迷った時に
変化の現象と理由 その取り組み
前回の続きです。
前回では、自分の変化のタイミングには大きな全体的サイクルと個人のサイクルがあり、どちらにしても、二元のエネルギー(陰陽・マイナスプラス)の転換点において変化と感じられるというようなことをお話しました。
そして、昔はその全体と個別のサイクルの調整に、行事や儀式を伴わせることでリセットしたり、調和を図ったりしていたのではないかというようなことも書きました。
さらに、現代はそうした調整機能がほとんどなされていないため、年中刺激を受けながら、リズムを狂わされ続けているとも指摘しました。
ということで、現代では地域社会や集団が調整してくれるわけではないので、意識的に自分がリセットしたり、バランスを図ったりする必要が出ているわけです。
その基準はマスメディアで流れている外の情報ではなく、やはり宇宙や自然、または古代から伝えられているような象徴を利用したものが望ましいと思います。つまり、そられはいわゆる「神」次元の物理空間表現だと想定できるからです。
たとえて言うなれば、最高度の時計(標準時)のようなものがあって(神)、それを模倣して作られた個別の時計を皆が持っており、時報や電波みたいなもので大元の時計に合わせるための装置が、星や宇宙、象徴ツールのようなものになるということです。
古代象徴の知識を学ぶのは、こうした意味もあるわけです。
さて、話は関連しつつも飛びますが、変化のタイミングは事象(外で現れるもの)でまず把握できます。
前の記事で書いたように、実際に身体の異変とか、人間関係での不和とか、マイナスのことで表れやすいです。(逆に気付きにくいですが、外向きに好調なことで表れる時も同様なのです)
そして、それらは、前回指摘したように、起こっているそれ自体の意味(問題)というよりも、変化のタイミング、入れ替わりが行われていることを示す「象徴」「シンボル」「合図」として生じている可能性があります。
仕事がうまく行かないことが続くと、自分の仕事ぶりに問題があると人は考えますが、もちろんそれもありますが、そもそもが「あなたは変化の時期・タイミングに来ていますよ」というお知らせの意味もあるのだということです。
ですから、問題そのものに対して、あまりに悩みすぎるのもまずい場合もあるわけです。さっさと今の職場に見切りをつけて、自分のエネルギーの質が変化することに合わすと楽になる場合もあるのです。(結果的に転職や独立となることがあります)
しかし、この場合は、なぜ「お金」や「健康」ではなく、「仕事」で合図がなされた(問題が起こった)のかということも、あとで考える必要があります。
そこが、この前の記事で書いていた「現象から理由に反転していく」視点となります。
自分にとってエネルギーや質の変化のタイミングの合図が、例えば「仕事の問題」ということであるならば、逆にその「仕事問題」を改善することによって、このエネルギー転換をスムースに行ったり、もっと違った波形にチェンジしたりする(それは自分の成長を意味します)ことができると考えられるのです。
問題は合図ではあっても、やはりその問題として発生した意味があり、その問題解決に取り組むことが、その人個人の全体の発展や拡大につながるという発想です。
従って、問題に対処していく姿勢とは、問題そのものにどっぶりと浸かって振り回されすぎないようにしながらも、集中してその問題に取り組み・解決していくことで、自分全体の成長につながるという意識で望むということになるでしょうか。
「全体を見ながらポイント部分は確実に処理する」というものになります。考えすぎず(囚われすぎず)、かといって放置したり、逃げたりもしないという態度です。
実はタロットを、ある問題においてはリーディングするということは、この作業を行うに等しいことになります。なぜならタロットは象徴なので、人間関係のテーマを読みながら、その人の仕事や霊的な成長までも同時に展開で示されていると考えることができるからです。
そのため、常識ではない意外な解決法というものも、出ることがあります。
すべては有機的に繋がっているため、例えば特定の人との人間関係の問題は、自分とその人とのコミュニケーションや対応でと考えがちですが、自分自身の生活の見直しで改善することもあるというような具合です。
その人との関係と対応ばかりに目が行くと、悩みから抜け出しにくい(悩みに囚われ深くなる)うえに、解決策も見い出せにくいものとなります。
場合によっては、問題現象はただのエネルギー変化のタイミングのお知らせに過ぎず、この場合、別に無理してお互い付き合う必要がないというシンプルな解決になることもあります。
そうして、現象と理由、集中と弛緩を交互に見ながら、バランスを図って、私達はよりスムースに生きていくことができるようになるのです。
今自分に何か起きているのでは?と感じる人に。
皆さん、最近調子のほうはいかがですか?
