ブログ

タロットリーディングは「手品師」の作業。

私の伝えるタロットは、リーディングの場合、複数のカードを出す(展開する)ことをノーマルとしています。


カード単体よりも、カード同士の組み合わせによる多層のストーリーを読み解き、統合していくことにその妙味があります。


言ってみればコンビネーションリーディングの一種なのですが、このことは実は普段における考え方の訓練や物の見方を広げることにもつながっているのです。


カード一枚ならば数個くらいしか出てこなかったイメージも、カードを関連させて複数で読み解くようになると、単語や熟語ではなく、ストーリーも同時に出現してくるため、余計にタロットから出る事柄やイメージは重層的になります。


ですから非常に幅広くクライアントの情報と重ね合わせられる余地も増えて、奥深くのリーディングも可能になってくるわけですが、それだけにそれら多層のストーリーをどう選択し、紡いで統合して行くかということも難しくなってきます。


ところがよく考えてみると、この状況は実際に私たちが直面する日常での問題や生活への対応に近いものであることがわかってきます。


私たちは当然一人の世界で生きているわけではなく、たくさんの人に囲まれ、多くの考えとともに生きています。


人だけではなく、その人々から生み出された思想・価値・モノもあり、さらにもともと大自然や宇宙、高次の存在といった目に見えない領域も関係しています。


こうした中でひとつのことにこだわって生きていく、あるいはひとつの価値観や見方だけで生活するとなると自分が困惑したり、疲れてしまったりすることになります。


かといって、バラバラな価値観・モノをそのまま受け入れて流されて生きていくことも、混迷の渦の中にいるようで、人生の意味や目的を失ってしまいます。


たくさんある材料の中で、「私にとってどんな意味や意義があるのか」「生きていく理由をどのように考えればよいのか」、または「どんな人生を創り上げて行けばよいのか」、私たち一人一人は望み、探究します。


いわばこれは雑多ものの中に自分なりの意味を見つけ、世界の中に秩序をもたらせ、統合を図っていくことでもあるのです。


散らばったもの中から自分の生きる目的と意味を発見し、一本の糸のように結びつけていく作業と言ってもよいでしょう。


その糸が見つかれば人は意志的に生きることができるのです。


このことはマルセイユタロットの「手品師」の手品道具から「運命の輪」のスフィンクス、さらには「世界」の周囲の生き物との関係を見ていけば、より象徴的に理解が深まるでしょう。


私の教えるタロットリーディングは単に占いや対人援助の意味を持つだけではなく、そこに自分自身の世界を統合していく技術と方法の訓練も含んでいるのです。


その意図もあって、直感的にカードで相手をリーディングしていくこともよりも、タロットの象徴をよく理解することをまずは知識的に伝えているのです。


なぜならばタロットに描かれている象徴を把握すればするほど、あなたの生きている実世界とタロットが結びつき、混沌とした中から意味ある再統合が進むからです。


その作業が進行すれば、実は「手品師」のテーブル上の道具のように、タロットと結びついた実世界があなたの支配下に入ってきます。


つまりは新たな人生のコントロールと創造につながっていくのです。「手品師は」一見、手品をしているように見せかけて、偉大な作業を開始しているわけです。


あなたの目の前にはありとあらゆる材料(実世界・実社会)が備わっています。


それを手品のように楽しく魅力的に使いこなすことができるかは、あなたの目的意識と鍛錬にかかっているのです。


頭をからっぽにすること。

私は思考タイプのところがありますので、昔からいつも難しく考えてしまう傾向があります。


言ってみれば考えすぎで、頭がいっぱいの状態になっているのですね。


先日、通っている整体の先生から面白いことをされました。


「自分の頭の大きさを両手で表現してください」と言われて、手で幅を作ってみたのです。


そして先生は「自分の頭と実際に比べてみてください」と、私の手の幅を頭に誘導してくれました。


すると、かなり手の幅のほう大きかったのですね。つまり感覚として、実際に「頭が大きくなっている」と体はとらえていたのです。


考えすぎで、頭にものを詰め込んでいるかのように重く感じている証拠ですね。

「どうすればいいんですか?」と私は先生に尋ねますと、先生は「何も考えない、頭を空っぽにする時間を持つことです」とアドバイスされました。


これを聞いて私はタロットの「愚者」が思い浮かびました。


「愚者」はその名が示す通り、まさに何も考えずの楽天的な人物です。(本当は「愚者」なりの考えはありますが)


思えば「愚者」の視線は斜め上であり、頭も軽そうです。(笑)


しかし何も考えないということは実は難しいものです。瞑想でも最初はすぐにいろいろな雑念や思いが浮かんでくるのが普通です。


それでもそうした「空(から)」「真っ白」という状態を一瞬でも保つことができたのなら、それこそ頭は軽くなって判断も速くなり、行動も迷いがなくなることでしょう。


それはいわゆる「直感に従う」「感覚のよいほうを選択して正解」ということに近くなるのだと思います。


私たちは生まれてから得てきた知識、そして遺伝子に刻み込まれたものもあって、膨大な情報を蓄えている存在だと言えます。


しかしながらそれらが整理されず、頭をただたくさん使うことにより、ソフトを起動し過ぎて動きの遅くなったコンピューターのようになっているのでしょう。そうなるとまさにフリーズしかねません。


