リーディング技術・内容

占いではないタロット再び。

先にお知らせをいくつか。

昨日30日に、メルマガ(受講者・修了者用)を配信しましたので、登録されている方はご覧ください。

何通かメールが戻ってきておりますので、届いていない方はアドレスを確認されるか、当方までご連絡ください。

それから、7月に行いましたマルセイユタロット体験会を大阪か京都あたりで、9月後半に開催したいと思っております。

体験会は、まずマルセイユタロットがどんなものであり、何を伝えているのかといったお話をしたあと、参加者の方々に公開でお一人ずつタロットリーディングを行うというものです。

文字通り、マルセイユタロットを体験したい方にお勧めです。9/18(木)にはよみうり神戸文化センター
でも体験会があります、

ほかにも、まだ時期は未定ですが、神奈川県藤沢市(駅近く)でも体験会のようなものを開催したいと思っておりますが、もしこちらのほうに参加ご希望の関東方面の方がいらっしゃれば、お問い合せください。

では記事に移ります。

最近、またリーディングのお問い合せを受けることが増えてきましたが、何人の方は、やはりタロットということで、私が「タロットを使った占いをしてくれるもの」と思い込んでおられるようです。

このブログでも書いていますように、私が行ったり、伝えたりしているタロットは占いが目的ではありません。

もちろんタロットで占いをすることも可能です。ですから、巷でも多くの占い師がタロットを使って「占い」をしています。

日本でタロットを実際に持っている人、学習している人のほとんどは、占いを目的としているか、それに関係していると言っても過言ではないでしょう。

しかし私は違うわけです。これは占いがいいとか悪いとかの問題ではなく、ただそういうタロットの活用や意味・教義の世界を選択している、スタンスの違いだということです。

従って、「占いの世界が大好き」「占いを活用して人生を楽しみたい、幸せにしたい」という価値観の人とはあまり合わないことになります。

とはいえ、道具・ツール(タロット)として、占いフィールドと共通しますから、無関係ではいられず、その境界線にある人たちとクロスし、占い(に興味を持つ)世界の人と関わることになります。

また最初は占いからということで、タロット学習の出発点になる人も少なくありません。

それも自然なことであり、先にもいいましたように、いい・悪いのものではないのです。ただ、私の場合、そこ(占い)から移行する世界(観)が違うと言っているのですね。

では、私がタロットを使って何をしているのかと言えば、一言でいえば、自己の発展や統合的成長のためです。

けれども、一般的な成功や幸せの意味での自己成長・発展という意味とは限りません。

それでも、これだけは確かに言えるのは、目的や結果として、認識の拡大、多様性の獲得があります。それにより、結局、世間でいう一般的な幸せ概念に導かれることもあります。

なぜなら、自らの不幸は、認識の偏り・矮小・限定によるところが大きいからです。

もう少しアプローチを変えて話します。

占いでタロットを使うということは、結果的に人の悩みや問題を楽にしたり、解消したりすることにはなるかもしれませんが、プロセスが私の言うタロットリーディングとは異なります。

占いの場合、当たる当たらないとか、何かの選択における吉凶判断(損得になっていることが多い)、託宣的な指針(占い師が示すよい方法や適切なTPOの選択)というパターンが主体となります。

まあ、言ってみれば、カードの意味がこうだからこういうことは悪い・こういうことは良い、相手はこんな気持ちでしょうとか、そういうものを相談者(クライアント)に告げるというような感じです。

さて、占いでの問題の焦点はどこにあるのかといえば、「未来」にあります。正直、「過去」とか「今(現在)」はどうでもいいのです。

こう言いますと、「過去」はともかく、「今」はどうでもよくないのじゃないですか? 「今」に問題があるから占いに来ているのでしょう?と思う人もいるでしょう。

しかし、占いにおいて相談者が聞きたいことは、これから(未来)のことです。今が問題(悩みや迷い)なので、これからどうすればよいか、よい方向を示してほしいということになるからです。

私の言うタロットリーディングにおいても、今の問題に注視し、これからのことはタロットとともに傾向として見ていきます。それだけ取り上げれば、占いと形では同じかもしれません。

