リーディング技術・内容
ポイントを絞ること。
何事も漫然と、何もポイントを定めずやっていると、当然ながら結果も漠然としたものとなります。
「見てください」
とただ言われるよりも、
「前を見てください」
と言われたほうがみんな前を向きますし、さらに、
「前に見えるあの大きな木をご覧ください」
「その木の先端はどうなっていますか?」
と細かく設定されたほうが俄然注目度合いも増します。
また、何かを始める前に、「今日は誰々さんに注目しておいてくださいよ」とか「10時になったら何かが起きますよ」とか「ありがとうと言うようにしましょう」とか言われると、それ自体をとても気にすることになります。
いわば、ポイントを設定するということです。
ポイントを決めれば、注目度が上がりますし、集中性も高まります。
これは実はタロットリーディングでも重要なことなのです。
クライアントや自分が問いを発する時でも「私のこれからどうなんでしょう?」と言うのと、「私は将来飲食のビジネスをしたいと思っているのですが、どのようにすれば実現に近づくでしょうか?」とポイントを絞ったものとでは、まったく注目度が異なるわけです。
注目度というのは、タロット展開した時にカードが質問と符合したり関係したりすることを発見する「注意力」や「集中力」のことです。
ポイントがはっきりしていれば、どのカードがどれを象徴しているのか、あるいは一枚のカードの中にある細かな象徴が何を表しているのかさえもわかりやすくなります。
リーディングがうまく行かない原因の多くは、カードと質問の関連を結びつけることができないことにあります。
それはイメージをあまりしていないことにも起因しているのですが、それよりも質問においてポイントが絞られていないために(漠然としているために)、出たカードを実際のことに当てはめることができないといことが大きいのです。
タロット「占い」というやり方においては、質問も絞らず、黙って座ればピタリをと当たるような出たカードを霊感のようもので占者が当てていくというスタイルもあります。
ただ私の講義しているものはそれとは別の、両者がともに話をし、質問者の情報とカードの象徴を併せたところに回答(自らの気づき)があり、それをタロットリーダーが導くという形式を取っています。
よって質問のポイントを絞るということはとても大切になってきます。
これは単にタロットリーディングの問題だけに収まらないのです。
「タロットリーディングをする」という作業は、タロット以外の、とてもいろいろなことの学びにつながっているのです。
私が意図しているのは、リーディングそのものの向上ももちろんありますが、そのような、タロットリーディングを通した自分自身の総合的な発展なのです。
そのことの一例を、次回の記事にて、今回のことと関連して挙げてみたいと思います。
タロットカード「戦車」の考察
「戦車」という名前のタロットカードがありますが、このカードはタロットの種類にかかわらず、勝利とか成功とか読まれるカードです。
だいたいどのカードでも勇ましい人物が馬車の上にいて堂々としているところから、そう感じたり、読まれたりするのでしょう。
もちろん絵柄の深い象徴的意味合いからでもそれらの意味は出てきます。
しかし「戦車」にはそれだけ(勝利や成功、積極性など)のことを示唆しているのではありません。
(私はマルセイユタロットを使うのでマルセイユ版のカードの「戦車」を見て感じるのですが) もちろん積極的に行動し、勝利を収める意味もありますが、時々どちらかというと物事をコントロールしたり、待ったり、調整したりするようなイメージが出ることもあります。
やはりそれは絵柄において、二頭の馬を御者として操っているということが大きな理由です。
それとこの馬車は単なる馬ではなく、ある霊的な意味を伴うこともあります。それゆえ馬は通常の馬車の馬のように台車の前でつながれているのではなく、中から産まれ出ているように描かれていますし、車輪もおかしな向きにつけられています。
この馬は「世界」のカードに描かれている牡牛とも関連すると考えられ、私には羽はないものの天馬のようにも見えます。
そうすると「戦車」の別の役割が見えてきます。それは天上へ自身を連れて行く乗り物であり、逆に地上へ舞い降りてくるものでもあるということです。
しかしこれはあくまで象徴です。
実際的に考察してみると、このようにリーディングできます。
それはあなたの限界を突破してこれまでの次元やフィールドを超えることの示唆であり、また高い意識と智慧による実際問題や課題への対応だと言えるでしょう。
戦車は実は境界線の乗り物でもあるのです。「戦車」と「星」が同じ7という数で結ばれているのも偶然ではないと考えられます。
織姫と彦星伝説さえ、この両者から読み取ることができます。
私たちがある境界を超えて成長や発展を見る時、そこには「戦車」が登場してきます。
乗り物に乗り、境界を越えるためには二つの馬にたとえられる相反した、あるいは両極ともいえるエネルギー、考え方、技術を統合させていく必要があるのです。
さらにいえば、「戦車」を立体的に見た場合、その台車には4つの面があることになります。この4つにも大きな意味があると考えられます。(旧約聖書「エゼキエル書」とも関係すると言われます)
「戦車」の人物はそうなると大天使や神ということでもある考えられ、人としてそうなる可能性を秘めているとなれば、グノーシス思想とも関連すると想定できます。
簡単にいえば自分の中に神性を置く時、人は自分の人生に勝利するとも言えます。