そんな状態ではうまく情報にたどりつくのも難しくなり、検索機能も悪くなって、よい情報や正しい選択を拾い上げることもできなくなります。


機能を上げたり、回復させたりするのにはやはりデリート(消去)やフォルダ整理(分類・整理)、クリーンアップなどのことが頭にも必要なのでしょう。


そうしたことでは「13」のカードもイメージできます。


「愚者」と「13」が形の上でも、意味の上でも共通する部分があるのは偶然ではありません。


ともに「無」と関係しているからです。


この二枚が活用できれば、人生はまさに無のように軽やかになり、同時に無から有を生じさせ、空(から)のようでいて空(くう・ここでは「すべてがあること」の意)といったことにつながってくると想像できます。


いわば「空白」(空っぽ・真っ白になる)ことで、あなたの次元は移行していくことになるのです。


繰り返し、継続の力。

マルセイユタロットの「法皇」や「太陽」を見ていますと、よく言われる大切なことに気がつきます。


それは「繰り返し行う」ことです。また継続の意味でもありますね。


そして「継続は力なり」と語られるように、これはやがて絶大なパワーを発揮します。いわば「太陽」のような自己に輝きをもたらせるのです。


マルセイユタロットの「力」が太陽と関連するのもよくわかります。


私たちは単純で地味な作業の繰り返しはあまり好みません。やはり飽きてしまうからでしょう。


しかしながら、何事もシンプルな作業の継続によってひとつの型を習得し、その型の中に実は様々なものが込められていることに気づいていくことが重要だと思われます。


この「ひとつの型にすべてが込められている」という発想が持てるかどうかで、継続する気持ちやモチベーションも変わってくると考えられます。


こうした考え方は、タロットにも流れている四大元素の構造円の発想に近いものです。


いわば「一は全、全は一」というものです。


それから単純な作業は頭を使うことから次第にはずれてきますので、ふっと思考の枠からはずれ、一気に物事の本質に行き着くことがあるのです。


おそらく日本人がいろいろと「道(どう)」として型をシンプルに繰り返し鍛錬してきたのも、そうしたことと関係していると想像できます。


タロットリーディングも枚数を少なくして、淡々と毎日継続してみるとよいです。


これはリーディングの練習というよりも、継続習慣によるタロットと自分の自然な関係を醸成していくというものになるでしょう。


いわば肩の力を抜いたタロットとの関係作りです。


そしてタロットの時間を重ねた分だけ、先述したように実はあなたの「力」となっているのです。


「直感力や霊感があるから」とか、「もうだいぶん読めるようになった」とかで実占だけしかやらない人より、なかなかうまく読めなくてもコツコツと練習を繰り返しやっていた人のほうが、結果的には伸びがよかったり、理解が深かったりします。


継続しながら一歩一歩積み重ねた結果は、マルセイユタロットの「神の家」が示す通り、あたなに「王冠」がふってくることになります。それはひとつの王国なのです。



何もしなくてもバランスは取られていますが・・・

バランスといいうことをテーマにした場合、タロットカード(マルセイユ版)で真っ先に思い浮かぶのはやはり「正義」でしょう。バランスと「正義」については何回か記事で書いてきたところでもあります。


最近はディマティーニ氏のメソッドなども紹介されるようになって、ますますバランスということが重視さてきたように思います。


私はディマティーニ氏の語られるバランスのことを真に理解しているわけではありませんが、氏のバランス論で画期的なところは、バランスを取ろうと考えるのではなく、「いついかなる状態でも、あらゆるすべてのものはバランスが整った状態にある」と考え、そのことに気付くことが重要だとされたところでしょう。


つまり自分が不幸だと思っていても、それは宇宙のバランスからすれば完璧に調和し、バランスがとれていることであり、そう感じられないのは自分の見方こそがバランスを失っているからだと主張されているわけです。それを実感(体感)するのが氏のメソッドのひとつでもあるようです。


私はタロット的にみればこれは本当に正義のことを語っていると感じます。(それ以外のカードのこともあります) そして氏の主張をタロットによって解釈するならば、次のようなことが導かれます。


まず疑問に思うのは、あらゆるものがすでにバランスが取れているのならば、何もしなくていいのではないかと思ってしまうことです。


究極的にはその通りだと思います。何もしなくても宇宙は両極のバランスでできているので、人がどう行動しようと自動修正されるということになります。


これを一人の個人としての局面で見た場合、次元の違いという観点を取り入れるとわかりやすくなります。


どんな状況でもバランスが取れていると仮定すれば、低次であっても高次でもあっても、どの世界においてもバランスは保たれていることになります。


表現を変えれば地獄でも天国でも同じ法則が適用されているということです。


錬金術や宇宙の真理・奥義を記載したと言われているエメラルド・タブレットでは、「下にあるものは上にあるもののごとく、上にあるものは下にあるもののごとし」というとなる文言があります。


