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自分を変える時の注意

「自分を変えたい」と志すことはとても大切です。それ自体が、すでにチャンスだと言ってもよいでしょう。

そうした気持ちになる場合、今の自分の現状に何かの不満を抱いているということもあるでしょうし、特に不満はないけれども、もっと自分を拡大させてみたい、いろいろな経験をしてみたいと思ったからというのもあるでしょう。

物事には創造・維持・破壊のサイクルがあることは、以前からも述べておりますが、宇宙がそのような本質を持つのなら、私たち人間も、いつまでも同じだということよりも、別の自分を求めていくようになるのは自然だと考えられます。

ただし、自分が闇雲に拡大を目指そうとしている時は、そこには何かをごまかしていることがないか気をつける点があります。

今の自分にとても満足しているというのであれば、何も変える必要性はないわけで、ただ先述した宇宙の流れに調和しようとすると、自分が自然の形で変化していこうとするようになるでしょうから、そのパターンではOKだと言えます。

そうではなくて、とにかく不満や欲求が強く、しかしそれを無視するかのように、別の自分になろとうとするのではあれば、それは問題になります。やたらと経済的成功を目指そうとしていたり、恋愛・結婚の相手を見つけようとしたりしている時など、起こりやすいです。

結局、このパターンでは逃避であり、苦痛や不満を快楽(新しいもの)によってごまかそうとしていることになるからです。

言わば痛みに麻薬を使っているようなものですから、いずれ痛みがふくれがあがった時、快楽や別のものでは補い切れなくなり、不満や欲求は際限のない渇望となって、自分を苦しめ続けることになります。

それが具体的にはギャンブル、恋愛、成功幻想、人への依存、放浪、責任のなさ等につながってきます。

従って、不満が何であるのかを認識し、なぜ自分を変えたいと思うのか、原因に向き合ってからでないと、危険ということになります。言い換えれば、現況の満足を味わう(実感する)必要があるわけです。感謝が大事というのにも、ここにひとつの理由があります。

もうひとつ、これはマルセイユタロットに描かれていることですが、人には「個性」があり、自分の拡大・発展・変化には、普遍的(象徴的)な同じパターン(型)はあっても、一人一人の実体験は違うものであると意識することです。

つまり、先生やコンサルの人が言われる通りが自分にあてはまるわけでもないですし、前にも書きましたが、自分がモデルとしいている人の体験がそのまま自分に再現されていくわけでもないということです。(もちろんあてはまることもあります)

あなたはあなたなりの成長の仕方があります。それはあなたの「枠」や「ブロック」とも関係します。

では、人の言うことは関係ないのかと言えば、それも違っていて、先程も述べたように、「象徴的な意味」では人類は皆同じパターンをもっているのです。

ここを誤解していると、何事もそのままの解釈(言った内容そのままを信じること)になってしまい、「やってみたけど効果がなかった」とか、「言われたその通りだったけれども、なぜなのか意味はよくわからないの・・」ということなるのです。

この、言われたまま・そのままを適用するような思考は、○か×か、0か100かの思考法に近くなり、グレーゾーンや多くの視点、回答が複数あるという考え方ができにくくなります。

実は現代は、ネットによる情報氾濫によって、逆にあまりにも思考・知性が簡略化し、波動の低い感情(高いものは別にあります)によって判断してしまう傾向が強くなっています。簡単にいえば、「好き嫌い、かわいそう、腹が立つ」というレベルでの基準です。「

すると真の自主性を失い、誰かの言うことを鵜呑みに信じてしまうことが一層強くなり、「自分を生きる」ということができず、誰かやその時の社会の正義、大衆の志向によって動かされやすい人間になるのです。

そして、この世は、私が思うに、わざとそうし向けられている面もあると思います。(加速している気がします) それは人の生きるエネルギーに関係すると思っています。

その少しつっこんだ話は、今後創刊されるメルマガと、すでに発刊している講義修了者・受講者用のメルマガや講義で語りたいと思っています。


スカイプ講座のご感想

世の中にはたくさんの人が個性を持って生きていらっしゃいます。

幸せになる道や真理の探求においても、様々な方が色々な方法を説明していただけています。思えば、私たちは幸せな存在です。

私は知識や智慧も、究極的にはだと思ってるので、真理探究とか悟りとかいう方向性も表現を変えた同じものだと認識しています。ですから、結局は同じことを皆さんが求め、自分に明らかにしようとしているのだと思っています。

