リーディング技術・内容

同じ質問で、タロットは何度も引けるのか?

タロットリーディングのもっともシンプルな展開法(スプレッド)は、一枚引きです。

それだけに情報が少ないこともあって、読みにくい展開法だと言えますし、逆にズバッと結論だけ知りたい場合には有効な方法と言えます。(ただし一枚引きにも実は解釈法の違いがあり、それによっては複雑になることもあります)

後者の、特にはっきりと決断を下したい時に使うシンプルな展開法の場合(それが一枚引きであることが多いのですが)、自分の期待する結果と違う象意が出ると、大変困惑してしまう場合があります。

中には、もう一度タロットを引き直す人もいます。ひどくなると、2回だけではなく、3回、4回とやってしまう方もいるほどです。

タロットは同じ問いに対して、(期間を置かずに)何度も引いてはいけない」と聞いたことがあると思います。

その理由は複数あり、さらには決してそうとも言い切れないケースもあるので、その詳細の説明はまたの機会に譲るといたしましても、「何度も引いてはまずい」理由のひとつは、今回の記事で示すことができます。

簡単に言えば、情報が多数になり、整理ができず混乱してしまうということです。

イエス・ノー的な問いの答えを明らかにしたいと場合は顕著ですので、例示してみましょう。

一回目にカードを引くと、どうもノーだと思った。でも、それでは望むものとは違っていたので、もう一度やってみた。

すると今度はイエスぽいものと解釈できた。

でも、いまひとつイエスとは確信が持てないし、そもそも最初はノーだと思った・・うーん、では、もう一度やってみよう、今度こそ!と引いたら、なんと次は「ノー」とも「イエス」とも考えられる結果だった。ますますわけがわからなくなり、一層困ってしまった・・・

というような場合です。

迷う原因は、もちろん複数回引いてしまったことにあります。

情報がたくさん入りすぎて、しかもその情報・データが相反する(統合できない、ひとつやシンプルにできない)ものだったので、混乱に陥ったわけです。

戦いの時で第一偵察隊が戻って聞いてみれば、敵の数は数万と報告されてびびった将軍が、第二偵察隊を派遣して、その報告では、今度はせいぜい数千程度で、こちらの半数かも?との情報を受けて、「よし、これは勝てる」と勢い込むも、もうひとつの部隊から「どうも伏兵があるようだ」との新情報も得て、またまた不安に思い・・さらに偵察を出しの繰り返しで腹が決まらず、そのうち敵の奇襲を受けて、一気に軍が混乱に陥り、崩れて敗走するようなものです。

ここで、「戦いの将軍」のイメージを出したのには理由があります。

もしこの将軍に決意と覚悟、データ分析のひとつの法則のようなものがきちんと確立されていたならば、たとえ相反する情報が入り乱れたとしても、ある種の判断を下して、戦いに臨むか退却かをスムースに行えたでしょう。

それには「最初の斥候・偵察の情報を信じる」と、元から決めていたり、自分のデータ分析の法則や根拠を持っていたり(たとえば三国志演義の世界でならば「星が動いた」とか)すれば、判断は下せたわけです。

このようなことを考えますと、タロットでも何かはっきりしたものを出したい、知りたいという場合は特に、

●複数回は引かない

ということが重要になり、それは先述したように情報が(相反する要素も含めて)多くなり、整理できず混乱するからと言えます。

そして、そのためには、

●最初(に引く回)のカード、象意を尊重すると決める、覚悟する

ということです。

あやふやな、浮気心を起こすような気持ちで臨まず、たとえ自分が希望する結果ではなくても、それを受け入れると決めて行うことがよいのです。

それができない場合は、しないほうがましですし、最初から別の方法でやってみることです。

易などでは、易の神様へのお伺いであり、天意を伝えていただくので、それを尊重する意味でも何度も伺いを立てるのは失礼にな当たると戒められる場合があります。

タロットでも、タロットの精霊というものがおり、その存在とのコンタクトの不手際を招くとして考えることもできます。

たとえば、あなたが友人や家族から何度も同じ事を聞いて来られたら、終いには嫌になりますよね。

最後の方は、テキトーに「もう、それでええやん」(なぜか関西弁ですが(^_^;))と答えしまうこともあるでしょう。(笑) タロットも人間的に見た場合、そうなることがあるということです。