今日書いたことはかなり秘伝・アルカナに接触する部分もありますので、このあたりにいたします。詳しくはタロット講座にてお伝えいたします。
リーディングの鏡作用
さて、実は昨日の記事はこのことを書こうと思っていたのですが、なぜかまったく違うものになってしまいました。
私の記事はほとんどインスピレーションでネタは取ってきています。
「今日何を書くのか?」ということはタロットを想像すれば降りてくるという感じなのですね。逆にある言葉やひらめきが降りてきて、そのことがタロットに結びついていると思考できることもあります。
余談はさておき、本題です。
昨日は感覚と知識による両方のリーディングが必要ですよ、というようなお話をしました。
ここで感覚と知識ということでは、皆さんがあまり普段は意識したことがないタロットリーディングの発想・考え方をご紹介します。
それは「今の自分のリーディングは、まさに自分を投影したリーディングを行っている」ということです。
あなたが人をリーディングする時、それは現在のあなたの意識レベル、問題、注目、関心に応じた情報として読み解く傾向が強くなります。
感覚においても、また拾い上げるタロットの象徴の知識(自分がその時気付くタロットの象徴と意味)においても、自身の今の状況が色濃く反映するのです。
たとえばあなたが自分の変革に関心がある状態ならば、やはりそれに応じたカードの読み方になりやすく、変容を意味する「13」や、大いなる摂理と開始・変化を意味する「神の家」などが強く感じたり、「変化」とは通常思えないカードでもそのように見えてしまったりするということです。
それならば客観的にリーディングできていないではないか、リーダーが偏っていては相談する人がかわいそうだと思う人もいるかしもれませんが、私はそういうことではないと考えています。
そもそも純粋に客観的なリーディングというものはなく、すべてどこか主観的なのがタロットリーディングです。
実はリーダーの課題・テーマはクライアント(相談者)と共有するところがあり、現実として全く違うように見える相談でもリーダーとクライアントは奥底ではつながっていると考えます。
むしろクライアントがリーダーに相談に来るのではなく、リーダーが自分の問題を解決したり、課題を見つめたり克服したりするために呼んでいるのだとも言えましょう。
おそらく両者の目に見えない求め合いが、ある根源的な象徴やエネルギーとつながり、縁とタイミングによって相談者(クライアント)とリーダーとの立場となって相まみえるのだと想像されます。
従って、自分の注目や関心の傾向でリーディングしてしまうのも悪いわけではなく、ある意味自然の流れと言ってもいいかもしれません。
そしてクライアント側も、リーダー自身の傾向にリーディングされる何かを必要としている可能性が高いのです。
もちろん詳細に、高次にリーディングできればそれに越したことはありません。純粋に技術の問題もあるのは事実です。
しかしながらリーダーの読みに応じたクライアントの傾向というのもあると考えられます。
たとえば技術が基準以下で低いというのなら問題外ですが、ある程度のリーディング技術を伴いながら、この時ははっきりした回答がクライアントに与えられなかった、気づきをもってもらうことができなかったと嘆く場合もあるでしょう。
それでも、それはクライアントにとってはむしろ明確ではない、はっきりしないほうが良かったということ自体が回答だったのかもしれないのです。
そしてリーダー自身も現在、そのようなテーマ・状態にあると見ることができます。
タロットリーディングはいろいろな意味で、まさに心の鏡なのです。(「月」のカードは、そのことをもっとも象徴しています)
それゆえ、人をリーディングすることは自分をリーディングすることに等しく、真剣になればなるほど、自分にもそれに応じた神の恩恵とでもいうべきものが降り注いでくるのです。
感覚リーディングだけでは不足です。
タロットリーディングがいつも同じ感覚・能力で行えるのかといえば、人間の行うものですからそうとは限らないというのが実状でしょう。
プロでやっていても、本当にズバリとリーディングできる日もあれば、なにやら不透明な、少し曇ったような感じになることもあります。
とはいえ、ある一定の水準でいつもリーディングできないとプロとは言えませんし、その努力は怠ってはならないと思います。
しかしながら、先述したように人間なのでブレがあるのも事実です。そういったブレを修正したり一定基準に保ったりするために必要なのはタロットへの感覚ではなく、カードや象徴の知識です。
知識的なリーディングができれば、感情や気持ち・体調のブレに関わらず、基準を満たしたものが可能になります。
ですからタロットを学ぶにおいて知識も非常に大切であり、「このように感じる」「このように見える」という感覚からだけのものより、知識リーディングがあればもっと幅と余裕のあるリーディングができます。
それでも実は最終的には感覚的なものが重視されます。ですがここでいう感覚というのは通常のものではなく、タロットの象徴を通じて呼び覚まされるようなもの、あるいはまさに直観と呼ばれるようなものです。
タロット経験値(知識も含む)に基づき感覚的な要素も入って本質に行き着くのがタロットにおける「直観」だと言えます。
単に「なんかこう感じる」「一瞬こう思った」というのは直感です。それが正しいこともありますが、まさに「感じ」なので、それが本質かどうかはわかりません。
たとえばタロットを見て一瞬にして「雰囲気の悪さを感じた」とします。
でもその感じの悪さは何の悪さなのか?
