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無料メールリーディングの募集(講座課題用)

先日予告しておりました、東京での講座受講生によるライブリーディングは、諸般の事情で行わないことにいたしました。

その代わり、その講座用に、受講生の課題となりますリーディングの問い(ご質問)を募集させていただきたいと存じます。

リーディングは受講生がチームで行いますが、私も監修し、送信(リーディングのお返事)自体も当方がさせていただきます。(メールリーディングの形になります)

もちろん、無料ですし、今回は気軽にご応募いただくため、ハンドル名とか、匿名(何かお名前はつけてください)でもOKといたします。本名でも当然構いません。(本名のほうが心理的アクセスが取れますので、内容にリンク性が強まります)

受講生も、すでにプロとして活動されている方もいらっしゃいますし、皆さん、真剣にリーデイング技量のアップに努めていらっしゃる方々ですから、簡単なものには終わりません。

メール上ではありますが、マルセイユタロットのリーデイングの体験という意味でも、よい機会かと思います。どうぞ、ご質問をお寄せいただければと存じます。

ご応募は下記の要領にてお願いいたします。

◆講座用メールリーデイング ご質問募集

●募集枠 2名 先着順

●ご応募

こちらから、お名前とメールアドレスとともにお願いいたします。

※リンク先のフォームはどの項目から送っていただいても届きます。

お名前は本名でなくても構いません。(ただし、無記名ではなさらないでください)「講座用メールリーディング」ご応募の旨、お書き添え願います。

先着順で2名受付け、その方たちに決定のお知らせをすぐにお返事いたしますので、その後、タロットリーディングをしてもらいたいご質問をお書きいただき、メールでお送りください。

その際、ご質問はなるべく詳しくお願いいたします。(情報によって、リーディング精度の現実性と具体性が上昇します) 

●ご返信(結果の送信) 

リーディングは14日と15日にかけての講座にて行い、それをまとめたうえで、月末までに、タロットの展開図も添付して、結果をお送りさせていただきます。

以上、よろしくお願いいたします。


「手品師」に見る現実世界への移行

まずお知らせです。近いうちに告知いたしますが、東京で現在、タロットリーディングの技術を向上させる講座をしております。

その実践体験として、受講生によるリーディングを受けていただく方を募集したいと考えています。受講生がリーディングをいたしますが、あとで私も監修し、アドバイスをお送りさせていただきます。料金的にもワンコインくらいを予定していますから、タロットリーディングを受けてみたい関東の方、後日のお知らせをお待ちください。

さて、今日、浮かんできたタロットは「手品師」を中心に、二枚ほどありました。

それらの関連性から、精神的なことより、現実的な話になります。

私たちが肉体をもって生まれてきている以上、物質的なもの、目に見えるものでの体験と実感は避けようがなく、まただからこそ、(体験として)必要あるものと考えたほうが、理屈が通ります。

一方で、だからと言って、物欲に邁進すること、物質的なものがすべてと断定してまう生き方も問題と言えそうです。逆説的には、反対の、精神や目に見えない霊的なものへの関心・重要性も示唆している(そのことを、逆説的に実感させられるようになっている)と考えられるからです。

しかし、やはり、この現実の世界で生きるということは、何らかの形、モノ、成果を出すことが求められているようにも思います。それが何の目的かはわからないにしても、私たち一人一人、そして人類全体の学びや成長の一環であることは想像できます。

マルセイユタロットの大アルカナで、最初の数「1」を持つのは、「手品師」のカードです。

彼は大道芸を披露しており、それにはテーブルと芸事(手品)の道具が用意されています。

つまり、彼の何らかの思いや意志は、実際に目にすることのできる(形ある)テーブルや道具類によって表現されているのです。

逆に言えば、目に見えない領域の表現と実現は、まずは自分で形として見せることが必要であるとも言えます。

おそらく、彼(真の手品師)の本当の意志は、この手品を見せることや、芸そのものではないと思います。

いや、この「手品師」自体は芸をする(披露して金銭を得る)ことが目的かもしれませんが、この「手品師」を見ている者、すなわち、カードを見る私たち自身の思いは、もっと高次にあると考えられます。

実は、タロットを見る場合、この「メタ(上部)構造」が非常に重要なのです。

カード(の人物)そのものが表す事柄と、カードを見ている私たち自身がカード(の人物)となって考えること、感じること、これらが統合されて、複雑かつ、ある種のインスピレーションが起きてくるのです。

これは、言っておきますが、カードへの心理的投影というものとは違います。(ここが決定的に、心理カードの類のものと、マルセイユタロットとの違いなのです)

