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自分時間とタイミングを分析する。
業務連絡ぽくなりますが、私、去年末から喉の調子を崩していましたが、かなり元に戻ってきた感じです。とはいえ、まだ万全とは言えない状態ですので、無理はできず、しばらくはセーブが必要かと思います。
現在進行中で講座を受けていただいている方にはご迷惑をおかけしておりますが、今しばらく通常ペースまでは、お待ちいただければと存じます。
さて、これまでもこのブログで語っているところですが、皆さんにはそれぞれ固有の時間の回転や進み方、流れまたは変化のタイミングというものがあります。
実際そうした時間があるかどうかは別として、そう仮定したほうが説明しやすいですし、タロットでも「運命の輪」というカードがあり、このカードの象徴からもそのことは考えられるものです。(スピリチュアルなことは現実かどうかと議論するよりも、ひとつの仮説モデルとして適用すれば人生に応用できるものです)
ところで何でもそうてすが、分析するためには資料やデータがいります。
自分固有の時間やタイミングがあるというのなら、それを分析するためには過去のデータを調べてみる必要があります。
スピリチュアルなことや精神的なことは一瞬でわかったり、感性でつかめたりすると誤解されがちですが(そういう面ももちろんあります)、やはり現実的なデータや資料を集めて分析するという姿勢も物事の把握には有効なのです。
ただその資料や分析自体が一般的な考えに基づくものではないので、誤解を生むわけですね。
占いにおいても命占では生年月日というデータが必要です。しかしそのデータの見方、解釈が私たちが通常思う科学的・論理的ではないものなので、究極的には「データさえいらないのでは・・」という考えにもなってしまうのです。けれどもやはりデータはあれば便利であり、最初の段階では必要なものです。
さてそうして過去に遡り、まず自分を一年単位で見てみます。
すると特有な現象に気がつきます。たとえば「自分は6月(とその周辺)に変化が訪れている」とか「11月に転機のきっかけにいつも遭遇している」など発見できます。(毎年というわけではなく、何か自分にとってのインパクトの時期が固まっているというような印象です)
またもっと単純に、自分の好きな季節と時期を見ます。(反対に嫌いであったり、今ひとつ好まなかったりするシーズンでもよいです)
もちろん春夏秋冬という四季を見てもいいのですが、もっと細かく、ひとつのひとつの季節を三つくらいの時期に区切ってみてください。つまりはひとつの季節に三つのパートを見ていくので、4×3=12区分となります。
その3区分は具体的には季節の初め、ピーク、次の季節への移行期という具合にしていくとよいです。
私の場合は、どの季節でも次への移行期のような時が比較的好きです。ピーク(真っ盛り)の時はあまり好みではないですね。占星術的にいえば、自分の生まれた時期ともおそらく関係していると思います。
そしてこれは時期だけではなく、ほかの好みや志向の傾向にも当てはまってきます。
私のケースでは、たとえば「お祭り」でもその絶頂より、準備や企画段階、そして終了したあとの一抹の寂しさのような雰囲気が好きです。季節の好みと一致するわけですね。
最初に述べた転機や変化のきっかけになる時期も、結構自分の生まれた時期と関係している場合があります。(同じような時期であったり、対極や特別な関係にある時期だったりします)
もうすでにお気づきの人もいらっしゃるかもしれませんが、このように時期をデータや傾向として見ていく場合、「輪」「円」としてイメージしていくほうがわかりやすいのです。
一年や数年単位を円で表現すれば、自分特有の時間の回転特徴がわかります。
うまくデータが分析できれば、自分にとって飛躍や上昇のポイントが予測できますし、起こっている問題がどんな意味を持っているのかのよい資料ともなります。
これらはすでに生まれた時から自分のどこかに刻印されているものだとも考えられますが、決して一生を運命的に左右するものではなく、ある地点より自分の「輪」の特質が変化することもあります。
今までこの時期に何かが発生していたのに起こらなかったり、時期がずれてきたりするような場合です。
これが運命の変転であり、変化(見ようによっては成長や下降)でもあるのです。タロットカードの「運命の輪」は、そういう意味でも本当に今回書いてきたことをうまく象徴しているカードだと思います。
そして私たちがどのように「運命の輪」をとらえればよいのかも、カードの絵柄が示唆しているところです。
変わりダネ。直感力を上げる方法。
自分の直感(直観ではありません)の精度がどうなのか、結構悩むと思います。
直感が正しいことを証明するには、結果が必要です。結果が出る前では、その直感がどうなのか判断はつきにくいものです。
人はもともと選択をスムースに行える直感としての優れた感覚を持っていると思うのですが、次第にそれらを使わなくても便利な世の中になってきましたので、鈍ってきていると言えます。
さらに現代人は特に頭、つまり思考で考える情報社会に生きていますので、なかなか感性をオープンにしたり、信頼したりするというのは簡単には行かなくなっています。
