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タロットによるシンプルかつ深遠なる世の中の理解。

マルセイユタロットは全部で78枚がひと組になって構成されていますが、特に重要なカードは22枚の大アルカナと呼ばれるカード群になります。


ただ考え方の違いで、78枚がどれも等しいと見る方法もあります。私自身は大アルカナと小アルカナは表現と次元の相違を表していると見ています。優劣ではありません。


それはさておき、その重要な大アルカナですが、この大アルカナにも次元が異なるとする見方があります。


これは皆さんが思っているよりも実は重要なことで、タロットの象徴を通じて物事や自身の理解を深めることには欠かせないものだと私は考えています。


詳しくはタロット講座でお伝えしているところですが、今日は簡単ではありますが、その大アルカナの中の次元の違いで見る方法の一端をお伝えしたいと思います。


まず大アルカナ22枚全体を見まして(並べてみるとよいでしょう)、似たような雰囲気・絵柄のカードを選び出します。(ここではマルセイユタロットで述べていますので、ほかのタロットでは絵柄が違うので当てはまらない場合があります)


たとえば「恋人」と「審判」などはその構図はとてもよく似ていますし、「法皇」と「隠者」では何か教えてくれるような印象では共通していると言えるでしょう。


このようにして、だいたいペア(二枚)で何組か選んでみます。


そしてカードの数の大小をその二枚で比べます。大まかに言って、数が少ない方が次元が低く、多いほうが次元が高いと見ます。


ただそうやって決めつけてしまうと、すぐ優劣(数が上の方がいいカードと思ってしまう)と考えがちなので、それよりも「表現の違い」というもので思っていたほうがいいでしょう。


次にこれが非常に重要ですが、その二枚に共通する「コア」「核」「元型」のようなものをとらえます。


たとえば、さきほど出た「恋人」と「審判」において、双方の絵図を見ながら、「二枚はいったい根本的に何を言おうとしているのか」「何を示唆しているのか」ということを考えるのです。


考えるというより感じることに近いでしょうか。


そのうえで、先述したように数が多いほうが次元が上になりますので、この場合だと「恋人」より「審判」のほうが次元が高いと考えます。


共通項と次元の違いここに同じものと異なるものが登場したことがわかりますか?


これが世の中の目に見えない仕組みであり、象徴でとらえる世界なのです。


つまり私たちの住む世界・宇宙には、次元の違いによる表現とその中にも共通した根源・根本が存在しているのです。


言い方を変えれば、表現と次元の違いによって個性があり、その違いから真理やひとつのもの、全体を知るということになります。


カバラーの生命の木、占星術の惑星やサインなどの象徴もこうしたことが可能です。というより、そのためにあると言ってもいい智慧と象徴の体系です。


この訓練をしていくと、涙が出て感動することすらあります。


それは宇宙の表現の有り難さに気付くことであったり、自分の可能性への広大な期待であったり、逆に自らの現状のふがいなさにも思い知らされたりすることにもなるからです。


タロットの絵柄の同質性と次元の違いによるこうした気づきは、タロットの絵柄の印象(感覚)だけではやはり難しいです。そのためにタロットの意味と象徴の理解、つまり学習(知識)が必要なのです。


直感へのステップ

タロット講座修了生の皆さん、今月あるいは来月にリーディング練習会を企画しますので、参加ご希望の方はご都合など(可能な曜日等)、ご遠慮なくメールくださいませ。


一般の方へ。新大阪でマルセイユタロット基礎講座4月後半から始まります。近日詳細についてお知らせいたしますので、マルセイユタロットにご興味のある方、タロットを体系的に学びたい方はご注目ください。


では今日の記事です。


よく自分の直感や感性に従うと正しい選択ができると言われます。


しかし問題はそれらの自分の感覚が本当に正しいのか、そうでないのかわからないということでしょう。


直感に従ったつもりがとんでもない結果(自分が悪いと思う)を招いてしまったとか、そもそも直感そのものがわからないといった問題や疑問が起こります。


私もそうした思いに駆られていたことが長い間ありました。時には直感とかシンクロニシティとか信用できないと考えることもあったほどです。


しかし、タロットを続けていまして、次第にあることがわかってきました。


実は何事も段階があるのです。そして、多くの私たち現代人は、こと直感に関しては、その「感じる力」を失っていると言えます。いえ、失ってはいないのですが、鈍感にしてしまっているということです。


つまりはセンサーを働かせていないか、働かせていても感度が鈍っていたり、使い方すら忘れている状態なのです。


そのために自分の「直感による判断」の、その「判断」自体ができないでいるのです。


ではどうすればよいのかですが、それは意外にも普通のやり方で開発(再開発)が可能です。


すなわち、どんなことでも体得したり、習得したりするには練習が必要ですが、この場合も同様で、直感センサーとその判定力を磨く(取り戻す)にはやはり練習をすることです。


