リーディング技術・内容

カードタイプによるツールの使い方

カードリーディングはかなり意味が限定されているものをそのまま適用するタイプと、逆にあまり意味が最初からは限定されにくいもの、言い換えれば多様に読めてしまうタイプのものとがあります。

前者は極端なものでは、すでにカードに文字とかで意味が書いているものなどもあります。これは誰が見ても同じであり、意味も変わることは当然ありません。なにせ、そこに意味が書いているわけですから。

一方、タロットの場合は後者タイプになり、絵柄はあるにせよ、人によって解釈は異なることも多くなります。と言っても、まったくバラバラなわけではりません。そこには「根」「元」があります。それが「象徴」といわれる所以です。

こうしたカードタイプの違い・特色をつかんでいると、もしカードリーダーとして、数種のカードを使ってセッションする場合では、よりツールを活かせることになります。

では具体的にお話します。

まず、カードに意味が書かれていたり、解釈がほぼ限定されていたりするようなカードでは、どう使うとよいのでしょうか?

このタイプの場合、カードを読む側(リーダー)も引いた側(クライアント)も、同じ解釈を共有することになり、別の意味づけはなされないのが特徴です。

いわば同じ次元やレベルでカードを扱い、ただカードのメッセージを双方が受け入れる、観察するのみという感じとなります。(多少、そこからリーダーが解釈を付け加えることはあります)

極端に言えば、カードリーダー側も「リーダー」とは言っていますが、カードを読まないということです。リーディングというより、確認をするという形に近くなるでしょう。

ではこうした時の良さとは何かと言えば、クライアントもリーダーも一緒に同じ事を確認できるということになりますので、客観的な強いメッセージ性が出るわけです。

たとえはまずくなりますが、例えばAさんがUFOを見たと言っても、Aさんだけの話なので、信用性が今一です。

しかし、その場でUFOを見た人がBさんもCさんも、その他たくさんいたとなれば、かなり信憑性が増しますし、何より、聞いているあなた自身もその場でもしUFOを見れば、その存在を信用したくなります。

これと同様に、同じもの(次元・フィールドも含む)を一緒に見れば、「あなたも見たのね、確認したのね」ということで信頼性が上がりますし、それがUFOなどというあやふやなものより(笑)、文字とか普通に存在しているモノとかであると、より確実性が増すということになるのです。

ですから、意味が固定されているようなカードを使う時は、念押しや勇気づけ、確実性をメッセージとしてともに確認したい場合に使うとよいわけです。

時系列的には、メインセッションの前か後に使用すると効果的と言えるでしょう。

さて、ではタロットのような象徴という絵柄で、一見多様に解釈してしまうようなカードの場合はどうでしょうか。

これはリーダーとクライアントでは、カード解釈に臨むスタンスが最初から違ってきます。

リーダーはカードの普遍的な意味ともいえるもの(象徴の根本的な意味、あるいは教科書的な解釈)を知っていますが、クライアントは普通は知りません。

クライアントが知っていることは、自分自身の情報とカードの見た目の印象です。

一方で、カードリーダーも、カードの普遍的な意味とは別に、その場におけるリーダーが感じる見た目の印象というものもあります。

となると、一枚にしろ、数枚にしろ、この場合のカード解釈はまさしく多様になることがわかると思います。

言ってみれば、たくさん読める意味の中から、その問題やテーマに沿い、クライアントもリーダーも納得する解釈を導き出す(探す)というプロセスになります。

もう一度言いますが、「探す、発見する、導く」という「プロセス」になるのです。

タロットなどの象徴的なカードを読む・扱うということはこれになります。

つまり、メッセージとか結果が重要なようでいて、過程・プロセスこそがとても大切なのだということです。

多様にあるカードの象徴性を、その時そのタイミングでのメッセージとして発見していく作業は、自分の中にある答えを(リーダー・クライアントが)共同作業で導き出すことでもあります。

