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発展コース リーディングゲスト追加募集
先日、この記事でお知らせしました ように、マルセイユタロット発展コース(プロタロットリーダー向け養成講座)におきまして、クライアント役として一般の方をお招きすることにいたしました。
それで、当初は6/10も予定していたのですが、日程・カリキュラム等の都合で、6/10につきましては、一度皆さんをお招きすることについては取りやめとしておりました。
しかしお問い合せもいただいていることですので、再調整いたしまして、改めて6/10にもゲスト参加OKにしました。
5/27の日時が合わなかった方は、再度ご検討いただければと思います。
★発展コース タロットリーディングゲスト参加者募集★
●日程
6月10日(日)
●時間
(1)15:00から15:30 予約済
(2)15:30から16:00 予約済
ご希望の時間帯をお選びください。先着順です。
※満席になりました。ありがとうございます。
●場所
神戸市中央区 兵庫県民会館
教室などの詳細はお申込み者にお知らせいたします。
●リーディング料金
一件 500円
それ以上の価値があったとご判断いただいたなら、ご自由に上乗せください。
●お申込み・お問い合せ
「発展コースゲスト参加希望」とお書きののうえ、ご希望の時間帯・お名前もお書き添えください。
●その他 参加について
リーディングはコース受講者の実践練習を兼ねますので、それをご了承いただける方、リーディングの問いと内容を受講者と共有(講師と受講者に公開)OKの方。
一般の方はもとより、タロット講座の受講者・修了者(カルチャーセンター含む)など、どなたでも参加OKです。
日曜発展コースの受講者は少人数ですので、安心した雰囲気のもとで和やかに行われます。リーディングは発展コースの受講者が行いますが、講師のフォローと解説もありますので安心してご参加ください。
自分の向いているもの、興味の探求
ひとつのことをずっとやっていますと、最初は人から教えられた知識や表面的に感じられたことが中心となりますが、やがてその行っていることそのものの持つ意味や背景の流れが見えてくることがあります。
さらにはそれを学んだり、行ってきたりした人の連綿たる思念や想い、蓄積のようなものも感じてきます。
特に伝統や歴史を持つものは、それが顕著ではないでしょうか。
ですからある人に何かを学んでいたとしても、初めはその方の教えられた言葉や知識をそのまま受け入れるのですが、時にその人を通じて、その人が学ぼうと志していたもの、さらにはその奥に流れる「何か」が伝わってくるようになります。
そうなると、その(教える)人の人格や状態などはどこかに飛んでいき、教えを受けている、または教えを受けたそのこと自体が非常な喜びであるという感覚、教えられたことを真摯に受け止める決意のような感情が生じます。
いわば学びそのものの「霊」を感じるような形です。
ここまで来ると、これは自分の中にもともと存在していたのではないかという思いに変わってきます。
誰もがあらゆる可能性や完全性を元来有していると考えると、様々な現実条件によってそれは規制されているとはいえ、何かのきっかけでその種は発芽し、萌芽として自覚できるのではないかと考えられます。
それはまた縁によるところが大きいのでしょうが、その縁に導かれやすい何かが自分の中にあるのも、可能性としては想像できます。
いずれにしても、「何が自分に向いているのだろう」とか、「自分の合っている道は何なのだろう」という探求心は大切ですが、それは外からの縁も多大に影響するとはいえ、実は自分の中にある種子としてすでに存在し、それを発見し、育てる内向きな探求にも糸口があるのだということです。
だいたいにおいて、その種子は具体的ではなく抽象的です。なぜならば、あなた自身の表現は宇宙という抽象的で大きなものの一部の表現であるからです。
そしてあなたが「向いているもの」「自分の道」だと思う仕事や生き方は、あなたというフィルターを通した具体的な宇宙の表現でもあります。
具体的な表現ということは現実世界、つまり私たちの住む次元での表現なので、これは時代(時間の経緯)や環境によって変化します。
しかし大きな宇宙という全体表現では抽象的であるために、時代や環境など現実的なレベルによって変わることがほとんどありません。
あなたがまず求め、探すものは、いきなりの具体性ではなく、この宇宙の全体性・抽象的なところと現実世界との中間的ものなのです。
それゆえ、たとえば「セラピストが向いている」というより、「人を癒すことが向いている」というような、少し上の抽象概念をあなたの個性の種子として発見することが大切となります。
そして最初に戻りますが、どんなことを発見し、行うにしても、その奥や背後に流れている大きな宇宙の表現を感じていくように探求することです。
カウンセラーでもコーチでもコンサルタントでも、その技術や学び自体の「霊」を見ると、次元の階層を行き来するようなものとなり、単なる技術や知識、仕事を意味するものではなくなるでしょう。
結局のところ、それらはある中間概念とつながることになり、さらに上の大きな存在や表現とリンクしていくことになるのです。
私はマルセイユタロットでそれを探求している道中です。
「私はスピ系とは違います」と言う人。
スピリチュアルという言葉が結構一般的になるにつれ、この言葉自体もいろいろな概念で書かれたり、語られるようになりました。
と言っても、今日はその定義のお話ではありません。
実は、スピリチュアルや精神世界系のことに関心がある人の中で、「私はいわゆるスピ系と呼ばれる人たちとは違う」とか、「よくスピ系の人が○○と言ってますが、私は違います」という表記を見ることがあります。
これって、どう思いますか。
私自身も同様の表現をしたことがあるので、反省の意味を込めて書きますが、かなり傲慢にも聞こえてきませんか。
たぶん「私はいい加減なことを言ったり、スピリチュアルに傾倒してふわふわな感じで現実を見なかったりする人ではありません」と言いたいのでしょうが、スピリチュアルなことに関心があるという意味ではあなたも同じです。
そしてスピリチュアルなことに興味を抱いている人は、競争や差別化を嫌い、共有化、和合といった志向(思考でもあります)を好み、一言で言えば「愛」ということを重んじます。
であるならば、なぜ「私はスピ系とは違う」という「違う」という言葉を強調するのでしょうか。
本当にあなたは自分の言う「スピ系」の人とは「違い」、バランスが取れていて、進んでいる人なのでしょうか?