もうすぐ夏至でもあり、このタイミングでは、変化が起こっている人も多いのではないかと思います。
その理由は星の動きに関係するという人もいますし、全体的な波動の上昇とか、地球や宇宙の成長とか、スピリチュアル的な考えを理由にする人もおられるでしょう。
また国際的・政治的な動きも関係があるかもしれません。
私は理由を求めていくことも悪くないとは思いますが、自分に起こっていること自体を観察するのが重要だと感じます。
つまり理由より現象です。
そして、逆説的なのですが、その上で、やはり現象より理由へと反転していくプロセスが肝心でもあります。
まず理由より現象というのは、単純なことですが、起こっている理由をあれこれ考えるより、「今自分は落ち込んでいる」とか、「気持ちがナーバスになっている」とか、「眠気がひどい」とか、逆に「眠れない」とか、「仕事がうまくいかない」「人間関係が変わってきている」など、生じていること自体に注意します。
それ(起こっていること)には漠然としたものもあるでしょうし、パートナーとうまくいかないとか、右手が痛むようになったとか、仕事で失敗が続くとかといった具体的なこともあるでしょう。
いずれにしても、何かの変革や変化があるからこそ、「何か気になる」「おかししいな」と感じているはずです。
原因や理由がないわけではなく、むしろあるからこそ、そうしたことが起こっていると言えますが、いきなり原因追及に走るよりは、まずは現象面を観察することも大切ですよと言っています。
ところで、私の思うところに、心にはある種の二元パターンが存在し、内側に入る時と外側に出る時が交互にやってきます。その時期は人によって違いますが、大きな周期では共通しているものもあります。
わかりやすく言えば、誰しもうつ的パターン(マイナス)と、そう(プラス)的パターンを持ち、その調整にはおそらく昔は祭祀や神事を利用していたと思われます。民俗学的にはハレとケのパターンと言ってもいいかもしれません。
個別(個人)的な二元パターンをムラ全体として次元を上げて(統合して)、祭りとして調整していたのではないかと考えられるのです。
ただし現代はそうした共通祭祀的なものが少なくなりましたし、逆にデタラメなイベント・催事は無数になりましたので、踊りたくもないのに踊らされたり(躁状態にさせられる)、その反動でうつ状態が長引いたりと、個別状態だけが一人歩きし、多くの人が自己の二元パターンを調整できずにいる気がします。(大きなイベントで盛り上がりたい人の欲求、反対の引きこもりなども、そういう調整作用を求めていることもあると思います)
その歪みが人や物理的現象となって表れていると感じるのです。
個別ですから、表れる具体的パターンも様々になります。その人の一番力を入れているものや、関心のあるもの、あるいはそこに問題が起きると注目せざるを得ないもので多く表れると言ってもいいでしょう。
心のプラス・マイナス二元パターンは、人によっては色々なパターンがあり、プラスひとつにつき、小刻みなマイナスがたくさんある場合や、逆に小さなプラスがたくさんありつつ、マイナスがドーンと深く来るということもあります。
理想としては気にならないマイナスが多く、プラスが大きくあるという状態かもしれません。
とにかく、変化があるという時は、このパターンの転換期(波形の変動ポイント)である場合が多く、もうひとつ、そのパターン自体を変えるチャンスでもあります。
特にマイナスと思えるような時期にもがいてしまうと逆効果であり、しゃかりきになって原因追及に迷走するより、変化のタイミングそのものにいることを自覚したり、見直しを図ったり、やれることだけに集中したり、今まで多忙で取り組んでいなかったことを腰を据えて始めてみたりするのがよいと思います。
少し長くなりそうなので、続きは次回に書きます。
悩んだ時には自分より他人。
タロットの大アルカナに「愚者」というカードがあり、このカードに描かれている人物やカードの象徴からして、いつも人生を気楽に、文字通り「愚者」的に生きて行ければ、ある意味最強とも言えます。(笑)
しかし、そうはならないのがまた人の常なるところです。ちなみに「常ではない」のが「愚者」なので、だからこそ「気楽」なのかもしれませんね。「愚者」以外のほかのカードがあるのも、「愚者」だけでは生きていけない現実性があるからだと思います。
