リーディング技術・内容
少ない枚数の展開(スプレッド)
私はもとともは旧タロット大学出身で、カモワンタロットの講師をしていた者なので、その使う展開方法も、もっぱらカモワン流がメインでした。
しかし、そのカモワンタロットも、もう一人の製作者はアレハンドロ・ホドロフスキー氏であり、ここでも何度か言及しているように、カモワン氏とホドロフスキー氏とでは、使用するタロット展開も違っています。
当たり前ですが、同じタロットでも、使い方を変えることができ、ただひとつの方法が絶対などということはないでしょう。
ツールとしてのすばらしさは当然必要ですが、やはり、使う者の考え方、技術も多分に影響すると考えられます。
言ってみれば、タロットは、使う人によって姿や性格を変えるということです。
ということで、私も今は、カモワン流にこだわらずに、いろいろなメソッドを研究し、使っています。
マルセイユタロットには「手品師」というカードがありますが、まさにこれで、いろいろな技術・道具を、臨機応変に使うということです。
ちなみに、マルセイユタロットには、すべてのカードが関連している、あるいは、ある目的のために、カードそれぞれが関係し合うという考えがあります。
ですから、「手品師」も、その背景にはほかのカードと当然関係しており、数のうえでも象徴的にも、21の「世界」とは強い関連性があると言えます。
要するに、「手品師」の臨機応変さは、カードで言えば「世界」という目的・大目標という理想があってのことで、勝手気ままにやっているというわけではないのです。
逆も言え、あるメソッドにこだわり過ぎたり、あるやり方が唯一絶対だと思ったりして、画一的・硬直的になり、かえって本来の目的が達成しにくくなる(効果が出にくくなる)という事態もあり得ます。
ということで、象徴的に言えば、「手品師」と」「世界」、両方の方向性から、リーディングなり、タロット活用なりを考え、実践するのがよいと思っています。
そして、近ごろ、私は、タロットカードの展開枚数が少ないものの使い方(考え方)に注目しています。
展開枚数が少ないもの(スプレッド)と言えば、一枚引きや二枚引き、多くて三枚引きと言ったところでしょうか。
一枚引きという、もっともシンプルな展開は、一枚だけに一見簡単なように見えますが、実はとても奥深いものでもあります。
しかし、一般的には、二枚か三枚の引き方がよいかもしれません。(展開枚数の少ないものを選ぶ場合)
そして、三枚引きはよく使われるスプレッドで、結構研究されていると思います。
ただ二枚引きはあまり見かけない気がします。そこで、私は二枚引きをいろいろな角度から読むことをしてみました。
すると、面白いことがわかってきまして、やはり、マルセイユタロットはすばらしいなと改めて感じた次第です。
その研究成果は、受講生用のメルマガなどで配信、披露しています。
その一部というわけではありませんが、少しだけここでも紹介しますと、それは視点の切り替えというものです。
三枚引きでもそうですが、だいたい、タロット展開の流れ・方向性は、左から右へというのが主流です。それを時系列的に解釈しますと、過去から未来へ、左から流れて行くという見方となります。
実はそれは、かなり三次元的な常識的見方となります。例えば、さきほど述べた時系列でも、過去→現在→未来と見て行くことになりますが、それが普通の時間のとらえ方であり、過去に原因があって現在と未来に結果があるという形になります。
しかし、逆の見方も可能で、未来に原因があり、それによって今や過去が規定されてくるというものもあります。
マルセイユタロットは、三次元的な時空だけで見る世界ではありません。
ということは、時系列的な見方にしても、普通とは逆もあり得ることになります。
二枚引きであっても、左から右という流れだけではなく、右から左へ、あるいはその両方を同時に見るということも可能です。
一枚一枚を独立させるのか、関連させるのか、それもどちらかに決めなければならないというのでもありません。
ただ、よくあるような、数秘的にタロットを扱うもの、例えば、二枚のカードが、5と6という数を持つカードが出たので、合計して11の数を持つカードに本当の意味がある・・・みたいな考えは、個人的にはあまり採り入れ過ぎないように注意が必要かなと思っています。
それは、(マルセイユ)タロットは絵柄がメインであるからです。
タロットは数と無関係ではないので、上記のような数秘的なとらえ方も、間違いではないでしょうが、それを第一に考察することは、タロットという絵が主であるものの特性を無視しているに等しいかと考えます。何といいますか、タロットに付与されている数を第一にしてしまうと、タロット愛がないような感覚になるのですね。(笑)
