迷った時に
今の仕事が嫌な人へ。
仕事の相談でよくあるのが、転職のことです。
転職の悩みと言ってもいろいろとありますが、その中で問題となってくるのが、「今の職場が嫌だから別のもの(職場)に変わりたい」というものでしょう。
これはいわば逃避ですので、世間一般からは「辛抱が足りない」「もう少し頑張ってみればいいのでは?」と言われることが多いでしょう。
昨今の厳しい雇用情勢をみれば、そう言われるのも仕方のないことろもあります。
ここでまず考えなければならないのは、何が自分にとって嫌なのかということです。
仕事の内容なのか、職種なのか、人間関係なのか、通勤場所なのか、勤務態勢や就労時間・休日に関することなのか、あるいはその複合なのか・・・などよく分析してみる必要があります。
細かく分析すれば、案外、解決方法が見つかることもあるからです。
たとえば人間関係で問題となっているのなら、配置転換によって別にその職場を辞めなくて済む場合もありますし、仕事内容が嫌でも、その職場での担当を変更してもらえればなじむこともあるでしょう。
とにかく嫌だからすぐ辞めるというのは、明らかに早計であることがわかります。
しかしながら、いろいろと手を尽くしても、または今後自分の雇用環境がその職場では変わりそうもないという時は、辞めることも選択肢のひとつです。
あまりに悩みすぎて迷い、心身が故障してしまうより、さっさと転職してしまったほうが早道のこともあるからです。
仕事を変えたい、辞めたいと言った場合、目上の人や親からのアドバイスを受けることが多いと思いますが、すでに現在の社会状況はかなりのスピードをもって変転していることを考慮に入れなければなりません。
もちろん経験による蓄積がある年長者の助言も耳を傾ける必要はありますが、親世代でさえ、もう古い価値観や考え方になっていることがあることも認識すべきです。
以前の日本ではひとつの会社に入ればその会社に忠誠を尽くすかのように一生働いていれば、勤務中も退職後も比較的安泰と言える時代でした。
ところがすでにそのような状況にないことは、誰の目にも明らかです。
公務員でさえこの厳しい財政状況と人事評価の厳格さも相まって、決して安寧に生きられるとは言えません。
ですから、これからは自分自身の判断をもって、変化に順応していく働き方、仕事の選択が重要なこととなってくるでしょう。
ところで、仕事をよく象徴しているマルセイユタロットのカードに「手品師」があります。
改めてこのカードを見ると、手品師がテーブルの上に様々な手品道具を広げて操ろうとしているのがわかります。
この道具類が技術や仕事そのものであるとみなすと、仕事はバラエティに富んでいることになります。いわば、たくさんの経験を象徴しているわけです。
また逆に手品師として手品を修行しているとみれば、ひとつの業種にコツコツと実践作業をしていると見ることもできます。
カードとしての「手品師」は、タロットが示唆するは霊的な道の第一歩にもなっています。
たくさんの経験をして自分のやりがいのある仕事を見つける人もいれば、ひとつの仕事を極めて、そこから自分を高次に導く人もいます。
仕事の中に、その人の霊的な道(本人に適した霊性向上の道)が隠されているのです。
過去生という概念をもし導入するとすれば、前世では職人でひとつの仕事をやってきたけれども、今生ではたくさんの職種を経験したいと転生してきているかもしれませんし、その逆のケースもあり得るでしょう。
就職は修職に通じ、転職はまた天職に通じるところがあります。
古い価値観や常識にとらわれず、あなたなりのスタイルで仕事(働き方)を選択して行ってください。
天秤の傾きに従う選択
だんだん爽やかな季節になってきましたね。学びや文化の秋でもあります。
私は現在京都新聞文化センターとよみうり文化センター神戸のカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を担当させていただいております。
両方とも10月からの新規受講生を募集しておりますので、リーズナブルに楽しくタロットを学びたい方、各センターまでお問い合せ、お申込みください。
特に神戸ではまだ余裕が大分あるようですので、お申込み人数によっては少人数でじっくりと入門編以上のことが提供できるかもしれません。
カルチャーセンターといえども、私の講座はタロットが単なる占いだけで終わるようなものではなく、自己認識や自分の人生の質を高めるツールであることをお伝えしています。この機会をお見逃しなく。
さて、昨日はバランスを取ることのいろいろな見方をお話しましたが、今日はそのバランスに注目することだけが解決ではないということにふれたいと思います。
特にいつも優柔不断になりがちなの人、あれこれ考えすぎて迷ってしまう人に聞いてほしいネタです。
だいたい何か決断できない時というのは、ふたつの選択肢、あるいはたくさんの選択肢のどれもが一長一短のメリット・デメリットがあって決められないということが多いと思います。
ここで自分の今までの人生において決断してきたこと、選択してきたことをふりかえってみましょう。
明らかに「こちらを選んでよかった」と思うこともあるかもしれませんが、反対に「ああ、あの時の選択は失敗だったな」と感じることもあるでしょう。
確かに人生最大のターニングポイント、その選択が一生に大きな影響を及ぼすということはあります。
しかしですね、トータル的に見ていけば、結局どちらを選んでもよいことも悪いことも同じくらいだったと思えてきませんか?
