講座内容
タロット講座の本質
一昨日、昨日と久しぶりに四国でのタロット講座でした。
この講座は密かに行われているもので、マルセイユタロットの入門的な内容を教えられるレベルの人の養成を目指しています。最初はそうではなかったのですが、やっていくうちにそうなってしまいました。
あまりにもひっそりと一年以上かけて続けているものなので、いわば秘密結社のような形になっています(笑)。しかも少人数ですから、やはり参加されている方たちは極めて色濃くマルセイユタロットと縁がある方たちなのだと思います。
このように少しずつでも目的が高く、長期に講座を受けていると、途中で何度も自分の変革・変容を迎えます。
それはタロットを学んでタロットと自分を象徴的に繰り返し観察することで、何回も自分と向き合うことになるからです。
それもメンバーの前でほぼ公開ですから、次第に自己開示の大きさ・深さも拡大します。いわば「ぶっちゃけ」状態となるのです。(笑)
そうすると当然良いことばかりが出てくるわけではなく、自分の中の見たくないこと、心の奥底に押し込めていたもの、バランスが崩れているものなどが噴出してきます。
最初は「タロット占いが楽しく自分でもできればいいな♪」と考えていた人も、こうなると心苦しく、痛さを感じることもにもなってきます。タロットを辞めたくなる人もいるかもしれません。
もちろん急にそれらを出してしまうと、あたかも抑えていたホースの口を突然放すかのようなり、感情のダムの決壊を招いてしまいますので、ある種の危険性があります。
ですから少しずつ流していく、穴を開けていくような感じにします。(マルセイユタロットの「節制」はこの意味があります)
私からすれば、この状態(自分の抑えていたものが出てくること)は、むしろタロットリーダー、タロットを教える人になるためには正常なステップを踏んでいると見ています。
なぜならば、心の解放や自己を客観的に見つめられるようにある程度なっておかないことには、人と接したり、癒したり、教育したりすることは難しいからです。
人の相談をしたり、教えたりするような仕事をすれば、必ず自分の闇やネガティブな部分と向き合わさられることになります。自覚がなくてもそれは出てきます。
その時困るのは自分自身であり、もっと被害を受けるのはクライアントや生徒さんたちなのです。
私たちは普段でも心の鏡作用として、人と接すれば(接しなくても)自分の心が人によって映し出されることを経験していますし、その作用は受け続けています。
その認識と自覚があるかないかだけです。
私たちは他人によって喜怒哀楽の感情、摩擦や悦楽を抱かされるのですが、それは結局は自分の成長のためにあります。
人と接する仕事の場合は、特にそれが濃厚になりますので、普通の人以上の反応が自分に出るのです。
そのため、私のタロット講座ではリーディングができることよりも(技術や感覚ということよりも)、まずはタロットによって自己と向き合うことを中心に据えているのです。(講座のレベル・目的によっても違ってきますが)
簡単にいえば心の自己浄化です。これを先にやっておきますと、とても自分は楽になり、人と対することができるようになりますし、自分の運命、実生活も変化してきます。
そしてタロットリーディングもある日を境に、突然進歩します。
グラフで言うならば曲線的上昇です。そのブレイクポイントはタロットの知識・経験の蓄積と自己浄化が臨界点に達してクロスした時にやってきます。
その前の過程でも、「生身のタロット経験」といわれる、タロットが信頼するに値するものと実感できる自己現実との融合が生じます。(それは小さいこともあれば大きいこともあります)
何事もそうですが、つらさを越えれば本当の「楽」が待っています。それは安易に逃げていた「楽」とは違い、本当に楽しく活き活きとしたものなのです。
今少し苦しい渦中にある人は、「楽」が必ず訪れると思って勇気をもって進んでみてください。
先生と生徒 その2
昨日は先生と生徒に間に生じる感情のようなものについてお話しました。
今日はその続きで、特に両者の間の好き嫌い、特に生徒側から思う先生への感情についてふれていきます。
人間、誰しも人からはよく思われたい、気に入られたいという思いがあります。
何かを教えてもらっている時も、やはりその教えていただく方(先生)に「自分のことを気に入ってもらえたら」という感情が芽生えるのは普通です。
それには打算的(現実的)な部分と、あこがれや尊敬、純粋に心や感情から来る精神的な部分とがあります。
現実的なことでは、自分のことを気に入ってもらえたら何か特別なことを教えてくれるかもしれない、料金をサービスしてくれるかもしれない、今後も自分だけに恩恵があるかもしれない・・というような思いです。