ともあれ、タロットのスプレッドもいろいろとあり、面白いものではありますが、まだまた研究の余地はあり、観点を変えれば、少ない枚数のものも、これまでとは違った使い方もできるということです。
また、自分が使いこなせないツール、技術、方法を持っていても仕方がないので、そういう場合は、今の自分が使いこなせるもので確実に効果を出すか、もっと研鑽を積み、自分のレベルを上げて、高度なものを使いこなせるようにするか、になります。
あと、マルセイユタロットの4組の考えを入れれば、理論だけとか、気持ち(感情)だけとか、やる気だけとか、実利のためだけとかで偏って選択をしていても、やがて、その選んだやり方に飽きが来たり、つらくなったりしますので、4組のバランスも考慮するとよいでしょう。
マルセイユタロットのリーディングとは
二年前の今頃の記事に、タロットリーディングで具体的なことが言えるための工夫について、書いています。
しかし、根本的に言っておかねばならないことがあります。
一般的に、タロット占いとタロットリーディングを混同・誤解している人が多いということなのです。
占いの場合、抽象的なことでは満足しない人が大半でしょう。そもそも、悩んで占いに来ている理由には、具体的なことが聞きたい気持ちがあるわけてす。
例えば、「相手は私のことをどう思っているのか?」という質問には、私のことが好きなのかどうなのか、(恋愛対象として)何とも思っていないのか、少しでも可能性があるのか、そこのところをはっきりさせたい(つまり具体化させたい)という思いがクライアントに隠されています。
そこをぼかされると、答えになっていないと感じるでしょう。
ほかにも、「どんな仕事が向いているのか?」という質問に、「人と関わる仕事がいいみたいですね」というくらいでは、やはり、クライアントには満足できない部分が残るでしょう。
もっと具体的な職種とか業種、時にはどこのそこの会社(企業)に行けば採用されるとか、勤めるのが向いていないのなら、アクセサリー販売を起業させれるとよいですよ、そしてそのデザインは・・・みたいに、より詳しく言ってくれれば、とてもうれしく、助かる気持ちがすると思います。
そういうことを教えてくれるのが占い師の役割だと、信じている人が少なくないでしょう。
そして、その具体性が当たっているか、当たっていないかで、優秀な占い師かどうかが世間的に判定されるという習わしもあります。よい占い師と評判になれば、占い師としての営業も順調になり、経済的にも栄誉(プライド)的にも満たされます。
ですが、タロットリーディングとなると話は別です。
タロットリーディングは、当てるためにするものではなく、また、具体的なことをタロットリーダーが、タロットから読み取るために行うものでもないからです。
目的は、クライアント自らが気づいたり、納得したりしてもらうために、タロットによって導きを行うことです。
よく、「答えは質問者(クライアント)自身が知っている、質問者の中にある」と言われます。
これがタロットリーディングの基本的姿勢になります。ただし、(自分の中の何かが)知ってはいても、わかってはいない、気づいてはいない(自覚できない、自分一人では理解できない)という状態があるからこそ、悩んで、相談に向かうわけです。
いくら「答えは自分の何かにある」と言っても、一人では見つけられない、判断がつかないというのが本音ではあります。(その意味では、必ずしも「自分の何に答えがある」とは言えないのです)
人は完全性を持つがゆえに、悩みの答えも、当然完全性の中にあることになるのですが、一方で、人は完全性を自覚することができない世界(この現実のこと)にもいます。
そのために、完全性から分離された意識にあり、自分と他人という具合に、個別に分かれた意識状態にほとんどの人がいます。
それはつまり、自分だけでは解決しない状況に置かれている(という認識の世界にいる)わけです。
従って、他人からの援助やサポート、刺激、働きかけが必要となります。
マルセイユタロットの「節制」の原理みたいなものですが、ふたつの壺を混ぜ合わすことで、救い・救われる感覚や実態が出るのです。
話を戻しますが、タロットリーディングは、タロットの象徴性を読み解き、クライアントの実際の悩みや疑問と照らし合わせて、クライアント自らが答えを見つける(悩みについて納得する)ためのお手伝い、援助を行うものです。