しかし、決定的に違うのは、「過去」も重視することです。同時に、過去・現在・未来を明確なタイムラインで区別せず、同時の象徴としてもカードを見ます。

「占い」での過去の扱いは、たいてい、当たっているかどうかの判定装置、その占いが信用に値するかどうかの確認のために実質行われています。

つまり、例えばタロットの場合、過去に出たカードが、その相談者の過去にピッタリ当てはまっていて驚いたという感じになり、では未来に出たカードもその通りになるはずと感じられ、占いの未来予測を信頼するようになるわけです。

リーディングの場合もカードと実際の過去を照らし合わせますが、当たっているかはずれているかを問題とするのではありません。

象徴としてとらえ、現在における問題や悩み事の現象が過去カードにも関係されており、今の問題が過去に象徴されていることを確認することで、その再発生を今に見たり、問題解消のために別の現象として象徴的に今後に現れてきている可能性などを分析したりするためにあります。(それだけではありませんが)

結局、いい・悪い、運の良し悪しを占い師がカードから判定するのではなく、カードの象徴性、実際のクライアントの置かれている状況や思考・感情、選択行動パターンなどの情報、これらを重ね合わせて統合させながら、クライアント自らが、本当はどうすればよいのかどんな気持ちが奥底にあるのか自己の成長のためには何を見て、どう行動すればよいのかといったことを一緒に導き出すのが、私の考えるタロットリーディングなのです。

ですから、「この仕事は向いているかどうか」とか、「この人は結婚するほうがよいのか」とか、「私にいい人が現れるのはいつで、どんなところに行けばいいのか」みたいな、占いに多い質問にそのまま答えることはないのです。

もしそれを安易に行うと、外側からの回答を押しつけることになり、自己の選択と責任からはずれ、自身の持つパワーを外に明け渡してしまう行為につながりやすくなります。

占い形式の質問の多くは表面的なものであり、本当の自分と向き合うためには、質問自体はあまり意味をなさず、例えば仕事の問題でも恋愛とからんでいたり、その逆であったりと、問題の本質自体は象徴的にはひとつとして考えられ、それをタロットで展開して読み解くことに意義があるのです。

いわば占いは現実的・具体的ことが求められ、それに答えるという点では高度な技術も要求される(従って占いの技術自体はすばらしい)のですが、私の言うタロットリーディングはどちらかといえば、心理的なものです。

ですが、具体性に欠くのではなく、その具体性の出し方が、本人(クライアント由来)なのか、占い師やタロットリーダーからの比重が大きいかの違いにあると言えましょう。

簡単に言えば、実は具体的なことは本人が知っているのです。ただその導きまでが、今の状態では自分だけでは難しく、タロットとタロットリーダーのサポートが必要となるのです。

ただ、心理的と言いましたが、タロットはカードに描かれた象徴的な絵札ということだけではなく、タロットの精霊とコンタクトして得られるような世界での情報もありますので、見た目、霊感タロットのようなお告げ的な示唆をすることもありえます。

そのあたりは誤解されるかもしれませんし、占いと同じ形式といえばそうかもしれません。コンタクトする階層は人によって違いますので、怪しいと思う人は怪しいと感じることもあるでしょう。

そのため、タロットは一見簡単なようで、難しい複雑な世界観を持つのです。しかし、それはタロットというより、タロットをどう扱い、どのように使うのかの意識の差によるとも言えます。

私の考えでは、マルセイユタロットはもうそれだけで完全性を象徴するものであり、ですから人間世界(だけではありませんが)のどんなものでも表現し、比喩し、象徴させることができます。

