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過去を見つめる。振り返る。

以前にも書きましたが、最近のポジティブシンキングや未来・積極志向がもてはやされる傾向で、過去を振り返ったり、今までのことを見直してみるという考え方が置き去りにされているような気がします。


「何が何でも前に進むのだ!」というその気概はよいのですが、時にはそれが危害になってしまうこともあるのです。


準備や整理もせずに、新しいところに飛び込むのは無謀のこともありますし、問題を棚上げしたまま進むことになりますので、再び同じ過ちを繰り返すはめにもなりかねないのです。


マルセイユタロットではこの準備や振り返りの大切さが、カード単体と22枚の大アルカナの構造によって示唆されています。


単体でいえばマルセイユタロットにおける視線(の方向)に関係します。


大アルカナを観てもらえればわかるように、絵柄の人物によって右や左へと視線を向けていることがわかります。


この視線の方向に時系列な意味も込められているのです。それゆえ、カードの象徴する意味とともに、視線の方向性も重要であり、それが両方整合性のあるものとなっていないと混乱することになります。


その点、マルセイユタロットは極めて合理的ともいえる整合性と理由があり、それがカード単位だけではなく、全体として非常に練られたものとなっているところが恐るべきところです。


それはともかく、未来だけではなく、過去もきちんと整理したり、精算したり、蓄積させたりしておくことがタロットからも言われているわけです。


ちょうどこの12月という時期は皆さんが一般的に意識する「一年の終わり」ということと、さらには冬至(この日を境に北半球では日が長くなっていく切り替わり)も重なっているので、一年やこれまでを振り返るにはとてもよい時節なのです。


タロットを学習された方は、この一年をテーマとして、タロットを展開してみるのもよいでしょう。その場合、過去パートをよく読まれることをお勧めいたします。


またひとつひとつの月や、全体の流れとしてカードをそのまま展開していくと、出たカードの象徴と自分の記憶が重なり、意外な気づきや整理が行われます。


さらに冬至にタロットを引くのも重要な意味があります。


こうして自分にとっての過去を改めて認識することで、新年や未来に向かっての力に変えていくことができるのです。(マルセイユタロットの「力」に注目)


嫌なことや楽ではないことがあったかもしれませんが、それはそれで見方を変えれば恩恵であり、また自分がそうなってしまったことの反省を促したり、あるいは他人や環境への洞察・さらなる配慮が必要であったことの喚起であったりもします。


それは結局、生きていること、生かされていることの感謝につながるものでしょう。


過去を切り捨てたり、無駄なものといってないがしろにしたりしている人は、過去の自分から恨まれ、エネルギーを統合することが難しくなります。


その分、たとえ積極志向をしても現在と未来にエネルギーを十分送ることができず、努力に見合わない結果を迎えたり、満足のいくものが得られにくかったりします。


皆さんも是非を過去に感謝して浄化し、力に変えていきましょう。


タロット講師としての思い。

私はタロット講座の講師をしていますが、本当にこの講師というのは自分でも好きな仕事だと思いますし、生徒さん・受講生の方が愛おしくて、いつも気持ちが愛あふれる感じになります。(そんな風に見えないかもしれませんが・・・(笑))


私のブログのタイトルに仰々しく「愛」と入れているのも、もしかするとそのことがあるからかもしれません。(実を話せば、もともとこのタイトルはちょっと恥ずかしくて使いたくないと思っていたのですが、周囲から「いいんじゃない!」と言われたので採用しています(^_^;))


とはいえ、私も人間です。教壇から離れればわがままもありますし、利己的な部分も当然出てくることもあります。


本当に「人にものを教える人間なのか」と自分で内省することもしばしばです。嫁さんからはいつも怒られますし、「愛が少ない!」とツッコまれます。(苦笑)


でも、ひとたびタロットを通して伝える・教えるということをし始めると自分の利己的な部分は少なくなり、愛が大きくなるのを感じます。大げさにいえば人の神性部分にふれるような感覚です。