ところでタロットにもたくさんの種類がありますが、それぞれにそのツールを使い、やはり究極的には「愛」の存在である自分に気付こうとされているわけです。

私の場合は、たまたまかご縁か、それをマルセイユタロットという恩恵をもって表現していると言えます。

そして、私の講座を受けていただく方も、なにがしかのマルセイユタロットのご縁がある人だと感じています。つまりは、その人たちはマルセイユタロットに相性がよく、マルセイユタロットを使うと、気づきを得たり、結果的に幸せや愛の存在になりやすい人たちだったりするということです。

さて昨日、ほぼ一年をかけて遠くフランスの地からスカイプによって、講座を受講していただいた方の講義が終了しました。この方は日本人なのですが、フランスの地に嫁がれて、マルセイユタロットにひかれ、日本の私の講座をスカイプで受講されたという、まさに不思議なご縁のあるお人です。

この方(T.Bさん)からのご感想をいたただきましたので、ご紹介したいと思います。

『一年間のスカイプ授業、ありがとうございました(と同時ににお疲れ様でした)。10代の頃からタロットに惹かれ、何度か購入してみたものの、使いこなせずにあきらめてきました。宮岡さんのHPを拝見して、タロットに対する情熱と論理的な文章に「これだ!」と思い、夢中で記事を読みました。期待は裏切られず、一年後の今、タロットをようやく安心して手にすることができるようになりました。自分の印象を信じて、講座を受けてよかったと思います。

わたしたちの人生にはいろんなことがあり、穏やかなときも、動きが激しいときもそれなりに悩みがありますが、そんなとき、自分の現実を見て、そのときに安心して一番いい行動を取ることができるようにしてくれるガイド、素晴らしいタロットというガイドをこの講座のおかげで味方にすることができました。タロットのくれる気づきを通じて、自分や自分のいる状況を癒やすこともできます。まるで魔法のランプです。

毎回、講座に入る前の宮岡さんとのおしゃべりも楽しく、不思議となにか授業中に起きることや、授業の内容とシンクロするのも不思議でした。 スピリチュアルは好きですが、感覚だけに流され、溺れてしまうのが嫌いなわたしでしたが、授業が進むにつれて、スピリチュアル度が進みながらもグラウンディング(しっかりと現実的な意識をもって)したままでいられたのが、この講座の素晴らしい点です。(ほかにもありますが…)

講座が終わって寂しい気がしますが、暫くは教えて頂いたことを自分になじませて、タロットとの付き合いを深めていきたいとおもいます。書き切れないほど、面白いこと、気づきのある、豊かな授業でした。 宮岡さん、本当にありがとうございました~!!! ご自分の人生を、ご自分の手でしっかりと舵取りしたい方に、男女を問わずお勧めします。』

T.Bさん、ご感想ありがとうございました。時差も乗り越えて、一年間お疲れ様でした。理性が高く、物事をきちんと理解しようという姿勢に敬意を表したいと思いますし、感性にも優れたものをお持ちのT.Bさんでした。マルセイユタロットを今後ともご活用いただければ幸いです。

スカイプの場合はマンツーマンとなりますので、その人の理解や適性に応じた講座になっていくのが、より特徴的です。ほぼ毎回、その講座の進み具合に応じた技法によってご自分の課題をタロットで展開してもらいますので、相談コーチングを受けているのと同じような感じとなります。

正直、期間はかかりますが、スカイプはとてもお得な講座と思います。ただ残念ながら、それだけに枠が限られています。

関西では講座が受けられない遠方の人(と言っても海外じゃなければならないとかではないですよ、日本で関西圏以外の人です)で、マルセイユタロットを学びたいという熱意のある方にご提供しています。

空きがありますので、スカイプ講座を受けたい方は、こちらからお問い合せください。
 スカイプ講座の概要についてこちら。

スカイプ以外の通常の講座
も4/27から開講します。これも少人数制ですので、じっくりとタロットや自分と向き合えます。通える方は、こちらもどうぞ。直接の場合は、やはりライブでの良さがありますし、他の一緒に学ぶ方との多角的視点が得られることと、同じレベルでの実践練習や仲間としての交流もあるのがよいところです。


マルセイユタロットが示す「悟り」

マルセイユタロットには、いわゆる「悟り」の道が描かれているのですが、これが最大にしてもっともシンプルなマルセイユタロットの秘密です。

なんだそんな簡単なことが秘密だったの?と思うかしもれませんが、いいですか、「悟り」ですよ、「悟り」

「悟りの道」を示唆しているものなんて、そうそう世の中にはありません。

ほかにあるとすれば、多くの人は仏教などの経典をイメージされるかもしれませんよね。あるいは高次に啓示を受けた人物が書いたものとか。

それが、絵のついたカードごとき(一般の人が思う感覚ではこうでしょう)に象徴されているのです。考えてみれば不思議なことです。

とはいえ、現実的には「悟り」なんて言うと、宗教ぽいですし、あまりにも大きなテーマで、「そんなこと無理無理」「考えるだけ無駄」「そんなこと思っても、現実的に生活が楽になるわけではない」と思うのが本音でしょう。

