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思い込みも恋のうち。

私が伝えるタロットの、特にリーディングの場合、重要なのは「その人の信じるストーリーが何なのか」ということです。

世の中は客観的でいて、実はほぼそれぞれの主観で出来上がっているものだと思います。

自分の見ている世界、信じている世界は人と共通する部分もあるにはありますが、まったく同一ということはありえないでしょう。

ということは、一人一人、別の世界で生きているという表現にもなりますし、もっといえば、自分の思いが自分の世界であるという、結局、精神世界でよく言われているような結論になってきます。

これが正しいかどうかを探究していくのもありでしょうし、また現実は現実で、皆感じ方は違うとはいえ、同じ世界に生きていることは変わりないので、人の感じ方や思いはそう影響はないのだと思うこともできます。

ですが、自分が楽になったり、幸せになったりする観点でいえば、やはり自分の「思い方・信じ方」と、そこから生み出されるストーリーは重要な意味を持ちます。

例えば同じ気温でも、もっと暑い所から来た人がそこに入れば涼しいと感じるでしょうし、かなり寒い所から来た人は逆に温かいと感じるように、数値で計ることのできる客観要素があったとしても、個人の思い方・感じ方によって変わるわけですから、思いと感情、信念というものは人生に影響すると考えるほうが実は合理的です。

さて、そのようなことは今までも多くの人や書籍でよく言われていますので、今更言われても・・みたいなところはあると思います。

そこで、今回はこの「自分の思いが世界を作る」ということを、恋愛をテーマに、ちょっと皆さんに考えてほしいことを書きます。

なぜ恋愛なのかと言いますと、恋愛がなかなかに「信じ込み」の世界であるからです。

結婚詐欺とまで言いませんが(笑)、相手に恋心を抱かせるテクニックというのは、古今東西、いろいろと工夫がさなれてきました。それをいい意味で教え、使う人たちもいます。

これは理屈ではなく、感情や思い込みの操作で恋愛をしていると錯覚できることを物語っています。

一方、恋愛は自分がしたいと思ってもできるものではないですし、気がつけば恋に落ちている、好きになっていたというように、自然に感情がわき起こり、恋愛が生まれていたという場合が人によって多く語られます。

つまり、恋愛には自主的な意図とか意志があまりはさまれにくく、そこに運命のようなものを感じる人が出てくるということになります。

しかし、果たしてそうなのでしょうか?

もしすかると、あらかじめ、自分には「そういう恋愛をしたい」「そのような相手と関係を持ちたい」というストーリーがもともとあり、その実現のために自分が近い相手を選び、その相手を勝手に自分の思い描いていた恋のストーリーの登場人物にさせ、無理矢理物語を演じようと自分自身にも課しているのではないかということもあるかもしれないのです。

簡単に言えば、「この人こそ運命の人だ」「この人がソウルメイトなんだ」と思い込むことで、ストーリーを現実化しようとしているということです。

もちろん恋愛は相手がいることですから、自分がそう思っても、相手が自分のストーリーとの融合(相手にもストーリーがあります)を果たしにくい、難しいと感じた場合は双方に齟齬が起き、どちらか、あるいは両方苦しむことになります。

今述べていることは、恋愛は出会う相手と何らかの交流やコミュニケーション、経験を経て恋に落ちる、恋愛モードに入ると一般的には思われていますが、そうではなく、逆に考えて、もともと自分がしたい恋愛があって、それにたまたま近くにいた人、出会った人などを当てはめて、自分自身が相手との恋愛モードとスートリーを意図的に創り上げているのだという考えです。

言わば自然の流れから来る因果・結果というより、もともとの目的や目標・望みのために、自分が生み出す世界に恋愛があるということです。

そしてここが重要なのですが、自分の望む恋愛ストーリーと言っても、表面的な意識・願望が本当のシナリオではなく、真の台本は自分でも気がつかない潜在意識のような部分にあるのだと推測できることです。

極論すれば、あなたが誰かを好きになるのも、パートナーを選ぶのも、すべては真の台本にあてはめようとする、あなた自身の映画や舞台作り、表現と言えます。

あなたが恋愛する相手は、あなたの映画や舞台に出演するために無意識にオーディションに来た人だといえるでしょう。

あなたは図らずもその人を選別し、「この人ならば自分のストーリーを現実的にうまく演じてくれそうだ(表現してくれそうだ)」と思う人に合格サインを出し、相手も自分の物語を創っている最中ですから、相手自身の雇われる条件にも合えば、めでたく恋愛物語が始まっていくことになります。