ですから、選択に悩んでいてもある意味、時間の無駄でもあるのです。(年齢が行けば行くほど時間の価値は高まり、スピードを上げねばなりません)
どちらを選んでもおそらくいいと思えることと悪いと感じることは、あとで考えればフラットで平均化されていると想像できます。
とはいえ実際には悩んで迷ってしまうのも人間です。
そこでこう考えてみます。
選択は天秤にかけることだけではなく、どちらかをあえて切って落とすものであると。
いわば、自分からどちらか一方(どれか1つの)の選択肢に向かってなだれ込んでいくという方法です。わざと天秤を傾けてしまうと言ってもいいかもしれません。
でも、「それができないから困っているんだよ」と思われるでしょう。しかし一端自分からバランスを極端に崩せば、自然の摂理でそのバランスを回復させるための働きが生じてきます。
選択が仮に間違っていたとしても、大元のバランスは調整されてくるのです。つまり、自分にとって悪い選択であっても、俯瞰した目で見ると、よい方向に戻してくれるようになるということです。
ということはスピードを持って決断すればするほど、その選択が結果的に間違いであっても、早く決断した分バランス回復の速度も速くなるということです。
人生、取り返しの付かないこと(選択)というのは、冷静に考えればほとんどありません。
あるとするのならば、誰が見てもわかる選択と言いますか、いわば「猿でもわかる」ような悪い選択です。
猿ではなく(笑)、普通の人間が悩むというのは、それだけプラスとマイナスが両方同じくらいあるということですから、よく考えればどちらでもよいことになってくるわけです。
であるならば、自分から天秤の一方に向かう方法はスピード化の観点からも有用だということです。
この極端に天秤を傾ける選択方法、あるいは天秤の量り自体の一方を切って落としてしまうような選び方は、物事に熱中して全体が見えなくなってしまっている人に取らせる行動にも似ています。
「後に引けないなら、逆に納得するところまでのめり込んでみる」という方法にも近いですね。
これは一見悪いように見えますが、固着した状態から脱却するための手段でもあるのです。
恋愛問題ではよくあることですが、周りから見るとよい恋愛ではないように見えていても本人は感情的に燃え上がっていますから、「そんな人はやめなさい」と言われても言うことは聞けない状態になっています。
このような場合は傾いた天秤から逃げるのではなく、むしろ傾きに自ら飛び込んでいくことで傾きが極点を迎え、その反動で天秤が今度は逆方向に揺り戻されるかのようになることがあります。
先の恋愛の例でいえば、恋に飛び込んだがためにあとで身をもって傷みを知る、恋の火傷をして気付くみたいなことになります。
これも自然のバランス回復(てこが戻るようなもの)の働きと言えます。
この方法は少し危険性もありますが、どうしても抵抗できないものがあるのなら、あえて飛び込んでみるのも、逆説的ですが、その状態から抜けるためのひとつの手ではあるのです。
いずれにしても、選択できていない、決めていないということに精神エネルギーが非常に浪費されますので、何にしろ決めてしまうこと、決着をつけることが重要です。
そうして滞っていたエネルギーと事態が動き出すのです。
行為と本当の目的
昨日、久しぶりに釣りに行きました。
船で沖まで出ましたので、昼の強烈な日光で日焼けしてしまい、鼻が赤いです。(笑)
魚はまあまあ釣れたのですが、どうも昔ほどうれしくないというか、釣り自体に情熱をかける気持ちが少なくなってきたように感じています。
それで自分で「なぜなのだろう?」と考えてみました。
するとどうやら私は「釣りそのものを楽しみにしていたわけではない」とわかってきました。
いや、昔は確かに釣り自体を喜びとする気持ちもあったと思います。
しかしながら今は、日常とは異なる空間や雰囲気、釣り友との語らいや共有する時間に楽しみと喜びを見出していたことに気づいたのです。
