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無料メールリーディング

さて、今日は久々に企画モノのお知らせです。

タロットリーディングを無料てサービスいたします。

ただ、すみませんが条件があります。

まず、対面ではなくてメールリーディングになります。これはかえって関西以外の遠方からご応募されるのにはよいかもしれませんね。

それから通常版より内容が短くなるショート版になります。さらに、ここが一番の違いですが、今回募集する無料タロットリーディングは、私の生徒さんのための実践課題練習のテーマにもさせていただくというお断りです。

ただ名前やどの地域にお住まいかなどの個人が特定される情報は、生徒さんにはお知らせしません。

とは言え、内容がわからないとリーディングできませんのて、ご応募時に書いていただいた問いの内容はお伝えすることになります。

もちろん、私の監修も入りますし、文章自身は私がまとめまてご返信いたします。

この条件でもよいとおっしゃる方は、どうぞご応募ください。お待ちしております。

◆無料メールリーディング企画◆

次の条件をご了解いただく方

●私のタロット講座において、「実践課題の問い」として生徒さんに披露することをご了解いただける方

(氏名・地域などはお知らせしません。内容のみです)

●リーディングはメールにてご返信し、ショート的な内容となります。

(とは言え、ワンポイント・一、二行の単文ようなものではなく、きちんとした文章でご返信します)

●ご返信は11月中旬頃

応募について

◎問いの内容は自由

(できるだけ状況は詳しくお書きください)

◎枠は1名様

(少数の場合は1名増える可能性あり)

◎締め切りは10/29(火)まで

◎応募多数の場合、タロットにて抽選、当選者にメールでお知らせいたします。

◎お申込は こちらからメールにて。

(「リーディングご希望の方はこちら」の項目に、「無料メールリーディング希望」とお書きの上、お申込ください)


タロットリーディングにおける主観2

前回の続きになります。

タロットリーディングはほぼ主観であるというお話をしております。

この前の記事では、記憶をなかなか普通は都合よく思い出せないものの、タロットを使うと、その象徴の働きで、何もないよりかは格段に想起しやすくなるお話をしました。

今回はこれをふまえて、タロットリーディングが主観で成り立つ原理について考えてみたいと思います。

まずクライアント(相談者)がいてもいなくても(自分でタロットに質問して引く場合でも)、引いたカードの絵柄を誰でも見ることになります。

そこでカードの印象・イメージから思い起こされる事柄が出ます。ただ、クライアントの方はカードの意味を知らないことがほとんどですので、あくまでカードから受ける印象が主となります。

このため、カードの種類が違うと、受け取るイメージ・印象も変わってくるのは当然です。

タロットリーダーAさんに見てもらった時と、Bさんとでは違う内容に感じる・・・というのも、占ってもらったカード種の違いが要因という場合もあるわけです。

ですから、タロットの種類(絵柄の個性)というのはとても重要なファクターとなります。

しかしながら、次の、カードから印象を受けたあとの段階からはタロットリーダーの解説になってきますので、ここからは絵柄というより、カードの意味が加わってきて、カード種の違いの問題を超えていくことにもなってきます。

とはいえ、タロットリーダー側も、カードから受ける印象がありますので、やはりカードの絵柄は大きな要素を占めます。

それはさておき、リーディング原理について見て行きますと、要はカードから受ける印象(イメージ)と、カードに象徴されている意味とのふたつの情報があることがわかります。

イメージの場合はあやふやなものであったり、その都度カードを見た時に変化することがありますが、カードの意味については、大きな概念ではほぼ不変で同じです。

しかしながら、やはり個別性と言いますか、その問いに応じた見方というものもあって、このあたりはカードが「象徴」たるゆえんで、普遍的な意味と個別的な意味合いの両方が出現し、奥底で実はそれが矛盾しないようつながってくるのが「象徴」であるとも言えます。