ですから誰でもいいわけではなく、やはり両方(自分と相手という意味の両方と、自分の顕在・潜在意識との両方)での選択があるのです。

しかし、恋は偶然や自然発生的に一緒にいたから始まったとか、一目惚れで突如発生したというものではなく、そこには自分が気がついていないことや、目に見えない仕組みのような働きがあり、結局はあなたのストーリーの世界観に当てはまる人を選んでいるということができます。

このことはマルセイユタロットの「恋人」カード、その他を見ているとよくわかります。

従って、恋愛においても、いや恋愛たがらこそ、あなたの奥底で信じている物語、ストーリー、世界観が極めて重要なのです。

それ(自分の信じているストーリー)によって、大げさにいえば、パートナーも変わってしまうくらいの「力」を持ちます。

さらには、ストーリー自体、人生そのものを変えてしまうパワーも秘められています。自分の中でストーリーが納得いくものであるならば、書き換えも可能ですし、実際の力も持ちます。

※ちなみにマルセイユタロットには「力」というカードもあります。

逆に自分が信じられないストーリー、納得できないストーリー、感情と理屈が整理できないストーリーは葛藤を呼び、現実の状態が混乱した世界にあるかのように、あなたは感じていくことになります。

タロットリーディングでストーリーを重視するのには、こうした理由があるのです。


相談をする前に知っておくとよいこと。

悩み事が発生しますと、人はあせってしまい、冷静な判断ができなくなります。

逆に言えば、動揺していたり、落ち着いて判断が下せない状況が続いていたりする場合は、どこか自分が普通ではない状態にいること、何か気がかりなことが行動にも影響を及ぼしていることに気が付いたほうがよいでしょう。

自分の経験からも、うつ病や神経症の初期においても、気がつかないうちに判断力が低下しているような状態になっていることがありますので、気をつけるとよいでしょう。

そんなことですので、誰かに何かを相談しようという心理状態で「冷静になれ」というほうが間違いなのですが、それでも、そうなる前に覚えておくとよいことがあります。

それは盲目的に、とにかく誰か人に相談をする前に、自分の問題を整理してみるということです。

特に、スピリチュアルや精神傾向の強い人の中には、何でもスピリチュアル(一般的に多くの人にイメージされる狭義の意味での「スピリチュアル」で、いわばスピリチュアルブームとか、パワースポットとかで使われるような意味です)で解決してしまうと思っている人がいます。

確かに自分の次元が上がったり、波動と呼ぶべきかどうかわかりませんが、そういう性質のものが高まったりすることで、問題がほとんど解決してしまうことは私も経験的に知っています。

ただし、そうとも限らない場合もありますし、波動を上げるためにはそもそもの根本的な不安や、現実的な問題への取り組みが必要なことがあるのです。

スピリチュアルなセッションを受けたからといって、問題が解決するかといえば、それは厳しい言い方をすれば本人次第のところがあります。

優れたスピリチュアルリーダーやセラピストなどの人で、それでも相手を変えていく示唆を与えていくことができる人もいますが、自分を変えるのは自分だけであり、相手に依存していると、一時的な気分の良さに留まる恐れが強いのです。

端的に言えば、相談内容を自分で分析して選別し、その上で、その分野の専門家強みを持つ人に相談したほうが解決は早いということです。

ただし、すべての問題の「根」というものがあるケースも結構存在しますので、一度はそういった自分の問題の本質をわからせてくれる相談を受けてみるのもよいでしょう。

こうした場合は、スピリチュアルと呼ばれるような傾向を持つ人・技法のある人に相談することは合っていると思います。

逆にお金の問題や集客・宣伝、法律、養育・福祉の問題など、何かに特化しているような問題は、その問題解決の専門家に当たってみることのほうがいい場合があります。

極端な例ですが、経済的に切羽詰まって苦しいのに、どうしたら楽になれますか?とカウンセラーに相談し、心のあり方ばかり説かれても、問題は解決しません。

ところが、実際にはこういう相談スタイル(相談相手を間違えていること)をしてしまっている人が多いのです。

それから意外に知られていませんが、結構、行政機関・半行政機関などの所は、無料で各分野の相談に応じているところがあります。

行政ではたらしい回しされるのではないかという危惧があるかもしれませんが、確かにそういうところもなきしもあらずですが、今の行政機関は対人サービスも教育されていることが多く、昔ほど悪いことはないでしょう。何も高額な専門家の相談を受ける方法だけではないのです。

