リーディング技術・内容
タロットの未来占いと変形解釈
タロットの展開法、いわゆるスプレッド、平たくいえばタロットを引いて並べる法則は、かなりの種類がありますし、自分が考えれば、その日からオリジナルなスプレッドということにもなります。
とはいえ、伝統的なものや典型的なものは、やはり多くの人が使っている(きた)分、読みやすく、力もあると考えられます。
そんな中で、よくあるのが、時系列的意味をあてはめる並べ方です。
過去・現在・未来を意味するパートに、カードを引いてあてはめていくというものですね。
これは、過去・現在・未来の三枚というカードにする場合もあれば、それぞれにブロック的な引き方をして、もっとたくさんのカードを並べることもあります。
ちなみに時間というものは、一応私たちの感覚では、ずっと過去から未来に向かって流れているものですが、厳密にはどこが過去・現在・未来なのか、はっきり示せるものではありません。
言えるのは、ある「瞬間」「ポイント」を「現在」と定めることによって、過去と未来が決まってくるわけです。
とすれば、重要なのは「現在」という自らの意識になります。よって、自分にとっての「現在」が時の認識であると言い換えることもできるのです。
ところで、「涼宮ハルヒの憂鬱」というライトノベル原作のアニメがありますが、そのOPの歌詞では、「明日過去になった今日のいまが奇跡」というものがあり、結構感心した覚えがあります。
これはなかなかスピリチュアルなフレーズで、時間の謎や、私たちが実は瞬間瞬間に生きている存在で、それそのものが「奇跡」でワンダーなことをよく表していると思います。
長々と時間のことについて話していますが、今日言いたいことは、別にあります。
それはタロットによる未来占いの解釈のことです。
この時期になりますと、今年一年ということで占うこともあるわけですが、もちろん「占い」として、これから起こる未来の傾向について読んでいくのも面白いのですが、ほかの解釈方法もあるのです。
それは、先述した「時間」解釈がヒントになります。
時間は「現在」の認識が重要であり、現在が決まるから、過去や未来ということが意味として出てくるというようなことをお話しました。
このことから結局、「未来」占いで出たカードも、未来そのものを示すのではなく、今現在における自分が決めた「選択肢」であると解釈することができるのです。
引いたカードがたった一枚だとそれしかないので、未来はそうなると思ってしまいます。
そこでブロック的にカードを複数枚出すやり方のほうが望ましいです。
数枚出たカードは、すべて今現在の「あなたが決めた瞬間に出る選択肢」だと解釈します。
ということは、すでにあなたは何かを決めているのです。
時間でいえば、今引いた瞬間ということが「現在」ポイントとなって、可能性ある未来の複数を絵柄として見ているということになります。
それは起こる未来という見方をすれば「占い」になりますが、「選択できる未来」ということでとらえれば、「占い」とは違うものになります。
時間は、ひとかたまりの泡のようなものが幾重にも折り重って、回りながら存在しているものと想像すれば、時間が一直線に流れていくのではなく、ただ自分の意識の瞬間に選択しているだけだということになります。
ただこの現実世界のルールや仕組みによって、私たちは過去・現在・未来という、時系列的に一直線に過ごしていると錯覚するように、つながりとリセット機能を働かせているのだと見ることができます。
要するに、「未来」を「起こるもの」として、運命的に占いで解釈し過ぎると、なかなか自己の覚醒ができにくくなるということです。
覚醒しにくいということは、本当の意味で自分の意識を持っていないことになり、何かに操られたり、創造的な人生を歩めなかったり(だから誰かの模倣をしたり、宣伝に踊らされたりします)します。
ということで、未来として出したタロットカードも、「こうなる」という解釈ではなく、「選択する可能性」として見ると、これまでとは違ったものになってくるでしょう。
当然ながら自分の現在ポイントが変われば、またその未来の選択肢も変化します。ここでいう現在ポイントは必ずしも「時間」のことではなく、「強く自分が意識すること」と思っていただいてもよいです。
なぜならば、現在という意識と現実感覚は密接にリンクしており、そして現実とは、私たちがリアルに感じている世界のことであり、結局意識の働きが重要ということになるからです。