この、カードにおける大きな意味(普遍的な意味)ではなく、個別的な意味が実は主観が入りやすいものなのです。

例えば看護師の経験のある方がリーディングすると、「節制」(マルセイユタロットの場合)の壺の水が、具体的な治療方法や点滴のように見えるかもしれません。

飲食店の人にはメニューにあるドリンクかもしれませんし、アロマが好きな人にはエッセンシャルオイルに思えるかもしれない・・・という具合です。

また、以前自分が「この人に相談して仕事の問題が解決した!」という経験があり、それがたまたま「節制」の人に思えた場合は、その人か、あるいはその人の立場に近いような人に相談してみたら?とリーディングすることもありえます。

※「節制」には救済の意味合いも出てきますので、上記事例においても、すべて「救済」「癒し」「治療」的なもので共通している部分があることが重要です。

つまり、カードから直接細かな具体的な内容や方法を読み取るのではなく、カードが示す抽象的とも言える方向性・エネルギー・運動・心構え・人物・環境等を、自分のこれまで得ている知識や経験からリンクさせて解説しているということが多いわけなのです。

ということは、リーディングの上達には、人助けや問題解決の意識を常に持ち続けている人のほうが、対人相談を目的とするタロットリーディングには有効に働くことになります。

これは意外に知られていない事実です。

一方で、この原理からすると、マイナス面も考えられ、言ってみれば、自分の得意な分野や経験によって、リーディングの仕方も変わる、あるいは偏るということもありえます。

さきほどの例で言うと、「節制」の壺を見るといつも「薬」しか思い浮かばないというような、狭い範囲の見方です。

一番まずいのは、「壺」の象徴的意味さえ学ばず、ただ印象やレッテルのように貼り付けた意味のみでリーディングすることです。

この場合、固定した読み方に陥りやすいか、まさに単なるイメージ読みとなって浅薄なものとなりやすいのです。

イメージや印象で受け取るものと同時に、象徴の意味と感覚を学んで、その両方を統合することで、より客観的な読み方ができてきます。

しかし、この記事の主題のように、本来、主観でタロットを読むことになりますので、「象徴」を理解した読み方をしても、純粋客観はできないでしょう。

けれども逆に言えば、象徴を見ることで、完璧な客観はあり得ないとはいえ、あまりに狭い主観読みになることを防ぐことが可能になるのです。

もうひとつは、主観ではあっても、自分が普段は忘れている知識や経験を、タロットの象徴から思い起こすことができるという大きな利点があります。

もちろんタロットリーダーだけではなく、クライアントの受けた印象情報も大切で、それがタロットの象徴(の原義)とリンクしているかどうかをタロットリーダーが検証することで、潜在的にクライアントのその見え方の情報が重要なものか、そうでないかの区別をすることもできます。

タロットは自由に読むのも一側面としてはありますが、土台、主観が入りますので、自由に読むことなど本来はできません。

しかしそこに意図的に描かれている形・色・図柄を見ることによって、それを元にした想起・想念がわき起こってくるようになっています。それは何もないところから思い起こすのとはわけが違うのです。

さらにはカードの象徴の意味と比較検討することで、クライアント(または自分)の、囚われであったり、歪みであったり、強調であったり、利点であったり、特質であったり、希望や願望であったり・・・をとらえていくこともできるのです。

その点で私は、タロットリーダーを目指す人にも、「象徴」やその意味と表れ方をよく勉強してくださいと言っているのです。

一日そこらでタロット全体の象徴原理を説明したり、つかんでもらったりすることは難しいですので、必然、私のタロット講座は時間が長くなるわけです。


タロットリーディングにおける主観1

私が思うに、タロットリーディングにおいて、純粋な客観というものはないと考えています。

また、タロットだけの示唆ですべてわかったり、アドバイスが受けられたりするというものでもないと思っています。

いわば、タロットリーディングはリーダーの主観と経験・蓄積とが融合されて披露されるものだと結論できます。

もちろん、非常に直感力や何か目に見えないものを感じ取る能力が高い人は、タロットからのインスピレーションによって、あまり主観の入らないリーディングをすることがあるかもしれませんが、こういうタイプの人は少数です。

