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あなたはすでに知っているのです。

マルセイユタロットの大アルカナを22枚を数の順番に並べたものを、カモワン流では「タロットマンダラ」と称されていましたし、ほかの文献などでもこの並べ方は自己の洞察・成長装置として見られるものです。


その全体図から得られた示唆をひとつご紹介します。


マルセイユタロットのある教えのひとつには、人は神性(神なる性質)を持つ存在だというのがあります。


すなわち私たちはもともと神(完全)であったということです。


しかしそのことを忘れ、地上に降り、肉体をもって転生を繰り返しながら神であることを思い出していくというのがこの教えの核にあります。(転生せずとも済む方法がタロットにより伝えられているとも言えます)


実際には難しいことではあるのですが、これをもう少し現実的な意味に適用してみると興味深いことがわかってきます。


私たちはもともと神であったという前提は、言ってみれば「何でも知っている」「何でもできる存在」だということになります。


しかし現実にはそうではありませんよね。


そのため、この世界ではどうしているのかといえば、たくさんの人・考えを個人個人が持つことによってカバーしあっていると考えてみてはどうでしょうか。


一人が完全に自分(神である自分)のことを思い出せればいいのですが、それが困難なので、多数によって全体に近づけるという考え方・方法です。


たとえば私たちはそれぞれ経験とその経験から感じること、学ぶことは人によって違います。またある人は数学の知識や技術があり、ほかの人は料理が得意という人もいます。


しかし、おそらく全世界の人の経験と知識、感情、行動などすべて合わせると、神に匹敵するほどの全知全能に近くなるのではないでしょうか。


そして私たちは知らないことは知っているほかの誰から学ぶことができます。


「知っていること・学んだこと」=「思い出したこと」と言い換えてもよいかもしれません。


こうしてたくさんの人と関係しあい、自分は少しずつ「思い出していく」のです、そう「神」であることを。


できないこと、知らないことを恥じる必要はありません。もともとあなたは神であり、知っているのであり、可能であり、もっているのですから。


ただそれを忘れているだけです。何もせず、忘れたままにしておくほうが恥ずかしいです。そのために思い出させてくれる人が、あなたの周囲に五万といるわけです。


インターネットなどがさらにそれを加速してくれているように感じます。ということは皆が悟りを得たり、神になったりする(すべて思い出す)日も近いかもしれません。


あ、そうそう、タロットでは神の世界には「悪魔」がいますので、まずは悪魔と遭遇したり、悪魔になってしまったりする人も出てくるかもしれませんね。注意しましょう。(笑)


「世界」のカードから理想世界を見る。

これは逃避の発想とつながる危険性があるので、強くは言いませんが、自分の問題というものが実は周囲との波動との違いによって起こっていることもあると想像しています。


タロットカード(マルセイユ版)でいえば、「世界」の逆の解釈の違いということになります。


よく精神世界やスピリチュアルなことを探究している人の間では、「問題はすべて自分にある」と言われることが多いようです。


それは究極的にはそうかもしれません。


しかしこの世は実際にいろいろな人が現実的に関係し合い、様々な想念も飛び交う世界です。


これを自分一人の問題や責任として考えていくと、自分を追いつめることにもなりかねません


現在、ニートや引きこもりの人、あるいは社会にうまく適応できない人が増えてきていると言われています。


その場合、だいたいはそのような人たちを「問題」ある人ととらえ、そうなっていない人は問題なし、正常だと考えます。


しかし果たして本当にそうでしょうか。


もし反対に彼らが正常であり、私たちが異常として想定するならば、私たちの社会・世界がどこかおかしなくなっていると考えられます。


その抵抗や反応として引きこもりになったり、社会に適応していないように見えていたりするだけかもしれないのです。


たとえば極端な話、「正直であることがよい」と考えている人が、あるグループに入った時、そのグループが詐欺集団であったならばどうでしょうか。


詐欺集団としてのグループの論理が正義としてとらえられることがあるので、その場合、正直者はまさにバカを見て、悪人だともみさなれ、グループから逸脱した不適応者だと烙印を押されるかもしれないのです。


正義という観点で見れば、何であろうと立場が変わればその正義はコロコロと変わり、人の正しさも相対的なものになってしまうわけですが、これを次元の成長、宇宙的な真理でみればそうとは言い切れなくなります。


先述した例では正直がダメで詐欺がよいということは私たちの通常のレベルではまず考えられないでしょうし、普通はその逆をノーマルで正常だと取ります。これはやはり人としての成長・真理的なものに近いものだと思います。