ですから魚が釣れてもあまりうれしくなかったのです。言ってみれば釣果のよしあしは、ほとんど関係なくなっていたのですね。
長々と私と釣りの話をしていますが、これには意図があります。
実はほかの皆さんも、これと似たようなことを行ったり感じたりしているのです。
それは自分のしていること、好きなものなどが、実はそれ自体には(では)ないという驚くべき事実です。
たとえば、占いを学びたいと勉強していても、果たしてあなたは占いが本当に好きなのかどうかということであり、占い師になりたいわけではないこともあるでしょう。
本当は「学んでいる私自身が好き」「知的好奇心を満たしたいだけ」「学びの友との時間が気に入っている」「真理の探究が本当の目的」などということかもしれないのです。
また私の釣りの例でもわかるように、最初はやっていること自体に興味や関心・目的があったとしても、徐々に気持ちが変わっていくことがあります。
それは別に構わないことですが、ここでのポイントは、「目的と行為が=(イコール)でなくなってきた場合は、その行為自体に代わるものもある」ということであり、「何が何でもその行為でしか目的をかなえることができない」とは思わないことです。
そして以前熱中していたことが、今はそれほどでもないということならば、自分の熱意・若さが失われたということよりも、心の変化が当たり前であることを思い、むしろ成長や拡大がなされて、より客観視できるようになったと考えてもよいでしょう。
「熱中」はその場に入り込むこと、つまり我を忘れることで出てきますから、我を忘れない冷静さがあれば、自然、熱中は起こらないといってもいいでしょう。(もろちん熱中することが必ずしも悪いわけではありませんが)
皆さんも、本当は何を求めてその行為をしているのかを考察すれば、人生に効率をもたらすことができるかもしれませんので、一度確認してみてください。
自分に空しさを感じる時
人は誰でもひどく落ち込むようなことがあった時、失敗したと感じた時には、やはり空しくなる瞬間というものはあります。
ただ特別そういうことがないのに、なぜか無性に空しくなったり、ふいに寂しくなったりする時もあります。
確実に「これだ」と特定できるわけではありませんが、その理由のひとつにはやはり人と自然に流れるサイクルにあると感じます。
上昇もあれば下降もあり、そういったいわば波のようなリズムを伴うのが宇宙全体と個々のリズムです。
その時、極点(上と下)にある時は一瞬止まっているようになりますし、極点に近づけけば近づくほどスピードが遅くなるイメージができます。
言ってみれば停滞した(しつつある)ような感じでしょうか。
逆にその部分はまだ固定に至っていないので、妙な不安感を覚えるのもこのタイミングなのかもしれません。
このスパンにいる時、人は理由のないざわつきや恐れ、虚しさを感じるとも考えられます。
またもともと人は生への衝動(性への衝動でもある)と死への衝動(これも性と関係します)を併せ持つ生き物です。(マルセイユタロットの「恋人」カードに描かれています)
自身の魂の揺さぶり、向上、変容を求める時、あるいはそうした事象に遭遇する時、人は自らを統合へ・一体へというような方向に意識を向けていきます。
簡単にいえば個としての自分から、全体として(最少局面では相手と)の気持ちが強くなるということです。
これが実は自分の消滅ということにつながるのです。
個の消滅という観点では、いわゆる宇宙と一体化というような、究極的な上昇方向の統合(天に還る方向)もあれば、自身を物理的な意味で消滅させる破壊・崩壊としてのもの(土に還る方向)もあるのです。
どちらも自分が消えることにより、逆に別の大きなものへと一体化されるという点では同じと言えましょう。
結局何が言いたいのかといえば、空しさ・虚しさを感じているというあなたの中には、「一体化したい」「統合化したい」という思いが募っており、それが満たされないことに理由があると考えられるのです。
