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方位、土地の移動 錯覚と現実性

占いの世界(する人、される人の間)では、方位(方角)ということにこだわる人がいます。

もちろん方位学や気学などで、確固たる理論や実践的経験を積んだ上で、こだわっている人もいるでしょう。

しかし、ただ運気がよくなる悪くなるからという単純な意味で、方位のことを気にしている方も多いです。

私はタロットを扱いますが、占い師ではないので、占い的な方位について詳しくはありません。そして方位についての立場を言うならば、「究極的に関係ない」と考えています。

ただ、究極的には・・というのが鍵で、次元(幾層もの現実感)によっては、それが極めてリアルに働く(方位が意味を持つ)世界もあると思っています。

換言すれば、不思議な言い方に聞こえるかもしれませんが、方位に関心を寄せれば寄せるほど、自分にとって方位の効果の出る(よい影響もあれば悪い影響もある)世界がリアルになるということです。

それともうひとつ、磁場や周波数などを考慮すれば、土地土地に固有の特質があるとも考えられ、その影響が人に何らかの変化をもたらすと推測できるかもしれません。

昔から洋の東西を問わず、土地には独特のエネルギーがあって、それを「土地の神」として人格化したり、崇拝の対象としたりしていました。

地球は回転する惑星であり、太陽を中心に公転し、ほかの惑星とも関連しているのであれば、地球の大地そのものに磁場があり、電気的エネルギーのようなものがあるのもわかりますし、地球を有機物や生命のように見れば、全体としてはひとつでも、場所によって違いがあるのも考えられることです。

人に合う合わないがあるように、土地の神とも合う合わないが出る可能性もあるでしょう。

また人は変化していくものですから、昔は合わなくても今は合うということもあれば、時間とともになじんで、今では何とも思わなくなったり、愛着を感じたりすることもあるかもしれません。

その意味では、移動する土地というものに何らかの影響を見ることも可能です。

しかしながら、これは厳密に言うと「土地」であって、「方位」(方角)ではありません。

方位は方位で、やはり何らかのエネルギー的特徴があり、それを占いの世界などでは、やはり「神」として表現し、とらえていたと考えられます。

つまり、移動や引っ越しなどによっての影響は、行く土地そのものの影響と、移動していく方向・方位の影響、さらには自分自身の状態が合わさって、本当の効果が出ているのではないかということです。

単純にどれかひとつだけで運がよくなったり、悪くなったりするということでもないように考えられます。

さて、話は変わりますが、ある時、タロットリーディングしていると、出たタロットカードの象徴と、タロット(の精霊)からの示唆で、「その土地へ実際に行ってみること」と読めるケースがありました。

それは過去にその土地に住んでいた人のリーディングで出たもので、その方はその地域にいた時の問題をいまだに引きずっていて、カードからは実際にその土地に行く“センチメンタルジャーニー”“感情・感覚トリップ”をしてくるように言っているように思えたのです。

頭の中の想像だけではまだリアルではない時、実際にその土地へ行くことで、何かが完了したり、逆に気付きを得たりすることがあります。

これは移動することそのもの(旅そのもの)の時空間変化、そして訪れることでの記憶の再現と、反対に過去のそれと現在の自分との違いの実感などがあいまって、言わば錯覚(過去と現在が混ざり合って消失・書き換え)を起こし、問題を解決したり、新しい心境にブレイクさせたりすることがあるのだと想像できます。(錯覚とは異なり、今や現実を本当の意味で認識するということもあります、それは止まっていた心の時計が動き出すようなものです)

カードはそういうことを示唆していたものと思われます。

ということで、気になっている土地や場所があれば、時には実際に行ってみたり、再訪してみたりすることをお勧めします。


「ホドロフスキーのDUNE」から思ったこと。

先日、映画「ホドロフスキーのDUNE」という映画を見てきました。

私の中ではちょっとしたホドロフスキー氏ブームが起こっていて(この前、来日されたこともあります)、いわばその当然の流れみたいなものです。

アレハンドロ・ホドロフスキー氏については、このブログでも再三取り上げていますし、今更語るまでもないのですが、カルト映画の巨匠であり、タロット研究家、サイコセラピスト、漫画原作者等、様々な顔を持つ多彩なお方です。