象徴というのは、メタファー、隠喩・暗喩の形で、タロット(マルセイユタロット)から意味が出ます。それは抽象的なものだったり、誰にも当てはまるような普遍的で、集合意識の元型であったりします。
だから、具体的な答えとか形にはならないのです。
では、具体化しなくていいのかと言えば、そういうわけではありません。現実世界で生きている私たちは、時空の中で制限(の意識)があり、ある程度の具体・選別がないと、すっきりしない感覚を持ちます。ちょっと難しく言うと、肉体レベルの次元があって、その満足感・納得感が必要な場合があるということです。
そのレベル(肉体次元)までタロットの象徴性の意味を落とし込んでいくということは、言い換えれば、クライアント個人の世界に、象徴性を移動・降下させる(変換し、当てはめる)ということでもあるのです。(これは精神の錬金術と言えます)
例えば、「拡大すること」という抽象的象徴性が、あるクライアントにとっては、具体的(その人の個人的なレベルや次元においてということ)には何の意味を持つのか、それを見つけて行くという作業になります。
クラインアント個人の世界での意味になるわけですから、もし仕事で悩んでいたら、仕事における拡大とは何かを、その人の具体性(実際的なこと)に転換させることになります。
それが転職とか、支店を増やすとか、新しいこと(それもクライアントが考えている具体的なこと)をやりたいと思っていたものを実施するとか、とにかく、人それぞれの意味になります。
結局、具体的なこと(個人的な意味)は、その人個人しか知らないのです。タロットを読む側は、あくまで推測にしか過ぎないことになります。なぜなら、クライアントとタロットリーダーは他人(同じ人物てはない)だからです。
ですが、マルセイユタロットの象徴性の世界を通して、クライアントとリーダーは同じところ(世界)に存在することができます。
その世界とは、現実を超えたものでもあります。ですから、クライアントの現実の意識や認識を超えたアイデアとか、解放の手段を降ろすことも可能になるのです。
同時に、クライアントという個人の世界に、抽象的で象徴的な意味合いを、具体的な事柄・意味に変化させることが必要で、その橋渡し、架け橋をするのが、タロットリーダーの役割なのです。
このことがわかれば、タロットリーダーがむきになって当てなくてもよく、何か具体的なことを言ってあげないといけないと、あせる必要もないのです。
もちろん、タロットやタロットリーダーが万能ではありませんから(タロットリーダーも現実世界にいる分離意識を持つ人間です)、導きがうまくいかず、クライアント自身が納得する答えを探し出せないままになることもあるかもしれません。
しかし、タロットリーディングの場合は、重要なのは、答えをはっきり出すことよりも、リーディングで相互やり取りしながら、問い(質問や悩み)を改めて見つめ直す、そのプロセスにあるのです。
なぜなら、そのプロセス自体が、完全性のための交流であり、肉体(現実)レベルでは満足できないようでも、精神的・霊的レベルでは、大きな変容が起こっている可能性が高いからです。
ですから、不思議なことに、マルセイユタロットのリーディングでは、リーディング時にずばりな答えが出なかったとしても(探せなかったとしても)、その後、悩みの事態が変容し、実際的にも変化があった、悩みの質が変わってきた(気にならなくなった)、ほかの考えができるようなって、自分の成長を実感することになった、というようになることが多いのです。
占いで救われることももちろんありますし、それは自分(クライアント)の思い方、利用次第ですが、タロット占いとタロットリーディングの違いがわかっていることは、特にタロットを使う側の人にとっては大事だと思います。
「なる」「する」のふたつの読み方
少し前に書きました「リーディングの能動・受動」に関連する話です。
タロットカードの読み方には、色々な種類分けができると思いますが、その分け方の基準に関わらず、どのやり方でも、大きく分けてはふたつになると思います。
それは、この世(世界)自体、まずはふたつに分けた見方ができるからです。例えば陰陽・男女・昼夜…など様々です。
何度もふれていますように、私たちの認識する現実世界というものは、言わば、ふたつの表現によってコントラストが作られ、違いのある世界として出てきているものと想定できます。
要するに分離(感)があるからこそ、私たちは私たちでいられ、この世界を堪能しているとも言えるわけです。
反対に考えれば、下手に悟ってしまう(笑)と、一元的世界観になってしまうということです。つまり、違いのない世界です。
