迷った時に
三日坊主、頭でっかち。
数年前から書店に、「○○の法則」「○○でやれば、うまく行く」などといったタイトルものが並ぶようになりました。
これはビジネス的にもそうですし、精神世界系でもそうですね。
それでこうした本を含めて、新しく出たノウハウ・ハウツー的な本を読み、そこに書いてあることを身につけようと私たちはします。
しかしたいていの人はある本に書かれてあることを、ずっと今でも行っているという方は少ないのではないでしょうか。
確かに知識や情報としては入れていると思います。ただ、その方法なりを継続して実行しているかと問われるとどうでしょうか?
一回、あるいは数回やってみたけれど効果があるのかどうかわからず、そのままやめてしまった、いいとは思ったものの、面倒くさくなっていつしか止めてしまった・・・などなど、こういうパターンの人は多いのではないかと思います。
そうしてまた新たに出た法則本や情報に飛びつき、「これは良さそう」と試してみる。けれども再び飽きて止めてしまう、そしてまた・・・という繰り返しにたくさんの人がなっているかもしれません。
「今度こそ自分に合った方法が見つかる」「簡単で楽にできそうなものはないかな・・」などと思って探求している人もいるでしょう。そうした人は毎度毎度「ハズレ気分」を味わっているのではないかと想像します。
こういうことを続けていると、一生そのままということもありえます。本や情報ばかり買い続けて「実(じつ)を得ない」となれば、出版側・提供側から見ればいいカモとなります。
個人的な感想ですが、今まで出た本、現在出されている情報などでも十分に自分を変えたり、成長を実際にもたらせたりすることが可能だと思います。
今後はいろいろな情報を入れていくよりも、むしろ少数の技法や情報に絞り、それを信じてコツコツ継続的にやり続けることが大事ではないかと思います。
問題は絞るものをどれにするかということですが、実のところ、ほとんど同じ事を別の表現でしているに過ぎないということに気がつくことが大切で、どれでもよいとさえ言えます。
自分が気に入ったもの、縁があったものを選べばよいのです。
たとえば私がやっているタロットがありますが、その真理的な内実は、占星術でもカバラーでも根本は同じだと言えます。
これら全部学ぶ必要は必ずしもなく、どれかひとつを深く極めていくと目指すべきものにたどり着けるようになっています。それは頂上が同じだからです。ただ登る道が違うのです。
あと、これまでのようにあえて新しい本を読み続けたり、情報を入れ続けたりする方法もあります。これでは言っていることと矛盾するのではないかと思われるかもしれませんが、そうではありません。
こちらの方法は様々な情報や知識を仕入れることで、それらを比較検討し、結局のところ本質を別の表現で示している事を確認することができるのです。
たくさんの人が違う形で同じことを言っているのなら、そこから浮かび上がる「同じ事」というのが真実に近いだろうという判断になるからです。
とはいえ実行すること、継続することはどんな場合でも大切だと思います。「知ったかでいること」は一番危険です。
あなたは単に知的好奇心を満たそうとしているのか、本当に自分の成長や拡大を現実として可能にさせたいのかを今一度見極め、目的意識をはっきりさせて情報を入れ、学習することです。
人生での効率と無駄の視点
人生には大きな意味で無駄はないとよく言われます。
その一方で、この世での命と時間は有限なのだから、価値ある人生にするためには、無駄なく・効率よく生きていったほうがよいという考え方もあります。
私自身はどちらも真であり、またどちらでもないと思っています。
局所的に見れば効率が重視されることが多くなりますが、全体的に見れば果たして無駄をなくすことがいいのかどうか、難しいところとなってきます。
結局、無駄(自分にとって役に立たないもの)の概念・定義が明確ではないところが問題であり、効率か無駄かを選択するのを困難にしていると言えましょう。
たとえば、「お金を増やす」といテーマにひかれて、そのセミナーに出たとします。
ところが内容は思っていたよりも抽象的で、精神論やお金に対する自分の思い、心理的なことばかり解説されて、自分はもっと利回りのよい投資商品や株のポイントなど知りたかったのになんだか失敗した、時間を無駄にしたと感じます。
とはいえ、お金と心が関係しているなんて思ってもみなかったため、それから物事と自分の心について考えるようになり、ついには長年の問題であった親との関係を改善することにも成功したということであれば、そのセミナーの時間は無駄ではなかったと言えます。
いやむしろ、スピリチュアル的にいえばセミナーは恩恵であり、魂の選択であったとも考えられます。