ということは、占いでも、リーディングでも何でも許容し、その世界に応じた表現を見せるといことでもあるのです。

タロットを伝える人がどういう価値観と世界観をもって話をしているかによって、そのタロットの活用の仕方も変わってきます。

最初は占いに興味はあっても、占いとは違う世界(観)でマルセイユタロットを語る人の講義を受けるうちに、占いとは別の新世界へ移行することもあります。

マルセイユタロットはそもそも「占いより」ではないと考えられますので、学べば自ずと、違う活用に目覚めていくことになるでしょう。


タロットリーディングで訓練されるもの。

タロットリーディングは、主に、タロットを使っての対人相談ということになりますが、同時に、タロットリーダー側にもある種の効果や訓練にもなっています。

その作用はいろいろとあるのですが、今回は象徴性と具体性の観点に絞ってお話したいと思います。

タロットリーディングは、タロットカードに描かれている絵柄から想像して、物事に関することを読み解く作業と言えます。

このことは言い換えれば、象徴から具体的なものを導き出すプロセスを経験していることになります。

例えば「赤い丸」を見て、日の丸という言葉を出す人もあれば、梅干しを想像する人もいるでしょう。

その違いは何かと言えば、その人の想像の力と置かれたタイミング・状況によると考えられます。

ところでもうすぐサッカーW杯が始まりますが、W杯日本代表の試合直前に、「赤い丸」を見れば、おそらく日本人は「日本の国旗」、つまり日の丸だと思うはずです。

しかし、ハイキングをしてお腹が空いている時は、やはりおにぎりの梅干しに見えるかもしれません。

また意外な発想として、「火星」だと感じる人もいるでしょう。その人はなぜ火星だと思ったのかは、たぶん星や宇宙に興味があったり、火星は赤い星という観念があったりするからでしょう。

アニメ好きの人には、赤い彗星まで想像に至り、とある有名キャラクターまで思い浮かぶ人もいるかもしれません。(笑)

いずれにしても、「赤い丸」というだけでいろいろな想像が出るのは、先程言いましたように、想像の力タイミング・状況が強く関係していると言えます。

想像の力は顕在意識・潜在意識ともに蓄積されたデータから来るものが多く、タイミング・状況は、今述べた「W杯か、空腹時かによる想像の違い」、または今の自分の興味や関心による違いみたいなものです。

これをタロットリーディングに当てはめますと、後者の、象徴における「状況やタイミングの違いで生み出される具体的言葉」というのは、タロットリーダーとクライアントの置かれた状況の違いに当てはまります。

つまり、クライアントの現在の関心や興味によって、そのタロットの象徴的絵柄の意味は異なってくるのであり、しかもそれはリーダーが想像する具体性とも違うことが多いのです。

ですから、タロットリーダーはそれをふまえて、相手の置かれている状況、興味・関心を情報として聞き出す必要があります。

言い換えれば、クライアントのリアリティ(現実性・現実感)を想像世界として、自分(タロットリーダー)も(相手の世界観を)共有しなければならないということです。

そこから新たな自分(タロットリーダー)の枠を越えた創造性(想像性)が出ますし、訓練されるわけです。

さてもうひとつの観点、「意識に蓄積されたデータの違いによって生み出される象徴からの言葉(の違い)」は、これはもう個人的経験によることになります。

ただ、経験を増やすということだけではなく(それも重要ですが)、象徴から具体的言葉にしていくという作業は、決まり切った想像しかしないルート・道筋を変えるということが大切なのです。

「赤い丸」を見ても、日の丸とか梅干しにしか見えないという(笑)、ワンパターンの思いつき方から脱却しなければなりません。

ワンパターンになってしまうのは、ひとつには、経験(データ)の少なさがあります。体験や経験の幅が狭いので、同じことしか想像できないというものです。

もうひとつは、想像のやり方が同じというものです。これは想像までの通る道筋(アイデアの生み出し方)が毎度毎度固定されたように決まっているので、貧弱なものしか思いつけなくなっているわけです。

あと、さらに付け加えるとすると、そもそもが訓練の量が少ない(アイデアを出す実践をしていない。そういう場面がこれまで少なかった)ということが挙げられます。

このことは、実は同じ思考パターン・想像パターンの道筋になってしまっているのと同意義のこともあります。

アイデアを絞り出すかのように、頑張って想像していくと、いつかブレイクが起こり、これまでのパターンからはずれて、意外な発想や想像ができます。

タロットリーディングでは、結局、カードの象徴性から具体的な言葉やストーリーを出す訓練が絶対的に足りていないことで、読めないという自体を引き起こしている場合があります。

よって、これを訓練すれば、具体的なことがもっと読めるようになるのです。

同時に、それは、アイデアや発想を膨らませることと、それを具体的なものに落とし込む作業のトレーニングをしていることになります。

ここがタロットがアイデア開発の装置であると言われる所以でもあるのです。

特に対人タロットリーディングは、相手の発想や具体性を自分に採り入れることもできますので、人のためになりながら自分を変えるという意味でも、すばらしい技法になるのです。