「タロット占い」では霊感タイプの人もよくいらっしゃるかもしれませんが、占いタイプといえど、自分の主観はほぼ必ず入るものと推測できます。

では、「そんな主観でモノを言われたら、タロットを使う必要や利点などあまりないのではないか」と考える人もいるでしょう。

ところが、それでもタロットを使用するよさがあるのです。

それは、たとえタロットを読むことが主観や自分の経験からであっても、何もないところから手がかりやヒントをつかむことは難しいからです。

人の脳、あるいは別の場所もあるかもしれませんが、、とにかくこれまでの膨大な情報の蓄積が存在しています。

それは自分が学んだり、意図をもって経験したりしたことはもちろん、無意識のうちに見たり聞いたり感じたりしたものすべてが入っていると考えられます。

あなた自身は忘れているかもしれませんが、それは思い出せないだけです。人間は、記憶させるより、実はこの、「思い出す」ことが難しいのです。

それもTPOに応じた、適切でストーリーある合理的な思い出し方が困難です。

ぱっと何かが思い浮かんだり、一部だけが出てきたりすることはあっても、うまくそれらがつながって、今の直面している問題や課題にヒントになる形では思い出しにくいのです。

例えば、今の課題は10年前に読んだ本にその解決の糸口が書かれてあったり、以前に体験した事柄に現在の問題の原因があるということが結構あるものですが、それを人は思い出すことがうまくできません。あまりよい経験でない場合、思い出せないようにブロックしていることも多々あります。

ところが「象徴」であるタロットの絵柄を見ていくことで、それが記憶庫の中から取り出され、再生されるきっかけとなる場合があるのです。

この理由は私にも確たるものを言うことができませんが、おそらくタロットが「象徴」であることにより、「象徴」が次元や時間を超えて、人の意識の中に働きかけることが可能になりますので、普段眠っている記憶にアクセスすることができるのではないかと想像しています。

特にマルセイユタロットは人の「元型」「アーキタイプ」と呼ばれる普遍的なパターンも絵柄の象徴として内包しているので、その特別な幾何学的図形デザインと相まって、潜在意識に刺激を与えることができるのだと考えられます。

タロットのスプレッド(展開法)では、過去・現在・未来と時系列的にカードを並べる手法が比較的よくありますが、過去パートをこのように置くのも、こうした昔の記憶を取り出せる機能がタロットにはあるからだと思います。

※過去をリーディングする理由にはほかにもあり、このことは講座でしっかりお話しています。

いずれにしても、タロットリーダーの主観や経験もクライアントの記憶とともに、タロットによって一部蘇ってくるのです。

そして両者の記憶の複合したリーディングがなされていきます。

その仕組みについては次回に続きで述べたいと思います。


綾なす「縁」の縦糸・横糸

人の縁というものは不思議なものです。

マルセイユタロットでは、「恋人」カードや「運命の輪」で、そういった「縁」の不可思議な働きを象徴しています。もろちんほかのカードでも見ることはできます。

ここで考えたいのは、縁が先か人が先かということです。

人がいるからこそ、縁も発生すると言えますので、基本は人が先でしょうが、たとえば先程出た「恋人」のカードに描かれているキューピッドは、天使の羽のようものを持っていますので、「縁」が擬人化されたものと見ると、「縁」は羽をもって移動するようなものと考えられていたと想定できます。

つまりは、「縁」が先と見ることもできるのです。

「縁」を先に考えた場合、それは人間の力だけでは及ばないものがあるように思います。言わば、目に見えない糸のようなものが存在しているのだと。

それは、先祖からの縁かもしれませんし、もし輪廻転生を信じるとすれば、前世縁といったものもあるのかもしれません。

またこの10月に出雲に神々が集合して、あらゆる縁を結びつける会議をすると言われるように、神や仏から働きかけられる縁というのもありそうです。マルセイユタロットでは、「神の家」の縁みたいなものですね。