ただ最初にも述べたように、絶対に複数回同じ質問でタロットを引いてはならないというわけではないのです。

むしろ複数回を引いて占ったり、リーディングしたりする技術もあります。

とはいえ、それでもタロット(の精霊)との了解を自分なりに得ておく必要があります。


「吊るし」の発想・見方

マルセイユタロットには「吊るし」と言うカードがあります。

ほかのタロットと言いますか、一般的なタロットカードの名称では、「吊され人」とか「吊された男」と呼称されているカードです。

その名前の通り、吊されているように見える人物がカードに描かれています。

これを受動的・犠牲的・悲劇的に「吊されている」「苦しめられている」「拷問にあっている」と取るか、「自ら逆さまになっている」「楽しんでいる」「悠々としている」と取るかは、おそらくカード種類による実際の絵柄か、受け取る人の印象によるでしょう。

ちなみに、私の伝えるマルセイユタロットは基本的に後者だと考えています。ただ場合によっては前者もあり、つまりは両面見ることが可能です。

このようにタロットカードはポジにもネガにも見ていくことができ、言い換えればその両面・表裏を発見したり、受容したりするための訓練装置でもあると考えられます。

さて、この「吊るし」ですが、中立的に見ますと、「逆転の発想」ということが浮かんできます。

逆さに吊られている、あるいは吊っているわけですから、いい・悪いにかかわらず、「」ということが強調されているのは確かです。

これをそのままに使えば、今思っていること、考えていることとは逆の見方をしてみましょうという意味にも取れますし、文字通り、逆にしたり入れ替えたりすることで、自分の思い込み、または本当の意味や気づきが訪れることを示しているように思います。

例えば、

「お金持ちは悪い人だ」→「悪い人はお金を持っている」

「私は誰からも愛されない」→「愛されないのは私が誰も愛していないから」

「私には○○はできない」→「○○ができないのほどの(ダメな)私です(と思っている)」

という具合です。

また単純に、物事の始め方を「逆から考えてみる」ということもあります。

たとえば、想定している、または求めている結果から逆算して今の行動を決める、というようなことが挙げられます。

反対に結果や数値達成ばかり気になっている人には、まずはいったんそれを手放して、とにかくやってみるとか、目標を修正してみるというようなことが考えられるでしょう。

さらには、「逆立ちしたってかなわない」という表現があるように、降参する、投げ出す、お任せする態度も求められているのかもしれません。

逆さまの人間は普通の状態ではありませんので、病気や問題を抱えている状態とネガティブに見ることももちろんあります。

逆に、普通ではない・異常に見えることでも、その人には必要とされること、「通常」であると考えることができます。

これは、私たちの限定的・差別的・固定観念的な見方を、「吊るし」が修正してくれているのです。


タロットリーディング、結果とプロセス。

まずお知らせです。

現在募集しております「無料メールリーディング
」ですが、明日(日付が明後日に変わるまでの間)で締め切りです。

現時点で複数の方のご応募がある状況ですので、抽選となります。当落については、個別にご返信させていただきます。なお、この企画は当初1名の方への提供予定でしたが、もう1名当選枠を増やしたいと思います。ただ、もう一名の方は「サブ当選」となり、ご返信するリーディング内容が簡略になることをご容赦ください。

では本日の記事です。

プロでタロットリーディングを人に提供される方は、それなりの結果が求められます。

特に「占い」として、不特定多数の人にタロットをする場合、結構シビアな面もあります。それは経済的な側面と、対人的な側面両方にあります。

経済的なことは、これが一番大変なのですが、タロット(占い、リーディング)のみで生計を立てようというケースです。従って結果も強く求められ、リピーターや新規顧客の獲得、お客様の満足度も一層充実させていかなくてはなりません。リーダー本人にもあせりや悲壮感や出がちです。

その(生計をタロットで立てる)必要がない時でも、もし占い現場がボランティアではなく、営業利益を出さなければならない場合は、赤字を出すわけには行かず、当然「お金儲け」の観点が入ってきます。自分で半ば趣味で経営している分にはいいでしょうが、誰かシビアな経営者に雇われている場合は、かなり大変になってきます。

