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マイナスのシンクロ

私は以前、タロットリーディングやタロットを教えることを仕事にすると決めて、活動を開始し始めた時(いわゆる開業した時)に、数々のマイナスのシンクロ(シンクロニシティ)を経験したように思います。

マイナスのシンクロとは何かと言いますと、偶然のようで必然的に起こっていると考えられるいろいろな重なり・同調の意味が、おそらく警告や注意を発していると思えるもののことです。

よくスピリチュアルな世界で言われるシンクロは、どちらかというと、よいこと、前向きで積極的なことの兆しや意味として解釈されることが多いのですが、反対の意味を持つものもあるということです。

私がタロットで開業しようとした際、リーディング用に注文した机が注文と違った色塗りになっていたり、リーディング部屋のほかの家具や調度品を購入してもなせが不良品であったり、インターネットや電話開設でいろいろとトラブルがあったり・・となかなかスムースに行かないことが続きました。

こう書きますと、あたかも私がタロットを仕事にするのが問題であるということがシンクロとして起こっていた、となりますが、事実その時点ではそうだったと考えています。

ここで重要なのは、マイナスのシンクロ(の意味)でも二通りあるということです。

ひとつは、まさに、そのやろうとしていること、考えていること自体に問題があり、できれば実行しないほうがよいという警告。いわばストップ的な意味です。

そしてもうひとつは、行おうとしていることに何か問題はあるものの、それ自体が悪いわけではなく、やり方や時期に注意が必要であるという示唆です。

前者はあり方・本質自体に問題があり、後者はあり方・事柄そのものより、やり方やタイミングが問題だということです。

結果的に見ますと、私のタロット開業は、後者と言えました。タロットを仕事にすることがまずいというより、その方法に問題があったのでした。

当時の私はただ研究や待つということしか知らず、タロットカードで言えば隠者的な生活とエネルギーのかけ方であり、まったくもって営業という表現を忘れた存在でした。ある意味、かなり甘えや浅薄さもあったのです。

そのことへの警告と注意がシンクロという形で来ていたのでした。

シンクロはセンスが磨かれたり、目に見えない世界の教えや学びを進めると、繊細に発見することが可能になりますが、そんな状態にならなくても、その人にとって重大な場合には、ほとんど誰でも「これは何かあるのではないか」と思えるような現れ方をします。

これは神やご先祖など自分を守る存在からの恩恵ととらえてもいいですし、自分の内なる力が知らせてくれていると見てもいいですが、とにかく実は結構、私たちは大いなるものから自然と修正が図られるよう、メッセージをわかりやすく受けているものです。

それにはプラスのシンクロ(OKメッセージ)とともに、逆のマイナスのシンクロ(ストップ・注意・要観察)もあります。

シンクロが続く場合は、「気のせい」としてしまうのではなく、やはり何かのメッセージだと思って見ると、必ず結果的に自分の成長や進展に結びついていることがわかります。


占星術の象徴の入り口として。

現在、風邪で体調不良のため、もしかすると、ここ数日で定期的なブログ更新がストップすることがあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。

さて、諸説ありますが、タロットには(西洋)占星術の象徴や知識も織り込まれていると見る向きがあります。

まあ、占星術を主としますと、逆に占星術(的知識)がタロットを作ったという人もいらっしゃるかしれません。

それはともかく、やはり私自身もタロット(マルセイユタロット)には占星術と関連したものがあると思っています。

そのため、占星術についても、学んだり親しんだりすることがあります。

ただ、ここでも何回か書いてきているように、私自身の立場としては、占星術をやはり占い的には使わず、自己探求や自己の向上「モデル」や「地図」「指針」のように見ています。

そのほうが自分としては面白いですし、そういったことに関心と価値を置いているからです。

とはいえ、入り口としては星の動きの影響を占い的に見たり、ゲーム的に遊び感覚で親しむこともいいと感じています。

そのひとつに「曜日」と惑星の関係を見るというものがあります。

あまり知られていませんが、現在使われている曜日も、星(惑星)の象徴として見ていくことができるのです。それは曜日の成立自体、惑星(の名前)と関係しているためです。

惑星の名前がギリシアやローマでは神の名前になっているように、古代の人は惑星に神のエネルギーや力・働きを見ていました。

そのため、その名を宿すものにも、それと同質のものがあるとされていたのです。曜日はその典型的なものと言えるでしょう。

月曜日には月が支配し、火曜日には火星が支配し・・・みたいなことですので、ある曜日には「その惑星で表されることを行うのがよい」と考えられていたわけです。言い換えれば、その惑星に象徴されるエネルギーのサポートを受けるということです。