確かに、人によっては明らかに何かに傾きすぎていて、バランスを見失っているという時があります。
精神世界と現実・現象面という二極であえて分けた場合、精神方向に極端に比重をかけている人もいれば、現実・実際面に重きを置いている人もいます。
ここは難しいところですが、そのバランスというものは結局自分が見た場合のバランス評価であって、本当にその人自身のバランスが崩れているのかどうかは、病的な状態でもなっていない限り、判断はしづらいものです。
そしてあなたが、「あの人は精神と現実のバランスを崩している」と見たとしても、もしかすると大きな(宇宙的な意味)では、バランスが取れているかもしれないのです。
あなたの見ている他人は、その人のほんの一部でしかないからです。
いつも精神世界の話をばかりして仕事もしていないと思われている人でも、実は家では必死に親の介護をしていて、今仕事ができる状態ではなく、そのような現実とのバランスを取るために、あなたと会っている時は精神世界の話ばかりしているのかもしれないのです。
「自分は違う」と言い方をすることが悪いと言っているのではありません。
また「スピ系」という言葉で、批判することがまずいということでもありません。
そういう言葉が出ることも、あなた自身が全体のバランス要因となっていることもあるからです。
全体のバランス要因とは、過度にどちらかに傾いている状態を修正するために、あなた自身がその役割の一人となって、知らず知らずに役を演じているということです。(あなたも全体世界の中の大切な一人であるということ)
また自身の自戒(そうなりたくないという思い)を込めている場合もあるでしょうし、よかれと思って警告や忠告の意味で書いている時もあるでしょう。(実際に、霊的な世界をいい加減に扱い、想うことは危険でもあります)
ですが、ふと自分の発した(書いた)言葉を見直し、あなたが関心を寄せているスピリチュアルというものと、およそかけ離れた心と態度になっていないかを確認することも、また大切なことだと感じます。
あと少し、もう少し
タロットで相談をしていたり、講座で課題をリーディングする実践練習を見たりしていますと、人はわずかのタイミングでまさにチャンスや機会を失っているような気がします。
そしてそのタイミング・間というものが、「もう少し、あと少し」というもので表されることが多いことにも気がついてきました。
「もう少し、あと少し」とは具体的にはこういうことです。
たとえば「仕事を辞めようか」という時、あるいは、「この人とのおきつあいを続けるかどうか」で迷っているような時、たいてい人はなぜか、「もう少し、あと少し」のところでタイミングを誤っています。
それは、もう少し続けたほうがよいのに早まって辞めてしまって後悔したり、逆に、このあたりで止めたほうがよいのに、あと少し・・と続けてしまい、ズルズルと止め時を失ったりすることです。
株とかギャンブルなんかでは後者が多いかもしれません。(前者もありますが)
いずれにしても、言ってみれば人生の決断の際、多くの人は「あと少し、もう少し」のところでタイミングをずらしてしまいがちだということです。
それは本当に、ほんのわずかな時間の差なのです。
ですから、何かを決断する時、特に止め(辞め)時には、
「もう少ししたい、やり続けたい、一緒にいたい」というような場合は思い切ってその時に止め(辞め)、反対に「もう止め(辞め)たい、今すぐ離れたい、今逃げたい」というような時は、あと少しだけ様子を見たり、続けたりしたほうがよいのではないかと思います。
もちろんきちんと今までもタイミングが合っていた人は、まさに自分の思うタイミングが真のタイミングと合致しているのですから、あえてずらす必要はありません。
これ(タイミングのズレ)は深くには直観と現象認識(現実認識)のズレ、カルマによるタイミングのズレ、自然リズムと自分リズムのズレ、自我意識と潜在意識の葛藤などによって、大いなる宇宙的な(調和)のタイミングとシンクロしなくなって生じると考えられます。
そのため自分の運がいいという人は、自分の思うタイミングも宇宙のサイクルと合致してジャストフィットしており、スムースに事が運ぶようになるのです。
間(タイミング)に合わせると、まさに物事は自然に「間に合う」ようにできてきます。
ここまで述べたことは、マルセイユタロットをご存じの方は、言うまでもなく「運命の輪」のことを述べているのに気がついているはずです。
あわせて「星」を「運命の輪」の上に縦に並べると、さらに面白いことがわかってきます。これは大アルカナを数の順で並べた絵図の構造の一部になるのです。
結婚したいと思っている人へ。
最近はタロットの受講生の方にもよくお話していることですが、マルセイユタロットの「運命の輪」の視点で物事をとらえると、とてもバランスがとれてきます。