ですから皮肉なことですが、直感力や感性を高めるためには、情報を遮断したり、静かな生活を心がけたり、自然とふれあったりと、今の普通の生活から若干離れなければならないことが生じます。
さらに笑えてしまうのは、感性を取り戻すためにあえて訓練や修行までしなくてはならいなこともあるという事態です。変な話ですが、元に戻るためにわざわざ訓練するようなものです。
とはいえ、そうした訓練したり、閑静な空間を確保したりするのが面倒だというのも今の我々でもあります。(笑)
そこで、誰でもできるやり方で、このブログお読みになっているようなタロットに興味のある現代人にマッチした直感精度の確認方法をご紹介しましょう。これはそれほど苦労はいりませんが、場合によっては少々お金がかかってしまうかもしれないのが難点です。。。(^_^;)
まず何か自分の選択すべき問題や課題が出たとします。
その時、ふっと自分の選択肢や答えらしきものが浮かぶと思います。直感で「これだ」と思うものを想像してみてください。
その直感が正しいかとか間違いかも?とか、ジャッジしたり考えたりする必要はありません。とにかく何か思うことです。
次に占い師(できれば卜占系の占術の人)やチャネラーを探します。一人だけではなく、少なくとも二人以上確保しましょう。すでになじみの人でも新しく発見した人でも知り合いでも、自分がいいと思った人ならばOKです。
その人たちに自分の問題を提示して、占ってもらったり、チャネリングをしてもらったりします。
すると、おそらくひとつの答えや傾向が多数派を占めるでしょう。またたいていは、その多数派のものは自分の最初に思った選択や答えとほぼ似通っていることに気がつくはずです。
もちろん違う場合もあります。自分の最初のものと別の占い師やチャネラーたちの多数意見と異なっていれば、自分の直感を少し修正してみるとよいでしょう。
「なんだ、それでは多数決原理じゃないですか」と思うかもしれませんが、客観の場合は多くの人が思ったことが正しいことが多いのです。
自分の直感の裁定が難しいのは、自分で判断しようとするからです。
人は自分に一番関心がありますから、逆にそれが過剰な意識となって、純粋な感性の判断をにぶらせるのです。自分の利益による思考が入ることが多いからですね。
ですから自分の利害があまり絡まらない他人の、さらに感性をウリにしている占いとかチャネリングを参考にするならば、自分の本当の直感に近づく可能性は高いのですね。
もうひとつの方法はタロットがある程度自分でできる場合は、自分でタロットを引いて感じたものと、タロットができる仲間に同じ課題をリーディングしてもらって比べるというものです。タロット仲間によるリーディングが、前述のチャネラーや占い師に観てもらうことと同じになります。
こういうことを何回かやっていると、自分の直感具合が最初からどうなのかが次第にわかってきます。自然の訓練になっているのですね。
占いを受けるにしても、ただ受動的にお告げをもらう感じで受けるのではなく、自分でもある程度の予想や直感での選択を仮定していおいてから占いで確認するという形を取ると、占いを依存にしてしまうことはなくなりますし、直感力を養うことにもつながるのでお勧めです。
まあ、タロットを学習すれば、特に女性の方ならば直感力は上がります(もちろん男性もですが)。
しかし感覚的な直感よりも、蓄積された経験や智慧をも含む直観力を向上させるのがタロットの本来の目的には近いものです。
「答え」を自分は知っているのか?
タロットによって、なぜいろいろなこと(問いや課題についての事柄)がわかるのかということつにいては、考え方として諸説あり、また科学的に説明できることでもないので、シンプルには答えられないものです。
ただ大まかにわけて、「もともと自分が答えを知っていて、それをタロットが示してくれる」というものと、「タロット自体に神秘的な働きがある」というものがあるように思います。
この両方ともタロットリーディングにはあると考える人もいます。私も、これはケースバイケースではあるものの、両方が機能していると見ています。
それはともかく、今日は前者の考えである、「自分が質問や問題に対して、すでに答えを持っている」というスタンスについて考察してみたいと思います。
この立場(自分の中にあらゆるものの答えがあるとする考え)は魅力的です。
そうすると、人は大変な可能性をいつも秘めていることになりますし、すべて自分に起こることは対処可能だということになるからです。
とはいえ、何か問題が起きた時、ほとんどの人はすぐに解答を見つけることができず、悩んだり、苦しんだりします。
そうなると、本当に自分の中に答えはあるのだろうかという疑いが出ることもあるでしょう。人はもしかすると未熟で、未完成な存在なのではないかと。
だからこそ学びが必要てあり、自分より物事を知っている人や体験をしている人と交流し、教えを受けることが有効になると考えると、合理的な説明にもなってきます。
それは逆にいえば、元に戻って、「人は未熟なものであり、答えはいつも自分の中にあるとは限らない」という設定にたどり着きます。
では「人はもともと完全であり、どんな場合でも答えは自分が持っている」という設定は無理なのでしょうか?
