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考えすぎの人の創造性
タロットに「女帝」というカードがあります。
理由は省きますが、「女帝」のひとつの解釈として、「創造する」「クリエイトする」というような意味があります。
この「女帝」のエネルギーバランスが崩れ、暴走したり、ネガティブな側面が出てきますと、創造性の過剰ということになります。
ですから「女帝」の創造性がひどく出ているという状態は、簡単にいえば悪い意味で「考えすぎ」にあるということです。
ただこの「女帝」の創造性は、まだイメージや頭の世界での話で、現実にはなっていません。(それが救いでもありますが)
いわば、「女帝」はないものをいろいろと創造(想像)することができる人なのです。
これが実際に私たち人間の現象として現れると、いいにつけ悪いにつけ、あれこれ考えるという行為になるのです。
いいものを思いついている時は気分もよく、楽しくなってくるでしょうが、悪いもの、マイナスの方向ばかりが浮かんでくるようでは、当然気持ちも落ち込み、不安になってきます。
要は自分が想像(創造)したことがよいものか悪いものか、その配分具合(割合)によって、自分の気持ちもそれに応じて変化するということです。
この配分を決めるのは、感情や価値観、モノの見方です。時には体調にも左右されます。
普段から考えすぎの傾向にある人は、「女帝」の特質を持つ人であると言え、つまりはクリエイティブな側面を持つのです。
それがよい使い方になっておらず、ネガティブなことを創造することに特技を活かしているため、実は大変もったいないことをしているのです。
いい方向に使えば、まさにクリエイターとして自分を活かすことにつながります。
それには考える時に自分に適切な質問をしていくのがよいです。
考えすぎの人は、たいていマイナス方向に想像を巡らすか、「どうなるのだろう?」と状況の推移や予測的なことにとらわれていることが多いのです。
想像や、わき起こってくるイメージを打ち消したり、止めることはなかなか難しいものです。
それよりも起こってくるものに対してはそのままにしつつ、自分自身によって、よい方向に観点を向けての発展的な質問をしていくのです。
すなわち、 「どうすれば解決できるのか?」「どうすればこの状況打開できるのか?」「何かできることはないのか?」
という類の質問です。
自問自答と言いますか、内なる自分との会話を試みることで心が整理され、クリエイティブなエネルギーがマイナスに暴走してしまうのをコントロールすることができます。
しかしながら、これだけでは不安が強い場合は、質問するような冷静さ自体を欠いていることがあるので、質問をする前に次々とマイナスの創造性が吹き出してくることがあります。
こういう時は逆に極端に傾けてしまう想像をするとよい場合があります。
マイナスも行き着くとプラスに転じます。それを利用するのですね。
これはカードでいえば「皇帝」や「13」の力になります。いわば現実性や最下層の状況にまで想像(創造)を下ろすということになります。
わかりやすく言えば、最悪の状況を予想するということです。こうしてしまえば、実は意外にも思っていた最悪は現実の最悪ではないということがわかってきます。(「なんだ、最悪と言ってもこういうことか」という認識)
それはあなたが大切だと思っているものが、究極まで削ぎ落とされてみれば、案外それほどではなかったということがわかるのと同意です。
そうすればしがみついているものが落とされ、気持ちが楽になってきます。
どん底を想像してみたり、生きるているだけでOKだと思ってみたりすることも、よいことがあるものです。
私も公務員を辞める時は、そんな心境に行き着いたことを思い出します。
最悪まで行き着くと、今度は「とりあえず自分が今もっとも簡単に(シンプルに)できることをすればよい」という行動的な発想につながってきます。先のことはともかく、「今」に集中するという意識です。
面白いことに、マルセイユタロットでは「女帝」の次の数を持つカードは「皇帝」であり、「13」の次は「節制」です。
ともにペア的な意味を持つと考えることができるカード同士で、「3」という数と「4」という数を両方のペアが有しているのも興味深い点です。
考えすぎ傾向のあなた、せっかくのあなたの創造性・クリエイティビティをいい方向に活かしましょう。
「創造性」は、本当にあなた自身の人生を創造的なものにクリエイトしてくれるのですよ。
人にはその能力が「神」と同等に備わっているのです。
マルセイユタロットの数カードを読みやすくする方法
マルセイユタロットの小アルカナ、特に数カードは記号のような絵柄になっているので、とても読みづらいという方もいらっしゃいます。
しかし反面、記号的なので、絵のイメージに限定されることなく自由に発想できるとも言えます。
それはちょうどアストロロジー(占星術)での星読みに近く、サインや惑星の記号をホロスコープ上で象徴として想像していくのと似ています。