次に経済的な面がたとえクリアーされていたとしても、今度は人間の問題が出てきます。

内部では仲間内での足の引っ張り合い、妬み、念の飛ばしあいなど、まあ、これはひどい環境の場合ですが、そういうこともありえます。

さらには、相談者・お客様がかなーり大変な人であることもあります。

まともにコミュニケーションができない人、常軌を逸した相談、法律に抵触する相談をする人、占い師を試したり、冷やかしたりするのが目的で来られる人、占い放浪のように自分の求める答えを出してくれる人だけを探しに来る人、酔客、精神的疾病の状況にある人、極端な占い依存症の人、鑑定料金の割引を最初から要求したり、踏み倒そうとしたり、勝手に時間延長を要求する人など・・様々です。(もちろん通常はまともな方たちであり、ここで挙げたものにはレアケースもあります)

なかなか普通に暮らしていては出会えないような方とか、聴くこともないだろうというような内容の相談も受けるわけです。

いわゆる「鑑定」として、相談者によいアドバイスや具体的な幸福な人生への助言ができればいいのですが、必ずしも毎回うまく行くとは限りませんし、相手の求める答えと占いのものが異なることもしばしばで、そうなると相手に納得してもらうことにも多大なエネルギー・技術がいります。

相手にとって「当たった」とか「言われたことがよい結果となった」ということが、現実的に求められる場面が占い現場では多いですから、勢い、そうした吉凶・結果視点での「占い」となって、当たりはずれにエネルギーが注がれ、まるで営業成績に追われるサラリーマンの戦士のようなことにもなるわけです。

こうした大変な環境のもとで、占い師は日々頑張ることになります。本当にすごいことだと思います。ということで、このような「占い」の場合は相談の「プロセス」ももちろん大事ですが、「結果」がやはり重視されることになるのです。

まあ、これは環境や相談者の求めるまま、ただ流されてやる場合のことで、自分でコントロールし、やり方を変えれば、ここまでシビアになることもないかもしれません。とはいえ、占い現場でタロットを使う限りは、結果は重要なものとなるでしょう。

一方、バリバリの「占い」やその現場ではなく、セッション・カウンセリング・セラピー的な、時間をかけてじっくりと自分と向き合ってもらうタイプのタロットリーディングは、プロの場合は無論結果も大事ですが、それと同等に相談プロセスが重要になってきます。

「これが私のうまく行かなかった要因だったんだ!」と最終的に気がついていただいても、それに至る過程そのものが癒しであり、解決であるのです。まさに結果は「結果」として出たに過ぎないということもできます。

そしてさらに、別にプロで行うわけではなく、人に対してタロットリーディングを行うのがメインでもない、自分のことにタロットを活用していく場合は、さらにプロセスが重視されます。

いわば、「占い・占い現場」→「対人セラピー・カウンセリング」→「自己活用」の順番で、「結果」→「プロセス」の重要度が変わってくると言ってもよいでしょう。

たとえば、私は毎日の一枚や二枚のタロット引きを行うことを、基礎段階でのコースの際にお話していますが、それは「今日の日の何かを当てる」ということではなく、「タロットを引く、タロットで考える」という一連の行為とその過程で、何かに気付いていただくために推奨しているのです。

いわばタロットと自分の関係を接近させ、タロットによる自分やその他周囲のものを把握してもらうための準備を施していると言ってもよいでしょう。ということは、結果よりも過程が大事なのです。

タロットリーディングというものは、必ずしもタロットから何かアドバイスを得ることを引き出さなければならないというものではありません。時には読めなくてもよいこともあるのです。

その行為自体があなたに変容を及ぼす意味も含まれているのです。


タロットリーディングにおける主観2

前回の続きになります。

タロットリーディングはほぼ主観であるというお話をしております。

この前の記事では、記憶をなかなか普通は都合よく思い出せないものの、タロットを使うと、その象徴の働きで、何もないよりかは格段に想起しやすくなるお話をしました。

今回はこれをふまえて、タロットリーディングが主観で成り立つ原理について考えてみたいと思います。

まずクライアント(相談者)がいてもいなくても(自分でタロットに質問して引く場合でも)、引いたカードの絵柄を誰でも見ることになります。

そこでカードの印象・イメージから思い起こされる事柄が出ます。ただ、クライアントの方はカードの意味を知らないことがほとんどですので、あくまでカードから受ける印象が主となります。