これは私の扱うマルセイユタロットに流れる教義による影響も大きいと考えられます。それはタロットを人間完成の道、神性を認識するためのツールとして観るというものだからです。


そのことを伝えるのに、私自身が愛をもっていなくてはならないですし、またそれは実は私だけではなく、受講される皆さんにも、いや人が全員持っているものだと言えるのです。


ただ私の例でもあるように、環境や場面・状況によってそれが出やすい場合(場面)と出にくい場合が誰にでもあるということなのです。


たまたま私の場合は、マルセイユタロットを伝えたり、リーディングしたりする時に出やすい傾向にあるのですね。


このことからわかるように、皆さんもそれぞれに自分の愛や神性が発動しやすいフィールド・状況・ツールがあるはずです。


それは家族と過ごしている時なのか、仕事をしている時なのか、ペットとの時間なのか、人にとって様々であり、それが個性ともいえ、自分に与えられた天命や生き甲斐のヒントにもなるでしょう。


私は皆さんにタロットを教えていますが、タロットを好きになってもらったり、タロットリーディングができたりすることが目的ではありません。(それはそれでうれしいですが)


本当の目的は皆さんにある神性や愛を、消えているのなら再び着火し、小さくなっているのならもっと大きくし、すでに大きく燃え上がっているのなら、それを社会や人に伝達していくようになってもらうことなのです。


一言で言えば、自分の人生に喜びと価値を見いだし、「人生捨てたものではないよ」という前向きな姿勢になってもらうことです。


とはいえ私も普通の人間ですので、この火が大小、ゆらゆら・ふらふら揺らめくことが普通にあります。


けれども皆さんとともに学び、気づきを深めていくことで、不思議といつも大きな火となって燃え上がることができるのです。


つまり、私自身も皆さんから神性と愛の火をもらっているのです。皆さん、本当にありがとうございます。


講座やセミナーを続けて学ぶ時に。

情報社会になってきますと、知識や体験を提供するたくさんの講座やセミナーが存在してきます。


そうした中で、縁か紹介か、噂を聞きつけてか、皆さんも何かのセミナーに出られた経験はおありでしょう。


それで特に学習系のセミナーや講座では、たいていステップアップ式の段階制講座となっています。



初級→中級→上級みたいな形ですね。(かくいう私のタロット講座もそうですが・・(^_^;) ちなみに私の場合、上級はありません)


それはいいのですが、受講する側として、とにかく上を目指すというのではなく、一度それぞれの過程・ステップが修了した時点で、冷静に自分を振り返る時間も時には必要かと思います。


いわば自分の生活と学習のバランスを取るということをもう一度考えるわけです。


中にはどうしても資格取得のためということや、学びを続けたいからと言って、借金したり、相当無理をしてまで次の段階の受講を希望してしまう人もいます。


ほかにも体の調子が悪いのに精神的にも肉体的にも相当ハードな学習講座を受けていこうとしたり、仕事があまりにも多忙なのに休息時間も講座に当てたり、家族やパートナーの無理解、反対を押し切って受けようとされたりする方もいらっしゃいます。


(ただし、その学習がやがて相手の無理解を融和する可能性があったり、相手との関係を見直す場合には、時には家族・パートナーの無理解のまま受講することもありだと思っています)


また一種の洗脳状態や変性意識状態となって、講師や一緒に受講している方の雰囲気に煽られて次を目指してしまう場合もあります。


この場合は上のステップアップ制(段階・ピラミッド制)以外でも、横のスライド制として、別講座や別セミナーを受講させられる有頂天気分になっていることもあります。


ただこれらを完全に否定しているわけではありません。


中には講座の内容よりも友人との学びの時間そのもの非日常時空間そのものをある種の趣味的時間として楽しむために講座を受けられる方もいらっしゃるでしょう。


また実際に段階制だろうがスライド制だろうが、その先生や機関の行う講座がやはり興味深く、自分にとって相応の価値あるものだと判断するのならば、それも自由です。


要は自分の中でその講座を受けることが、大きな意味でバランスが図られているかどうかという視点が大切なのです。


経済的に少し負担になっても、その講座での資格を得ることで将来はそれで仕事にすると決めており、「投資した分は回収する」というビジョンがあれば、今は経済的なバランスが崩れていたとしても、未来というタイムラインを入れればバランスは図られていることになります。