つまりですね、現実的に、あるいはその時点やレベルでは無駄だと思っていたものでも、別の視点を得たり自分のレベルが上がったりすれば、無駄ではなく意味をもってくる場合もあるということです。
目的地を目指してまっしぐらに走ることは確かに一番効率よく速いのかもしれませんが、それはただ「走りきった」というだけに終わるかもしれません。
時にはゆっくり歩いて、道横の草むらに入り、花や虫を観察して驚いたり楽しんだりすることは、目的地に到達するという意味ではまったくの無駄ですが、到着時間は遅くなってはいるものの、楽しかった道のりを思い起こすことができ、思い出はたくさんできます。
同じ道を通ってきたのに、ただの道になるか、まさに「色々な」カラーを持つ道になるのか、本人次第です。
ここで問題なのは、「目的地に到着する」ということが本当の目的ならば、効率が求められるということです。道草を食っている暇はないのです。
反対に、「目的地に到達すること」が建前というか、一応目的ではあっても表向きのもので、真の目的は「道程を楽しむ」ということであるならば、ゆっくり見物しつつ目的地に着くほうが「目的に適っている」ということになります。この場合は真の目的に気付くかどうかが大切になります。
しかしこのように真偽や多重の目的が存在しているようなケースでは、(表の)目的達成の効率を考えない方がよいですが、裏も表もなく、ただひとつの目的があるという場合も普通にあります。
その場合は目的に対して無駄(なもの・行為・思考)という概念は発生することになります。
言ってみれば局所的、場面的にはやはり無駄はあるのだと考えられます。
そしてもうひとつ、先述したように、無駄を無駄としないため、あるいは、無駄を意味あるものへ・有効なものへと変化させるためには、自分のモノの見方自体が今より変わる必要があるのです。
それは横と縦の方法があり、横は幅広い考え方、立場の異なるモノの見方を獲得することであり、人との交流、いろいろな場所へ出かけること、知識と経験を増やすことなどによって可能です。
縦の方法とは自分のレベルを上昇させることで、横の方法をしていくうちに自然に縦にもつながっていくことが多いです。もしくは象徴やシンボルを通じて物事を把握したり、統合化したりしていくことで少しずつ上がっていくと考えられます。
制約ある人生の中で、あなたはどうするか。
人は亡くなる前に大きく後悔することが三つあると統計的に言われています。
ひとつは「伝えたいことが伝えられなかったこと」、そしてもうひとつは「行きたいところに行けなかったこと」で、最後は「やりたいことができなかったこと」です。
ということは、「伝えたいことは伝え」「行きたいところは行き」「やりたいことはやれば」よいわけです。(笑)
ところが、私たちは一人で自由に何でもしてよい環境に生きているわけではありません。
前述の後悔が亡くなる前に出るのも、生きている間にはいろいろなしがらみ、思い込み、制約、条件などがあり、行いたくても行えない事情があったからでしょう。
人生をただ起こるがままに任せていたら、生きている時に発生する、もしくは囲まれている諸条件によって、自分の欲求や願いをかなえさせることに自然にセーブがかかります。
極端なことを言えば、「人生は思うようにならないことが当たり前だ」と何事もあきらめの心境で過ごします。
しかしながら、人生や世界をひとつのゲームだとたとえれば、そういった制約や条件の中で、いかに自分の願いや欲求を叶えさせていくかが試されているフィールドだと考えることもできます。
ですから起こるがままに任せる(事柄・事件に反応するだけの)人生ではなく、知恵・情報を獲得しつつ、うまく立ち回って自分(の思い)を出したり、実現させたりするほうが賢明で楽しいとさえ言えます。
愚直にまじめに生きるといえば聞こえはいいですが、それはある面、せっかくの楽しみを自ら捨てているのと同じだといえます。ちなみに誠実に生きることと、すべてをうのみに信じてまじめに生きることとは違いますので注意してください。
さてこうした考え(賢く楽しく生きるとするもの)に立てば、たとえばどこかに旅行したり、出かけたりすることを計画する場合でも、ただ行きたいところへ行くというのでは人生ゲームを楽しんでいるとは言えません。
もちろん行きたいところへ行ける条件が整っている(予算・日程・体力など)場合はそれでOKです。
しかし、一例でいえばもうすぐGWですが、行きたいところがあったとしてもこの時期にわざわざ行くのはお金も余分にかかりますし、混雑も予想され、いろいろと効率が悪いと言えます。
そこで知恵や情報を使い、この時期でも効率よく行きたいところへ行って楽しめる方法はないかとか、GWでも混雑を避けられる「別の行きたいところ」はなかったかと検討し直すこともできるでしょう。
