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宮岡和宏のブログは現在アメブロで公開しています。
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アメブロのほうはタロットからの気づきや、タロットから得られる日々の対処方法(心と現実面)などを書いています。
また、特に私の講座などでタロットを学習された方には、リーディングのヒントなども書いておりますので、よろしければご訪問ください。


タロットを知れば自分も人もわかってくる。

昨日はタロットカードの大アルカナ22枚で自己認識を図ることができるというお話をしました。


実は自分だけではなく、他人も見つめていくことが可能です。


よく「自分を知れば他人を知ることにもなる」あるいは、「人を見れば自分がわかる」という話を聞いたことがあると思います。


これがタロットの大アルカナに関しても言えることなのです。


なぜかと言いますと、大アルカナの22枚は結局、どの人にも当てはまる人類共通ともいえる魂の反応、心の有りようが描かれているからです。


たとえばタロットカードには「悪魔」というカードもありますし、反対の「神」という名前が入っている「神の家」というカードもあります。(カモワン版マルセイユタロットを前提として書いています)


また恋愛模様を表す「恋人」のカードもあれば、孤独に探究している「隠者」のようなカードもあります。


つまり、人の心の中には誰しも悪魔もいれば神もいる、恋をする気持ちもあれば勉強して向上したいと願う心情もあるということであり、それをタロットを通じて自分にも人にも存在していることを確認する作業になるのです。


そんなことは言われなくても誰でも「ある」ことはわかっていると思うかもしれません。


本当にそうでしょうか?


自分には「こんな心はない」「こんな人間ではない」と考えているところはありませんか?


あるいは、「こんな人物になれるわけがない」「自分にはこれしか向いていない」と限定する気持ちになっていませんか?


そして、「自分とあの人はまったく違う人だ」「わかりあえるはずがない」「あいつはバカだ」「あの人はちょっとおかしいよね」などと最初から自分と人を区別しているようなことはありませんか?


タロットを通して自分の心と人の心を知ることで、自分の可能性や醜さ(アンバランスな気持ち)を認識し、結局それはどの人にも存在しているのだということがわかってきます。


自分で痛みを知れば人の痛みも理解できることと似ています。


やがて次第に人と自分の共通点の発見が増えていくことで共有意識が芽生え、人や世界の理解にもつながっていくことになるのです。


そうすれば逆にもっと自分自身を知ることもできます。


それは結局大きなものへと自分を統合していくことと、逆に自分の個性・役割・使命といったものを理解することに還元されていきます。


この両方ができるツールというのはなかなかなく、その点でもタロットはとても優れていると言えましょう。


タロットは自分を映すのか? 

このブログでは再三、タロットが鏡のように自分の心や意識を映し出す機能があると語っています。


仮にですね、そのことが嘘だとしましょう。


となれば、「心なんか映さず、ただ思いこみでタロットの絵を見て感じているに過ぎない」と言うことになり、タロットを見るのもばからしいということになってきます。


しかし、実は事の真偽が重要ではないのです。


タロットを見て、自分の心を見つめるという機会を持つ、その事自体が大切なのです。


極端なことを言えば、タロットが心を映し出す機能があるかどうかなどに関係なく、どんなものであれ、内観したり、自分を見つめたりする機会を作ることそのものに意味があると考えたほうがよいとなります。


第一、普段自分のことを鏡で見ることはあっても、自分が何を考えているのかとか、どんな心があるのだろうかなど、心理学にでも興味を持たない限り、なかなかそうしたことはやろうとしません。


またたとえ「よし自分を見つめてみよう」と決意して、一生懸命鏡を実際に見たとしても、そこに映し出されるのものはそのままの自分の物理的な姿・形であり、なかなか内面まで探ることは難しいはずです。


