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マルセイユタロット講座とブログのお知らせ
4月になりました。桜の開花も進んで、いよいよ春爛漫といった感じになってきました。
今日はエイプリルフールではありますが、本日の記事は嘘ではありませんのでご心配なく(^^;)です。
さて、新しい年度になったことですし、タロット講座やリーディング、ブログの今後のことについて少し書いてみたいと思います。
まずマルセイユタロットを学習したいという方には、この4月から始まる講座があります。
ひとつは、本格的に様々な知識とともに学ぶ「基礎講座ハイクラス」。
日程は4/27,28 5/17,18 6/21,22の全6日間です。あと2名で募集を打ち切りますので、お急ぎください。詳しくはこちらをご覧ください。
基礎講座ハイクラスは、マルセイユタロットに伝えられる秘めたる知識・口伝も含めてお話し、タロットワークやタロットリーディング実践をしながら、自分にとって必要なもの、発展させる方向性、解放する部分などを洞察し、タロットの知識とスキルを固めながら、自己を高めていくというコースです。
この講座を受けると、ほかの技法や相談資格などをお持ちの方は特に、タロットを使った対人援助を企画することができるでしょう。また自分のためにタロットを使う目的の方は、ベースとなる象徴知識を使うことで、今後、あらゆるものの学び・世界のとらえ方がスムースになっていくのを感じることができます。
それはつまり、心や物事の整理と進路の明確さにつながり、タロットを使って真剣になればなるほど、自己の改革が進展していく仕組みとなっています。経済的な変化で出る人もいれば、心の満足の増幅で実感する人もいます。
私は「占い」のタロットを教えていないので、占い師としてタロットを使いたいと思う人には「関係ないかも?」と考えているかもしれませんが、いわゆる古いタイプの占い師から脱却して、時代に合った形を構築するエッセンスが得られるでしょう。
いいか悪いか、運の良し悪し、未来図を当てるといった観点では、自分も人も真の意味では幸せにできないことを講座では知ることになります。
そんな本格的でなくてもよいので、気軽にマルセイユタロットを知りたい、学びたいという方は、カルチャーセンターの講座ががおすすめです。神戸なら、まだ何とか間に合います。(明後日からですので、お早めに「よみうり神戸文化センター
」にお問い合せ・お申込みください)
リーディングにつきましても、単なる「問いに対してタロット展開したものをリーディングする」というものではなく(今までもそうではありませんでしたが)、タロットを使った総合的な相談というスタンスをさらに強め、一人当たりの相談時間を長く取り、いろいろな角度から問題や自己の発展についてアドバイスしていく形にいたします。
それからこのブログですが、前にもお話しておりましたが、私自身ももっといろいろな形・表現でマルセイユタロットを伝えていきたいと考えておりますので、今後はブログ以外に誰でも登録すれば読めるメルマガを創刊し、ブログと併せて書いていきたいと思っております。
そのため、ブログの更新の間隔を少し広げ、代わりの分はメルマガで発信して行きます。(ブログも続きます)
メルマガは文章だけではなく、メルマガに記載されたリンク先で、音声や動画などによって、マルセイユタロットとその活用の方法について、皆さんにお話することもあるかもしれません。
そんなことを思うと、とてもワクワクしてきます。無料のミニ講座なんかもできればいいなと考えています。
今月から準備のために、ブログ更新を前よりも少なくいたしますが、メルマガがご案内できるようになりましたら、お知らせしたいと存じます。その節は、どうぞよろしくご登録をお願い申し上げます。
すでにタロット講座を受講された方(カルチャーとか基礎とか種類は問わず)には、受講者・修了者用のメルマガを継続発行しておりますが、登録申請(未登録者は私に希望する旨のメールが必要)したのに届いていない方はご連絡くださいね。新しく学習者用の掲示板も作りましたので、是非、ご活用ください。