この矛盾を解消するためには、ハンディや制約といった概念を取り入れると突破口が見えてきます。
つまり、人は元来、本当は完全な存在ではあるものの、あえてハンディをつけて生まれて来ているということです。それによって不自由さと不完全さをわざと味わっているのだという想像です。
なぜわざわざハンディや制約をつけなくてはならないのか。
一言でいえば、制約がないと楽しさや成長を実感することができないからでしょう。
ゲームに例えるのはちょっと軽薄なところもあるとは思いますが、ゲームにおいても、あまりにも自分の能力が最初から高すぎれば面白くなくなり、ハンディをつけたほうが楽しめることになります。
ハンディがあって実践すると意外な反応が期待できます。
たとえどうすればクリアーできるかがわかっていたとしても、自分が自由で完全ではないので、その場でのアイデアと反応が必要となり、その工夫と発揮するタイミングがリアルタイムでの楽しみや喜びになります。(ゲームや遊びで、ハンディをつけてやったことがある人にはわかると思います)
しかし残念ながらゲームと現実が違うのは、自分が完全であることさえ忘れている高度なハンディをつけられているということです。
ところが、また面白いことに、現実でもそれを思い出させるための様々な仕掛けやサポート道具、アイテムが至る所に配置されています。
しかもそれは時として、その世界においては「自分の完全さを思い出す道具」というように明らかな目印をつけて存在していないということです。
ただの生活道具であったり、遊び道具だったり、場合によっては「悪いもの」とこの世界では決めつけられているようなものであったりします。
それもまたハンディ、仕掛けであると言えるでしょう。
タロットもそうした道具のひとつだと考えられます。ですからこれをただのカードとするか、遊技道具としてしまうか、はたまた自分の完全さを思い出すためのツールとするのかは自分次第だということになります。
「神の家」に見る基礎作り。
「砂上の楼閣」という言葉があります。
基礎がしっかりしていないために壊れやすいもののたとえで使いますが、これはなかなか物事の真理をついているように思います。
マルセイユタロットでいえば「神の家」のイメージでしょうか。
何事も土台や基礎が固まっていないままに上を求めても、それは一時的なものでやがて崩れてしまいます。
何もこれは物理的なことだけではなく、精神的にも霊的にも言えることだと感じます。
私たちはこの情報のあふれる社会で、つい一足飛びで楽に結果の出るものを追い求めがちです。
情報が多いだけに、探せばきっとそういう秘薬や錬金術のような技術・知識があるはずだ、と思いこんでしまうわけです。
もしかするとそうしたものもあるのかもしれませんが、王道と言いますか、安全で着実な道というものは、やはり基礎から応用に向かうというステップになるでしょう。
再びタロットの「神の家」に登場してもらいましょう。
「神の家」はレンガ積みの構造の建物になっています。建物はよく見ると、一番下にはレンガが横に広がっています。(カモワン版では三段の白い石段もあります)
そのひとつひとつが努力のあと、蓄積されたものを象徴し、またレンガによって成される階層は次元やレベルを表すと考えられます。
自分のレベルが上がるということは、すべてにおいてその下位レベルの統合が取れていることを意味し、ひとつの部分だけ突出したから階段が上がるというわけではないのです。
たとえば知識があるからえらいわけでもなく、感が鋭くなったからといって霊的に向上しているとは限らないのです。
お金の扱いひとつとっても、自分の今の収入で収支のバランスを図り、お金をコントロールしていなければ、現在より大きな収入を扱うことはできません。
自分を大きく成長させたいと思えば思うほど、基礎はしっかりとさせるだけではなく、広くしていかなくてはなりません。
底辺の面積が広ければ広いほど、上に伸ばすことができ、高い建物を建設することができるというものです。
これが逆に狭い面積で軟弱な基礎をもって、上に巨大なものを載せようとしているのが現代の私たちの姿かもしれません。いわば頭でっかちでもあるのです。
こうした状態が砂上の楼閣のごとく、極めて不安定であるのは言うまでもありません。
マルセイユタロットの「神の家」は、頭上に大きな冠がかぶさってくる(戴冠する)という表現をしています。(崩れているのではないという解釈です) カードを見てもわかるように、巨大な冠です。
これを載せようというのですから、相当堅固で基礎がしっかりとしていないと無理な話です。