このため、カードの種類が違うと、受け取るイメージ・印象も変わってくるのは当然です。

タロットリーダーAさんに見てもらった時と、Bさんとでは違う内容に感じる・・・というのも、占ってもらったカード種の違いが要因という場合もあるわけです。

ですから、タロットの種類(絵柄の個性)というのはとても重要なファクターとなります。

しかしながら、次の、カードから印象を受けたあとの段階からはタロットリーダーの解説になってきますので、ここからは絵柄というより、カードの意味が加わってきて、カード種の違いの問題を超えていくことにもなってきます。

とはいえ、タロットリーダー側も、カードから受ける印象がありますので、やはりカードの絵柄は大きな要素を占めます。

それはさておき、リーディング原理について見て行きますと、要はカードから受ける印象(イメージ)と、カードに象徴されている意味とのふたつの情報があることがわかります。

イメージの場合はあやふやなものであったり、その都度カードを見た時に変化することがありますが、カードの意味については、大きな概念ではほぼ不変で同じです。

しかしながら、やはり個別性と言いますか、その問いに応じた見方というものもあって、このあたりはカードが「象徴」たるゆえんで、普遍的な意味と個別的な意味合いの両方が出現し、奥底で実はそれが矛盾しないようつながってくるのが「象徴」であるとも言えます。

この、カードにおける大きな意味(普遍的な意味)ではなく、個別的な意味が実は主観が入りやすいものなのです。

例えば看護師の経験のある方がリーディングすると、「節制」(マルセイユタロットの場合)の壺の水が、具体的な治療方法や点滴のように見えるかもしれません。

飲食店の人にはメニューにあるドリンクかもしれませんし、アロマが好きな人にはエッセンシャルオイルに思えるかもしれない・・・という具合です。

また、以前自分が「この人に相談して仕事の問題が解決した!」という経験があり、それがたまたま「節制」の人に思えた場合は、その人か、あるいはその人の立場に近いような人に相談してみたら?とリーディングすることもありえます。

※「節制」には救済の意味合いも出てきますので、上記事例においても、すべて「救済」「癒し」「治療」的なもので共通している部分があることが重要です。

つまり、カードから直接細かな具体的な内容や方法を読み取るのではなく、カードが示す抽象的とも言える方向性・エネルギー・運動・心構え・人物・環境等を、自分のこれまで得ている知識や経験からリンクさせて解説しているということが多いわけなのです。

ということは、リーディングの上達には、人助けや問題解決の意識を常に持ち続けている人のほうが、対人相談を目的とするタロットリーディングには有効に働くことになります。

これは意外に知られていない事実です。

一方で、この原理からすると、マイナス面も考えられ、言ってみれば、自分の得意な分野や経験によって、リーディングの仕方も変わる、あるいは偏るということもありえます。

さきほどの例で言うと、「節制」の壺を見るといつも「薬」しか思い浮かばないというような、狭い範囲の見方です。

一番まずいのは、「壺」の象徴的意味さえ学ばず、ただ印象やレッテルのように貼り付けた意味のみでリーディングすることです。

この場合、固定した読み方に陥りやすいか、まさに単なるイメージ読みとなって浅薄なものとなりやすいのです。

イメージや印象で受け取るものと同時に、象徴の意味と感覚を学んで、その両方を統合することで、より客観的な読み方ができてきます。

しかし、この記事の主題のように、本来、主観でタロットを読むことになりますので、「象徴」を理解した読み方をしても、純粋客観はできないでしょう。

けれども逆に言えば、象徴を見ることで、完璧な客観はあり得ないとはいえ、あまりに狭い主観読みになることを防ぐことが可能になるのです。

もうひとつは、主観ではあっても、自分が普段は忘れている知識や経験を、タロットの象徴から思い起こすことができるという大きな利点があります。

もちろんタロットリーダーだけではなく、クライアントの受けた印象情報も大切で、それがタロットの象徴(の原義)とリンクしているかどうかをタロットリーダーが検証することで、潜在的にクライアントのその見え方の情報が重要なものか、そうでないかの区別をすることもできます。

