リーディング技術・内容
質問と対応によるタロットリーダーの位置づけ。2
さて前回の
続きの記事になります。
タロットリーディングにおいて、ただ判定を下すだけの対応では、クライアント(相談者)は本当の意味では満足できないことが多いという話をしました。
ただ、ここでなぜ当たる・当たらないかが、特に占いのシーンにおいては取り上げられるのかと言えば、シンプルに言ってしまえば、神秘性と信用性が大事だからです。
こちらが言っていないことなのに占い師に当てられた、過去のことが当たっていた・・・このようなことで人は驚き、さらにはその占い師のこれから語ること(含む・未来のこと)に信憑性を見い出すようになるわけです。
それが厳密な意味でまったくの事実かどうかはあまり意味がありません。ただ相談者の中で、信じられるか、リアルに感じられるかということが重要なのです。
そこで舞台装置や環境、雰囲気といったものも、神秘性も含めて占いの場合は無視できないものになります。
ということで、最初の段階では「当てる(当たっている)」と相談者が感じることも、次の段階に進むためには必要な場合もあるのです。
話を戻します。
いずれにしても、○か×かの判定だけでは相打者は心からは納得できていません。それで納得できるのは、ある程度自分自身でも整理がついていて、最後のひと押しが必要だった相談者がほとんどです。
ですからそれからが、タロットリーディングが「判定占い」を超えて、本当の意味で相談として始まっていく段階と言えます。
ここから、カウンセリングスタイルを取るのか、ヒーリングやセラピーまで入っていくのかは、また自分(タロットリーダー)の選択によります。
同じ内容と同じレベルの問題を、故意にリピートさせる(引っ張る)悪徳な人とは別に、「問題」によっては一回で解消や解決できないこともあります。
その意味では、相談の複数回を問題によっては提示しておくケースもあります。そのような相談スタイルもあるのです。
そして、前回の例でいえば、恋愛相談で相手の気持ちがどうかを知りたいと言っていた人が、実は何をするにも勇気や自信がなく、恋愛以外でも、ほかの人間関係において問題を抱えていて、それが恋愛として特に表面化されていた(「恋愛」は相手との結びつきを強く望む、特に色濃い人間関係のひとつだと言えますので)ということもあります。
そうならば、相手の気持ちうんぬんではなく、この相談者自身の問題が重要だということになり、自分を自分として本当の意味では認め、受け入れられるためのセッション的な相談、またはセラピーが求められることになります。
しかしながら、通常の占いの館ベースの相談では、時間制限と占い師の営業成績が問われますから、当たる当たらないレベルや、判定を下していく、あるいは未来を予想させるような占い方で相手をひとまずの安心に置くしか手はなくなってくるのです。
勢い、そこを訪れる相談者も、○か×か、幸運になるにはどうすればよいか、どうなるのかの結果を求める、というような内容になりがちで、それに答えようとタロットリーダー側も応じていくようになってしまいます。
いわば、相談者の最初の質問そのままにタロットで答えていくというようなことになってしまうのです。
最初の質問自体の答えに本当の納得がないのは、前回お話した通りです。
占いの館が悪いと言っているのではありません。経営者のスタンス、営業スタイル、収益の上げ方からして、通常、そのようになるのは仕方ないのです。
そして占い師も雇われている側なので、勝手に時間や場所を変えるなどのシステム変更はできません。(もっとも、個性的な占い師は、枠内の中にいても自分でクライアントの真の問題まで迫るスタイルを取っている人もいます)
従って、タロットの場合、入り口的な占いレベルでのリーディングを繰り返していると、判定を下すようなものや未来予想、当たる当たらないを重視するようなものに傾いていきます。
しかも、ここがとても重要なのですが、そうした「判定」の世界は、言わば二者択一の世界であり、いいか悪いかでとらえる世界観となります。
これは仏教的にいえば修羅道の世界に近く、人間界がかろうじて入っているようなものです。六道輪廻の世界観では、修羅道と人間道の世界は、争い悩み苦しみの世界です。
