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真実の接近

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さて、そのメルマガにも一部書いたのですが、最近は「正義」「真実」が問われる流れがあるように感じます。

マルセイユタロットで言えば、文字通り「正義」や「13」「審判」などとも関係するエネルギーです。

今起こっているホテルの食品誤表示(偽装という気もしますが・・)発覚など、典型的な事件ですよね。

私はタロットをするようになって、物事をそのまま受け取るということが少なくなり、「象徴」的に見る向きが増えました。

象徴的に見るというのは、もっと大きな背景や逆に個別的なものにも当てはまることがないかと、重層的・複層的に見る方法だとも言えます。

連想ゲームに近い感覚でもあります。

すると、今起こっている事件も、大きな正義・不正義、真実にふれる前触れではないかと感じています。

「確信と革新」という言葉も出ます。すごく抽象的な言い方ですかね。(笑)

象徴考察の欠点は、ある意味具体的ではないということで、上記のような書き方になりますが、さきほど個別的(具体的)リンクも象徴にはあると書きましたので、実は個人的には思うことはあるのですが、それはふせておきます。

さて、いずれにしろ、「真実」というものが知らされる時、一見よいことずぐめのように思えます。

しかし、確かに究極的には「真実が知らされる」「真実を知る」ということはよいと考えられても、初期や中途の段階では必ずしもよいとは限らないことがあります。

その最大のものは、ショックが大きいということです。

「知らなければ良かった・・」こう感じたことが、皆さんにもあったのではないかと思います。

ある程度予測できているものや、自分の許容範囲の真実というものは、うれしいことであったり、知的好奇心も満たされたりすることで、ポジティブにとらえられます。

けれども、考えもしなかったこと、とうてい受け入れることのできない真実には、人は拒否反応を示したり、受け入れようとしてもショックが大きく、混乱を極めたりしてしまいます。

単純に「図星」と表現される事実を他人から指摘されただけでも、人は怒ったり、反発したりします。

真実や事実を知ったがために、穏やかな人生が180度変わってしまったという人もいます。下手すると、あまりにつらく、死を選択する方も出るかもしれません。

それほど、真実には強い力があるのです。

しかしながら、これがきちんと受け止められた場合は、自己や社会を改革する巨大なエネルギーへと変貌します。

これを逆手に取れば、自分は真実を知る勇気を持つと決意すれば、あなたに変容をもたらす情報が開示される可能性もあるのです。

物理的・現実的な意味だけではありません。

そのような決意と覚悟が、あなたの潜在的パワーを解放したり、見えない領域からの情報を受け取りやすくしたりすることになるのです。

真実というのは、定義によって難しいものとなります。

人の見方は人の数だけありますので、どれをもって真実とするかは議論されるところではありますが、今までの見方とは異なる、あいるは知らされていなかったデータや情報として見ればよいかと思います。

受動的に知らされるものだけではなく、自分の決意によって呼び込むことのできる真実があると覚えておけば、きっと何かの役に立つでしょう。


わがままとわが・まま 自覚する人生

マルセイユタロットの「運命の輪」や「」で象徴されることですが、スピリチュアル世界でよく言われるように、結局「気分」というものが現実的にも大変重要であると思えます。

もっと言えば「波動」とか「周波数」というものです。

この状態いかんによって、人の運や人生も決まってくると言ってもいいかもしれません。その意味で現実的なのです。

ですから、いわゆる葛藤状態であったり、何か抑圧したり、ネガティブな気分になったりするのが問題状況となりやすいと言えます。

とはいえ、人間は感情の生き物ですから、何も感じなくなるというのは、一面、生きるエネルギーを失うにも等しいことです。

ここは非常に重要ですが、感情を殺したり、感じていることを認めなかったりするのではないのです。むしろ感情は味わうことのほうが人としての命題・課題と言えます。

大切なのは、やはり感情を味わいながらも、それに振り回されない自分を作るということでしょう。

または迷ったり、葛藤したりする自分を早くスムースに動かしたり、決断できたりさせることもよく、さらには葛藤状態そのものが悪い状態であるという見方を転換させることで、意識も変わってくると考えられます。