複雑な展開法をする意味。

タロットの引き方や並べ方には、色々な種類が伝わっています。

誰かの名前がついているもの(発明者)もあれば、誰が作ったのかはわからず、伝統的に古くから引き継がれているものもあります。

また今の時点でも、「自分の並べ方」というような感じで、世界のどなたかがオリジナルな方法でされているかもしれません。

私は、タロットの引き方や並べ方に対して、究極的には、「どうでもいい」と思っています(笑)。逆に言えば、何でもOKということです。

ただし、やはり型やパターンがあったほうが、途中までは取り組みやすいですし、タロットの象徴を読み解くのにも便利です。

「途中までは」と書いたのは、やがては並べ方(スプレッドとも言います)は関係なくなることに気がついてくるからです。とはいえ、そこまで行くのには型による習熟が必要かと思います。

ということで、究極的には、並べ方にこだわる必要はないと言えるのですが、タロットによる自己研鑽や覚醒の意味では、そうでもないところがあるのです。

この考え方はほとんど言われていないと思いますので、書いておきます。

タロットによるメッセージ解読は、引く枚数が少ないほど簡単なように見えますが、実はシンプルゆえに難しいこともあります。

タロットから離れますが、例えば、ある刑事事件において、手がかりが現場に残された小さな紙切れひとつというのと、指紋や足跡、映像まで映っていたとなると、後者のほうが事件は解決しやすくなるでしょう。

つまり情報量があればあるほど本質に行き着きやすいということがあるのです。ホログラフィック映像を映し出すのにも、一方向だけの情報ではできません。

しかしながら、情報が多いと混乱し、逆に本質から遠ざかることもあります

それはなぜかというと、情報が整理できていないからです。

でも整理が可能ならば、手がかりは多いのですから、解答を得られたり、本当のことがわかったりしやすくなるわけです。

従って、要は情報処理能力を上げることが求められるのです。

であるならば、訓練を重ねることと、その前には処理方法(技術・方法)を学ぶとよいのです。

タロットの解読も同様と言えましょう。少ない枚数で訓練していくのも大切ですが、やはり多い枚数で組み合わせの中からストーリーを構築するということを訓練していくほうが、情報処理のスピードは上がります。

その上では、たとえ枚数の少ないカード展開を出しても、これまでの蓄積から高速処理でカードが読め、高速な分、拡大した読み方にもなってきます。言わば、少ない枚数でも高度で複雑な情報をその人は読むことになるのです。

これはおそらく、脳の神経細胞のつながりが増えた状態と関係するでしょう。

難しいことにチャレンジしていけば行くほど、脳の機能も複雑になりながら、シンプルな解答を導き出す処理スピードとアイデアの創出次元が上がるということです。

タロットリーディングの目的が、あくまで相手の問題や悩みを解決したり、癒したりするものであるのなら、わざと複雑なことをしなくてもよいです。

何より、相手が楽になること、助かることが目的なので、自分の読む手段やプロセスがどうのとかということは後回しでよいわけです。(もちろんそれなりの技術と経験はいりますが)

けれども、自己研鑽を目的とするリーディング(こういうのもあるのです)の場合は、結果もそうですが、より過程が重視されます。

そして「占い」としてよく使われる従来のタロット展開法では、タロットを置く位置にもともと「意味」が決まっており(例えば「原因」とか「相手の気持ち」とか「結果」とか)、その位置の意味とカードの意味を重ね合わせればよいので、実は結構楽なのです。言ってみれば、ルートが決まっている道を進むかのようなものだからです。

しかし、これとは別に、位置に意味がほとんど決まっておらず、展開が比較的自由に広がる形のものでは、カードの象徴性と意味の組み合わせのみによって、自らがストーリーを創り上げくなくてはならないので大変であり、頭の体操のような状態になります。

私がお伝えしているマルセイユタロットの展開法はこちらを採用しているので、最初は学ぶ方もとまどう場合があります。

それでも、これは他人のサポートのためだけではなく、カード展開の読解よって、複雑なものをシンプルにする「自己の情報処理能力訓練を行っている」ようなものだと理解し、慣れてくれば、自分を大幅に変えていくことができます。

