リーディング技術・内容

展開の過去パートをリーディングする意味

カモワン流の展開法では過去・現在・未来のパートにわたってカードが展開され、リーディングも行われるのですが、この時、「過去を読む必要があるのか」という質問がよく出たりします。


すでに終わったもことに対してリーディングしても意味がないと思われるのでしょう。


特に占いでは、人は「どうなっていくのか、どうなるのか」ということに関心があり、いわば「これから先」「未来」についての判断を求めるものですから、過去を見ても仕方ないと思うのも自然なことです。


しかし、カモワン流のよいところは、自己の心の変容を促し、それを行動に結びつけていく変換作用にあります。つまりは占いと言うより、自分を見つめるカウンセリング的な要素があるのです。


カウンセリングということであるならば、これまでの自分のことをふりかえる必要は十分にあります。


別に過去の自分の間違いを指摘するというものではありません。重要なのは、過去の認識を今一度やってみるということにあります。


過去に起こった出来事をどう自分が解釈し、理解(納得)「させよう」としていたか。出来事は同じでも物の見方によって、180度変化することはあります。


たとえば、厳しいと思っていた親に対しても、自分がいざ親になってみると、「なるほど、あの時は自分のためを思ってやっていてくれたのだな」と思い直すことができるようなものです。


「親が厳しく自分にしていた」という事実は変わらなくても、その認識は変わる可能性はあるのです。


たとえ過去の認識と今の認識が同じものであったとしても、タロットの展開から、今と未来が過去から続いていることがわかります。


そうすれば、「現在自分を悩ませているものは、過去で取ってきた自分の行動にある」と理解できたり、「過去」という終わった出来事であっても、それが画像として表れることに多少なりとも客観性が生じたりします。(自分の過去の物語が映画となって、それを自分が客席で見ていると想像してください)


そのことにより、気持ちの整理がついたり、再確認できたり、時には忘れていたことを思い出したりできます。それで勇気や自信を取り戻すこともあるかもしれません。


このほかにも過去をリーディングすることは、非常に重要な意味があるのですが、それについてはタロット講座で詳しくお伝えしています。


タロットリーディングが難しいと感じたら・・・

タロット学習において、最初は未知なる世界、新しい知識にワクワクして興味津々に学んでいくこともできるのですが、次第に実践(リーディング・占いを実際に練習としてやってみること)が入ってきますと、単純に喜んでばかりもいられなくなります。


それはリーディングが思ったようにできないという事実だったり、一緒に勉強にしている人のほうがうまく見えたりするような様々な「情報」によって起こります。


しかし、結局のところ、リーディングがうまくできないと感じるのも、自分の気持ちです。読めているかどうかに客観的な評価はあるとしても、それをどう思うのかは自分の感情・気持ち次第なのです。


たとえその時はうまくできなくても、「まだあまり読めなくて当然」「でも、わかるカードもある」ととらえるか、「ああ、もう全然ダメ、私って絶対タロットは向いていない」と考えるかは、まさに先述した様々な「情報」を個人として感じ、評価を下したものによるのです。


そうはいっても、実践練習場面においてタロットカードと相手を前にして、何も言えない、わからないという状態を経験した時、「タロットリーディングは難しい」「本当にリーディングができるようになるのだろうか・・・」と思ってしまうのも、また人情として当然です。


しかしながら、ここで重要なのは、まず第一にあきらめないことです。


タロットに限らず、どんな学習も一朝一夕でうまくなれるわけでありませんローマは一日にして成らずです。


よく「一日でタロットができるようになる」と謳っている講座があると思います。それは確かに一日でできる部分もあるでしょうが、では一日でプロ的にスラスラとリーディングできるのかいえばそれは無理というものでしょう。


実は私も一日コースのような短期コースを希望者には行うことがありますが、これも明確に短期でできる部分とできない部分(積み重ねが必要な部分)をわけて教えています。


だから、リーディングはいきなりうまくなったり、読めるようなものではないのだと、むしろ気楽に思うことです。


そして頭が真っ白になる経験や、人を相手にして何を言っているのか自分でもよくわからない体験など、かっこ悪いことを重ねて上達していくのです。一度も恥をかかないでうまくなることは、滅多にありません。


一回や二回のうまく行かなかったことであきらめたりすれば、その時点で終わりです。簡単にあきらめる人は、そもそもタロット以外のことでもうまくいかない恐れが高くなります。


次に、できないことを嘆くより、どこができるようになったのか、うまくできない要因は何なのかなど考える癖を持つことです。


まさにカモワン流そのものの、問題に対して解決を持つ思考に変換していくのです。


「ダメ」「読めない」「あの人のほうがうまい」「難しい」という言葉や思いを発するのは、人の感情としては仕方のないことですから最初はよいでしょう。


しかしそのまま落ち込みのループにはまって沈む(感情のプールにはまったままにいる)のではなく、ではどうすればよいのか、どこか成長している(前よりよくなったところ、今回は読めたところなど)点はないかというように思いと考えを切り替えてみることです。


