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リーディングの固定化を防ぐために。
タロットを学習し、リーディングの修練を積んでいくようになると、ある程度自分の読み方のパターンが決まってきます。
これは致し方のないところだと思います。
パターンや型があるのは決して悪いことではなく、むしろひとつの基本、セオリーとしてとりあえずは身につけておきたいものです。
型があれば自分の体調の変化や感覚のずれによってリーディングにぶれが出そうになっても、何とか「型」によって大幅に逸脱することなく収めることができます。
ただ何事も行きすぎはよくなく、セオリーやパターンばかりでリーディングを続けていれば、それこそ型にはまったワンパターンの単純な読みに固定されてしまいます。
これを防ぐためには、やはり他人のリーディングに接することが一番よいでしょう。
もし勉強会や人のリーディングを見るイベントなどの機会があれば定期的に参加して、自分の読みと比べてみると刺激が与えられ、リーディングの固定化を予防できます。
また、まったくタロットを知らない友人やパートナーなどに、「どう見えるか?」「どう感じるか?」とカードを見せて質問し、その答えを素直に受けてもよいです。
これは何も知らないからこそ、枠をはずれた斬新な読みができることもあり、それがまた慣れた読みをしているあなたにインパクトを与えることになるのです。また初心のフレッシュな気持ちを取り戻す効果もあります。
それから、リーディングの立ち位置を変えてみるということも面白いです。
これはいつもリーディングしているスタイル・場所を変更してみるということです。
自分リーディングをしていたら、クライアントの立場になって対面側に回ってみる、あるいは横や斜めに移動してタロットを観察する、時には一枚のタロットに極端に近づいてミクロ的な観察をするなどやってみるのです。
角度は見方の違いにつながりますから、これまた意外な発見があったり、インスピレーションがわいたりします。
またスタイルを変えるという点では、リーディングする時間を変更してみる(早朝や就寝前、たそがれ時など)、場所も家ではなく、ほかのところで行ってみることも考えられます。
ある程度自分のやっているタロットの理解ができてきたと自覚していれば、ほかの種類のタロットの解釈にふれてみる(書籍なとで読んでみる)ということも場合によってはありです。
ただこれは注意しないと、自分の今までしてきたタロットとの統合がとれず、かえって混乱することになりますので、最初はあくまでさらっと見る程度にし、自分のタロットの理解度の上昇につれてほかのタロットも見てみていくというようにしたほうがよいでしょう。
コツとしては、カードの意味や言葉を覚えるのではなく、その奥に象徴されているカードの元型(根源)を考察すること、一見抽象的とも思えるそのカードの表す「核・コア」を補足しようとすることです。
するとほかのタロットの理解も自分のタロットを通してある程度は可能になります。
ほかのタロットにおいて、絵柄として自分の学んできたタロットと同じものが描かれていないかを見て、それを比較検討するのも「元型」を把握するのに役立ちます。同質性と異質性をしっかり観察するのです。
私のタロット講座を受講された方は、大アルカナから気づいたことを記載するノートを渡してありますので、それを続けて折に触れ記入していくことですね。
ただそれだけだと結局やらないことになりがちなので、強制的にそういう時間や日を習慣的に持つようにするのです。
そうして二冊目になった時は、リーディングの幅もかなり広がっていることでしょう。
それからわからないからと言って、いきなり本や習った時のノートを見るのではなく、まずは自分でリーディングしてからあとで確認するという癖をつけないと、いつまで経っても臨機応変にリーディングすることはできませんので注意しましょう。
