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理想の人はすでにいる。
「あー、いい人がいない・・・」と恋愛をしようとしても、なかなか良き相手に巡り会えない、自分の理想の人とは出会えないと嘆いていらっしゃる方はいませんか?
そしてこういう場合、アドバイスとしてよく言われるのが、「自分自身を見なさい」「自分を高めないとふさわしい人は現れない」というものです。
これはまあ、もっともなところはあるかもしれません。
自分のことは放っておき、理想ばかり高くて「私に合う人はいない」と語っていても、バランス的にも見ても不釣り合いを自分で主張しているようなものだからです。
とはいえ、人には一長一短、長所と欠点があるのも普通で、別に完璧を求めたり、高望みしていたりするわけではないのに、それでもどう見ても自分で望む人とはマッチングしない人が多いというのも事実かもしれません。
ではどうすればいい人と出会えるのでしょうか? と、ここまで書いてきたら、独身でパートナーを望まれる方に、「いいから出会える方法を早く書いてよ!」と言われるかもしれません。(苦笑)
しかし残念ながら、今日は出会うための記事ではありません。期待された方、どうも、すみません。。。(^_^;)
では何かといえば、実はあなたの周囲には、理想の人がすでにいることが多いということなのです。
「そんなわけはない」と思うでしょう。
でもそれは理想を一人の人間として見た場合です。
ここで発想の転換を図ります。
あなたの職場でも、趣味の場所でも、あなたと関わる人(異性)を一人一人挙げてみてください。
そしてその人たちの長所を見るのです。欠点が先に思いつくかもしれませんが、どんな人でもよいところはあるものです。あなたにとっては口うるさい人でも、多弁で場を盛り上げるということでは長所かもしれません。
そしてその長所をひとつひとつ取り上げていき、すべてが統合された(備わった)として考えてみましょう。
どうですか?
おそらくそこに、あなたの理想とする人物が現れるはずです。
これは意外な気づきをもたらせます。
まず、あなたの理想は違う形で実現しているという事実。願い事は、そのままの形ではなくとも実現していることがあるのです。
それからどんな人にも長所があり、あなたにとってよいと思えることも分散してほかの人間が持っているということ。すなわち、それは鏡として「あなたも(長所を)持っている」ということに気がつくために周りの人は存在しているのです。
「こういう人であればなあ・・・」という思いは、自分の中にそれがありながらうまく現れてない、もしくは同じ感覚を共有したいということであこがれるのです。
今は分散化してほかの人に、あなたがよいと思う部分を表現されているかもしれませんが、あなた自身が「いいと思う」部分を、他人を鏡として自分の中にあることを発見し、外に表すことができるようになれば、もう周囲の人に分散化してそれを見せてもらう必要もなくなってきます。
そうなればあなたと同等の魅力を備えた、昔は理想と思えた人物があなたのもとに現れることになるでしょう。
このようにして、周りの人物を観察してみるのも面白いものです。
4大元素で健康を考える。
今年はどうも、疲れか、はたまたエネルギーに敏感になったのか、冬至の近づくこの時期にまた風邪を引いてしまいました。
土日と四国に行っていたのですが、生徒さんの皆さんからいろいろと温かいお気遣いをいただき、何とか講義はクリアーしましたが、今も声がほとんど出ない状態です。前もこういうことがあって声帯を悪くした経験があるので、ちょっと慎重になっています。
四国の生徒さんのお一人が私のためにカードを引かれたようで、その時出たのが「星」だったとのことですから、やはり浄化と関係していそうです。
それはともかくとして、健康を考えるとき、四大元素で見るとバランスとしてもわかりやすい面があります。
四大元素とは、ここでも何度かご説明しているように、風・水・火・土(地)のエレメントを意味し、古代西洋からの「性質で世界をとらえる考え方」と言えます。
四大元素はきっちりと4つで区分されるものではないので、現代風の元素のとらえ方ではわかりにくい代物なのですが、ここは逆にあえてシンプルに4つの要素という形で説明します。
何事も4つのことで分析すると、物事がクリアーに把握できてきます。健康問題もしかりです。
まず「風」としての知性・知識・情報は必要ですよね。正しい知識を入れることは迷信や俗説で勝手に自己診断しない意味でも重要です。そして、そもそもこれが「医者」や「医学的」診断・診察ということに関わってくるでしょう。
そして「水」、「水」は心・感情の部分だとすれば、やはりストレスのかからない、心が平穏なことが何よりも健康には大切です。「病は気から」といわれるように、気持ちがよくないと健康にも支障を来すことは皆さん知っての通りです。
次に「火」、これはモチベーションや情熱ということも言えるのですが、端的にエネルギー・運動だともとらえることもできます。
要は日頃からの運動や、エネルギーを保っておくということですね。ここは現代人が結構ないがしろにしているところではあります。また情熱が持てるようなことをもっておくのも健康にはいいことなのでしょう。
最後に「土(地)」、「地」は安定した大地、物質的なものを象徴していますから、肉体そのものを表していると見ていいでしょう。