いきなり答えをポンと託宣のように出してしまうのは、せっかくの「悩んでいる」意味がないのです。

私たちはは答えを求めているようで、実は答えを見つける作業や過程を楽しんでいると言ったほうが本質だと感じます。

もちろん悩みそれ自体はとてもつらく苦しいということは、人としてわかりますし、実感です。

ただ奥底の魂は、外的・環境的には大変であっても、本当は経験そのものを味わっているのかもしれないのです。

この観点に立てば、意味がすぐにはわからない、または固定されていないカードを象徴として読み解いてメッセージを見つけていくセッションは、魂が喜んでいるものではないかと思うのです。

ということで、こういったタイプのカードの使い方は、長い時間をかけるものだったり、クライアントも表面的には意図していない回答やメッセージを探りたい時に使うというものだったりします。

「象徴」ですから、抽象的なことと同時に具体的・個別的なことも両方導き出すことが可能で、相談内容もオールマイティに使えるということになります。


カードの組み合わせ、カード熟語

これは私の伝えるマルセイユタロットリーディングにおいてということになりますが、タロットの組み合わせ・コンビネーションにおいて、特別な意味の出る場合が多々あります。

それはカード展開があまり固定的ではないからで、カード単体での解釈より、複数やグループでのストーリーが重視されるからです。

もちろん、ほかのカード種やカード展開(スプレッド)でも、カードの組み合わせによる意味を見ることはあります。

しかし、やはりマルセイユタロットを使ったある技法では、カードの組み合わせで発生する意味が、より複雑多岐にわたるので、非常に情報量も多くなって、立体的になると考えられます。

このことは、言葉で言えば単語と単語が結びついて文章になる形に似ており、技術的にも英語や中国語の文法構造に近いと言えます。

ということで、面白いことに、皆さんが受験英語の際に行った熟語の暗記みたいなことが、マルセイユタロットのリーディングに活きることがあるのです。

たとえば、「悪魔」と「世界」との組み合わせが出れば、願望実現を表すというようなものです。※これはあくまで事例で、必ずしもこの組み合わせがそれを指すという意味ではありません。

このようにして、二枚なり三枚などのカード同士の組み合わせで、定型句や慣用句、熟語を覚えるようにして数こなせば、実際のタロット展開でその組み合わせが出現した時、すぐに意味が出てくるということになるわけです。

それはリーディングのスピードアップや、確実さにつながります。

ただし、何事にもよい面と悪い面はあり、問題としては、ワンパターンの読みになって、本来の象徴としてのタロットの働きを限定させてしまうことになりかねない点はあります。

いわば初級者用のやり方と言えましょう。

ところが、これとは別に、自分ならではのカード組み合わせによる意味というものもあり、これはリーディングを続けていると出てきます。

前にも言いいました「カードの個別的な意味」のひとつです。

この場合は、ほかの人ではそういう意味にならないのに、自分ではその意味になるという特別なものであり、ある種、自分の世界観をタロットに投影した見方でもあるのですが、それでも効果は持ちます。(クライアントにも意味があるものになります)

ただ、カードを習い始めてすぐに個別的な意味が出てくるわけではありません。カードに磁力のような蓄積(それは数をこなすという意味でもあります)がなされ初めて出現してくるものです。

そういった点では、中級者用のテクニックと言えるでしょう。

いずれにしても、カードの組み合わせによって生じる新たな意味・別の意味(熟語的な意味)をノートなどに記載し、辞書的にまとめて記憶しておくのは、リーディング技術を向上させる意味でも有効です。

さらに、自分だけの個別のタロットの意味合いでも、誰かほかの人(同じタロットを学習している者)にその意味を教えれば、その情報が共有され、その相手にも自分用だった意味が活きてくるようになります。

従って、タロットリーディングの勉強会などの集まりで、それぞれが自分のリーディングを披露しあうことは、カード熟語の伝達交換を促進し、その場に参加している皆さんのリーディングの幅を拡大させることに貢献します。

このようにして、実はタロットの意味は、本質的には変わらないものの、時代や人とともに移り行き、新たな意味も付与されて、大きくなっていくのです。(※一枚においてもそうです)