「すべてはひとつ」という言い方はすばらしいものの、悪く言えば、すべて同じに見える世界で、もしかすると味気ない話かもしれないのです。
「この世の体験や経験を楽しむ」という言い方が、スピリチュアルな世界ではよくされますが、これなども、この世が「違いの世界」であるから色々に楽しむことができると述べているかのようです。
しかし、矛盾するようですが、スピリチュアル的な理解が進めば進むほど、いい意味では、この世の(違いある世界の)楽しみ方がわかってくる(この世だからこそ味わえると気づく)ようになるのではないかと考えられます。
まさに「違い」によってワンダーランド化しているのが、この世界(この世界を認識する通常の私たちの感覚)なのでしょう。
さて、それをふまえた上で、話をタロットリーディングのほうに移します。
先日の「リーディングの能動・受動」の記事でも、最後のほうに書きましたが、タロットを読む上では、「そのようになる」という読みと、「そのようにする」というものとの「ふたつ」の見方(方法)があります。
タロット占いや、タロットからの託宣(お告げ・メッセージ)的なものでは、前者、すなわち、「そのようになる」という読みが主流でしょう。
一方、私が提唱している「タロットリーディング」や「タロットを使ったコーチング的な方法」では、「そのようにする」という読みが中心になります。
どちらがいいかと言えば、基本的には私自身は後者だと思っていますが、その理由は今までも書いた通りです。
一言で言えば、自分自身に力を取り戻すためです。
しかし、これも場合によりけりです。
タロットリーダー、タロティストたるもの、あまりひとつの考えに固執するのは望ましくありません。
タロットというもの自体が、自由性をもたらすために作られているところがあると目されるからです。その象徴は「愚者」というカードで表されるでしょう。
ともあれ、せっかく自由性のためのタロットが、逆に私たちを束縛するものになっては本末転倒ですから、タロットの使い方・考え方についても臨機応変さが必要と言えます。(大アルカナナンバー1の最初のカードの「手品師」にも、それが示されています)
ですから、「そのようになる」と読むやり方も、時と場合によっては、採用すればいいと私は考えています。
その代表的なシーンとしては、
1 心配や不安がある時
2 期待や前向きな気持ちになりたい時
3 どうなるかを気持ち的に確認したい時
4 日本や世界情勢など大きなものを見たい時
5 占いエンターテイメントとして行う時
などがあげられます。
この列挙したものには、矛盾するものもありますよね。特に1と2です。まるで気持ちが正反対ではないかと。
しかし、これは、要は、気持ちがネガティブでもポジティブな意味でも「揺れ動いている場合」のことを言っているのです。
そのような時は、「このようにする」という読み方ができない心理状態があるのです。従って、「どうなるか?→こうなるのでは?」とタロットにお伺いを立てるみたいに見るわけです。
ただし、この場合は、もともと気持ちが不安定(揺れ動いている)と言えますから、タロットを引く(展開する)ことにより、かえってわけがわからなくなったり、ネガティブな意味合いのカード展開が出たりして、まずいケースもあります。藪蛇状態ですね。
例えば恋愛問題で悩んでいて、「あの人との関係はどうなるんだろう?」とカードを引いたら、悪い結果になりそうだと出た、というような場合ですね。
タロットの展開法によっては、(予想される)結果だけではなく、解決策や打開策を出すやり方もありますから、最初からそうした展開法を採用してやってみるのが、落ち込みを防ぐひとつの方法ではあります。
とはいえ、人間心理としては、「気になるものがどうなる(どうなっていく)のか知りたい」という思いもありますから、それに応えることも悪いわけではなく、結局、その趣旨(タロットを展開すること)は、「気持ちを落ち着かせる」ことにあると見て、そのためなら、状況の推移や結果を占ってみる、どうなるかタロットに聞いているという態度はありだと思います。
言ってみれば、喉が渇いている人に、食べ物より、まずは水を与えたほうがいいということです。
それから、タロット展開では、正立・逆向きで、ポジティブ・ネガティブとか、いい・悪いを見る場合があります。
「どうなる」という読みでは、結構、それが採用されていることがあり、平たく言えば、逆向きが出ると悪いことが起こるみたいな見方になるケースがあります。