こうした超越的な縁もある一方で、もっと人間的なもので、それでいて目に見えない縁というのもあると予想されます。

それは人の思念(思考・想念・思い)によって形成される磁場のようなものに引き寄せられる、あるいは同じ磁力や性質によって集まってくる縁というものです。実はこれが結構、目に見えない類の縁としては多いような気がします。

これは縁が先というより、人が先のほうかもしれません。

この中には、いわゆる「類は友を呼ぶ」と言われる法則も入るでしょう。

いずれにしても、縁によって結ばれたその時の関係によって、いろいろなものが交流・交換されていくわけですが、その中で重要なものが「情報」です。

自分の想念によって形成された縁仲間は、同じレベルや自分の価値観のもとでの情報が交換されたり、入ってきたりします。

それは自分の価値観に基づくことが多いので、自分が信じていることを補強したり、確信させたり、安心させたりする情報が多くなります。そう、自分が情報を選んでいると言ってもいいでしょう。

ですから、実は自分の世界や信じている内容というものは、縁によって作られた「非常に狭い世界」観のフィールドにしかないと言ってもよいのです。

今はインターネットがあるので、あらゆる端末や機器、ソフトウェアによってたくさんの情報が入っては来ますが、結局のところは自分で自分の心地よいと思える情報と世界に落ち着く傾向があります。

ということは、自分自身のレベルを内から変えないと外の情報も変わって来ないと言え、その情報も「縁に」よって運ばれて来ますから、自分をもっと向上したり、あることのレベル(経済・知識・スティタス・霊性等)を上げたりするためには、これまでと違う情報(媒体・出所)と接触する必要があると考えられます。

ただ、これも「自分が変わりたい」という決心をせずに、そのまま放置している限り、今の自分のレベルや(信じている)世界を強めるための情報流入で続いていきますので、価値観を激変させたり、新しい情報に出会ったりすることは少なくなります。

たまたま特別な情報に出会って自分が変わるというような、外部からのことでの変化もあるにはありますが、それも突き詰めれば、現在の自分を超えたいという潜在的欲求や導きによるものと想像できます。

整理すれば、まず自分を向上させようと思うこと、次に今の縁からレベルアップさせるため、レベルや次元の異なる縁とつながるよう意識と行動を起こすこととなります。

よく言われるように、悪い仲間には悪い情報が集まり、いい仲間にはいい情報が集まっているものです。

このいい・悪いも、どう判断するかの問題はありますが、つまりは類友のように、情報も同質の情報が集まりやすいということです。言い換えれば自分たちを過ごしやすくする、肯定するための情報を持ちやすくしているからです。低次(高次)の属性ではそのレベルと同質でないと居心地がよくないのです。

ある人からとてもよい情報が得られたら、その人の紹介筋とか、その知り合いの人においても、自分にとってよい情報を持っている可能性は高いと言えます。

時には医師や治療法・病院などの情報で、「命」に関わることもあるくらいです。そう思うと、極めて縁は人生にとって重要な意味を持つと言えましょう。

ことさら縁を選ぶ必要はないにしても、自分がどうなりたいか、どういう人生を歩みたいかによって、縁づくりも意図をもってやってみるとよい場合があります。

意図は糸を呼び、さらには人間の努力に応じて、目に見えない(人を超越した)縁の働きやサポートも得られることになるでしょう。

この世の中は、私が思うに、「人が先」(によって発生する縁)のパーセンテージが高い世界だと考えています。それは「現実世界」だからです。でも、「縁が先」のものもあるのは確かでしょう。


夢の実現のために。

現在は自己実現夢の達成に向けて、様々な情報・方法が書籍やインターネットであふれ、セミナーなどでもたくさんの人から伝えられているところです。

そう思うと、現代ほど実は自分の夢を叶えやすい時代はないのかもしれません。

一方で、夢を叶えずとも、そこそこよい生活や、いろろいなモノに囲まれて快適な生活も可能ですので、普通に暮らすことで満足する人も多く、あえて夢を持ったり、叶えたりすることもしなくてもよい時代だと言うこともできます。