このことを思えば、タロット展開そのものから、自分が今意識し選択している内容も浮かび上がってくるのです。
マルセイユタロットの小アルカナの図像
マルセイユタロットを手にした時、もしほかのタロット種を知っている人ならば、小アルカナと言われるパート(数カードの組)がとても記号的なことに気がつくことでしょう。
今、日本で巷に流布しているメジャータロットといえば、ウェイト版、通称ライダー版のタロットで、このタロットはすべてに絵柄がついています。
言ってみれば、大アルカナと小アルカナの見た目、区別がない感じとなります。(よく見れば、結構あるのですが)
ところがマルセイユタロットは、大アルカナと小アルカナ、中でも数カードの組はまるで違うもののように普通は思うはずです。
どちらかというと、小アルカナは私たち日本人がイメージする「トランプ」に近いと感じるでしょう。実際、タロットはトランプ的にゲームもできますし、トランプの構成とほぼ同じにもなっています。
このように絵柄の明かな違いが見受けられますので、マルセイユタロットは大アルカナと小アルカナ、特に数カードは別々で発展してきて、どこかで融合されたのではないかという説もあります。
図像からしても、ヨーロッパだけではなく、イスラムやインド・中国などの汎世界的な影響も感じられます。
いずれにしても、マルセイユタロットの大アルカナと小アルカナ(数カード)の区別が、明瞭に絵柄にあるのは間違いないことです。
ということは、ここに意図的なものがあると推測できます。なぜならば、マルセイユタロットを知ると、その図や構成に偶然はなく、必然的・計算的に作られていることがわかるからです。
ですから記号的とも言える小アルカナとの組み合わせは偶然ではないはずです。
そこで、私が思ったのは、このマルセイユタロットの小アルカナ数カードと似たような図像・象徴です。
そうすると、中国の易で使う記号的な陰陽象徴模様(こう)が出てきます。あの、直線と穴が空いている線のことです。
この二種の線の象徴によって、太極であるすべてから陰陽に分かれ、その6種の組み合わせによって64の卦といわれるように、様々な事象をシンボライズしているわけです。
いわば物事・事象のモデルであり、削ぎ落とした形・比率・図形といえます。
もしここにわかりやすい現実的な絵がついてしまうと、その絵のイメージに囚われてしまうでしょう。
例えば易の「こう」の線を何本か持った人が、えっちらおっちら、何か運んでいる絵があったとしたら、「ああ、何か大変な作業をしているんだな」「つらそうだな」とイメージするでしょう。
しかし、もしかしたら、大変に見えて農作業で得た収穫物を運んでいる状況を示唆しているかもしれず、それはつらいことではなく、むしろ嬉しいこと、何かを成し遂げたことを象徴しいるかもしれないのです。
「だったら、運んでいる人の顔や姿を嬉しいそうに描けばいいじゃないですか」となりそうですが、一方で、やっぱりそれなりに苦労してきたことがあり、その大変さは運んでいる人の嬉しい表情だけでははなかなか表すことは難しいでしょう。
そうなると、言外のニュアンスも多様に含んだよほど高度な絵を描かないといけなくなります。絵のうまさ(技巧)がいるわけですね。
とはいえ、なかなかそれは難しいことですし、たとえうまく描けたとしても、どうしても絵からの限定的イメージ(限定的でありながら、誰もが思う一般的イメージ)が出ます。
結局、特定のイメージや意味ではなく、様々なことをシンボル・象徴として描こうとすれば、逆に究極まで削ぎ落とされた記号的なものになっていくわけです。
マルセイユタロットの小アルカナは、現実的具体的分野・次元を象徴させると考えられています。(これは諸説あり、あくまで私の考えです)
現実的・具体的というのは、私たちが実際に生活している次元のことであり、また個別的ということでもあります。
ということは、一人一人違った世界でもあるのです。一方、大アルカナは逆に広い世界、誰でもあてはまる統合的世界観を象徴します。
小アルカナは現実的・具体的世界を表すとはいえ、言ってみれば、それは一人一人全員の違う世界を指し示すわけです。
それぞれAさんの世界、Bさんの世界、Cさんの世界があるわけです。