これと同様に、社会でうまく生きられない人はもしかすると、どこかある面では進歩しているかもしれないのです。


少なくともこれは言えます。


それは「世界のバラエティさ(多様さ)を許容できる世界に私たちはまだ発展していない」と。


もちろん今の社会に不適応になっている人を少しずつ適応させていくサポートや、本人たちの努力も一方では求められることもあります。


しかし大きな視点で見ると、通常と見える私たち自体が変わらなければならないこともあると予想されます。


いわば不適応になっている人が自ら進んで社会に適応していく社会や世界になっていればいいわけです。


また正常と見えた私たちのほうでさえ、いつ不適応者となるかもわからないのですから、やはり世界の許容量の拡大は必要でしょう。それは逆に私達一人一人の個人の意識の拡大が鍵かもしれません。


それが究極的に進めば、どんな人も受けいれられ充実した人生が過ごせるシステムのある世界となるでしょう。


最初に出したタロットカードの「世界」、これは4つの生き物に囲まれている人物を描いています。


「世界」のカードを逆向きで見ると、中央の人物を私たちは四面楚歌のように孤立しているように思いますが、実は周囲の生き物が真ん中のレベルに追いついていないことも考えられるのです。(逆位置解釈の場合)


すべての人が有機的に活かしあい、それぞれの個性と役割をもって全体性に貢献していくような形、それが「世界」の正立状態だとも言えます。


それが私たち個人の成長に関係しているということが、まさに「世界」のカードからも理解できるのです。


「手品師」と「吊るし」を見て。

タロットの「吊るし」(マルセイユ版)を見ていますと、あることが浮かんできました。


すると、「吊るし」の人物の服装とよく似ている「手品師」が横にならんでくるイメージが出てきました。


「なるほど、そういうことか」と納得し、今日の記事に移ります。(笑)


もしマルセイユタロットをお持ちの方、そして私の講座を受けられた方ならばなおさら、「吊るし」と「手品師」の二枚のカードを出してみてください。


そしてこれらを逆向きにして、「手品師」が「吊るし」を見ているような形で並べてみましょう。


この場合、大きく分けてふたつのリーディングの見方ができます。


ひとつは「手品師」と「吊るし」が別人物のように見るやり方。そしてもうひとつは同一人物であるという見方です。


前者の場合、「手品師」の人物が「吊るし」の人物を見ていて、「彼に何かしてやろう」という風に見えてきますね。


それは例えば職場で困っている人を助けようとしているようにも見えますし、「とんだ頑固なヤツだな、人の助言を聞き入れやしない。これじゃ何もしてやれないよ」とさじを投げているようにも思えてきます。(笑)


「手品師」はテーブルの上に手品道具をたくさん並べているところから、道具や技術を持っているとも読めます。


そこで「吊るし」逆の、狭い世界に閉じこもっている人物と重ね合わせると、「たとえある技術を持っていたとしても、相手が自分の殻に閉じこもってしまったら、手の施しようがない」という示唆が得られます。


つまり心や世界を閉じていると、いくら技術があってそこから救い出せないこともあるということです。かたくなな心や抵抗は、悪い意味で強力なバリアーになるわけですね。


さてもうひとつ、「手品師」と「吊るし」を同じ人物として見ていくと、これも面白いことが得られます。


「手品師」は数にローマ数字の「1」を持っていますので、始まりとか新しいことというのに関係します。


何かを始めたい、行いたいと「手品師」は思っていると見ましょう。


しかしそれが仕事や勉強として気の進まないことで、けれども課題や宿題としてやらなければならないことだとします。


皆さんも経験があると思いますが、仕事や勉強をしなくてはならないのにそれが嫌で、まったく意味のないゲームやインターネット、電話、読書など別のことをやってしまったり熱中してしまったりしたことがあるでしょう。


これは心理学的には異常固定と呼ばれる現象ではありますが、とにかく意味のない行動をして本来しなければならないことから逃げているわけですね。


それが「手品師」の視線の先の「吊るし」の逆だと見ます。「吊るし」は「手品師」本人の状態であり、心の様子です。


こうした状況は実は短期的なことに留まりません。一年も二年もやらなくてはならないことから逃げて、あまり意味のないと思える行動を長期的に取り続けていることが人にはあるのです。