そのうち、人の言っていることや人の書いた文章の把握が、タロットをしているうちにスピーディーにできるようになります。それはまた、ちょっと今までとは違う感じの理解の仕方になります。

言わば、新しい感性・感覚器官が発達するかのようなものです。


ホドロフスキー氏の上映会とタロットリーディング

4/22、東京新橋にて、カルト映画の巨匠にして、タロット研究家・セラピストとしても知られている「アレハンドロ・ホドロフスキー氏」の新作映画上映会に行って参りました。

雨模様の中、会場前には早くも人だかり、聞くところによりますとチケットは即日完売であったとか。御年80歳を超える監督と作品への人気は、まだまだ監督同様、衰えるところを知らないという感じです。

私がこれに参加したのも、もちろん映画を見たいというのもありましたが、この日、上映のあとに監督によるタロットリーディングがなされるということでありましたので、この理由も大でした。私は監督が復刻したマルセイユタロットを使っているからでもあります。

さて、そのタロットリーディングがどのようなものであったのかは、例えばこのような記事で書かれていますので、http://www.webdice.jp/dice/detail/4178/
 興味があったらほかにも検索されてご覧いただければと思います。

ただ、タロットリーディングの解説そのものはあまりないでしょう。会場で、監督や作品に興味はあっても、マルセイユタロットを学ばれている人は少なかったのではと想像できるからです。

ということで、私宮岡が、自分の推測も少し入れながら、稚拙ではありますが、監督のタロットリーディングについて、解説したいと思います。

とはいえ、当日は合計4つの質問についてタロットリーディングされましたが、ひとつひとつ全部解説すると膨大な量になりますので、ひとつだけここでご紹介しておきます。

お一人、「髪を伸ばしたほうがよいか、短くしたままがよいか?」という女性の方の質問がありました。

確か、この方は最初に「デートで告白すべきかどうか?」という質問をされていたと思いますが、監督に「告白すればいいじゃないか」(笑)と、あっさりタロットリーディングの前に、現実的な答えを言われていました。

そのあとに女性は思い直して、「じゃ、髪はどうすれば・・短くしたほうがいいのか、伸ばしたほうがいいのか」という質問になったと記憶しています。

流れからすれば、聞いてた人は、ああまた、監督からどうせ、「どちらでもいいでしょう、あなたが決めなさい」とか言われるんじゃないかと想像したと思います。

ところが、監督は「それはいい質問ですね」と、興味を持たれてタロットを引くことを指示しました。

ちなみにこの日用意されたタロット(の仕掛け)は、22人の人間が仮面(顔が見えないように)をかぶり、巨大タロットを裏向きにもって舞台に登場するというもので(苦笑)、監督の思いつきではなく、主催者側のエンターテイメント的な発想だったようです。ま、とにかく、でっかいタロットなわけです。(^^;)

22枚のカードというのは、「大アルカナ」という、タロットでは重要なパートを占めるカードグループのことを言います。これだけでもほぼリーディングや占いをすることは可能です。(伝統的なタロットは全部で78枚あります)

さて、続きです。

質問者の女性によるカード選択が始まりました。スリーカード(最初に三枚引く)の手法を取れ入れ、三枚を選ぶように言う監督。

 そして、裏向きに巨大な人間タロットたちが並びました。左から一枚ずつカードを表にしていきます。

 まず出たのは「教皇」(私は「法皇」と呼んでいるカードですので、これから「法皇」と表記します)、この時点で「おおっ」と私は声を出してしまいました。監督がなぜ、彼女の「髪の毛の長短の問題」の質問に反応したのかが、およそ想像がついてきたからです。

 やはり監督は、「このカードは父親を示します」と語られました。

 「法皇」のカードは、宗教的な権威を誇示するかのように、正当で(教えを守ることの)厳しい印象を与えるカードです。(保護する優しい部分もあります)彼女の父親がそうであったのではないかとタロットと監督は言うのです。

 続いて残り二枚を返していきます。真ん中は「運命の輪」、その右は「女教皇」(私は「斎王」と呼んでいますから「斎王」と表記します)でした。監督はこのカードは「修道女」だと言いました。

 カードの暗号を知るものは、「法皇」と「斎王」が特別な関係にあるカードであることは知っており、監督も、この女性のカード(「斎王」)が、彼女の母親であることを示唆していました。