それと、もうひとつ、アドバイスというものは、抽象と具体があります。

抽象的なアドバイスは心や精神世界系には多いのですが、それが悪いわけではありません。

目に見えない世界は当然具体的ではないのが普通なのです。ですから「象徴」的な表現となり、それが抽象的なものとして聞こえることもあります。

抽象的ということは、漠然とはしていても、大局的、総合的なことでもあります。ですから実は本質(あり方のようなもの)や大まかな方向性がわかるのです。

しかしながら、やはり具体性には欠けますので、どうすればよいのか、何から始めればいいのか、いつ、どこですればよいのか、この選択は正しいのかどうか、というようなことはわかりづらくなります。

そこで、抽象的なアドバイスのあとには、人は具体的なアドバイスを求めるのですが、抽象と具体は一般と専門ということに言い換えることもできますので、これを一緒に一人の相手からアドバイスを聞こうとしても無理な場合があるのです。(もちろんできる場合や人もいます)

相談を受ける側のタイプと、扱う問題の得意タイプが抽象的か具体的かということも考慮すべき事柄です。

もっと言えば、心の幸せのアドバイスか、幸せになるための分野的・専門的方法論のアドバイスかという違いです。

例えば、お金の問題がある人にお金に対しての心理的ブロックがあったということがわかったとしても、では実際に経済的な豊かさを自分の仕事、またはそれ以外から実現させるにはどうすればよいのかという具体性は、別のもの(アドバイス)が要求されます。

ブロックがはずれれば、すべて経済問題が解決するとは言えません。(行動できないのはすべて心理的抵抗にあるとみなす考えの場合は、また違ってきます。この考えに立つ場合、具体的な情報(との遭遇)も抵抗によって無意識に左右されていると見ますので)

別の例えですれば、料理を作ったこともない人が、あなたは料理を作ることができる能力はあるのですよとアドバイスされて、それを自分が確信したとしても、レシピや作り方を教えてくれないと、よい料理ができないのと同じです。

料理ができる「力」があることを教え、アドバイスしてくれる人(それは自信や自分の価値を認識するためのアドバイスです)は、必ずしも料理人や料理の専門家でなくてもよいのはわかると思います。

料理が作ることができるんだ、自分にとって料理は嫌なものではなくて楽しいことにもなるんだと知って、実際においしい料理を作る方法・レシピを教授してくれる人はまた別に探してもいいわけです。

その違いをわかって相談をすると、「相談したのに抽象的なことを言われて何だかなあ・・」とか、「言われた助言や答えが求めるものとは違うなあ・・」という事に比較的ならずに済むと思います。


その恋には意味があります。

人の悩み事にはいいろな種類があり、キリもないくらいかもしれませんが、やはり恋愛のことは感情的には一番割り切りにくい類のものかもしれません。

マルセイユタロットには「恋人」というカードがあり、いわば、一番恋愛を象徴しているカードと言えますが、この図柄を見れば、それもよくわかります。

以前タロットをもとにした「恋愛」セミナーというものを開催したことがあるのですが、形を変えてまたやってみてもいいかなと思っています。

これは別に恋愛テクニックとかを教えるものではありません。(それはもっと得意な方がいらっしゃるでしょう)

恋愛の本質を見ることで、恋愛を通した自己成長を表現したり、自己を認識したりするためのセミナーです。

パートナーシップについても含まれるので、結婚されている人や、恋愛の相談を受ける方にも参考になる部分はあるでしょう。希望者があるようでしたら、本当に考えてみたいと思います。

さて、話を戻しますが、恋愛の悩み・相談は、このように「感情」がメインですので、論理や理屈でアドバイスしても始まらないことがあります。

究極的にいえば、恋している人は聞く耳を持たないと思ってもいいかもしれません。

ですから、相談を受ける者としては、「どうこうしなさい」ということはあまり意味がなく、話を聴く、感情に寄り添うということがポイントになってきます。

それと、恋愛自体はどのようなものであれ、いいも悪いもありません。そこに人間世界のルールや規則、常識・価値観が入ることによって、その恋愛の良し悪しが決まってきます。

