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基礎講座ハイクラス始まる

昨日からマルセイユタロット基礎講座ハイクラスが新大阪の教室で始まりました。
今回は受講生が全員男性という形になりました。タロットといえば、やはり女性の関心が多く、実際に講座に来られる方もほとんどが女性です。
というわけで普段は私も女性を前にして講義することが多いのですが、今回は男性陣を前にしてということで、新しい体験をしている気分です。
そして今まではあまり感じていなかったのですが、女性のみという場合と、男性のみという場合では、明らかにエネルギーの質に違いがありました。
なるほど、いつもはああいった感じでやっていたのだなと、逆に普段のほうの感覚を知ることにもなりました。受講生の方の反応もまた違ったものがあり、興味深かったです。女性も男性ももちろん同じ人間で変わりはないのですが、よく陰陽でたとえられるように、エネルギーの質や反応の現れ方にはやはり相違もあります。
そして、肝心なのは、一人の人の中に自分の性とは逆の性性(性の性質)が隠されていることを知ることです。
タロットを学習する男性には、自分の中の女性性を発露させ、活用していく目覚めに来ていると思います。女性の場合は、さらに自分の中の女性性を認めていくことになります。もちろん、反対に男性性が存在することも見ることになるでしょう。こうしてお互いの考え方や感じ方を多少とも理解できるようになります。
さらに男性・女性と呼ばれるものが、世の中にも「エネルギー」として表現され、循環しあっていることに気か付いてきます。
今回のように男性の方にもタロットを知っていただくことは、私も男性ですのでとてもうれしく思いますし、そうした時代の波にもなってきていることを実感します。
男性は社会や仕事ということを抜きにしては自分を語れないことがあります。それゆえ、「本当の自分らしい生き方」というもの探究する時、しばしば大きな葛藤を生じさせることがあります。
家族の経済的な責任を負うことの多い男性には、実際には大変難しい問題なのですが、少しずつでも、「本来の自分」「生きやすい自分」「人生を楽しめる自分」「楽に考えることのできる自分になる」ことを模索・実践してくことをお勧めいたします。マルセイユタロットはそのよきツールだと私は思います。


「審判」(マルセイユ版)の解釈

タロットカードを学んでいくと、わかっているようで、実はあまりわかっていないカードというのが出てきます。

いわば最初から読みにくいカードと、あとになって、深く考えるようなって初めて、本当はわかりづらい(リーディングしにくい)カードだったというものがあるのです。

これにはやはり個別性があり、人によって(あとでわかりにくくなるカードは)異なると言っておいたほうがいいでしょう。

しかし普遍的なものも、なきにしもあらずです。

マルセイユタロットの場合、そういうカードに、私は「審判」があるのではないかと思っています。

「審判」には、ほかのカードど同様、定番となる読み方や、頻出する意味もないわけではないのですが、リーディングを続けていくようになりますと、どうもありきたりの読み方だけでは通じなくなる場面が多々出てきます。それが「審判」には顕著だということです。

「審判」については、「」からアプローチしてみるという解釈もあります。

これは比較的よく松村潔氏が、そのタロット関連の著作で書かれているものです。数を扱いますので、時間的なことにも関係してきます。

私見では、松村氏の「審判」の解釈は、私が考えている「運命の輪」に通じるところもあるように思います。

それも当然で、時間を関係させていくこと、さらに数として見れば、「10」が運命の輪の持つ数であり、「審判」はその倍の「20」になっていることからも、その関連性は明白です。(※本来はローマ数字ですが、文字化けなどのおそれがあるため、算用数字で表記しています)

また、「審判」の絵柄そのものから探っていく方法もあります。

これについては、ラッパを吹く天使と、下の復活したとおぼしき人物周囲の二人の人物との構造・配置などから想起していくことができるものです。

ほかにも、背景や色に注目することもよいでしょう。

こうした絵柄からの解釈に、一般的には「家族」という意味も出てくるのですが、これは単純に絵柄だけのことから示されるものではないことが、「審判」をよく考察するとわかってきます。それについては、今回はあえて省きます。

ともかく、「審判」にはわかりやすいようで、奥底には難しいところがあり、単に「情報」や「コミュニケーション」等と関係させたり、「再生される」ことなどを象徴的に見て取ったりするだけでは、実際のリーディングにおいては物足りなさを感じるでしょう。

特に現実的・具体的なアドバイスとして、「審判」からのメッセージを還元させるのには、困難さが伴いがちです。

そこで、大サービスではありませんが、あるヒントを私からひとつ提示したいと思います。

それは天使のラッパに注目し、福音を聞くことにひとつの解決や突破口があるということです。

そして、やはり「運命の輪」と関係し、ほかのカードたち(言っておきますが、いわゆるタロットマンダラ的発想とは違います)との関連を合わせて見ることで、かなりのセオリー的な解釈(しかし高次の解釈)ができてきます。

具体的には・・・とここまで筆を進めてきたところで、ある存在からストップがかかりました。(苦笑)