そこにタロットカードのような人物や出来事の絵が描かれている象徴的な絵があれば、これはやはり何もない状態よりも便利だと言えます。


ではタロットカードではなくても自分を内的に見つめられるような道具があればよいのではないかということになりますが、まったくその通りです。


ですからタロットにこだわらずとも心理的なカードでも、実際の絵画でも、風景写真でも図形でも人形でも可能です。


自分に合うもの、縁のあるもので自己と向き合う作業をしていけばよいと思います。


とはいえ、私が思うに、中でもタロットはやはり非常に優秀なツールだと感じます。


特にカモワン版マルセイユタロットの大アルカナは本当によくできていると思います。


このタロットは見ればみるほど、やればやるぼと気づきが増し、人間業とは思えない象徴体系が隠されていると受け取れます。


そして最初は自分を見つめたり、ある知識をタロットに照らし合わせて理解していったりするのですが、やがてそれはタロットを通して実感へと変わってきます。


この「実際に感じる=実感」こそが、真の理解と把握につながっていくのです。


別の表現では「腑に落ちる」と言ってもいいでしょう。ストンと入ってくる、まさに「ああ、そうだったのか」「なるぼと!」となるほどのもので、ある意味衝撃でもあります。


不思議なことに、それは生身で感じる経験と非常に似通ったものになってくるのです。


あるいは今まで体験したこと、自分の中に入っていたものを思い出して追体験し、さらに深い意味をともなって「いのち(生命)」を持つようになってくると言っていいかもしれません。


そう、まさにタロットは自己に眠る智慧や経験を息づかせる作用があるのです。


そうなると、もはや自己を見つめるということを超えて、新しい自分に出会うことにもなってくるのです。


タロット占いがすぐできる方法。

タロットを「占い」でするとなった場合、やはりカードに吉凶やランク付けのようなものをしていると便利だと思います。


たとえば大アルカナ22枚でも一般的なカードの呼称である「死神」や「塔」をよくない兆しとし、「世界」などはとてもいいとするというような決まりです。


前におみくじ的にタロットを使う方法もあるとは言いましたが、それも似たようなやり方です。


なぜこうすれば占いがやりやすいのかと言えば、これは言わなくてもだいたいわかると思いますが、いい悪いを最初から決めていれば、問いに対して判断することが容易だからです。


おみくじのように凶が出たら悪いことが起こる、避けたほうがよい、今はよくない状態だとすぐ判別できますし、もちろん反対に大吉が出ればラッキー、絶好調、その選択よし!というように思うのと同様です。


これは本当にとてもわかりやすいですよね。


この方法は、タロット占いされたい方にはスピーディーに身につけることができるので、「とにかくタロット占いをすぐしたい」という人にはいいかもしれません。


一番手っ取り早いのは、大アルカナ22枚で吉凶をつけて、だいたいの意味をキーワード(一言や二言のカードを意味する重要な言葉)で暗記すれば次の日からでも占えるでしょう。(カードをもっと減らすこともできます)


ただ、長い目で見ますと、これをしていて楽しいですか? 意味がありますか? ということになってきます。


吉凶判断だけの基準で占いを続けていると、結局「いい」と思うことだけを選ぶ人生になります。


それのどこかいけないの?と思うでしょう。


確かに「いい」選択ができれば人生はバラ色かもしれません。


とろこがこの「いい」ということは実は必ずしも大きな意味で「いい」とは言えないのです。また「悪い」と自分が判断したもの中に、貴重な試練や成長の種が隠されている場合もあります。


「いい」の基準が何なのかということが大切であり、もっというと、人や状況によって「いい」というものは変わってくるとも言えます。


あなたが物質的な成功を望むのなら、それがあなたの「いい」こととなるでしょうし、あなたが「幸せ」と思っている状態や価値が「いい」ということかもしれません。


結局、「幸せ」というものは、人の心の中にあるものです。


お金がたくさんあっても愛する人がいなければ、それは幸せとはいえないかもしれませんし、周囲から見れば不幸せに見える人でも、その人の心は幸せでいっぱいかもしれないのです。