「手品師」を例に取ると、手品師自体がやっていること・思っていることと、自分(カードを見る者)が手品師を観察することで、内奥に息づく「手品師」の真意というものが、自分の中に芽生えてくる(真の「手品師」の自覚)という構造に気づくことが重要なのです。

言い換えれば、タロット全体から見た「手品師」の意味と位置と、「手品師」のカード単体で見ることの違いであり、「手品師」の手品師自身は、自分が思う「今」そのものの関心(つまり大道芸そのもの)を見ており、「手品師」を見る私たち自身は、「手品師」を通して私たちに起きる超越的な意識と、到達する大きな意識の段階のひとつを見ることになります。

最初に戻りますが、これらの考察から、私たちが現実で生きているこの時空間では、自分の思い(理想や意志)は、実際の行動や形として表して初めて、現実世界に出現してくるのだということです。

とはいえ、何も、いきなりの完成や完全を実現させなくてもいいのです。

そこは、今の自分レベルのバランスと能力・資力に応じて、やれる範囲でやってみるとよいのです。

例えば、ミニチュアや予祝(あらかじめ祝うように、形式行為をする)という概念があります。

家を建てたいと思えば、実際の家のミニチュアモデルを作る、結婚がしたいならば、結婚生活(ペアを意味します)のための食器や道具を先に祝福するように用意する、癒しの仕事をしたいのなら、スモールな範囲と金銭での実践を楽しくしてみるなどです。

大切なのは、理想や完全のそれではなくても、また規模が小さくても、どれも現実(実際)に形として現れていること(表すこと)です。

虚空からエネルギーを、形として表現しはじめると言ってもよく、それは意図をもった実際の行動でもあります。

自ら、エネルギーと精神(目に見えないもの)に、鋳型としての現実的な道を作る(形、物質の基礎を作る)わけです。

(魔法の)儀式的には、生け贄や四大元素を象徴するものを置くことはありますが、そういう魔術的なことはしなくても、皆さんが普通に現実でも、魔術(マジック、しかしそれはタネがあるもの、言い換えれば理屈や秩序があるもの)が可能なことが、マルセイユタロットの「手品師」から推し量ることができます。(ウェイト版では、逆に魔術的なことが強調されている絵柄です)

じっとしていて、ただ希望や願望を思うだけでは、なかなか現実として、うまく行かないでしょう。精神やイメージだけの世界ではなく、現実・形・物質の世界にいるのが私たちだからです。

タロットに関心のある人は、やたらと精神世界や、過度のスピリチュアルに目が行きがちですが、こと、マルセイユタロットをきちんと見ていく限り、現実逃避とはならないはずなのです。


年の初めに行うタロット。

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

さて年始ともなりますと、巷では、今年一年を占うようなことが目立ってきます。

それはそれで面白いもので、今年がどんな年になるのか、全体として見るのもいいですし、個人的なものを占ってみるのもよいでしょう。

ただ、新年に目標を立てるというのと同じで、せっかく一年を占ったり、今年のテーマを(タロットなどで)見たりしても、いつの間にか忘れている場合が少なくありません。

お遊び感覚でやるのでしたらいいのですが、真剣に行う場合は、やはり、タロットの場合ですと、出たカードの記憶はもちろん、展開図を記録したり、その時リーディングしたものや、感じたものを文章に書き留めておくなどしておいたほうがいいでしょう。

つまりは検証作業が大事だということです。

ここで間違えてはいけないのは、タロットの出た通りだったか否かという正誤(当たりはずれ)を見るのではなく、何をタロットは言おうとしていたのかということや、タロットを展開したことで、その象徴をもとに、自分が(自らの人生)を創造的に作りあげることができているか、うまく内外の調和など、タロットの示唆を活かすことができているのかということを検証するのです。

アテモノで見ている限り、当たりか・はずれかの次元(どちらかが良くて、どちらかは悪いという白黒の)価値観と世界観に留まり続けることになります。(その世界観が好きな人は、別にそれでよいのですが)

それからタロット関係で、新年によくやるのは、数秘的な意味を「年」に重ねて読むケースです。

例えば、2017年は、全部数字を足すと、合計「10」になりますから、10のカード(たいていは大アルカナでは「運命の輪」)の年であると単純に見てしまう方法です。

注意したいのは、タロット、特にマルセイユタロットは、タロット固有(タロットそのもの)での象徴体系があり、数秘的なものとは別であるということです。

タロットはあくまで絵柄を中心としたもの(象徴)であり、タロットにも確かに数字(数)がついていたり、関係したりはしますが、数そのもので象徴しているものではない(数がすべてやメインではない)ことに留意すべきです。