その過程の上では葛藤要因を分析する、癒す、浄化するという作業も必要でしょう。

つまるところ、いかに自分がグッドフィーリング(高い周波数)でいられるかということなのです。

厳密にいえば高い次元・周波数と、気分がいいということとは別である場合もあると考えられますが、たいていは一致していることが多いものです。

ということは、手っ取り早くは、自分の心に嘘がない状態していく(素直になる)ということが求められます。心と行動(状況)が違うことが苦しさ(の感情)を呼ぶからです。

これは、言ってみれば、わがままになるというのに最初は近いこともあるので、誤解を受けることもあります。

わがまま=自分らしさのことは確かに一部はあるとしても、全部ではないということです。わがまま≒自分らしさであり、またわがまま≠自分らしさでもあると言えます。

人は一人で生きているわけでもありませんし、社会にはルールや規範があります。皆が皆、好き勝手やってしまえば、とんでもない社会・世界になってしまいます。

では我慢すればいいのかといえば、やはり社会で生きるためには我慢することも必要なのは当然です。ある意味、この世界は我慢・忍耐の世界であるとも言えます。

それが自分を鍛えることにもなりますし、あながち我慢・忍耐が悪いわけではありません。

問題は我慢・忍耐が自分を鍛える以上に自分を壊すことになっていたり、自分の心情が「我慢させられている」と被害者意識のような、完全受け身になっていたりする時にあります。

言い換えれば(逆に言えば)、自発的・意識的・自覚的・意図的になっていれば、我慢・忍耐はほとんど問題なくなるわけです。(苦しいことが変わるのではなく、受け止め方が変わり、気分の保ち方が変わる)

経験に対して自分が主体になること、これが苦しいこと・つらいことへの意識を変えていくコツだと考えられます。

まずは、環境や世間が自分に対していじめのように、あるいはただふりかかってくる災難のように無目的に来るものではないと自覚することが重要です。

簡単に言えば、学びの機会を提供してくれるもの、自分を鍛えてくれるもの、何かアンバランスな自分の状態を修正したり、気付かせてくれるものであるととらえることです。

ただそれだけだとまだつらいこともありますので、やはり発生する現象・人間関係から生じる「自分の状態」をコントロールしたり、物事を多角的に見る視点を得たりするとさらに楽になります。

人間関係・生き方、心理の技術を学び、実践するのもよいでしょう。単純に肉体・精神の安定を物理的に図る(健康をキープ、環境をよくする)ことも効果ありです。

困った時、落ち込んだ時に話をしたり、相談したりできる相手を持つ(友人・知人・プロ)のもよいですし、交際範囲を広げたり、深めたりすることで助け合いによって自分も救われるという環境づくりを行うことで、よい気分に戻しやすくする方法もあります。(普段の安心感にもつながる)

社会(仕事が中心になりますが)にもまれることで、鋼を鍛えるがごとく、心も鍛えられ、経験値も増して、いかなることにも動じない状態ができれば、それはそれで幸せ(平穏)な気分を持続させやすくなるはずです。これは一般的に、昔から日本人がやってきた方法です。

ただこれができない環境や難しい人もいますので、ひとつのの経験でも、多くの学びに活かす効率的な知的技術をマスターしたり、ワクワクしたりする気持ちを出しやすい自分にしていくやり方もあるわけです。

要は、周囲と軋轢を起こしたり、社会ルールをはずれたりせずに、自分がわがままになることのできる術を身につけるといいのです。

周りとトラブルを起こすと、どうしても自分も気分が悪くなったり、よい気分の時間が短くなったりしますから、そうならないようにするのがベターなのです。(自分勝手をやって、全く周囲や他人のことが、かけらも気にならない人は別です)

ただ、そのために、自分を押し殺すことは本末転倒であり、自分のよい気分が保てたり、自分が出せるようにしたりするために、同時に相手との調整・調和を計るようにすればよいということです。

人が中心ではなく、自分が中心なのです。これは人のせいにしないという意味でもあるのです。

相手や周囲も不快にならず、それどころか喜んでもらえるような、自分のわがままを通すことが一番いいわけです。(笑) まさにこれが本当の、「わが・まま」と言えます。

そんなことができるわけがないと思うかもしれませんが、それが可能になることが、マルセイユタロットでは言われています。

なぜならば、矛盾を統合することがタロつとに描かれているからです。

タロット以外にも、もちろんいろいろな方がおっしゃっている心や現実的技術があり、それらを組み合わせたり、実践したりすることで、少しでもその境地に接近し、実際に生きやすくなるのです。