まあ中でも、当たり前ですが、タロットをする私としてはタロット研究家、タロットリーダーである氏の部分にとても関心があります。そもそもホドロフスキー氏が復刻したマルセイユタロットを私は使っているわけですから。

と、ここまで書けば、その映画とタロットの解説をするのかなと思われるかもしれませんが、今日はそうではありません。

映画「ホドロフスキーのDUNE」を見て、私が個人的に映画とは別の意味で思ったことを記したいということです。

その前に、「ホドロフスキーのDUNE」とはどういう映画なのかを簡単に説明しておきますと、監督はホドロフスキー氏自身ではありません。

むしろホドロフスキー氏を被写体や役者・テーマとして出演させた映画と言えます。

1975年、映像化不可能と言われたフランク・ハーバートの小説「DUNE」を原作に、ホドロフスキー氏が企画したSF超大作映画「DUNE」(完成していた場合、上映予定時間が12時間とも20時間とも言われています)があり、その計画の進行と中止に追い込まれた経緯を、当時関わった人たちを中心に、ホドロフスキー氏自身のインタビューも交えて作られたドキュメント映画です。

ホドロフスキー氏の企画した「DUNE」は、この「ホドロフスキーのDUNE」の映画を見てもらえればわかりますが、非常に壮大で哲学的、宇宙船やコスチュームのデザイン、さらに出演者や音楽も、当時の蒼々たる面々がクレジット、参加予定されていました。

アップリンクさんの、この映画の公式HP http://www.uplink.co.jp/dune/introduction.php
 から引用させていただきますと、

『バンド・デシネのカリスマ作家メビウス、SF画家のクリス・フォス、『エイリアン』『トータル・リコール』の脚本で知られるダン・オバノン、画家、デザイナーのH・R・ギーガー、73年の『狂気』をはじめ現在まで絶大な人気を誇るサイケ/プログレの代表的バンド、ピンク・フロイド、キャストにシュルレアリスムの代表的作家サルバドール・ダリ。『市民ケーン』など映画監督としてのみならず俳優としても知られるオーソン・ウェルズ、ミック・ジャガーダリ、ミック・ジャガー、ギーガーなど・・』

と書かれています。いかにすごい人たちで固められていたかがわかりますし、その人たちを口説き落としたホドロフキー氏自身の魅力も相当うかがえる逸話です。

さて、映画の説明が長くなってしまいましたが、ここからが本題です。(笑)

この映画は結局壮大すぎて現実には映画として生み出されませんでした。

マルセイユタロットで言えば、女帝(企画)から皇帝(現実)の段階の途中で終わったということです。

しかし、この映画でも語られていましたが、ホドロフスキー氏が企画した映画は「DUNE」は死んでおらず、ここに参集した当時の若きデザイナーやクリエイターたちは、やがてハリウッド映画やほかの映画・創作物で「DUNE」で得たクリエイティビティとインスピレーションを発揮させました。

(ホドロフスキー氏は、「DUNE」の主人公がラストシーンで死ぬが、それは登場人物や生きとし生けるもの全員に転化され、すべて主人公になる(意識の共有化)と語っていたのが印象的です)

また「DUNE」に直接関わらなくても、ホドロフキー氏の残した絵コンテや企画書があり、これを見た映画関係者・クリエイターたちが、やはり影響を受けたものを創造しています。

さらには、「DUNE」から影響を受けて生み出された作品からも二次的に影響が波及して、次々と新たなものが創り上げられていく循環現象さえ見いだせます。その影響は今も続いてるのです。

とすると、現実には出現しなかった(映画として完成されなかった)想像(創造)の世界のものであっても、現実世界には確実に影響を及ぼすことができるのだということであり、もっと言えば、生まれたものは決して死ぬ(消失する)ことはなく、ほかの形やエネルギー、インスピレーションの源泉として生き続ける(成長することすらある)ことになります。