しかしながら、こうも言えます。

すでに自分の中で、タロットと数が強く結びついている場合、逆に、その数を見ればタロットが自動的にイメージとして浮かんでくる状態となっており、つまりは、その人にとっては、もうその数はタロットそのものになっている(数からタロットの絵柄のイメージを出現させている)のですから、その意味では、「ある数」はその数を持つタロットの意味だと言ってもよいわけです。

ですから、2017年の場合、「2」と「1」と「7」という数の構成を見て、それぞれその数を持つタロットで推し量ることもできれば、合計して数の本質を見るやり方で、「10」として「運命の輪」であったり、そのまた数字根として「1」の「手品師」を見たりするのもありで、さらに「20」と「17」にわけて、「審判」と「星」を見るということもできるでしょう。

繰り返しますが、タロットの象徴と数の象徴は、重なることはあっても別体系ですので、上記のような考察は、あくまで、数とタロットが自分の中で深く結びついている(言い方を換えれば、数がタロットカードとしてリアリティある状態になっている)人に適用できるものです。

2017年が、仮にタロットの「審判」と「星」の象徴とした場合、ふたつのカードの共通性から、高次のメッセージが必要な人に届くような印象があります。

さらには、母胎(これは育まれる穏やかな環境ということも言える反面、自分が守られすぎて、ダメになったり、押し込められ、束縛されたりしている環境とも言えます)から、起きあがる、自立する、覚醒する、内から外に出さされる・・・というイメージも出ます。

その前には「清めの水」も浴びること(キリスト教的に言えば「洗礼」)が必要となるかもしれません。

さて、新年のお年玉プレゼントとして、ショート(一言的なものになります)メールリーディングを、無料で1名様に提供いたします。(今回は、ささやかに告知します(笑))

募集は1/3(火)中まで。複数のご応募があった場合は、タロットによる抽選を行います。リーディングの量的には数行のものですので、あまり期待しないでください。(苦笑)

ご応募はこちらから。

「新年ショートメールリーデイング希望」と書いてご応募ください。本名、もしくは、普段、対外的(営業的)に使われているお名前でお願いします。

当選者には、こちらから後日連絡いたします。なお、リーディングしてもらいたい内容は、当選の通知後のご返信で結構です。


悩みや葛藤自体が「答え」と考える。

これはつい最近にも書いたことがあるように思いますが、(なお、私のこのブログは、ほとんど計画的な作為はなく、その日、思いついたものを書いているため、自分でも書いた内容はほとんど忘れているところがあります、そう意味では自分の別の意識との共同作業のようなものでもあります)、リーディングや占いをする前から、もう答えや重要な要素は出ていることが、往々にしてあります。

色々な援助方法を求め歩いたり、占い師のもとへとさまよったりする方に、実はそれが顕著だと以前書きましたが、要するに、自分の欲しい答え、理想を回答として出してくれる占い師や相談してくれる人を求めているわけなのですから、その自分の求める「答え」がまさに「答え」なのです。

ただ、ここでいう答えとは、正しい選択とか、社会一般の価値観の幸せに導く答えではなく、自分を見つめる核となる「答え」だということです。

結局、自分が求める状態、理想が実現してほしいわけですが、それができない状況とか障害があるために、どうすればよいのかと悩んでいることになります。

よく理想と現実の狭間と言われますが、現実次元においては、この二種・二元・相反すると思えることでの葛藤状態が、ほぼ必ず起きます。むしろ、そういう仕組みと体験がノーマルな世界と言ってもいいくらいです。

それは、人は、天と地の狭間で生きるものであり、言い換えれば霊的・精神的なもののように希薄で見えないものと、物資的で安定的なものとの間で生存していくからです。

また、このふたつの性質の両方を持つことも、人間の特徴と言えるかもしれません。(究極的にはすべてのものは両質を持つと言えますが)

常識的な判断や、論理的・数値的にわかったりすることもあれば、感情的に割り切れない、心や魂がどうしてもが求めることもあったりするのが、実は人として生きている証です。

このことは、マルセイユタロットカードの「恋人」がよく象徴しています。ちなみに、このカードは「恋人たち」ではなく、「恋人」である必要性があります。そうしないと、なぜ上空にキューピッド(クピドー)がいるのか、理解が難しくなります。