また、受講修了者特別相談期間として、4月から6月の間、時間を作って、希望者に個人面談、タロット学習と活用におけるアフターフォローの相談をしたいと考えております。掲示板のほうに書き込みますので、また見ておいてください。
思いの現実化とリアリティ
以前、私がタロットをしていると言うと、ある人に、
「僕、ジャニーズに入れますかね?」
と聞かれたことがあります。
年の頃は40代手前と言ったところでしょうか。またちょっとイケメンとは言い難い、普通のおじさんです。
と書くと、皆さん、「無理!無理!」と思うでしょう。
この人は本気? いえいえ、さすがにその人の冗談での話でした。
しかしながら、このことは当時、「引き寄せの法則」などが公に出始めた頃と言うこともあり、私には重要な示唆を与えてくれました。
そこから、「思うことと現実になることの関連」について、マルセイユタロットを介しながら、考察していたことがあります。
その過程で少しわかったことがあります。今日はそれについて書こうと思います。、
結局、言えることは、「本当に自分で可能だと思わないと、それを実現することは(ほぼ)不可能である」ということです。※ほかの、偶然性での実現もあるのて、必ずしもではないのですが、「思考の現実化理論」面としてとらえてください。
このことは、今や半ば当たり前のように、精神世界や超心理においては語られることですよね。
ただし、これはそのままで解釈しないことです。
それについて(そのまま文字通りの解釈では通じないこと)も、たぶん皆さんは、こんな風に理解している人が多いと思います。
曰く、「潜在意識において、本当に自分が信じているかどうかによって(実現度)が決まる」と。
これはある意味、言ってみれば、「潜在意識」や「深層心理」というような、ブラックボックス的なものに託して、あるいはそれですべて片付けてしまって、理解を終えてしまう(思考を止めてしまう)ということに近いと思います。
ですから潜在意識にすり込むとか、本当の気持ちになるまで思い込むとか、イメージするとかという方法論になるのだと想像できます。
とはいえ、難しいのは、どこまでが顕在意識で、どこからが潜在意識なのかは、それこそわかりづらいところです。
そこで、私が考える「本当に自分で可能だと思えば、それが叶う、現実になる」ということの基本は、本人のリアリティ(現実)感にあると思っています。これは潜在意識というより、顕在意識、自分でわかっている部分においてを主に指します。
言ってみれば、潜在意識理論と結局は同じことなのかもしれませんが、顕在意識も明らかに矛盾せずに認識しているという点ではちょっと違うかもしれません。
実現したいこと、願望が、本当に自分にとって現実感となっているかどうか、これが重要です。
現実感なので、「感覚」ということがメインになりますが、「思考」も関係します。それについてはあとで述べます。
感覚が大事だというと、よくあるのが、写真とかイメージを使って「すでになっている」「すでに実現している」ことを思い浮かべたり、イメージを濃くするために利用したりする方法です。
これも一理あるとは思いますが、肝心なのは、その方法で本当に自分にリアリティが出ているのかどうかということです。
このリアリティとは、そのことができる(達成されている)普遍感(普通感)とか、(外にあるまだ未達成の願望というより)自分の中に取り込んだ「できるという、手が届きそうな実感覚」と言ってもよいでしょう。「無理だ」というのではなく、明らかに「できる」「できそう」と思える感覚です。
単にイメージしても、「自分にはできそうもない」と思っていたり、イメージすること自体を楽しんでいたりする状態(イメージ遊び)程度ではあまり効果はないでしょう。(イメージ力を向上させるためには、それは無駄ではありません)
イメージングによって、自分に願望が達成できる確信や自信、色の付いた夢のような世界にどっぷりと移行できる人は(まれにいます、イメージ力がとてつもなく強い人です)、実現の可能性も高いです。
それは達成したいそのこと自体に、すでにリアリティを感じているからです。
しかし普通の人はなかなかリアリティを保ち続けることができません。
スピリチュアル的に言えば、波動(周波数と呼んでもよい)が、まだ願望の状態の表すそれとは異なっているままだからです。