何よりも、自分を生きる、自分の人生であることを自覚することから、すべては始まります。


自分の気分を見分ける、数値化する。

マルセイユタロットはその独特のデザイン・構造のため、それぞれある種の周波数・波動を表していると考えられます。

そういった、いわゆる一定の普遍的な数値がある一方、おそらくその日その日で受ける個人の印象で変わる周波数・数値もタロットから出てくると想定できます。

周波数を計測するものがないので厳密にはわかりませんが、私たちの持っている感覚でも、大まかな区別はできるものと思います。

まずとても簡単なのが、ふたつの区分です。つまりはいい・悪いの気分とか、何も感じないか、ちょっと心が動くかのふたつのものです。

さらに三区分、四区分と増やしていくことができますが、その基準には古代の世界観による宇宙の表現を利用するとよいでしょう。

たとえば創造(発生)的なもの・安定的なもの・破壊的(変化的)なものとか、風・水・火・地(土)的なものとかで感じる方法です。

またメーターや目盛りのように、グッドフィーリングからバットフィーリングを4~10段階くらいまで意識しておいて、区別していくのもよいでしょう。

ここから結局、感覚もトレーニングで鋭敏にすることができることがわかります。

たとえば「声」も最初は大声とか小声とか、ただしゃっべっている声くらいしか意識しないかもしれませんが、ちょっと考えると、高い低いだけではなく、怒った声、悲しい声、ひそひそ声、快活な声、叫び声、歓喜の声・・・などいろいろあることに気がつきます。

日本語をよく調べれば、それらをひとつひとつ、熟語として表現していることもわかるでしょう。

色なども同じですね。単に赤とか青だけではなく、中間色、微妙な色合いを言葉でもうまく表していると言えます。

いずれにしても、最初は誰でも「受信感覚」と「表現」は、ふたつくらいの単純なものではあっても、意識してトレーニングすると次第に細かな違いもわかってくるようになり、やがてはまさに「千差万別」を見分けることができるようになるかもしれないのです。

その違いこそが、人間がつかむ、周波数の違いと言ってもいいでしょう。

スピリチュアル的にも周波数の違いはあらゆるものに影響し、運・生き方までも左右するものであると考えられています。

すると、その違いを自分の感覚で見分けられるようにするということは、人生においても重要事項になってきます。

トレーニングにはいろいろなやり方があるとは思いますが、タロットを使ってチューニングしたり、個別感覚を見たりすることも可能でしょう。

「気分転換」とよく言いますが、その本質は周波数の変換にあり、文字通り気分が変わる(変わっている)ことを自分が知っておく(気付いておく)必要があります。

中途半端な気分転換よりも、がらりと変えることのできる方法や場所・事柄を技術としてマスターしておくことが重要です。

それには、やはり自分の好きなもの・嫌いなものが、抑圧されたり麻痺したりしてわからなくなっていることから脱却させておくことも大切です。

いわば、体裁や人のことを気にしすぎて取り繕いや欺瞞ではなく、素直な自己表現の過程が求められるわけです。

とりあえずは、この気分は自分のメーターでは何段階なのか、というのを練習してみると面白いでしょう。


タロットリーディング、結果とプロセス。

まずお知らせです。

現在募集しております「無料メールリーディング
」ですが、明日(日付が明後日に変わるまでの間)で締め切りです。

現時点で複数の方のご応募がある状況ですので、抽選となります。当落については、個別にご返信させていただきます。なお、この企画は当初1名の方への提供予定でしたが、もう1名当選枠を増やしたいと思います。ただ、もう一名の方は「サブ当選」となり、ご返信するリーディング内容が簡略になることをご容赦ください。

では本日の記事です。

プロでタロットリーディングを人に提供される方は、それなりの結果が求められます。

特に「占い」として、不特定多数の人にタロットをする場合、結構シビアな面もあります。それは経済的な側面と、対人的な側面両方にあります。

経済的なことは、これが一番大変なのですが、タロット(占い、リーディング)のみで生計を立てようというケースです。従って結果も強く求められ、リピーターや新規顧客の獲得、お客様の満足度も一層充実させていかなくてはなりません。リーダー本人にもあせりや悲壮感や出がちです。