また、やはりこの時期をずらしたほうがより楽しめるとなって、それならば休暇を取る計画と仕事を調整しようと試みることもできます。
ほかにも、お金を増やすということをテーマにすれば、ただひとつの仕事を、雇われるだけでまじめにこなして給料をいただくという行動だけでは、なかなか増えないのは明白です。だからといって犯罪をすればこの世界のルールで逆に損です。負けなのです。
そこでまた知恵と情報を駆使して、負けではない別の方法を考えるわけです。
自分の欲求に従って、そのまま無計画・無自覚に衝動的に行動するのと、何も考えず、起こるに任せてコントロールされた意志のないロボット・奴隷のように生きるのは、もっとも人生で避けたい生き方です。
与えられたもの、条件・制約の中でも自分の欲求と意志をどうコントロールし、実現させていくかを考え行動していくことに、人生のひとつの楽しみがあると言えましょう。
今の仕事が嫌な人へ。
仕事の相談でよくあるのが、転職のことです。
転職の悩みと言ってもいろいろとありますが、その中で問題となってくるのが、「今の職場が嫌だから別のもの(職場)に変わりたい」というものでしょう。
これはいわば逃避ですので、世間一般からは「辛抱が足りない」「もう少し頑張ってみればいいのでは?」と言われることが多いでしょう。
昨今の厳しい雇用情勢をみれば、そう言われるのも仕方のないことろもあります。
ここでまず考えなければならないのは、何が自分にとって嫌なのかということです。
仕事の内容なのか、職種なのか、人間関係なのか、通勤場所なのか、勤務態勢や就労時間・休日に関することなのか、あるいはその複合なのか・・・などよく分析してみる必要があります。
細かく分析すれば、案外、解決方法が見つかることもあるからです。
たとえば人間関係で問題となっているのなら、配置転換によって別にその職場を辞めなくて済む場合もありますし、仕事内容が嫌でも、その職場での担当を変更してもらえればなじむこともあるでしょう。
とにかく嫌だからすぐ辞めるというのは、明らかに早計であることがわかります。
しかしながら、いろいろと手を尽くしても、または今後自分の雇用環境がその職場では変わりそうもないという時は、辞めることも選択肢のひとつです。
あまりに悩みすぎて迷い、心身が故障してしまうより、さっさと転職してしまったほうが早道のこともあるからです。
仕事を変えたい、辞めたいと言った場合、目上の人や親からのアドバイスを受けることが多いと思いますが、すでに現在の社会状況はかなりのスピードをもって変転していることを考慮に入れなければなりません。
もちろん経験による蓄積がある年長者の助言も耳を傾ける必要はありますが、親世代でさえ、もう古い価値観や考え方になっていることがあることも認識すべきです。
以前の日本ではひとつの会社に入ればその会社に忠誠を尽くすかのように一生働いていれば、勤務中も退職後も比較的安泰と言える時代でした。
ところがすでにそのような状況にないことは、誰の目にも明らかです。
公務員でさえこの厳しい財政状況と人事評価の厳格さも相まって、決して安寧に生きられるとは言えません。
ですから、これからは自分自身の判断をもって、変化に順応していく働き方、仕事の選択が重要なこととなってくるでしょう。
ところで、仕事をよく象徴しているマルセイユタロットのカードに「手品師」があります。
改めてこのカードを見ると、手品師がテーブルの上に様々な手品道具を広げて操ろうとしているのがわかります。
この道具類が技術や仕事そのものであるとみなすと、仕事はバラエティに富んでいることになります。いわば、たくさんの経験を象徴しているわけです。
また逆に手品師として手品を修行しているとみれば、ひとつの業種にコツコツと実践作業をしていると見ることもできます。
カードとしての「手品師」は、タロットが示唆するは霊的な道の第一歩にもなっています。
たくさんの経験をして自分のやりがいのある仕事を見つける人もいれば、ひとつの仕事を極めて、そこから自分を高次に導く人もいます。
仕事の中に、その人の霊的な道(本人に適した霊性向上の道)が隠されているのです。
過去生という概念をもし導入するとすれば、前世では職人でひとつの仕事をやってきたけれども、今生ではたくさんの職種を経験したいと転生してきているかもしれませんし、その逆のケースもあり得るでしょう。
就職は修職に通じ、転職はまた天職に通じるところがあります。
古い価値観や常識にとらわれず、あなたなりのスタイルで仕事(働き方)を選択して行ってください。
天秤の傾きに従う選択
だんだん爽やかな季節になってきましたね。学びや文化の秋でもあります。
私は現在京都新聞文化センターとよみうり文化センター神戸のカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を担当させていただいております。