もちろんだからと言っても、ストーカーとか犯罪的なものまで行き過ぎる恋心は問題ではありますが、恋の本質自体は善悪はないと言えるでしょう。

このように恋愛の本質では「いい・悪い」はないのですが、マルセイユタロット的にいえば、霊的成長の観点では恋愛は「善きもの」と見ることもできます。(その理由はマルセイユタロットの秘伝と、「恋人」カートに隠された意味にあります)

ですから、恋愛をすればどんな結果に終わっても、あなたにとっては善いものです。

恋愛の最中は冷静な判断や観察はしにくいものなので、ある意味翻弄されたり、喜怒哀楽の劇場に放り投げられたりしても仕方のないところがあります。

「冷静になれ」「よく見極めろ」というほうが無理なのです。

従って恋愛は感情を経験する装置と機会であり、平たく言えば、楽しむもの、または苦しむものと言えます。

もし冷静にすることがあると言えば、恋愛とは激しい波の中にいるようなもの、感情が動くもの、それが恋愛だと割り切る視点くらいのものです。

「感情にふり回されないようにしなさい」とか、「相手の○○をよく見て恋愛しなさい」とかいう人は、メチャクチャ相手のことを好きになったり、嫌いになったりするような境地までの経験がないか、その時のことを忘れているのです。

スピリチュアルな勉強をしていても、また社会的に立派な仕事や立場にいても、恋愛は人を変えたり迷わせたり、別の感覚や判断をもたらそうとするものです。(このことはマルセイユタロットでの「恋人」の位置を見れば明白です)

前にも書きましたが、私から言えることは、恋愛の苦しみにある人は、あなたが恋愛できていること(相手に届かなくても、好きになるという感情が抱けていること)、恋という炎を燃やせるすばらしい能力をもっていること、どんな状況であれ、愛せている(大きな愛ではなくても)自分がいるのを思うことです。

これは一見、恋に恋するような感じといえますが、恋している自分をほめる、すばらしいと思うことというのは、やはり違います。恋の現実(嬉しくなったり、悩んだり苦しんだりする実際の感覚)を知りながら、恋をした自分を認めてあげるという感じです。

恋が成就するしないに関わらず、その恋が何だったのかはあとで必ずわかります。今無理に回答を求めなくてもよいです。

それでも、あなたを見守る天使的な存在はあり、その恋をもたらせたのは、実はその天使的存在からのプレゼントであったことは、あとで気がつくことになります。

恋から逃げず、とこんとつきあうのもひとつの方法ですし、苦しさを共有してくれる相談者を持つのもよいです。

その恋には、あなたの成長させるが蒔かれています。それを発見できるかは、経験後のあなたの態度と取り組みにかかってきます。

そう、実は大切なのは、恋の最中より、その前と、特に後のことなのです。


「好きなことを仕事にする」について。

タロットリーディングにおけるクライアントの方のご質問の中でも、やりがいのある仕事や好きな仕事をしたいというものが比較的よくあります。

タロットを受けに来られるくらいですから、おそらく、皆さん、癒しや励ましを与えられるようなお仕事、もっと具体的にいうとタロットリーダーとか、セラピストとか占い師とかヒーラーになりたいという方が多いかもしれません。

あるいはそういった仕事とは関係ないお仕事であっても、自分の向いているものは何か?と知りたい人もいらっしゃいます。

タロットを展開すると、人それぞれ、その時の状況によって変化して出るのですが、もちろん本質や傾向というものも出ます。

ただ、占いのように、ズバリこれが向いていますとか、セラピストで成功できます、というような出方とか読み方にはなりません。

人によってはそう読む人もいるかもしれませんが、私のポリシーとして、タロットからの指針はあくまで情報であり、選択はクライアント自らがしていくものと考えているからです。

リーダーが職業や業種を限定したり、固定してしまったりすると、それだけクライアント側の可能性を狭めてしまうことにもなりかねません。

とはいえ、何も枠組みや方向性がないと、どう選んだり、進んだりすることがいいのか、クライアントにはわからないので(それを知りたいためにタロットリーディングに来られているわけですから)、ある程度の範囲や傾向は伝えていくことになります。

そして、どんな仕事の方向性であれ、好きな仕事をしたい、好きな仕事に就きたいという場合、タロットを引かなくても、おおむね4つの方法が考えられます。

1.現在の仕事か、好きなこととは関係のない仕事を続けていくこと。(あきらめることも入る)