質問に対してのノーの意味での感じ悪さなのか、相談者の気持ちがネガティブすぎて感じの悪さを受けたのか。自分が今思っていること、していることに嫌な感情を抱いているのでたまたまタロットの展開にそう感じてしまったのか。
実は「雰囲気の悪さを感じた」と言っても、このようにいろいろな理由が考えられるわけです。感覚の意味をタロットで見なくてはならないということです。
そのため、感覚だけに頼ったタロットリーディングではなく、知識も含めた様々な観点でのリーディングを行うほうがよいと言えます。
感覚だけだと極端なことをいえばカードがなくても直感は働きますので、直感リーディングという意味でならば、道具はいらないことにもなります。
タロットの能力の開花のために
私は公務員をしていた時、最初の職場が児童相談所でした。
ここでの経験とエピソードは枚挙にいとまがないほどですが、とはいえ、場所も田舎でしたし激務をしていたわけではなく、今より複雑な問題も少なかったと思います。
相談としてはいろいろなケースがあったのですが、中に子どもの言葉の発達の遅れが結構あり、当時の上司はよくそういったお子さんを抱える親御さんにこんな話をされていました。
「この子が言葉を覚えるのは、言葉をためていく必要があるのです」
「いいですか、ここにコップがあるとしますね、これにはまだ水が入っていません」
「ここに水をどんどんためていくのです、そうするとどうなりますか?」
「そう、コップに水がいっぱいになって、やがて水があふれ出しますよね」
「この水こそが言葉なのです」
「そしてコップ、つまりお子さんの中に水を注ぐのは親御さんの役割なのですよ」
と。
もちろん、言葉の発達の遅れの裏には機能的なもの、もともとの脳や器質の問題もあるのですが、それでも言葉かけをせず、放任して子どもと皮膚感覚で関わろうとしない場合は、ますます言語の発達は遅れることになるわけです。
子どもと一緒になって遊び、感情的な楽しい起伏と幅をもたらせ、同時に言葉のシャワーを親や人の肉声で浴びさせていく必要があるのですね。
そうして溜まった言語と感覚は、先の上司の説明のようにコップからあふれ出し、実際に喃語(バブバブとか言葉にならない最初の言葉)となり、そして「マンマ」のような初めの意味ある言葉が発せられるようになるのです。
それはほんと、突然話し出すという感じのことが多いのです。でもそれは偶然ではなく、コップの水が蓄積されていたからにほかなりません。
実はこのことは、タロットリーディングにも言えるのではないかと私は思っています。
というのはタロットもいわば絵で伝え合う言語だからです。
それでまずはタロット的な言葉を自分の中に入れていく段階がいります。
それは象徴の理解やリーディングにおける感覚も含めてです。自分だけでやっている場合と、先生や複数の人と学んでいる場合では違ってきます。
いわば言葉のシャワー度の違いです。シャワーの量が少なくても質がよければ、ため込むスピードは速くなります。
いずれにしろタロット的な言語・知識が自分の中に蓄積されていけば、ある日を境にして突如タロットの理解やリーディング能力が進むことがあります。
それがコップの水があふれだした瞬間です。
私の講座でも、たとえば基礎講座では残すところあと二回か一回というところから急に能力を開花される方が多いです。
それはご本人の蓄積によるところが大です。たとえ講座中に開花しないように見えても、努力している人は必ずあふれ出します。
自分には向いていない、才能がないと言って、あともう少しなのにやめてしまう人もいて、とてももったいないと思います。だいたい何事も夜明け前が一番苦しく、不透明なのです。このことはタロットの「月」がよく表しています。
あまりうまくリーディングができない人も、今のあなたは自分の中にタロット的言語の水をためている段階だと思い継続していきましょう。