両方とも10月からの新規受講生を募集しておりますので、リーズナブルに楽しくタロットを学びたい方、各センターまでお問い合せ、お申込みください。
特に神戸ではまだ余裕が大分あるようですので、お申込み人数によっては少人数でじっくりと入門編以上のことが提供できるかもしれません。
カルチャーセンターといえども、私の講座はタロットが単なる占いだけで終わるようなものではなく、自己認識や自分の人生の質を高めるツールであることをお伝えしています。この機会をお見逃しなく。
さて、昨日はバランスを取ることのいろいろな見方をお話しましたが、今日はそのバランスに注目することだけが解決ではないということにふれたいと思います。
特にいつも優柔不断になりがちなの人、あれこれ考えすぎて迷ってしまう人に聞いてほしいネタです。
だいたい何か決断できない時というのは、ふたつの選択肢、あるいはたくさんの選択肢のどれもが一長一短のメリット・デメリットがあって決められないということが多いと思います。
ここで自分の今までの人生において決断してきたこと、選択してきたことをふりかえってみましょう。
明らかに「こちらを選んでよかった」と思うこともあるかもしれませんが、反対に「ああ、あの時の選択は失敗だったな」と感じることもあるでしょう。
確かに人生最大のターニングポイント、その選択が一生に大きな影響を及ぼすということはあります。
しかしですね、トータル的に見ていけば、結局どちらを選んでもよいことも悪いことも同じくらいだったと思えてきませんか?
ですから、選択に悩んでいてもある意味、時間の無駄でもあるのです。(年齢が行けば行くほど時間の価値は高まり、スピードを上げねばなりません)
どちらを選んでもおそらくいいと思えることと悪いと感じることは、あとで考えればフラットで平均化されていると想像できます。
とはいえ実際には悩んで迷ってしまうのも人間です。
そこでこう考えてみます。
選択は天秤にかけることだけではなく、どちらかをあえて切って落とすものであると。
いわば、自分からどちらか一方(どれか1つの)の選択肢に向かってなだれ込んでいくという方法です。わざと天秤を傾けてしまうと言ってもいいかもしれません。
でも、「それができないから困っているんだよ」と思われるでしょう。しかし一端自分からバランスを極端に崩せば、自然の摂理でそのバランスを回復させるための働きが生じてきます。
選択が仮に間違っていたとしても、大元のバランスは調整されてくるのです。つまり、自分にとって悪い選択であっても、俯瞰した目で見ると、よい方向に戻してくれるようになるということです。
ということはスピードを持って決断すればするほど、その選択が結果的に間違いであっても、早く決断した分バランス回復の速度も速くなるということです。
人生、取り返しの付かないこと(選択)というのは、冷静に考えればほとんどありません。
あるとするのならば、誰が見てもわかる選択と言いますか、いわば「猿でもわかる」ような悪い選択です。
猿ではなく(笑)、普通の人間が悩むというのは、それだけプラスとマイナスが両方同じくらいあるということですから、よく考えればどちらでもよいことになってくるわけです。
であるならば、自分から天秤の一方に向かう方法はスピード化の観点からも有用だということです。
この極端に天秤を傾ける選択方法、あるいは天秤の量り自体の一方を切って落としてしまうような選び方は、物事に熱中して全体が見えなくなってしまっている人に取らせる行動にも似ています。
「後に引けないなら、逆に納得するところまでのめり込んでみる」という方法にも近いですね。
これは一見悪いように見えますが、固着した状態から脱却するための手段でもあるのです。
恋愛問題ではよくあることですが、周りから見るとよい恋愛ではないように見えていても本人は感情的に燃え上がっていますから、「そんな人はやめなさい」と言われても言うことは聞けない状態になっています。
このような場合は傾いた天秤から逃げるのではなく、むしろ傾きに自ら飛び込んでいくことで傾きが極点を迎え、その反動で天秤が今度は逆方向に揺り戻されるかのようになることがあります。
先の恋愛の例でいえば、恋に飛び込んだがためにあとで身をもって傷みを知る、恋の火傷をして気付くみたいなことになります。
これも自然のバランス回復(てこが戻るようなもの)の働きと言えます。
この方法は少し危険性もありますが、どうしても抵抗できないものがあるのなら、あえて飛び込んでみるのも、逆説的ですが、その状態から抜けるためのひとつの手ではあるのです。
いずれにしても、選択できていない、決めていないということに精神エネルギーが非常に浪費されますので、何にしろ決めてしまうこと、決着をつけることが重要です。
そうして滞っていたエネルギーと事態が動き出すのです。
