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数を見て、タロットをイメージする。
象徴(シンボル)のもっともシンプルなものに、「数」というものがあります。
「数字」と言ってしまうと、まさにただ数えるためだけのものになってしまうので、ここでは象徴としては「数」と表記することにします。
数を象徴として扱うようになると、いろいろなことがわかってきますし、実際に自分の周囲に意味ある数がよく目につくようになります。
ただ、それは今までも周りに存在していたものですが、意識することによって、それが目に入るようになってきたということに過ぎないこともあります。
しかしながら、この意識して象徴の世界に入ること(象徴によって関連づけしていくこと)こそが、とても意義のあることなのです。
ところで、タロットにも数があります。たいていのカードには数がふられており、それゆえ、数とタロットとの関係は昔からいろいろと考察されています。
個人的には、前にも書きましたように、数、数秘的なものとタロットとの関係は、一面では関連するものの、数とタロットの絵柄(の象徴)が全部一致するわけではなく、象徴体系としては別物だと見るほうがいいと考えています。
しかし、タロットには無意味にその数・ナンバーが配当されているわけではなく、やはり数の意味とも関係させていると見るのが妥当だとも思っています。
ともかく、タロットカードに深く関わってきますと、そのタロットにあてがわれている数とも自然に仲良くなり、たとえば、14という数を見れば、大アルカナの「節制」という具合にイメージを持つようになります。
そうなってくると、数秘的なこととはまた違った意味で、数はタロットと完全にリンクするようになります。
つまり、ある数自体が、その数を持つタロットカードの象徴にもなるということです。
そこで起こってくる面白い現象のひとつに、ある特定の数が、決まった期間に頻出してくるというものです。
「このところ、やたらと18が目につく」「18という数に当たる」・・・というよう感じです。タロットと数がつながっている人にとっては、それはタロットの「月」(が象徴していること)であると言ってもいいものになります。
いわば、今のその時期、あなたにとっては「月」の象徴の意味がありますよ、ということなのです。
特定期間に縁のある数は、ひとつとは限りません、複数あることもあります。それもカードとつなげてみると、タロットのコンビネーションリーディング(タロットカードの組み合わせで読むこと)と等しくなります。
さらに、目につく大きな数を合計してひと桁にしたり、見え方によって単数的にとらえたりする場合も、その出てきた数とタロットの意味が関係することがあります。
ただここで注意しなくてはならないのは、タロットは特に大アルカナは22枚によって完全とする体系ですので、ひと桁の数のみで考察していく場合のシステムとは相容れない部分があります。
マルセイユタロットでいえば、「手品師」から「隠者」ですべてを象徴させることになり、これは難しいというか、タロット的には成り立たないことになるのです。
ですから、タロットと数を関連させる場合は、根源的な数の象徴と、タロットの絵柄の示す象徴とは部分的に一致することはあっても、やはり切り離して見ることが大切です。
これに留意さえしておけば、数を見てタロットを感じることは、とても有意義で楽しいことになってくるでしょう。
基礎講座ハイクラス始まる
昨日からマルセイユタロット基礎講座ハイクラスが新大阪の教室で始まりました。
今回は受講生が全員男性という形になりました。タロットといえば、やはり女性の関心が多く、実際に講座に来られる方もほとんどが女性です。
というわけで普段は私も女性を前にして講義することが多いのですが、今回は男性陣を前にしてということで、新しい体験をしている気分です。
そして今まではあまり感じていなかったのですが、女性のみという場合と、男性のみという場合では、明らかにエネルギーの質に違いがありました。
なるほど、いつもはああいった感じでやっていたのだなと、逆に普段のほうの感覚を知ることにもなりました。受講生の方の反応もまた違ったものがあり、興味深かったです。女性も男性ももちろん同じ人間で変わりはないのですが、よく陰陽でたとえられるように、エネルギーの質や反応の現れ方にはやはり相違もあります。
そして、肝心なのは、一人の人の中に自分の性とは逆の性性(性の性質)が隠されていることを知ることです。
タロットを学習する男性には、自分の中の女性性を発露させ、活用していく目覚めに来ていると思います。女性の場合は、さらに自分の中の女性性を認めていくことになります。もちろん、反対に男性性が存在することも見ることになるでしょう。こうしてお互いの考え方や感じ方を多少とも理解できるようになります。
さらに男性・女性と呼ばれるものが、世の中にも「エネルギー」として表現され、循環しあっていることに気か付いてきます。
今回のように男性の方にもタロットを知っていただくことは、私も男性ですのでとてもうれしく思いますし、そうした時代の波にもなってきていることを実感します。