これを今の人たちが行うと、少し違和感があると思います。

というのは、多くの人の仕事と休日のリズムによって、土日が休みで月曜から仕事が始まるというパターンに慣れているためです。

しかしながら、それでもその奥底に流れる惑星の象徴性を曜日に見ていくことは、今でも興味深いことです。おそらく今までとは違った観点が見いだせるでしょう。

また自分の生まれた日が何曜日であったかとか、自分にとって変化があったり、特に記念となった日が何曜日になっているのかを調べてみると、自分がどの曜日(惑星)に守護され、どの曜日に変化や問題がありがちなのかもわかってくることがあります。

やはり人によって縁のある曜日、すなわち惑星やエネルギーがあるものです。

もちろんホロスコープを見ればもっと詳細に理論的にわかりますが、こういうゲーム的な見方も楽しくて、惑星(のエネルギー)を象徴として感じるのにはよい入り口です。

慣れてくれば、これら惑星の諸力を、私たちの住むこの世界のあらゆる事象に表現されていることを見て取れるようになってくるでしょう。

これは「惑星」の部分を「タロット」と置き換えれば、同じ意味になります。


違和感を大切に。

違和感というものがあります。

これは漢字をバラバラにしますと、「和」とは「違」う「感」じということで、マイナス的なイメージが出ますが、しかしそのまま解釈しますと、まさに調和である「和」から「違」っている「感」覚ということなので、バランスセンサーみたいなものとも言え、役立つプラス的イメージも出ます。

つまり違和感を覚えるということは、調和からはずれている何らかのサインだということです。

ということで、何事も「違和感」があるのならそのままにせず、少しチェックを働かせてみる必要があると言えます。

しかし、実はこの違和感、「悪魔」による巧妙な別の違和感もあるので注意が必要です。

言ってみれば、違和感の基準になっているものが、エゴによる願望になっていることがあるのです。

換言すれば、快楽や低次の充足感をイメージしていて、それからずれている(願望とは異なる)ため違和感が生じているというものです。

本当の自分を大切にしている「真我」のような心からずれている時の違和感は、ある意味、「正義」の違和感だと言えます。

しかし、低次の心から来るものとのズレによる違和感は、「悪魔」の違和感と言えます。

ここを取り違えると、本質からはずれた選択をしてしまいがちです。

自分の「本当の心」「真実の気持ち」と思っていたものが、実は悪魔によって生み出されていたものであったとなるのです。

ここで言う「悪魔」というのはマルセイユタロットの「悪魔」にも関連しますが、実際の悪魔的な存在というのではなく、象徴的なものです。

ですから、たとえばマスコミが作り出した商業イメージとか、他人からの影響とか、極端な物質または精神主義による成功イメージによるものとかの場合があるのです。

とにかく違和感を覚えたら、そのもとになっている「基準」を思うことです。

何からズレているので違和感となっているのか、その何かとはいったいどんなイメージで、どんな状態であるのか。

これに遡ることです。

そうすると、自分が抱いていた違和感が、偽物の違和感(本来違和感を覚える必要のない違和感)であることに気がつきます。

実は悪魔の違和感の目的はこれ(偽物に気付く、言い換えれば本物に出会う過程)にあると考えられます。

よって、マルセイユタロットで象徴される「悪魔」も、本当の意味では高次の存在となります。

結局のところ、すべての違和感は、自分を成長させるための重要な手がかり・指針であることになります。


詩人となるタロットリーディング

タロットリーディングにおけるセンスのひとつと考えられるのが、最近講座の中でも私が言っておりますが、「詩人になる」ということです。

ポエティックな表現で考えることができるのが、タロットを読みやすくすることになるのです。

それは「類推」「アナロジー」と言い換えてもいいです。

それはなぜかと言いますと、タロットは象徴(シンボル)でできるているからです。

象徴は固定した言葉や概念ではなく、まさに「象徴」なので、いわば抽象的で漠然としたイメージを持ちます。

「右方向に30度進む」とか、「それは斎藤さんである」というような具体性ではないのです。

象徴は、「拡大する縮小する」「軽い重い」「厚い薄い」とか、だいたいの「感じ」みたいなものです。

これを具体化させるのは、実はタロットリーダーではなく、クライアント(相談者)のほうなのですが、その仕組み・構造については講座で詳しく解説しています。

タロットにおける象徴の抽象性と実際の方策・アドバイスの具体性との変換・リンクには、先述したように、リーダーが詩人的になる必要があります。

簡単にいえば、すべて心がある人間のように見ていけばよいのです。

たとえば先ほど書いた「軽い重い」でも、「心が軽い」「心が重い」という表現に変えれば、何となく意味がはっきりしてくると思います。

また象徴の漠然とした表現の前に、具体的なものをつなげると意味がわかってくることもあります。

例示しますと、象徴が「大きい」「小さい」となれば、「仕事を大きくする」「仕事を小さくする」と「仕事」という具体的なものをつけて解釈し、さらにそれはいったい具体的にいうとどういうことか?と類推を進め、「事業拡大」「身の丈範囲の経営」などと実際的な意味を見いだします。