とはいえ、そのアストロロジーでも、ホロスコープ上の数々の記号そのものを見ているわけではなく、記号で表されている本体のエネルギーや特質を、ホロスコープ上の記号として投影し分析しているわけです。
だからたとえば「♀」という記号があっても、それが金星であることを知っているだけではなく、さらに金星が象徴するエネルギーや本質は何なのかということを把握したうえで見るということになります。
つまり記号の背後に本質やエネルギーを感じ取るわけです。
これと同様に、マルセイユタロットの小アルカナ・数カードにおいても、まず重要なのは小アルカナを貫いている原理である「四大元素・4組」の特質を把握することです。
そのため親切にも(笑)マルセイユタロットの数カードの「1」の数を持つカードは、4組のそれぞれの特徴がわかるように「絵」になっています。
「ここからこのグループを理解して」という感じでしょうか。ということは「1」が組別の基本であることもわかります。
この4組、四大元素をとらえるためには、大アルカナを学習する時でも使うとよいのですが、カードを人格化(人間と見る)するという方法があります。
西洋魔法でも4組の精霊を呼び出すというものがあり、この場合は精霊ですが、いわば人間的なものと見てもいいわけです。
そこで剣(風)・杯(水)・杖(火)・玉(地)、それぞれの代表人間みたいなものをイメージします。数カードが記号的なだけに、逆に自分でイメージして絵で描いてみるのもよいでしょう。
ただここで大切なのは、イメージするにしても感覚をつかむにしても、最初は知識がないとできないということです。
もちろん知識がなくても「絵」からのイメージはできるものですが、先述したように数カード「1」以外は記号的な図案ですから、カードの図柄だけでは、なかなかイメージしにくいのも事実です。
ですから少しは小アルカナの4組の基礎知識を学ぶ必要があります。
それはさておき、話を戻しますが、4組の代表人間をイメージするわけですが、それはたとえば火の人間(精霊)ですと、“メラメラと燃え上がる姿”でいるとか、最初は単純なものでよいでしょう。
日本人はアニメーションや漫画に慣れている人が多いですから、実は簡単にイメージできるかもしれません。
次にその代表人間をさらに視覚的に複雑化(細かい部分を想像していく)していき、だいぶん実感ができてきた段階で、さらにその手下や分身を増やしていきます。
これが数カードの「1」から「10」に至る展開を表すことにもなります。
こうしてイメージの世界に出現した彼ら・彼女たちの、今度は動き・語りに目を向け、耳を傾けることをしてみてください。
一生懸命頑張っている姿を見ることもあるでしょうし、冷静な彼らたちの地道な作業も目撃するかもしれません。
またイメージが膨らんできますと、彼らの住みかや好む場所・雰囲気・背景といったものも見えてくるでしょう。
それら一連の感覚が、まさに4組(四大元素)であり、具体化した現れ(表現)なのです。
こういった作業を続けていますと、感覚的に小アルカナをつかめるようになります。
最初にまるで無機質な記号だったカードも、血や肉を持つ感覚的・人間的な象徴として実感をともなってくることになるのです。
そうすれば頭であれこれ考えていたリーディングも、直観的なものへと変化していきます。
言ってみれば、精霊(タロット人間)との会話のような感じになるのです。
現実・真実を直視する
人間は変わることを嫌がる動物でありながら、同時に退屈を嫌って変化も望むという面白くも矛盾した側面を持っています。
これは人間の恒常性(生きるための継続・常態化)機能によるところと、宇宙の創造のサイクル(創造されたものはやがて破壊に向かい、また新しく創造されていく循環)との狭間で、若干のタイムラグや齟齬が生じるからだと感じます。
マルセイユタロットで言えば、「星」のリズムと「運命の輪」の回転の違いと言ったところでしょうか。
人間性が強く出た場合、恒常性の機能も強く働き、このままでよい、変わりたくない、地上に留まったままでいいという感情が過剰になる気がします。
そのバランスを図るには、自分が人間でありすぎない(動物でありずきない)ということです。
つまりは精神や心、もっといえば霊性の向上を意図し、行動していくということです。言い換えれば神視点を持つ、神や宇宙に近づく努力をするということでもあります。
そうすれば肉体的・動物的・人間的縛りや牢獄から解放に向かい、恒常性のわなにはまらず、現状維持・妥協・変化を嫌うということから抜け出せるようになります。
しかしながら、何事にもよい面と悪い面があります。
この恒常性の機能も、いわば自分の身を守るためのものであり、無謀さや危険さから自身を保護していると考えられるのです。
ですから知性なき宇宙への暴走・単なるあこがれは逃避や危険を生むことになるのです。
また大いなるものへ近づくという思想と行為は、結果として楽になってはきますが、その途上では自分を直視しないといけない面が多々出てきます。
その意味では決して楽や楽しさだけではないのです。