感情(のプール)は「」を想像していただければわかるように、ずっといると溺れてしまいます。そこから浮かび上がって水を乾かさなくてはなりません。つまりは分析力を持つこと、冷静になることです。(好き嫌い、喜怒哀楽などで考えないこと)


そうすると、いつも自分は同じようなことで止まってしまう、詰まってしまうということにも気がつくかもしれませんし、そのような気づきが大変重要なのです。


私の講義では、リーディング練習は単にタロットのリーディング練習を意味しているのではありません。リーディング練習を行うことによって、普段自分が気がつかない思考の癖、思いこみ、ネガティブなものをあぶり出す作用があるのです。


従って、リーディングがうまく行かないことは、自分の隠された問題も出てくることを時に意味しますから、むしろ有り難いことなのです。


もちろん習う側の人だけの問題ではなく、そもそも講師として教え方がまずいと、タロットを難しくさせてしまって興味を失わせる結果となります。そうなると、リーディング技術のうまい下手以前の話になってきます。


またタロットを使う喜びの経験もないと続かないものです。言ってみれば、「タロットも好きこそ物の上手なれ」ですから。


最後に、一番大切なのは、「タロットリーディングができるようになる」「うまくなる」と自分で信じることです


それは小さな成功体験から始まります。成功には失敗を恐れない気持ちと行動力が必要です。失敗は成功のもとと言われる所以です。


努力と勇気をもって、リーディング上達における様々な課題とプロセスを乗り越えていきましょう。


タロットを理解するうえでの重要なステップ

タロットを学んでいくと、だいたい次の3ステップを踏んでいくことになります。


1.タロットを学ぶ段階


2.タロット(リーディング)を実践していく段階


3.タロットを教える(伝える)段階


この1→3の期間がどれだけかかるのかは、人によって、または自分の思う理想・信条によって変わってきます。


また何も3段階を順に進んでいくということに限らず、人によっては1と2を平行しながら、ほとんど2と重なるように3を始める方もいます。


3をされている方は(私もそうですが)、ほぼ同時に2をされながら、日々1も行っていることと思います。


また細かく分けていくと、1でも数種の段階に分かれ(いわゆる初級・中級・・・といったもの)、2でも自分に使うのかあるいは他人にリーディングしていくのかということや、それを仕事にする(報酬を得る)のかボランティア的に行うのか、その中間であるのかといった様々な形態と段階に分かれます。


そして、今このように段階別に分けてはみましたが、その実、タロットに関係することを志す、あるいはタロットを知ろうとする、タロットを自分の人生に活用してみようとする場合、この1から3のことはすべて行うようにしたほうがいいともいえるのです。


「えっ、でも、そんなこと言われても、3の「タロットを教える(伝える)」なんて私にはできない」と思う人は多いでしょう。

いえ、これは何も本当に人に教えることをしなくてもいいのです。いわば比喩であり象徴です。

何をするのかといえば、「人(または自分自身)に教えるようにする」のです。あ、これもまだ象徴的でわかりづらいですね。(笑)

具体的には、「タロット(カード)のことを人に説明できるようにする」ということです。

たとえば、大アルカナでも一枚シャッフルして取り出し、出たカードについて人に説明してみるのです。

おそらく想像していたより、何も話せない自分に愕然とすると思います。

頭や知識ではわかっているのに、それを人に説明しようとすると、いったいどう話せばよいのかわからなくなり、頭が真っ白になります。

また、カードのある部分は自信をもって言えるのに、ほかの部分になるとしどろもどろになり、話せなくなるということもあります。

話す人がいない場合は、鏡の自分に向かって説明してみてください

アホなことしていると思わないでください。(笑) 意外に、ものすごく効果があるのです。

これが「人に教える」ということの象徴的訓練になります。

私も講師になる前は頭でわかっているつもりでも、実はいい加減であやふやにしていたことが多いことに、人に説明するという機会を得て、そのことを痛感しました

先にも述べたように、タロット講師になるつもりでなくてもいいのです。

是非、「人にカードの説明をする」「話をする」ということをやってみてください。

きっとタロットへの理解とリーディング時でのコミュニケーション力がアップし、かなり自信を持つこともできるでしょう。

そうして最初にも述べた1.2.3を循環させながら、新たな4番目の段階を目指すことになるのです。4番目の段階とは何か? それはふたつのことを意味するのですが、それはまたの機会にお話しましょう。


カップル・ペアカードを象徴的に見る。

カモワン流のタロット解釈には、ペアやカップルとなるカード同士の概念とつながりがあることを、ここでも何回かお話してきました。


その中でもとりわけ「ひと組」のペアを象徴するカードがあります。


それが「女帝」と「皇帝」です。数は女帝は「3」、皇帝は「4」(本来はローマ数字での表記なのですが、わかりやすさのためにあえて算用数字にしています)を持っています。


