リーディング技術・内容

タロットで見る9月からの流れ

9月に入り、一週間以上過ぎ、数が重なる9/9も越えた今、不思議と「何か重苦しいものが抜けた」「先月までモヤモヤとしていたものがすっきりした」という声を結構聞きます。

これはある意味当然で、まず普通に、最近の夏はあまりに暑く、何をするにも大変なエネルギーを使うということがあり、思考や行動をする以前に、体力的に疲れていたというのがあるでしょう。

まあ、秋口の今になって、その疲れが出ている方もありますが、真夏より気温は下がり、一般的には次第にクールダウンして、エネルギーも思考も、したいことに振り向けられてくることになります。

それから9月は、一年をサイクルとして見ると、始まりと見てもよいですし、終わりと見てもよいふたつが重なる時期にもなるのです。(一年を三分割か四分割すれば) 

そうした切り替えのポイントであるのは確かで、占星術と自他の世界をリンクさせたい(させている)人にも、それは強く意識されるものとなっているはずです。

さて、一方で、タロットに関心のあるような人は、もろちん全員ではありませんが、いわば、いつも自分の流れを意識することが多く、そしてその「時期」は、毎度自分にとって特別な「とき」であり、変化・変革や切り替え(特にスピリチュアル的に)であると見ようとします。

従って、逆に、「変わらない」とか、「そのままである(ありのままという意味ではなくて、変化がないという意味)」というのは、避けたい・思いたくない・考えたくないという傾向にあるように見えます。

マルセイユタロットには「吊るし」とか「月」とか「隠者」とか、待つことを示唆するようなカードがあります。その価値もほかのカードと同等ですし、そもそも変化があるということは、同時に不変である部分も対比され、「変わること」は多くのエネルギーがいること、過渡期には不安定・不透明になることも承知しておいたほうがいいでしょう。

そういうことをふまえたうえで、これからのことについて、タロットで展開したものから読んでみたいと思います。個人に対してのメッセージではありませんので、抽象的なものになることはご了解ください。

●現在、すっきりした感じがしている人

(前より抜けた感じ、飛躍した感じがある人、今後活動的になっていく予感のある人)

これまでの次元から新しいところに向かいますので、気持ちは前向きに、自分の思いを早く実行に移したいと思うかもしれませんが、それだからこそ、冷静な判断と落ち着いた環境が必要です。機は熟しているのですが、それが動き出すには若干のタイムラグがあるということです。しかしながら、例えば、何かの予約をする、申込みをする、下見をする、購入予算を準備するなど、実行直前段階のことはしておいていいわけです。

一人で何でもできそうな気分にもなりますが、あなたには信頼できるパートナーやアドバイザー、コンサルタントなど、相談できる人がいたほうがよく、実際に何かを始めるに当たっては話をしておくのがよいでしょう。好きなことしたり、本来のあなたにふさわしい道に至ったりする前に、一度、障害や試練、テストのような出来事が待っているかもしれません。しかしそれが、本当に現実的な意味で、自分というオリジナリティ・個性を創り上げてくれるものとなり、夢には終わらない実現への導きとなるのです。

●現在、まだ悩みや葛藤が続いている人

(何か重たい・暗い感じ、ブロックを感じている、わからないことがあるなどの人)

まだ当面は、葛藤や悩みが続き、行き着くところまで行くところを促すでしょう。一時的に光や解決策が見えたり、楽になったりすることもありそうですが、また苦しいところ(状態)に戻ることになりそうです。けれども、そうしたステップを経て、まるで行きつ戻りつの螺旋的な運動によって実質は前進しているように、少しずつ壁は崩れ、第一の解放へと確実に近づいているのです。確信が得られないとしても、それを信じることが大切なのです。