そして精神的なほうでは、自分がこの人から特別に選ばれている(選ばれたい)感情、尊敬やあこがれから自分も同化したい(そうなりたい)というような気持ちがあります。
これらは大なり小なり、誰しも持っているものですから、自分にそうしたものがあることに気がついても、特段気にしすぎないことですし、大事なのはそういう気持ちが自分にはあることを認識して、罪悪感や否定的な感情(認めない気持ち、抑圧)を抱かないことです。
それから精神的なほうで「気に入られたい」という感情の底には、自分の両親(あるいは兄弟姉妹、時には子ども)への思いが原因となっていることがあります。
男性の教師には自分の父親(像)、女性の教師には自分の母親(像)への感情をかぶせてしまっているのですね。
もっと言えば、実際の両親ではなく、根源的な男性・女性の両極と呼ばれるエネルギーへの反応である場合もあります。
いずれしても、結構な部分で先生に対しての思いや感情は、自分の親との関わり・感情と結びついていることが多いものです。
「気に入られたいけど何か拒否感がある」とか、「この先生のこの部分は好きだけど、これは嫌だ」というところは自分の親との関係に近いところがあるのです。
そういったところも見ていくと、なかなか教え教えられる関係というのも深いものがあります。
さて結局、気に入られたり、あるいは反対にあまり気に入られなかったりという思いはありますが、それもあくまで生徒である自分の判断でしかありません。
先生が実際どう思っているのかはわからないからです。
ですから気にしても実は仕方ないものです。またたとえ嫌われようが、生徒の自分にとってはよいことは必ずあります。反対に気に入られてもいいこととは限りません。
気に入られることの悪い部分は、両者が濃密になる分、人間的感情が入りすぎるということです。
信頼関係がある内はいいですが、幻想も起こりやすく、ひとたび思いと違うことを経験した場合、極端な反転作用が生じて、憎しみあいの関係に変化することもあります。(愛憎の表裏関係)
あまりよく思われていなかったり、嫌われているように感じる場合は、ある意味すごく冷静(冷めるといってもよい)ですので、思いこみや錯覚が起こりにくくなり、無駄なお金の投資や労力を両者の間でかけることが少なくなります。
そして人格と学びの部分とを切り離しやすくなるので、純粋な学びができやすいこともあります。
このように気に入られても、嫌われても(笑)、いい悪いはバランスよく配置されているものです。
いけないのは、作為的にどちらかになろうともがき苦しむことや、どう思われているかをナーバスに気にしすぎて、本来の勉強に身が入らなくなることです。
先生も人間であるということは前回も述べました。
たとえ先生の人格に問題があろうとも、教えている内容と一緒にしてしまわず、きちんと分離して学習する態度を取っていけば、感情的に振り回されることは少なくなるでしょう。
ただ私たちは人間ですので、自分が納得する、感性の合う人からならば教えを受けやすいというのは事実です。
先生が言っていることとやっていることが違うとなれば、聞いているほうに葛藤を起こさせるのも当たり前だからです。
とはいえ、前にも言いましたが何かに秀でた人とはそれだけ変わり者であるということも多いですから、「すべては完璧だ」「人間的に全部すばらしい」と幻想は抱かないことです。
同時に、先生のある一言やわずかの態度だけで、先生全体を判断して拒否しない態度も大切ですね。
学びというものは、その学習している内容だけではなく、私たちに様々にまさしく「学び」を与えてくれるものなのです。
先生と生徒 その1
何かの学びや教えを受ける時、他のフィールドでの社会的な立場や地位・年齢はどうあれ、一時的に教えるほうは先生となり、教えられるほうは生徒となります。
そして生徒としての側からすれば、先生にどう思われているのかということが気になることがあるものです。
しかし生徒も人ですが、先生も人間です。
教えられる側になると、ついつい錯覚をもってしまうのですが、自分より先生はえらい、人間として上だと見てしまいがちになり、極端に言えば「先生はすべてができた人」「人間として完璧」だと幻想を抱くことにもなりかねません。
しかし世の中に完璧な人などいません。
先生はあくまでその教えている分野においてあなたより知識や経験があるというだけで、人としての上下などはありません。
当然ながら先生も欠点も持ち合わせています。
そして何か一芸に秀でている人というのは、往々にして変わった人、変人である場合があります。
だからこそ通常の概念や考えを超えることもあるのですが、逆に常識はずれだったり、人としてのダークな部分を凝縮させたかのようなものを持っていることがあるのです。