そう、実はあまりにもテーマが壮大すぎると、人は自分のことと感じることができません

精神世界が宗教ぽくなってしまうのも、「精神」なので物質や現実とのリンクが希薄なことと同時に、このように扱うテーマがあまりに広大なので、とらえがたい、現実感がないというのが理由でしょう。

特に人が実際に悩んだり、苦しんだりすることは、例えば「目の前の好きな人の気持ちがどうなのか?」とか、「お金が足りない、何とかしなくては・・」とか、「毎日の仕事がつらい、つまらない・・」とか、狭く個人的なテーマであることが多く、いちいち宇宙とか愛とか感じている暇はないんだよ、という方が実際ではと思います。

しかし、実は壮大なテーマと個人的で卑近な問題・課題はつながっているのです。というより、つなげけていくと、気持ちが楽になったり、現実的な生活や悩みが縮小したり、解消したりしていきます。

ただ、個別テーマと大きな全体テーマの関係性が切り離されていると、どちらか一方だけをしきりに向き合おうとして、それは一時的な問題解決にはなりますが、またぞろ、似たような身近な問題や課題としてテーマが浮上してきます

宇宙は大きなことを気付かせるために、身近で個別なあなた自身のことや、あなたの周囲で起こる小さな事で表現させる(わからせる)のです。

マルセイユタロットの場合、この個別と全体という関係性をうまくつなげてくれるツールとして活用することができます。

いわばそれは、「悟り」というようなでっかいことを想定しながら、毎日の生活の中で「悟り」につながる小さな事ことを発見していく作業とも言えます。

両者の関係性に意味を見い出せていない時は、それは無駄な作業であり、ちっとも楽しくありません。

ところが、タロットを使えば、カード一枚一枚に大きなテーマと小さなテーマが同時に含まれ、気づきが待っていることが見えてきます。

簡単に言えば、私たちが「気づき」や「発見」「理解」「腑に落ちる」「わかった!」「そうだったのか」という言葉で呼ぶその現象こそ、実は「悟り」なのです。

と、私はタロットを見ながら思うのです。(大きな悟りに至っているわけではないので、大それたことは言えませんが)

小さな「悟り」があることは、大きな「悟り」があるからという前提にもなります。

小さな悟りを積み重ねると、真の悟りになるという考えではなく、もともと悟っている存在で完全であることを、小さな悟りを蓄積して(刺激にして)思い出すという方向性の逆で見るのです。すると、大きな「悟り」が自分のどこかにすでに存在していることを想定できるようになります。

すでに自分は悟っている存在ながら、現実生活の中であえてハンディをつけ、悟りゲームを楽しんでいるようなものと考えればよいでしょう。

マルセイユタロットは大アルカナと小アルカナのデザインが明確に区別されているのが特徴です。

私も当初はよくわからないところもあったのですが、これは明らかに意図してそうされていることが次第に確信をもって理解できてきました。

占い的にタロットを使っていてはなかなかわからないことであり、そのため、占い師の使うタロットは大も小もほぼ同じデザインであったり、同じような絵柄であったりするカードが使われるわけです。その方が「占い」としては使いやすいでしょう。

しかしマルセイユタロットはふたつ(大アルカナと小アルカナ)を区別する必要があったのです。

それが、先述した大きなテーマと小さな身近なテーマとの区別であり、そしてタロットがセット(デッキ)としてひと組78枚(大アルカナ22枚・小アルカナ56枚)であるように、大と小のアルカナが合わされることで、大テーマと小テーマの統合が図られる仕組みになっているのです。

しかも、大アルカナにもそれぞれ小さなテーマが含まれており、どのカードもたった一枚だけで完全性が象徴されています。それゆえ、一枚一枚を具体的なテーマや課題にも象徴させることができ、抽象的ながら具体的な事柄に対処することが可能になってくるのです。

今さらながら、マルセイユタロットのおそるべきとも言える、その計算しつくされた構成と構造に、驚きを覚えます。


モデルの人と自分は同じで違う。

成功している人や有名な人、意識の高いと思えるような人などの言動から、人はよい影響を受けることがあります。

モデリングと言って、自分がなりたい人物を意識して考え行動することは、スピリチュアル的にいうと、波動転写という作用に近くなり、自分の枠を拡大させることにつながることもあります。