苦しい中でも、あなたにはオアシスがあります。共感してれる仲間かもしれませんし、唯一休める場所かもしれません。すべてが塞がれているわけではなく、天使的な救い(常識や現実を超えたものの働き)は、ずっとあなたには注がれており、内なる神性を照らしているのです。あなたが妥協したり、堕落的なものに逃避しようとしたりすれば、そのエネルギーは届かず、ますます暗闇の中を彷徨うことになります。自らの神性を尊び進めば、大丈夫です。マルセイユタロットのカードで言えば、「13」から「愚者」という開放的な流れが用意されています。

なお、毎月、私のHPでは、各人の生年月日(西暦換算)に関係する「ソウルカード」という技法を元にして、その月をリーディングしたものがありますので、こちらも参照されると面白いかと思います。

自分に当てはまるとか当たっているとかというより、こういうことは、たまたま見たとか、読んだということと、それがシンクロしているように感じるということそのものに、実は大きな意味があります。

メッセージが何かの参考になれば幸いです。


対外(人)的に行うタロットリーディング

これは前にも何度か書いたことがありますが、タロットリーディングは、対外的・対人的でありながら、つまるところ、自分のため、内的な作業でもあるのです。

私の講義を受講してくれる人にも言っていることなのですが、タロットリーディングはいつまでも、自分だけの範囲でやっていては上達しないのはもちろん、大きな観点で、自分のためにもなりにくいのです。

前回の記事で記したように、リーディングだけではなく、いわゆる全体性の象徴の意味でタロットを活用する方法は、自分の範囲(だけ)で使っていても、それは自分のためになります。

しかし、ことリーディングの場合は別なのです。

その理由のまずひとつは、人の意識の元型は共通であり、個別的な(クライアントの)問題であっても、タロットで象徴化して取り組むことで、自分(タロットリーダー)の問題や内側ともつながっいることがわかり、結局のところ、自己の浄化や問題の解消にも関係してくるからです。

そして、何よりも、対人的に取り組むことで、ある意味、現実的・社会的とはいえないタロットの世界と作業が、必然的に外に開かれることになるということです。

言い換えれば、人と関わることになるので、どうしても社会(性)も意識せざるを得なくなるわけです。

具体的に挙げれば、人とのコミュニケーションや関係性、もし営業としてタロットリーディングを行う場合なら、社会の動向・集客的要素・お金や経済・エンターティメント・社会的道義や責任・法律・契約・運営等・・・いろいろと考えないといけないところが出てきます。

タロットに関心を持つような人は、なにがしか自分に変わったところがあることを自覚していることが多いです。ま、私もそうですが・・・(笑)

それは実は、マルセイユタロットの根幹に流れている思想からすると極めて重要なことなのですが、一方で、現実逃避になっていたり、社会性について軽視したりしている人もいます。

あるいはそれ(現実性や社会性の自身の問題)を自覚していて、自信がなかったり、不安や恐れを抱いていたりする人もいます。

タロットが何とかしてくれると思うのかもしれませんが、何とかする糸口は与えてくれるものの、何とかするのは、どれであっても、いつであっても、それは「自分自身」です。

人は外のモノや他人によって助けられるのではないのです。

助けられる手前までは他人がサポートできますが、どんな人も、「救われた」という思いが自分の中に生じない限り、救われていないのです。

ということは、結局、自分(の思い)が自らを救うのです。

話が少しそれましたが、タロットをする人の中には、自分の中に対外的・社会的に行動する自分に不安や恐れ、問題を抱えていらっしゃる場合があり、そのために、いつまでもタロットリーディングを自分だけの世界で完結(閉鎖)していることがあります。

営業で行うのか、ボランティア的やるのか、お金をいただくか、いただかないかにしろ、タロットリーディングは、いずれ自分のために、対外的に(他人に対して)行う必要があります。

自分の世界(問題)、他人の世界(問題)、両者を見ることによって、統合の世界に導かれます。片方だけだと、まさに片側でしかの考察になってしまうのです。

それは独りよがりになる、見方が偏るといった単純な話だけではなく、霊的な向上の意味でも、両者(自分側の視点・他人側の視点、見る者・見られる者)の境界線が非常に重要だからです。