となりますと、タロットを引いたがために、(逆位置が出るなどして)心理的に逆効果になったということもあり得ますから、最初から正立だけでタロットを展開したほうがよいかもしれません。特に「どうなる」という読みをする場合はです。
あと、4にあるような、大きなものの流れとして「どうなる」の読みを適用することができます。
個人レベルでは具体性があったほうがいいですし、具体的に読みやすいところがあるのですが、やはり範疇が広いもの、全体的なことは、抽象的になりがちで、でもだからこそ、「どうなる」的な読みで、ざっと見て行くとよい場合があります。
そもそも、大きなものでは、「どうする」としても、自分一人の力ではどうにもならないことが多く、それならば「どうなる」と読むほうが実際的とも言えましょう。
もちろん、「自分として、世界に何ができるのか?」みたいに、個別レベルで「どうする」的な読みができないわけではありませんが。
最後の5は、遊びとして割り切って、「どうなる」的な占いをしてみるという話です。基本、遊びなので、何が出ても深刻にはなりません。また、タロットの出た通りになるとも限らないという、冷静さを保つこともできます。
いずれにしても、遊びとしての5以外は、「どうなる」的な方法と読みは、何度もやり直すことはお勧めできません。
こういうものは、一度限りの「お告げ」的なニュアンスがあり、本来は神聖な神からのメッセージみたいに扱うところもあるのです。(そこまで神聖ではなくとも、タロットの精霊に感謝しながら伺うみたいなものでもあります)
従って、何度も聞き直すようなことをしていると、人間関係でも想像していただいたらわかるように、「うざい」し、「迷惑」で、「腹が立つ」(苦笑)ように(タロット側では)感じられてしまいます。
ですから、(同じ問いを)やればやるほど、おかしなことになってきます。普通に考えても、何度も繰り返すと、どれが本当か、どれを信じらればよいのか自分でもわからなくなるのは当然でしょう。
ということで、「どうなる?」については、その時一回だけ行うのがよいです。ただ、状況が変わったり、期間がある程度過ぎたりすれば、同じ質問をしてもよい場合はあります。
注意しておきますが、本来は「どうする」の質問、読みのほうが理想なのです。
「どうなる」ばかりやっていると、自分で状況をコントロールしたり、変化を起こしたり、解決させていく力が失われて行きます。結局、弱い自分をますます弱くし、悩みをますます深くし、依存状態を作り出してしまうのです。
大げさに言えば、タロットの使い方が人生を決めてしまうこともあるのです。(タロットを使う人の場合)
それから、気持ちが混乱して自分リーディングが難しい時は、他人に見てもらうのがよいので、上記のことに注意しながら、頼れるタロットリーダーとか占い師に依頼するとよいでしょう。
リーディングの能動・受動
この世界の表現には、大きく分けて、ふたつの方向性があります。
それには様々な言い方があるとは思いますが、シンプルに「能動性」と「受動性」と言っておきます。
タロットを誰かのために読むということにおいても、この能動性と受動性が働きます。
読む、つまりリーディング行為自体は、「読む」わけですから、タロットリーダー(タロットの読み手)の立場からすれば、能動的なものとなります。
しかし、受け手側(相談者・クライアント)は、文字通り、受動的な立場にあります。
マルセイユタロットにおいては、タロットの読み手、タロットリーダーを大アルカナで例えることもありますが、一番多いのは、「斎王」(タロットの通常の名前では「女教皇」とされるカード)かもしれません。
この「斎王」とセット・組になる存在が、「法皇」と考えられています。
タロットリーダーの例え(象徴)としての「斎王」は、確かに本のようなものを開いていますが、言葉や口で伝えている風ではありません。むしろ、黙して語らず、みたいな印象があります。
そういう点では、「斎王」は受動的と言えましょう。仮に「斎王」の手にしている本がタロットであったとしても、それを見ている、受け入れているだけで、その内容を他人に口頭で伝えているようには見えません。
もしかすると、「斎王」は神殿のような場所にいて、そこを訪れた者にだけ、神託のようなものを告げている存在にも見えます。(古代ギリシアなどの、神託の巫女のような存在がイメージされます)
いずれにしても、「斎王」は受動性がメインで、もし「斎王」から何かメッセージがほしければ、彼女に会いに行くという、私たち側からの能動性が必要となります。
一般的に「斎王」のカードが出れば、その絵柄や性格の通り、受動的な態度、受け入れ、学ぶような姿勢が示唆されます。