「神の家」は同時に、神のエネルギー(光)も受け入れますから、いわば非常に強い、電気的なショックにも形容されるような衝撃にも対応できるものを作り上げて行かなくてはならないのです。
特に精神世界に興味があり、自らの心や霊性を向上させようと思う人は、瞬間的にすべてが上昇するとは思わないことです。(ある技術によっては、一足飛びの上昇が可能であるようですが、やはり危険性があると言われています)
確かに瞑想などによって短時間の上昇はありますが、その維持が難しいのです。結局のところ、先述したように低次におけるすべての要素の統合と基礎の完成が相まって、次に進化していくと考えられるのです。
いびつな発展をした時は、欠陥工事の建物のように、必ずその課題部分が吹き出してきます。
自分に起こっていることを観察すれば、どこにまだ基礎工事を施さなくてなくてはならないのかが明確になるはずです。
自分はうまく(霊的に)成長していると思っていても、すぐ奢りが来てしまいますので、常に総合的な自分のチェック、特に基礎的なことは念入りに行っておくことだと思います。
そのため、「神の家」の隣(隣の数)には「悪魔」と「星」が控えているのです。
コミットすることの効果。
自己啓発やスピリチュアルなセミナー、メソッドなどでは、よく「コミットする」という表現が使われます。
単に意味的なことならば、「関係する」「関わり合う」ということになるようですが、だいたいにおいては「公約する」「確約する」みたいな意味で使われます。
言ってみれば決意表明でもあるわけですが、これはシンプルなことですが効果があります。だからこそ、よく使用されるわけです。
年の初めにあたり、目標や計画を立てた人も多いでしょうが、それだけではなく、何か自分にとって「これからはこうする!」「こう生きる!」というような決意をするとよいです。
たいていの人は、何か自分に事件や問題が起きて、それが解決したり快方に向かったりした時に新しい自分になって決意することが多いと思います。
いわば痛みによって強制的に生まれ変わらされている状態なのですが、何も痛みや苦しみからによって自分を変化させなくても、最初から自分に「こうする」と言い聞かせて積極的に変えていくことも人間には可能なのです。
ただ、課題は「どうしたいのか」「どう生きたいのか」ということが不明瞭であるということです。
ここでよく言われるように、具体的で鮮明なイメージを伴うものが必要とされるわけではありません。そのようなことを求め過ぎるとかえって難しくなるのです。
もっと単純に抽象的でも、この決意する言葉の内容はOKだと私は考えています。
たとえば「自分に対して正直に生きる」とか、「社会に貢献できる自分になる」とか、「自分の創造性を発揮した生活をする」とか、まあそのような感じでいいと思います。
肝心なのは、そう宣言することにに対して責任を持つということです。
どこぞの政党や政治家の言葉、マニフェストのようにならず(^_^;)、偽りなく誠実に実行しようと心がける態度が重要です。それが単なる「つぶやき」と「コミットメント」との違いだと言えます。
英語でのcommitも、もともとは神にゆだね、任せるところからきているようですから、これの語源的な部分に注目してみれば、日本語では「人事を尽くして天命を待つ」みたいなニュアンスがあるのかもしれません。
グノーシス的にいえば、神とは自分自身の高次でもあります。とすると、コミットすることは自分自身との約束になります。
その認識で決意し宣言すれば自分の神性と共鳴して、コミットに即した人生へと自動的に軌道修正されていくことでしょう。
結局のところ、自分の言質にいかに責任を持つかということに関わっているのです。
コミットしても何も変化がないという人は、それはコミットではなく、先述したようにつぶやきレベル、希望を述べたにすぎないものであったという証拠です。自分自身に誠実さを貫いていたか、確認してみるとよいでしょう。
言霊というように、言葉に霊力を込めるがごとく、力強く責任をもって宣言することにより効力は発揮されていくのです。
責任ある宣言ができない時は、その宣言内容自体に自信がなく、そうなりたいという思いに抵抗や遠慮があるのだと推測できます。その場合は、宣言の前に自分の心を整理する必要があるでしょう。
マルセイユタロットを学習している人は、コミットの時に、それにふさわしいカードを選択してイメージとともに刻印しておくと、通常よりも思い出しやすく、また無意識にも浸透しやすいでしょう。
