リーディング技術・内容

タロット学習、その前提のセンス。

最近はちょっとスピリチュアルと言いますか、純粋なタロットのことから離れていたきらいもありますので、今日は普通にタロットの話にします。

その中でも、タロット(マルセイユタロット)学習についてとりあげます。

タロットは絵柄のカードなので、一見親しみやすく、取り組みやすいように思うのですが、実は奧が深く、なかなか学習していくのには大変なところもあります。(ただ最初は比較的取り組みやすいはずです)

私も結構多くの人にタロットを教えてきましたが、その学習と理解の大きなポイントとしては、センスと努力という、どの分野でも当たり前に言われることが、やはり指摘されると思います。

ひとまず、今回はそのセンス(の一部)について書きます。

ここでいうタロットの「センス」というのは、一言で言いますと「類推能力」といいますか、「ポエティックな力」とも表現できる、平たくいえば、「ほかのものにたとえることのできる力、ほかのものを想像できる能力」と言えます。

これは、歌の歌詞などではよくありますが、心と現実の状況(現象)の両者を関連させてよく歌われている(歌詞が作られている)ものなのです。

例えば、

空が晴れている」という状態(現象)があったとします。

そして今、恋人とラブラブの人から見れば、「今日もなんて素敵な青空!」と心ウキウキに思いそうですが、反対に失恋した人からすれば、「憎らしいほど澄み切った青空・・」と感じるかもしれません。

同じ青空ひとつにしても、心とリンクさせたり、心の状態で例えるたりすることで、ひとのつ現象に変化が生じる(解釈が変わる)わけです。

もうひとつ例を述べましょう。

結構重い「かばん」がひとつあったとします。

それを持ってみた時、ある人は、「思い出がいっぱい詰め込まれているから重い」と感じるかもしれませんし、「いろいろと疲れていて、いつもより重く感じる」と思うかもしれません。

いずれにしても、かばんと重さというものを、「入れ物」と「データ」として例え、それが心の入れ物とデータ・重量として表現することで、かばんひとつでも、その人の心模様を表すことができます。

ほかに、単純に、空の雲を見ていて、ケーキに見えるとか、おじさんの顔に見えるとか、龍に見える、天使に見えるとか、こういう想像力、例える力もあったほうがタロット的には望ましいです。

できれば普段、思わずそういうことをやってしまうというような人のほうが、タロット読みには向いていると言えます。

これがバカバカしいと感じる人は、タロットを読むセンスが欠けていると言ってもいいかもしれません。

ただし一方では、冷静に、例えば上記の雲の話でも、「ケーキが食べたい」と思っているから雲もケーキに見えてくるのでしょうし、「天使や龍を見たい」と思っているから、雲がその形に見えるという心理投影を理解しておくことも重要です。

そうすると、雲がどのように見えるかということで、直感的なものでも、心理分析的なものでも、いろいろと多方面に理解することができ、タロットを読む時でも、「単純な当てはめ」から脱却することができます。

タロット学習において、特に象徴の知識を学ぶのも、そのためです。

とはいえ、現代人はガチガチの論理構造に支配されていることが多く、「これこれはこう見なくてはならない」とか、「この回答は、これこれが唯一の正解である」という一対一の関係性に慣れていることもあって、なかなかひとつの絵柄や形から自由に発想する、類推するということができません。

私自身も実は結構苦労したのです。もともと公務員をしていたくらいですから、頭が固いところがあるのですね。(笑)

またまじめな人ほど、(唯一の)正解や正しさを求めますので、間違ったらどうしようとか、特に他人がいる教室などでは慎重になりすぎたり、テキストに頼りすぎたりします。

ですから、最初からひとつの正解はないというように考えて、できるだけゲームのような感覚で、少しずつでもよいので、思いきって想像し、口で言うことです。

この「発言する」ということが極めて重要で、ただ頭で想像するだけでは、まだブロックがかかったままのことが多く、口で述べることで、恥ずかしさや心のブロックがはずれることが多いのです。

またコツとしては、連想ゲームのように、絵から絵、形から形を想像するだけではなく、絵から匂いや味、絵から温度(温かさや冷たさ)も想像するとよく、さらには人だと思っているものを、今度は動物や植物、モノ、さらには内的な状態(精神や心の状態)に例えていくよう心がけると、イメージが幅広くなっていきます。