一時的にイメージングや他の方法でもって、波動をそれに近くしたところで、またすぐに今の自分の状態の波動に戻ってしまうのです。
ここに、感覚だけでは(願望達成や思いの現実化は)難しいということがわかります。
ではどうすればそのリアリティを持続させられるのかと言えば、それに「思考」の変化と維持が加わってくるのです。
言い換えれば「情報」の収集と扱い方と言えましょう。
つまり、思いを実現できる可能性のための方法であったり、コネであったり、場所や時間であったりすることに関心を寄せていくということになります。それは行動にしなければならないこともあり、現実の情報である必要性もあります。
情報は現実とリンクさせ、妄想やファンタジー的な感覚で集めないことです。
そうして自分の思いが実現できそうだと思える段階まで、その関連情報にふれ、自分の思いの「達成リアリティ」を増していきます。
一時的に望みの波動・周波数に合わすことができても、常の今の状態にリセットされがちですから、いわば「常」状態の波動を、情報によって段階的に上げていく作業をすると言い換えてもよいでしょう。
「できる」という可能性の思いを、確信に変えていくための情報と行動ということになります。
それによって思考(の波動)が変わり、10よりも20、20よりも30という世界観になっていきます。
目指すものの指数が仮に「100」レベルであれば、感覚的に「100」の世界を味わったり体験したりすることも大切ですが、まずは自分が今「10」ならば、「30」、「50」という状態が普通の、つまりリアリティ感があるように持っていくことのほうが重要だと言えます。
電波に情報が載っているように、波には情報があります。
波動のレベルが変化すると、それだけ情報の質と量も異なりますし、逆に今までとは別レベルの情報を入れ蓄積していくと、波動も変わっていくのです。
ただし、入れるだけではなく、目的をもって、「望むリアリティさを自分にもたらすため」というように活用していかないと、現実の変化は望めません。
「思いの現実感」をいかに獲得するか、維持して常態化するかによって、まさに現実になるかどうかが違ってくると言えます。
さらにわかりやすく整理しますと、「願望達成状態の感覚になじめていない」という部分と、「願望達成の現実的方法がわからない、知らない(知らないからイメージもできない、現実感がわかない)」というふたつの(理想と現実の)乖離があるため、望みへのリアリティ感が持てず、今の自分の状況に留まっているということになります。
タロットリーディングの部屋を持ちたい人へ。
かつて、タロットリーディングをする部屋を探していた時の話をします。
タロットリーディングをする目的で、部屋を借りに不動産屋さんに行けば、まあ、最初に困るのが、不動産屋さんへの業務内容説明です。(^_^;)
「カードを使った対人相談」というのが本来だと思いますが、それでは一般的にわかりづらいのですね。
しかも、今はそうでもないかもしれませんが、大体は不動産屋さんと言えば、男性の社員が多く、「タロット」と言ってもそれが何なのかわからないということになります。
また女性だったり、タロットを知っている男性の方でも、やはり「タロット」と聞くと「占い」になってしまって、結局「占いの営業ですか」となるわけです。。。
もちろん私の行うタロットリーディングでも、大きな範疇で言えば、「占い」といえば占いのところもなきにしもあらずですし、一部はそのテクニックで成り立っているところもあります。
とはいえ、一般的に「タロット占い」と言うと、不動産産さんもそうでしたが、「水晶置いて、ヴェールかぶって、怪しげにカードを見る」(笑)みたいなイメージなのですよね。
何とか理解してもらえたとしても、次にやってくる問題が、「不特定多数の方が訪れる営業形態で、部屋を貸すところは少ない」ということです。
もちろん、最初から割り切って、事務所貸しであるとすればそれなりの物件はありますが、それはやはり事務所仕様なので家賃は高いですし、多くは落ち着いた感じがあまりありません。
たとえば「(スピリチュアル的な)セッション」というようなイメージで行くと、マンションとか静かな感じの住宅ということになるでしょうが、そういう物件は住居物件がほとんどですから、家主さんが不特定多数の人に入って来られるような目的で貸したくはないわけですね。
