恋愛 結婚

言葉と恋愛の効果。

日本の言葉は言霊(ことだま)と言われるように、言葉そのものに霊力のような大きなパワーがあります。


本来は唱え方など作法、古語的な発声や使い方の技法が厳密にあると考えられますが、現代の口語でもなかなかに威力はあると私は考えています。


それだけにうかつに言えないということも実際にあるようです。これなど、マルセイユタロットの「13」に名前がない(あっても発音できない、畏れ多い)ということに少し似ている部分もある気がします。


しかし逆に考えれば、言葉を大切に扱い、気持ちを込めて発すればよい効力も得られることになります。


そこでバレンタインデーも近近づいていることですし(^^;)、恋愛や結婚をよくしようと思う人のために、簡単でシンプルな言葉の使い方を書いてみたいと思います。


それは本当に単純なことなのですが、「好き」とか「愛する」という言葉をよく発するようにするということです。


日本人はちょっと「愛している」という言葉は恥ずかしくて言いにくいかもしれませんので、まずは「好き」という言葉から出してみるのがよいかもしれません。


ここで気がつく人もいるかもしれませんが、「好き」という言葉を心を込めて発するためには、その好きとなる対象がないといけません。


そういう人がいれば何も苦労はないことになりますが(笑)、、いや、ここでは人でなくてもよいのです。


動物、モノ、趣味、状況・・・それらを擬人化するなりして、「なになには好き」「これこれは好き」「こういうことって好きよね、私」という具合に「好き」という言葉が出るように思い、実際に声に出してみるのです。


人ならば、芸能人とかあこがれの人でもよいです。片想いの人であってもいいです。


大事なのは「心」が入る言葉にする(気持ちを込める)ということです。「好き」と言いつつ、実際はそうでもないと心で思っていたのなら効果はありません。


そして、さらに進んで、「好き」から「愛しています」という、恥ずかしくて言いにくい言葉にもチャレンジしてみてください。


これが感情を込めて言えるようになれば、かなりあなたの波動は愛のモードに変わってきます。


まず理屈的には、好きや愛する対象を探そうとしますので、自分の中にある「愛」の種や波動が拡大されていきます。次ににそれを心を込めて発することにより、言霊効果で愛する状況自体が具現化してきます。


つまりは恋や愛に関係することがあなたに現れることになります。


言葉を発すれば効果はより高いと思われますが、人がいたりして言いにくい状況の時は、心でつぶやくのでもよいでしょう。ただここでも必ず気持ちを込めてつぶやくことです。


イメージ的には言葉を発する時に、全身を言葉から生じる波や水のようなもので満たすような感じです。


ハートのマークドキドキのようなものがくまなく広がるようなイメージでもよいでしょう。(珍しく絵文字を使いましたが、とてもイメージが大切なので今回は特別です(^^;))


そして実はこれは恋を引き寄せることもありますが、自分自分の癒しにつながることが、またすごいのです。言葉を発することで、自分が気持ちよくなることが実感できるでしょう。


これらの言葉が言いにくい人は、心にブロックがかかっていますので、たとえば前の恋愛の思いが終了していないとか、ほかの精神的な引っかかりがあるとか考えられ、それらの解消や浄化のほうが先のこともあります。


いずれにしても、言葉と心が結びつくと、すごい力が発揮されることは認識されておいてもよいかと思います。マルセイユタロットでは「力」にもそれが描かれています。


タロットで相手の気持ちがわかる?