最初は大アルカナの一枚、そして二枚、三枚と関連させてイメージや類推を試みていってください。

慣れてくると、記号的な絵柄のマルセイユタロットの小アルカナでさえ、いろいろと読むことは可能になってくるのです。(マルセイユタロット小アルカナの読み方は、きちんと別に法則的なものがありますが、それもやはり想像や類推が鍵になります)

実はタロットを読むセンスは誰しももっています。

ただそのセンスを阻害しているものがあり、それが今までの人生で強制されてきた「思いこみ」なのです。

「思いこみ」は自分の信念として、自分を守ってきたものでもあるので、それが強固な人は大変ですが、タロットを学習すること、読むことによって、それらも次第にはずれてきます。

それはすなわち、本来の自己に立ち返ることと同意になります。


期待したいタロットリーディングのレベル

私は、タロット講座受講者の事後学習のために、クローズドの掲示板を設けています。

ちょうど最近、その掲示板でのタロットリーディング勉強会が開かれていたところでしたので、そこでの話題の一部を少し紹介したいと思います。

マルセイユタロットでのリーディングには複数の段階・次元・レベルがあります。

まあ、それはマルセイユタロットに限らず、他のタロットでも、またほかのツールや技術でも、普通にあることでしょう。

つまりは、どんなものにも、階層で表されるレベルや次元の違いがあるということです。

私はマルセイユタロットを使っての対人リーディングにおいて、単に「タロットを読む」という技術・レベルを教えているのではありません。

そもそも、マルセイユタロットは、グノーシスという、自分に宿る神性への認識、発見、理解、覚醒のための象徴ツールであるという前提があります。(ただこれは、あくまで私自身が採用している説と教義です、そうではない考え方ももちろんあります)

この目的のためには、マルセイユタロットを吉凶判断や結果を予想したり、アテモノ占いとして使ったりするレベルとは別の段階で活用してほしいと思っています。

それをしてはいけないというわけではありませんが、神性の認識、自己の統合的発展と成長というレベルにおいては、ほとんど意味のないことになってくるのです。

要するに、そのレベルでのリーディングとは別の次元に踏み込む必要性を言っています。マルセイユタロットを学習するからには、それを目指さないと、とてももったいないことになると考えているのです。

ただ、これは表現においての次元の違いなので、どちらが優れているとか劣っているとかという意味で述べているのではありません。

その人の状況によって、採用される次元の読み(リーディング)は変わってくるものであり、占いや状況の予想読みがしっくりくる(必要とされる)場合もあるのです。

さて、私が、皆さん(私のマルセイユタロット講座を受講する皆さん)に到達してほしいと思っているレベル、望ましい次元のリーディングレベルというものがあります。

それは、内的・外的の二元を統合するレベル・次元です。

タロットリーディングで相談を受ける時、人は、ある何かの悩み事の解決や、起こっていること、あるいは起こっていないこと(変わらないこと)についての変化を期待します。

それは目に見えるものであり、いわばその人が今の感性や思考で信じている事件・現象です。

ずばり、(その人の)「現実」と言ってもいいでしょう。

しかし、その人の「世界」は、その人の見たまま、感じたままだけではないのです。

実は見えていないもの、表面意識だけではわかっていないもの(気づいていないもの)も存在します。

ここで安易にそれは「潜在意識にあるもの」とは言いません。実際問題、潜在意識と顕在意識の境目や区別は難しく、また潜在意識の構造もわかっているようでわかっていないところも多いからです。

ですから、単に今の現実感において、自分(その人)が気がついていないこと(裏の感性)と表現します。

いずれにしても、裏の何か、隠された何か、見えていない何かは確実に誰でもあるのです。

ですから、生じている問題や事件、悩み事、さらには自分の思いが実現しない状況などにも、今の自分には気づいていない、わかっていない、忘れている、理解できないことなどが、やはり存在するのです。