しかし練習の前に前提として必要なことは「直感」(自分にとって必要なこと、正しいことを選べる直感)というものがあると信じることです。


精密な「直感」は自分にもあるけれども、今はセンサーのスイッチが入っていない、もしくは使い方がわからないと見るのです。


最初から直感を否定したり、そんな非科学的なことは信用できないという疑問をもっていては、いくら練習してもセンサーがオンになりません。それはまるで、コンセントを入れずスイッチを押し続けるようなものです。


次に、選択時にはなるべく思考を入れないようにします。


この場合の「思考」とは、わかりやすく言えば論理的に考える「損得」です。


それよりも心地よいか不快かで判断する、あるいは本当は違うのですが、好きか嫌いかで見ても最初はOKでしょう。


簡単にいえば自分にとって損か得かと考えるよりも、気持ちよいかそうでないかで感じて判断するということですね。


それでは思考は役立たずかと思われるでしょうが、そうではないのです。


思考には思考の役割があり、特に蓄積する情報が智慧に近づくための分析力を呼び、思考から直観(直感ではありません)に至る道もあるのです。


ですが、今はややこしくなるので、あえてそのことは省きますが、今は思考は直感のためのルートを開くとだけ述べておきます。


そうして場面場面において、「感じ」「感覚」を覚えておきます。このあと、特に選択において結果が出るものは検証をします。


自分が直感と思って選んだものが、やはり思った通り自分にとってよいものであったということもあるでしょうし、逆にあまりよくなかった、悪かったということもあるでしょう。


この過程で直感と結果が実際にはまちまちなので、混乱して直感に対する信頼を失い、直感を働かせることをやめてしまう人がいます。(私も以前はそうでした)


しかし、それ(過程)こそが修練なのです。これをあきずに何度も繰り返していると、次第に「こういう感じで選んだ時は正解で、これは偽ものだな」とわかってくるようになります。


もちろん100%の完璧になるにはもっと訓練や心の解放、生き方の変容も必要かもしれません。ただ100%など目指さなくてもいいのです。少なくとも今より精度を上げれば、かなり違ってきます。


直感での選択ができることが目的というより、センサーを復活させること(そのように感じる世界の実感)が大事だと言えるからです。


カードでいえば、「斎王」から「恋人」、そして「恋人」から「審判」に至れば完全復活と言えます。(こうした象徴での意識を持つことが、かなり大切なことです。タロットの目的のひとつは、象徴による理解の方法を獲得するためにあります)


直感に対して、ある一カ所の曇りだけが問題であったような人は、さほど訓練なしでもその濁りさえ取れれば一気にセンサーは回復するでしょうが、普通はやはり地道な練習が最初にいると思います。


それでも女性は速いと思います、ただ自分の女性性を封印した生活を送っている人は時間がかかるかもしれません。


そしてタロットを使う人も直感回復の助けになるでしょう。


回復の訓練も義務でやるのではなく、ゲーム的に楽しんでやるほうが面白いですし、効果があることでしょう。


よみうり文化センターでの体験会にて。

基本、このブログは1日おきの更新に変更しましたが、何かイベントがあったり、告知したいことがあったり、お伝えしたいことが起きたりした時は連続となることもあります。


ということで今日は昨日からの連続になります。


昨日(3/1)は「よみうり新聞文化センター神戸」でのマルセイユタロット体験会でした。


よみうりの講座では冬場(1-3月)は開講しておりませんでしたので、久しぶりです。


今回の体験会では遠くからお越しいただいたり、今までの講座受講生からのご紹介からであったり、昔の仲間がご友人とともにいらっしゃたりとサプライズがたくさんありました。


参加していただいた皆様、まことにありがとうございました。


体験会では、まず一般的なタロットのイメージ・印象をお聞きしています。すると、恐いカードとか、当たりすぎる・・・とか何か恐れをもって答えられる方が結構いらしゃいます。


ただ実際にマルセイユタロットを見ていただくと、恐い(という絵柄)の印象はなくなるようです。それもそのはず、マルセイユタロットはほとんどのカードが、誰が見てもわかりやすいようなシンプルな絵柄でできており、一般的に「恐い」と感じるものは「13」を除くとないと思います。


絵柄がシンプルで恐くないのももちろん理由がありますが、それについては体験会でも講座の最初でも語っています。


それからタロットの「当たる」「当たりすぎる」という感想ですが、これは多分に主観的なものがあります。


実はタロットに限らず、ほとんどの占いは当たるのです。しかし占い師の解釈や説明、相談者の受け取り方・印象によってはずれていると感じる部分に焦点が来てしまうので、当たるとは感じられなくなります。


