ブログ
ブログ再開します。
お久しぶりです。
ようやく体調のほうも戻りましたので、ブログを再開したいと思います。
休み中は皆様からたくさんのお気遣いコメントやメールをいただき、本当にありがとうございました。改めまして感謝申し上げます。
それから入院とかしているのでは・・・とご心配いただいた方、ご安心ください。実は出張して食中毒のような症状(食べ物は特定できないのですが・・・)にかかり、発熱などもあって週の初めは大変だったのですね。
身体的にはもう少し早く再開できたのですが、まあ、この際ゆっくり休むこともいいだろうと思い(タロットからもそのような感じでした)、休養も兼ねて一週間程の休載とさせていただきました。
ところで今までもブログで書いてきたように、マルセイユタロットの大アルカナには人間成長の道筋や心のあり方が示されています。
積極的に前に進む時もあれば、立ち止まって休む時もあるというリズムは、宇宙の陰陽で表されるふたつの力でもあり、大アルカナにも交互に描かれていることでもあります。また結局は二つの力のバランスや統合ということにもなります。
そこで私自身のトータル的なバランスを見た時、本来もっと力をかけるべきところと、ゆるめてもよいところとが、そろそろ違ってきていることに気がついてきました。
ここが大切な点ですが、人によって取るべきバランスは常に変化していくのです。
今まで集中していたことと、そう注意を払っていなかったこととが反転することすらあるのです。それは自分が発展したり、反対に後退したりすることでも起こりますが、どちらにおいても結局は自身の成長のためです。さらには宇宙はいつも千変万化でもあるからです。
「正義」よりも「運命の輪」がその先にあるのも、こうした理由もあると考えられます。
ということで、ブログもこれからは毎日ではなく、基本隔日ペースにしながら書きたいと思います。
そうした中で、皆さんにさらにメッセージを送りたい思った時などは連続で書かせていたただき、出張が続いたり体調がいまいちであったりした場合は休むということもし、フリースタイルで行きたいと思います。
どうぞ、今後ともよろしくお願い申し上げます。
お知らせ
体調不良のため、しばらくブログ更新ができません。
再開まで、右にある「アーカイブ」や左の「最近の記事一覧」と「記事一覧を見る」」などクリックしていただき、過去記事をご覧ください。
気になるタイトル、あるいは偶然開いた記事に、もしかすると今の自分と関連するメッセージがあるかもしれません。
すみませんが、しばらく回復までお待ちいただければと存じます。m(_ _)m
タロットの枚数がたくさん出る効果。
マルセイユタロットで、カモワン流と呼ばれる流動スプレッドでは一度にたくさんのカードが出ることがあります。
私独自のスプレッド(タロットの並べ方)でも少ない数のものもありますが、多く出るスプレッドもあります。
カードがたくさん出るスプレッドでは、それだけ情報量が多くなりますので、リーディングが難しくなることがあります。しかし反面、利点もあるのです。
またケルト十字など場所に意味が固定されているもので、カード単体が中心のスプレッドよりも、カード同士が組み合わさるコンビネーション的なもののほうが、さらに情報量は倍加していきます。
そうなると、結局、莫大な情報量をどう処理するかにかかってくることになります。
その鍵となるのが象徴による同質性の発見になります。
象徴というのは具体的なものではなく、抽象的な概念です。ある形やものがひとつの固定された意味を持つのではありません。
たとえば赤い丸があれば赤信号にも見えるでしょうし、太陽や日の丸に見えたり、時には血に見えたりすることもあるというのが象徴の働きです。
これを逆にいえば、「赤丸」によって、「太陽」も「血」も「信号」もつながりがもてることになります。
つまり絵や形に象徴的な意味をもたせることで、無関係だったものがつながってくるわけです。
それが象徴による同質性の発見であり、グループ化と言ってもよいでしょう。
ですから情報量がたとえ多くなっても、象徴をしっかりと理解できるようになれば、多くの情報の中から、クライアントや自分にとっての問題・テーマに結びつくものを取り出すことができるのです。
むしろ情報が多ければ多いほど、根拠となる同質的象徴の資料も増えることになりますので、データ的説得力が増します。これは論理的でもあるのです。
タロットといえば非論理的、直感の代物のよにう思われがちですが、このように象徴によって偶然出たカードの多く(の情報)から同質性を見て、メッセージを論理的に受け取ることもできるのです。
マルセイユタロットの場合は、これが極めて精巧になるよう作られています。
そして、またこの訓練(たくさんのランダムに見える情報から共通点や同質点を見つけ出す)を重ねていくと、私たちが暮らすこの世界での情報を、自分にとって価値あるものへと理解し直すことができるようになります。
それは無秩序で膨大なものから、共通したつながりや意味を見い出し、世界を秩序化して再構成することに似ています。
自分にとって意味があり、秩序ある世界となりますと、自分のオーダーも通りやすくなるのです。
こうして創造的な生き方やスムースな人生に向かって進むこともできるようになります。
このための訓練道具として使用できるのがタロットであり、占いに使うより、こうした使い方のほうが本来のタロットに近いものではないかと私は考えています。
縦のつながり。
私たちは誰も勝手に、突然単独で生まれてきたわけではありません。
皆、両親がいて自分が存在してきたわけで、もっと遡れば、そのまた両親・・・と連綿と続いていくわけです。
この仕組みで私たちが生まれてくるということは、いわゆる先祖の特質をどこか自分も受け継いで出生すると考えるほうがノーマルに思えます。
もちろん身体的には目に見えるものなので、それがあることはわかりますが、では精神的といいますか、現在の科学では感知・検出できないレベルで記憶・保存されているとすればどうでしょうか?