報われない恋をしているあなたへ。
気休めに聞こえるかもしれませんが、報われない恋愛をしていても、それはあなたにとっては大切な何かを運んでくれる輝きとなるものです。
好きになってしまった相手が自分に好意を抱いてくれそうもない、または立場的に思いが叶えられない相手との恋など、こうした状況はとても苦悩を呼びます。
恋愛はタロットカード(マルセイユ版)の「恋人」のキューピッドの矢が示すように、自分の意志でできるものではありません。
その鍵を握るのはまさに上空の天使、あるいはキューピッドなのです。
キューピッドは誰(人)の心にも眠っている恋の心に火をつける・覚醒させる役割があります。
また自分でキューピッドを呼ぼうと思ってもなかなか自由にはできません。そのためにやはり恋愛は予測不可能でコントロールが効かないものだと言えます。
そして幸か不幸か、報われない(と自分では思える)恋をしてしまった時、その苦しさゆえ、我が身の不幸や不運を呪うこともあるでしょう。
どうしてあの人(または自分に)に(キューピッドの)矢が刺さってしまったのかと。
しかしながら、すべてには意味があると考えられます。
実はキューピッドも天使と表現できるものであり、つまり天(神)の使い(厳密な意味での「天使」ではありませんが)なのです。そこには神の計らいがあると言えます。(エロスの「神」としても「神」となります)
マルセイユタロットの「恋人」カードには、きちんとキューピッドが神の意志を背負っていることが絵柄で示されています。
個人的には報われない恋も、究極的な愛に至る(目覚める)ためのひとつの過程や試練ではないかと考えています。
また報われない恋であっても、不思議なことが実際に起こることがあります。
たとえば、ずっと思い続けた人と一瞬だけれども心が通じ合った感覚を得たという場合や、現実に一緒に会話したり、過ごしたりすることがわずかではあっても奇跡的にできたというようなことです。
両思いにはなれなかった、あるいはつきあうことは不可能だったけれども、どこか一時でも時空をともにすることができたとか、気持ちを交流させることができたと思える瞬間が訪れるのです。
自分でも気がつかないほどの一瞬かもしれませんが、おそらく思い続ければそういったことは結構多くの人が体験できるのではないかと思っています。
それがいわば神からのプレゼントのようなものと考えられるでしょう。この時はカードでいえば「審判」と関係していると言えます。
またたとえそのようなことが起こらなかったとしても、あなたの注ぎ続けた恋心(愛情)は報われないつらさだからこそ、燃焼され、純粋なものが残ることになります。
その残ったものこそが「愛」となるのです。燃焼過程では焼かれるような嫉妬心であったり、相手に通じないつらさ・悲しみ、苦しみであったりしますが、涙(水)を流し、燃える心(火)で焼き尽くした時、不純物は消え、一種の悟りの境地のような無償の愛の感覚に変化してきます。
たとえれば「愛されなくても愛することのできた自分が愛おしい」「愛が注げることのできる自分が美しい」という感覚と言ってもいいでしょう。
愛することができるのは、自分に愛する心があるからで、もっといえばあなたには「愛」が確かに存在していたことの証明です。
これに気がついた時、あなたの意識は高次へと導かれます。そうすれば報われる報われないに関わらず、あなたの人生は変容を遂げ、ふさわしい愛される相手と出会うこともあれば、人生に使命感を抱けるような仕事や好きなことに出会うことも起こってきます。
成就できない恋愛も、実はあなたを高めるための大きな神からの恩恵なのです。
タロットの数と「世界」
タロットの大アルカナにはナンバーがふられているように、数の進行に従って拡大や発展をしていくと見ることができます。
タロットはゲームとして使われていた歴史が長いですので、おそらくはゲーム性を考慮して、ナンバーが機能していたと考えられます。