こここから脱するのも、実は「手品師」と「吊るし」が示します。それぞれ正立にしてみましょう。


すると「手品師」の視線は外に向き、何かを第一歩として始めている様子がうかがえます。


つまり、とにかく簡単なことでもいいから始めることが大切なのです。勉強なら机に向かう、仕事ならパソコンを立ち上げるみたいなことです。


そうすると「吊るし」も心が決まったかのような安定した状態になります。そして冷静に事態を見ていることにもなってきます。もっというと「吊るし」の奥の意味である段階的なステップも踏んでいるということになります。


このようにカードはそれ自体で問題と解決方法をリーディングすることも可能です。


ただ私が今回述べたかったのは、リーディングの技法だけのことではなく、「手品師」の逆と「吊るし」の逆から得られた教訓を、思い当たる人には活かしてほしいということでもあるのです。


天秤の傾きに従う選択

だんだん爽やかな季節になってきましたね。学びや文化の秋でもあります。


私は現在京都新聞文化センターよみうり文化センター神戸のカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を担当させていただいております。

両方とも10月からの新規受講生を募集しておりますので、リーズナブルに楽しくタロットを学びたい方、各センターまでお問い合せ、お申込みください。


特に神戸ではまだ余裕が大分あるようですので、お申込み人数によっては少人数でじっくりと入門編以上のことが提供できるかもしれません。

カルチャーセンターといえども、私の講座はタロットが単なる占いだけで終わるようなものではなく、自己認識や自分の人生の質を高めるツールであることをお伝えしています。この機会をお見逃しなく。



さて、昨日はバランスを取ることのいろいろな見方をお話しましたが、今日はそのバランスに注目することだけが解決ではないということにふれたいと思います。


特にいつも優柔不断になりがちなの人、あれこれ考えすぎて迷ってしまう人に聞いてほしいネタです。


だいたい何か決断できない時というのは、ふたつの選択肢、あるいはたくさんの選択肢のどれもが一長一短のメリット・デメリットがあって決められないということが多いと思います。


ここで自分の今までの人生において決断してきたこと、選択してきたことをふりかえってみましょう。


明らかに「こちらを選んでよかった」と思うこともあるかもしれませんが、反対に「ああ、あの時の選択は失敗だったな」と感じることもあるでしょう。


確かに人生最大のターニングポイント、その選択が一生に大きな影響を及ぼすということはあります。


しかしですね、トータル的に見ていけば、結局どちらを選んでもよいことも悪いことも同じくらいだったと思えてきませんか?


ですから、選択に悩んでいてもある意味、時間の無駄でもあるのです。(年齢が行けば行くほど時間の価値は高まり、スピードを上げねばなりません)


どちらを選んでもおそらくいいと思えることと悪いと感じることは、あとで考えればフラットで平均化されていると想像できます。


とはいえ実際には悩んで迷ってしまうのも人間です。


そこでこう考えてみます。


選択は天秤にかけることだけではなく、どちらかをあえて切って落とすものであると。


いわば、自分からどちらか一方(どれか1つの)の選択肢に向かってなだれ込んでいくという方法です。わざと天秤を傾けてしまうと言ってもいいかもしれません。


でも、「それができないから困っているんだよ」と思われるでしょう。しかし一端自分からバランスを極端に崩せば、自然の摂理でそのバランスを回復させるための働きが生じてきます


選択が仮に間違っていたとしても、大元のバランスは調整されてくるのです。つまり、自分にとって悪い選択であっても、俯瞰した目で見ると、よい方向に戻してくれるようになるということです。


ということはスピードを持って決断すればするほど、その選択が結果的に間違いであっても、早く決断した分バランス回復の速度も速くなるということです。


人生、取り返しの付かないこと(選択)というのは、冷静に考えればほとんどありません


あるとするのならば、誰が見てもわかる選択と言いますか、いわば「猿でもわかる」ような悪い選択です。


猿ではなく(笑)、普通の人間が悩むというのは、それだけプラスとマイナスが両方同じくらいあるということですから、よく考えればどちらでもよいことになってくるわけです。


であるならば、自分から天秤の一方に向かう方法はスピード化の観点からも有用だということです。


この極端に天秤を傾ける選択方法、あるいは天秤の量り自体の一方を切って落としてしまうような選び方は、物事に熱中して全体が見えなくなってしまっている人に取らせる行動にも似ています。