たとえば、「手品師」のバトンがWiHiやスマホを象徴して、さらに「斎王」とセットで出れば、ブックリーダーの機器と読むことも可能なのです。


タロットにたくさん意味があること。

タロットのことに携わってきますと、タロットカードの解釈(意味)には、実にいろいろなものがあると感じます。

まず一般的な意味と言いますか、初心者でよくやりがちなものとして、テキスト・書籍に載っているものととか、専門家らしい人の解釈をそのまま覚えてしまうというものがあります。言い換えれば、人の言っていることを意味として理解するというものです。

それから、カード図像・絵柄からの見たまま、感じたままの解釈があります。

さらには、絵柄の細かい部分や、ほかのカードとの連繋的のものから解釈できるものもあります。これには伝説とか神話といったものから出る意味もあります。

そして、そうした視点とは別の、個人的なものと全体的なものという区別による解釈もあります。簡単に言えば、一般的にいわれている意味とは別の、個人的にカードから出てくる意味もあるということです。

占いをされている方には、あるカードには特定の意味が付与される(このカードが出ると、この意味になるという個人的に強い結びつきのある)解釈が結構あり、それがこのパターンに入るでしょう。

また、カード展開やカードの位置による意味もあります。これはたとえば、カードの正逆などが顕著です。さらにはカードの種類によっても、当然意味・解釈が異なることがあります。

そして個別の意味と同じようなことになりますが、同じカード種類で、出た展開とカード内容も同じなのに、人によって、あるいは相談内容によって、意味や解釈が異なってくる事もあり得ます。

それからこれはあまり言われませんが、タロットを続けていくと、個人の中にある別々の知識・経験等が結びつき、カード自体に飛躍した解釈や、飛び抜けたようなインスピレーションによる意味が出る場合があります。それには、タロットの精霊とのコンタクトによって得られる霊的なものもあります。

まとめますと、

●一般解釈・個別解釈がある

●図柄・絵の感覚的解釈がある

●一枚や部分的なパート解釈と、カードの複合性・総合性によって出る解釈がある

●カードの位置・展開の違いによる解釈(の相違)がある

●カード種類によっての解釈の違いがある

●自己の蓄積したもの、霊的なものからのインスピレーション的解釈がある

ざっとこのようになるでしょうか。

このように見てきますと、タロットとは意味が固定されていないあやふやなもの、信用するに値しないものとおっしゃる方もいるでしょう。

現代の科学的な実証のように、同じ条件で同じものが再現され、意味も同じでなければ確かなものではないという見方をすれば、当然タロットは不確かなものとなります。

ただ、タロットはあくまで「象徴」なのです。

象徴であるからこそ、同じ現象に対してもたくさんの意味が解釈されたり、付与されたりします。ひとつの答えしかない数学的質疑応答・解釈とは異なるということが大切です。

ここにタロットをする人の、思考の転換が普段から求められる理由があります。

私たちの現代生活では、ひとつのことはひとつの絶対的回答があるかのような錯覚を強いられる世の中であるとも言えます。

正解・不正解、正義・不正義(正しい、正しくない)の二極構造にいると言い換えてもよいでしょう。

上記で解説しましたタロットの意味・解釈の様々な違いも、実は根本的には全て同じなのです。その「同じ」という考え方・次元が、普通の思考方法とは異なりますので、なかなかタロットの意味というものがわかりづらいわけです。

その理解の鍵こそが、「象徴である」ということなのです。

従って、象徴とは何か?をつかむこと、これがタロットを読み解くキーとなりますし、リーディングの上達のコツでもあります。

逆に言えば、私たちの慣らされた思考方法とは別の「象徴的把握と理解」方法の獲得のために、タロットは用意されたのだと考えることができるのです。

おそらく古代では、この象徴的解釈法というのがむしろ通常でできていたのではないかと思います。それがために神や天使、精霊、自然ということが実感として理解可能だったのです。