私の伝えているマルセイユタロットリーディングでは、基本、クライアント自らタロットカードを引いてもらいます。すると、タロットリーダーは自分だけでリーディングを行う時とは異なり、逆側の視点で見ることになります。

つまり、展開としてカードの正逆を採用した場合、クライアントにとっての正立は、タロットリーダー側からは逆向きに見えることになり、反対に、クライアント側のリバースカードは、リーダー側では正立に見えます。

文字通り、逆さまの視点であり、まるで大アルカナ「吊るし」の構造をそのまま経験するのです。

この視点の交換だけでも、実は変容と統合作用をもたらせます。

ということで、タロットリーディングをしながら、タロットを使って自己成長を志したい場合は、自分だけではなく、人に対してやってみることです。

それはエアー(イメージだけ)でタロットリーディングするだけではなく、ライブ(生・リアルタイム)でも人に対して行うことも意味します。

人に対して、そしてライブでリーディングを行うことは、「タロットの解釈ができる、正しく読める」ということよりも(基本技術ができていることは前提ですが)、「相手が満足するか、癒すことができるか、新しい視点をもたらすことができるか、解放できるか」などが重要になってきます。つまり、そこに模範解答はないのです。

エアーで、自分だけでやっていると、思い込みと知識的解釈ばかりが先に立ち、正答や「リーダーが思う一番」というものを求め、そこに相手への配慮や思い、感情のない、空虚なリーディングが出来上がります。

対外的なリーディングを行うのに自信がない、不安だという人は、いきなりではなく、親しい友人から、家族から、そして教える先生や教わっている仲間たちが提供したり、作ったりしているリーディング練習会などで、人とふれあいながらやってみるのも手でしょう。

営業的にやってみたい人は、イベントなど、手軽なところからチャレンジするのもよいです。

タロットリーディングは、人のためでもありますが、自分のためにも必ずなるものなのです。


タロットにおける質問について

タロットリーディングでの質問(問い)については、実践する人にとっても、タロットを教える人にとっても、いろいろと意見があるようです。

私自身は、一言で言いますと、タロットへの質問は重要でありながら、実はそうでもない。

という立場をとっています。

特に、タロットに習熟してくればするほど、質問自体に意味を持って来なくなると考えています。

しかし逆に言えば、初級のうちは、質問は結構大事です。

そのことについて、少し説明しましょう。

まず初めのうちは大事だというのは、そもそも、タロットの解釈・読み方が、まだこの頃は十分身に付いておらず、有り体に言えば技術不足なので、質問にもある程度凝らないといけない(質問にも注意を払わねばならない、設定しなければならない)からです。

質問が漠然としたもの、例えば、「私はどうなりますか?」とか、「なになに運はどうなのでしょうか?」みたいなものですと、視点がぼやけてしまい、タロットが出された(展開された)としても、どこに焦点を合わせればいいのか判断しづらくなります。

タロットは絵柄であるので、まず基本的には、自分の質問に関連する様々なイメージと、出たタロットの絵柄との合致などを見ることで判断しようとします。

要するに、少々こじつけ的なものから最初は読んでいくスタイルとなっていくのです。こじつけというと言い方が悪いですが、相似形を探すということでは、実は非常な重要な作業なのです。

これが、もっと質問を絞り、「仕事の売上を伸ばすにはどうすればよいか?」というような具体的な感じにしていくと、「(自分の問題となっている)仕事」についてのイメージ、営業や売上、その他それに関係することのイメージなどが本人に出ますので、それと絵柄が合っていたり、何かピンと来たりするタロットに注視することができます。