しかし、今述べたように、「斎王」そのものは受動的であっても、その「斎王」の能力や知恵を引き出すには、自ら(こちら)がアプローチをかけないといけないという意味で、逆に能動性とか行動が要求される意味合いも出るかもしれないのです。
一方、「斎王」と組の人物と考えられる「法皇」においては、その絵柄から見て、口頭や言葉で人に伝えているように見えます。ですから、能動的です。
ただ、これも「斎王」のパターンのように、逆の立場を考えることができます。
「法皇」が“語る人”ならば、その語りを受動的に聞く者たちがいるはずです。事実、「法皇」の絵柄には、そういった弟子とも思える人物が描かれています。
「法皇」は一般的タロット名ては「教皇」と呼ばれることもあり、やはり、タロットは西洋文化・キリスト教の影響もありますから、ローマ法王的教皇として宗教的権威を示す人物像の印象も出ます。
すると、教皇様が語るわけですから、(特に教徒として)いいかげんな気持ちでは聞くわけにはいかず、心して静かに態勢を保っておく必要があるでしょう。いわば、神聖な気持ちで、襟を正して聞くみたいな感じです。
そのようなことが求められているとすれば、「法皇」が出たからと言って、伝える、話すなどの能動的な意味だけではないこともわかり、反対の、受動的な意味も生じるのです。
このように、タロットは当たり前ですが、ひとつの意味だけで固定されるものではなく、また、この世の表現である能動と受動(の読みや意味)が、立場を入れ替えることも含めて、存在するということです。
さらに言えば、カードの読みそのものにおいても、能動と受動はあり、「出たカードのことになる、なっていく」という受動的な読みと、「出たカードのように働きかける、その実現のために動く」という能動的なものがあります。
簡単に言えば「なる」と「する」の違いです。
例えば、「13」という数だけのカードがマルセイユタロットの大アルカナにあります。
このカードは、ほかのタロット種では「死神」という名前がつけられ、絵柄からも怖がられるカードです。
もし、上記のような能動と受動の二種の読みを適用すれば、「死神」となったカードでは、どうしても、その名前と印象に引っ張られ、「なる」、つまり受動的な読みをしがちでしょう。すなわち、何か不吉なことや悪いことが起こるという感じの読みです。(マルセイユタロットの「13」の場合は、そもそも悪い意味で見ることはあまりありませんが)
しかし、「する」という能動性で読めば、ネガティブなことよりも、ポジティブとまで言いませんが、「何かをする」ということで、積極的な読みと意味が見出されるでしょう。
仮に「死神」という名前や意味を踏襲しているカードであっても、不吉から避ける、逃れる、打破する、変えるというような能動的・行動的意味合いを見ることができるかもしれません。
これはどちら(の読み)がいいとか悪いとかを言っているのではなく、能動性・受動性の表現を考慮して、「なる」「する」の二つの見方や、カードの人物から「される」、カード人物が「する」というような二つを思って、幅広い読みを心がけるといいですよというお話です。
今はタロットリーディングの話に絞っていますが、実は、この能動・受動の話は、もっと霊的な観点のことにつながっていきます。
それはまた別の機会にて。
タロットリーディングの関係性
この(現実の)世の中は、どこまで行っても、ある種の二元による世界と考えられます。
二元に分かれる(ように感じる)からこそ、形や実感としてとらえられてくるとも言えます。
例えば、一日の区切りも、昼と夜の違いが生まれ、私たちは「一日がある」「一日である」と見ることができます。
要するに、識別、理解、認識には、逆説的ではありますが、物事を分けて見る力が必要なわけです。
そして、その分けている世界を統合できる見方・レベル・次元に自らを導くことができれば、まさに次元上昇として、認識・理解のレベルも向上すると予想されます。
これはまた逆からの話になりますが、次元を上昇させるには、その今の次元においての二元の区別が、はっきりできないといけないわけで、そのうえで、分けられたふたつが、どちらも本質的に同じであるという認識が生まれる必要性があるのです。
この、「違いでありながら同じである」とわかることが、すべてにおいて、統合、あるいは、次元上昇の鍵を握っているものと思われます。
さきほどの一日の昼と夜の例においても、昔は、太陽が昇って沈むという二次元的、平面的見方が中心で、すなわち天動説的な見方であったわけです。
