヒーラーや相談を受ける者に示すことで、癒され、快楽を得るというパターンになっている人がいるのです。
優れた相談者(相談を受ける者)・ヒーラー・カウンセラーなどは、そのことに気づいていますが、あえて本人の(自分での気づきの)ために見守ることもありますし、中毒を断つために、人によっては厳しい言葉を言うこともあるでしょう。
特に厳しい言葉を受ける場合は、当人とっては、気分よい夢を覚まされるような怖いことにもなりますので、中毒者は無意識のうちに避けようとして、相談に行かなかったり、そういうことを言いそうな人のところを選んだりしません。
時には、厳しいことを言われた時は、その人を非難したり、愛がないと誤解したりすることもあります。(ただし、言う方も言葉やタイミングを選ぶことは大切です)
気をつけてほしいのは、「癒された」「自分の問題が何かわかった!」という気づきの場合でも、一時的な快楽として現れることもあるのだということです。
そして、怖いのは、いつしか、問題の解決や浄化ではなく、癒されることが快楽、癖、中毒のようになって、目的が気持ち良さを味わうことにすり替えられる場合です。(実際にドーパミンなどの脳内物質が出ていることも考えられます)
今の世の中には、たくさんの相談技法や癒し・ヒーリング・治療・浄化のテクニックがあり、それを実施しているカウンセラー、相談者も多いです。
それをいいことに、まるで渡り鳥のように、あれもこれも試し、その度に涙を流し、癒された、自分の問題がわかった、と快楽を得て、また麻薬の効果が切れてくれば、新しい快楽と薬を求めて、自分で問題を無意識のうちに作り、相談者のもとを訪れようとします。
問題と癒しの快楽的ループ(の内にある)と言ってもいいでしょう。
このループ状態には誰しも陥る危険性があります。
それは、先述したように、少しずつの問題解決・浄化のプロセスに似ている部分もあるからです。
ひとつの目安としては、同じような問題を、何度も繰り返し相談していないだろうかと点検してみること、逆に、ひとつ解決すればまた別の問題が次々と現れ相談していないかと振り返ってみることです。
また相談前と後の、あまりにも気分の大きすぎる落差にも注意が必要です。
マルセイユタロットならば、特に「正義」「13」「運命の輪」「神の家」といったカードがこの問題には特徴的に現れますし、また一見すばらしいカードのように見える「世界」も、見せかけの楽園にいること、麻薬の悦楽に浸りたいことを示唆している場合があります。
とはいえ、中毒のようになって逃げることも、守りたい強烈な何かがあるのです。
今、それに向き合うことは自分の存在そのものを失ってしまうかのような、(無意識にあっても)本人とってはとてもつらくて怖いことなのです。
本当の麻薬でなくても、私たちは何かに中毒になっていることはよくあります。
そしてその中毒症状にある時、やはり毒を快楽として味わうことをしないと、やり切れないほどの何か大きな問題を抱えているわけです。
中毒者を非難するのではなく、その悲しみ、つらさ、空虚感も考慮すべきです。
本当の麻薬は別としても、何かの中毒が、必ずしもすべて悪いとは言えません。本人の大切な何かを保護していることもあるのです。
しかしながら、やはり中毒は中毒なのですから、最終的には決意し、これを断つ覚悟が必要でしょう。
ですが、ループを繰り返している内に、ちょうど外堀が埋まられて本丸に近づけるように、一時的には中毒であった表面的癒しの繰り返しも、やがて満期を迎える(フルチャージされる)と、本質的な問題に向き合う覚悟もできることがあります。
案外と怖いと思っていたことでも、外堀が埋められたことで、そうでもなくなってくるものなのです。
こう見ると、よい中毒というものもあり、本当の目的のために、まずは外側にヒビが入るよう、表面的な癒し・浄化作業に邁進させる方向に、あえて舵を取らせているということも考えられます。
世間にはいろいろな愛の形があります。その愛は、すべてが自分に心地よいものばかりとは限りません。各レベルでの愛の表現があります。
また自覚的な愛もあれば、無自覚な愛(自分や人にとっては悪とも感じられるもの)もあります。
こうしたことも、言わば、自分の次元が上がった時、それまでの下の次元のからくりを理解することができるものなのです。