もちろん相談に来られるということは、そうした苦しみにいるからではあるのですが、相談を受ける側までもがその世界観レベルでいると、どちらも抜け出すことができなくなります。
同じレベルではまさに堂々巡りなのです。
従って、あれかこれかとか、幸運か不運かとか、どうなるのか、どうなのか、というような質問で対応するリーディングに留まるのはかえって難しく、問題と言えるのです。
もっというと、タロットリーダー側がその世界に留まる限り、自身が「営業」「経済」面でも修羅と人間の道で苦しまねばならなくなります。
それも「修行」だと思ってやる方法も、あるにはありますから否定はしませんし、実際、そうした世界でもまれることによっては、自分を鍛え、ある時に突然、ひとつ世界を飛び越えることも可能になる場合もあります。まさに修行僧の方法です。
しかし、タロット的にいえば、自分を天使や天上的精神に置き、あるいはそういう学びや解決法の志向(思考)をして相談に臨むほうが、相手も苦しみの堂々巡りの世界から抜け出すきっかけが得られやすいのです。
ただ誤解しないでいただきたいのは、相談内容・方法の優劣を言っているのではないということです。確かに次元の違いはあっても、それはそれぞれ(各人の事情・学び)で選択と表現をしているだけなのです。
自分がどのような立ち位置で、どのようなレベルで相談をしていくかということによって、お客様の次元と内容も変わってくるということであり、その選択もまた自由なのです。
色々な状態が同時存在しているのが、この世界でもあるからです。
質問と対応によるタロットリーダーの位置づけ。1
タロットリーディングを仕事にしていくと考えた場合、いわゆるプロのタロットリーダーとなるわけですが、どのような問題を扱うのか、相談スタイルとしてどのような対応をしていくのかといったことが、結構営業上においても、自分自身の世界観を構築するうえでも重要です。
一昔前は、タロットといえば占いであり、そしてまた占いといえば当たる・当たらないの「アテモノ」という認識が一般的でした。
しかしこれも言い方を換えれば、目に見えない・通常では推し量ることのできない情報をタロットによって提示すると考えると、言わば、どのタロットリーディングも「占い」の部分を含むことになります。
そのうえで、大切なのは問題の質です。または次元と言ってもいいでしょう。さらには、それに対する答えの出し方やアドバイスのスタンスみたいなものもポイントとなります。
たとえば、恋愛問題の場合、よく占いのシーンでは、
「好きな人がいるんですけれども、相手は私のことどう思っているでしょうか?」
というような質問があります。
これに対して、タロットリーダーはタロットを展開して、相手の気持ちをタロットから推測判断をし、相談者に告げるとします。
もし、(相談者の)相手も相談者のことを好ましく思っているようなカード(の展開)が出れば、それを相手に伝えると普通は喜ばれるでしょうが、逆にそうではなかった場合はどのように伝達しますか?
「相手はあなたのことを何とも思っていない、それどころか避けたいとさえ思っていそう」「ほかに好きな人がいるようだ・・・」など相談者に話して、がっくりと気落ちさせて帰らせるでしょうか。
それが仮に本当のことだったとしても、営業上、今後は難しいことになりそうな気がしますよね。
それでも、タロットを信じるタロットリーダーならば、タロットからの提示を曲げてまで、相談者に迎合した内容を話すわけにもいかないでしょう。
そうすると、このような場合、タロットリーダーの役割はお告げや託宣を与える者、あるいは自分(相談者)がわからないことを○か×か、右か左かなどにはっきりさせてくれる存在だということになります。
ならば、それはタロットリーダーではなくても、何かの判定機械(情報を打ち込めば判定が出るプログラムを入れたコンピューターなど)でもできることですし、コインを投げて表裏で判断することも極端な話、可能です。
その内容が自分(相談者)にとってよかろうが悪かろうが、とにかく判定が下るだけです。
でも、自分よりも「占い師」や「巫女さん」、現代風ならば「チャネラーさん」に「判定」してもらったほうが、何か神秘的で、説得力がありそうな気がします。だからわざわざ人に聞きに行くわけです。
さて、ここまで読んできた人の中には、途中からかなり違和感を覚えた人もいらっしゃるでしょう。