タロットは自由に読むのも一側面としてはありますが、土台、主観が入りますので、自由に読むことなど本来はできません。

しかしそこに意図的に描かれている形・色・図柄を見ることによって、それを元にした想起・想念がわき起こってくるようになっています。それは何もないところから思い起こすのとはわけが違うのです。

さらにはカードの象徴の意味と比較検討することで、クライアント(または自分)の、囚われであったり、歪みであったり、強調であったり、利点であったり、特質であったり、希望や願望であったり・・・をとらえていくこともできるのです。

その点で私は、タロットリーダーを目指す人にも、「象徴」やその意味と表れ方をよく勉強してくださいと言っているのです。

一日そこらでタロット全体の象徴原理を説明したり、つかんでもらったりすることは難しいですので、必然、私のタロット講座は時間が長くなるわけです。


タロットリーディングにおける主観1

私が思うに、タロットリーディングにおいて、純粋な客観というものはないと考えています。

また、タロットだけの示唆ですべてわかったり、アドバイスが受けられたりするというものでもないと思っています。

いわば、タロットリーディングはリーダーの主観と経験・蓄積とが融合されて披露されるものだと結論できます。

もちろん、非常に直感力や何か目に見えないものを感じ取る能力が高い人は、タロットからのインスピレーションによって、あまり主観の入らないリーディングをすることがあるかもしれませんが、こういうタイプの人は少数です。

「タロット占い」では霊感タイプの人もよくいらっしゃるかもしれませんが、占いタイプといえど、自分の主観はほぼ必ず入るものと推測できます。

では、「そんな主観でモノを言われたら、タロットを使う必要や利点などあまりないのではないか」と考える人もいるでしょう。

ところが、それでもタロットを使用するよさがあるのです。

それは、たとえタロットを読むことが主観や自分の経験からであっても、何もないところから手がかりやヒントをつかむことは難しいからです。

人の脳、あるいは別の場所もあるかもしれませんが、、とにかくこれまでの膨大な情報の蓄積が存在しています。

それは自分が学んだり、意図をもって経験したりしたことはもちろん、無意識のうちに見たり聞いたり感じたりしたものすべてが入っていると考えられます。

あなた自身は忘れているかもしれませんが、それは思い出せないだけです。人間は、記憶させるより、実はこの、「思い出す」ことが難しいのです。

それもTPOに応じた、適切でストーリーある合理的な思い出し方が困難です。

ぱっと何かが思い浮かんだり、一部だけが出てきたりすることはあっても、うまくそれらがつながって、今の直面している問題や課題にヒントになる形では思い出しにくいのです。

例えば、今の課題は10年前に読んだ本にその解決の糸口が書かれてあったり、以前に体験した事柄に現在の問題の原因があるということが結構あるものですが、それを人は思い出すことがうまくできません。あまりよい経験でない場合、思い出せないようにブロックしていることも多々あります。

ところが「象徴」であるタロットの絵柄を見ていくことで、それが記憶庫の中から取り出され、再生されるきっかけとなる場合があるのです。

この理由は私にも確たるものを言うことができませんが、おそらくタロットが「象徴」であることにより、「象徴」が次元や時間を超えて、人の意識の中に働きかけることが可能になりますので、普段眠っている記憶にアクセスすることができるのではないかと想像しています。

特にマルセイユタロットは人の「元型」「アーキタイプ」と呼ばれる普遍的なパターンも絵柄の象徴として内包しているので、その特別な幾何学的図形デザインと相まって、潜在意識に刺激を与えることができるのだと考えられます。

タロットのスプレッド(展開法)では、過去・現在・未来と時系列的にカードを並べる手法が比較的よくありますが、過去パートをこのように置くのも、こうした昔の記憶を取り出せる機能がタロットにはあるからだと思います。

※過去をリーディングする理由にはほかにもあり、このことは講座でしっかりお話しています。

いずれにしても、タロットリーダーの主観や経験もクライアントの記憶とともに、タロットによって一部蘇ってくるのです。

そして両者の記憶の複合したリーディングがなされていきます。

その仕組みについては次回に続きで述べたいと思います。


Top