タロットからのメッセージとあと書き
今日はマルセイユタロットを引いて、皆様にメッセージを送りたいと思います。
いくつかの項目に分かれますので、自分の気になるものだけお読みいただいてもいいですし、もちろん全部ご覧いただいても結構です。
なお、タロットの展開法は、正逆を取らず、一枚もしくは数枚を引いたものとなっています。
◆マルセイユタロットの展開
「神の家」「世界」「戦車」「悪魔」という4枚の展開
●時系列的、シンプルな占い的メッセージ
(詩的なメッセージ)
ひとつの災厄と思えたものは、あなたの積極的な行動、周囲の援助もあって何とか乗り越えることができます。しかし、それが自分の力によるものと過信すると、奢りとなって、あなたを欲求と堕落への道に追いやるでしょう。しかし、謙虚さを忘れないでいれば、あなたの魅力とパワーはますます勢いを増すことになります。
(やや具体的なメッセージ)
大変な状況に今はあっても、あなたはそれを乗り越えることができます。自分を信じてつき進むことです。経済的、もしくは精神的にあなたの願望はかないそうです。今まで組織や他人、誰かのために一生懸命だったかもしれませんが、今後は自分自身のため、自分の願望をかなえるために人生をシフトしていくことです。また、目標・プロジェクトの骨組みや環境は整いました。次はソフトの部分、特に人間関係、サービス面、人の気持ちの満足・充足が大切になります。
●スピリチュアル・精神的なメッセージ
「神」の名を持つ「神の家」のカードと「悪魔」のカードが両端に立脚しています。つまり、あなたは神の選択か悪魔の選択かの岐路に立たされているのです。タロットの数の原則に従い、左から右に移行していくと見れば、最初に「神の家」が出ていることから、あなたは神の選択、あなたの魂が神性に目覚める方向を、すでに知っていると言えます。しかし、最後に「悪魔」が出ているように、「悪魔」の力に引っ張られたり、誘惑されたりする強いものがあり、いわば、これはかなり大きな試練でもあります。要するに、「悪魔」という力や魅力を十分を知ることで、逆にまだ確信されていなかったあなたの本当の神聖(神性)なる力と方向性が、逆に際立つような仕組みとなっているのです。
このことは、4枚のカードのうち、2枚ずつ、左右半分で分けると、「世界」という、大アルカナではもっとも高い数を持ち、完成や宇宙を象徴するカードと、「神の家」という二枚の部分、さらに精神的なものを示しながらも、物質的な充実と成功を中心とする「戦車」のカードと「悪魔」との二枚で分けられることからもわかります。
全体的には、「神の家」に「世界」の人物も、「戦車」の人物も視線が向かっていますので、言ってみれば、「神の家」「世界」「戦車」の3枚と、「悪魔」1枚のパートにも分けられることになります。「戦車」から見れば、次第に「神の家」に向かって拡大しつつ、固い意志が「神の家」で確立するように見えますから、あなたが現実的フィールドで輝くためには、一般的な幸せや通常の価値観での成功とは別種の、自身の魂の幸福に基づくことを追求する時期に来ているとも取れます。しかしながら、「悪魔」も重要な位置に登場していることから、自分の中にある欲求や願望を抑圧せず、十分に「自分自身」を表現することが求められていると言えましょう。そうすることが、逆に、神性にかなうことでもあるのです。
◆問題・悩み別
●恋愛 「力」
希望がある。過去を振り返らない。これまでの経緯をふまえ、次なる段階へ。押しと引きの駆け引き。あなたのほうの強い気持ち。(過剰なる恋心・片思いに注意)
●仕事 「手品師」
創意工夫。独立より雇用(ビジネスよりジョブ)。とにかく働く。就労・雇用のチャンス。ツール・道具の刷新、購入。新しいバージョンへの作業。初心に戻る。連絡・通信の見直し・チェック。
●選択 「正義」
客観性やバランスを重視した選択。気持ち・感情・パッション的な選択よりも、ほどほど感・中立性・正しいと思える方向性での選択。間(あいだ)を取る選択。どちらでもいいので、とにかく早く決断する。
◆種類別(西洋占星術の太陽サイン別、いわゆる12星座占い)
●牡羊座 「皇帝」
生活、経済的なことへの努力と安定、しっかりとした土台作り
●牡牛座 「太陽」