しかしながらも、物事には二面が必ずあります。

マイナスとしては、もしその人のようになかなか自分がなれなかったり、思うように行かないことが続いたりする時は反作用も大きく、モデルにした人自体を批判したり、自分はダメだと自らを責めたりするようになります。

結構、カリスマ的な人物は、「成長意識のない人、行動しない人は一生そうやっていなさい、自分を怠惰なままダメ人生で生きてください」など辛辣に言われる人もいるので(^_^;)、つらいと感じる人もいるでしょう。

頑張ったけどうまく行かないと落ち込んだり怒ったりして、モデルの人を批判したり自分を責めたりすることも、結局、自分の怒りや悲しみを他者に向けるか自分に向けるかの違いだけであって、構造的には同じものと考えられます。

どちらにしても、実は自分を責めていることになるのです。

前者は他者(モデルにした人)を批判しているのに、どうして自分を責めることになるのかと思われるかもしれませんが、これはつまるところ、自分を投影した人物を批判していることなので、理想の自分になれない自己に怒りや悲しみを覚えていて、鏡映しの自分に文句を言っているようなものなのです。

人の人生を考察していくとわかりますが、どんな人にも感情の波はあり、いつもポジティブであったり、意識が高かったりするわけではありません。平坦な時もあれば、輝かしく何も問題がないような時代もあり、また苦しく失敗だと思う時期もあるはずです。

あなたがモデルにしたような理想的な人であっても、そこまでたどり着くのには、数々の大小の波を渡ってきたわけです。

いきなりその人のレベルの波をあなたが乗りこなそうとしても、やはり今のあなたの段階では難しいことがあるのです。

もっと正確にいうと、難しいと「感じる」段階があなたで、簡単であると思えるレベルがモデルの人だとなります。そのこと自体が平易かそうでないか、実行可能か不可能であるのかの問題よりも、「感じ方」のギャップのほうが大きいのです、

よくモデルになるような人は言います。

「私だからできたのよと言われるかもしれませんが、これは誰でも、あなたにだってできることなのです! 以前のダメな私にだってできたのですから」と。

これは真実でありながらも、嘘になってしまう部分があります。

というのは、この人の中では本当にそのように思っているので、この人としては「真実」なのです。そして「ダメな自分」と表見しているように、この人もあなたのレベルや次元にいたことがあるから、真実だとこの人なりに言うことができるのです。

しかし、前述したように、成功や成長したために、当時の自分の感性・感じ方と今ではすでに違ってきていることに気がついていない人たちがいます。

生まれた瞬間からスーパーな人だった人は誰もいません。みんな赤ちゃんで保護者に育てられます。

そのため、こういう人は「昔の自分を思えば、今こうして現在の自分を見ても、本質的には何も変わってないし、確かにそれなりに努力はしたかもしれないけれど、私って特別の人間じゃないし、やはりやれば誰でもできるはず」と感じるわけです。無力な時代は通っているのですから。

ところが、梯子の上と下ではやはり高さの違いがあります。

モデルのことを理想だと思っている人が、「やっぱりすごいな、この人は」「でも私にはできないわ・・」「この人だからできるんだよね」と感じるその心も実は本物なのです。

上から見下ろすと誰でもできるように思うかもしれませんが、下から見ると、やっばり高くて遠い道のりということもあります。

結局、モデルも、モデルを理想とする人も、どちらも言うことや感じることはそのまま真実と言えます。嘘はついていないのです。

しかし不思議なことに、次元やレベルが異なると、それが時に嘘に思えるようにもなるのです。

そこで、モデルにあこがれている人(ああいう人になりたいと思ってる人)で大切なのは、必ずしもモデルや尊敬する人の言うことに、自分がその通りにできなかったり、考えに至らなかったりしたとしても、自分を責めないことです。

落ち込むことは普通にあるのが人間ですし、あなたはモデルの人そのものではなく、あなたはあなたなのです。モデルの人はあなたの投影の部分もあるでしょうが、やはり個人としては別です。

あなたはあなたなりのペースで、魅力を感じた人の要素を真似したり、採り入れたりして、モデルの人に見た「あなたの個性」を生かすようにすればよいのです。

個性があるということは、それだけ違うペースや進み方、発展性があるという意味にもなります。教科書通りの進展にならないほうが当たり前です。

時間がかかり、変化の度合いが言われるようなものでなかったとしても、それも自分の表現です。

「成功」という面で考えても、マルセイユタロットは成功を、現実レベルと精神レベル、さらにスピリチュアルレベルがあると説き、少なくともこのように三層あるわけですから、どの分野で成功しても、それは確かに成功といえます。

個性を持って生まれた時点で成功という人もいます。人はすべてはひとつかもしれませんが、誰一人同じ人はいませんから、あなたの生き方が成功と述べてもよいのです。

ただし、あなたが「自分を生きていない」と思えば、それは「個性を生きていない」ということなので「失敗」だと自分で決めているようなものであり、それは、つらいと感じる人生となるでしょう。


お金は出すと入ってくるのか?