 修道女でもある(敬虔で受容性のある控えな印象を与える)この「斎王」が母親だとすると、父「法皇」の権威のもと、母親は従順に従い、よきパートナーであろうと努めていたことが伺えます。反面、その奥には激しいものが渦巻いているのも、斎王の深い意味と象徴を知っていれば、読み取れることです。

 監督はこのリーディングがイベントであることもあり、多くは語りませんでしたが、母親とご本人(質問者の女性)が、父を取り合っている(隠喩的・象徴的・無意識的にであり、実際にそうしていたとかではありません)ようなことを言われていました。

 つまり父にかわいがられるためには、母親と同様にするか、母親よりも修道女らしくふるまう必要があったわけです。父もそうした女性が好みであり、それを娘に期待してきた、幻想のイメージを押しつけてきたと考えることができます。もっといえば、この父と父の母親(質問者からすると祖母)との関係も、「法皇」と「斎王」との関係に近いものがあったことが想像できるのです。

 こういった無意識の争い・葛藤のために、彼女は大人の女性になることに、おそらくどこかでおびえていた(おびえている)と想像できます。父にかわいがられる娘であること、隠喩的には妻であることを守るためです。そうしたほうが家庭では安心感がでます。しかし、逆に解放も望んでいて、母を超え、父の幻想からも脱却したいという無意識の欲求も起こっていることでしょう。

 だからこそ、ここで「運命の輪」が真ん中で出たのです。「運命の輪」は運命が回転(展開)していく様を象徴し、「法皇」と「斎王」の間(両親との狭間)で、自分の運命を回転(流してきた)させてきた質問者自身も象徴すると同時に、この輪から脱却する機会・タイミングを得ていることも示唆しています。

 監督は、さらにカードを引くように指示しました。

 私はここでおそらくどちらかのカードが出ると予想しました。それは「女帝」か「星」でした。なぜならば、彼女が「斎王」であるイメージから抜けるためには、別のイメージと象徴の女性カードが必要だからです。(必ずしも女性ではなくても、それを示唆する別のカード)

 すると、ここで出たカードは、なんと「女帝」!でした。

 カードはきちんと、わかりやすく(カードの象徴を知っていたらですが)答えて(応えて)くれます。

 「女帝」は大人の現実的女性を意味し、斎王が修道女のように髪の毛を隠しているのに対し、「女帝」は絵柄を見ればわかりますが、金髪の髪をなびかせています。またこのカードには金星の象徴と関連させられるものもあり、つまりはヴィーナス的な意味もあるわけです。

 監督は「女帝」の持つ杖(王笏)の底(の方向)が、女性の部分を示していることも指摘し、ユーモアも交えながら、「大人の女性はいろいろな髪が伸びるものだ」と語りました。つまりはセクシャルなパワー(子供をつくることもできる大人の女性の力)の象徴による、自分自身(相談者)の大人への成長と権力の獲得(親からの支配の脱却)の必要性をカードから読み取ったわけです。

 ここでは書きませんが、「女帝」にはほかにも大人の女性を示唆する象徴、さらには創造性やクリエティブを意味する象徴など、たくさんあります。それは受動的な「斎王」と対比されるものです。

 ほかにも数に注目すると、出たカードや、それぞれに意味が浮かび上がってきますが、これも省略します。

 結局、監督が質問者の髪の毛の問題に反応したのは、当初(デートの告白問題の時)から、彼女の成長に関わる課題が出ていることを推察し、親とその上の世代から受け継がれてきた無意識のある関係性が、彼女に迷いを与えていることを想像して、髪の毛の質問が出た時にタロットリーディングに入った(たとえ監督が意図していなくても、タロットリーディングにおいてはそういうことが起こります)と考えられます。

 「髪の毛を短くすればいいのか、伸ばせばいいのか」という一見単純な質問の中に、彼女の重要な成長と発展のための鍵が隠されていたわけです。それはまたタロットの象徴を知る者がタロットをリーディングすることで、浮上してくるものでもあります。

 すでにカードを表に開く前から監督は、「二枚が(人間タロットの人で)髪の長い女性、一枚は短い人に持たれいますよね?」と指摘していたことからも、この髪の毛の質問がとても重要なものであることを監督は見抜いていたわけです。