また、借りる本人が、もし完全予約制ではなくて、誰でも外から飛び入りで入って来られるような営業をしたいと思っているのならば、ひっそりとした住居形態のような場所は、当然合いません。
その場合で、比較的安く借りたいと思えば、繁華街の雑居ビルみたいなところを紹介されるでしょうか。
いずれにしても、タロットリーディング用の部屋を借りるというのは難儀なものなのです。(資金が有り余っている場合は別ですが)
それと、私の場合、最初の頃は友人のタロットリーダーたちと共同で借りようとしていたことがあります。
これもいろいろと問題が生じます。
ひとつは、お金の配分問題です。
借りる資金と借りた後の経費分担や営業収入の配分など、きっちりと取り決めておかないと、あとで問題となります。
できれば文書で最低覚え書きくらい書いておいたほうがいいでしょうね。下手すると、友人や仲間関係自体にヒビが入ることもあります。結構重要なのは、初めより終わり、つまり撤退する時の処理費用負担です。
次に、個人個人の考えや思い、イメージの違いによる問題です。
実際に私もありましたが、私の考えるタロット部屋のイメージと、友人・知人のものとではまったく違っていたということがあります。
その時の友人は、繁華街やもっと言えば風俗街にある部屋でもOKではないかと主張していました。
私は都会は都会でも、普通の場所でいいのではないか(ただし交通は便利なところ)と思っていました。
これはでも、どちらがよいとか悪いとかではなく、営業におけるコンセプトの一致を試みていなかったから齟齬が生じたのです。
この場合は、友人は「占いのお客さんが現実的に来そうな場所」を求めていたということです。
繁華街や風俗街ならば、悩めるいろいろな人たちがいらっしゃり、表だっての相談よりも、占い的な相談需要は多いだろうと踏んでいたわけです。
ボランティアが目的ではありませんので、営業ベースで考えれば、これはこれで冷静な意見だと、今では思います。
当時の私はただ素人的な発想で、「このタロットリーディングを経験してもらいたい、そうすれば口コミで・・」という青臭い青年みたいに思っていただけで、営業のことは知識も経験もなく、ただオープンすればいいのだとさえ考えていた節があります。
とにかく、これは極端な話ですが、そういう考えやイメージ・コンセプトの不一致による仲間割れもありうるわけです。
ほかにも、別の方と借りに行くこともあったのですが、これもよい部屋だと最初思ったのが、どうも嫌な感じがあとから沸々とわき起こり、これはヤバイなとなってきたので、当初二人で納得してほぼ契約していたのを、友人に頼み込んで解除した経験もあります。
さすがに、これは友人も気分を害し、私はひたすら平謝りするしかなかったですが・・・
このように、タロットや占いをされる人の中で、借りる本人が妙な感性に悩まされるところもあって、条件的にはよい部屋であっても、どこか違和感を覚えたり、寒気がしたりして契約ができない、あるいはあとで嫌になってくるなどのこともあり得ます。
ただ部屋が悪いというより、本人のただの思い込み(ナーバスになりすぎている、あるいは完璧な部屋を求めすぎているなど)の場合もあるので、気をつけなければなりません。
部屋も大事なことは大事ですが、場所よりも、本人(たち)のやる気、営業知識、ここから発展しようという気概と行動、臨機応変な柔軟な心と対応力も必要ということだと思います。
言いたいことは、一人で借りるのであれ、友人たちと共同でレンタルするのであれ、しっかりと前もって話し合い(一人の場合はコンサルの人に相談するなど)、計画をしておくことと、同時に、現実での変化(実際にやってみたあとの事態の変化)にも対応していくということでしょうね。予想外のことが起こるのが普通だと。
そして、何も場所を固定したり、借りたりすることのみがタロットリーディングの営業形態ではないということも思ってほしいです。
なにしろ、今の私は、結局、固定した場所とかルームを持っていませんから。(友人の部屋を一時的に借りることはあります)
また、タロットはその場でリーダーかクライアントが引かないといけないと思い込んではいませんか?