続きは私の次号のメルマガでお話いたします。(そこでもストップがかかりましたら、ご容赦を・・・)


カードの意味と、発想の発展について。

これはおそらくタロットの種類に限らず、どのタロットでも起こりうる現象だといえますが、あるカードの普遍的ともいえるノーマルな意味とは、まったく異なる示唆がカードを見ていると得られることがあります。

当然、私の扱うマルセイユタロットでもそれはあります。

人によって、カードの意味を覚えることはあまり意味がないという人もいますし、反対の立場の人もいらっしゃるでしょう。

私はとぢらとも言えないと考えていますが、人によりけりというのが一番自分の答えには近いかなとは思います。

ただカードリーディングの技術の基礎を固めるという観点では、やはり最初の段階として、カードの表す基本的な意味は覚えておいたほうがやりやすくなると感じます。

しかし、一方でその覚えた意味にとらわれ、自由な発想が(ただし、私自身はまったくのとらわれのない自由な発想というものは、本来、通常の人にはできないものと考えていますが)できなくなる一因ともなります。

最初は結構絵柄からいろいろ浮かんでいたのに、ある言葉を覚えてから、それしか出なくなってしまった・・・というようなケースです。

けれども逆に、もともとイメージがあまり出てこない、どのようにリーディング始めればよいのか、皆目見当がつかないという人も、初めの方の段階ではいます。

そんな時に、呼び水となる言葉があったほうが便利なのです。

さて、話は最初に戻りますが、普通に考えられているカードの意味とは別のメッセージというものは、特に個別的に大切です。

カードは普遍性と個別性を同時に持つのですが、この自分だけに感じられるものというのは、文字通り、個別的な自分へのメッセージということが多いのです。

ところが、さらにカードに深く接していくと、その個別的なメッセージが普遍的なメッセージへと変わることがあります。いわば格言や教訓めいた智慧とになって現れるような感じです。

そこで、今日得られたことも簡単にご紹介します。

それは「答えをすぐに求めず、問い続けなさい」というものでした。

私たちはこのあふれる情報社会の中で、すぐに回答求めようとします。

しかしながら、実は答えをいきなり求めない問いかけがあってもよいという考えをしてみると、意外に楽になることがあるのです。

だいたいその問いというのは、大きなものの場合です。大きな問いであるからこそ、すぐには答えが出ないからです。

たとえば天命とか使命とか、自分の生きる意味とかですね。

またこれほど大きくなくても、自分に合う仕事とか、自分の本当に好きなこととか、自分の個性とかいうようなものでも、しばらく問いだけにして、答えを出すのをあせらないほうがよいです。

そして、答えを性急に求めず、問い続けていくと、やがて一条の光のような糸口が見えたり、突然、衝撃のように自分の中で腑に落ちる回答を得ることがあります。

それはおそらく問い続けたことによる自分の中の神性(完全性)との接触が起こったのであり、神(自分の中の神性)からのプレゼントだといえるでしょう。

こう書いているうちにも、いろいろなカードが私の中でイメージとともに現れます。

最初のカードからの発想は、そのカードの普遍的な意味とは少し違う感覚のものでしたが、そこから得られた示唆は次々と別のカード群を出現させ、ひとつの覚醒ストーリーを描きます。

カードは単独でも大きな意味を持ちますが、このように、ほかのカードとの関連が必然的に発生するように設計されていると考えられます。ヒントはすべてマルセイユタロットのカードの中に隠されています。

このようにカードを通して、自分の内に眠る神性を目覚めさせるのです。


ある講演会に参加して。

今日は、とあるセミナーと言いますか、講演会に参加してきました。
誰の講演会は、メルマガを登録された方には以前ご案内申し上げたので、わかると思います。
私自身は普段、タロットを通じて人にモノを教える立場の人間ですが、逆にあるメソッドや考え方を学ぶ側になることを経験することもあります。
それは学びは人を謙虚にし、新たな視点を獲得できることでもあるからです。
と、同時に、私の場合、さらに自分の扱い教えている「タロット」に還元することができ、さらにはいろいろな立場・角度からタロットに当てはめて考えてみることにより、タロットが示唆する真理のようなもをそれまで以上に明確に浮かび上がらせることができるのではないかと観ていることもあります。
マルセイユタロットを学んだ後では、結局のところ、様々な方法や教え・考えに接しても、優れたものほどタロットの伝えるものとほぼ同様であることがわかります。
それはタロットとほかのものと比べて、その優劣や正誤を言いたいのではなく、どれも表現を違えて、ある真実や宇宙のルールのようなものが語られるということなのです。
皆さん、それぞれに得意なもので「表現」し、「神」や「完全」に近づき、「成長」「発展」することを個性をもって語られているのです。
私にとってその「表現方法」は今のところ、「マルセイユタロット」であるということなのです。それが今日も確認できたことでした。
ところで、本日のセミナーで面白かったのは、内容もそうなのですが、語る講師を観ていますと、ある時からオーラのようなものが感じられ、それをタロットのフィルターを通してみますと、この講師が(本日)表現しているものが「節制」であることがわかってきました。
「なるほど」と思いました。というのも、この講師はまさにバランスと浄化(解消・中和)を語る方だからです。一見内容的には「バランス」なので「正義」に思えますが、「節制」であることが鍵なのです。これはタロットマンダラにも関係していると言えましょう。
本日の講演には私のかつてのタロットの受講生の方・Nさんが来られていました。帰りの道すがら、Nさんともお話をしましたが、講演の中で話されたエピソードから私が気付いた、タロットに関連する面白い気付きをお伝えしました。Nさんにとってもおそらく意味のあるものなので、タロットの精霊からのプレゼントだったような気がします。
このようにセミナーや講演会に出たとしても、およそ、その内容とはかけ離れたメッセージや気づきが、タロットを学んだり、精神世界を学んだりして常識を超えた発想を持つようになると起きることがあります。
それは意外に重要なこともあります。
何がよくて何が悪いのかなど実はわかりにくいもので、本来はそのどちらでもないものですが、最初はまったく悪いと思っていても、その逆になることも人生では多いものです。
タロットにより多角的視点を持つと、そういうことが多くなってくるのです。