 タロットを使い、現代の道具を利用しながら古代の呪術師のような心理的治療を試みるホドロフスキー氏の手法は、彼自身「サイコマジック」と読んでいる画期的で印象的なセラピーです。

 その一端は、今回のイベントの最終質問者の問題(上記の髪の毛の人とは別)に見ることができましたが、本来は神聖な儀式として執り行う必要があるので、実際はもっと厳粛で、参加者と施術者がそのことによりリアリティを感じるものだと思います。

 映画も含めて、かなり滑稽で、笑ってしまうようなシーンが多いと思った人が少なくないようでしたが、ユーモアとしてわざとしていたところ以外、笑いどころかむしろ心打たれ、泣けるシーンのほうが多かったように私は感じています。

 つまり、象徴的なシーンに対して、自分がリアリティを感じるかどうかの違いが、笑いになるか、真剣なものと感じるかの違いであり、後者でなければ意味がないとさえ言えます。(笑って、リラックスした、楽しくなったという効果は別として)

 タロットの象徴を知ってる者では、今回の監督の映画もタロットリーディングも、まったく別のものを見ていたと言ってもいいでしょう。

 私にとってはアレハンドロ・ホドロフスキー氏とマルセイユタロット、双方の偉大さを改めて感じた時間でした。タロットをやっていて本当に良かったと思います。

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タロットリーディングの部屋を持ちたい人へ。

かつて、タロットリーディングをする部屋を探していた時の話をします。

タロットリーディングをする目的で、部屋を借りに不動産屋さんに行けば、まあ、最初に困るのが、不動産屋さんへの業務内容説明です。(^_^;)

「カードを使った対人相談」というのが本来だと思いますが、それでは一般的にわかりづらいのですね。

しかも、今はそうでもないかもしれませんが、大体は不動産屋さんと言えば、男性の社員が多く、「タロット」と言ってもそれが何なのかわからないということになります。

また女性だったり、タロットを知っている男性の方でも、やはり「タロット」と聞くと「占い」になってしまって、結局「占いの営業ですか」となるわけです。。。

もちろん私の行うタロットリーディングでも、大きな範疇で言えば、「占い」といえば占いのところもなきにしもあらずですし、一部はそのテクニックで成り立っているところもあります。

とはいえ、一般的に「タロット占い」と言うと、不動産産さんもそうでしたが、「水晶置いて、ヴェールかぶって、怪しげにカードを見る」(笑)みたいなイメージなのですよね。

何とか理解してもらえたとしても、次にやってくる問題が、「不特定多数の方が訪れる営業形態で、部屋を貸すところは少ない」ということです。

もちろん、最初から割り切って、事務所貸しであるとすればそれなりの物件はありますが、それはやはり事務所仕様なので家賃は高いですし、多くは落ち着いた感じがあまりありません。

たとえば「(スピリチュアル的な)セッション」というようなイメージで行くと、マンションとか静かな感じの住宅ということになるでしょうが、そういう物件は住居物件がほとんどですから、家主さんが不特定多数の人に入って来られるような目的で貸したくはないわけですね。

また、借りる本人が、もし完全予約制ではなくて、誰でも外から飛び入りで入って来られるような営業をしたいと思っているのならば、ひっそりとした住居形態のような場所は、当然合いません。

その場合で、比較的安く借りたいと思えば、繁華街の雑居ビルみたいなところを紹介されるでしょうか。

いずれにしても、タロットリーディング用の部屋を借りるというのは難儀なものなのです。(資金が有り余っている場合は別ですが)

それと、私の場合、最初の頃は友人のタロットリーダーたちと共同で借りようとしていたことがあります。

これもいろいろと問題が生じます。

ひとつは、お金の配分問題です。

借りる資金と借りた後の経費分担や営業収入の配分など、きっちりと取り決めておかないと、あとで問題となります。

できれば文書で最低覚え書きくらい書いておいたほうがいいでしょうね。下手すると、友人や仲間関係自体にヒビが入ることもあります。結構重要なのは、初めより終わり、つまり撤退する時の処理費用負担です。