メール相談のように、こちらで遠隔で引いて、あとでお知らせすることも可能です。
場所も自分で自分部屋を借りずとも、どこかのお店とコラボしたり、安価な会議室を借りたりすることもできます。
車(後ろの扉が開くような車)を持っていれば、移動して、駐車場などで駐めて臨時リーディング場所として使うこともできます。コーヒーの移動販売みたない形ですよね。
もちろん、スペースがあるのなら(なくても工夫して作れば)自宅を使うこともできます。女性の方は女性限定とか知り合いの紹介とかですると、やりやすいでしょう。
最初は、なるべくお金をかけずにやっていくことを考えたほうが挫折せずに済みます。
普段普通に働いている人は、割り切って名前を変えて(タロット名をつける)、週末など変身気分で「タロットリーダーになる」としてもいいでしょうね。そのほうが経済的には安心ですし、普段の自分を変えることもできますから、楽しんでやれます。
まずその名前をつけて、名刺を作る(今ならPCで自作できます)だけでもやる気が違ってきますので、やってみてください。
とにかく面倒な人は、占いの館とか、誰かに雇われて出演するというのもあるでしょうね。それはそれで、いろいろな意味で貴重な経験となるはずです。
というようなことで、駆け出しからタロットリーディングで営業したい方に参考になれば幸いです。
タロットの学びのアウトプット
インプットとアウトプットというテーマは、どの世界でも言われることです。
タロットの学びについても同様で、中でもアウトプットはバランス的にも忘れられやすい傾向を持ちます。
学習して蓄積する(インプットする)ことはがりが先に立つのは仕方ありませんが、何らかの形で学んだことを出していく、表現していくほうが、実は本当の意味でタロットの学び、つまりインプットへの寄与にもなるのです。
例えば、私はタロットを教えるということをしていますが、最初にタロットを人に伝えようと思った時に、今までいかにタロットを理解していなかったかということを本当に痛感しました。
自分の中ではわかっているつもりになっていても、いざ客観的に人に説明するということになりますと、なかなかうまく言葉では表せにくいものです。
それはつまりは、まだ理解が自分の感覚段階でしかないことを物語ります。
ただし、だからといって、自分段階での理解が劣っているというわけではありません。
自分なりの感覚や知性で「腑に落ちた」ものがあれば、それは十分自分なりに個別に理解していると言ってもよいものです。
しかし、この世界は二元の分野があり、陰陽、感覚と実体、心とモノ、一と全、個と多など、ふたつの異なる性質で表現されるものでできています。
ですから、ひとつ側の表現ではできていても、別のものではまだなじんでいないだけなのです。理解の仕方の性質の違いと思えばよいでしょう。
それでも実は深くはこのふたつはひとつなので、本当の意味では自分の理解が真のものであるならば、他人への理解も促すことができるのですが、それは少し別の話となります。
ただこの理論からすれば、自分以外へのアプローチや他人へ理解してもらうことも、結局自分に還ってくるということになります。
いずれにしろ、タロット学習において、ただ知識や感覚を自分の中に溜めていくだけではなく、学びを促進し、確実なものとさせるには、外に向かって何らかの働きかけをする必要があります。
一番ポピュラーなものは、他人へのリーディングをするということでしょう。
ただ、ここで気をつけることは、プロリーダーとしてお金をいただくリーディングをしなくてはならないと思ったり、タロットを受けてくれる人にすごい示唆を与えるリーディングをしなくてはならないと、自分を追い込んだりしないことです。
ここでの目的は、単に学んだものを「アウトプットする」というものだからです。
ここを間違うと、いつまでもアウトプットすることに踏み切れない自分になってしまいます。
プロ的なリーディングでお客様を満足させ、自分も潤わなければならないということは当然ありません。それはプロリーダーがタロットリーディングを仕事とするための目標段階です。
ですからとにかく、タロットを人に使ってみるということを目的としてやればいいのです。
そのため(安心してアウトプットするため)には、相手に対してプロリーディングをすることではないという断りを入れておくことも大事かもしれません。
それができていれば、ネットなどで、「修行中なので無料でリーディングをします、協力してください」と呼びかけることもできます。