何かを純粋にしようとすれば、混ざったものから分離を行うことになり、純粋な部分がはっきりしてくればしてくるほど濁った反対の要素も沈殿していきます。
この沈殿された部分の浄化も同時に行っていけばよいのですが、凝縮されている分だけドロドロに固まっており、なかなか通常よりも難しいことになります。
そしてこの部分に反応してしまった時、純化した面とは別の人格のような形となって現れることがあります。
これが具体的には、人間的な欲望として出現するケースが多いです。
よって先生と慕い尊敬していた人が急に人格が豹変したり、いつもすばらしいことをおっしゃっているのに金銭問題や人間関係で醜態に見えるものをさらけだしたりすることがあるのです。
先生の側の問題もありますが、生徒側の幻想、投影(自分の願望やネガティブな要素を相手自身として錯覚すること)もあります。先生の問題と見ていたものが、それは実は自分の問題だったということですね。
いずれにおいても、好かれすぎても嫌われすぎてもお互いのバランスを欠いた何かが投影されていると見ていいでしょう。
ただ両者とも人間ですので、感情が入り交じることは当たり前ですし、いつも両者とも聖人君子でいらるわけではないので、極端なこと以外は気にしないほうがいいです。
それでもいつもどこか客観視する自分を、生徒も先生も持っているとよいでしょう。
先生に好かれる嫌われる(感情)ということについては、次回の記事にて、もう少し踏み込んで解釈してみたいと思います。
タロット学習においてのヒント
タロットの種類によって、その一枚一枚の象徴する事柄も微妙に異なってきます。
それはもちろん絵柄による違いが大きいでしょう。
仮に楽しそうに歩いてる人物が描かれている絵を見て、「落ち込んでいる」「泣いている」「止まっている」「恐ろしい感じがする」というようには感じないと思います。
ということはまずタロットで大切なのは、何よりも絵柄だと言えます。
ですからたいていのスクールや先生は「絵からの印象」「絵を見て感じる感覚」を大切にされていらっしゃると思います。
そしてそれがやはりタロットリーディングへの第一歩になります。もちろんあくまで第一歩であり、ここから感覚だけではないものも学び、融合させていく必要はあります。
ただ実のところ、感じ方と言っても人それぞれであり、さらに言えば先生や教えてくれる人の語るカードの印象や意味というのも、突き詰めればその話す人の主観です。
このカードはこういうことを示すのですよ、と伝えられてもそれはその語る人が感じている、または抱いている印象と知識であり、それが伝えられる側の全員に共通した感じ方ではないということはあると思います。
それでも、たとえ違和感を感じたとしても、「ふーん、そうなんだ」となんとなくか無理矢理にでも納得させてしまうでしょう。
そうして最初は受け売りみたいなこと、先生(参考書の著書でも同じ)が言われたからそう信じるというようなことでタロットの印象と意味を覚えて行きます。
よって当初は自分のタロット観は、習った先生や影響を受けたテキスト・書籍からのもので作られると言ってもいいでしょう。
従ってタロットを習うことにおいて最初の選択は極めて重要です。
と同時に、習いながら考えてほしいのは、先生の言っていることや本で書いていることを単純に暗記するのではなく、なぜそのような意味になるのか、なぜそう感じるのかを自分の頭と感覚で再度検証してほしいということです。
その過程では先生の言っていることとは違った意味がカードから出たり、自分としてはこのカードはこのようにとらえたいという「自分なりの感覚と意味」がはっきりと出てきたりします。
そのうえで、先生や書籍が示したこととどうつながるのかを見る時、その奥底にあるカードが表す「元型」、コアな核のようなものがわかってきます。これが非常に大切なのです。
絵柄と元型は結びつきますので、タロットの種類によっては、たとえ同じ名前・数をもっていても違った解釈になることはありえるのです。
違った解釈や意味になっても、そのカードの表す元型がとらえられていたら、それはOKなのです。
そして結局はタロットの真の理解は自分体験によります。いつまでもテキストや先生の講義の録音に頼っていると、なかなか自分体験が訪れませんので注意してください。
また教えられる先生や伝えられる本によっては、言い方・書き方が誰でもわかるようなうまい例えで普遍化したものになっていたり、「魂がこもる」と言いますか先生自身の実感に基づく語りになっていたりすると、タロットと自分体験がまだ結びついていなくても、心に響いてくる場合があります。
上っ面の、どこかの本で読んだだけの知識をなぞって話しているような方の講義は、やはりそれ相応のものとして受講生にも表面的に伝わるだけです。