2.好きな仕事をする方向性を優先させながら、別の仕事を方便(経済的理由などで)とする。

3.現在の仕事をしながら、好きな仕事をする。(好きな仕事につながるものをする)

4.好きな仕事で独立、もしくは好きな仕事に転職する。

ほかにも結婚したり、パートナーやパトロンに養ってもらって好きな仕事を趣味でするということもあるでしょうが、まあ、現実的なところではこんな選択肢だと思います。

ここで多くの人に問題となるのは、経済的なことと、自分の感情や好み・志向との葛藤でしょう。好きなことをしたいけれども、食べていけなくなるのではないかという恐れと不安です。

タロットで見た場合、それらの要素は四大元素等で表現できますので、弱い部分や反対に強い部分なども、バランスも見ていくことが可能ですが、人によっては経済的なことを重視しなければならない段階の人と、感情や気持ちのほうに重きを置いたほうがよい人の場合があります。

常識的にはお客様や経済的基盤の準備や見込みができていたほうが独立したり、好きなことに転職したりすることでは安全でセオリーだと思えますが、そうとも言えないケースが、タロットを展開すると見えてくることがあります。

たとえば、今やっている仕事や働いている職場があまりにも本人には不適合すぎて、心身の限界に来ているような時や、本人が気付いていない能力やサポートがすでにあり、今思い切って好きな仕事に就くことがスピリチュアル的と言いますか、天命的によいと思えるような場合などです。

これはその人のお話を聞いたり、タロットを引いたりすることによって、本人(の表面的意識)以上に、タロット(で象徴される本人の別意識)がわかっていることが見えてきますので、そうした時には、思い切った判断もアドバイスできます。

ただ、「なれたらいいなぁ・・」とか「好きな仕事が何なのかわからないけれど、見つかったらいいなあ・・」「好きな仕事で暮らしていけたらいいなあ・・」というような想い方のレベルでは、その時点では、とても好きな仕事に就けるとは思えません。

好きな仕事で生きている人でも、最初はほとんどの人はそうではなかった段階があったはずです。そこから今の状態にまでなれたのは、強い決意と意志、行動の継続があったからだと言えます。

今の環境を変えたいということであるならば、本気でその思いに到達しないといけません。(仕事を趣味的に考えている人は別です)

まずは意志と決意の構築、好きな仕事への関心を寄せていくことが大事です。情報も関心があれば寄ってきますし(自然に目が行くことになります)、交流関係もそれに応じて接縁していき、次第に今の環境と自分から脱却していくようになります。

つまり、好きな仕事をするということのリアリティ(現実感)を自らに作り出せないと、文字通り、現実にはなりにくいということです。

普通の人は怠惰と言いますか、変化をしたがらない生き物です。ですから決意の出来ない自分を責めてもいけません。それ(変化をしたくないの)が普通なのですから、当然です。

ですが、自分に今とは別のリアリティを作っていかないと、いつまでも今の現実・リアリティこそが「本物」だと認識して、変わることができません。

一足飛びにはできにくいものですが、ステップ(段階)を踏んでいくと、別のリアリティの世界に近づくこともできます。

まずは完璧ではなくても、どんな形であり、好きな仕事の形を実践することです。

それができなくても、まずイメージだけでも実践に近づけることが重要です。

イメージできないということは、それだけ あなたにとってリアリティがないということであり、リアリティが出るまで、情報とか経験で補っていかねばなりません。これが「まだ現れていない現実を作り出す」最初の一歩でもあるからです。

また、あきらめてしまうのもひとつの手です。今考えていることがあなたの天職ではないかもしれませんし、何も独立や好きな仕事をするというのが人生の成功者とは限りません。

「好きな仕事を見つける」より、「仕事を好きにする方法」を発見するほうがよほど現実的で、応用が利くとも言えます。

極端なことを言えば、棺桶に入る(笑)まで自分の人生が良かったかどうかなんてわからないものです。どの年齢からでも、また仕事以外のことでも、充実と生き甲斐があるのが人生です。