協力、共助、分かち合い、喜びとエネルギーあふれるものの探求
●双子座 「力」
能力や技術を向上させる、勇気を持つ、未来への展望と計画
●蟹座 「星」
与える、貢献する、恩恵を享受する、女性性のテーマ・解放
●獅子座 「運命の輪」
チャンス到来、タイミングを図る、レベルを上げる、一サイクルの終了
●乙女座 「神の家」
積み重ねる、継続、高度な選択、衝撃に備える、大きな解放と変化
●天秤座 「恋人」
恋をする、新たな縁、人間関係の選択と喜び、迷いからの導き
●蠍座 「月」
隠れていたものの浮上、精神的葛藤、成就までの待機・準備期間
●射手座 「斎王」
受容精神、学習、蓄積、母(性)との関係、静かに過ごす、聖性
●山羊座 「節制」
節約する、サポートがある、援助する、交流の促進、ゆっくり行う
●水瓶座 「手品師」
仕事を始める、身近なところを整理する、好奇心に沿ってみる
●魚座 「悪魔」
遊んでみる、緩めてみる、人生を楽しむ、個性を伸ばす、誘惑に注意
以上です。
さて、ここからが今回の記事のタネ明かしです。今までのはネタふりです。(笑)
今回は、別に占いをしたり、メッセージを披露したりするのが主要な目的ではありませんでした。
もちろんカードからの示唆は意味のないものではないでしょう。それなりに、人によっては響いたもの、当てはまったものもあると思います。
この度のテーマは、このようなカードからのメッセージ・占いのようなものを読んだ時に、皆さんの注目や関心、思いはどうであったかということと、その心の仕組みに着目してもらうことにあります。
最初の4枚引きのものでは、フォーカスする次元・目的によって、いろいろいろな読み方、解釈があることがわかったと思います。
占い的なもの(読み方)にすごくビッタリ来たという人もいれば、その後の長ーい(苦笑)スピリチュアル的メッセージのほうが、自分にとってはかえって興味がわいたという人もいらっしゃるでしょう。
はたまた、どれを読んでも「ふーん、そんなもんか」「全然違うなあ・・・」と思った人もいるかもしれません。
そして、次は一枚引きになっていますが、問題や悩みのテーマごとにカードを引いています。
当然、今自分が恋愛に悩んでいる人は恋愛のところを読むでしょうし、仕事のことについて考えている人は仕事のところになるでしょう。
さらに、その次には12星座(西洋占星術の太陽サイン)別に占いをしています。(別に血液型でも誕生数秘でも何でもいいのです)
これも、ほとんどの方は、自分の星座か、気になる人の星座しか見ないでしょう。(笑)
つまりは、そういうことなのです。
人は自分に関心のあること、フォーカスしていること、自分と関係しているものに注目し、さらには、そういった絞られたものでない場合は(漠然したものは)、自分が強く心に抱いていることに沿って、自分で解釈するのです。
例えば、4枚引きのところで、「詩的なメッセージ」だけだったら、その抽象的な内容からでも、自分の関心や注目の事柄に置き換えて解釈するでしょう。
そして、この仕組み自体が、タロットの抽象的・普遍的象徴を通して、具体的で個別的な事柄に落とし込む「タロットリーデイング」の作業と同じものがあると言えます。
よって、今回のものも広い意味では、記事を読んでいる(それは偶然でもありますが、偶然ではないのかもしれません)あなたへのリーディングやメッセージにもなっているのです。
そのほかにも、今回意図したことあるのですが、それは皆さん自身でお考えください。毎日タロットを引いて、ブログにメッセージを書いている人にも何らかの示唆になると思います。
節制業、サポートする人、される人
タロットカードに「節制」というものがあります。
マルセイユタロットでは救済の意味を持つカードでもあります。
私の中では、「節制業」という言い方をする場合がありますが、現実の世界において、人をサポートしたり、救ったりする業務(仕事とは限らず、ボランティアや意識のうえでのこともあります)を行う人を指すこともあります。
この「節制」のカードは14という数を持つために、全部の大アルカナの数22においても、中間地点を超えている存在で、少なくとも、節制業を本格的に志すには、意識的に、現実を超えたものや、バランス性を重視しなくてはならないことが表されていると言えます。