それをマルセイユタロットが示します。いや、正確にはタロットリーダーと相談する人の共同作業で発見されると言ったほうがいいでしょうか。

マルセイユタロットは実は高度な象徴体系ですから、気がついていること、わかっていること、目に見えていることとと同時に、反対の、気がついていないこと、わかっていないこと、目に見えていないことなどの、両方(両面)を表すことができます。

タロットリーディングは、表と裏、裏と表、これをマルセイユタロットとともに発見していく作業になります。

ちなみに表と裏の関係は、タロットリーダーとクライアント(相談する人)という、二人のモノの見方と情報交換も意味します。

そうすることで、ふたつのものは、どこかで融合する瞬間がやってきます。

すると、目に見えるものと目に見えないもの、わかっていることとわかっていないことの境界線がなくなり、一種の中立化現象(ゼロ状態)を起こします。

そうなると、外側の現象(目に見えて起こっていること、通常認識での世界)は、自分の内側(心や思い、思考・感情など、目に見えないもの)と混交することになり、全く別の意味を持って現れてきます。

ちょうど、同じ映像の物語を見ていても、裏の解釈や意味を知ると、それが別のストーリーとして浮上してくるというような感じです。

この時、「ああ、この現象にはこんな意味があったのか、全く気がつかなかった・・・」と、思わず言葉や涙さえ出てくることがあります。

これが言わば、内と外の融合・統合なのです。

内なる意識が外の現象を発生させていると言ってもよいかもしれませんし、反対に、外を通して内を知るようなことと言ってもよいでしょう。

また、別の表現をすれば、その現象において、内・外、顕在と潜在(目に見えていること、見えてないこと)が「中立」した感覚でもあります。

この「中立」した時の感覚によって、全体性(宇宙や神と呼ばれる「全」なるシステム)のすばらしさに気がつくことになり、自然に感謝があふれてくるのです。

つまりは自分の内なる神に出会った瞬間でもあります。

いつもそれ(内なる神)は存在しているのですが、日常において、なかなか発見できないような幻想(錯覚)の世界に私たちは泳がされており、だからこそ、その修正のためにタロットリーデイングの問題や課題として登場してくるわけです。

「神に出会う」わけですから、言い換えれば、それは自分の神性の再発見、認識の復活です。たとえわずかなことであっても、「問題」を通して、神性を知ることができるわけです。

タロットリーダーは、そのことを他人(へのリーデイング)によって知ることができるのです。

毎回できるとは限らずとも、こうしたレベル・次元でのリーデイングを行っていただきたいと私は思っているわけです。


「審判」を情報の観点から読む

タロットカードには、「審判」というカードがあります。

タロットの種類にかかわらず、比較的どのタロットでも共通する(存在する)カードと言えるかもしれません。

けれども、ここではもっぱらマルセイユタロットにおける「審判」ということで書きます。

ただ、マルセイユタロットにおける「審判」のカードと一口に言っても、やはり象徴ですので、そこには様々な意味があります。正しくは様々な意味が出てくるというほうがいいかもしれません。

それはほかのどのカードでも言えることです。

さて、今回、そうしたいろいろな意味のある「審判」の中で、「情報」というものに着目してみたいと思います。

「審判」から「情報」という意味がなぜ出るのかについては、詳しくは述べませんが、単純に見たままの絵柄からだけではないことは言っておきます。

ともかく、「審判」が出ると、「情報」に注目する(必要がある)場合があります。

ただその「情報」というものの「次元」が普通と異なるのです。

ここが非常に重要なところで、わざわざ「審判」が出た意味でもあるのです。

「審判」は数の上でも、「運命の輪」の数である「10」の倍の「20」(本来はローマ数字ですが、文字化けの可能性がありますので算用数字で表しています)を持っています。

ここからでも、速度や処理数が上がっていること、または次元を異にして、単純な数値や直線・平面だけでとらえる方向性ではないことがわかります。

またその絵柄からも、人が蘇っている状態、立ち上がった状態であること、上空に巨大な天使がラッパを鳴らしているところからみても、何かが覚醒したこと、大きく変化したことがうかがえます。