それはさておき、人は悩んだり苦しんだりすると、特に日本人に多いのかもしれませんが、孤独に一人で考え過ぎる傾向があるように思います。
悩んでいることを悟られない・心配させないようにという、周囲に気遣い過ぎることも理由かもしれませんが、とにかく自分を自分の世界の中に過度に入らせてしまいます。
精神や心理の世界でも、「自分との対話をする」という試みがありますが、これもやり過ぎると、やはり孤立した堂々巡りに陥ります。
まじめな人ほど、そうした傾向を持ちますので注意が必要です。
ではとうすればよいのかと言えば、自分(の世界)でダメなら、やはり他人との会話や相談をしてみるということです。
まず単純に、気持ちを外に向けて吐露するということは心の解放につながり、たとえ解決法が見つからなくても、話すだけでもほっとできることもあるからです。
また悩んでいる時は同じことを考え続けているので、実は狭い視野に囚われていることが多く、だからこそ人に話すことで、意外な突破口やシンプルな見方などが得られることもあるわけです。
それから、これがあまり言われていないことなので、書いておきます。(今日のメインみたいなものです)
人は心の鏡とよく精神世界では言われますが、その場合、自分のネガティブな投影として言われることが多く、結構つらい意味になることもあります。
しかし、逆にポジティブや良さとして見ることも可能です。
悩んで人に話をしたり相談したりすることは、他人に自らの内に眠る「あるもの」を自分に呼び起こすための方法のひとつでもあるのです。
そのあるものとは、答えであったり、別の表現方法であったりする、まさに完全なるあなたとしての部分です。
自分の悩みや苦しみは、何かのブロックであったり、気がつかないものがあったり、バランスが崩れていたり、幻想を見ていたり・・と様々にあるのですが、いずれにしても、答えや解決法、あるいはその悩みの真の意味などは、同時に別の自分(高次の自分や別表現の自分)が知っています。
しかし、知ってはいるのですが、曇った鏡のようになって見えなくなっているか、答えを知っている自分と対話できないノイズ状態にあると言えます。
自分との対話の結果、うまく答えを知っているほうの自分とコミュニケーションできればOKなのですが、今述べたように、そのコミュニケーション自体が成立しない状況(通信障害みたいなもの)が存在します。
その時、シンクロニシティや象徴的な合図などによって、会話を何とか行おうとするメッセージも内と外の環境投影によってなされるのですが、それでも自分のノイズ状態が激しかったり、状況が悪かったりする時は、なかなかスムースに受け取ることができません。
ここで発想を転換して、他人も自分の投影や別表現の一部だと見ることで、今の自分の悩みの答えや解決策を知っている人がどこかに存在すると考えます。
「投影」ですから、まったく存在が認識できない人ではなく、あなたが目にしたり、会ったりできる人です。時には書物を通しての著者ということもありますが、とにかくあなたのそばに、行ける所に「いる」のです。(探さないといけない場合はあります)
その他人存在は、その人自身があなたの悩みの答えを知ってると表面意識で自覚していることはほとんどないでしょう。
相談ではなく、話すをするということだけならば、あなたが他人と会話する内容も、悩みそれ自身ではない「たまたま」のこともあるかもしれません。
それでも、あなたには他人との会話や相談が、やはりその人からの自分への答えや示唆であることが多いのです。
仮に答えが人との相談で見つからなかったとしても、それは答えに辿りつくための最短の伏線になっている場合があります。
それほど、他人(への話、相談)効果というものは高いものだと考えられます。
ただ、大切なのは、人がしてくれたとか、人がいつも答えをもっているのだと勘違いしないことです。いわばこれが依存の種となります。
そうではなく、本来は自分の中にある答えを見つけるために、外的に投影された面白い仕掛け装置が外に存在していると見るのです。
もちろんこれは他人の技術や知識(への努力・敬意)を否定していることではありません。