自分らしくが選択の制限に。

自己啓発系の主張でも、自分らしくとか、自分を出して自分の選択を大切にということが言われます。

その通りの面もあると個人的には感じますが、これを間違って解釈してしまうと、逆に自分を縛ったり、自らの成長の機会を少なくしてしまったりすることがあると思います。

まず、「自分を知る」というのは、自分らしくの前には大切ですが、これが簡単なようで難しい面があります。

ただとにかく、自分を知りたいと思うことは大事です。

とはいえ、「自分探し」などしても、なかなか「自分」は見つからないことは多いものです。

結局は、その時点で納得できるストーリー、もっと言えば、「自分が生きていることの意味」が多少なりとも自分の中で整合性のとれる理由が見つかれば、自分探し段階は一段落します。

この、「自分の中で整合性の取れる理由」というのは主観的なものなので、一般的(客観的)な論理性は必要とせず、あくまで内側の納得感によります。

たとえ他人が見て矛盾だと思っていても、本人さえ意味が通っていれば、本人なりにはOKなのです。

ただし、他人評価によって自己評価がほしいという人は、この納得感と整合性を人から見ても同意してもらえるようにしたいのが本音となりますので、そこに問題が生じます。

というのは、他人評価の一般的価値観になれば、とどのつまり、経済的成功とか、財産を持っているとか、外見がよいとか、有名かどうかとか、見た目の判断によるところが大だからです。

従って、他人評価による自己評価を「自分らしさ」の基準にしてしまうと、おそらく生涯に渡って、納得できる自分というものを見つけることは難しいでしょう。

話がそれましたが、自分らしさを出して・・ということを誤って解釈した場合、「わがまま」や「利己的」でいいのだということに極論すればなってきます。

例えば人付き合いなどでも、自分に合わない人とつきあうのは時間の無駄、人生は有限なのでもったいないということになり、交際範囲を狭めます。

これは悪いわけではりません。確かに時間と感情では無駄に振り回されることもなく、選択する人付き合いはいいところもありますし、一面ではその通りと言えると思います。

しかし、ここに大きな落とし穴があります。

それは人間はすべてをコントロールすることはできないということです。

いえ、究極の神性なる自分ということでは可能かもしれないのですが、人は普通に生きている限り、様々な自己、言い換えればエネルギー体を持ち、それらは表面的な意識だけで操れるものではありません。

肉体的にも自由に動かせる筋肉と動かせないものがありますし、自分の意識を超えた範囲で人は生かされています。

従って、自分はこういう人としか付き合わないのだと決めたところで、別の意識やエネルギーは表面意識とは別の人を自動的に選択し、あなたの成長や学び、あるいは保護などのために働いていくでしょう。

その時、自分が望まない人を引き寄せたとショックに思ったり、自分はまだまだだと自己卑下したりと、自分や人に腹を立てたりしても仕方のないことなのです。

いつか自分のレベルが上がれば、なぜ関わりたくないと思うような人と関係してしまったのかがわかるでしょうが、その時の意識範囲とレベルではわからないものです。

でもわからないから面白く、探究する興味も湧いてきます。出会う人が全部予想できて、その意味も最初からわかってしまう世界など、それはつまらないでしょう。

自分が人を選ぼうと思っても、選ばされている次元もあるのだと心の隅では思っておくと、かえって余裕が出ます。マルセイユタロットの「恋人」カードはそのことをよく表しています。

ですが、まったくの偶然に任せてしまうというのは、一種の奴隷状態に自分の身を置くことになり、無自覚は無明に近く、それこそ人にいいように扱われてしまう危険性があります。

ですから、自己コントロールができるところはしておきながら、それを完璧にするというのではなく、できない部分はできないとあきらめ、宇宙や自分のほかの次元意識に任せて、人生を楽しむのがよいのではと思います。

自分らしく・・と言っても、結局は自分は何層(何人)もいるので特定できませんし、人は自分も他人も変化していくのが常です。

「これが自分だから」「これしか選択はしない」というのは、かえっていろいろなチャンスを逃すことにもなりかねません。

成功やひとつの目的のために自分を特化して生きていくのもよいでしょうが、せっかく生まれてきたのですから、様々な経験(これは事柄やフィールドのことだけではなく、心の状態も含みます)をしていくと面白いのではないでしょうか。言わば、アクシデントや予定外もありと認める生き方です。

ただ先述したように、起こる現象のままに反応して生きることは奴隷的人生ですので、知性・理性を高め、判断力や情報力も上げ、自覚を持ちながら、時には想定外のことも楽しむ感情豊かな人生が送ることができればよいのではないかと私は考えています。


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