幸せを決めるのは、つまりは自分の心であり自分の価値と思っていることが実現しているかどうかによります。


心や価値というのも実は変化していくものです。ならば、その時「いい」と判断していたものも、いつかは変わってしまうかもしれないのです。


タロットを吉凶的で見ていくということは、あなたが今「いい」「悪い」と判断している意味で吉凶となるので、タロットそのものの吉凶とは言い難いところがあります。


もちろんタロットの解釈や占い方は様々に可能です。あるカードを悪い象徴と取ることもできれば、その反対のことに取ることもできないわけではありません。


ところでこの世は「ひとつが二元で成り立つ」という説があり、すなわち、いいことのように見える側面と悪いことに見える側面が一緒になっていつも存在するということです。


ある見方を変えれば、結局はひとつのものが二つに円の中で分かれているだけであり、公平とも言えます。


究極的には、いい悪いを決めているのはあなた自身のモノの見方ということになります。


ですからカードを通して結局はバランス(の偏り)の問題として見ていくほうが、この世の中や宇宙を理解することにつながると私は考えています。


この視点に立てばタロットカードにはいいも悪いもなく、むしろ見方によってどちらにもなるのだということになってくるのです。


吉凶的に占いに使うのも一時的にはよいと思います。タロットの使い方は自由ですし、ある意味無限とも言えますから、それもありでしょう。


ただ真理というようなものに近づきたい、学びたいということでは、別の使い方のほうがいいと私は思っています。


豊かさワークを例にした四大元素

昨日は四大元素ということについてお話しました。


今日もそれに関連するお話です。



ところで、皆さん、自分にとってリッチなイメージとはどんなものでしょうか?


これ、案外、人によって違うものなんですね。


たとえば、豪邸に住んでいることがリッチだと思う人もいれば、海外旅行をしていることが豊かだと思っている人、おいしいものをどんどん食べられるのが裕福だと考えている人もいるでしょう。


もちろんもっと精神的で大きな意味で、世界中の人が喜びであふれかえっている状態が豊かであると思う人もいるかもしれません。


ですが、ここで想像していただきたいのは、もう少し個別で具体的なことです。


言ってみれば、何をしている(どんな状態である)とあなたは豊かに思うかということです。


私はこれを考えてみた時、豪華な船に乗っている時がそう思うのではとイメージできました。


妻に聞いてみると、果物がたくさん実っている状態(果物かごにあふれている)がそうだと言いました。


このイメージがなぜ、あるいは何から出ているのかについては追求しませんが、とにかく、このように人によって異なるリッチイメージが登場してきます。


いわばこれがイメージの源泉のようなもので、四大元素でいえば「」だとも言えます。風のようにあるところから息吹が発生したようなものです。


それで、当然ながらそのイメージを持ってひたるとするのなら、自分で豊かだと思っているイメージですから、気持ちとしても豊かになってくるでしょう。


満たされているような感覚ですね。ここからこれが「」だととらえられます。


そこで、実際はなかなかそのイメージのことを実現できない自分に気がつくわけですが、それはやはりお金がそのようなことをするのには少ないか、ネックになっているかだと思います。


つまりはやはり現実(お金)と対比しているので、これが「地(土)」と言えます。(堅い安定したものというイメージで「地」)


それでも、ひとまず現実「地」のことは置いておいて、自分が抱いたリッチイメージに近いことができないだろうかと考えてみます。


考えるというそのものが思考の「」を象徴し、火がついたように燃え上がって変化していく意味で「」としての「行動」に結びついてきます。


たとえば、私の場合だったら豪華客船とはいえないまでも「船に乗ること」が近い行為になるかしもれませんし、海外旅行していることがリッチと思う人ならば、国内でもいいので旅行をしてみるということになります。


似たような行動ではまるっきり意味が違うと思うかもしれませんが、ここで何が大切なのかと言えば、心・感情である「水」なのです。


規模が縮小されたとはいえ、似たようなことを行うことで、気持ちとしての「水」は器は小さくても同じものを映し出すのです。


それは結局、上記の例で言うと「豊か」だと感じる心ということになります。


そして小さいながらも着実な豊かさに向けたバイブレーションが発させられ、それは「地」として現実化へと進む作用と元になります。


何を言っているのかいえば、物事を四大元素でとらえ、それを相互に結びつけていくことを意識的にすればすべてが統合化し、レベルや規模の大小はあれど、具現化することが早まるということです。


四大元素によって「世界」や「物事」を作り出す行為に近いです。言ってみれば自分が小さな創造の「神」であり、錬金術師なのです。


ただ四大元素に物事を還元していく力、思考が普通はわかりません。知識と経験がないからです。


それを学ぶのは西洋古代哲学ということになるでしょう。タロットや占星術、カバラーなどがこれに当てはまってくるわけです。


あ、ちなみに私もまだまだ小さな錬金術師(知識)レベルで、国家錬金術師レベルにはほど遠いです。(すみません、アニメネタです(^_^;))


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