自分が表面的にはできないこと(表現)を、うまくしてくれている他人が存在している世界と考えるのであり、その人たちはやはりすばらしいのです。究極的には神の表現を現実的に体現している人たちでもあるからです。(それは全員なのですが)
ということで、一人孤独に、堂々巡りするかのようにずっと自分の中で悩み続けるのではなく、人に話をする、相談してみる、本を探してみるなどという外への発露と行動は、実はあらかじめそうなるように天が配剤してくれているプレゼント企画なのかもしれないのです。
マルセイユタロットでは、「恋人」と「審判」の構造にも思い至ることです。
相談をする前に知っておくとよいこと。
悩み事が発生しますと、人はあせってしまい、冷静な判断ができなくなります。
逆に言えば、動揺していたり、落ち着いて判断が下せない状況が続いていたりする場合は、どこか自分が普通ではない状態にいること、何か気がかりなことが行動にも影響を及ぼしていることに気が付いたほうがよいでしょう。
自分の経験からも、うつ病や神経症の初期においても、気がつかないうちに判断力が低下しているような状態になっていることがありますので、気をつけるとよいでしょう。
そんなことですので、誰かに何かを相談しようという心理状態で「冷静になれ」というほうが間違いなのですが、それでも、そうなる前に覚えておくとよいことがあります。
それは盲目的に、とにかく誰か人に相談をする前に、自分の問題を整理してみるということです。
特に、スピリチュアルや精神傾向の強い人の中には、何でもスピリチュアル(一般的に多くの人にイメージされる狭義の意味での「スピリチュアル」で、いわばスピリチュアルブームとか、パワースポットとかで使われるような意味です)で解決してしまうと思っている人がいます。
確かに自分の次元が上がったり、波動と呼ぶべきかどうかわかりませんが、そういう性質のものが高まったりすることで、問題がほとんど解決してしまうことは私も経験的に知っています。
ただし、そうとも限らない場合もありますし、波動を上げるためにはそもそもの根本的な不安や、現実的な問題への取り組みが必要なことがあるのです。
スピリチュアルなセッションを受けたからといって、問題が解決するかといえば、それは厳しい言い方をすれば本人次第のところがあります。
優れたスピリチュアルリーダーやセラピストなどの人で、それでも相手を変えていく示唆を与えていくことができる人もいますが、自分を変えるのは自分だけであり、相手に依存していると、一時的な気分の良さに留まる恐れが強いのです。
端的に言えば、相談内容を自分で分析して選別し、その上で、その分野の専門家や強みを持つ人に相談したほうが解決は早いということです。
ただし、すべての問題の「根」というものがあるケースも結構存在しますので、一度はそういった自分の問題の本質をわからせてくれる相談を受けてみるのもよいでしょう。
こうした場合は、スピリチュアルと呼ばれるような傾向を持つ人・技法のある人に相談することは合っていると思います。
逆にお金の問題や集客・宣伝、法律、養育・福祉の問題など、何かに特化しているような問題は、その問題解決の専門家に当たってみることのほうがいい場合があります。
極端な例ですが、経済的に切羽詰まって苦しいのに、どうしたら楽になれますか?とカウンセラーに相談し、心のあり方ばかり説かれても、問題は解決しません。
ところが、実際にはこういう相談スタイル(相談相手を間違えていること)をしてしまっている人が多いのです。
それから意外に知られていませんが、結構、行政機関・半行政機関などの所は、無料で各分野の相談に応じているところがあります。
行政ではたらしい回しされるのではないかという危惧があるかもしれませんが、確かにそういうところもなきしもあらずですが、今の行政機関は対人サービスも教育されていることが多く、昔ほど悪いことはないでしょう。何も高額な専門家の相談を受ける方法だけではないのです。
それと、もうひとつ、アドバイスというものは、抽象と具体があります。
抽象的なアドバイスは心や精神世界系には多いのですが、それが悪いわけではありません。