今の私たちは象徴的理解法を失ってしまったので、様々なトラブルに見舞われているのだと見ることもできるのです。


カードの組み合わせで出る意味

タロットには、そのカードに付随する「数」の並びに、いろいろな秘密が隠されています。

マルセイユタロットの場合は、特に大アルカナの意味において、それは極めて重要な意味を持ちます。

実は「数」の並びにおいても「全体性」と「個別性」があり、例えば大アルカナカード全体として見ると意味のわかってくる数の並びと、隣り合う同士や、ある数になる組み合わせによって出てくる意味などがあります。

後者の場合は、「個別性」とリンクしやすく、タロットを扱っているその人の個人的な意味も含まれます。

何が言いたいのかと言えば、マルセイユタロットの「数」の並びはデタラメではありませんよ、ということと、数の並びの意味でも、皆に共通している部分と個人個人で出てくる意味がありますよ、ということです。

さて、そうしたことで、ひとつご紹介すれば、マルセイユタロットで5番と6番に当たる「法皇」と「恋人」というカードがあります。

二枚を数の順で並べてみると「法皇」は「恋人」カードを見ているかのように思えてきます。

「法皇」や「恋人」には、それぞれたくさんの意味が出てきますが、ここで二つをあえて組み合わせてみますと、『「法皇」が「恋人」を見ている』『「法皇」が「恋人」を語る』というような文章的な意味合いをもって読むことができます。

これはあくまで象徴なので、実際にローマの法王さんが彼の恋や恋人を語っているわけでは当然ありません。(笑)

しかし、それを次第に抽象化していくと、面白くなってきます。

本当はマルセイユタロットの「法皇」は「ローマカトリックの教皇」ではありませんが(あくまで私の解釈ですが)、仮に教皇だとしても、先程の「恋人」カードと関連させると、「教皇の愛するもの」「教皇の恋するもの」と読むこともできます。

教皇の愛するものであり、説いているものですから、それはやはり「イエスの愛」だと表現できるのではないでしょうか。

では「イエスの愛」とは何かということをもっと拡大解釈すれば、プロテスタントやほかのキリスト教・イエスを信じる教えの中にも、それは表わされていると言えます。

カトリックの解釈とは異なるかもしれませんが、普遍的には聖書やイエスの言葉から、人類が共通して感じる「愛」の何かがあるはずです。

もしかすると、「法皇」と「恋人」の二枚は、それを示唆しているのかもしれないということです。

もっと抽象化しましょう。

「法皇」はローマ法王でもなく、またはおじいさん(笑)や宗教者でもないとして、注目するのは、その「語っている」という動作の本質だとします。

そして「恋人」も同様に、恋愛や男女関係ではなく、恋すること、愛すること、好きなことが本質と見ることもできます。(あくまでひとつの解釈です)

では、「法皇」の本質と「恋人」の本質を掛け合わせると、「好きなこと、恋することは人に語ることができる」と言えますし、「人に(多く)語っていること(もの)こそが、あなたの好きなこと、恋していること、愛していることである」と見ることもできます。

自分の好きなことがわからないという人は少なくありません。それはあまりに具体化しようとし過ぎているということも一因です。

もっと大きなくくりや象徴で見ると、逆にわかってくることもあります。

何のことはない、普段あなたが人に対して一番多く語ったり、話したりしていることが好きなことである可能性もあるのです。(他人ではなく、自分に対して独り言や、心の中でつぶやいていることもそうかもしれません)

夢を語っているのなら、その夢自体ではなく、夢を考えること、理想を目指すことが好きなことなのかもしれませんし、現状は好き(な状態)ではないのかもしれません。

外国のことを語っているのなら、外国好きというのはあるかもしれませんが、もっと本質的に、常識外や未知なるものを探究するのが好きなのかもしれません。あるいは知らない人とコミュニケーションしたり仲介したりすることで、喜びを感じるのかもしれません。

こうして、自分がよく話し、語ることを見ることで、自分が本質的に好きなことがわかる場合もあります。

これもタロットの絵柄から象徴化させて、他人や自己を洞察する方法のひとつです。


「卵」を例にした象徴性

」と聞いて、あなたは何をイメージしたり、思ったりしますか?