その(生計をタロットで立てる)必要がない時でも、もし占い現場がボランティアではなく、営業利益を出さなければならない場合は、赤字を出すわけには行かず、当然「お金儲け」の観点が入ってきます。自分で半ば趣味で経営している分にはいいでしょうが、誰かシビアな経営者に雇われている場合は、かなり大変になってきます。

次に経済的な面がたとえクリアーされていたとしても、今度は人間の問題が出てきます。

内部では仲間内での足の引っ張り合い、妬み、念の飛ばしあいなど、まあ、これはひどい環境の場合ですが、そういうこともありえます。

さらには、相談者・お客様がかなーり大変な人であることもあります。

まともにコミュニケーションができない人、常軌を逸した相談、法律に抵触する相談をする人、占い師を試したり、冷やかしたりするのが目的で来られる人、占い放浪のように自分の求める答えを出してくれる人だけを探しに来る人、酔客、精神的疾病の状況にある人、極端な占い依存症の人、鑑定料金の割引を最初から要求したり、踏み倒そうとしたり、勝手に時間延長を要求する人など・・様々です。(もちろん通常はまともな方たちであり、ここで挙げたものにはレアケースもあります)

なかなか普通に暮らしていては出会えないような方とか、聴くこともないだろうというような内容の相談も受けるわけです。

いわゆる「鑑定」として、相談者によいアドバイスや具体的な幸福な人生への助言ができればいいのですが、必ずしも毎回うまく行くとは限りませんし、相手の求める答えと占いのものが異なることもしばしばで、そうなると相手に納得してもらうことにも多大なエネルギー・技術がいります。

相手にとって「当たった」とか「言われたことがよい結果となった」ということが、現実的に求められる場面が占い現場では多いですから、勢い、そうした吉凶・結果視点での「占い」となって、当たりはずれにエネルギーが注がれ、まるで営業成績に追われるサラリーマンの戦士のようなことにもなるわけです。

こうした大変な環境のもとで、占い師は日々頑張ることになります。本当にすごいことだと思います。ということで、このような「占い」の場合は相談の「プロセス」ももちろん大事ですが、「結果」がやはり重視されることになるのです。

まあ、これは環境や相談者の求めるまま、ただ流されてやる場合のことで、自分でコントロールし、やり方を変えれば、ここまでシビアになることもないかもしれません。とはいえ、占い現場でタロットを使う限りは、結果は重要なものとなるでしょう。

一方、バリバリの「占い」やその現場ではなく、セッション・カウンセリング・セラピー的な、時間をかけてじっくりと自分と向き合ってもらうタイプのタロットリーディングは、プロの場合は無論結果も大事ですが、それと同等に相談プロセスが重要になってきます。

「これが私のうまく行かなかった要因だったんだ!」と最終的に気がついていただいても、それに至る過程そのものが癒しであり、解決であるのです。まさに結果は「結果」として出たに過ぎないということもできます。

そしてさらに、別にプロで行うわけではなく、人に対してタロットリーディングを行うのがメインでもない、自分のことにタロットを活用していく場合は、さらにプロセスが重視されます。

いわば、「占い・占い現場」→「対人セラピー・カウンセリング」→「自己活用」の順番で、「結果」→「プロセス」の重要度が変わってくると言ってもよいでしょう。

たとえば、私は毎日の一枚や二枚のタロット引きを行うことを、基礎段階でのコースの際にお話していますが、それは「今日の日の何かを当てる」ということではなく、「タロットを引く、タロットで考える」という一連の行為とその過程で、何かに気付いていただくために推奨しているのです。

いわばタロットと自分の関係を接近させ、タロットによる自分やその他周囲のものを把握してもらうための準備を施していると言ってもよいでしょう。ということは、結果よりも過程が大事なのです。

タロットリーディングというものは、必ずしもタロットから何かアドバイスを得ることを引き出さなければならないというものではありません。時には読めなくてもよいこともあるのです。

その行為自体があなたに変容を及ぼす意味も含まれているのです。


国の誇り

私は特段右翼とか国粋主義者ではありませんが、やはり日本に生まれ日本人であることに誇りを持ちたいと思っています。

戦後は途中から、ある意味、極端な左方向に教育が傾き(あくまで私個人の印象です)、地球民意識と言いますか、国を超えた見方が広がったのはよいとしても、逆に自分の所属する地域や国という意識が希薄になりがちの面もありました。