目に見えない世界は当然具体的ではないのが普通なのです。ですから「象徴」的な表現となり、それが抽象的なものとして聞こえることもあります。
抽象的ということは、漠然とはしていても、大局的、総合的なことでもあります。ですから実は本質(あり方のようなもの)や大まかな方向性がわかるのです。
しかしながら、やはり具体性には欠けますので、どうすればよいのか、何から始めればいいのか、いつ、どこですればよいのか、この選択は正しいのかどうか、というようなことはわかりづらくなります。
そこで、抽象的なアドバイスのあとには、人は具体的なアドバイスを求めるのですが、抽象と具体は一般と専門ということに言い換えることもできますので、これを一緒に一人の相手からアドバイスを聞こうとしても無理な場合があるのです。(もちろんできる場合や人もいます)
相談を受ける側のタイプと、扱う問題の得意タイプが抽象的か具体的かということも考慮すべき事柄です。
もっと言えば、心の幸せのアドバイスか、幸せになるための分野的・専門的方法論のアドバイスかという違いです。
例えば、お金の問題がある人にお金に対しての心理的ブロックがあったということがわかったとしても、では実際に経済的な豊かさを自分の仕事、またはそれ以外から実現させるにはどうすればよいのかという具体性は、別のもの(アドバイス)が要求されます。
ブロックがはずれれば、すべて経済問題が解決するとは言えません。(行動できないのはすべて心理的抵抗にあるとみなす考えの場合は、また違ってきます。この考えに立つ場合、具体的な情報(との遭遇)も抵抗によって無意識に左右されていると見ますので)
別の例えですれば、料理を作ったこともない人が、あなたは料理を作ることができる能力はあるのですよとアドバイスされて、それを自分が確信したとしても、レシピや作り方を教えてくれないと、よい料理ができないのと同じです。
料理ができる「力」があることを教え、アドバイスしてくれる人(それは自信や自分の価値を認識するためのアドバイスです)は、必ずしも料理人や料理の専門家でなくてもよいのはわかると思います。
料理が作ることができるんだ、自分にとって料理は嫌なものではなくて楽しいことにもなるんだと知って、実際においしい料理を作る方法・レシピを教授してくれる人はまた別に探してもいいわけです。
その違いをわかって相談をすると、「相談したのに抽象的なことを言われて何だかなあ・・」とか、「言われた助言や答えが求めるものとは違うなあ・・」という事に比較的ならずに済むと思います。
「好きなことを仕事にする」について。
タロットリーディングにおけるクライアントの方のご質問の中でも、やりがいのある仕事や好きな仕事をしたいというものが比較的よくあります。
タロットを受けに来られるくらいですから、おそらく、皆さん、癒しや励ましを与えられるようなお仕事、もっと具体的にいうとタロットリーダーとか、セラピストとか占い師とかヒーラーになりたいという方が多いかもしれません。
あるいはそういった仕事とは関係ないお仕事であっても、自分の向いているものは何か?と知りたい人もいらっしゃいます。
タロットを展開すると、人それぞれ、その時の状況によって変化して出るのですが、もちろん本質や傾向というものも出ます。
ただ、占いのように、ズバリこれが向いていますとか、セラピストで成功できます、というような出方とか読み方にはなりません。
人によってはそう読む人もいるかもしれませんが、私のポリシーとして、タロットからの指針はあくまで情報であり、選択はクライアント自らがしていくものと考えているからです。
リーダーが職業や業種を限定したり、固定してしまったりすると、それだけクライアント側の可能性を狭めてしまうことにもなりかねません。
とはいえ、何も枠組みや方向性がないと、どう選んだり、進んだりすることがいいのか、クライアントにはわからないので(それを知りたいためにタロットリーディングに来られているわけですから)、ある程度の範囲や傾向は伝えていくことになります。
そして、どんな仕事の方向性であれ、好きな仕事をしたい、好きな仕事に就きたいという場合、タロットを引かなくても、おおむね4つの方法が考えられます。
1.現在の仕事か、好きなこととは関係のない仕事を続けていくこと。(あきらめることも入る)