理想と現実の狭間で悩む人に。

このところ、いや、以前からもでしたが、自分らしく生きたい好きなことを仕事にしてみたいという方のご相談や、そう考えている方との出会いが結構あります。


そうした場合、まず問題となってくるのは自分の精神的な理想と経済的な実状との葛藤です。


端的に言えば、「こう生きたいけど、そう暮らしていくお金が心配」


というものですね。


このことについては「簡単なことよ」とか、「好きなように、楽しく生きるのが人生じゃない?」「お金は何とでもなる」というように言ってのける方もいますが、それは自分がその段階に達していたり、ある「悟り」や「境地」にいるために語られるものです。


しかしほとんどの方にとって、よく考えると難しい問題であることがわかります。だからこそ葛藤し、悩むわけです。


まあ、上記のようなアドバイスをされる方も、実現できる具体的方法論まで提示できる人ならば、それは真の意味で親切(適切)だと言えましょう。


それに反し、ただ精神論だけで語られても、納得できないことがあるのは確かです。


とはいえ、精神世界を学び、探究するものにとっては、実は精神から入るというのが基本です。


まずは考え方や思い方を変えなくては、現状を変化させたり、自分の思うような生き方をすることができないからです。


ここでさらに考察しなければならないことがあります。


それは精神世界にも具体があり、具体の中にも精神があるという二重構造のしくみです。


つまり、心(思考)を変えるためには、やはり具体的な方法論・やり方が必要となってくるのであり、現実の働きかけ・行動・結果にも精神や心のあり方が大きく作用するのだということです。


前者は何となくわかるかもしれませんが、後者は多くの人が忘れていることです。


わかりやすく言いますと、何かを行う時の気持ちを自分自身がよく知ることであり、何のためにそれを行うのかの検証と検討を常に意識しておくということです。


また出た結果(現実)について、ただそれを受け止めるだけではなく、結果という形を見て、心や魂をそこに見いだす・感じるようにすることでもあります。


いわば、結果の良し悪しや評価に関わらず、そのことに対して感謝の気持ちを持つというようなものに近いでしょうか。


それから、非常に大切なことは、あなたが生きたい、したいと思うイメージ、好きな仕事で生きていくイメージを強く持つと同時に、その選択をした時は、そのことに対して完全なる責任を持ち、以前と同じ、いやそれ以上の情熱とエネルギーを傾けることです。


「今が嫌だから」あるいは「今が何となく不満なので」と、逃げ腰や逃避の姿勢で別の生き方を望むのなら、新しい選択に対して情熱とエネルギーが注げませんから、必然として結果も出にくくなります。


ただし、せっぱ詰まって、何が何でも・・・状態(これはあまり望ましくはありませんが)の場合は、情熱とエネルギーは別の意味で注入できますので、実現も大いにあり得ます。


要はまさにすべてをエネルギーとして見た場合、何事もその量を換算したり、質を見たりして、それを自分が出せるかどうかによって現実の度合いも変わってくるということです。


現状であれ、未来であれ、何かにものすごく引っかかりのある時はエネルギーの方向性にねじれや葛藤、ブロックがあるため、現実もそのようになりがちです。


かといって、望む方向に全力を注げばいいのかというとそうでもありません。その方向性に向かうあなたの表現が、望む状態のエネルギーと質的に合致しているかが重要なのです。


それはつまりは、場違いになっていたり、アンバランス状態にあったりして、効率が悪いということでもあります。


そしてエネルギーで見れば、お金も精神も同じであるので、経済と精神という対立が次第になくなってきます。


ただある人にその課題が多い場合は、この葛藤に遭遇する機会は、本人が気付きだけではなく、応用できるようになるまでつきまといます。


こういった人生の選択の責任とエネルギーについては、とても大事なことですので、また別項目でいつかお話してみたいと思います。


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