これがもし、小アルカナに絵柄がついて、はっきりさせてしまうと、同じ一枚で象徴していることがAさんもBさんもCさんも同様に考えてしまうことにもなりかねず、個別的世界を表すことができなくるおそれがあるのです。
わかりやすく言いましょう。
たとえば、「5」という数があるとします。
これがAさんにとっては5月から始める語学学習ということかもしれませんが、Bさんにとっては五回目の転職を意味しているかもしれず、Cさんには結婚を象徴している(5の数は結婚におけるセットの数を意味することもあるのです)かもしれないのです。
しかし、明らかに具体的な絵になってしまうと、このように個別的意味合いを汲み取ることが難しくなってしまいます。
ですから、小アルカナ、特に事象を示すと言われる数カードの絵柄は、記号的で抽象的なものになっていると考えられるのです。
大アルカナの場合は、このまったく反対の理由で具体的な絵柄になっているのだと思われます。
抽象的な絵柄は、モデル、仕組みとしてあらゆることを想像させ、そのモデルに応じた個別的事象を想定させることが可能ですが、逆にあまりに記号的・無機質的な絵柄のために、イメージがしにくいという点もあります。
それならば、たとえ個別的世界観の象徴が少なくなっても、わかりやすい美術的な絵柄になっていたほうが意味を見いだしやすいという立場もあり、そこで全部に具体的な絵がついているものは利用されやすくなるのです。
最初のうちは、個別的(一人一人にあてはまる意味)なものでも、具体的絵柄があったほうが読みやすいからです。(大アルカナがイメージしやすいのと同じ原理)
けれども、より高度なイメージ・推理・洞察力を養うのには抽象的モデルによるもので訓練することで、鍛え上げられるとも言えます。
例えば抽象的ともいえる天体から、サイン・ハウス・アスペクトなどの構成とフィールドの適用によって、全体的なものから個別的・具体的なものまで読んでいく占星術も同じようなものでしょう。
そうして森羅万象、あらゆるものの考察に至り、原理・真理を把握し、汎的に宿る神性を理解していくことにつながるのです。
つまりはマルセイユタロットも、ほかの古代からの象徴的叡智の体系も、自らを高次にしていくためのツール・装置だと考えられるわけです。
なぜそのカードを引くのか?
今日は、自分にふさわしいカードの出る理由(タロットに限らず、いろいろな種類のカードも含む)について書いてみたいと思います。
私はマルセイユタロットを扱っておりますし、このタロットに絶大なる信頼を置いているため、問いや状況、人物に対して適切なカードが(展開法・スプレッドに関係なく)出る(あるいはカートを引く)ものだと思っています。
事実、今まで何度もそれを実際に体験し、確信に至っております。
ただ、私はほかのカード(タロットはもとより、他のカードも含めて)を全く使わないので、他のカードではどうなのかということの自己体験は少ないです。見たり、聞いたりは多くしていますが。
しかし、他のカードを使うカードリーダーのお話を聞けば、きちんといつもふさわしいものが出るとおっしゃいます。
例えばオラクルカードしかり、創作系タロットしかりですし、またこれは私自身も時々やってみますが、トランプでも出ます。
ではなぜそうなるのかということなのですが、これが現実(科学的)にはよくわかりません。
思い込みと言ってしまえば、それまでの話でしょう。
しかし、カードリーダーの方々は、おそらく皆さん、偶然や思い込みの範疇・次元を超えた出方をすることを経験済みだと思います。
カードによっては、カードに描かれた絵柄のエネルギー・波動等が本人や問題にふさわしいカードを引かせるのだとスピリチュアル的に考える人もいます。
またカード自体に神や仏、天使のような存在(のエネルギー・性質)が宿っているといういう人もいます。
とはいえ、絵柄ではなく、シンプルな記号のようもの、または文字や単語だけのようなカードでも、適切と思えるものが出ます。
こうなると絵のパワーとかエネルギーという感じでもないような気がします。
もちろん数字(数)や文字自体にもエネルギーが宿るという考え方もできます。とはいえ、数字や文字だけでは、特定のカードを引かせるほどのパワーとしては、弱い印象も受けます。
となれば、カード側からのエネルギーが呼び寄せるのではなく、カードを引く人間側が、まさに自分にふさわしいカードを選ぶのだと考えることができます。
でも、なぜそんなことができるのでしょうか?