もちろんリーディングだけがアウトプットではありません。
単にブログや日記(人に見せなくてもよい)でタロットからの気づきを書くということでもよいでしょう。単純な感想や「学びの(過程)日記」だけでも大きな意味があります。
ほかにも自分なりのタロットノート(たとえばカード一枚一枚や、複数枚のコンビネーションでの意味や気づきを書く)を作成して、「文字で書く」「文章化する」という表現を取るのもありです。
タロットの話ができる人に、タロットからの経験を語るのもよいでしょう。
これは私の勉強会でもかつてやったこともありますが、カードをテーマにして、それに関する自分語りをするというのも面白いアウトプットですね。
創作が好きな人は、カードを引いて、それらを組み合わせてストーリーを創るというのも様々な効果があります。そもそもタロットは創作のネタとしては世界的にも有名なツールです。
人類の(思い方・心のあり方、表現方法の)元型が描かれているのですから、それは当然です。
すでにブログを書いている方は、あるテーマや人物像を決めてカード展開し、自分なりのメッセージをそこからくみ取り、書いてみるとよいでしょう。
例えば、「今苦しい状況にある人へ」「パートナーを見つけたい人へ」「転職を考えている人へ」・・などと決めて、その相手がいるかのように心を込めてカードを引き、リーディングした結果を載せます。
占いのようにオーソドックスに、誕生月や、占星術の体系を借りてサイン(星座)別に一枚引きなどして、メッセージを掲載するのもよいでしょうね。ソウルカードなどのテクニックを知っている人は、それをもとにしてもよいでしょう。
これらは読む人にとっては当たる当たらないなどのことはあるかもしれませんが、書いている側からすれば「自分のアウトプットのため」だと思うと、そんな「当たる当たらない」とか、リーディングの評価は気にしなくてもよくなります。目的が違うのですから。しかし、参考にしてくれる人も世の中にはいらっしゃるでしょう。
それは皆、どこかで潜在意識的にはつながっているところがあるからです。あなたが書いたことは、誰かのメッセージであり、また自分のものでもあるのです。世の中は偶然のようでいて、創造された瞬間、それは偶然ではなくなるのが霊的な世界観だ考えられるからです。
あなたが発生させたものは、それだけ、この世界に、やはり貢献しているのです。
これは大げさな意味を考えるよりも、いろいろな人が様々なものを提供しいるこの世界中の内の、ささやかな一人のエンターテイナ-に自分がなっているのだと考えれば、アウトプットする楽しさと役割に気付いてくることでしょう。
そう、誰もがエンタティナーであり、観客でもあるのです。マルセイユタロットの「1」の数を持つカードが、「手品師」であることも興味深いことです。
あとタロットとは別の学びなどのインプットをすることで、実はタロットに対してアウトプットになるということがあります。これは詳しくはまたの機会に譲りますが、アウトプットはインプット的な行動でそうなることもあるのだと思っていただければよいでしょう。
受け入れることを「斎王」に学ぶ
本日、マルセイユタロットのことを考えていますと、「斎王」(ほかのカードの一般名称では「女教皇」)が特に気になりました。
そうすると、あるメッセージ的なものも心の中で浮かび上がってきます。まるでタロットから言葉や智慧を伝えられているかのような感覚です。(これは逆から見れば、自分の中に存在していたものが、タロットという象徴図柄を通して整理され、取り出されたと考えることもできるのです)
余談ですが、タロットを扱うようになって、このようにして私はインスピレーションを受けたり、物事を整理したりすることが増えました。
タロットから示唆を得る方法としては、ある法則に基づくタロットの並びや展開(これをスプレッドと言います)からの解釈もありますが、カードを並べなくても直接カードから得られるやり方もあるのです。(それにはタロットの表す象徴性を学ばないと、効力は十分に発揮されません)
むしろその方が、「自分使いのタロット」としては有効なのではないかと思っているところもあります。
さて、話を「斎王」に戻します。
「斎王」にはその絵柄の特徴から、「受容性」ということが主なテーマとして象徴されてきます。(もちろん、ほかにも多くの意味があります)
「受容」をそのまま平たく書き換えれば、「受け入れる」こととなります。
しかし私たち人間は、なかなかの素直に物事や他人を受け入れることができません。