質問が具体的であれば、それだけ具体的にタロットから探そうとするわけです。

タロットリーディングは、最初のうちは抽象的な感じになりがちなので、質問からある程度、読みやすくする用意をしているのです。

これは言い方を換えれば、タロットと問いを関連させて、ストーリーを作りやすくしているということです。

しかし、こういったことも、タロットの知識と技術が上がってくると、変化していきます。

最初にも述べたように、タロットに習熟してくると、質問自体が、あまり意味をなさなくなってくるのです。

それは、タロットは象徴であり、象徴とは回答がひとつとか、正答がこれとかと言った、現代人がなじんでいる思考方法とは違うものであり、多重構造的に考えていく(あるいは感じ取って)ことにあります。

従って、例えば、質問が仕事のことであっても、タロットから出た象徴性は、いわばクライアント(質問者)の仕事を中心にしながらも、今の人生そのものが表されていると見ることができるのです。

ということは、それ(タロットの展開)がこの人の恋愛にも、家族にも関係していると読むことが可能になります。

ここはなかなか今の常識(的思考)で慣らされるとわかりづらいですが、ある特定の事象には、すべての因子が含まれており、その逆に、すべてのことはある特定のことで表されるという考えがあるのです。

ですから、今のクライアントの悩みを解くことで、全体性への影響(改善)をすることもできますし、全般的な流れを観て、個別的なものに対処することも可能になるという理屈になります。

このため、リーディングの一期一会性が極めて増し、そして、(クライアントの)質問内容そのものよりも、その本質を象徴性としてタロットから読むというスタイルに変わっていくわけです。

あと、クライアントや自分の質問自体がすでにある種の枠・価値観を表していることがあり、それゆえ、タロットがたとえどんな出方をしようとも、その世界観とレベルで判断してしまう(されてしまう)という問題があります。

これも、タロットへの質問が重要でありつつ、本質的には重要ではないという理由のひとつになります。

例えば、「どちらが自分にとってよい選択か?」というような質問と、それに対応するタロットの出方は、それはその人の基準か、タロットリーダーの基準(価値観)による判断が多くなり、その質問はその基準においては意味をなしますが、見方を変えれば、まったく無意味に近く、自分の成長と解放から考えると、その質問とやり方は変える必要があるのです。

極端な事を言えば、どらちがよいか?の質問と、それに対応するタロットをしている限り、クライアントもタロットリーダーもあまり成長はないと言ってもいいです。

ただ、ある次元では必要であり、楽しい質問(興味を持つ)質問になるので、必ずしも悪いわけではありません。そういった選択の質問が要求されるレベルと次元もあるということです。

以上、簡単ですが、タロットにおける質問について、述べてみました。


カードの組合せで見る、「話す」ことの要素

マルセイユタロットに「法皇」というカードがあります。

ほかのタロットでは、「教皇」などと言われているカードです。

このカードは、そうした何か教えをするような人が、聴衆に話をしている絵柄で描かれているため、話を伝える、言葉を話す、伝達する、話をして教えるというような意味合いで見られます。

端的に言えば、「話す」「伝える」ということに深く関わっているわけです。

ところで、マルセイユタロットを読んだり(リーディングしたり)、カードの示唆する内容を理解したりするためには、カード単体での(カードを独立させての)意味を読み過ぎるとわかりづらくなりますし、情報の扱い方としても、物足りないことになります。

せっかく、全体では78枚、大アルカナだけでも22枚あるので、カードを複数枚、もしくはそれぞれを関連させて読む、コンピネーション的な扱いのほうが、より、カードの活用性が増します。

その意味で、基本は、まず二枚くらいのカード関連させて読む訓練を積むと、リーディング技術の向上にも役立ちます。

最初に述べた「法皇」のカードでも、ほかのカードと組み合わせることで、「法皇」のカードの示す「話す」「伝える」ことのいろいろな面が見えてきます。

一言で「伝える」「話す」とは言っても、実はそこにはある要素が関係するのです。

ある要素とは、まず、時間と空間(場所)ということがあげられます。

時間で言いますと、「話す」タイミング、時期、長さなどです。これは「法皇」と「運命の輪」の組合せで顕著に読むことができます。(もちろんその他のカードでも)