あるいはその投資した分をお金自体として回収できないにしても、自分の人生における価値としては十分回収できることであるならば、それはバランスが取れているということになるでしょう。(時々逆にお釣りが来るくらいになることもあるので、その場合は自分からその学んだことを通じて、何らかの形で提供していくことになるでしょう)


また特にステップアップ制の場合は、続けて学ぶ情熱やモチベーションのタイミングもありますから、無闇に水を浴びせて冷静になりすぎるのも問題となる場合があります。


しかしこれとて、やはり長期的・大局的視点からのバランスで見れば、今の情熱をもって学んだほうがよいのか、少し冷却期間をおいたほうがよいのかは判断できることだと考えられます。


そして何より大切なのは、その学びが必要かどうかというよりも好きかどうかだと思います。


これは単なる快楽での好きではありません。そのことを学ぶことにより、自分の心や魂が喜んでいるかということです。


人に言われたからとか、周囲の評価が高いからとか、学ばなければ理想の自分になれないとか(義務感など)で続けてしまうと、結局は学習が無駄になってしまったり(深い意味では何を学んでも決して無駄にはなりませんが)、その学びを活かすことが難しくなったりするものです。


プレゼント企画 無料ショートリーディング

12月といえば、巷でもクリスマスをイメージした装飾や音楽が流れていますね。私の住む近くの神戸では、恒例の光の祭典ルミナリエも行われています。


ところで槇原敬之の曲に「12月の魔法」というのがあります。かなーり古い曲なので(^_^;)、知らない人も多いかもしれません。


この曲のサビの部分ともいえる歌詞で「♪Ah この星のどこもかしこも12月の魔法できっときっと素敵に違いない」というところがあって、今の時期のクリスマスシーズンや寒い冬の心の温かさ、雰囲気をよく表していると感じています。


クリスマス効果というのもあるのでしょうが、何か人に感謝や愛を贈ったり、気持ちになれたりするシーズンや月、時期があるというのもよいことだと思います。


前にも書きましたが、タロットを引いて、そのカードから連想されることに感謝を思うということでもいいですし、ある時間、日にち、行い(例えば食事の前)の時に感謝を捧げるということを決めて行っても、「感謝行」のような習慣となって持続する可能性も高くてよいでしょう。


ということで、まだ本当のクリスマスには早いのですが、ここで日頃私のブログをお読みいただいていることや、様々な感謝の気持ちも込めまして、無料のマルセイユタロットショートリーディングプレゼントしたいと思います。


ちょっと忙しいこともあり、申し訳ありませんが限定一名にさせていただきます。


あ、講座を受講いただいた生徒さんには、特別にメルマガからこれまた一名程度無料でリーディングさせていただく企画がありますので、受講生(卒業生含む)の方はそちらでご応募お願いいたします。メルマガはもう少しお待ちください。


★プレゼント企画 無料ショートリーディング★


限定1名

今から12月10日(日)までに応募された方の中からタロット抽選にて決定リーディングは11日以降になります。


形式

メールによるショートリーディング

決定者とのメールのやり取りで問いをお伺いして、こちらでタロット展開したものを文章でまとめてお送りいたします。


条件

基本的にブログをお読みいただいいている方、あるいはマルセイユタロットにご興味のある方。(別に証明は特にありませんので・・自己申告で結構です(^_^;))