いわく、占いはそんなものではない、占い師やタロットリーダーはただ○×の判定をするだけではない・・・というような思いを抱かれたかもしませんね。
私もその通りだと思います。
先述した例でいえば、「相手の気持ちはどうなのか」と恋の相談に来ている人が、ただ相手が自分をどう思っているのかを知りたいだけのことは少ないからです。
「相手の気持ちがどうなのか」を知りたいだけならば、「あ、ダメですね、あなたのこと何とも思ってませんよ」と、たとえ占い師から言われたとしても、「ああ、そうですか、じゃ、次の人探しますね」とあっさり・すっきりできるはずです。
ですが、多くの場合、そうは行きませんし、最悪、タロットからただ純粋に感じたことをタロットリーダーは言ったまでなのに、「そんなわけありません、あんた、ヘボ占い師ですね、もっと修行したほうがいいんじゃない?!」と非難されたり、暴言を吐かれたりすることもあります。
ということは、相談者はただ事実を知りたいのではなく、その裏にはもっと別のことが潜んでいるのだということが容易にわかります。
さて、長くなりそうなので、続きは次回に書きます。
リーディング設定における「完全」「不完全」
タロットのスプレッドの種類はたくさんあります。
個人的にはどれを選択するのも自由だと思いますし、また自分にとって読みやすいもの、タロットによって相性のいいものというものがあるように感じます。
私はもともとカモワン流と呼ばれる技法から入りましたので、その系統でのスプレッドを個人リーディングでは採用することが多かったのですが、次第に個別的に変化し、今はかなり自由な引き方をしています。
講義の中では、私のオリジナルのものを中心として、いろいろと取捨選択して教えています。
発展コースというプロ向けになってきますと、今まで以上に、タロットリーダーその人の個性を考慮した展開法(スプレッド)も指導して行きたい思っています。
ところで、展開法・スプレッドにおいてあまり言われていないことを今日は書きたいと思います。
今、特に占いで使われるタロットのスプレッドは、ほとんどの場合、位置(形式)に意味があり、その上にタロットを置いて行き、もともと設定していた位置の意味とそこに偶然置かれたタロットカードの象徴とを重ね合わせてリーディングしているというものが主体です。
もちろん、位置の意味を特に決めずに、タロットが出たそのものの意味(タロットカードの象徴性の意味)をメインとした方法もあります。
ただ、いずれにしても、出たカードの状態を、ひとつの「世界」として見ていることになります。
ここで大切なのが、その「世界」を完全と見るか、一部と見るかということです。
わかりやすく言いますと、出したカード(群)によって、問いの内容(の情報)がすべて出ていると見るか、一部しか出ておらず追加が必要か、あるいは出過ぎていて切り捨てが求められかというものです。
前者の(すべてがひとつの出たカードで表されているとした)場合、追加したり無視したりするカードはなく、スプレッドで登場したカードのみで、問いの本質から対応策まで考察しなければなりません。
こう書くと難しいようですが、必ず出たカード(たち)に手がかりがあるということになりますから、カードの象徴に集中して行けば、よいリーディングもできるでしょう。
これは大きな世界の「ひな形」として、スプレッドで出たタロット群を「小宇宙的な世界」と見立てるという方法で、細かく分析すればとても面白いことがわかり、応用の幅もかなり広くなります。
なぜなら、今出ているカードたちで、あなたの心象風景・心でとらえている実存と信じている世界全般を象徴していることになり、問いに関することもちろん、その他のことも占うことができるからです。
さて、もう一方の、出たカード(群)をもってしても不完全な世界であると見るやり方です。この場合は、追加情報・要素として、カードをさらに引くことが多いです。
また、その引くカードの枚数や種類にも、あまり決まりはないと言ってもよいでしょう。
これのよいところは、出たカードにおいて、まだ(問いに対する世界は)不完全だという前提ですので、当然問いをしているあなた自身も問題があると認識できることです。
タロットに問いを投げかけるということは、つまりは何かを知りたい、解決したい、向上したいということですから、その意味において、今のあなたは確かに「不完全」なのです。