また場所も大切です。

例えば、「法皇」と「手品師」だと、話す場所は職場ということかもしれませんし、「法皇」と「月」、あるいは「審判」だと、その場所は家庭ということもあるかもしれません。

それから、誰に話すのか? という要素では、「法皇」と別のカードの組合せで、その別のカードが人物を示していると思える場合、その人物こそが話すべき人、伝達における重要な人物と読むことができます。

それから、話す内容や話の仕方という要素で考えることも可能です。

例えば、「法皇」と「恋人」では、まさに恋の告白かもしれませんし、「恋人」カードが複数の人たちと話し合っているように見えますので、まさに話し合いとか会議とか、相談が必要と読むこともできます。

「星」のカードと組み合わさせれば、話し方は優しくとなるかもしれませんし、「節制」だと効率的に要領よく話すとか、相手に配慮して話すとか、ゆっくり語るとか、通訳するという意味もあるかもしれません。

また「世界」だと、言語も外国語が必要ということも想定できます。

「正義」が来ますと、率直に話すとか、法的な面に言及するとか、正直に伝えるということの示唆も考えられます。

小アルカナと組合せれば、お金がポイントなのか、気持ちが重要なのか、何日にどこで話せばいいのかなど、さらに話すことの詳細なもの・具体的なものを決めていくこともできるでしょう。

まとめますと、話す要素には、「時間(タイミング含む)・時期」、「場所」、「人(対象として複数もあり)」、「状況(シチュエーション)」・「話し方(調子やスピード、声の大きさ、言語種など)」、内容(要点・ポイント)」などがあり、これによって、伝わり方も違うということです。

逆に言えば、漫然とただ話すだけでは、伝わりにくいというわけです。

このように、タロットを使えば、「話す」「伝える」ことに諸要素が大事であることがわかるだけではなく、今の自分にとって、あるいはアドバイスを求める人にとって、何が話す(伝える)うえで重要な要素なのか、カードの出方・組合せで見ることができるのです。

今日述べたことは、「法皇」を例にしましたが、ほかのカードや意味でも使えることで、カードの読み方(の訓練方法)だけではなく、カードから発想を得るための方法も兼ねています。

これはマルセイユタロットがシンプルな絵柄で、人や物事の元型(構造)を描いていることと、人物の視線・動作がはっきりしていることなどから、特にカードの組合せ、コンビネーションによって発想を得やすくなっていることと大きく関係しています。

マルセイユタロットはカードを組み合わせることで、さらに威力を発揮するカードだと言えるでしょう。


リーディングの共同作業意識の重要さ

タロットは誰がリーディングしているのでしょうか?

これは変な質問ですよね。(笑)

答えはタロットリーダー(Tarot Reader タロットを読む人)に決まっているじゃないですか、となるかもしれません。

タロットリーダーが、タロットの知識を得て、直感やセンスを入れて、カードの絵柄から受けた印象をもとに、クライアントや自分の問いに答えているというところでしょう。

しかし、例えばクライアントの問いに答えているという行為を見ても、問いをしているのはクライアント(相談する質問者)であり、タロットリーダーは、まったくクライアントの事情や実際の状況を無視して、ただタロットカードの意味を述べているわけではありません。

カードから、たとえ「注意せよ」という暗示が出ているとリーダーが思えても、その注意する内容・対象は実際的(具体的)には何なのか?ということは、クライアントに情報を提供してもらわないと当てはめにくいわけです。

まあ、占い師としてのタロットリーダーなら、相手が何も言わなくても、すべて答える、当てるということもないわけではないでしょうが、相手とのコミュニケーションを一切はさまずリーディングするというのは、かなり特殊なケースであり、おそらく、クライアント側でも不満は残るのではないかと思います。