一応お断りしておくと、この「当たる」ということは象徴として当たっているということを述べています。


象徴ですから具体的・個別的というより抽象的なので、そこからどうとでも解釈できるということも、ある意味できます。


その結果、個別的なことを類推することができれば、すごく当たったと感じますし、逆に象徴からの想像した具体性がはずれることもありますので、その場合はまさに「大はずれ」と感じます。


とはいえ、占いの蓄積や経験、そしてもともと占い師の持つ特殊な感性(霊感的なもの)によって、実際にものすごく当たる、当てる状況や人が存在するのも確かです。これはまた別物だと思ってもいいでしょう。


話を戻しますが、タロットが当たっていると感じるのは、絵柄に象徴があるからです。


単なるコインとか棒きれ、または文字そのものをもとに解説されるより、占い師が、あるいは自分が引いたカードの絵が自分のことととリンクしていることを説明されるほうが、絵ゆえの衝撃性があるのです。


絵は右脳や潜在意識に強烈にアピールすることがあります。このため、単に理屈や思考で考えている普段以上の特別な体験を味わいやすくなるわけです。タロットはこうした特徴があります。


ただし、「当たる・当たらない」は実はタロットの活用ではあまり意味のないことです。(「当たる」と感じる体験自体は必要です) そのことは体験会に参加してもらうとわかると思います。


さらに私のタロット講座を受講していただければ、タロットを占いレベルで使うことがいかにもったいないことであるかを理解してもらえるでしょう。


マルセイユタロットは深奥なる秘伝を伝えています。このタロットを学ぶ講座に導かれるだけでも、あなたには何らかの霊性向上のきっかけがもたらされていると言えます。


もちろんタロットにも相性があり、求めているものも人によって違います。ほかのタロット、あるいは技術においても自分を拡大向上させていくことも可能でしょう。


どの学びやタロットに縁が生まれるかも、まさに自分次第なのだと思います。


なお、体験会はよみうり文化センター神戸ではもう一度、今月の29日に、そして京都新聞文化センターでは4/3にありますので、ご興味のある方はご参加お待ちしております。(体験会では実際ににタロット引いて「体験」していただきます)


目に見えないもの、見えるものの同質性。

先日より「毎日」のブログ更新から「隔日」に変えたため、うっかりペースを間違えてしまい、あやうく本日(3/1)分を忘れてしまうところでした。(^_^;)


ということで時間はずれましたが、今日の記事です。(まあ、今後もそういうことはあるかもですが、ご容赦くださいませ^^;)


あ、そうそう、メルマガ(私の講座を受講された方限定)も昨日(2/29)発行しておりますので、登録されている方はメールボックスをご覧ください。届いていない方は私までお知らせくださいね。


では記事に移ります。


昔、私も物質といえば固いものであり、心や精神(いわゆる目に見えないもの)とはまったく別のものだと考えていました。


その後精神世界やタロットのことを学んだり、量子物理学のことを知るに及んで、どうやら本質的には物質も精神もひとつのもの表現の違いであることがわかってきました。


ただそれでも、まだ実感としてはやはり固いもの・触れるもの・目に見えるものと、抽象的なもの・目に見えないものとはひとつであることは理解がしにくい状態ではありました。


今もそれらは完全に真から感じ取っているかといえば、そうとは言えませんが、そんな状況でも少しずつ両者が同じことが感覚としてもわかるようになってきました。


やはりそれはマルセイユタロットをやってきたところが大だと思います。


というのも、タロットカードもまた物質カード(紙)としてモノですが、描かれている構図・象徴からは単なるモノではないことが表現されており、実際に使っていくなかで、カード自体にエネルギーを感じることもあるからです。


いや、正確にはカードがエネルギーを持つのではなく、すべてがエネルギーであり、カードの場合は特定の絵図の効果によって波動(波長)が変わり、そのことによって、ただの紙から「感じる」ことのできる物質へと変化しているのではないかと考えられます。


かつてアインシュタインはすべて(物質やスピード)がエネルギーに変換できる(言い方を変えれば)と数式で表しました。


ということは、やはり私たちが物質上のものと思っている「形」「固体」もエネルギーであるということです。


もし「エネルギーメガネ」みたいなものがあるとすれば、それをかけると、そこには私たちの見ている形の世界はなく、すべてが波動のようなものに映るかもしれません。


このように考えると、私たちが心で思っていること、また精神的な葛藤や悩みもある種のエネルギー状態であり、物質のいち表現であると見ることができます。


「心が変われば現実も変わる」と、よく精神世界や心理の世界では語られることですが、すべてをエネルギーだと見れば、それもありだとなりますし、逆も(現実・物質・形を変えると心も変わる)また真なりとなるでしょう。