マルセイユタロットには「死」をもっとも象徴するカードとして「13」(名前がなく数だけ)というカードがあります。

そして、創造を象徴するカードには、さきほど述べた「女帝」があります。このカード同士は、互いに「」という数を持ちます。

創造と死(破壊)は表裏一体の実は同じものであり、逆に言えば死は創造で、恐ろしいものでも悲しいものでもないのだという示唆も受け取れます。

ただ、現実化することで、確実な収穫(と感じるもの)を得たり、見たり聞いたり触ったりする実質の体感も人は必要とするのでしょう。

自分や自分の生み出したものがこの世には存在しない、誰からも認められないというのは、現実感覚において寂しいことなのかもしれません。

いわば、生きる実感、生きている実存証明の欲求と言い換えてもよいものが人にはあります。それは私たちかまさに肉体をもって現実世界に生きているからにほかなりません。

それでも、現実化しない創造の段階ではあっても、それが極めて高度で崇高なイデアに近いものであるならば、それは想像の世界で生き続け、魂を持ち、神殿・宮殿として輝き続けるのだと感じます。

想像することが創造につながり、その創造は自分の希望通りに現実化しなくても、情熱と純粋な魂に裏打ちされたものならば、何世代にも渡って生き続ける「力」(永遠性)を持つのです。

逆に言えば、私たちはそのような想像(創造)を自ら行うことで、ある種の宇宙を作り出しているともいえ、その根源的なエネルギーを自身に降ろしているのだと言えます。

つまり瞬間「神」になっているのです。レベルや規模の違いはあれ、その経験は人として重要ではないかと思います。

ホドロフスキー氏が御年85になってもエネルギッシュに活躍できるのも、ひとつにはその理由があるからではと考えられます。

もうひとつ、「ホドロフスキーのDUNE」を見ていて思ったのは、偶然のように、ホドロフスキー氏が会いたいと思っている人、この作品に関わって欲しいと思う人に出会えているということです。

その過程は神秘的ですらあり、何か超越的な存在の意図を感じさせます。いわゆるシンクロニシティも頻繁に起こっているわけです。

こうなると、スピリチュアル系統の(傾倒でもある)人には、自分らしさを最大限に発揮し、シンクロも起こり、大いなるものの意志も感じるとして、「映画は間違いなく完成する」と直感的に思うかもしれません。

おそらくホドロフスキー氏自身も、当時はそう感じたことがあるのではないかと思います。

しかし、映画は完成しなかったのです。引き寄せ的には完成して、現実化してもおかしくはない状態です。

ここを考えることも、本当の意味でスピリチュアルだと私は感じました。

ホドロフスキー氏はこの見た目には大失敗の結果に、かなり当時は落胆されたようですが、反対に、この経験によって、ある種の悟りを得られたような気が、この映画を見ていて私はしました。

それがおそらく本当の答えであり、「DUNE」という映画の真の意味(神の意図)ではなかったかと思うのです。

未完こそ完成であり、また完成は未完でもある、これは永遠のダンス、マルセイユタロットでは、ある象徴(あえて述べません)とも言えるのです。


マルセイユタロットお話&リーディング会(大阪)

本当に久しぶりになりますが、マルセイユタロットのお話と体験の会大阪市内で行います。

「マルセイユタロットって何?」とか、このブログを読んでいて「タロットが気になる・・」とか、「ちょっとマルセイユタロットで見てもらいたいことがある・・」など、興味のある人はお気軽にご参加ください。

この日は、実際にカードを見たり、カードに触れてもらったりして、じっくりとご自身の目や感覚でタロットを確認していただきます。

ほかのタロットとは違う印象も持たれるかもしれませんし、そもそも初めてタロットというものをゆっくり観察する人もいらっしゃるかもしれません。

その後、お一人ずつご質問を受け、20分程度になりますが、公開で私のほうから個人リーディングしていきます。

リーディングは占いではなく、自己の内面や外的な状況を象徴として鏡のようにタロットに映し出し、タロットの象徴の意味とともに、自己の課題やテーマを解読していく作業です。

それは相談する側の自分の現実的・感覚的情報と、タロットリーダー(タロットを読む人)のタロットに対する象徴への知識と感性による複合作業であり、そのクロスしたところに本当の答えや善き選択が導かれます。