これはひとつの仮説ですが、実は人はすべて読み取ることのできる隠された能力と言いますか、目に見えない情報収集・処理能力があるからではないでしょうか。
いや、もっと言い方を換えますと、どこかで相手やカード(に記載されたり、描かれていたりするもの)とつながる装置やアクセス機能があるのだと思えます。
たとえ新しく創作されたカードであっても、そのカードの意図や意味を情報としてカードを引く前から自分に読み込みせているというようなイメージです。
これは表面意識の頭で理解(情報収集)するものではないので、例えば、実際にカードをすべて見せられても、文字や意味が書かれていない限り、その時にカードの意味が全部わかるわけではありません。(当然ですが)
しかし、あなたのどこか内部にある(あるいは肉体の外側にある)データ保管庫のようなものは、すでにカードと対面した時(カードが用意された時)に、カードの意図(意味)を瞬時に近い感覚で入手していると考えられます。
この時、相手側(カードを提供する側、カードリーダー)はそのカードの意味を当然知っているはずです。
自分が作ったカードかもしれませんし、そうではなくても、そのカードを使うわけですから、学んだり、使う資格を得たりして、カードの意味と知識・理解があるのは当たり前です。
ですから、カードに接触するというより、もしかすると厳密には相手の内にあるカードの情報にアクセスしている可能性もあります。
いずれにしても、実はカードを引く側は、カードを引く前からカードの意味を、自分の中の(または外の)どこかの部分で知っており、そして自分の問いや内容についても当然把握しているため、それに合致するカードを自ずと選択するのだと想像することができます。
人は納得するものを見たいという気持ちが働く生き物です。
つまり、あやふやなままで済ませたくない、何か筋やストーリーが通っていることを自然に望み、そう自分が構築していきます。
ですから、カードを引く場合も、自分のストーリーと通じ、明確になるカードを選択すると予想できます。
これがどんなカードであっても、自分(の状況)にふさわしいカードが登場する理由のひとつとして、私は考えています。
タロットの場合であってもそれはあるでしょう。
とはいえ、もちろんこれはあくまで仮説の理由であり、これたけの理由以外もあると思っています。特に私の経験上からも、マルセイユタロットでは別の理由があるのは間違いないと見ています。
どんな理由であっても、とにかく、「カード」というものは、単体ではシンプルなものなので、自分を見つめるのには視覚的にも大変効果的であり、場合によっては口で説明されるよりも、また文章で見せられるよりも、意外とすんなり受け入れることのできる優れたツールだと思います。
タロットメッセンジャーになる。
タロットを読む人、解読する人ということでは、タロットリーダーという言葉がほぼ定着しているように思います。
時にはタロット占いができる人もタロットリーダーと呼ぶこともあるでしょう。
スピリチュアルや占いのイベントで出展(出店)する際にも、自分のことを「タロットリーダー」と書く人も多くいます。
一方、プロとしてタロットを使って情報を与えたり、示唆をしたり、問題の解決を図ったり、癒したりする人も、プロタロットリーダーと呼ばれることがあります。
タロットに興味があり、タロットを扱う人、タロット研究家など含めて、全般的な意味では「タロッティスト」と言う場合もあります。
いずれにしても、タロットリーダーはタロットを読む仕事をする人、タロットのできる人という印象は受けるでしょう。
ただ、意味やイメージが先行し過ぎてしまい、「タロットリーダーになる」ということに重責を感じたり、とても高いハードルのように思ってしまったりすることもあります。
もちろん人(の心)を扱い、相談をし、対人コミュニケーションをしていくという意味では、それなりの責任と技術も必要でしょう。
しかし、あまりにも難しく考え過ぎるのも問題で、せっかくタロットリーディングの技術を学んだのに、いつまで経ってもタロットを使って自分を拡大したり、人の手助けができたりということができなくなります。
ということで、私が今考えているのは、タロットリーダーという名称にこだわらないことです。
具体的に言いますと、名称を変えてみるという提案で、「タロットメッセンジャー」というものがあってもよいのではないかと披露してみます。
このタロットメッセンジャーというのは、タロット使いの仕事とか責任とかで重くとらえず、タロットから得られたインスピレーションやメッセージをただ相手に伝える人というニュアンスになります。