「節制業」は、結局、困っている人、悩んでいる人の力になりたいと思うわけですから、その同じレベルの感性・知見(つまり同じ次元)で自分も悩んでしまったら、解決策や突破口が見つけにくいわけです。
ですから、節制業を行う人は、より広い視野と高い観点を持つ必要があります。
その一つは、悩んでいる人の選択を超えたものを考えられるかということにあります。
例えば、よくある悩みの問題として、選択における「これか・あれか」の問題パターンがあります。平たく言えば、どちら、あるいはどれを選べば自分にとっていいのかという悩みです。
しかし、相談者と同じレベルで考えていると、答えは、相談者の思う選択肢のうちのどれかが最善、その他は選択しないほうがよいものという判断になりがちです。
それは、相談者の思う価値判断の基準(世界観・認識状態)と同じ視点であるということです。
同じ視点というのは、共感する意味では大事なのですが、これでは、相談者が思いもしない選択法・解決の視点を提供することができません。
往々にして、相談者の今のレベル・次元を超えるために問題や悩み事が起こっている(悩みとしてとらえられている)ことが多く、その次元を超越する観点を持てば、問題は別のシンプルなモノに変わったり、消失したりするのです。
「タロット占い」と「タロットリーディング」の違いの大きなポイントも、ここにあると私は考えています。
「節制」のカードは、天使がふたつの壷の水を混ぜ合わせている様を描写しています。ここから見ても、救いはひとつ側に傾くこと(片方を選ぶこと)だけではないことがわかります。
そして、これも重要なことですが、節制業の場合、サポートはしても、本当の救いは相手側(悩む人)自身の力によるということです。
いわゆる「お節介」にならないよう、気をつける必要があるのです。
人によっては、その悩みをすっきり今解決しないほうがよい場合もあるのです。
それは今、その人がその悩みに向き合う、体験する必要があり、その苦しさや大変さの軽減は図るにしても、相談される側としては、全部一気に解決したり、浄化してしまったりするほうがいいとは限らないのです。(そういう、すっきりしたいという思いは、実は相談を受けている側の欲求であることも多い)
リーディング技術(技量)とは別に、マルセイユタロットは、まるでタロットがリーディングすることを拒否しているかのような、難しい展開、雰囲気を出すことがあります。一言でいえば、読みづらい、はっきりしない展開です。
それは、純粋なリーディング技術の問題でなければ、やはり読まなくてよい、はっきりさせなくてよいということの示唆かもしれないのです。
言ってみれば、それそのもの(今の状態、悩みを体験していること)が答えというものてです。
そういうことを確認するのも、実はリーディングのうちのひとつなのです。タロットを読むだけがリーディングの作業ではありません。
相談する方も、誰かに救ってもらいたい、助けてもらいたいという思いはあってもいいですが、結局は、誰かに助けてもらうのではなく、自らが最終的には自分を救うのだと、どこかに思って、外に頼るといいでしょう。
同時に、孤独に悩んでいても解決しないことはありますので、人・専門機関に相談することは悪いこととは思わず、積極的に利用するとよいです。
この世界は、人がそれぞれ個性や得意分野を持ちつつ、相互に助け合っている(成長し合う)ものだと考えると、一人で抱え込まないことも重要なのです。
いわば、あなたの問題は、むしろ、ほかの人がいるから起こっているのであり、だからこそ、ほかの人の手も借りればよいようにできていると言えるのです。
物語・ストーリーによる遊びと救済
セラピー効果(セラピーの必要性)というものを考えると、そのひとつの大きな要素・鍵に、人が思う(考える)ストーリーがあると言えます。
逆に言えば、人は自分の信じた物語・ストーリーによって苦しめられており、その書き換え、消去、または物語の意味、さらには物語を構築する背景、システムがわかれば、それがセラピー(癒し)になる場合も多いわけです。
自分の信じ込みというのは、現実の生活をする人間においては、避けることができません。
無思考、無関心、無感動で生きていくのは、ロボットでもない人間には無理なことだからです。