この時、タロットに自分のスートリーが描かれていることを実感する人は多いです。

またタロットをテーマとして複数の人が集まる時、皆さんの意志やエネルギーが集合して、一対一でリーディングする時よりも、気づきや浄化が進む場合があります。

参加者の皆さんのご興味や質問内容によっても、話すことは変わってくると思います。必要な人に必要なメッセージを、マルセイユタロットを通して届けられることでしょう。

個人的なご質問以外にも、自己分析や必要な事柄を示唆する、タロットを使っての簡単なワークなども時間があれば考えています。

どうぞ、この機会にマルセイユタロットに出会ってみてください。

◆マルセイユタロットお話&リーディング会

●日時

7/27(日) 13:00-16:00

●場所

Wakuwakusalon Tigreさん  大阪市中央区内 なんば駅近く

※詳細はお申込み者にお知らせいたします。

●料金

2,000円

●定員

4名

どなたでもご参加OKです。

●講師・タロットリーダー 

宮岡和宏

●お申込み・お問合せ

こちらからメールにて。

(「リーディングご希望の方はこちら」の項目からでOKです)


自分を中心に世界が回っている。

自分なんて、世界から見ればちっぽけなものだ」と思うことがあるかもしれません。

反対に、「アタクシ(オレ様)を中心に世界が回っている」(笑)と極端な言い方をされる人もいます。

タロットには、「世界」と名のつくカードがあり、マルセイユタロットの場合だと、意外にも「吊るし」というカード(一般名「吊るし人」「吊された男」)と「世界」は似たところがあります。

いわば、自分を取り巻く「世界」をどうとらえるのかの違いがカードの「世界」なり、「吊るし」なりで表現されていると言ってもいいかもしれません。

さて、さきほど述べた「自分と世界」との関係の言い方ですが、「自分を中心に世界が回っている」ということに対して、「何様だと思っているんだ!」と嫌悪感を覚えたり、「そんな風に思えたらいいよねぇ・・」とうらやましがったり、あるいはバカにしたりするのが通常の人の感覚かもしれません。

そして冷静になって見た場合、やっぱり「自分なんて、世界から見ればちっぽけな存在だ」と思うことのほうが多いのではないでしょうか。

もっとも、「自分なんて小さな存在」という言い方には、ふたつの意味があると思います。

ひとつは文字通り、自分は小さくて取りに足らない、もっと言えば「存在だけでは価値のない人間だ」というものです。

そしてもうひとつは、あまりに世界や宇宙は広く、その大きさに比べて自分は小さいけれども、逆に「大自然・宇宙・神の偉大さを知る」という謙虚さや感銘から出るものです。

たぶん、そのふたつは誰でも経験があるのではないかと思います。何が言いたいのかと言えば、人はそういうもの(矛盾したり、相反したりする考えをするもの)だということです。

何か大きなものと比べて自分に価値がないと思う場合もあれば、その大きなものに心打たれ、感動することもあるという矛盾のような、そうでもないような人の心の動き・状態があるわけです。

ですから、何かと比べて自分に価値がないと感じてしまうことは誰でもあることだと思っていいのですし、自分より大きな存在・状態に依存してしまったり、感動したり、身を投げ出してしまうような不思議な感覚になったりすることもやはりあるのだと思えばよいのです。

さて、ここで、さらにタロット的に大切なのは、最初に取り上げたもうひとつの自分と世界との関係性のとらえ方です。

すなちわ、「自分を中心に世界が回っている」というものです。

これは先述したように、普通は傲慢に見えたり、馬鹿者の言う言葉に思えたりしますが、タロット的・神秘主義的には真理に近いのではないかと、個人的には思っています。

人には言わなくてもよいのですが(むしろ言わない方がよいかもです)、自分の中では「世界は自分を中心に回っている、できている」と考えることは、違う発想や観点を持つためには重要だと感じます。

天体としても、常識的には地動説ですが、精神世界的には天動説も入れたほうがよいこともあるのです。天動説ならば、自分が観測者であり、観測者を中心に天(天体・星々)が回っていることになるからです。

「自分が世界の中心である」ことの、極めてシンプルな証明というか、こじつけみたいなものがあります。

それは目をつぶれば、外の世界は見えなくなるということです。あるいは音も聞こえなくすれば、さらに確実でしょう。

要は自分が見たり、聞いたり、五感で感じたりできるからこそ、「外に世界があると認識される」のであって、自分の五感がなくなれば、世界は実感として消失する可能性は高いです。