人の心がわかれば・・・と思った時は誰でも一度くらいはあるでしょう。


たいてい、それは人間関係の問題やテーマがある場合が多いはずです。


そして人間関係でもっとも濃密になるのは、家族や血縁的な関係は別として、やはり恋愛でのものが最たるものとなってくると思います。


だからこそ、占いでは「相手の気持ちがどうなのか見てほしい」と相談者がたくさんやって来られるわけです。


そしてタロットでも「相手の気持ちや心がわかりますか?」という質問が出てきます。


これはあくまで私の考えですが、人の気持ちは確実にはわからないと思います。ですからたとえタロットを使ったとしても、人の気持ちがわかるという保証はありません。


極端な言い方をすれば、「タロットで人の気持ちはわからない」と言ってもいいです。


ところが、実際に私はタロット講座でも、技法として人の思いがどうなっているのかをリーディングすることを教えます。


それでは矛盾しているのではないかと思われるでしょう。


私が教えているのは、タロットによって相手の気持ちを読むことが目的ではありません


タロットカードを人や自分にに見立て、偶然に任せてシャッフルし関係を見ることは、結局のところ、いろいろな観点や見方を自分にその時与えるためのものなのです。


「偶然に任せる」ということが、通常を超えるもの意志や働きかけということを認識させ、出たカード展開に特別な情報があるとも考えます。


とはいえ、たとえ相手がその場に実際にいる場合であっても、直接相手に気持ちを聞かないと本当のところはわかりませんし、もしかすると聞かれても、状況によっては本心を明かさないこともあるでしょう。


ましてや相手のいない状態で、相手をイメージしてタロットを展開したところで、相手の気持ちというものはタロットを読む人の想像(創造)でしかないことになります。


ということは、純粋な客観のデータや情報ではなく、主観や思いこみの範囲であるということです。ですから主観が重要な鍵となります。


相手の気持ちを確認したい場合、主観、つまりタロットを引く人の思いというのは、「相手が自分のことを好く思っていてほしい」という期待か、逆にその裏腹として「嫌われているのではないかと」という恐れ、そしてもうひとつは「相手は誰に(何に)関心を寄せていのるか知りたい」ということになるでしょう。これとて、自分ありき(自分を中心とした関係)のことです。


これらの思いが反映されて、タロットを読んでいくことになります。ですから強い主観があればあるほど、その思いが投影されて、極端に期待か悲観かの様相を呈することになります。


そのため、当事者でない人がタロットリーダーとなって、別の主観(リーダーの主観)で読むことにより、こちらのほうはその意味では客観的となります。しかしこれも、本当に相手の気持ちを言い当てているかどうかは別です。あくまでリーダーの主観と解釈になります。


いったい何が言いたいのかと思われるでしょう。


実はこれらのタロットによる相手の気持ちを見る作業によって、ある種の自分のストーリーを確認することをしているということが述べたいのです。


自分の中のストーリーですから、それが映像そのままで記録されたドキュメンタリーでもありませんし、正しいとか正しくないとか判断できるものでもありません。


たとえば、「今私はこの人のことをすごく気にしている、だからあの人は私のことを少しでも思っていてほしい」という期待をもってタロットを引いた時、出たカードから「恋をしている自分の自覚と、相手と両思いになりたい願望」を改めて確認しているのです。


両思いや恋の発展の可能性を示唆する展開やカードで喜ぶ気持ち、あまり発展が期待できず、「相手は別の人を思っていそうだ」ということに対する嫉妬や落胆の気持ち、そうした感情の確認によって自分の恋の熱中度に改めて気付くことになります。


「相手は浮気しているのではないか」というストーリーがあれば、それをタロットで展開して、それらしいカードが出たら「やっぱり」と疑いを強めることになりますし、全くその気配がない展開でしたら、安心を抱くというものです。


この作業が実際に相手の気持ちや行動を透視術のように見透かすことをしているのでもありませんし、またそれが目的でもありません。またその時点で確かめようもないのです。


よって相手の気持ちを知るということ自体は実は無意味です。単に自分の主観によるストーリーをタロットに当てはめ確認しているに過ぎません。


ところがこの確認作業が大きな意味をもってくるのです。


言葉で言えば「やっぱり・・・」「えっ?」「意外。。。」「おかしないなぁ・・・」「その通り」「笑える」・・・


こういう言葉が、展開作業直後に一言出てきます。これが自分の思っていたストーリーと合致していたり、違っていたりする驚きやうれしさ、悲しさ等の感情です。


「自分の思っていることはこうだった」「気持ちや感情としてこのようなものだった」・・・こうしたことをタロットを展開することで知ること自体に意味があるのです。


自分を知って確認すれば、少しは落ち着きが出たり、混沌から抜け出たりすることができます。少なくとも、「」ができます。「間」によって、人はインスピレーションや神性の火花を受け取ることがあるからです。(「運命の輪」と関係します)