男性は社会や仕事ということを抜きにしては自分を語れないことがあります。それゆえ、「本当の自分らしい生き方」というもの探究する時、しばしば大きな葛藤を生じさせることがあります。
家族の経済的な責任を負うことの多い男性には、実際には大変難しい問題なのですが、少しずつでも、「本来の自分」「生きやすい自分」「人生を楽しめる自分」「楽に考えることのできる自分になる」ことを模索・実践してくことをお勧めいたします。マルセイユタロットはそのよきツールだと私は思います。
「審判」(マルセイユ版)の解釈
タロットカードを学んでいくと、わかっているようで、実はあまりわかっていないカードというのが出てきます。
いわば最初から読みにくいカードと、あとになって、深く考えるようなって初めて、本当はわかりづらい(リーディングしにくい)カードだったというものがあるのです。
これにはやはり個別性があり、人によって(あとでわかりにくくなるカードは)異なると言っておいたほうがいいでしょう。
しかし普遍的なものも、なきにしもあらずです。
マルセイユタロットの場合、そういうカードに、私は「審判」があるのではないかと思っています。
「審判」には、ほかのカードど同様、定番となる読み方や、頻出する意味もないわけではないのですが、リーディングを続けていくようになりますと、どうもありきたりの読み方だけでは通じなくなる場面が多々出てきます。それが「審判」には顕著だということです。
「審判」については、「数」からアプローチしてみるという解釈もあります。
これは比較的よく松村潔氏が、そのタロット関連の著作で書かれているものです。数を扱いますので、時間的なことにも関係してきます。
私見では、松村氏の「審判」の解釈は、私が考えている「運命の輪」に通じるところもあるように思います。
それも当然で、時間を関係させていくこと、さらに数として見れば、「10」が運命の輪の持つ数であり、「審判」はその倍の「20」になっていることからも、その関連性は明白です。(※本来はローマ数字ですが、文字化けなどのおそれがあるため、算用数字で表記しています)
また、「審判」の絵柄そのものから探っていく方法もあります。
これについては、ラッパを吹く天使と、下の復活したとおぼしき人物、周囲の二人の人物との構造・配置などから想起していくことができるものです。
ほかにも、背景や色に注目することもよいでしょう。
こうした絵柄からの解釈に、一般的には「家族」という意味も出てくるのですが、これは単純に絵柄だけのことから示されるものではないことが、「審判」をよく考察するとわかってきます。それについては、今回はあえて省きます。
ともかく、「審判」にはわかりやすいようで、奥底には難しいところがあり、単に「情報」や「コミュニケーション」等と関係させたり、「再生される」ことなどを象徴的に見て取ったりするだけでは、実際のリーディングにおいては物足りなさを感じるでしょう。
特に現実的・具体的なアドバイスとして、「審判」からのメッセージを還元させるのには、困難さが伴いがちです。
そこで、大サービスではありませんが、あるヒントを私からひとつ提示したいと思います。
それは天使のラッパに注目し、福音を聞くことにひとつの解決や突破口があるということです。
そして、やはり「運命の輪」と関係し、ほかのカードたち(言っておきますが、いわゆるタロットマンダラ的発想とは違います)との関連を合わせて見ることで、かなりのセオリー的な解釈(しかし高次の解釈)ができてきます。
具体的には・・・とここまで筆を進めてきたところで、ある存在からストップがかかりました。(苦笑)
続きは私の次号のメルマガでお話いたします。(そこでもストップがかかりましたら、ご容赦を・・・)
カードの意味と、発想の発展について。
これはおそらくタロットの種類に限らず、どのタロットでも起こりうる現象だといえますが、あるカードの普遍的ともいえるノーマルな意味とは、まったく異なる示唆がカードを見ていると得られることがあります。
当然、私の扱うマルセイユタロットでもそれはあります。
人によって、カードの意味を覚えることはあまり意味がないという人もいますし、反対の立場の人もいらっしゃるでしょう。
私はとぢらとも言えないと考えていますが、人によりけりというのが一番自分の答えには近いかなとは思います。
ただカードリーディングの技術の基礎を固めるという観点では、やはり最初の段階として、カードの表す基本的な意味は覚えておいたほうがやりやすくなると感じます。
しかし、一方でその覚えた意味にとらわれ、自由な発想が(ただし、私自身はまったくのとらわれのない自由な発想というものは、本来、通常の人にはできないものと考えていますが)できなくなる一因ともなります。
最初は結構絵柄からいろいろ浮かんでいたのに、ある言葉を覚えてから、それしか出なくなってしまった・・・というようなケースです。
けれども逆に、もともとイメージがあまり出てこない、どのようにリーディング始めればよいのか、皆目見当がつかないという人も、初めの方の段階ではいます。
そんな時に、呼び水となる言葉があったほうが便利なのです。