ですから、タロットが習い立ての初心者でもOKの名称となります。
「私はまだタロットリーダーとは言えないけれど、タロットから感じたメッセージを伝える“タロットメッセンジャー”としての役割ならできるかもしれないので、伝えるね」みたいな感じです。
完璧に読もうとか、何かヒントやいいことを言ってあげようとか気負う必要はなく、「もしかしたら間違っていたり、意味はあまり感じなかったりするかもしれないけれども、とにかく思ったこと、読めた部分だけでも素直に伝えますよ」というスタイルで活動します。
タロットリーダーという言葉や状態にまだ自信や納得感が見い出せない人は、とりあえず「タロットメッセンジャー」を名乗って、名刺にもそう書いてみるとよいでしょう。
たぶん気持ちがとても軽くなると思いますし、どんどん伝えてあけようという気分にもなるかもしれません。
一言でも抽象的なことでもいいのです。タロットメッセンジャーならば許されます。(笑)
言葉というものは不思議なもので、具体的で的確であることが響くとは限りません。
詩的であったり、イメージ的であったりしても、すごく心に残り、参考なる時もあるのです。それは人間が象徴という形で理解する能力の部分を持っているからです。
ということで、メッセンジャーとして、タロットから感じ、その発した言葉は、クライアントや話を聞く人にとって、とても大切な事になる場合もあるのです。
そうしていくうちに、メッセンジャーのあなたは、どこかでタロットリーダーへと名称変更して、そう名乗ることに抵抗がなくなってくるポイントが出てきます。
そうすれば実際にタロットリーダーを名乗り、名刺もを変更すればいいのです。
よく読めるようになっても、ずっとメッセンジャーでいたいという人は、それでもよいでしょう。
もし宮廷カードで象徴するとすれば、このメッセンジャーは「杖の小姓(ワンドのペイジ)」だと、マルセイユタロット的には言えるかもしれません。
ということは、自分の興味の方向と行動力(四大元素「火」に由来)にも結びついてくるので、やはり実践しやすくなります。
いきなり剣の王とか、杯の女王を目指すから大変だと感じるのです。
まずはどの分野も小姓から始めるといいです。ただ自分の得意分野だったり、すでに実績があったり、獲得している経験と知識があったりする場合は、逆に卑下して「小姓」だと思う必要はなく、自分が「王」や「女王」であることを実感してもよいこともあります。
ともあれ、タロット活用の第一歩でもある「タロットメッセンジャー」になって、フットワーク軽く、「愚者」のように旅してみることをまずはお勧めします。
タロットにおける「杖」
10月になりました。
秋は学びのシーズンでもあり、当方でもこの時期からスタートさせるタロット講座がいくつかあります。
今のところ、新大阪で開催するマルセイユタロット基礎講座ハイクラス
は、まだ応募が可能です。
それから関西に通うことのできない遠方の人には、スカイプでの講座も提供しておりますが、スカイプと直接講義の両方で行う方法も人によってはOKです。
これは基本、スカイプでの講義を受講しながら、どこかの日にちで関西(新大阪)に来て学んでいただくという形式で、スカイプ講座単体の時よりも学習期間の短縮と、直接講師と対面しての指導が受けられるという点ではよいところもあります。交通費等も、全部通いの場合よりも負担は少なく済むでしょう。
個人講座の場合、その人の学びやすい形を作るため、様々な方法を一緒になって考えますので、個人講座をご希望の人もお問い合せ
いただければと存じます。
さて、本日の記事です。
タロットの、特に小アルカナと呼ばれるパートには顕著なのですか、4組・四大元素というものが象徴されています。
トランプでも、スペード・ハート・クラブ・ダイヤと、日本で使われているメジャーなものには、この4つで構成されていることがわかります。この4つのスート(組)は、見た目にもタロットの4組と関係すると考えられます。
タロットの4組は、これも一般的には、ソード・カップ・ワンド・コインという形で分けられています。(タロットの種類によっては、この4つのモノが違う場合もあります)
私はこの4組のスートを日本語にして、「剣」「杯」「杖」「玉」と呼ぶことを採用しいます。
それはさておき、この4つの中でも意外にわかりにくいのが、「杖」だと思っています。
タロットの種類によって、4つの組の代表的解釈は異なることが多いのですが、中でも、「杖」はかなり個性を持つ気がします。(タロット種、同じタロットの中でもいろいろと解釈が分かれるということ)