さらにはタロットから呈示される別の見方を得ることによって、新たな人間関係の(その相手との別展開やまったく違う人との関係など)可能性を開くことにもなります。


これが「相手の気持ちがわかるもの」だと思ってタロットを占い的に使うと、信じていたストーリーや期待していたストーリーとは違うものが出て、ひどく落ち込んだり、余計混乱の渦の中に自分を投げ込んだりすることになります。


恋愛問題ならば「相手が私のことをちょっとでも好きだと思っている証拠を見せて!」と半狂乱気味に何度もカードを引くことになります。自分で引いたり解釈できたりすることが無理な時は、何人もの占い師や占いサイトで、少しでも自分の期待に添う結果の出るものを求め続けます。


人の気持ちはひとつではありません。何重もの感情の構造が重なっています。(タロットカード「月」と関連)


そのひとつの階層だけを見て一喜一憂しても始まらないですし、また人の気持ち自体も刻々と変わっていくことは自分自身の例を見てもわかるはずです。


そのため、タロットが象徴する「相手の気持ち」というのは、ただひとつの気持ちを表しているのではないという考えを持つことも重要なことになります。


「人の気持ちを自分が変えることはできない」と思ったほうがよいです。その見地に立てば、人の気持ちをたとえタロットで知ることが確実にできたとしても、「それが何になるの?」「それからどうするの?」ということになります。


相手に気がないからあきらめるのか、相手が自分を好きだと知ってから積極的に行動するのか、相手が自分を嫌っているから嫌われないようにするのか、それは相手の心が読めれば便利かもしれませんが、人の心がわからないからこそ、相手に配慮する気持ちも出るというものです。


そういう風に「人間とその社会の仕組みはできている」と思えば気持ちも楽になるでしょう。


恋愛体験の意味するところ。

このところ、去年からちらほらと恋愛の相談であったり、恋愛の話を聞いたりすることがありました。


そこで久々に恋愛の話を書きたいと思います。


まず皆さんにお話しておきたいのは、恋愛は体験自体が実は大きな自己変容のチャンスでもあるということです。


マルセイユタロットで恋愛をもっとも示唆するカードは「恋人」だといえますが、まさにこのカード一枚で恋愛におけるほとんどのことが描かれていると言っても過言ではないカードです。


しかし一枚だけではなく、さらにほかのカードとの関連を見ていくと、さらに恋愛が理解できます。


たとえばカモワン流では「タロットマンダラ」と呼ばれ、その他でも3段7列の大アルカナ構成図として示されているものになりますと、「恋人」の縦の列には「13」と「審判」がならび、このラインには単純に言っても「恋」から「愛」に変わる過程が見えてきます。(もちろんほかにもいろいろ意味が見てとれます)


また特に個人的には、「恋人」は「運命の輪」や「神の家」とのつながりが強いと思っており、たとえば恋によって運命が変わったり、よく「運命の人」と表現されたりするように「運命」と「恋愛」は古今東西、よく掲げられるテーマでもあります。


話を戻しますが、つまりは恋愛にはいろいろな要素があるということであり、取りも直さず、それは自己(あるいは相手・他者)の変容に関わってくるのだということが言いたいわけです。


ということは体験・経験自体が非常に大切で、もちろん恋の成否や成就することに関心が行くのは人として当たり前なのですが、もうひとつ、「体験自体が重要」という意識を持っておくと、たとえ恋がうまく行かなかったとしても、恋に人生を狂わされずにすむことができるでしょう。


それから恋愛はこのように自己に変化・変容体験をもたらすものの一方、自分にある欲求や快楽志向も刺激します。


つまり言ってみれば恋愛は高次の自分に変わることもあれば、低次の自我を肥大化させることもあるという両刃の剣なのです。(このため、「恋人」カードではキューピッドが矢をつがえています。この矢の意味はほかにも多くあります)