従って、新たにカードを引いて要素を追加したり、あるいは逆に在りすぎて「不完全」ということもありますので、出たカードを裏に返したり、無視したりすることさえあります。
多くの場合、カードを新たに追加して、それが次の動き・新展開・変動の鍵・希望要素などを象徴し、不完全状態もいえる膠着から完全に向けて、変化の動き出しを狙うことになります。
このように、出たカードの「世界」が完全か不完全かを設定しておくことで、リーディングの幅を広げることができるのです。
タロットをさわりたくないと思う時。
タロットを学んでいくと、タロットが面白く感じ、毎日のようにタロットを扱いたくなる場合があります。
これとは反対に、急にタロットをさわりたくない、扱いたくないといった状態が訪れることもあります。
楽しい場合はよいのですが、タロットをやりたくないと思ってしまう時、学習者は心配になります。
「自分はタロットに向いていないのではないか」「何か勉強方法や扱い方に問題があるのではないか」などと不安に思うのです。
しかし、多くはそれほど心配することはありません。
扱いたくなくなる理由としては、対外的なものと自分によるものが考えられます。
対外的なものとは、環境(時間)といったほうがわかりやすいかもしれません。単純にほかのことで忙しく、タロットと向き合える時間が少ないという理由が主です。
また、やや自分による理由と重なるのですが、心理的に落ち着いた状態ではないので(仕事のプロジェクトが進んでいる、子供の世話で今集中しないといけない・・などの理由で)、きちんと取り組めないということがあります。
これらは環境が整えば(落ち着けば)、自然にタロットに向かえます。
問題なのは、時間もあり、そんなに心理的にもバタバタとしているわけではないのに、何となくさわれない、抵抗があるというようなケースです。
これにも実はふたつの理由が想定できます。
ひとつは、そのタロットに自分が合っていないということです。タロットのエネルギーと合っていないといったほうがいいでしょうか。
タロットにはたくさんの種類があり、それぞれに絵柄や色が異なるため、全体としての象徴性はたとえ同じでも、個別的には全く異なるものだと言えます。
従って、好き嫌いや合う合わないという感覚が出るのも当然なのです。
スピリチュアル的に言えば、タロット種によってそれぞれの固有波動を持ったり、さらには霊的な流れ(霊統)を含んでいたりするので、人によって受け取る感覚も違うのです。
ただ、これは使っていくうちに自分のほうがなじみ、そのタロットに対して違和感を覚えなくすむようになることもあります。
それでも、ある一定の長さでつきあったのに、ほとんど印象が変わらず、気持ち悪いとさえ思うのならば、それは今使っているタロットの種類を変えたほうがよいでしょう。
それからもうひとつの理由は、自分の中の変化・変容によることが挙げられます。
特にマルセイユタロットで自分と向き合うための選択をしてタロットを使う場合、タロットを鏡のようにして自己投影していきますから、段階によって、自分が見たくない部分とか、抑圧していたものなどが現れてきます。
それで特定のカードが気になるとか、タロットをさわるのが恐い、心苦しい・・・みたいなことが起こるのです。
自分でもはっきりとした理由がわからないので、余計不安になったり、混乱したりします。それでも、無理せず続けていくと、自然に統合が取れてきて、今度はよりタロットとなじむようになってきます。
あともうひとつの理由を挙げるとするならば、新しいことを学ぶと、それを整理し直す時間が何事にも必要だということです。
休息発酵時間と言ってもよいでしょう。入れたことが整理できていないのに、また次々にダウンロードして行けば、容量がオーバーしたり、ショートしたりすることが生じます。
パソコンにおけるデフラグのようなもので、空白・待機の時間が必要なのです。それはほかならぬ「タロット」によって、「吊るし」のカードとして象徴されていることです。
さて実際には、これらがひとつではなく、いろいろと複数の理由が絡んでタロットをさわりたくない時期が来ます。
肉体や精神レベルでの拒否にはやはりそれなりの理由がありますので、タロットを扱いたくなくなった時は、自分や周りの環境をチェックしてみるとよいでしょう。