ともあれ、その「恋人」カードが語るように、ふたつのうちのひとつを選択することそのものが問題・テーマではないのです。

そうした狭間、ふたつの間に立たされる経験そのものが、自分を目覚めさせるきっかけとなります。

とはいえ、人情として、自分の望む答えになること、そういう現実になってほしいという思いはよくわかります。

特に恋愛などでは、思うようにいかない時、相手がいることですから、自分の思いや行動だけではいかんともしがたく、相当苦しいものとなるでしょう。

ですが、その葛藤や悩みこそが、あなたの成長を促すものなのです。

この場合で言う「成長」も、ただ一般的に言われる成長ではない(一面的ではなく、見えない部分も含む統合的・全面的なものである)ことに留意すべきです。

占い師に求めるあなたの願う答えは、本当の答えではなく(ただし、ないがしろにできるものでもありません。強く願っているそのこと自体は尊重されるものです)、その奧に、あなたの魂が欲している真実の答えがあるのです。(マルセイユタロットでは、「太陽」や「審判」の発見ともいえるでしょう。)

時にはつらいことですが、自分の表面的な部分が求める答え(今、強く願っている思いなど)を拒否する・捨てる(あるいは疑う)ことで、真実の答えに行き着く場合もあります。

そしてタロットリーダーや占い師は、自分が相手(クライアント・相談者)側の理想の投影装置として、相手の願う答えを出してしまうことにも注意すべきです。

ですが、それが必ずしも悪いわけではないのです。

実は、クライアントの理想の状態や望む答え、強い願望、時にはクライアント自身も気づいていない欲求さえ、占い師側が気づかず答えてしまうことがあります。

正確には「応えてしまう」のです。つまり、占い師(やセッション)を通して、クライアントは自分の理想を鏡写しのようにして見たいわけなのです。

「将来、素敵な彼氏と結婚できますよ」とか、「思っている人からいい返事がきます」とか、「独立して成功できますよ」とか、「あなたには特別な才能が眠っていますよ」とか、もっと具体的に、「6ヶ月後に、ソウルメイトと人生をテーマにした東京のセミナーで出会えます」とか、そのような、言ってもらえて嬉しい・喜ばしいことというのは、まさに自分の潜在的(あるいは自覚した)希望・願い・理想ということがあるのです。

それを相談を受ける側が、無意識に察知して、見せている、「応えて・答えている」という形式とも言えます。

このプロセス(からくり)がわかれば、自作自演みたいな形で、タロットカードを使って自分一人でもできるようになります。

カードに投影された自分の願い・像を見るというわけです。それを客観視するのと、無自覚で、ただ猛烈なエネルギーの渦のようなものとして翻弄されたままでいるのとでは、大きな違いがあります。

占いで指し示される未来は、それが運命と思う人もいるでしょうが、今の意識が投影された選択肢のひとつとして見ることができます。

それは占い師というフィルターを通して出ていながら、クライアントとしての自分自身の願いや恐れの場合もあるのです。

自分の理想とした選択肢の未来像をイメージした時、意外にも空しかったり、ありえない非現実感が漂ったりすることがあります。夢に見ていた理想像というのは、こんなものだったのか、これとは違う、という感じの場合もあります。

その感覚は大切です。

ですが、それでも、その理想の未来像を実現したいと強く思われる時、実現するかしないかは別として、あなたの中で何か特別なものとして、求められていることなのかもしれません。

アニメのセリフ風にいうと、「ゴーストの囁き」とか、「私の何かがそうするように語りかける」とか、「何者かがそう導く、それが悪い結果になるとわかっていても。。。」みたいな感じです。

大切なのは、自分が選択した結果について責任を持つという態度かもしれません。それ(覚悟)ができていれば、どのような選択も、自分にとっては満足をもたらせるでしょう。


願望実現の次元と世界

マルセイユタロットの「運命の輪」と次の数を持つ「」のカードを見るにつけ、いわゆる引き寄せや、各種(占い・スピリチュアル・心理系等)の願望達成法には、限界や矛盾があることを感じます。

願望達成(法)への現時点での私の見解はこうです。

願ったこと、希望したものはすべて叶いますが、次元別・世界別のブロックや限界があります

そう、実は願いは何らかの形で、すべて叶える(すべて叶う)ことができます。

ただ、それが私たちが意識する現実の世界、リアリティをもって過ごしている次元においては、様々なブロック・障害、逆にいえば危険や混乱のために守護やストップがかかる状態があるということです。

例えば、心の内では、自分が願えば何にでも、どんな状態にでもなることは可能です。簡単に言えば、イメージの世界での実現です。

イメージの世界は現実(次元)からすればないと言えますが、実際には形はなくても、イメージはされているのですから、別の様式で確かに存在していると述べることもできます。

しかし、現実次元では、「あの人が憎たらしいから、今すぐ死んでほしい」と願ったところで、いきなりその人が死んでしまうわけではありません。

これと同じように、ポジティブな願いであれ、ネガティブなものであれ、現実ではそうそう易々とすべてが思い通りに叶うわけではないのは、皆さん、当たり前に実感していることでしょう。