肉体・土台がしっかりしていないと、いくら栄養を取ったり、運動したりしても効果はあまり期待できません。また衣食住などのベース、生活習慣を整えておくということもこの分野に入ってくるかもしれません。
こうして四大元素的区分を考慮しながら健康を考えてくいとく、健康のバランスを図ることもできるうえに、タロットの小アルカナの訓練にもなるとい一石二鳥の面があるのです。
「女帝」と「皇帝」との関係
マルセイユタロットに、「女帝」と「皇帝」というカードがあります。
この二枚はペアでカップルとも言えます。実際、夫婦やパートナー同士を象徴することもあります。
しかしもっとも原義的には「創造」における精神と現実の組み合わせ・ペアを表していると見えます。
難しくいえばイデアと現実の対応・照応なのですが、簡単に言えば思考の現実化と言ってもいいでしょう。
ただその思考はイデアであることが大切なのです。
イデアとは哲学者プラトンによる言葉で、後世の解釈も様々ですが、ひとまずここでは、「心で思える最高度のもの、その世界」と表現しておきましょう。
良い(善い)ものを思えば良い(善い)ものが形として現れる、その関係が「女帝」と「皇帝」であると言及できます。
ただ実際の世界(現実)に現れるのは、思ったこととは多少違うのが当たり前です。
それは現実ではイデアは反映されても、実際の制約条件により、そっくりそのまま同じものにはならないからです。
とはいえ「思う」ということがないことには、実際に現れることもできないことになりますし、思いやイメージが不明確であればあるほど、実際の現れるものも混沌としたものになる道理がわかるかと思います。
ということは、いかに思い・思考・イメージが大切であるかということですが、実のところ、人はそもそも何を思えばよいのかということがわからなくなって悩むものです。
この先私はどうすればよいのか?と悩む。
それはつまるところ先見ができない、イメージができないことに問題があります。
なぜイメージができないのかといえば、いきなり「皇帝」の作業から入ろうとしているからです。それは具体・形・現実の結果を探そうとしているのです。
現実に何を残せばいいのか、何を創造すればいいのか、それはよほどやりたいことや自分の意志が明確になっている人以外は、普通は難しいものです。
どの仕事をすればよいのかと悩むのは、実際で具体的な仕事をしていることのイメージが自分にできないからで、それはいわば具体(形)を思ってしまうと「決まってしまう」「限定される」ことへの恐れでもあるからです。
「まだ私には可能性があるのではないか?」「それが本当に望んでいるものではないのかもしれない・・・」という期待と不安、恐れが入り交じって、具体的なものをイメージするのが恐くなってしまう(避けようとする)のです。
これを解決するには、やはり「女帝」から入ることです。
「女帝」はイデアを見ると述べました。
イデアは精神や心で思う最高度のものですから、具体的ではなく抽象的です。
ここではっきりと現実や形にまだ限定しなくてもよいのです。
ただ次元の低いものはイデアではありませんから、理想的なもの、最高のものを思うようにするのです。
それは漠然と「こうなりたい」とか「こういう気分でいたい」とかということからでも構いません。
ですが、そうした自分一人で思おうとする行為は、いろいろな次元やレベルが入り交じり、結局イデアにたどり着けない場合があります。
そこで古代から人は最高で整然とした宇宙とか神とかを想定し、その動きや象徴を図形や天体の動きに反映させて見てきたのです。
マルセイユタロットはそのイデアに関連した図柄を記していると考えられます。
ですからマルセイユタロットでもって、イデアを思い、目標や夢を次第に現実に段階的に下ろしていく(地上化する)ことが可能になるのです。
イデアを思いながら、「皇帝」として現実に進んでいくと、やがてこの実際の世界に実現すべき自分のイデアがわかってきます。
イデアの地上的表現、つまり「女帝」の皇帝化は先述したように、そのまま理想が現実になることではありません。
最高の心の想像(創造でもある)が、この現実世界での材料を得て、個別・具体としてそれぞれに応じて実現されるのです。
その意味では、すでにあなたは大なり小なりイデアを地上にもたらしていると言えましょう。
あとは再びイデアを思い、地上における表現方法を変えたり、選択し直したり、洗練させたりして、イデアに近づける努力をすることなのです。
あなたの人生に訪れる役者たち。
あなたの過去をちょっと振り返ってみてください。
人生のシーンにおいて、当然ながらいろいろな人と関わってきたはずです。
その中にはあなたに大きな影響やインパクトを与えた人物がいるでしょう。
それは何もいい影響だけではなく、悪い意味でのインパクトも含みます。
ところが、私も最近気がついたのですが、そういう人たちは実はあるパターンをもって登場してきています。
それは、「役割が同じだけで、演じる人物が入れ替わる」という法則です。
あなたを悪く言う人、あなたを支える人、あなたを愛する人、あなたに良くも悪くも心痛をもたらせる人、あなたに変革をもたらせる人、あにたに知識を与える人など・・・それぞれ時代やシーン、人も違うのですが、本当は役割としては決まっているように感じるのです。