それは楽しいとか面白いとかというものとは別です。
確かにつまらない講義、面白くない話は講義としては問題ですが、「あー、面白かった」「楽しかった」だけで何も残らないような講義もレクリエーションとしてはいいかもしれませんが、学びとしては不足だと言えるでしょう。
とはいえ、タロット教室や書籍の選択なども、自分の求めるもの・思考・レベル・感覚によって同じ傾向を持つ人かまったく逆の自分にはない魅力のある人にひかれるところがあります。(受講生同士でも)
それはまた縁と呼ばれるものによっても関係が生じます。何気なく申し込んだ教室が実は自分の人生を変えるきっかけになったということもタロットでは起こりえます。
何を選んでも実は失敗などいうものはありません。自分のその時の判断・価値によって選んだことなのです。何かの意味がきっとあります。
そして総じていえるのは、その選んだ教室よりもそのタロットが自分が好きなのかどうか(最初はわからなくても学んでいるうちにわかります)、ということが重要です。
また教えている人がそのタロットのことを語る時、どれだけ魂がこもり、活き活きしているかということも判断の材料のひとつとなるでしょう。
新大阪タロット講座、メルマガ・・・いろいろてんこ盛りです。
本日、メルマガを発行しました。
題して「ソルネートワール」 何それ? と思うでしょうが、意味についてはメルマガで解説しています。
これは私の講座を受けていただいた方のための特別メルマガです。ブログにも書かない(書けない)とっておきの内容やコアなネタ(笑)、ブログ記事の真の意味の解説などを提供いたします。
受講された講座はカルチャーセンターのものもOKですから、今後メルマガご希望の方はお気軽にこちらから ご連絡ください。
さて、9月に入りましたので、改めて今後の講座の予定などお知らせしておきます。
まず9月17日(土)から神戸でマルセイユタロットのニューバージョンの基礎講座が始まります。
基礎というより、基礎中級、あるいは基礎講座スペシャルみたいなのもので、まったくのタロット初心者からタロットリーディングを仕事として検討して行きたいと思うようになるくらいまで導く内容にしています。
もちろん自己探求においても、マルセイユタロットに込められた様々な知識・智慧とともに、講座期間を通して実際の気づきはもとより、自己変革につながる具体的行動まで開始できるよう講義していきます。
この講座によって一気にあなたが本格的なタロットリーダー、タロット使いになったり、自己変革していったりするチャンスです。講座の詳細・募集要項についてはこちらの記事にて 。
それから、これまでお問い合せをいただいた方の中には、「従来ベースの内容の基礎講座もあれば・・・」とのご要望もありましたので、今回は特別に従来ベースの基礎講座も開講することにしました。
新規で募集する従来ベースの基礎講座(ノーマルタイプ)は、今後はいつ開講するかわかりませんし、今回が最後になる可能性もあります。
こちらは新大阪での開講となります。
ということでこの秋は基礎講座はスペシャルタイプとノーマルタイプの選択が可能となりました。
ノーマルタイプ(従来バージョン)についての予定です。
◆マルセイユタロット基礎講座(ノーマル)◆
マルセイユタロット大アルカナの理解とそれを使ったリーディング講座。
小アルカナは実践で使う数種の技法のみになります。
(小アルカナの詳細の解説と様々な応用については基礎講座スペシャルになります)
●日時
日程 10/9,10/23,11/13,11/27,12/4 いずれも日曜 全5回
時間 10:00-17:00
●場所
新大阪のルーム(お申込者に詳細はお知らせします)
地下鉄御堂筋線、JR新大阪駅徒歩10~12分程度
●料金
8万円(タロット、資料代金込み、タロットをお持ちの方は5千円引き)
分割お支払い制度あり
●定員3
●お申込み・お問い合わせ
セブンスウィル こちらから
ノーマル講座といえど、その内容はタロットの込められた密儀の伝統にも及び、リーディングレベルとしても自分や近しい人・友人などに十分に提供できるものを講義・指導します。
何よりも、タロットを使った個々の整理、自分の見つめ直し、何をどうしたらよいのかという「自分の道筋」というものをクリアーにさせていくことに効果があります。
タロットは一生ものの知識と技術ともいえますので、是非この機会をご利用ください。
とことんタロット!の、基礎講座スペシャル についてもこ応募お待ちしております。あなたのタロットへの概念が思いきっり変わることでしょう。
あ、そうそうタロット占星術講座(タロットを入れた占星術基本講座)も10月より開講予定です。まずはメルマガで告知後、余裕があれば一般の方にも告知いたします。