実はこのも重要で、それ自体、この両方のカードの特質を象徴しているといえますし、両者を足すと「」という数字が出るので、これも数の象徴としては意味があり、単体だけではなくまさにペアとして重要だということが「数」からも理解できるのです。


ちなみに「7」というのは、ひとつの完成や調和を示す数であり、タロットでは「戦車」の数です。


さて「女帝」と「皇帝」ですが、まずペアとしては夫婦を表します。


しかし「夫婦」とは言っても、これも象徴(シンボル)ですので、現実的に夫婦を示すこともあれば、ビジネス・プライベート含めて、いわゆるパートナーとしてのペア・組を表現することもあるのです。(ですから同性同士もあります)


タロットは何でもそうですが、象徴的解釈が基本であって、「女帝」と「皇帝」がカップルで登場したからといって、必ずしも「夫婦」を表すわけではないのです。


肝心なのは「夫婦」と象徴される、そのひと組の持つ「質」を読み取ることなのです。その「質」さえつかめば、他のあらゆる「夫婦」的なものに対して当てはめて考えることができるのです。


シンボル・象徴として見るということに慣れていない現代人、特に唯物主義的に頭が固くなってしまている人には、タロットを読むということは最初は大変かもしれません。


たとえば「手品師」というカードがありますが、これは象徴的には「若い」ということが表されます。


しかし、では「何歳までの人がこのカードに該当するのか」といった考え方をしてしまっては、とたんにタロットは難しいもの、信用に足らないものになってしまいます。


いくらなんでもそんな質問はしないよ、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、たとえばこのカード(手品師)が出て、自分自身のことが表されているのに、「私は若いわけではないし・・・私は女だけど、このカードは男性だし・・・関係ないわ」と一律に断じてしまうようなこともあるのです。


これも「象徴」というものからはずれて、私たちが普段日常的に思考しているような論理的・常識的な見方にとらわれているといえるのです。


逆にいえば、タロットによる象徴的解釈を身につけることによって、そのような固まった思考の癖から、自分を解放していくことにもなるということです。


話が「女帝」と「皇帝」のことから、象徴・シンボルの解釈へとそれてしまい、しかも長くなりましたので、「女帝」「皇帝」のペアのことは、次回に続きを書きたいと思います。


視線方向から見る5枚のカード

カモワン版マルセイユタロットは、カードの人物の視線の方向を取ります。


それには大きくわけて左方向のもの、右方向のもの、そして正面のもの(またはどちらでもないもの)の三種類に分かれます。(いずれも自分が正立のカードを見た場合の方向)


この視線の方向にカードを並べていく展開法を取るのが、カモワン流スプレッドのひとつのルールです。


当然ながら、カモワン流では視線(方向)を重視したリーディングをしますので、視線の方向性には気を使い、着目することになります。


今日はやや専門的になりますが、その中でも特に右方向に向いたカードたちについて取り上げてみます。


視線を右に向けているカモワン版マルセイユタロットのカード(大アルカナ)は、 「愚者」「女帝」「法皇」「力」「13」5枚しかありません。


大アルカナは全部で22枚あるので、右方向の視線のカードは約2割です。反対に左方向に向けているカードのほうが多いのですね。


さて、この5枚カードを改めて見てみましょう。


愚者」 これは夢や目標を抱いていつも旅をしている人物を描いているカードですから、そこにはまさしく、「夢や希望」「可能性」が示唆されます。


次に「女帝」です。このカードは理想を見て、アイデアを提供したり、先を見越した予測や計画を立てることのできる意味があります。ですから「理想や予想(予測)」といったものが浮かびます。


そして「法皇」 このカードには神の言葉を伝えている人物が描かれており、人にお話をしているところから「人にものを教えている」ことなどが連想されます。いわば「教育」です。教育は理想的なものや、よりよいものを目指して行われるものです。


続いて「」は、猛々しいライオンを手なずける勇気と能力に満ちています。ここから次に向かう力強い「勇気」と「能力の発動」ということが示されます。


最後の「13」は、自分を変えるために究極まで凝縮させ、鎌をふるっている姿があることから、今後の「変化や変容」ということが出てきます。


まとめますと、皆、先を見据え、未来や将来に何かをもたらそうとしているわけであり、それを意図しているともいえます。


いわば、すべて右方向に視線を向けたカードは、「過去や今(現況)を超えるもの」ということがポイントとなってくるのです。


展開の中でこれらのカードが多く出た場合は、何らかの意味で今を超えることが示されていたり、あるいは逆に今を超えられないこと、超えるということに何らかの問題(心理的・現実的にも)があることが推測されたりするでしょう。


その違いは、それらのカードが解決カードに出ているか、問題カードに出ているかということを見ることで判断がつきます。



新年を迎え、新たな気持ちでスタートするこの時期、右方向に視線を向けたカードたちからメッセージをもらうことも非常に興味深いことだといえます。


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