これは「次元が違っても同じ法則によって貫かれている」ということを表現したものと考えられます。


ですから両極のバランス・均衡(実はこれはヘルメスの7つの法則のひとつですが)はどのフィールド・次元にも働いており、あなたがどうあろうとバランスは取れている(取られるようになるという)ことになります。


貧乏だろうと裕福だろうと、健康だろうと不健康だろうと、両思いの恋人がいようと片想いだろうと、あなたのいついかなる局面でもバランスは取れているのですが、ただバランスの取られている次元が異なっているので違うように見えるのです。


従って、あなたがいわゆる幸せになりたいのならば、あなたの次元を上昇させていくことが非常に重要なことになってきます。


言い換えればバランスが取られる幅を広げていくということです。つまらないことでバランスが取られる世界で生きるのではなく、価値あるものでバランスが計られる世界に行くことです。


わかりやすくいえば殺し殺されることでバランスが計られる世界にいるのではなく、与えあい・喜びあえることでバランスが計られる次元にあなたを持って行きましょうという発想です。


ですから何もしなければその今の次元で留まり続けることになりますので、その世界次元でのバランスであなたは生きることになります。



俗に「住む世界が違う」とたとえられるのは、心の奥では次元の違いを感じているのでそういう表現となっているのです。やはり何もしないよりは次元を上げていく努力は必要でしょう。


そのためには「高次のバランスとは何なのか」というモデル・イデア(理想)が必要なのですが、西洋密儀的にはタロット・カバラー・アストロロジーはそのよい象徴モデルとして機能します。


従って学ぶ価値があるのです。逆にいえばそういう使い方・観点で学習しないと、たとえそれらを学んでも、非常にもったいないことになってしまうことでしょう。


あなたの気持ちが町でシンクロする時

たとえばつらい恋をしている時、偶然店で流れてきた曲が今の自分の気持ちを表していたりとか、大変な仕事の状況にいる時、街角の広告がまるで自分を励ますかのようなメッセージで目に飛び込んできたりというような経験は皆さんにもあると思います。


それは心理的・論理的に解釈すれば、自分の関心・注目がそのことに集中しているために、偶然の出来事でも必然のように意味づけてしまう、あるいは注目してしまうからだと考えられます。


人間の情報の入れ方は、結局のところ自分の関心による取捨選択であり、すべてのことを同時に等しい価値で入れるわけではないのです。


ということは自分にとって今関心が高いものに注目する、その関連する情報や事柄に目がいくということも当たり前であり、さらには意味づけさえも自分にとってその事柄が関係する(ように見える)からだという理由が考えられます。


これが実はシンクロ(シンクロニシティ)と呼ばれる現象のかなりの部分を占めているのではないかと思えますが、それだけでは片付けられない時間の偶然性・同時性(一緒に起こる、連続して起こること)があるため、やはりシンクロには神秘的なところは残されていると感じます。


ともあれ、シンクロについて、今回は上記の観点とは別のものを提供したいと思います。


それは「感情を味わう・深めるために起こっているシンクロがある」ということです。


私たちは社会で人と関わっている限り、様々な感情を生じさせられます。また一般的にはそれに支配されないことが推奨されます。


ただ私たちは感情が出てくるような世界にいるわけであり、それを無理に抑えたりコントロールしようとしたりするよりも逆に考えて、感情を覚えることに意味があると発想を切り替えるてみると面白いです。


私がタロットを通して(特に「月」のカードが象徴)思ったのは、感情そのものがある種のエネルギーであり、それがまた人間向上の糧として重要な要素を担っているのではないかということです。


そのためには様々な感情を味わう・体験することが必要なのです。


その意味では社会での経験がもっとも適切なのです。なぜならば一人引きこもっていても、なかなか感情の起伏は起きないからです。


特に仕事や恋愛は、いろいろな感情を経験するには非常によい場面であると言えましょう。


そしてある感情を味わっている最中に、最初に述べたような、「偶然自分の気持ちに合致している」あるいは「それを強調させるような」シンクロ的な出来事に、これもまた実際の社会の中で私たちは遭遇するのです。


このシンクロの場合は、感情の強化・固定・増幅・深化に寄与していると考えられます。


簡単にいえば感情を味わい尽くすためのさらなる舞台演出です。ドラマや映画における効果(BGMや視覚エフェクトなど)と同じです。


これによって今の自分の気持ちや体験がまさにドラマチックになるのです。


そうして感情を深く体験し、それをエネルギーにして私たちはさらに高次なる世界へ飛翔していくことができます。


問題はこれ(感情)をエネルギーとせず、ただ振り回されて毒や麻薬のようにしてしまうことです。その意味では感情のことをよく知り、コントロールする術を知らねばなりません。


その第一歩がやはり自分を見つめるということになるでしょう。


ここで述べてきたことはタロットから伝えられるメッセージであり、中でも「」のカードが語りかけてくれたものと言ってもいいでしょう。


ですから皆さん、感情が起こることを恐れず、喜怒哀楽の波をサーフィンのように味わっていけばよいのです。


また「運命の輪」のカードを理解することも、「感情サーフィン」を楽しむことに貢献してくれるでしょう。


Top