迷った時に

向き不向きを考える。

さて11月ですね。

11月は実は私の誕生月なので、やはり自分の生まれ月の季節というのは、何か好きないい感じがします。

先月末で東京でのマルセイユタロット基礎講座も無事終了し、しばらくは新しい講座関係はありませんが、時間ができれば、このように関西以外の他地域での出張講座も行ってみたいと思っています。所定の人数と場所をご提供いただければ、検討いたしますので、ご希望の方はお問い合せください。

では本日の記事です。

人には向き不向きというものがあると言われています。事務的なことが向いている人もいれば、営業的なことが合っている人もいらっしゃるでしょう。

特に仕事では、この向き不向きはよく話題になることであり、「向いていないからこの仕事を辞めたい」とか、「性に合っているので仕事は楽しい」ということが言われます。

確かに私も人によって、やはり向いているもの、向いていないものはあると感じます。

命占的な占いになりますと、その人の持つ気質というものも見ます。

たとえば西洋占星術ではホロスコープを見れば、だいたいのその人の生まれ持つ気質や傾向がうかがえ、それにより、向き・不向きや性格的なものも予想可能です。(ただし、いわば設計図の段階ですので、実際の材料と個人の行動・経験により、大きく変わってきます)

また、物理的なこと、目に見える範囲で、向き不向きを判断することも可能です。

単純に言っても、ヒョロヒョロの人が肉体労働には向いていないと言えますし、体を動かすことが好きな、がっしりした体育会系的な人が、細かい作業に向いているようにも見えません。まあ、でも実際はやってみないとわからないことはありますが。

ですから、やはり、自分の肉体的・精神的気質と実際の今の状態を勘案して、無理目の仕事や対象というのはあると考えられます。

いわばアンバランスな組み合わせということです。

それをそのままの状態で我慢してやり続けていると、どこかに支障を来すことは明白です。

結局、向き不向きも、組み合わせのアンバランスだととらえれば、組み合わせのどちらかを修正すればよいことになります。

たとえば、体が弱い人で肉体労働するのであれば、自分の肉体をそれができるように鍛えるか、反対に仕事の質を変えるか、体に適合するよう仕事の程度を弱めるかです。

営業が苦手だという人は、営業の技術を高めるか、営業の仕事の質を変えるか、営業の仕事自体を変更するかということになります。

どちらのほうがアンバランスを修正するのによいのか判断すれば、効率的方向性はわかります。

しかしながら、効率を考えるより、自己の成長という観点で見れば、あえて苦しいほう、しんどい方を選択することもあります。

自分の向いているものばかり楽なほうでバランス修正を図っていると、結局その範囲でしかバランスを取れなくなります

つまり、次元やレベルを上げることが難しくなるわけです。

別の表現をしますと、「みかん」ばかり10個の世界で、5対5でバランスを取る範囲と、「りんご」も入れた20個の果物の世界で、10個の「みかん」と10個の「りんご」でバランスを取る範囲の違いと言えます。

向いているものばかりを選んで楽なバランスを取ろうとすると、みかん10個の世界で留まり続けることになりますし、りんごも入れたバランスの世界を知ることができなくなるのです。

ただ、あまりにもアンバランスで、現状がつらい時というのは、みかんでバランスを取るということすら難しい状態ですので(みかん自体つぶれてしまう状態)、時にはその環境から脱出したり、逃げたりすることも自衛としてOKだと思います。

いずれにしても、不向きと思えることの中に、自分のレベルを上げたり、自分の世界を拡大させる種が隠されていると知っておいても損はないでしょう。

大きなレベルと範囲でバランスが取れるようになれば、その分あなたはマルセイユタロットでいえば、「世界」に近づくことになり、実際の環境、精神も穏やかで楽なものになって行くのです。

そのための不向きなものへの挑戦と考えれば、苦手なことに対しても、また面白くなってきます。


問題には、解決したくないものもある。

自分の問題は困ったことであり、誰でも解決したり、解消させたりしたいと願うものです。

しかし、果たして本当に全員が全員、自分の問題を解決したいと思っているのでしょうか?