ここに、心だけではなく、場所や空間、そして時間(これもひとつのエネルギーの表現と見ることができます)の重要性も出てくることになります。(時空が心に影響を与えるということでもあります)


心も現実も「固い」となかなか変化しないのは、同じ波動状態にともに近いことになっているからかもしれません。


これ(心と現実の固さの影響)についてはまた別項で考察してみたいと思いますが、このようにあらゆるものをエネルギーとして考えると、目に見えないものも実際に想定することができ、想定(想像)ができれば現実に創造(想像ではなく)することが可能で、つまりは目に見えないものをキャッチする感覚が生まれやすいということになります。


この促進ツールとしては、マルセイユタロットは大いに役立つものと考えられるのです。


恋と愛の違いの一考察

恋愛」という言葉は、「」と「」という文字の合成でてきていますよね。


私の恋愛セミナーにおいても、参加者の皆さんに『「恋」と「愛」の違いは何だと思いますか?』とお聞きすることがあります。


回答はいろいろあって面白いです。まさにその人の恋愛(恋と愛の考え方)観が出ているように思う時もあります。


答えは人それぞれであり、その人なりのものでいいと思いますし、また答え自体も経験や知識によって変化していくものでもあるでしょう。


さて、それでも「恋」と「愛」との違いについて、ひとつの考え方をご紹介したいと思います。


それは先述したように、この違いは人によっては異なるものなのですが、両者(恋と愛)を考えること自体に意味があり、タロットでいえば「恋人」カードが象徴していることの啓示を得るヒントにもなるからです。


一般的に「恋」は「愛」よりも限定的だと言われています。「恋」のほうが「愛」よりも狭い範囲で、対象が限定されていることが多いというものです。逆にいえば「愛」は「恋」よりも広く、限定されないものだと表現できるかもしれません。


これは「広さ」から見た場合ですが、では「深さ」ではどうでしょうか? 「恋」のほうが深いですか? それとも「愛」のほうが深いでしょうか? 


こうなってくると、また意見が分かれてくるかもしれません。ただやはり深さでも「愛」のほうが本当の意味てば勝る気がします。「恋」のほうは深いように見えて細い矢のようでもあり、実はあまり深くない印象がしますね。


それはさておき、ここで私なりのひとつの意見を言わせていただくと、「恋」は波の振幅が大きく、「愛」は穏やかだと感じます。


そして「愛」の振幅は穏やかではあっても、波の細かさは非常に小さく、いわば振動数が高いというように思えます。反対に「恋」は振動数は低いという印象ですね。


「恋」の場合、振幅が大きいということは喜びも大きいように見えますが、逆に悲しみもそれだけあるということです。


これを対象へのエネルギーとして考えると、結局「恋」は自分に向いているのであり、「愛」は他者に向いていると考えられます。


ですから「恋」は自分方向なので、自分がどうなのかということが中心となり、自分の感情や気持ちに注意が向けられ、感情は「快・不快」で判断して「快」を求めますから、いつも「自分が快であること」が命題として横たわります。


一方の「愛」は他者中心なので、初期の段階では他者の快になるような命題が下されることになりますが、他者の快は実のところ、他者の感覚なので難しいことになり、最終的には快・不快を超越したもっと高次のレベルでの他者に対しての「善きこと」を命題とするようになります。


そして、ここが「恋」と「愛」のもっとも大きな違いになると思えるのは、「恋」はつらく、「愛」は楽しいということです。ここで言う「楽しい」は単なる遊びの楽しさではなく、歓喜というものに近い喜び在る楽しさです。


「恋」ももちろん楽しくてうれしいのですが、相手の気持ちや行動にによって自分の感情も変化することが多いので、実はつらいこともあり、楽しさとつらさが表裏一体で存在しています。(これが波の振幅の大きさです)


従って、もしあなたがつらいと感じているのなら、それは「愛」ではなく「恋」だということです。

 

では「恋」は「愛」よりも劣っているのかといえば、ある面はそうかもしれません。


しかしながら、実は「恋」は次元の異なる「愛」の表現でもあるのです。つまりは本質的に同じ部分があるのです。恋によって愛を知り、恋から愛へと自分の意識とフィールドを変容させることが可能なのです。


どんな「恋」であれ、そしてそれが限定的で身勝手と思えるものであっても、その衝動の奥には「愛」が隠されています。


成就する「恋」も喜びを味わえるでしょうが、成就しない「恋」にも大きな別の可能性が秘められており、むしろ「愛」に気付く飛躍のきっかけになることもあります。それは自分から他者へと意識がシフトしていくからです。


「恋」と「愛」の違い、そしてその合一から生まれるものについて、タロットカードの「恋人」とともに感じてみることは大変意義のあることだと思います。


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