ということは、「通常や常識レベルでの情報が来た、得た」という類ではないこともわかります。

ここで「情報」という言葉だけで見るのではなく、情報をどう入れるのか、どう出すのか(知らせるのか)、という情報入手と活用という「動き」の観点で見る必要もあります。

まず先述したように、スピードと処理の次元が変わっています。かなり速くなっていると言えましょう。

また一度に扱う(扱える)量も多くなっています。昔はギガレベルだったのが、今はテラレベルになっているというような感じです。

次元ということでは、情報の質にも関係してきます。

「一を聞いて十を知る」ということわざがありますが、これは処理速度と次元が上がったため、瞬間的に高度、かつ、たくさんのことを知ることができるようになっているということですが、反対に、ひとつの情報の質が巨大な、あるいはかなり深いものを示唆するということも考えられるのです。

そうした情報の質が変化していることも「審判」では表します。これが絵では人間と天使の違いなどで表現されるのです。

ところで、昔の言葉は、ひとつの単語や音に、複数の幅と意味があったと言われています。

聖書などでも、文章通りの解釈をする立場もあれば、秘儀的に、たとえば音に変化させたり、数に変化させたり、象徴的に解釈したりすることによって、別の「本」や「意味」を見出すようにすることもあるのです。

カバラー的には大きくわけて4階層、細かくわければ10段階あるといわれる理解の段階も、レベルや次元が上がれば、より複雑で高度な情報を知ることができるようになるのです。

もっと別の表現でわかりやすく言ってみましょう。

例えば、自分がセラピーを学び、仕事として始めたとします。

今までや、当初の段階では、身の回りの人、友人を介したりしての口コミレベルでお客様にお知らせしたり、集めたりしているレベルで十分(だった)かもしれません。

しかし本格的に仕事として経済的・営業的に成り立つレベルにするためには、それを超える次元(情報の入手と活用)が必要となります。

自分をもっとたくさんの人に知ってもらわないといけないかもしれませんし、友人にお話するだけでは、全然方法も、告知する媒体の数も、宣伝としては足りないかもしれません。

あるいは、情報の質の向上が求められるかもしれません。

それは、もっとレベルが上がれば、同じ口コミでも、人から人に伝えられるセラピーやセッションの感想の言葉にしても、述べられている・書かれている言葉以上の言外の情報(感性・インスピレーションなど)も含まれるようになるからです。

だからたくさんの人に伝わり、集客もできてくると考えられます。

この場合は、出しているもの、表現しているものが、質の高い情報に変化したと言えるでしょう。

情報の出し方として、意図的・技術的に質を上げる場合もあります。自分がレベルの低い情報しか得ていない場合は、当然それを仕入れる働きかけがいります。

また「審判」レベルの情報は、普通の時間感覚や流れも超越してきますので、過去のものが再生(浄化もあり)されたり、未来のものがわかったりして、時間という枠を超えて情報が入手・活用されることもあります。

さらには、通常の人間を超える次元の情報(神や天使と表現されるレベル)と接触するということも想定できます。(通常の人間の五感を超えたデータや情報)

情報の質や出し入れの速度・量、接触する対象のレベルを上げる必要がある場合にも、「審判」は登場してきます。

「審判」は、「運命の輪」のように同調やシンクロに注目するのではなく、それに注視しながらも、さらにもっと上のバージョンや次元を目指し、超越していくことに意味があります。

このように、「情報」に着目して、「審判」を読んでも面白いでしょう。

もちろん、ほかの意味も「審判」にはありますので、これはあくまで「情報」を観点として読む方法の一例であることに留意してください。


単語とカードのふたつ 組合せの妙味

私の使うマルセイユタロットでのリーディングの基本は、カード単体ではなく、カード同士の連繋やコンビネーション、固まり、グループで読むことです。

つまりは「組合せ」ということになりますから、その最小単位は二枚のカード(の組)ということになります。

ですから入門コースなど最初にタロットにふれてもらう講座において、または本格的な基礎コースにあっても、まずはその二枚の読み方を押さえてもらうことにしています。

カモワン流と呼ばれる、カモワン版マルセイユタロットから入っている方は、二枚をカード人物の視線と組み合わせて読む場合もあります。

ただ視線のあるなしに限らず、「組合せ」で見るということが重要だと、私の場合は考えています。

いわばそれが、単語から文章につながっていく始まりだからです。

タロットリーディングということも、結局は、カードを読むこと=カードから文章を作ることを意味するからです。

熟語という言葉があるように、ひとつの漢字と、もうひとつの漢字が組み合わされば、新しい意味が出てくるみたいなことに似ています。

漢字も、もともとは象形文字(モノをそのまま形として表したもの、文字の形がそれを表すものをかたどっているもの)でしたので、タロットも絵柄であるならば、何かをかたどったり、象徴したりしているのだと、漢字のように見ることもできるわけです。