タロットの種類が合わないケースを除き、さわりたくないという状態も基本的には必要な時間ですので、あまり心配せずともよいです。ほとんどの場合は、その時において、無理してまでやらないほうがよいです。(単なる怠け心の場合は別ですが(^_^;))
あ、それと、人に習っている場合は、講座や講師との相性・面白さなども影響しますので、全然自分にとって面白くなかったり、ずっと違和感を覚えるようならば、講座や講師を変えるのもひとつの手です。
場所の再訪問による浄化と充電効果
タロットリーディングというものは、個人の皆様を相手に、その方のまさに個人相談をするわけですが、不思議なことに、ある共通のパターンやほかの人との類似点のようなものを見い出せることがあります。
ところで、パターン化というものは、何でもそうですが長所と欠点を併せ持ちます。
よいところは、普遍化・標準化できるので、その対象物を理解しやすくなるということですね。また教えたり、伝えたりするのにも便利です。
「これはAタイプ、こちらはBタイプだな」という具合にです。
しかし、あまりにタイプやパターンを当てはめすぎると、それ以外の個別・特種ケースを見逃すことになり、さらには画一的なモノの見方に陥って、結局「パターン」という、文字通り「型」通りしか考察できない思考になる恐れがあります。
タロットリーディングでの相談においても同じで、パターンによって相談類型を意識したり、把握したりすることは大事でも、基本は相談とは個別であり、一人として本当は同じ悩みなどないと思っているほうがよいです。
さて、実は今日の話題はそのことを述べたいわけではなく、このパターンによって出てきたひとつの「型」をお伝えしたいというものです。
それは「思い出の地の訪問による浄化(もしくは充電)作用」という「型」「パターン」です。
自分の人生において、トラウマほどではないにしても、何か思いを残してしまっている場所・土地というものが人にはあります。多くは故郷とか育った場所、赴任先というようなものでしょうか。
そこには「よい思い出」のこともあれば、そうではないこともあります。
特に後者(あまりよくない思い出)は、普段は心の奥底にしまわれ出てきませんが、何かの問題の拍子に、象徴的に浮上してくることがあるのです。
たとえば、恋愛や結構の時に、どうしても踏み切れないとか前に進めないとかの気持ちになって、不安に思っていると、それは過去(の場所)において、「心的」に未処理だった恋愛問題が隠されていたというようなことです。
実際は終わっているのですが、自分の中の「思い」、「儀式」として終わっていないというような感じですね。
そういう場合、自分が恋愛していた時の印象的な場所などに行ってみるというのも効果があるのです。
それは実際に訪問することで、時の流れを肌で感じたり(別の景色になっていたりすることで)、またたとえ、ほとんどその当時のままであったとしても、心のシーンで、続きの映像を早送りのような形で見ることができるからです。
そして「今のあなた」まで時を進めることができます。
この時、もうあなたは昔のあなたではなく、過去のことを思い出として浄化し、その経験に感謝できるでしょう。少し供養や墓参りに似ているところがあります。
時間というのは不思議なもので、現実の時間と、その他たくさんの種類の「時(とき)」が存在します。
あなたの中にも、当時の時と世界がやはり残っており、それはあなた自身が止めていることもあるのです。それを動かしに行くのです。
もちろん現実に訪問しなくてもイメージでもできますが、ここやはり、程よくリアリティがあったほうが、効果の度合いも違ってくるのです。
これはネガティブなことの処理や浄化の場合ですが、逆にポジティブな思い出を利用するこてともできます。
自分にとって良かった時代、とても自らが楽しく輝いていた所に行くという方法です。
これは時を進めるというより、反対にその時の中にしばし自分が浸り、喜びの波動を再び自分に転写するというようなイメージです。
こうして勇気や力を今の自分に与えることも可能になります。
いずれにしても、浄化や充電という形で、思い出の地の再訪問というのは時に効果があります。
このパターンが、タロットリーディングの経験から、何度か出てきていましたので、皆様にご紹介してみました。