たとえば数(ナンバー)が上がるほど強いカードになるという具合に。
しかしこれをそのままタロットの理解やリーディングに流用してしまうと、単純に数の少ないカードは悪いカードみたいな認識になるおそれがあります。
もっとも、吉凶的判断での「占い」として活用する場合は、それでもOKでしょう。というより、おみくじ的に引くことができて余興としては面白いかもしれません。
ですからやはり数によっての優劣を決めると、どこかゲーム的になるのです。
とはいえ、数の大小によって変化してくるという観点も悪いことばかりではありません。
ひとつには「数」を宇宙や神の象徴・表現として秘術術的に絵柄と併せて解釈することにより、タロットリーディングに深みを与えることできます。
ただこれも両刃の剣で、深みが増す反面、カードの絵柄から出る解釈(象徴)と数そのものの持つ象徴とが統合できず、余計に混乱することにもなりかねません。
このことはソウルカードテクニックによって問題が顕著になることがあり、ソウルカードテクニック(技法)がうまく使いこなせない、理解に矛盾を抱えている人というケースも少なからず見てきました。
この問題については、私自身はある決着を見てますので、それは私の講座でお話しています。
さて、数の進みによってカードの意味も変わってくるという発想を持てば、ふたつの大きな示唆が得られます。
ひとつにはカモワン流などでも主張されている「大アルカナが人間完成の図を示す道程である」ということ、もうひとつは同じようなことなのですが、数の進行によって私たちの物の見方が拡大されるということです。
一言で言えば、「数が進めばより解放される」と言ってもよいでしょう。
ということで「世界」は最高度に到達した解放であり、完成となるわけです。
ただ現実的に適用するとすれば、「多様な見方を獲得した状態」と考えてもよいでしょう。多様な見方ができるということは、それだけ経験が豊富か思考が柔軟であるということになります。
よく「経験しなければ本当のところはわからない」と言われますが、それはまさにその通りだと思う反面、世の中のすべてのことを一人の人間が経験できるわけではありません。
従って、むしろ思考の柔軟性を得たほうが実際的だということになります。ただなかなか普段の考え方を変えたり、柔らかくしたりすることが「頭」だけではできにくいので、実の体験があったほうがよいと言われるのです。
たとえば「痛み」を考えろと言ってもわかりにくいですが、怪我をしたり、心が苦しかったりすれば「これが痛みだ」と悟ることができます。それゆえ、実際の体験は思考を変容させるのに極めて重要なのです。
また一人の人の体験は限界がありますから、自分がただ一人で考えているよりも、他人の経験を話してもらう、他人から伝授してもらうほうがよほど物事の理解が早まるでしょう。
このようにして私たちは多くの人・モノの中で、自動的にたくさんの経験を積む(積まされる)ようにできていると考えられます。
それは結局タロットでいえば「世界」に至る道であり、自分の物の見方を多様にするためにあると言ってもよいのではないでしょうか。
自分の気持ちに正直かどうか。
世の中には優しい人が多いので、自分の意志より他人や相手を優先してしまうことが多い気がします。
いやいや、そんなことはないですよ、私は自分勝手な人ばかり見ますよ、という人もいらっしゃるかもしれませんが、それはそれで(自分勝手は)問題ではありますが、優柔不断であったり、人を優先しすぎたりするのもバランスが取れているとは言えません。
そういったことで、今日のテーマはタロットカードでいえば「正義」ということなるでしょう。
あなたは自分の意志をきちんと相手に伝えているでしょうか?
相手とトラブルになることを恐れ、あるいは相手から嫌われることを思って、自分の気持ちとは裏腹に周囲に合わそうとしていませんか?