さて、話は最初に戻りますが、普通に考えられているカードの意味とは別のメッセージというものは、特に個別的に大切です。
カードは普遍性と個別性を同時に持つのですが、この自分だけに感じられるものというのは、文字通り、個別的な自分へのメッセージということが多いのです。
ところが、さらにカードに深く接していくと、その個別的なメッセージが普遍的なメッセージへと変わることがあります。いわば格言や教訓めいた智慧とになって現れるような感じです。
そこで、今日得られたことも簡単にご紹介します。
それは「答えをすぐに求めず、問い続けなさい」というものでした。
私たちはこのあふれる情報社会の中で、すぐに回答求めようとします。
しかしながら、実は答えをいきなり求めない問いかけがあってもよいという考えをしてみると、意外に楽になることがあるのです。
だいたいその問いというのは、大きなものの場合です。大きな問いであるからこそ、すぐには答えが出ないからです。
たとえば天命とか使命とか、自分の生きる意味とかですね。
またこれほど大きくなくても、自分に合う仕事とか、自分の本当に好きなこととか、自分の個性とかいうようなものでも、しばらく問いだけにして、答えを出すのをあせらないほうがよいです。
そして、答えを性急に求めず、問い続けていくと、やがて一条の光のような糸口が見えたり、突然、衝撃のように自分の中で腑に落ちる回答を得ることがあります。
それはおそらく問い続けたことによる自分の中の神性(完全性)との接触が起こったのであり、神(自分の中の神性)からのプレゼントだといえるでしょう。
こう書いているうちにも、いろいろなカードが私の中でイメージとともに現れます。
最初のカードからの発想は、そのカードの普遍的な意味とは少し違う感覚のものでしたが、そこから得られた示唆は次々と別のカード群を出現させ、ひとつの覚醒ストーリーを描きます。
カードは単独でも大きな意味を持ちますが、このように、ほかのカードとの関連が必然的に発生するように設計されていると考えられます。ヒントはすべてマルセイユタロットのカードの中に隠されています。
このようにカードを通して、自分の内に眠る神性を目覚めさせるのです。
ある講演会に参加して。
今日は、とあるセミナーと言いますか、講演会に参加してきました。
誰の講演会は、メルマガを登録された方には以前ご案内申し上げたので、わかると思います。
私自身は普段、タロットを通じて人にモノを教える立場の人間ですが、逆にあるメソッドや考え方を学ぶ側になることを経験することもあります。
それは学びは人を謙虚にし、新たな視点を獲得できることでもあるからです。
と、同時に、私の場合、さらに自分の扱い教えている「タロット」に還元することができ、さらにはいろいろな立場・角度からタロットに当てはめて考えてみることにより、タロットが示唆する真理のようなもをそれまで以上に明確に浮かび上がらせることができるのではないかと観ていることもあります。
マルセイユタロットを学んだ後では、結局のところ、様々な方法や教え・考えに接しても、優れたものほどタロットの伝えるものとほぼ同様であることがわかります。
それはタロットとほかのものと比べて、その優劣や正誤を言いたいのではなく、どれも表現を違えて、ある真実や宇宙のルールのようなものが語られるということなのです。
皆さん、それぞれに得意なもので「表現」し、「神」や「完全」に近づき、「成長」「発展」することを個性をもって語られているのです。
私にとってその「表現方法」は今のところ、「マルセイユタロット」であるということなのです。それが今日も確認できたことでした。
ところで、本日のセミナーで面白かったのは、内容もそうなのですが、語る講師を観ていますと、ある時からオーラのようなものが感じられ、それをタロットのフィルターを通してみますと、この講師が(本日)表現しているものが「節制」であることがわかってきました。
「なるほど」と思いました。というのも、この講師はまさにバランスと浄化(解消・中和)を語る方だからです。一見内容的には「バランス」なので「正義」に思えますが、「節制」であることが鍵なのです。これはタロットマンダラにも関係していると言えましょう。
本日の講演には私のかつてのタロットの受講生の方・Nさんが来られていました。帰りの道すがら、Nさんともお話をしましたが、講演の中で話されたエピソードから私が気付いた、タロットに関連する面白い気付きをお伝えしました。Nさんにとってもおそらく意味のあるものなので、タロットの精霊からのプレゼントだったような気がします。
このようにセミナーや講演会に出たとしても、およそ、その内容とはかけ離れたメッセージや気づきが、タロットを学んだり、精神世界を学んだりして常識を超えた発想を持つようになると起きることがあります。
それは意外に重要なこともあります。
何がよくて何が悪いのかなど実はわかりにくいもので、本来はそのどちらでもないものですが、最初はまったく悪いと思っていても、その逆になることも人生では多いものです。
タロットにより多角的視点を持つと、そういうことが多くなってくるのです。