問題なのだから、当たり前でしょ!と言われる方がほとんとでしょう。

ところが、私たちは意外に、無意識のうちに、「問題をそのままにしておきたい」という思いと行動が存在するのです。

この理由はひとつではないのですが、主なものとしては、ふたつあります。

ひとつは変化させることは面倒で、エネルギーがいるという人間の本能みたいな働きによるものです。

たとえ危機だと感じていても、心の底からスイッチが入らない限り(まさに正真正銘、危機だと心身が感じない限り)、人間は今のままを変えたくない、変えないという態度が支配的になります。

とりあえず日々過ごしていくことはできるとか、問題だけれども生命に関わるほどではない・・・という具合に、たとえ問題状況を認識していたとしても、変えることがわずらわしくて、そのままにしてしまうのです。

もうひとつは、問題が解決してしまうと別の意味で困ったり、それが解消した際の新しい状態に、不安や恐れがあったりするというものです。これは自覚していないことも結構あります。

おかしなことですが、問題のままのほうが安心するし、ある意味、自分にとっては都合がよいという状況もあるのです。

たとえば恋愛問題などで、この人は本当に好きではないけれども別れると寂しいからとか、彼氏がいて周りの人に自慢できている状況から降りないといけなくなるから(つまりは自分の自信を仮の恋人で肩代わりしている状態)というような場合です。

または不倫をしていて、いけないこととはわかっているし、こんなことでは結婚もできないことは感じているけれども、別れることは自分のプライドや投資した時間とお金が許さない、もっと心が寂しくなることが恐い・・・などとして関係を続けているような状況です。

さらには病気や就職などで、わざとうまくい行かない問題状態を続けてしまう(無意識にもそうしてしまっている)ことで、自分が本当に責められることから逃れている場合もあります。

これらは、言い換えれば、次元の低い状態でのバランスのままに生きようとしていると言えましょう。

どんな局面・状態でも、宇宙にはバランスが働いていると見れば、問題が解消している時も、そうでない時も、バランスは実は取れていると言えます。

しかし、バランスレベルが高いか低いかの違いがあるのです。

問題を未解決のままにしておいたほうが都合よく感じるというのは、成長への抵抗であり、エゴの攻撃だとも言えます。一見心地よく、現実的な解決方法に見えるのです。

けれども、これらはバランスが無理して取られているような感じですので、どこかで息苦しさがあります。

いつかは、そこからもっと上のバランスの取り方に移行したほうが、真の意味では自分の解放と発展につながります

それに気がついた時、自分のほうから低次のバランスを崩すための環境を引き寄せようとする(現出させようとする)ことがあります。

いわば、それはぬるま湯状態に冷水を流入させるみたいなものですので、自分の心に激しい抵抗感や困難さを感じることもあるでしょう。

とはいえ、この時のあなたは、すでに「太陽」に象徴される真の自分、本当の目指すべき状況が見えているのです。

その川の流れに逆行しても余計につらくなるだけです。くるっと正反対に向き直り、流れに身を任せていくと自然に目的地にたどり着くようになってきます。

このように、人には解決しはたくない(と別の自分が思っている)問題があると認識しておくと、自己の成長には役立つでしょう。


理想と現実の狭間で悩む人に。

このところ、いや、以前からもでしたが、自分らしく生きたい好きなことを仕事にしてみたいという方のご相談や、そう考えている方との出会いが結構あります。


そうした場合、まず問題となってくるのは自分の精神的な理想と経済的な実状との葛藤です。


端的に言えば、「こう生きたいけど、そう暮らしていくお金が心配」


というものですね。


このことについては「簡単なことよ」とか、「好きなように、楽しく生きるのが人生じゃない?」「お金は何とでもなる」というように言ってのける方もいますが、それは自分がその段階に達していたり、ある「悟り」や「境地」にいるために語られるものです。


しかしほとんどの方にとって、よく考えると難しい問題であることがわかります。だからこそ葛藤し、悩むわけです。


まあ、上記のようなアドバイスをされる方も、実現できる具体的方法論まで提示できる人ならば、それは真の意味で親切(適切)だと言えましょう。


それに反し、ただ精神論だけで語られても、納得できないことがあるのは確かです。


とはいえ、精神世界を学び、探究するものにとっては、実は精神から入るというのが基本です。


まずは考え方や思い方を変えなくては、現状を変化させたり、自分の思うような生き方をすることができないからです。


ここでさらに考察しなければならないことがあります。


それは精神世界にも具体があり、具体の中にも精神があるという二重構造のしくみです。


つまり、心(思考)を変えるためには、やはり具体的な方法論・やり方が必要となってくるのであり、現実の働きかけ・行動・結果にも精神や心のあり方が大きく作用するのだということです。


前者は何となくわかるかもしれませんが、後者は多くの人が忘れていることです。


わかりやすく言いますと、何かを行う時の気持ちを自分自身がよく知ることであり、何のためにそれを行うのかの検証と検討を常に意識しておくということです。


また出た結果(現実)について、ただそれを受け止めるだけではなく、結果という形を見て、心や魂をそこに見いだす・感じるようにすることでもあります。


いわば、結果の良し悪しや評価に関わらず、そのことに対して感謝の気持ちを持つというようなものに近いでしょうか。


それから、非常に大切なことは、あなたが生きたい、したいと思うイメージ、好きな仕事で生きていくイメージを強く持つと同時に、その選択をした時は、そのことに対して完全なる責任を持ち、以前と同じ、いやそれ以上の情熱とエネルギーを傾けることです。