それはなぜなのかを考えますと、要するに、そういう仕組みになっていると答えるしかありません。

全員の望みがそのまま叶ってしまえば、ルールも秩序もあったものではなく、ただ混乱を来すだけです。

どの世界や次元にもそれなりのルールや法則があり、それがあるからこそ、次元・世界として特色を持つ、分けることができるのだと考えられます。

イメージの世界・次元では、夢想であっても叶いますが、現実次元においては、時間や距離、物理的障害、自分と他人の違いなど、その他もろもろの障壁・ガードがあり、簡単には願いは叶いません。

しかし、そうした障壁やルールを守ったうえでならば叶うこともあるわけです。

残念ながら、この現実次元においての障壁やルールは、見た目でわかるものだけではない(他人の心の部分や自分が見えてない他人の行動のこともあれば、カルマなどの影響もあるかもしれません)ので、それでおまじないとか、スピリチュアル的な願望実現などに望みを託す人も出るわけです。

もっと科学の進歩したり、人々の意識(認識)が向上したりして、この現実世界の読解が進めば、いわゆる波動などとスピリチュアル界の人がいう概念も、論理的に解き明かしていくことができ、思いや願いの実現が、どこまでが可能で、どこまでが不可能なのかということがわかってくるでしょう。

その中で、自助努力の部分と、他の要素による影響とブロックの部分も明確になり、無駄なところや怪しいところは少なくなってくるのではないかと想像しています。

一方で、現実的な今の対策として、願望実現のシステム(の障壁・ブロック等)が完全にわからなくても、ある方法で対応していくことが可能です。

ひとつは、とにかくシステム(メカニズム)や論理を考えずに、意志と情熱で願望実現を目指して、いろいろと実行していくやり方、もうひとつは、自分の願望を整理し、そぎ落として、現実次元で無理のない、それでいて本当に望むものにフォーカスしていくやり方です。

前者は、自分の願望に忠実に、目的(願望の実現)こそがすべてであり、極端なことを言えば、過程はどうでもよいのだという姿勢です。

目的達成こそが目標なのですから、その叶え方自体はどれでもよく、要するに叶えることができるものに出会うことが重要となります。その意味では、がむしゃらに願望実現法を試してみるのもよいでしょう。

現実次元の願望達成における障壁システムなど、結局、解き明かすことは難しいわけですから、つべこべ言わず、自分の望みに向かって、今、現実にあるあらゆる資源・ネタを使って叶えさせればいいのだとするのも、自分の人生はこの一代限りだと見た場合、ポジティブでよい姿勢と言えるかもしれません。

もうひとつは、(願望実現の)メカニズムにも配慮しつつ、結局、現実次元では叶えられない欲求・願望はあるものと冷静に見つつ、そもそも自己の願望は、全部叶えたいものなのかどうか、今一度整理して、真に叶えたいものを優先的に選択していくやり方です。

願望を整理する中で、これだけば譲れないとか、これは現実的に、運や狭義のスピリチュアル的な願望達成法だけに頼らず、自分のアプローチと努力で可能だろうと考えられるものに、意識と行動を集中させるというやり方になります。

あと、これとは少し似ていて、ちょっと違うスタイルのものとしては、自分の願望自体をどんどんそぎ落としていき、いわゆるエゴからの欲求を中和・消失させ、自分の願いは、本当に自分にとって(この現実次元において)必要なものだけ叶うと見ていく態度もあります。

これは少し宗教的・仏教的態度に近いかもしれません。良きにつけ。悪しきにつけ、自分に必要なものだけ起きているのであり、願望実現も、そういったルールで実現するものと実現しないものがあると見る考えです。

ただ、自分の中で、自覚していない自らが作ったブロック・障壁・ルール(幼少期から形成されたものなど)というものもあり、これは普遍的な意味での現実次元の障壁・ルールとは別(個別的なブロック)でもあるので、これ自体を自覚・浄化することで、自分の中のブロック(制限)は消え、今まで叶わなかった願望が叶うというケースはあります。

その場合でも、普遍的な現実次元での制限・ルールを超えることはまずできません(できるのは、マルセイユタロットでいう、「運命の輪」を超えて、「力」の状態になった時だと言えます)ので、その線引きは理解したほうがいいでしょう。

そうでないと、自分の潜在的なブロックさえはずせば、何でも叶うという傲慢な態度になったり(これはエゴの肥大を呼びます)、ブロックを消したのに、思うようにならないと余計混乱したりすることになります。


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