2.好きな仕事をする方向性を優先させながら、別の仕事を方便(経済的理由などで)とする。
3.現在の仕事をしながら、好きな仕事をする。(好きな仕事につながるものをする)
4.好きな仕事で独立、もしくは好きな仕事に転職する。
ほかにも結婚したり、パートナーやパトロンに養ってもらって好きな仕事を趣味でするということもあるでしょうが、まあ、現実的なところではこんな選択肢だと思います。
ここで多くの人に問題となるのは、経済的なことと、自分の感情や好み・志向との葛藤でしょう。好きなことをしたいけれども、食べていけなくなるのではないかという恐れと不安です。
タロットで見た場合、それらの要素は四大元素等で表現できますので、弱い部分や反対に強い部分なども、バランスも見ていくことが可能ですが、人によっては経済的なことを重視しなければならない段階の人と、感情や気持ちのほうに重きを置いたほうがよい人の場合があります。
常識的にはお客様や経済的基盤の準備や見込みができていたほうが独立したり、好きなことに転職したりすることでは安全でセオリーだと思えますが、そうとも言えないケースが、タロットを展開すると見えてくることがあります。
たとえば、今やっている仕事や働いている職場があまりにも本人には不適合すぎて、心身の限界に来ているような時や、本人が気付いていない能力やサポートがすでにあり、今思い切って好きな仕事に就くことがスピリチュアル的と言いますか、天命的によいと思えるような場合などです。
これはその人のお話を聞いたり、タロットを引いたりすることによって、本人(の表面的意識)以上に、タロット(で象徴される本人の別意識)がわかっていることが見えてきますので、そうした時には、思い切った判断もアドバイスできます。
ただ、「なれたらいいなぁ・・」とか「好きな仕事が何なのかわからないけれど、見つかったらいいなあ・・」「好きな仕事で暮らしていけたらいいなあ・・」というような想い方のレベルでは、その時点では、とても好きな仕事に就けるとは思えません。
好きな仕事で生きている人でも、最初はほとんどの人はそうではなかった段階があったはずです。そこから今の状態にまでなれたのは、強い決意と意志、行動の継続があったからだと言えます。
今の環境を変えたいということであるならば、本気でその思いに到達しないといけません。(仕事を趣味的に考えている人は別です)
まずは意志と決意の構築、好きな仕事への関心を寄せていくことが大事です。情報も関心があれば寄ってきますし(自然に目が行くことになります)、交流関係もそれに応じて接縁していき、次第に今の環境と自分から脱却していくようになります。
つまり、好きな仕事をするということのリアリティ(現実感)を自らに作り出せないと、文字通り、現実にはなりにくいということです。
普通の人は怠惰と言いますか、変化をしたがらない生き物です。ですから決意の出来ない自分を責めてもいけません。それ(変化をしたくないの)が普通なのですから、当然です。
ですが、自分に今とは別のリアリティを作っていかないと、いつまでも今の現実・リアリティこそが「本物」だと認識して、変わることができません。
一足飛びにはできにくいものですが、ステップ(段階)を踏んでいくと、別のリアリティの世界に近づくこともできます。
まずは完璧ではなくても、どんな形であり、好きな仕事の形を実践することです。
それができなくても、まずイメージだけでも実践に近づけることが重要です。
イメージできないということは、それだけ あなたにとってリアリティがないということであり、リアリティが出るまで、情報とか経験で補っていかねばなりません。これが「まだ現れていない現実を作り出す」最初の一歩でもあるからです。
また、あきらめてしまうのもひとつの手です。今考えていることがあなたの天職ではないかもしれませんし、何も独立や好きな仕事をするというのが人生の成功者とは限りません。
「好きな仕事を見つける」より、「仕事を好きにする方法」を発見するほうがよほど現実的で、応用が利くとも言えます。
極端なことを言えば、棺桶に入る(笑)まで自分の人生が良かったかどうかなんてわからないものです。どの年齢からでも、また仕事以外のことでも、充実と生き甲斐があるのが人生です。