「今が嫌だから」あるいは「今が何となく不満なので」と、逃げ腰や逃避の姿勢で別の生き方を望むのなら、新しい選択に対して情熱とエネルギーが注げませんから、必然として結果も出にくくなります。


ただし、せっぱ詰まって、何が何でも・・・状態(これはあまり望ましくはありませんが)の場合は、情熱とエネルギーは別の意味で注入できますので、実現も大いにあり得ます。


要はまさにすべてをエネルギーとして見た場合、何事もその量を換算したり、質を見たりして、それを自分が出せるかどうかによって現実の度合いも変わってくるということです。


現状であれ、未来であれ、何かにものすごく引っかかりのある時はエネルギーの方向性にねじれや葛藤、ブロックがあるため、現実もそのようになりがちです。


かといって、望む方向に全力を注げばいいのかというとそうでもありません。その方向性に向かうあなたの表現が、望む状態のエネルギーと質的に合致しているかが重要なのです。


それはつまりは、場違いになっていたり、アンバランス状態にあったりして、効率が悪いということでもあります。


そしてエネルギーで見れば、お金も精神も同じであるので、経済と精神という対立が次第になくなってきます。


ただある人にその課題が多い場合は、この葛藤に遭遇する機会は、本人が気付きだけではなく、応用できるようになるまでつきまといます。


こういった人生の選択の責任とエネルギーについては、とても大事なことですので、また別項目でいつかお話してみたいと思います。


二元思考は実は現実的ではない。

タロットをしていると、解決方法に、何もしなくてよいとか、様子を見守るとかの意味で解釈できる展開が出ることがあります。

時には「中途半端のままでよい」というように読めることすらあります。

何事も「はっきりさせること」「白黒つけることをよし」としてきた(教育されてきた)人にとっては、そもそも解決方法として、「何もしないこと」「グレーゾーンでいる」ことの選択肢が存在することが信じられないという方もいます。

これは実は何もしないわけではなく、「何もしない」「しばらく様子見する」という選択と行動をしているわけです。また、「タイミングを計る」という意味のこともあります。

カラーの表をみればわかることですが、両極端に白と黒を置き、その間の色を観察すると、グラデーションになっています。

白よりか黒よりかの違いはありますが、極点に行かない限り、そのどちらでもないのです。

この、両極間のグラデーションの色数は、それこそ無限にあるでしょう。色は波動や周波数とも考えることができますから、言ってみれば、それだけたくさんの状態があるということです。

ということは、私たちの世界も、白と黒というはっきりしたものは少なく、この無数のグラデーション状態が普通なのだと思うことができます。

ですから、むしろはっきりさせるというよりは、「どのグラデーション状態の色(あり方・波動)にするのが今の自分にとってふさわしいのか」という選択の問題であると、解決については見ることも可能です。

ここで重要なのは、白と黒という二極そのものを除いて、グラデーションの色は、そのどちらの色も入っているということです。

白よりの黒であれ、黒よりの白であれ、それは明暗の灰色として、白と黒の両方の色が含まれている状態なのです。

従って、どんな状況であっても、ほとんどはどちらの両極要素が存在していることになり、反対の方向や性質のものが、どの選択状態にあっても潜在していると見ることができます。

それは今は白であっても逆の黒に転じ、その反対の黒であっても白になる可能性をいつも秘めている

ということであり、また両方の微妙なバランスによってその状態が現れているとも言えます。

よいと思っていたものが、実は悪いと感じるものの要素であったり、その逆の悪いと考えていたものが、実はすごくよいことをもたらすものであったというこはよくあることです。

いや、むしろそれが宇宙的な原理であると言えるでしょう。

よいと悪いと決めているのは、あくまで私たち一人一人の人間の思いで、本来はひとつのエネルギーが両極に分かれた、質の異なるエネルギー表現の違いでしかなく、その移行と循環の波によって私たちも動いている(動かされている)と言えましょう。

マルセイユタロットでいえば、「正義」という基準と選択を見ながらも、同時に「運命の輪」も考慮するという感じでしょうか。

私たちの選択は、自分にとってよい状況になるために基本的には行われるわけですが、それはともすれば、現実世界の目に見える情報と状態(の基準・価値)によって行われています。

その場合、いいか悪いかの白黒的に二元の基準で見ることが多くなり、三元・四元・五元的な見方、つまり目に見えないものを含む見方、白黒以外の見方などが入りにくくなります。