たとえば、自分のことであれ、パートナーや友人・知人のことであれ、現実をきっちり認識してもらうためには、時には耳が痛いことも言わなければならないこともありますし、ずっと逃げていることを止める勇気、怖さや不安をそのままにせず、その恐怖の原因を白日のもとにさらけ出さねばならないこともあるのです。
たとえばギャンブルなどで借金をしてしまい、家族にばれるのを恐れ、隠し立てしてまたその穴埋めにギャンブルで取り戻そうとしたり、借金したりしてますます泥沼にはまっている・・・というような人がいたとします。
この場合は、本人はもちろんのことですが、その家族も厳しさ(心の受容は必要です)が求められます。
当人に安易にお金の手助けをしたり、なあなあで済ましたりせず、きちんと法律相談や精算のための努力、当人との話し合い、公にするという、とても「痛い」こともしないと、根本的な解決にならないのです。
これは家族にとっても恐怖かもしれませんが、実はそれこそがずっと続く怖さからの脱却の一番の近道なのです。
ギャンブルでの借金を例に取りましたが、ほかの悪癖や悪習慣、または一般的に悪いことでなくても、当人がずっと直面することを避けてきた問題、隠し事など、それがあるためにかえって不安が続いているというようなことは、この際、勇気を出して表に出す、本当の解決を図る決意をすることが大切です。
それは「自分が壊れてしまう」「すべてを失ってしまう」と思えるほど恐怖のことかもしれませんが、本当の恐怖はあなたがそうした不安や恐れをずっと心にしまい込んでいることなのです。
なぜならば、ずっとあなたはそのことで悩み、エネルギーを使い続けているため、創造の力を半減もしくはほとんど失い、ただでさえ牢獄の人生がさらに二重の牢獄になってしまい、なかなか抜け出せなくなるからなのです。
これはすなわち、その問題の奴隷の人生と言ってもよいものなのです。
マルセイユタロットでは、真実や現実に直面しなくてはならない時、「正義」や「神の家」「13」」が出ることがあります。
また意外にも「節制」が出ることもあります。「節制」は救済のカードですが、そのための努力や効率性も要求され、ある面厳しい救済者の時もあるのです。
ともあれ、現実を直視し、勇気ある行動を取ることで、それからの人生が楽に、クリエイティブなものへと変化して行きます。
あなたを待っている人がいる
はじめにお知らせです。
メルマガを昨日配信しました。今回は前回のブログ記事6/18分の別解説が中心です。なおメルマガはタロット講座受講者もしくは修了者の方限定のものです。受講者(カルチャー含む)・修了者でメルマガ配信ご希望の方は、「お問い合せ」ボタンからお申込みください。
最近リバイバルやカバーで時々聴こえてくる「いい日旅立ち」
昔、山口百恵が歌い、「ああ、日本のどこかに私を待っている人がいる」というフレーズが印象的な歌詞ですが、実は本当に日本、いや世界であなたを待っている人がいるのです。
ということが、タロットをやってきてわかってきました。
ただそれは、時間としてのタイミングや成長の意味で、まだ出会えないだけなのです。
出会うと言っても恋人やパートナーのことだけではありません。
友人や仲間、親友と呼べる人、自分を応援してくれる人、理解してくれる人、ビジネスパートナー・協力者、師匠、メンター、弟子、生徒・・・時には血のつながらない家族のような存在まで、実に様々に、あなたと特別な関係として出会う相手、すべてを意味します。
これが、今の自分として出会う相手もいれば、自分があることを経験したり見聞したりしたことで成長し、拡大したので、その時やっと出会うという相手もいるのです。
たとえば結婚相手やパートナーで、年が離れていれば、自分が大学生の頃は相手は小学生かもしれず、とても対象としては意識できないと思います。これがお互いに年齢を重ねれば異性・パートナーとしての存在に変わってくることもあるでしょう。
ほかにもこういうケースがあります。
誰かにものを教えるような人は、それなりの知識や技術・経験を身につけないとなりませんが、あなたがまだ未熟で経験不足であれば、あなたから教わる(予定の)人は、あなたと出会うことは時期尚早でタイミングではないのかもしれません。
ですから、いろいろな意味でいい出会いがない、いいご縁がないという人は、自分を拡大成長させることに主眼を置けばよいのです。
神様は、あなたに対して、「その人に出会うにはまだ早いんだよ」「これを経験してから出会えるようになっているんだよ」と設定してくれているのかもしれないのです。
輪廻転生や魂のグループというスピリチュアル的な視点をあえて入れるとすれば、出会う人たちは相互に、あらかじめイベントの発生や達成、または時期を大まかに決めておいてから接点ができるように計画して生まれてきた可能性もあります。
何かのイベントや出会いが、ある条件によって発動するというのは、まるでRPG(ロールプレイングゲーム)のようなものですね。
やはり人生はゲームとしての側面があるのかもしれません。