次に、個人個人の考えや思い、イメージの違いによる問題です。

実際に私もありましたが、私の考えるタロット部屋のイメージと、友人・知人のものとではまったく違っていたということがあります。

その時の友人は、繁華街やもっと言えば風俗街にある部屋でもOKではないかと主張していました。

私は都会は都会でも、普通の場所でいいのではないか(ただし交通は便利なところ)と思っていました。

これはでも、どちらがよいとか悪いとかではなく、営業におけるコンセプトの一致を試みていなかったから齟齬が生じたのです。

この場合は、友人は「占いのお客さんが現実的に来そうな場所」を求めていたということです。

繁華街や風俗街ならば、悩めるいろいろな人たちがいらっしゃり、表だっての相談よりも、占い的な相談需要は多いだろうと踏んでいたわけです。

ボランティアが目的ではありませんので、営業ベースで考えれば、これはこれで冷静な意見だと、今では思います。

当時の私はただ素人的な発想で、「このタロットリーディングを経験してもらいたい、そうすれば口コミで・・」という青臭い青年みたいに思っていただけで、営業のことは知識も経験もなく、ただオープンすればいいのだとさえ考えていた節があります。

とにかく、これは極端な話ですが、そういう考えやイメージ・コンセプトの不一致による仲間割れもありうるわけです。

ほかにも、別の方と借りに行くこともあったのですが、これもよい部屋だと最初思ったのが、どうも嫌な感じがあとから沸々とわき起こり、これはヤバイなとなってきたので、当初二人で納得してほぼ契約していたのを、友人に頼み込んで解除した経験もあります。

さすがに、これは友人も気分を害し、私はひたすら平謝りするしかなかったですが・・・

このように、タロットや占いをされる人の中で、借りる本人が妙な感性に悩まされるところもあって、条件的にはよい部屋であっても、どこか違和感を覚えたり、寒気がしたりして契約ができない、あるいはあとで嫌になってくるなどのこともあり得ます。

ただ部屋が悪いというより、本人のただの思い込み(ナーバスになりすぎている、あるいは完璧な部屋を求めすぎているなど)の場合もあるので、気をつけなければなりません。

部屋も大事なことは大事ですが、場所よりも、本人(たち)のやる気、営業知識、ここから発展しようという気概と行動臨機応変な柔軟な心と対応力も必要ということだと思います。

言いたいことは、一人で借りるのであれ、友人たちと共同でレンタルするのであれ、しっかりと前もって話し合い(一人の場合はコンサルの人に相談するなど)、計画をしておくことと、同時に、現実での変化(実際にやってみたあとの事態の変化)にも対応していくということでしょうね。予想外のことが起こるのが普通だと。

そして、何も場所を固定したり、借りたりすることのみがタロットリーディングの営業形態ではないということも思ってほしいです。

なにしろ、今の私は、結局、固定した場所とかルームを持っていませんから。(友人の部屋を一時的に借りることはあります)

また、タロットはその場でリーダーかクライアントが引かないといけないと思い込んではいませんか?

メール相談のように、こちらで遠隔で引いて、あとでお知らせすることも可能です。

場所も自分で自分部屋を借りずとも、どこかのお店とコラボしたり、安価な会議室を借りたりすることもできます。

車(後ろの扉が開くような車)を持っていれば、移動して、駐車場などで駐めて臨時リーディング場所として使うこともできます。コーヒーの移動販売みたない形ですよね。

もちろん、スペースがあるのなら(なくても工夫して作れば)自宅を使うこともできます。女性の方は女性限定とか知り合いの紹介とかですると、やりやすいでしょう。

最初は、なるべくお金をかけずにやっていくことを考えたほうが挫折せずに済みます。

普段普通に働いている人は、割り切って名前を変えて(タロット名をつける)、週末など変身気分で「タロットリーダーになる」としてもいいでしょうね。そのほうが経済的には安心ですし、普段の自分を変えることもできますから、楽しんでやれます。

まずその名前をつけて、名刺を作る(今ならPCで自作できます)だけでもやる気が違ってきますので、やってみてください。

とにかく面倒な人は、占いの館とか、誰かに雇われて出演するというのもあるでしょうね。それはそれで、いろいろな意味で貴重な経験となるはずです。

というようなことで、駆け出しからタロットリーディングで営業したい方に参考になれば幸いです。


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