すると、やはり漢字と同様、ひとひとつのカードが組み合わさって、いろいろな意味が出てくることにもなります。

例えば「恋人」というカードがあります。

このカードは恋愛を象徴しているカードでもありますので、ひとまず単純に「恋」という言葉で置き換えてみます。

ではその横に、もう一枚、「運命の輪」というカードも置いてみます。

「運命の輪」もいろいろな意味がありますが、これもシンプルに、ここでは「運命」ということにしますね。

すると、「恋人」と「運命の輪」のカード二枚によって、「恋の運命」「運命の恋」というような言葉が登場してくるわけです。

「恋の運命」と読む場合と、「運命の恋」と読む場合とでは、ニュアンスや意味も異なってきますが、いずれにしても、二枚のカードの組合せで、単体の時の意味とはまた違った新しい解釈と意味が読めることになります。

このパターンで、大アルカナ22枚だけでも、そのうちの二枚セットで組み合わせると、とてもたくさんの意味が読めることがわかります。

もちろん二枚だけではなく、三枚や四枚、もっと多くのカードと組み合わせることも可能です。

さらには、正立と逆位置(リバース)の読み方に違いを入れる場合は、それぞれがその倍となります。

先述した「恋人」カードを例として、シンプルなカードの意味で組み合わせて出す形を、数例、示します。

「愚者」と「恋人」  自由な恋 恋の自由 恋の自由人
「手品師」と「恋人」 仕事での恋、恋の仕事人、恋のきっかけ
「斎王」と「恋人」  忍ぶ恋、恋の手引き書 ラブレター(メール)
「女帝」と「恋人」  恋のアイデア 魅力的な恋 恋の気づき・自覚
「皇帝」と「恋人」  恋の現実 現実的な恋 恋の成果

こんな感じ(漢字(笑))で、カードを組み合わせて、シンプルな意味でコンビネーションさせることで、新たな意味や、そのカードたちが出た時の解釈を簡単にすることができるのです。

もちろんリーディング練習としても効果的です。

あ、それから言葉や熟語自体も、組み合わせになっているものは、逆に分離させると面白いことがわかる場合もあります。

例えば「恋人」カードに象徴される「恋愛」も、「恋」と「愛」に分けられます。

普通は「恋」と「愛」をそれぞれ単体で考え、「恋」と「愛」は違うのよ、みたいなことで語られますが、一度分離したものを再び組合せて訓読みみたいにしてみると、「恋の愛」「愛の恋」というように組み合わせてみれば、ほかの解釈も出てきます。

例えば、「恋愛」いうものは、「恋の形をした愛」なのだということで見ることもできますし、「愛を知るために恋がある」というように読むこともできるのです。

すると「恋愛」というものが興味深く思えてきますよね。(笑)

ふたつの言葉とふたつのカードの組合せ、このように、いろいろと試してみてください。


タロットリーディングの学習と知識

タロットの読み方・リーディングの方法にもいろいろとあると考えられます。

またカードだけではなく、展開法(スプレッド)によっても読み方が変わりますし、そもそもタロットの種類によっても解釈が違うこともあります。

ですから、カード解釈・読み方・展開法・カード種など、カードに関係するだけでも様々になることがわかります。

これに人がカードを読むわけですから、当然、知識や経験、感情・感覚などによっても異なってきますし、そう考えますと、人の数だけ読み方もあると考えることもできます。

ということは、ひとつのリーディングやセッションで、まったく同じ読みをする人などいないと極論することもできるでしょう。

このことは学習者にとっては朗報にもなります。

すなわち、読み方に解答や正解がないということになって、同時に明らかな読み方の「間違い」もないことになり、どこか安心できるからです。(あまりにまじめ過ぎる人は、この考え方を持っておくと楽になることがあります)