できる時は、やはり受け入れるようとする対象や相手になじみがあったり、理解していたり(知っていたり)、もっと言うと「愛」を抱ける場合です。
究極的には最後に述べた「愛」があるかどうかということになってくるのですが、もう少し次元を落としまして、(対象に)愛を持つためにはどうすればいいのかと考えますと、この「受容」を目的とした場合、先程書いた文にもあった「理解する」、あるいは「知る」ことが、まずは必要ではないかと思われます。
なにはともあれ、相手であれ、対象物であれ、そのものを知ることが受け入れるための準備となるのではないでしょうか。
つまりは受け入れたいと思うものに関心や興味を持つということです。
ただ関心を持って知った結果、到底受け入れられないという判断になることもあるでしょう。
でも、それはそれでいいと思います。
何もわからず、ただ「受け入れよ」と言われて、無理矢理盲目のまま受容したところで、あとで違和感が出たり、抑圧した感情が爆発したりで、最終的には受け入れどころか吐き出す結果が目に見えるからです。
食べ物でも実際には毒や体に害になるものがあります。それを知らないで、おいしそうだからと、たとえばフグを全部食べてしまったら、その毒で死んでしまうことになります。
でも、モノと心は違うと言う人もいるかもしれません。特に精神世界やスピリチュアルのことに関心のある方はそう感じる人もいらっしゃるでしょう。
いわく、受け入れるということはそういう判断のことではなく、純粋にあるがままの状態になることなのだと。
そう、私も実はこれはその通りだと思っています。
そこで、もう少し別の観点で「受け入れる」ということについて、考えてみます。というより、感じてみます。
すると、出てきたのはこういうことでした。
結局、受け入れる・受け入れられないということも、やはりひとつの判断ということになります。
感情であれ理屈であれ、何かをもとに評価しているわけですね。ですから、二択の言い方(受け入れられる、受け入れられない)になっているわけです。
ここをですね、二択や二元的言い方からはずしてみます。
すると、どこまでも「受け入れるのみ」か、「受け入れないのみ」かということになります。
今は「受け入れる」ことをテーマとしていますから、あえて「受け入れる」の言い方しかしないとしていきますと、面白いことに気がつきます。
結論からいえば、それは(受け入れるのみの考え方・回答方式は)可能です。
簡単なことですが、たとえば、何かを受け入れようとして、受け入れられないという感情や判断が出たならば、それ自身(受け入れられないという感情や判断)を受け入れるとするだけです。
そしてまた、その自分の「受け入れる」態度や方法に疑念や疑義が生じたら、またその疑いや違和感を覚えている自分を受け入れるということを繰り返します。
ま、簡単に言えば「受け入れられないと思っている自分を認める、自覚する」という作業になるでしょうか。
受け入れられないものを受け入れろと言っているではありませんから、これは誰でもできると思います。
「それは嫌だな」「受け入れられないよ」という「思い」があるのを、ただ「受け入れる」だけですから。
これはですね、やってみるとわかりますが、案外すごく楽しいものです。否定することがないわけですからね。
否定は時に冷静なったり、客観性を持ったりするためにも必要なものですが、やはり否定自体は、多くの人にとって感情的には気分のよいものではないですからね。
そうして、受け入れ循環をしていくと、段々いろいろなことが笑って見られるようなってきます。そうなると受容の成功といえるでしょう。
この特徴は、決して自分の信念や教義・価値観などにおいて相手に屈したり、迎合したり、考えを曲げて受け入れるというのではなく、自分は自分の信じるところのまま、それでも受容という作業は行っているということにあります。(ところが、受容作業が進むと、やがて自分の信念さえも溶けていくということが起こります、そのひとつの兆しが「笑い」です)
実はマルセイユタロットにおいて、「斎王」と「吊るし」はある共通するものを持つのですが、この観点から見ると、「吊るし」の人物が笑っているように見えるのも、すごく象徴的だと感じます。
それから先述したように、「知ること」「関心を持つこと」も受容の準備には関係することを、頭の隅に置いておくとよいです。これはマルセイユタロットでは「手品師」と「斎王」との並びに例えることもできますね。