ということは、私たちは、思い・考え・感情の出るその一連の動きによって、ある物語(として)自分の中にインプットし続けているわけです。
思考と感情は、自分の持つ価値観・基準、いい・悪い、快と不快(これは肉体的・生命維持的なものからも出ます)などによって、さらに意味づけが強くなり、つまりは自分の思う物語のカラーも強まることになります。
人生を楽に生きるには、こうした思考と感情に影響を及ぼす、自分の価値観、線引き度合いをあいまいにし、究極的には何でもOK、どんなことも意味はないみたいになればいいわけですが、普通、それは難しいものですし、それが行きすぎると、人生の色というものがなくなり、波の起伏を感覚として味わうことができず、特に感情的にはつまらないものとなるおそれもあります。
ひとまず、このことは置いておきまして、人の思う自分の物語・ストーリーとセラピーの関係について見てみてましょう。
(狭義の)スピリチュアルや精神・心理系の世界においては、前世や時代を超えた記憶との関連、さらには国や地域、地球という規模を越えた、宇宙の星々との関係で見る物語というものがよくあります。
そこまで範囲を広げずとも、心の中の思いの世界、つまり心理次元で見ても、人は生まれた時からいろいろな思いを、潜在的なものも含めて溜め込んでいます。それが自分の物語、ストーリーとして自分に影響しているわけです。
自分一代(顕在と潜在の意識の自分)にしろ、前世や未来世、果ては、ほかの星の魂や心、生命体、並行次元の自分や他人などにしろ、「自分」を中心として作られている「あるストーリー・物語」があり、その一部を今、自分は自覚して生きていると見ます。(全部は見ていない、信じていない)
ここで、今の自分が何か苦しい状態、問題状況にあるとした場合、その人は今まで信じていた自分の物語(経験・体験・学習による、事実から受ける思考と感情の物語)のままでは、そのストーリー世界に閉じこめられ、ループしてしまうおそれがあります。
そのため、自分を救う(自分が救われる)には、その物語が信じられている時空間から脱出する必要があります。
これはなかなか自分だけではできないもので、他人の助け、あるいは自分だけでやるにしても、全く別の視点がいるわけで、これまでの同じ材料、舞台で、全く別の物語も演じられる(演じられていた)ことに気づく観点の変換が求められます。
自分の思っていた、信じていた物語は、実は違っていたんだとか、または、こういう世界観で見ると、この物語はこのようにも見えてくるんだよとか、そのような物語(視点)への転換です。
たとえば、過去世(データ)という観点を入れることで、自分とあの人は、前世では「なになに」の関係であって、だから、現在のあの人と自分はこのような関係と問題として現れ、その浄化のために起きていたとか、この今の自分の問題は、現実レベルで見れば苦しいことではあるけれど、スピリットのレベルからすれば、大きな恩恵とあなたの救済になっているとか、あなたの祖父が思い残したことがあなたの家系に思念データとして残り、それをあなたが受け持つことになったので、その祖父と家系(因縁)の調整のために、あなたは自分の仕事の問題として、今それに向き合っているなど、そのような、ある「物語」として見る考えです。
言ってみれば、「今語ろう、あなたのこの問題が、別の物語から来ているということを」という感じでしょうか。
その物語が事実であるかどうかよりも、その新たな解釈の物語や、自分の知らなかったストーリーによって、今の問題が楽になったり、癒されたりすれば、それはセラピーとしての「物語」となって、その人には有効であるのです。
しかし、もっとも大切なのは、どんな物語であれ、その人にとってリアリティ(現実感)がなければ、あまり効果はないということです。
深く言えば、リアリティをその物語に感じることそのものに実は意味があり、新旧物語ともども、すべてを宇宙に返すようなイメージとして、物語自体があなたという存在に憑依していたものとみなすことができるのです。
それは物語の霊と遊び、戯れ、あなたの魂も楽しむという過程と言ってもいいでしょう。
ですから、一時的にはある物語によって救われたとしても、それ(あなたに救いをもたらせた、あるストーリー)さえも気にならなくなるのが、最終的には大事なことになります。