それもそのはず、ソードつまり剣とか、コイン(玉)とか、カップ(杯)ならば、まあ、そのモノの種類はたくさんあっても用途は限られることが多いでしょう。
コインはまさにお金ですし、カップは飲み物とか水(液体)を溜めるものだとか、ソード・剣は切るもの、鋭いモノみたいにイメージと意味的なものもすぐ浮かんできます。
ところが「杖」は、名前も「ワンド」で日本人にはわかりづらいですし、「杖」はほかの4組のモノよりも、たくさん種類があり、長短・大小、用途などを含めると、いったいどの「杖」をイメージすればよいのか、わかりにくいと思います。
特に私たち日本人の場合は、杖を見たり使ったりするのが、歩行のための補助杖みたいなものしか浮かびにくいのではないでしょうか。
しかし海外では、杖は儀式の時に使うものも含めて、権威を象徴したり、祝福を与えたり、呪文を唱えたりする時に使ったり、目に見えないパワーをコントロールしたりする時などに使用されたり、もともとは武器であったりしたものなど、本当に様々な種類と使い道があります。
厳密にいえば、形や長さによって、何のための杖か決まっているようなものです。
それらを一緒くたにしてしまうので、「杖」と一口に言っても混乱するわけです。
むしろ、大人よりも、ゲームに親しんでいる子供のほうが、「杖」が何なのか、ゲームのシーンでの使われ方、アイテムの効用などから理解しているのではないかと思います。
ですから、本当は、特に西洋の「杖」というものを写真や図で見たり、その意味合いを知っておくことも、タロットのワンド・杖解釈には有用だと思います。
タロットは、4組に限らず、カードの意味をただ覚えればいいというものではありません。
カードの意味をいくつかの言葉で覚えるのは、カードそのものを象徴している「何か」を把握するための方法なのです。
これは非常に重要なことなので、繰り返し書きますが、カードの意味を覚えることがタロット理解の目的ではなく、逆であり、タロットを理解するために、便宜上、それを表していると思える言葉を意味として覚えているのです。
覚えている言葉と意味は、そのカードやカードの組それ自身ではないのです。そこに近づくための、ひとつのアプローチ法が代表的な意味とか言葉を覚えることなのです。
人によってはカードを意味(言葉)を全く覚えなくていい、直感や、使っていれば自然にわかるようになるからと言われる人もいますが、私はそうは思いません。
確かにそういうこともないことはないのですが、カードの表している「本質」を把握するためには、言葉とか、代表的な意味も少しは覚えたり、知っておいたりするほうが、理解の手助けになるからです。
ただし、先述したように、その言葉や意味は、カードのそれ自身ではありませんから、意味や言葉を覚えることだけに囚われると、本末転倒のことになり、いったい自分が何をやっているのかわからなくなったり、膨大な覚える作業に嫌気がさしたりして、タロットから離れてしまう危険性もあります。
覚える言葉は少しでいいのです。つまりは本質を得るための呼び水、きっかけに過ぎません。
タロット学習において、自分のやっている作業が何の意味と目的があるのか、常に意識しておくことは重要であり、わからなければ、習っている先生に聞くことです。(あえて教えない先生もいらっしゃるでしょうが、もし意図的ではなく、本当にやっている、やらせている意味について答えられない先生がいれば問題です)
さて「杖」の話に戻りますが、マルセイユタロットの場合、「杖」は大アルカナにおいてもきちんと区分けして描かれています。
従って、同じような種類の杖が複数登場するようなことになれば、その「杖」の種類の象徴性によって、意味が決まってくるともいえます。
「杖」全体を示すようなエネルギーとでもいうべき意味と象徴性はあるにしても、細かく言えば、このように、「杖」もいろいろと分けられるので、そこまで意識すると、具体的な読みや示唆を得られるわけです。
ここにタロットにおける知識の重要性があります。
大ざっぱで抽象的な全体的エネルギーをとらえることも大事なのですが、それでは、個別性・具体性まで踏み込んでいくことが難しくなります。(その反対に、細かなことにこだわりすぎて、本質が見えなくなっている場合ももちろんあります)
「杖」はわかりづらいからこそ、逆に細かく見ていけば、私たちにいろいろなものを示唆してくれるでしょう。
「杖」については、まだまだ書きたいことがありますので、また違った角度から、いつか記事にしてみたいと思います。