さらには、情報があまりに多いので、「どうすればうまく行くか?」ということ以上に、「どうすればうまく行かなくなるか」「こうすれば、こういう(うまく行かない)結果が待っている」ということに、昔よりも知ってしまう確率が高くなりました。

自分の抱いていた夢を叶えたとしても、ある程度予想もできてしまい、意欲をなくすという事態なのですね。

また、自分の希望することは結局、今の自分では現実的には不可能な「夢物語、絵空事」だと、情報としてわかってしまう(悟ってしまう)ということもあるかもしれません。

とはいえ、これらも現時点での今の自分の持っている資源、環境、能力によるもので、それは永遠に固定されるわけではないですから、早とちりと言うか、勝手に自分で思い込んでしまっているに過ぎないということもできます。

それでも、夢は夢のままで留めようとしてしまうのは、現代社会の情報の多さということが、一因としてあるように思います。

一見、情報が多いということはよいことのように思えますが、何事もプラスがあればマイナスもありです。

情報が多いばかりに、先述したように、自分ができないこと、やらないことの言い訳・理由にもその情報を使えることが可能になるのです。

自分の行動に向けた有益な情報として採り入れることもできれば、逆にやりたくないこと、やらないことへの言い訳としても利用されてしまうのが情報です。

それも数多くの情報があれば、言い訳にチョイスできる情報も、それこそ無限にあると言ってもいいくらいです。

頭が良かったり(頭が回ったり)、あれこれと想像をよくする人は、かえって行動しない言い訳をうまく選んでしまうことをしがちなところがあります。

それから夢を叶えるのでも、いきなり思っている夢の全部・全容を現実化しようとしても、大変です。あまりに実際と夢との距離がかけ離れている場合、それだけ近づくためには労力がいります。

それで途中であきらめてしまうこともあるわけです。ですから実現のためのステップを刻んで行けばよいのですが、このことは半ば常識的な技術ですので、今や誰でもわかると言えばわかる方法です。

しかし大切なのは、夢と細かく刻んだステップとの質の共有性と、夢へと続く連関性の意味づけです。

たとえば歌手になりたいという人が、まずは地域の駅前でパフォーマンスするという人もいるでしょう。これは最初は地域や路上からでも、次第に舞台を大きく、確かなところへ実現して行くいう「ステップ」です。

このことは誰でもわかると思います。ただ、ここで何でもかでも路上で歌を歌えばいいというのではなく、自分の実現したい夢の質に応じた歌い方や選曲の方法も意識するとよいということです。

それは例えば、他人の歌ではなく、自分の作詞作曲した歌ということもあるでしょうし、いきなりそれでは聴いてもらえないと思うのならば、自分が将来表現したいと思う(のに近い)既成の曲を歌うというのもよいでしょう。

さらには、夢へと続く連関性というのは、路上でパフォーマンスするばかりではなく、歌以外のアルバイトや経験をしていても、常にそれが将来の自分の夢とつながっているという意識を持つことにあります。

「この経験を歌詞で書く」とか、「このアルバイトのお金が自分の楽器につながっている」とか、そういうことを漠然とではなく、一本のラインが太くつながっているようにイメージするということですね。

そうすれば、表現は違っていても、夢が形を変えて現在出てきていることになるのです。自分の人生は意識付けによって、ストーリーが変わってきます。

あなたの夢も、自分の人生において、過去・現在・未来でつながる物語となるように、演出して行けばよいのです。

そして、先述したように、現代では「やらない言い訳を探す」には、ものすごく便利な時代になっています(苦笑)ので、そらちに意識を向けるのではなく、達成できる理由、行動できる情報を仕入れていく方に意識づけて行くとよいでしょう。


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