とはいえ、大きな戦争を経験したあとですから、左方向に舵が切られるのもバランス的には当然だったと思います。もちろんそこにはアメリカに占領された国という事情、共産主義の当時の台頭というものなど、もろもろの政治的事情もあるでしょうが。

別に、ここで私は右や左の議論をしようというのではありません。

今回の主題は、「自国の誇り」というものが個々人のセルフイメージにもつながっているという「個人と国の連関」についてなのです。

一応、「国」をテーマにしていますが、これは「地域」とか「町」とか、逆にもっと範囲を広げて「アジア」とか「地球」「太陽系」「銀河系」となっても同じです。

しかしながら、まずは小さくもなく広すぎもせずの、「国」レベルくらいから考えたほうが適当ではないかと思って、取り上げています。

自分の国がダメな国である、ひどい国である、こんな国など滅んでしまったほうがよい・・などとネガティブに、貶めるかのように思っていると、それは結局自分自身に還ってきます

自分の国と自分とが完全に切り離され、本当に他国や他人事のように思えるのならば、影響はほぼありませんが、「自国が嫌い」という感情は、自分と自分の住んでいる、あるいは国籍のある国との関係を強く意識していることを物語っています

「気になる」ということは、文字通り「気にしている」わけです。そして気にしていると言うことは、自分とその対象物が見えない感情の糸のようなもので結ばれている無意識の感覚があるのです。

つまるところ、気になっている自分の国自体は、まさに自分自身の鏡・分身ともなってしまうのです。

自分の国がどうしようもなくダメな国だと思っていると、それは自分のセルフーイメージにも関係し、回り回って自分を貶めていくことになります。

もし小さい頃から、自国への自虐的教育と思想を植え付けられたら、究極のところ、自分さえも否定する存在となってしまい、それが集団化して大きなネガティブエネルギーとなり、まさに自分も国も滅んでしまうおそれがあります。少なくとも、「自分はよくても国は嫌だ」という葛藤を抱えなくてはいけなくなります。

国が滅んでも、国というものはもともと勝手に地球の中で線引きされたフィールドであり、なくなっても自分や本質(地球)がなくなるわけではないと思うかもしれません。

ところがそれが違うのです。

先述したように、国=自分というつながりがあり、国がなくなれば自分もなくなり、肉体的には存在していても、居場所のない放浪者となります。特に精神的拠り所がなく、不安定な人間となるおそれが大です。

実は物質と精神は密接なつながりがあり、物質的にもし何かがなくなれば、自分の所属する精神の世界での、あるフィールドも消失することになり、心の安まるところがなくなります。その逆もまた真なりです。

人は物質(肉体、目に見える世界)だけで生きているわけではなく、精神や霊的な世界観というものがあります。物心両面で安定してこそ、人として充実すると言えるでしょう。

ですからもし国境をなくしたければ、精神的に国境がなくても安定する境地を獲得する必要が多くの人の中で必要とされます。

すなわち、それは次元やレベルの上昇と言えましょう。

日本人だけがそれを納得できも、世界的に見ればまだまだ難しいかもしれません。どれだけの人が国境を無くした世界観を真に精神的に共有でき、安心できるかにかかっていると言えます。

それを無理矢理やろうとしても、そのまま「無理」が生じます。それならば、まだ段階として国の枠組みで安定している境地のもとで、しっかりと基礎を作った上で、個々人のレベルの向上を目指すほうが安全です。

普通の人は、「住む家もない状態で安心しろ」とか、「不安定でいながら上を目指せ」と言われても難しいからです。

あと、これはまた別の機会で詳しく書きたいと思いますが、自国に誇りを持つと言っても、自分のコンプレックスを隠したり、反動したりすることから過剰に国に持ち上げ、国に自分を仮託して、異常に興奮を得るというのとはまったく違うので注意が必要です。

この構造は国レベルだけではなく、国内の地域レベルにも潜在しているやっかいなものです。特定のスポーツチーム、国の代表チームを応援する心理にさえなっていることもあります。健全な誇りではないのです。

さて、今日書いたことは、一見タロットとは無関係に思えるでしょうが、やはりマルセイユタロットと大きく関連していることです。


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