そしてこの低次の部分がとても商業的に結びつきやすく、ほとんどの人は恋愛を外からのもので定義され、必要以上に恋愛に駆り立てられる社会に現代はなっているといえます。


従って、かなりの部分、多くの人が恋愛が低次(たとえば物欲・性欲・支配独占欲・名誉欲)なものに変化してしまうのです。簡単にいえば、自分の低次(の欲求)を恋愛の相手に求めるようになるということです。


とはいえ、低次が悪いわけではないのです。実はここは人にとってもっとも基本となる土台にも相当するところなのです。これが満たされないと次に進むことができないというものです。


ですがこられをすべて恋愛による相手によって奪おう、もらおうとするとバランスが崩れます。


ですから恋愛だけですべてを満足させようとするのではなく(両者が調和した恋愛ではできないこともないのですが)、ほかの部分でも低次の欲求を満たし、解消させていく必要が求められるのです。


おおむね年齢によって恋愛の様子や内容は変わると言われますが、これは必ずしもそうではなく、個人の欲求の次元の充溢・克服度合いによって年齢に関係なく変化していくものです。


ですから自分、あるいはその人の恋愛スタイルをみれば、何を望み、どの段階にいるのかということも明白になってくるという、恋愛は実に人の到達している次元を計測するうえでの装置でもあるのです。


なんだか難しい話になってきましたが、最初にも言いましたように、恋愛は自分を大きく変えるチャンス・機会なのです。


また望んで恋愛がやってくるわけでもありませんので、ある意味、恋をしたということは神・天からの恩恵を与えられたと思い(キューピットは天使でもあり、神でもあります)、苦しくともまた楽しくとも感謝の念を持つと、その恋愛がタロットカード的に言いますと、「審判」に昇華されることも起きやすくなるでしょう。


恋愛についてはもっとお話ししたいことはいろいろとあるのですが、詳細は今年開催予定のセブンスウィルの「恋愛講座」で語りたいと思います。(^^;)


理想の人はすでにいる。

「あー、いい人がいない・・・」と恋愛をしようとしても、なかなか良き相手に巡り会えない、自分の理想の人とは出会えないと嘆いていらっしゃる方はいませんか?


そしてこういう場合、アドバイスとしてよく言われるのが、「自分自身を見なさい」「自分を高めないとふさわしい人は現れない」というものです。


これはまあ、もっともなところはあるかもしれません。


自分のことは放っておき、理想ばかり高くて「私に合う人はいない」と語っていても、バランス的にも見ても不釣り合いを自分で主張しているようなものだからです。


とはいえ、人には一長一短、長所と欠点があるのも普通で、別に完璧を求めたり、高望みしていたりするわけではないのに、それでもどう見ても自分で望む人とはマッチングしない人が多いというのも事実かもしれません。


ではどうすればいい人と出会えるのでしょうか? と、ここまで書いてきたら、独身でパートナーを望まれる方に、「いいから出会える方法を早く書いてよ!」と言われるかもしれません。(苦笑)


しかし残念ながら、今日は出会うための記事ではありません。期待された方、どうも、すみません。。。(^_^;)


では何かといえば、実はあなたの周囲には、理想の人がすでにいることが多いということなのです。


「そんなわけはない」と思うでしょう。


でもそれは理想を一人の人間として見た場合です。


ここで発想の転換を図ります。


あなたの職場でも、趣味の場所でも、あなたと関わる人(異性)を一人一人挙げてみてください。


そしてその人たちの長所を見るのです。欠点が先に思いつくかもしれませんが、どんな人でもよいところはあるものです。あなたにとっては口うるさい人でも、多弁で場を盛り上げるということでは長所かもしれません。


そしてその長所をひとつひとつ取り上げていき、すべてが統合された(備わった)として考えてみましょう。


どうですか?