「後に引けないなら、逆に納得するところまでのめり込んでみる」という方法にも近いですね。


これは一見悪いように見えますが、固着した状態から脱却するための手段でもあるのです。


恋愛問題ではよくあることですが、周りから見るとよい恋愛ではないように見えていても本人は感情的に燃え上がっていますから、「そんな人はやめなさい」と言われても言うことは聞けない状態になっています。


このような場合は傾いた天秤から逃げるのではなく、むしろ傾きに自ら飛び込んでいくことで傾きが極点を迎え、その反動で天秤が今度は逆方向に揺り戻されるかのようになることがあります。


先の恋愛の例でいえば、恋に飛び込んだがためにあとで身をもって傷みを知る、恋の火傷をして気付くみたいなことになります。


これも自然のバランス回復(てこが戻るようなもの)の働きと言えます。


この方法は少し危険性もありますが、どうしても抵抗できないものがあるのなら、あえて飛び込んでみるのも、逆説的ですが、その状態から抜けるためのひとつの手ではあるのです。


いずれにしても、選択できていない、決めていないということに精神エネルギーが非常に浪費されますので、何にしろ決めてしまうこと、決着をつけることが重要です。


そうして滞っていたエネルギーと事態が動き出すのです。


単なる調整だけがバランス回復ではないのです。

バランスを取ること、中庸に位置するよう心がけることはよいことだと一般的にも言われます。


逆に言えば何か問題があるということは、バランス(要素は様々ですが)が崩れている状態だと言えます。


そのバランス回復のためにタロットで要素・要因(ファクター)を見つけ、傾いている状態をエネルギー調整することにより中立に戻すことができます。


中立に戻るということは、いわば自然の流れに立ち返るということになり、活発になるというより、むしろ目立たなく穏やかになり、問題があたかも消えたかのように見えてくるのです。


ということは実は問題はもともと存在しないということであり、問題と思っているのは私たちの見方・考え方が傾いていて、本来物事のバランスは取れているはずなのに、自らがバランスを崩すことによって問題というものが幻想的に出現したかのように見えているだけだと考えることができます。


このあたりはもしかすると般若心経の「色即是空」「空即是色」 (実体があるようでなく、ないようである)ということに当てはまるのかもしれません。


(注)この般若心経の核心とも言われる文言にはいろいろと解釈があり、あくまで一例です。ここでいう「空」とはタロットでいうと「愚者」、すなわち「すべてはある(存在する)が何にも規定されない」、逆に「規定すると実体として存在してくる(手品師になったり、斎王になったり何でもなれるということ)」ということに近いと私は解釈しています)


このことをタロットで実感していくためには、抽象度の高い(象徴性が高くて広い)アルカナ(カードの種類)である大アルカナを使ったほうがわかりやすいのです。


ところでバランスを回復させると表現すると、つい私たちは差し引き計算みたいな感じでイメージしがちです。


お金でいえば、支出が多いから使うことを控えればバランスが回復するというような感覚です。


実際そのことによるバランス回復はありますし、この記事の記述でも「傾いている状態をエネルギーを調整することにより」と書いたところでもあります。


しかし、実はそういう増減調整だけがバランス回復ではないのです。


「般若心経の「空」のところでも書きましたが、もともとはすべてある状態で、バランスが整っているのが自然で宇宙だと考えます。


するとアンバランスということは自分の思考やとらわれによる見せかけのアンバランスに過ぎず、宇宙から見ればバランスはどんな場合でも取れているのです。


要は自分が自分の作った狭い箱の中に入って、あたかもアンバランスや過不足ある状態に自分を押し込んでいるようなものなのです。


たとえば箱の中も外もりんごとみかんの数はいつも半分半分でバランスがとれているのに、自分の箱の中にはみかんが7個りんごが3個として見えている、あるいはりんごしかないよう見えているようなものです。


この箱こそが自分の枠であり、問題を生み出している原因です。


ということは箱の中でりんごやみかんの調整をしても合計10個存在している場合は5対5に見えるよう調整すればOKですが、りんごしかないようになって(見えて)いれば、それは枠自体破壊しないとバランス回復はないということです。


枠の破壊ということがこれまでの概念や思考、思いこみ、考え方を変えるということであり、古い自分の死も象徴します。


表現を変えれば意識の変容であり、次元の上昇であり、抽象度の高度化(タロットでいえば「愚者」や「世界」に近づく)ということになるでしょう。


バランス回復による問題解決の考え方はこのように二通り(今の次元でエネルギーの過不足調整することと、次元自体を上げることのふたつ)あるのです。


マルセイユタロットを学べば、このことは自然にわかってくるようになります。


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