ここでのポイント(言いたいこと)は、タロットリーディングはタロットリーダーのみで純粋にカードを読解しているわけではないということです。

言葉や文字のやり取り(実際のコミュニケーション)、その他にも、目に見えない情報のやり取り・交換・交流があり、カードとともにそれらは共有する(される)ことになります。

すなわち、必ず、何らかの形で、タロットリーダーはクライアントと対した時、相手との共同作業になっているということです。

そして、たとえ自己リーディング(自分の問いを自分でタロットリーディングすること)であったとしても、実はタロットの精霊のような存在と共同作業で読んでいるとも言えるのです。

結局のところ、タロットを自分一人で読んでいるという意識は、錯覚に近いところがあります。

自分が主体になることは、周囲に振り回されず、自分軸を作る上でも重要なことではありますが、行きすぎると独善的になり、相手や場をコントロールしたいという欲求や、何でも自分がやっている、起こしている、してやっているという傲慢な姿勢になってしまいます。

こじらせると、人から自分への評価や賛辞がないと満足できないという人間にもなってしまいます。(そしてそれを強く求めるようになる、エゴの肥大化)

これはつまるところ、近世以降にヨーロッパから顕著になった、自分と自然、自分と神(天使や精霊的なものも含む)とを分断して、自分一人ですべてをコントロールする(他人よりも優秀でありたい、勝ちたい、区別したい)という現代思想の弊害にも関係してきます。

タロットリーディングひとつとっても、タロットリーダーは主体でありながら客体でもあり、他人や精霊的なもの、(内なる)神なるものと共同作業で回答や気づきを得ているのです。

タロットリーダーが客体(受ける側)であるというのは、例えば、自分が常識的に認知・知覚している以上のもの(存在・エネルギー)から受け取る情報というものがあり、その時、「受け取る側」ですので「客体」となっていると言えるのです。

主体と客体の入れ替えは、古代では普通の思想なのですが、なかなか現代人にはなじめない思考です。

しかし、このふたつの立場の交換や、どちらも状態として同時に存在しうると理解できる時、私たちはとても謙虚になりますし、実は力強くもなるのです。

どういうことかと言いますと、単独の存在で最強になるよりも、自分だけでは弱いことを自覚し、取り繕ったり、自分の強さを無理に誇示したりせず、素直に周囲や自然・神に自分を明け渡し、協同的(共同的)に、大いなるひとつの存在と化したほうが、もっと強くなれるということです。

弱いから逆に強くなれる、まあ、これは日本ではアニメや漫画ではよく描かれることです。(合体ロボ発想も原点は同じと考えられます)

自分の強力な霊感とか超能力みたいなことでタロットが読めるようになるよりも、自分は特殊な能力などない、普通の人間だと思ってタロットに取り組むほうが、逆に自分のエゴが弱まって、ほかの上位存在やエネルギーを受け入れやすくなることがあります。

言い換えれば、気負うことなく、「力」を抜くことで、心や感覚は柔らかく鋭敏になり、いろいろなソースとつながって、共同的巨大人間になるというような感覚です。

マルセイユタロットでは「力」のカードや「吊るし」などでも表現できるでしょう。

タロットが理解できれば、自分の中にも何人もの人格的自分存在がいることがわかりますから、やはりどんな場合でも、単独ではなく、有機的に繋がって、人は行動していることがわかります。

自分一人の弱さや限界を認めたうえで、それに甘えるというのではなく、特徴を活かし合いながら、助け合うことができ、巨大な力に統合することができるのです。

独立や強さばかりを求めるのではなく(それは悪いことではありませんが)、自分が全体から見て、何の個性と特質があり、貢献できるのかという、共同体的視点で見ることも大切です。

お金においても、自分が一人、大きな存在となって稼ぐというよりも、自分が稼がせてもらっている、皆と繋がって、結果的にお金が流れとして入ってきていると意識したほうが、楽で持続することがあるものです。


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