これを繰り返していると、いつか自分の感覚が麻痺してしまい、自分の意志なのか人の意志なのか、選択においてわからなくなってしまうことがあります。
そして人によって人生はコントロールされ、ほかでもない人のために人生を消費することになります。
また他人ばかり気にすることになるので、気が休まる暇がありませんし、そもそも自分の気持ちには嘘をついていることになるので、その罪悪感から自分を潜在的に苦しめます。
時には自ら罰を与えるかのごとくの状況を自分で引き寄せ、不幸やトラブルを我が身にふりかからせます。それによって自分(の気持ち)を許す仮の行為をしているわけです。
いずれにしても、自分に対する不正直さは自分のため(人のためにも)になりません。
結局のところ自己評価の低さから来ていることが多いわけですが、逆にいえば自分に自信が持てるようになれば、自分への不正直さも消失していくことになります。
よくあることに、何かの行事の参加や行動を促されている時に周りを尊重し過ぎて(というより自分を卑下して)、本当は断りたいのにOKの返事をしてしまうという人がいます。
それで最悪なのは、直前になって思い直し、いわゆるドタキャンをしてしまうというパターンです。これは自分も気分がよくないでしょうが、誘った人にとってはもっとも嫌なことでしょう。
このことも元をたどれば自分の気持ちに正直ではなかったことに起因します。不正直さは決断のスピードさえ遅らせるのです。
「正義のカード」には天秤のほかに剣も手にしているのは興味深いことです。剣は決断もひとつには意味します。
波風を立てないようにする「なあなあな態度」は、結局のところ、逆にあとで波風を周囲に立てることになります。
八方美人が終局的には誰からも特別に好かれないのと同じです。(奇しくも「正義」の数は「8」です)
自分の気持ちに正直になること、これは言ってみれば自分を救うことにつながるのです。(カードとしては「節制」と関連します)
これからの健康対策
一昨日も健康のことにもふれましたが、私自身もそうでしたが、タロットの受講生の皆さんも結構体調を崩されている方がいらっしゃるようです。
寒暖の差が激しいという今の時分のことや、多忙な個人個人における疲れなど様々な要因はあろうかと思います。
そしてあまりここでは根拠がないと思われるので、または不安をあおるかもしれませんので書きたくはないことですが、放射能の影響もあるようにも感じられます。
これは私の信頼する整体の先生が実際に多くの人の体を診ておっしゃていることでもありますし(地域に関係なくです)、個人的にはタロット展開からでも推測されることです。
あくまで私個人のまったくの感覚にしか過ぎませんが、タロットカードでも若干対処できる部分もある気がしています。
実はマルセイユタロットはカード自体がエネルギー調整に使えるよう工夫されているのです。
このタロットそのものでヒーリングする技術は、先頃シンボリックリーディングの本もご出版された「はるひなたさん」が使われておりますし、タロットセラピーとして技術もご教授もされているようです。
さて、よく「肉体と精神」と言われるように、健康においてはこの両方も当然ながら密接に関わっています。
肉体の箇所に不調や異常が出る時、その肉体の役割と同じような意味で象徴的に心の負担や問題が表現されていることが結構あります。
たとえば自分が仕事などでかなり重荷を背負っていると思っている時、実際に肩こりや肩に重みや痛みを感じることがあります。
背中のトラブルでも「屋台骨」としての負担と考えれば、背負い過ぎている、責任を思い過ぎているなどのことが考えられます。
喉の調子が悪い時は、何か言いたいことが言えない場合や、反対に言葉によって人を傷つけた思いなどが反映されていることがあります。
足の部分に問題があれば、歩くこと、つまり進む方向性の問題、踏み出す勇気がない、自分の仕事や目的に対して支えとなってくれる人がいないか、パートナー・友人との理解が得られていないなど感じているということもあります。
お腹では「腑に落ちる」という言葉があるように、まさに腑に落ちていない、真に納得していない部分があること、受け入れられないものがあることなどが表されていることがあります。
これはほんの一例で、ほかの意味があったり、また当然ながらその部分の単なる使いすぎ・酷使という理由もありますし、症状がウィルスや病原菌などによる本来の「病気」の現れの場合があるというのも当たり前のことです。
それとは別に象徴的に肉体が心や精神のアンバランス、生き方や表現の不調和を表していることもあるのだと考えると、病に対する本来的な対処(治療)と同時に、考え方の見直しや心の変容も考慮に入れると、治りがさらに促進されることもあるわけです。
最後に、これも私的感覚でタロットからのメッセージになりますが、これからは肉体も精神も柔軟にしておかないと、硬直した人は病気のような症状としてよく現れるようになると推測されます。
逆にいえば、病気によって柔らかくさせられる強制発動が起こりやすくなる時代や次元に入ったのではないかと思えます。
ということで今まで以上に、心身ともに柔軟体操(心は精神的な学びや実践となるでしょう)をしておくことが重要となってくると考えられるのです。