では、学ばなくても勝手に読めばいいではないかという話にもなりますが、一面ではそうとも言えますが、やはり王道・セオリー・基本的解釈というものも存在します。

確かに読み方は人によってバラバラなところもありますが、反対に一種の基準のようなものがあり、それがないとカードの意味をなしません。

しかしこの「タロットの意味」というのは、私たちが通常考える試験の問題と答えのような関係ではなく、象徴的な意味になるのです。

例えば「愚者」というカードがありますが、そのカードに「自由」という意味が見い出せたとしても、必ずしも自由=愚者ではないのです。

自由の意味だけならば、ほかのカードでも表すことができます。

あくまで「愚者」のカードの図像が象徴しているもののひとつに「自由」というものが考えられ、そのプロセスでの「意味」なのです。

そしてまた、そうは言っても、通常、「愚者」から「束縛」というような意味が出ないのもまた事実で、そのため、どんな読み方をしてもいいというわけではなく、やはり基準となる意味はあります。

ただし、「愚者」の持つ自由性の象徴を理解していると、それが阻害されたり、発現できていなかったりすれば、束縛という意味も「愚者」から想像することも可能です。

それが、「問いに対して正答がひとつきちんとある」というような考え方ではない、象徴的な意味の出し方なのです。

象徴としてカードを見る場合、そのレベルと適用範囲も広く、それがために人によってカードは違う読みをしてもOKとなりますが、読みがカードの示す基本象徴から大きくずれている場合は、間違いの場合もあることをタロットの読み手(リーダー)は自覚しないといけません。

従って、カードの象徴(の意味)を学ぶ必要はやはりあるのです。

それから私が使い、教えているマルセイユタロットの場合、読み・リーディングは多層的な象徴解釈になりますので、単純にカードの意味を暗記したり、カードの絵柄から感覚的に意味を出したりするようなことだけでは対処しにくいものとなります。

これは私が実際に何度もマルセイユタロットのリーディングにおいて経験していることですが、例えばある組合せのカードが出ると、神話上の神々の組合せや、伝説等の登場人物の組合せ、あるモチーフの象徴・形であることなどが明確にわかる場合があります。(それは、その知識を入れているからわかるのです)

そんなことが現実のリーディングに何の役に立つのかと思うでしょうが、伝説や神話というものは、人の潜在意識やパターン、力の行使、人生表現の方法・問題などを象徴的に表しているものなのです。

ですから、カードの組合せやカード内の象徴の関連によって、ある神話や伝説等との結びつきがわかれば、その話のパターン・原理がクライアントの中にも現実として働いていることが理解できるのです。

それを読み解くと、対策や今後の傾向もわかります。

ですから、タロットの象徴(それはカード一枚だけのものではなく、一枚一枚に描かれている細かな象徴や全体構成としての象徴なども含みます)を学ぶことの意味は、大いにあるのです。

「カードは勉強しなくてもよい、直感で読めばいい」というのは、相当高度に直感が研ぎ澄まされ、自己の持つ内奥の智慧にふれることができている場合です。

あるいは、簡単に感覚的な占いをしたい場合などです。

きちんとした相談になるようなリーディング、セッションを行いたい時は、やはり象徴の意味・背景をきちんと学習し、知識として蓄える必要があります。

しかし知識を入れることが目的ではありません。

知識を蓄えるのは、象徴の力を発動させるためであり、自己や他者の神性にふれるためでもあります。それには直感も感性も大切になります。

言わば、ぶれない直感(直観)に至る(思い出す、発動させる)ために、様々な知識を学ぶようなものです。

本当の直観を大切にする人は、謙虚に学び、知識を入れることにも抵抗はないどころか、喜びを感じることでしょう。

問題は凝り固まった知識だけ(損得的な頭の基準)で判断することや、知識自慢になったり、知的好奇心を満たすだけに終わったりすることにあるのです。

深くマルセイユタロットのカードを読みたい人は、カードに描かれている象徴を学ぶほか、いろいろ神話や伝説、説話、歴史などにもふれておくとよいでしょう。


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