おそらくそこに、あなたの理想とする人物が現れるはずです。


これは意外な気づきをもたらせます。


まず、あなたの理想は違う形で実現しているという事実。願い事は、そのままの形ではなくとも実現していることがあるのです。


それからどんな人にも長所があり、あなたにとってよいと思えることも分散してほかの人間が持っているということ。すなわち、それは鏡として「あなたも(長所を)持っている」ということに気がつくために周りの人は存在しているのです。


「こういう人であればなあ・・・」という思いは、自分の中にそれがありながらうまく現れてない、もしくは同じ感覚を共有したいということであこがれるのです。


今は分散化してほかの人に、あなたがよいと思う部分を表現されているかもしれませんが、あなた自身が「いいと思う」部分を、他人を鏡として自分の中にあることを発見し、外に表すことができるようになれば、もう周囲の人に分散化してそれを見せてもらう必要もなくなってきます


そうなればあなたと同等の魅力を備えた、昔は理想と思えた人物があなたのもとに現れることになるでしょう。


このようにして、周りの人物を観察してみるのも面白いものです。


報われない恋をしているあなたへ。

気休めに聞こえるかもしれませんが、報われない恋愛をしていても、それはあなたにとっては大切な何かを運んでくれる輝きとなるものです。


好きになってしまった相手が自分に好意を抱いてくれそうもない、または立場的に思いが叶えられない相手との恋など、こうした状況はとても苦悩を呼びます。


恋愛はタロットカード(マルセイユ版)の「恋人」のキューピッドの矢が示すように、自分の意志でできるものではありません。


その鍵を握るのはまさに上空の天使、あるいはキューピッドなのです。


キューピッドは誰(人)の心にも眠っている恋の心に火をつける・覚醒させる役割があります。


また自分でキューピッドを呼ぼうと思ってもなかなか自由にはできません。そのためにやはり恋愛は予測不可能でコントロールが効かないものだと言えます。


そして幸か不幸か、報われない(と自分では思える)恋をしてしまった時、その苦しさゆえ、我が身の不幸や不運を呪うこともあるでしょう。


どうしてあの人(または自分に)に(キューピッドの)矢が刺さってしまったのかと。


しかしながら、すべてには意味があると考えられます。


実はキューピッドも天使と表現できるものであり、つまり天(神)の使い(厳密な意味での「天使」ではありませんが)なのです。そこには神の計らいがあると言えます。(エロスの「神」としても「神」となります)


マルセイユタロットの「恋人」カードには、きちんとキューピッドが神の意志を背負っていることが絵柄で示されています。


個人的には報われない恋も、究極的な愛に至る(目覚める)ためのひとつの過程や試練ではないかと考えています。


また報われない恋であっても、不思議なことが実際に起こることがあります。


たとえば、ずっと思い続けた人と一瞬だけれども心が通じ合った感覚を得たという場合や、現実に一緒に会話したり、過ごしたりすることがわずかではあっても奇跡的にできたというようなことです。


両思いにはなれなかった、あるいはつきあうことは不可能だったけれども、どこか一時でも時空をともにすることができたとか、気持ちを交流させることができたと思える瞬間が訪れるのです。


自分でも気がつかないほどの一瞬かもしれませんが、おそらく思い続ければそういったことは結構多くの人が体験できるのではないかと思っています。


それがいわば神からのプレゼントのようなものと考えられるでしょう。この時はカードでいえば「審判」と関係していると言えます。


またたとえそのようなことが起こらなかったとしても、あなたの注ぎ続けた恋心(愛情)は報われないつらさだからこそ、燃焼され、純粋なものが残ることになります。


その残ったものこそが「愛」となるのです。燃焼過程では焼かれるような嫉妬心であったり、相手に通じないつらさ・悲しみ、苦しみであったりしますが、涙(水)を流し、燃える心(火)で焼き尽くした時、不純物は消え、一種の悟りの境地のような無償の愛の感覚に変化してきます。


たとえれば「愛されなくても愛することのできた自分が愛おしい」「愛が注げることのできる自分が美しい」という感覚と言ってもいいでしょう。


愛することができるのは、自分に愛する心があるからで、もっといえばあなたには「愛」が確かに存在していたことの証明です。


これに気がついた時、あなたの意識は高次へと導かれます。そうすれば報われる報われないに関わらず、あなたの人生は変容を遂げ、ふさわしい愛される相手と出会うこともあれば、人生に使命感を抱けるような仕事や好きなことに出会うことも起こってきます。


成就できない恋愛も、実はあなたを高めるための大きな神からの恩恵なのです。


Top