一般的に生きている時に五感がなくなるということはほぼないでしょうが、死ぬと五感はなくなります。(意識も残るのかどうかわかりません)

とすれば、死ぬということは、確実に自分が認識していた世界が消えるということになります。

そうすると、やはり自分が世界の中心であると言えるかもしれないのです。

「いや、死んでも世界は普通にあるじゃないですか」と思う人もいらっしゃるでしょう。

実際に自分の知っている人が亡くなっても、自分や世界は存在していますから、もし自分が死んでも、そのあとの世界は自分がいないだけで存在し続けると考えるのが普通です。それが客観的な事実であり、歴史でもあるからです。

でも、生きている人の世界の中では、誰も自分が亡くなったあとにそのまま世界が存続していると自分で証明することはできないのです。

霊の存在とか、魂の永続性とか、エネルギーの変化とか想定しないと、自分の死後の世界を自分が確認する方法がありません。

とすると、極端に言えば、自分が死ねば自分が信じていた(認識していた)世界は終わります。消失するわけです。

自分を中心に世界が回っているどころか、そもそも世界の存在の根拠は自分自身であったという壮大なオチ(笑)です。

輪廻転生があるとしても、同じ意識と認識でこの世界に生きるという経験は今回限りということも考えられます。

まさに死ぬとすべて(の劇・映画上映)が終わるのだと考えておくと、自分の今の価値の大切さがわかるのではないでしょうか。

自分がいるからこそ人生劇場が上映され続けているのだと思えば、自分の存在そのもの、生きているだけで価値があるとも言えます。

確かに一人の人間は、世界からすればちっぽけな存在かもしれませんが、このように自分は世界の中心でもあると見ることもできるのですから、もったいない人生を送ってしまわないようにしたいものですね。


無料メール&対面リーディング募集

現在、当方ではマルセイユタロットの「リーディングコース」という講座を実施中です。

これはその名の通り、リーディングについてトレーニングするコースです。

この講座中に、受講生になるべく実践の雰囲気を経験してもらうべく、今回、無料で受講生のタロットリーディングを受けていただく方、もしくは問い(相談内容)を募集いたします。

リーディングは講座受講生がいたしますが、一応、私のほうも監修いたします。

募集要項は下記の通りですので、タロットリーディングを無料で受けたい方は、是非ご協力いただければありがたいです。

◆無料メールリーディング

●タロットリーディングしてもらいたいご質問内容をお書きのうえ、メールにてお申込みください。内容は詳しいほうが精度が高まります。

先着順に2名募集いたします。規定人数に達し次第、締め切ります。

●リーディングのご返信は、お寄せいただいたアドレスあて、受講生から直接メールにてさせていただきます。時期は7月末頃になります。文章量は無料のため、あまり多くはありません。ポイントを絞って書かせていただきます。

●お申込み こちらからメールにて。

◆無料対面リーディング

●場所

大阪市中央区内の講座会場

(詳細は応募の方にご案内いたします)

●日時

8/4(月) 

A 13:00から13:40 3枠

B 14:00から14:40 2枠

合計5枠

AとBの時間帯に会場内に特設ブース(各時間帯に3つと2つのブース)ができます。ご都合のよい時間帯を、お申込み時にお書き添えください。

当日会場にお越しいただき、抽選、もしくは感性でタロットリーダーをお選びいただくことになります。

●お申込み 

先着順。時間帯AかBかのご希望をお書きの上、こちらからメールにて。

枠が埋まり次第、締め切ります。

●備考 

対面リーディングは会場に来ていただくことになるので、講師の私からも、会場で展開されたタロットを見て、ご相談者に追加で当日直接アドバイスさせていただきます。

会場は会議室内でクローズドな空間ですが、複数ブースの同時リーディングです。イベントのようなリーディング状況を想定していただくとイメージしやすいと思います。

なお、メールリーディングも対面リーディングの応募も、当方のタロット講座を受けた方(受講中)でもOKです。いずれにしましても先着順です。

リーディングは受講生によるトレーニングの一環であることをご理解いただいたうえで、ご応募いただければ幸いです。

皆様からのご応募、お待ちしております。


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