マルセイユタロットでバランスをもっとも表しているカードは「正義」だと考えられますが、実のところ、すべてのカードはバランス(二元とその調和)が基本にあります。
そういった意味では、どのカードにおいてもバランスを象徴させることは可能ですが、モノの見方や実用性で言うと、「正義」よりむしろ「運命の輪」のほうがわかりやすいかもしれません。
さて、世の中は「婚活」などという言葉で結婚を意識させるようになってきました。
別にそれまでも普通に結婚のための活動はあったわけで、ことさら意識する必要もないのですが、建前としては少子化問題解消や絆・人間性の回復のために、結婚を奨励していく意味があるからだということでしょう。
しかし考えればわかることですが、しょせんメディアの作るひとつのブーム化(消費化)戦略のひとつでもあります。
とはいえ、結婚そのものが悪いわけではもちろんありません。結婚には普通の人が考えているより、自己の成長や内的発展にもたいそうな価値があります。
要は自分の意志とは関係なく、結婚しなければならないと思いこまされることが問題なのです。
ですからたとえば、「こういうところに入会しよう」「こういう知識や技術を得よう」「このような場所に行こう」「このようなモノを買おう」と誘導されることが、さらなる問題にもなってくるわけです。
何が言いたいのかといえば、周囲に踊らされることなく、結局は本当に自分が結婚したいのかどうかを今一度確認しましょうということです。
結婚について、自分はメディアや広告的に誘導されていないことを確認したあと、それでも(今、つきあっている相手がいない場合で)結婚を希望される方は、結婚というものの両面を考えるとよいでしょう。
たいていの人は結婚することに対して、片面だけの想像になりがちです。その片面とは結婚することによる「いいこと」(の想像・イメージ)です。
さすがに現実離れしたバラ色過ぎる想像をする人は少ないでしょうが、今まで別々に暮らしてきたそれぞれが、一緒に二人で生活を始めていくわけですから、価値観が一緒のところもあるでしょうが、異なることがあるのも当然だと言えます。
だいたいつきあっている時は双方の価値観が合うところに着目し、それで心地よいと感じていることが多く、また違っている部分でも相手に合わそうとするところがあります。
特に惚れていたり、力関係で受動的なほうが自分の価値観を変えてまでも相手に合わせようとします。
そこでいざ結婚すると、実はそこから別の次元に二人は行くことになりますので、次第に相手に合わせようとしなくなり、自分だけの価値観で生きるようになってきます。
つまりは元に戻るのですが、それが双方からすれば、「気持ちが冷めた」とか「自分のことをわかってくれない」という愚痴や不満になります。
ここからが結婚生活の面白さというか、また新しい次元の創造に移るのですが、この創造が大変な場合もあるので、その破壊(お互いのズレ)のまま本当に別離となることもあります。
話を戻しますと、まだお相手がいない方は、最初から結婚の両面(いいこと・悪いこと、ポジティブ・ネガティブ)を受け入れるような気持ちを獲得していくと、おそらくあなたには結婚に至る出会いが待っています。
なぜならば、そもそもすべてはどの場面において両面(二つのモノの見方を変えたエネルギー、陰陽、ネガポジ)はセットであるからです。(これは最近話題のディマティーニ氏が「正負の法則」などで述べられていることでもあります)
これがタロットでいえば「運命の輪」に相当し、両面を受け入れる見方や気持ちになれば、まさに自分の運も動いていくことになるのです。(そのことはタロット講座でお伝えしています)
結婚にかかわらず、物事の両面を受け入れながら…というのは一見大変で苦しく、そのことに対して興味を失うのではないかと思う人もいるでしょう。(たとえば結婚のマイナスを最初から見たらモチベーションが下がるのでは…という思い)
しかし実際は逆で、両面を見ようとすると心が穏やかになり、それが進むと次元やレベルが上がる(もしくは変動する)のです。
さきほど、私は結婚は別の次元だと言いましたが、結婚が独身、または恋愛やおつきあいしている時とは別の次元だとすれば、同じ次元(これはモノの見方によるあなたの意識している世界ということでもあります)のままでは、なかなか結婚できないということでもあります。
物事の両面を受け入れる見方を獲得すると次元が変動していきますので、結婚にも近づくというわけです。
そして最初に戻りますが、あなたが結婚という選択を本当に視野に入れているか、今のままでよいと心の底では思っていないかなどを確認することも、非常に大切なことです。
それはむしろカードでいえば「正義」や「法皇」、さらには「月」、「恋人」で象徴させられることです。
それゆえ、「恋人」カードはその名の通り、「恋愛」や「結婚」においてやはり重要なカードになるのです。