応募方法

私のHPの「お問い合せ・お申込み」フォーム、「リーディング希望の方はこちら」から、「無料リーディング応募」と記してお名前、メールアドレスとともにご応募ください。問いの内容は当選者が決定するまでは、まだお書きにならなくて結構です。


それでは、ご縁あるお方からのご応募お待ちしております。


シンプルで複雑なストーリーを楽しむようになりましょう。

私はもともと物語を読んだり、自分で物語を創作したりするのが好きだったので、以前シナリオの勉強をしていたこともあります。


実はあるシナリオの通信教育も受けたことがあるのですが、その添削があまりにひどかったので、結局途中で辞めてしまいました。(笑)


あ、添削といっても自分で書いたものがひどく言われたからではないのですよ。逆です。結構ほめられたのですが、添削者自身が私の意図する仕掛けや掛詞、伏線に気がついていなかったので、がっくりしたわけです。


たぶん先生ではなく卒業生や上の生徒さんが添削していたのでしょうね。私も今となってはもっと謙虚に辛抱して学ぶべきだったなあ・・・とは反省はしています。若くて傲慢になっていたのですね。きっとたとえ生徒さんの添削だったとしても、ド素人の私よりわかっているところはあるはずで、私自身の学びには必ず役立っていたと思えるからです。


それはともかく、そんなわけで私は「ストーリー」というものに自然注目する体質となっています。


それで思うのですが、いわゆる単純なストーリーというのは、たいてい二元のわかりやすい争いになっています。例を挙げれば正義の味方が悪者を懲らしめるという勧善懲悪のストーリーです。


これはいわば低レベルの話です。誰が見てもいい人、誰が見ても悪い人の戦い・争いなんというものは何の面白みもありません。結果も予想できますし、そこに葛藤がひとつ(正しいか正しくないか)しかないからです。


ただ、よいところもあります。誰が見てもわかりやすい、理解しやすいという点で、時にはスカッとした気持ちにもなります。おそらく世界共通でわかってもらえる話となるでしょう。


ものすごくヒットする映画やストーリーの骨子は、実はこういう単純な二元の争いであることが多いのです。理由は先述した通り、誰が見てもわかりやすいからです。全体的だということですね。


二元といえば精神世界では陰陽とか、女性性・男性性とかふたつの相反するエネルギーを想起させます。


ひとつの完全・究極があるとすれば、そこからふたつに分かれた「見方」をすれば二元になります。ただし、これは二つに分かれたのではなく、あくまでひとつをふたつの性質でとらえるとそうなるということです。


実は陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があって、二元は4つにも8つにも無限に分かれていきます。タロットにもある西洋の二元から四大元素の考え方もそれです。


この構造こそが世界の実体であると見るので、当然ながら単純な光と影、善と悪というようなくっきり二つに分かれるという発想にはなりえません。


それらが入り交じり、循環し、合一することに真の意味を見るのです。


従って、実体に近づくストーリー・物語というのは、全体としてシンプルにも見えながら個別では複雑でなければなりません。


善人のようでいて悪人、悪人のようでいて善人、悪をしているようで善にも見える、善のようでいてそれは悪のようにも見えるということを、難解なものではなく見せていくと魅力ある物語になります。


たとえていえば、物語全体としてはシンプルに「愛」をテーマにしており、しかながらその愛の表現は置かれている立場、環境、思い、信念、大きさなどによって人(登場人物)によってはまったく違うものに考えている、表されているというストーリーです。


ですから観客によっては悪にも善にもそれぞれの人物で見えてくるということになります。


こういう風にしてタロットも人生もとらえてくると、設定やシナリオが練られている物語が面白いように、あなたの見ている世界や人生もとても面白いものになってくるのです。


単純な二元で見ている限り、スカッとしたものを求める(つまりは快楽を求める)ことになるか、吉凶(いいか悪いか)で見る人生を生きることになります。


そういう人は「大衆」として操つりやすいように、自分で生きるのではなく、人からの刺激でコントロールされやすい人になって、まさに他人の人生を歩まされることになるのです。


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