余談ですが、この前、ある記事で、「卵」と「玉子」の違いを記していました。

ちなみにそれは、調理前と調理後の「たまご」の違いとなっています。

ですから「たまご」と発音しても、上記の意味では二種類の「たまご」があるということになります。

さらに言えば、「卵」と言っても、一般的には鶏の卵でしょうが、串料理や八宝菜を作る時にはうずらの卵を使う時が多いですので、もしかしたら、ある人にとっては「うずら」の卵をイメージしたかもしれません。

「玉子」のほうでも、いわゆる玉子料理はそれこそ山のようにありますから、「玉子」となると、かなりの種類が存在するでしょう。

まあ、これは生物的な意味での「たまご」と、食べるための料理の食材としての「たまご」で言っていますが、ここで精神的イメージ詩的表現としての「たまご」、いわゆる「例え」としての「たまご」も考えてみましょう。

すると「医者の卵」とか「弁護士の卵」とか、まだ完成していない、発展途上の存在としての表現が思い浮かびます。

あるいは、何が生まれるか(飛び出るか)わからない未知の可能性を示すかもしれません。

さらには、卵には「殻」がありますので、これがブロックや既成概念ということになって、それを打ち破るというようなイメージもできます。まさに「殻破り」の例えですね。

もっと想像してみしまょう。

卵には大小があったり、柄のあったりするものもあります。さきほどの「可能性」の例えともリンクさせると、「いろいろな個性としての可能性、バラエティさ」「子供たち、あるいは大人に眠っているの潜在能力」というような意味も出そうですね。

卵の構造まで行くと、黄身と白身、先述した「殻」もあります。簡単に見ても、この3部構造が見えますし、ゆで卵にした時の薄皮まで入れると、4部構造かもしれません。

ここから私たち自体の霊的ともいえる体の構造を例えることもできますし、単純に見た目と中身は違うことの表現もできるでしょう。

卵は割れやすいですから、大切に扱うべきものというイメージも出ます。また、転がっていくという感じもありますので、転々とするというランダムな移動性も思い浮かぶかもしれません。

機能的に考えると、生命のもとでもあり、栄養の良さもありますから、まさに滋養強壮、元気やパワーの源、エネルギーと見ることも可能です。

ざっと挙げただけでも、これほど「卵」のイメージや意味が出てきます。おそらく人によってはまだまだ出てくるでしょう。

このほか、実際に卵を扱っている業者さんや、卵生動物を見たり、育てたりしている人、卵の研究者の方などでは、特別な思いとイメージもあると思います。

長々と「卵」のことを書いてきましたが、別に卵論議や卵への愛着を語ろうとしていたわけではありません。(笑)

ここで述べたような「卵」のイメージや「例え」こそが、象徴表現だと言いたかったわけです。つまり、象徴とは何かを卵を通して皆さんに見てもらったのです。

このうち、いろいろな例えの中でも、多くの人がイメージするような「例え」と、それこそ卵を扱う専門の方のイメージというような個別的な「例え」があります。

広義の意味の「象徴」ではどちらも確かに「象徴」ですが、象徴というものも個人の経験や蓄積などによって変わることがあり、人によっては異なってくる場合があります。しかしながら、それはまた、どんなに個性的表現ではあっても、「卵」から出た象徴ということでは同じなのです。

この、同じものから皆が広く一般にイメージする「象徴」と、人によって意味の違う「象徴」とを、うまく区別しながらも統合させることが重要です。

タロットを読む上でもこのことは大切です。なぜならタロットは「象徴」だからです。

ちなみにマルセイユタロットでは、「卵」の象徴(絵柄)はいろいろなところで出てきます。

卵としては全部同じですが、よく見ると形や描かれている位置などが違います。ひとつとして実は同じものはありません。

そこが「卵」の象徴性の全体性と個別性の意味にもつながるのです。


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