私自身はマルセイユタロットを教え伝える講師をしておりますが、あくまで一人の普通の人間であり、強みもあれば、もちろん弱みもたくさんあります。そして学び足りない分野もいくらでもあります。

ということで、アウトプットばかりではなく、インプットのために受講側に回る機会が自然と出てきます。

人に何かを伝えるということをしている者は、逆にもっと学びたい、吸収したいということになってきます。それは普段は「出して」いるのですか、「入れていく」ことも多くなるのはバランス的にも当然と言えます。

このように「出して」いれば、自ずと「入る」ような働きになりますが、ではお金がそうならないのはなぜなのでしょうか?

バランス論からすれば、お金をたくさん使ったら、いっぱい入ってきてもおかしくないですよね?

ところが、バランスというものは、必ずしも同じ物質や形でバランスが図られるわけではないのが、この宇宙の仕組みのようです。

お金を出したらそのままお金が入るのかといえば、そうではないのは、皆さん、当たり前に経験していることですよね。

でも実は、きちんと「入って」きているのです。

何が入っているのでしょうか?

それは、使った分の形と、満足感のような気持ち・感情です。

モノを買えば、当然、そのモノを販売した側からいただくことになります。ということは、単純にモノとして入ってきたということになりますよね。

またモノではないものならば、知識とか情報とか、楽しい、うれしい、良かった、癒された・・みたいな感情ということもあるでしょう。

もし自分で使ったお金と、その価値に見合うモノか情報・感情を手に入れていない時は、あなたの中で葛藤や不満足感が起き、そのバランスを回復させようと、別の行動や感情を発生させます。

また、単に出す・入るを局面だけの完結で考えていると、今あるレベルのものを出して、その分を入れるだけということになります。

簡単に言えば、循環や流れ、別の表現になって変換していくというイメージがないと、規模を拡大させることができないという意味です。

財布に入っている一万円のみで何か買って支払い、支払った分の何かをもらっても、それだけの世界(一万円だけの世界)です。

これでは「一万円という世界」において、増えも減りも実はしていません。一万円から何かを購入した残額と、買った何かの価値分を足して、やはり一万円ということです。

お金がもっと入るようにしたいとすれば、一万円世界をもっと拡大することが必要です。

でもイメージしただけではもちろん何も起きません。財布の中の一万円だけの世界の枠を拡げ、循環させたり、外の世界と出し入れでつながっていったりするような流れ・仕組みが必要なのです。

お金を消費しただけでは、その世界内での完結に近いです。

何も考えず、単純に出せば入るのだと思ってお金を使っても(消費しても)、本当は支払った金額に応じて、モノや価値に置き換わっているだけなので、確かに「(モノや感情として)入って」はいるのですが、実質、見た目の「お金」の形としては、出る(減る)一方になります。

やっかいなのは、見た目のこの「お金」というものが、現代では交換価値を持つ重要な「」なので、お金が見た目(実際)に自分のものとしてあることが重要になっているということです。

だから消費して別のモノに置き換わっていても、お金の実体として「ない」ので、消費すればするほど貧しくなるという状況になります。(置き換わったモノを売れば、少し金額は減ってもちょっとお金に戻るでしょうが)

ということでお金がほしい人は、使ったお金をまたお金に戻す作業(戻す量はやり方で半額になったり、逆に倍以上になったりします)か、循環の流れを意識し、もっと流入と流出の規模を拡大させるということが大切となります。

結局それは投資とか、自分の持っているモノ、資産、知識、技術、個性、体力、魅力、時間等、いわばエネルギーをお金の表現に変えていくということになるでしょう。

スピリチュアルでよく言われる「与える」「先に使う」などを、単純にお金にそのまま適用することは、ある人にとっては、先述した「消費」の過剰になりますので危険とも言えます。

「与える」「先に使う」ことで豊かさを入手するというのは、本質では私もその通りだと思いますが、個別やレベルによって適用も異なってきますので、そのまま文字通りと解釈しないことだと思います。

しかし、お金の使い方を投資やエネルギーの循環と変換的な見方でとらえる人は、きっとお金を先に使う(出す)ことで、あとから潤うことはできてくるでしょう。


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