ということで、まだまだチャンスはこれからであり、どんな人に出会うのか、どんな縁が運ばれるのかは、まさにあなたの成長発展次第と言えるのです。
少なくともそういう拡大の意識を持ったほうが、これからの希望があると言えます。
そして、何も未来の視点だけではなく、過去の復活とか再生も出会いであり得ます。
それはあなたの認識が変化したり、自分自身の囚われや枠がなくなったりして成長した時、過去に会った人が、過去とは別の、変容したあなたに会いに来るということです。
実際にはその意識は相手にはないかもしれませんので、あなたが引き寄せると言ったほうがいいかもしれません。
これも結局は自分の拡大成長によるものなのです。
あなたを必要としている(相手もあなたを必要としている)人は、日本・世界のどこかで時間軸も含めて、待っているのです。
マルセイユタロットは現実との調和を図るツール
タロットはスピリチュアルに関心のある人も惹きつけますが、そうした人の中にはやや誤解もあるように感じます。
それはタロットに限らずですが、統合や全体性への方向にこだわり過ぎるという視点です。つまりマルセイユタロットでいえば意識が天上的なのですね。
これはもちろんいいこともあるのですが、私たちは肉体を持ち、個性をもって生きていますので、全体や融合視点ばかりではうまく行かないこともあります。
時には現実逃避に利用されることすらあるのです。
これまで世の中が個別的・具体的・一対一・競争原理の方向に極端でしたので、それも無理のないところではあるのですが、現実から逃げてしまっては元も子もありません。
ところで、マルセイユタロットの場合、ある法則に基づいてカードを並べると、全体や統合の天上志向だけではなく、現実や具体の地上志向にも目を向けることができます。
これはカバラーの「生命の木」も同じような構造だと私は思っています。
つまり、簡単にいえば宇宙や全体、一なるもの、いわば「神」的な大きなエネルギーが、地上・現実世界に様々な形や具体性・個別性をもって表現されるという発想です。
そう、実は統合や全体へ向かう上の視点と、現実や具体に向かう下の視点が見いだされるのです。
これは非常に大切なことで、上への視点や方向性も霊的(スピリチュアル的)にはもちろん大切なのですが、逆に下への還元や表現も重要なのです。
それを考察しないと、上と下が同じであるという認識ができないからです。
この上と下が同じであることを頭と心で理解・実感することが、本当の意味で霊的な発展だと考えられるからです。
従って精神や心が穏やかになるだけではなく、実際もある程度安定したり、豊かになっていったりすることが霊的(スピリチュアル的)には求められ、そうなるのが妥当だと言えるのです。(これはマルセイユタロットでも進化の道筋としては語られています)
ここまでのことは、何を言っているのか、タロットやほかの象徴学を学習されていない方はさっぱりかもしれませんが、言い方を換えれば、たとえば天空の月は地上の女性や男性のロマンと関係しているという仕組みがわかれば、現実にもそのエネルギーを効果的に顕すことができるというものです。
いや、こういうと願望実現法と誤解されるので、付け加えますが、現実世界での月の表現がわかれば、現実でのモノや形が月の(表現の)一部だとわかるので、現実の材料から自分を全体の調和に向かわせしめることが、具体性(現実の事柄、経験)をもってできるようになるということです。
願いを叶えるのではなく、自分の願いを現実世界で表現されているモノや形・人で見つけるという感じです。それはすべてエネルギーの表現と見ることで可能になります。
ですから自分の願いが表現として全体と調和しないもの、現実世界での表現では見つけにくいものならば叶わないか、表現を変えて実現するしかないということになります。
それはともかく、全体性と個別性のつながりをマルセイユタロットで見ていけるようになれば、自分の現実世界での生き方、活かし方もよくわかってくるのです。
そうなりますと、移りゆく世界や実際社会の中でただそのまま反応的に流されるのではなく、普遍的な宇宙の原理に添いながら、個性をもって生きることができるようになります。
つまり、全体を目指せば目指すほど、自分を知ることになりますので、本当の個性の活かし方(表現)をするようになってくるというわけです。(ただし全体や上ばかり見ていては気がつくことができません)
それは決してわがままや勝手というものではなく、自然なものです。
この「自然」というのは、文字通り自分にとって全然苦にならない状態であり、また大いなるものからしても調和するような感覚です。まさに自ず(みずから・おのずから)から然(全)という感じなのです。
完全にこれが調和・完成された時、それはすなわち悟りでもあるでしょう。
タロットの受講生(修了者)用に発刊しているメルマガでは、この記事についてもっと具体的にわかりやすく書いてみますね。結果的に、マルセイユタロットによる願望実現法になるかもですが。(笑)
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