これがないとは言えないように思います。
スピリチュアルな関心が昨今話題になるにつれ、前世ということを仮定して考える傾向も出てきました。
いいにつけ悪いにつけ、自分の今の状態(問題・特徴)は前世に遠因があるという考えです。魂の輪廻転生説をとればそれもありかもしれませんし、前世療法などでも前の人生の記憶が出ることもあります。
しかし、一般的に考えられている前世の中には輪廻の魂の記憶だけではなく、祖先の何らかの記憶も受け継がれいて、それを自分が思い出すものもあるのではないかと想像できるのです。
自分の両親を遡れば膨大な数の人間が現れますので、その中の記憶が蘇ることも考えられます。
ただ自分の祖先となれば、人種的に同じことが多いですので、よく異国の記憶が出るようなものは、やはり魂の記憶のほうかもしれません。それでもかなり古い時代のものは、たとえ遠い地域の人のものであっても、回り回って自分とつながっていることも考えられます。
ともかく自分の血のつながりによる影響は少なからずあると考えてもよさそうです。
血のつながりで一番身近なのは今の両親ですから、親が自分に接した直接の影響だけではなく、親自体が衝撃を受けたこと、親の問題やトラウマも子どもに見せたり語ったりしなくても、自分に影響している可能性もあると思われます。
別に親から虐待を受けたとか、愛されなかったとか、過保護・過干渉にされてきたとか自分に対しての極端な問題状況以外にも、ほんの些細なこと、親自体の悩み・問題によって自分が心理的・潜在的に負担を無意識に感じていることもあると思います。
先祖供養や親への感謝に自分の現在の生活や心に対して効果があると言われるのは、こうした数々の記憶の影響を浄化したり、癒したりすることがあるからなのではと推測できます。
世代階層では三世代ぐらいの影響が濃厚と言われています。カモワン版マルセイユタロットのもう一人製作者、アレハンドロ・ホドロフスキー氏はこうした家系による影響を癒す療法も行っており、タロットも使えるようです。
とらわれずきるのもいけませんが、時折、自分の縦(血脈)のつながりを意識することも「今」の自分の人生を充実するためには必要なことかもしれません。
ただ親の不満や未達成だったものなどを、親のパターンとして子どもである自分が模倣するかのように無意識に演じていることもあるので、その点は「自分の人生」として親から自立し、峻別していく必要はあると考えられます。
自分の判断のタイプ その2
昨日の続きです。
昨日は、人の判断のタイプには4つあり、どれかが特徴的に当てはまるというお話をしました。
今日はその意味について仮説を立てながら考えてみようという記事です。
まず仮説というのは、この4つの判断気質を(のどれかを個性的に)持つ意味をポジティブに解釈することと、反対にネガティブにとらえる二つの場合で考えます。
ネガティブから先に書けば、自分の判断気質は偏りだと見ることができます。
たとえばいつも感情で見てしまいがちなあなたは、思考など、ほかの判断気質を補うことで、バランスのよい判断ができるというものです。
これは比較的誰でも思いつきそうなものですね。
そしてもうひとつのポジティブに見ていくほうは、もとともの気質は天から与えられた「よい気質」であり、これをもって人や社会に貢献できるよう、あえてその気質を得て生まれてきているのだという考えです。
自分が「あるタイプ」だということは、そういう特性を選んできており、その特質を出していくことが、むしろ自分にとっても社会にとってもよいことなのだという見方をしてみることができるのです。
そうすれば、無闇に自分を否定したり、嫌ったりすることも少なくなるどころか、欠点と自分では思っていたことも、長所に変化することさえあるでしょう。
これは何も判断気質だけのことを指摘しているのではありません。もともと生まれ持った気質すべてに言えることだと思います。
ただ何事も過剰に出し過ぎることはバランスを崩しますので、ポジティブに考えたとしても、身勝手にそれが正しいと押しつけるかのごとき行動は問題となるでしょう。
結局世界はバラエティ(多様)である(マルセイユタロット「世界」のカード参照)と言えますので、自分のタイプや特質は他人や外部に向けて貢献できる特徴であると同時に、自分には少ないタイプの人から刺激を受けたり、恩恵を受けたりして成長できるよう、個性は異なって人に与えられているものだと考えられます。
ですから自分のタイプを愛し、しかもそれにおごらず、の姿勢が大切かと思います。
自分のタイプによって自分の自信を得、さらにほかのタイプを尊重することで、自分にも取り入れることができないかと思う謙虚さです。
マルセイユタロットでいえば「神の家」と「星」とも関係するかもしれません。
それぞれの自分のタイプというものも、結局は自己成長のために与えられた貴重な材料だと思えるのです。