先述したたように、実は白と黒の極端な色の世界というのはまさにふたつだけですから、必然、グラデーションの数だけある世界、つまり自然や実際とは相反することになりがちで、そのことが、人に苦しみをもたらす原因のひとつになっているのではないかと思われます。

成功者・失敗者(成功していない者)、勝ち組・負け組などいう表現が如実にそのことを示しており、これらの二元範疇に入らないことのほうが普通なのに、二元でとらえようとするので葛藤と相克が生じるわけです。

ただ二元で考えるのは単純でとても楽なこともあり、複雑な段階や次元を見たり、考えずに済みますので、洗脳としても、また自分が価値を置くことにしても、非常に甘美な思考方法になるのです。

人を支配したい人、洗脳したい側の者は、よくこのことは理解しており、わざと人を二元の価値に置くように、私たちをし向けているところがあるので注意しましょう。


「自分のためになる選択」のわな

人生を創造的に生きることを学び、そのように進んでいくことを決意すると、実際に現実も変わってきます

それにはいろいろな理由がありますが、やはり意思に伴う選択がこれまでとは違ってくるからということが大きいと言えます。

そして、自分の人生の「時」の有限さに気づき、無駄なこと、好ましくないことは選ばないという姿勢になってきます。

たとえば、「自分の思いや志の違う人と関わっていても時間の無駄なので、自分のためになる人や物事だけを選んでいきたい」という具合です。

そうしますと、自ずと人の交際範囲もセレクトされてきます。

さて、ここまで書いてきて、何か気がつかなかったでしょうか? どこか違和感を覚えた人もいるかもしれません。

確かに、今まで人に気遣いすぎて自分を大切にして来なかった人、あるいは他人の評価を気にして、自分がいい子ちゃんであろうとしたいがために、いろいろと人に構ってしまっていた人などは、自分自身を取り戻す意味でも、時間の有効活用の意味でも、きちんと線引きと選択をしたほうがよいでしょう。

しかし、実は自分が思うほど、人は物事や人の、よい選択はできていないものです。

「自分のためになることだけを選ぶ」という態度を取っている人は、逆に自分の見たくないもの・好ましく思わない人と関わらされることが、ほとんど必ずと言っていいほど生じます。

それは、「自分の成長や発展のため」と言っても、結局のところ、「今の時点での」知識や思い込みによっての、「成長のためと自分が考えている選択」を行っているからなのです。見落としている分、バランス回復のためにも逆のことを体験させられます。

あなたはすべてがわかっているほど、神目線で物事や人の選択ができますか?

おそらくそうではないでしょう。

マルセイユタロットカードには、「恋人」というカードがあります。このカードがまさに、今日書いている記事内容を象徴しています。

人は自分の意思や思いで良かれと思って選択をしていても、その裏では通常の人智を超えた目に見えない存在や縁の働きかけがあるのです。

あなたがどう選択しようと、天の意思ともいえる調整が働き、最終的にはいつも大きな意味での「善い選択」が行えるよう、事件や人との遭遇が起こるのです。

その時点であなたがどのように選択するのかは、またそれはあなた自身によります。

ここで述べていることは、自分の意思による選択は無意味だと言っているのではありません。

有限な人生の中で、自分の発展や成長のためは、よい選択を自らしていくことは大切なことです。

ただその基準は、あなたのその時点の人間としての基準なので、必ずしも大きな意味でのよい選択とは言えないことも含まれていることを知っておいたほうがいいということです。

自分を苦しめたり、傷つけたりする人や物事と関わらない選択は重要です。

また必要以上に気遣い過ぎて、ほかに明らかに創造性を生むものがあることがわかっているのに、自分の足を取られる選択を自らがするのも愚かで問題です。

しかしながら、いつもいつもあなたの考えと選択が、ベストな状態、自らの発展のための最高の選び方をしているとは限らないのです。

自分の片方だけの見方による極端な選択は、いずれ修正を自然にもたらせますので、自分が望むものとはまったく逆や別の性質を引き寄せる(遭遇する)ことになります。

それが起こらない場合は、善い選択ができているということでしょう。

特に「私に幸運だけをもたらせてくれる」というような視点と基準で物事や人を選んでいると、落とし穴にはまることになりますので、注意してください。

要は自分が成している選択の基準の、自らの価値観を知ることが大切で、「このために私はこれを選んでいるのだ」という自覚がポイントなのです。

そして、あくまで自分の価値に沿った選択なので、それはよいとか悪いというものではなく(自分の価値に当てはめて、よい・悪いとなります)、どんな場合も宇宙はバランスや学びのために、自分の意思による選択以外の選択肢も用意してくれているという認識が重要だと言っているのです。

なぜならば、その思いでいる限り、いつも謙虚さに立ち戻ることができ、大いなるものへの感謝の念も生じるからです。


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