このことはマルセイユタロットの大アルカナを見ている時にひらめきが訪れました。
いわばタロットでいえば大アルカナ22枚の役柄に関する人物が、時を越え、場所を変え、実際の人間を変えてあなたの人生に再三登場してくるのです。
しかもおそるべきことに、ある規則や法則に基づき、自分の認識・学びに応じてレベルを変えてくるのです。
たとえばタロットでいえば、「恋人」カード(実際にあなたの恋人のこともあります)かと思えば、次は「13」(恋人だけれども苦しみや試練を与える人、片想いの人など)であったり、別の機会では「審判」(結婚して家族になる恋人)であったりするということです。
その役割が一本の柱として何かしら共通しながら、自分の意識レベルや学びに応じて「恋人」になったり、「審判」になったりするのです。
結局、みんな自分の意識を高めるための役柄を人はお互いで演じ、相互に影響を及ぼしあい、おのおのと全体の進化(進化)に寄与して、愛を拡大していくのでしょう。
ですから、今後ある強い影響を持つ人と出会っても、それはある種の学びのパターン役(演劇の役)だと認識し、その人物がどの役のパターンなのか識別して、以前の同様な役よりレベルが上がっているかどうか確認するとよいのです。
同じ役柄なのに以前よりも何かひどい人物や強烈な人物になっているとしたら、あなたのレベルが何らかの形で下がっているか、あるいはもっと変革することを要求されているのかもしれません。
こう思えば、人や人生、そして世界は何と面白いことかと感じるのです。
自分は固いと思っている人へ。
何かと固く考えがちの傾向にある人はまじめで優しいとよく言われます。
実際にそのようなお方と接してみて、やはりそうだと感じることも多かったです。
しかしながら、その一方でとても利己的なところも眠っています。
それは人一倍、自分に対して関心があるからなのです。
とはいえ、誰でも自分に関心のない人なんていないと言ってもいいくらいです。
ただそのエネルギーの向け方があまりにも自己中心になっているのですね。
そのため、「人から自分はどのように見られているのか」ということになり、逆に自信がなくおどおどしてしまったり、「人からよく見られなければならない」と思いこんだりして、緊張とプレッシャーのあまり、ぎくしゃくした行動になるのです。
その根底には過剰なる自分への関心(言い換えれば自己尊重・賞賛の飢餓感)とそれによる縛りがあります。この点で利己的(自分に関心が寄せられすぎている)と言っているのです。
ですから勘違いしないでほしいのは、利己的と言ってもいわゆるわがままとは違うということで、それどころか反対にこのようなタイプの人は人に気遣い、争いを好まず、柔和な雰囲気さえある人が多いのです。
そして、こういう人に対しては「気楽になれ」とか、「自分に自信を持て」とかアドバイスされたりしても、実はそれができないから困っているわけで、逆にそれが強いプレッシャーになることがあります。
まあ、確かにマルセイユタロットのカードでいえば「愚者」に自分がなれば固さから脱せられるわけですが、それが難しいことは当の本人がよくわかっているわけです。
そこでまったく反対に、より自分に関心をさらに抱くようにするという方法があります。
ただしその関心は「気にする」というそれまでの自分に向ける関心の方法ではなく、「自己観察」や「自己洞察」と呼ばれる類のものにします。
カードでいえば「正義」や「吊るし」でしょう。
言ってみれば自分を客観視するわけですが、このことが容易ではないのは、自分で自分を観なければならないからです。
実は神様でもおそらく自分で自分の姿を直接見ることは無理でしょう。自分を見るには自分を映し出す「鏡」が必要なのです。
鏡として便利なのは、象徴として優れた機能を有するマルセイユタロットがお勧めです。もちろん他人を自分の象徴とすることもできますし、その他いろいろな象徴ツールや方法があります。
また考え方として、自分のふるまいや行動が、本当に目的のために純粋な気持ちで行っているかどうかを確認する姿勢を持つといいでしょう。
たとえば誰かのためと思って行動していても、それは「その誰かのために役に立つ自分を、人から評価してもらいたいためにやっている」と思っている部分はないかと探査してみるのです。
ただ上記でいえば、よほどの聖人君子、悟りを開いた人、利他の心で満たされている人以外は自分が評価されたいという思いでやっている心は必ずあると思います。
ですからそれは否定されるものではなく、当たり前に人としてある感情だと思えばいいでしょう。
しかしながら、そのバランスが大切です。
人のためなのか自分のためなのかの選択をするのではなく、過剰にどちらかに傾いていないか、特に自分の(評価を得る)ためとして極端になっていないかを確認することが大事だと言っているのです。
そうやってチェックしていくと自然に客観的な自己観察となり、自分の姿を冷静に見られるようになってきます。
となれば、「まあ、そういう自分もありだな」「人として当たり前だな、私」てな感じで、過度によく見てもらおうと思う気持ちが少なくなって楽になってきます。
気がつけばゆっくりとですが、固さもとれていくことでしょう。固いことも悪くはなくて、いいことでもあると認めるのも大事です。
今回お話した内容は、カードでいえば、「正義」から「節制」に至りつつ「愚者」にもなっていくというイメージです。