この状態では、昼と夜の違いは、太陽があるかないかの違いであり、しかし、太陽のある昼と、太陽のない夜とでは、「同じである」という見方はなかなかできないものでした。(このため、太陽が死んで生まれる・再生されるという見方も普通にありました。←ただし、この太陽の死と再生の見方は、哲学的・象徴的には高度なものを含んでいる場合があります)
ところが、地動説的観点により、地球が回転(自転)して太陽の周りを回っている(公転して)いるという発想が出てからは、昼と夜の違いは、ただ回転体の見るポイントの違いであり、地球ひとつとしては同じものだということの理解ができるようになりました。
さて、ここで、話題が変わりまして、タロットリーディングについての話になります。
タロットリーディングは、クライアントの問題についてタロットを展開させることで、タロットからの示唆をふまえて、クライアントを援助するものと言えます。
とすると、タロットリーダー(タロットを読む人)とクライアント(他人の場合)との間には、助ける者と助けられる者、援助者と被援助者という関係性が出てきます。
これは、分かれているので「二元」ということになります。
タロットリーディングの関係性に限らず、およそ、誰かを助けたり、援助・サポートしたりしようとすれば、そこに対象としての(助けられる、助けられたい)存在(者)が現れます。
ですから、ボランティアであれ、仕事であれ、助けるということをしたいと思った時、同時に、助けられる存在の想定が(どこかで)生まれていることになります。たとえ実存しなくても、想像の世界では必ず生まれたことにもなります。
つまり、助けるという救済の行為は、出発点からして二元である、分離の世界であるということです。恐ろしいことに、助ける行為や思いは、自然に分離を生み出すという構造になっているわけです。
よくスピリチュアル傾向にある人は、人を助けたいという思いを持つ人は少なくありませんが、分離を嫌うところがあるように思います。
しかしそれは、先述したように、助けたいということは、すでに分離であるのだという矛盾を抱えることになります。
まあ、普通はそんなに深くは考えずに、助けに邁進するものではあるでしょうが。
ここで、言葉遊びをしたいわけではありません。
タロットリーディングが何かしら、人の援助、助けるという行為のひとつであるならば、必然的に助けられる者を生み出す構造にあって、分離の世界を創出するわけですが、また、助けることによって、助けられた人が、その時点での二元の世界から逃れるきっかけにもなります。
単純に見ましても、クライアントが助けられたのであれば、それまでの助けてほしい状態がなくなったわけですから(完全になくならなくても、最初の意識よりかは変化しているはずです)、助けられる者がなくなれば、助ける者もいなくなる(いらなくなる)わけです。
何が言いたいのかいいますと、タロットリーディングの行為によって、一時的に助け・助けられる者という二元構造の関係性になりますが、終わる頃にはそれが解消され、(これまでいた意識とは)別の(次元の)世界にクライアントもタロットリーダーも移る可能性が高いということなのです。
まあ、うまく行かないリーディングもありますので、その際は、同じレベルや次元にとどまり、特にクライアントはまたその自分の問題を抱えたまま、別の人の助けを求めていくことになるかもしれませんが。
最初にも言いましたように、この世は二元構造(分離の)世界です。
しかし、二元が統合される瞬間があるのも事実です。
正しくは、この世(現実)において、二元が完全統合されるわけではありませんが、その今の自分の見方によるふたつの(分離された)見方が統合されるレベル(次元)がある(訪れる)のだということです。
そして、そういう統合を起こすには、皮肉なようですが、二元の分離世界を経験していくことなのです。
ただ経験するだけでは統合は難しいので、思考と感情をうまく使いこなすことだと思います。モノの見方の多重性とでも言いましょうか。
タロットリーディングをする意義や目的はいろいろとあるのですが、ひとつには、助け・助けられる関係性をあえて演出・経験し、自他ともに次元の上昇(今の二元レベルの統合)を図ることにあると言えます。
ひとつの統合を果たすと、世界は確実に変わります。それがこれまでの問題認識の消失であったり、今まで見えなかった解決策(の世界に移行)であったりするわけです。
こうしたことから、タロットリーディングは、究極的には、実は主体としてのタロットリーダー、つまりは自分(大きな意味では世界)のためでもあると言えるのです。