この出発点は、あらゆるものが心を持つというような、唯心論的な立場にも近いものです。

唯心論的に考えれば、モノや事柄(事件・イベント・出来事)に対しても、人と会話するかのように物事の意味を理解することができるようになります。

いや、むしろ出来事のほうから教えてくれるというような印象です。

そのツールでもあり、訓練の道具がタロットなのです。

ガチガチだったあなたの頭も、タロットを使うようになると次第に柔らかくなって、詩人へと変化していくのです。


傷をなめ合う関係

最初にお知らせです。

前回のメルマガの件で、リーディング課題に投稿したのに動画のアドレスがまだ届いていない方はご連絡ください。

投稿者に一斉にお送りしているので、迷惑メールフォルダなどに分類されてしまっていることもあるかもしれず、再度ご確認ください。

それから、今回投稿できなかったけれども解説動画を見たい方は、この課題について自分なりにリーディング(ワンポイントでもOK)されて、当方に結果を送られた方には、動画アドレスをお教えいたしますので、チャレンジしてみてください。期限はありませんので、時間のある時にでも是非やってみてくださいね。

さて、私はアニメーションが好きなのですが、かつて強烈なインパクトをもって、いまだに私の心に残り続けるアニメがあります。

それは「伝説巨神イデオン」というアニメですが、別に今日はこのアニメについて書こうというのではありません。(書き出すととんでもないことになりそうなので・・・(^^;))

注目したいのはそのエンディングにおける歌詞です。「コスモスに君と」という歌が流れるのですが、これを歌っているのは、あの戸田恵子さんです。(このアニメの声優としても出演されています)

この歌詞自体、イデオンを作った富野氏の作詞で、作品とリンクしてとても意味深いのですが、あえて作品から切り離して今回は万人向けに取り上げます。

この中で印象的なフレーズに、「傷をなめ合う道化芝居」というものがあります。

人の人生の中で、まさにこの「傷をなめ合う関係」というものがあり、しかしそれは滑稽な「道化芝居」と映ることがままあります。

スピリチュアル的にいえば、「同じ波動を持つ」者同士で、類は友を呼ぶ法則です。

また心理的には「同じ価値観を持っていたり、似たような心の反応を示す」者同士で、やはり歌詞の通り、大なり小なり同じトラウマや傷、精神的不安を抱えている場合が多いです。

当人たちにとっては最初は心地よく、自分の居場所のように感じられますが、次第に空虚さのようなものが見えてきて、もしかして「道化芝居」を演じているのではないかと気付く時があります。

それは共通点があるからこそ理解しあえる面もあるものの、同じ不安要素を抱えるため、自分の鏡として相手にそれを見てしまうことになり、トラウマや傷も蘇りやすいからです。(「コスモスに君と」の二番の歌詞がまさにこの状態と言えます)

こう考えると、そのような関係は「悪い」のかと思えますが、この「コスモスに君と」の「傷をなめ合う」というフレーズの前には、「慈しみ、ふと、分け合って」という歌詞があるのです。

やはり、同じ問題や傷を持つ者同士だからわかりあえ、たとえ「傷をなめ合う」という「道化芝居」であっても、そこには確かに癒しがあります。悲しみを「分け合う」ことができ、それにより悲しみ(哀しみ)は軽減できるのです。

似たもの同士で、一時的避難、退行のように見えても、マルセイユタロットでいえば、「吊るし」や「斎王」「隠者」のように、過去に関係しながらもエネルギーをたくわえて、成長していくための(待避・休息・籠もり)一過程と見ることができます。

見た目は依存的ではあるのですが、必ずしも悪いわけではないのです。

ただ「道化芝居」であると自覚してきた時、そこから二人、あるいは同じ波動を持つ者同士は、ともに自分たちの問題の根(の解消・浄化)に取り組むことに着手したほうが、幸せは長続きするでしょう。また本当の支え合う関係にもなります。

そうすれば「道化芝居」ではなく、「主役」を活き活きと両者ともに演じることができるようになります。

しかし相手が成長(道化芝居からの脱却)を拒否する場合は、目指すべき方向性や波動の異なりによって、別れざるを得ないこともあります。

今の道化芝居に留まるか、新しい自分に成長するかの選択です。

先述したように、癒し合う過程も大切ですので、急ぐ必要はありませんが、空しさを伴わない心から安心できる関係になるためには、マルセイユタロットでいえば「13」として選択をしなければならないことがあります。


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