究極的には陰陽と呼ばれる両極のエネルギーのアンバランスさにあります。
そして実は、その一体化・統合感を人間の現実レベルにおいてもっとも味わえるのは、男女間のふれあいなのです。それゆえ、男女の営みは時には寂しさを埋めるのに利用されます。
ところがそれはたいてい奪い合いの低次でいびつなものであるため、本当には満たしあえることができず、逆に虚しさを助長させます。それどころか心理的・肉体的・霊的にもダメージを与え合うことになります。
もちろん男女としてではなく、世の中には陰陽エネルギーを体現しているものは至る所にあります。それが宇宙のバランスと表現でもあるからです。
自分に空しさを感じているのならば、バランスが何か崩れているのではと疑ってみることと、反対に波のリズムを思って自然に任せ、あまり考えすぎないことも大切です。
タロットカードのレベルの違い
マルセイユタロットにはそれぞれ個々のカードに次元・レベルがあるという考えと、すべてのカードは等しいというものとがあります。
私はこれをふたつとも自分の思考と方法論に入れています。(講座でも解説しています)
ただ誤解してはならないのは、カードに吉凶があるという考え方です。
もちろんそうした方法(吉凶で見るやり方)もあり、それはそれで間違いとは言えません。タロットは自由に発想し、使えることのできるツールだからです。
カードには吉凶があるのだと自分が思って使えばその通りの使い方ができ、むしろ結構占い的には当たるかもしれません。
ただその弊害については今までもこのブログで語ってきたところであり、あまり私はお勧めする方法ではありません。
それでも、吉凶ではなく、カードに次元やレベルがあるのだというとらえ方は場合によってはありだと考えています。
大きくわければ大アルカナ>小アルカナ。
大アルカナでも愚者を除いて数が大>数が小という区別です。
こうした時、必然的に大アルカナの10以上の数は次元が上がることになり、それらのカードが出る時は何か大きな意味合いを持つと見ます。(くれぐれも、「いい悪い」とは見ないということは覚えておいてください)
単純に言っても次元が上のものを天とし、下のものを地として見ていくと、思考や精神、もっというと霊性と物質的なもの、あるいは具体的なものに分かれるとも考えられます。
物質次元や具体的なことで悩んでいることは、意外に思考や精神を変えると解決する場合があります。
その逆に精神的なこと、思いや考えで迷っている時は、現実的な選択や行動を取ると案外と物事が動き出すことも多いものです。
この「上」的な、「天」的な思考、精神、時には霊性に気づき、促すのが先述した大アルカナの数の高いカードとなるのです。(カードに次元を取り入れる方法の場合)
従って、リーディング時にもこのようなカードが複数出る場合は、やはり高いレベルでの考えが求められているのだと思ってよいでしょうし、実際にカードからそのエネルギーや波動のようなものを感じることすらあります。
波動やエネルギーという話を抜きにしても、言ってみればこれは「概念」を上げていくということと同じです。
たとえば友人との些細なトラブルで悩んでいたら、先日の東日本大震災が起こって、もうそんなことは日本全体のこととからすれば、取るに足らない問題に思えてきたというようなことです。
同じこと(枠内)でくよくよと悩んでいる場合は、この「概念を上げる」ということを行うだけで解決策が見つかる場合が多いです。少なくとも気持ちが楽になります。
その際、大切なのが高い数を持つタロットカードが象徴する事柄なのです。
それゆえ、実は高い数を持つカード読み方は難しい場合もあります。抽象度が上がるからですね。
しかし、それだけ解決や調整能力も高いものがあるのだと思えば、カードを読み解いていくことも楽しくなってくるでしょう。