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GWのお出かけに、タロットで見てみる。

少し気の早い話ですが、GWの連休が近づいてきましたね。


東日本大震災や福島第一原発の影響もあって自粛ムード漂い、お出かけの気分ではないという方、現実的にそれどころではないという方々もいらっしゃるとは思います。


けれども、一応日常的に普通の生活を送っている方は、先日のお花見の時にも書かせていただきましたが気分転換の意味でも、自分や家族を癒すためにも、また経済に貢献する意味でも連休に外出してレジャーに出かけられるのもよいと思います。


聞けばこの震災等の影響でキャンセルになっている宿泊施設、観光施設も多いということです。探せば、今までこの時期にはあきらめていたような施設に泊まれたり、渋滞なくスムースに行けたりする所もあるかもしれません。


また観光地の方々もあなたが訪問することで大変喜ばれるでしょうし、その喜びの波動があなたや日本全体に広がり、明るいムードにもなっていくと考えられます。ここもまた助け合いなのです。


それで「出かけたいけれども、まだ行き先や内容がはっきり決まっていない」という方は、是非タロットを展開することをお勧めします。(タロットを習った人が対象となりますが・・・)


いろいろなやり方はありますが、ここでは面白い方法をご紹介します。


とはいえ、そもそもの「旅行することはどうか?」というような問いの場合は通常のやり方で構いません。(カモワン流の方法・展開、または私がカルチャーセンターで教えている方法の話で進めています)


そして通常の方法で、その展開結果があまりよくないように見えるものが出たとしても「解決カード」がありますから、それとセットで判断してみくてください。


ご紹介するのはこの外出判断のものとは別で、旅行やお出かけをするという前提でのやり方です。


まずあなたがその旅やレジャーを象徴していると思える候補のカード(大アルカナ)を選び出してください。


この時、視線を持つカードがよいです。具体的には「愚者」「戦車」「力」「星」「世界」などです。


その選択はたとえば、「愚者」ならばまさに旅そのもの、「戦車」は旅というより旅行(車や電車など乗り物あり)、「力」はスポーツ・動物園・生き物関係、「星」は温泉・森林・海などの自然、「世界」は海外やいろいろなところを周遊するというようなイメージです。


視線のないカードでも構いません。とにかくあなたがイメージする行き先や目的地、レジャー観光の内容を一枚ずつカードにあてはめ、複数候補にするわけです。


視線のあるカードがとよいと言ったのは、あとで説明します。


そして選択したカードを裏返し、シャッフルして一枚引きの要領で一枚選びます。出たそのカードがあなたの行き先や内容を示すと取ります。


また別のやり方として、選択したカードをシャッフルし、一枚ずつ裏向きのまま横に並べていき、全部並べ終わった時に表に返し、正立のカードのものが実際の有力な候補とするという方法もあります。


それから視線を持つカードを最初にあてはめて選んだ場合、そのカードを一枚あらかじめ表に正立にして置いておき、残りのほかのカードをシャッフルして最初に置いていたカードの視線の先に一枚カードを引いて並べます。(二枚引きの要領)


たとえば旅をしたいので「愚者」を選び、その愚者の視線の先にカードをシャッフルして一枚引くという感じです。(視線の先のカードが旅先や内容を表すと見ます)


一回だけではなく、次々と「愚者」の先にカードを引いては表に返して確認し、また残りの山から一枚引いて表返し・・・という作業を繰り返します。


この時、視線の先のカード(この例では「愚者」の視線の先のカード)が正立したものを覚えておくか、書き留めておくかします。正立で出た順番もつけておくことです。


そし視線の先のカードの正立したものと、もともと置いていた視線を持つカードの二枚によって判断します


一番最初に正立で出たカードが一番有力で、正立で出た順番によって有力度が下がっていくと取ります。


とはいえ、正立のものは候補として順番に関係なく何枚かは比較的同率で検討するとよいでしょう。


お試しください。



予告ですが、来週、またGWお出かけネタを書きます。それはちょっと斎王・法皇的なものとなります。注目しておいてください。


何かを極めると見えてくるもの。

物事を極めていく道には、ひとつのことを徹底的にやっていく方法と、反対にいろいろなことを体験して統合化していくやり方があります。


もちろんそれだけではなく、様々な折衷タイプ、複合的方策というものもあるでしょうが、おおざっぱにひとまず分けてみました。


それで、その両方にも実は共通していることがあります。


それはもう上記の文章そのままなのですが、「共通」部分を探しているということです。


ひとつのことをコツコツと積み上げてある程度の到達・完成を見ますと、その分野の専門性をもって他の分野のことも象徴的に理解することができるようになります。


また多くの技術や別のことを学び身につけるにしても、どこかで知らず知らずのうちに全体の共通性を自分の中で確立しようとしています。


結局のところ、どちらも個別の道を通りながらも統合化を果たしていると言えましょう。


言い換えれば、自分なりの何でも適用できる「極めルール」や「法則」を作り上げているようなものなのです。


それができると、どんなことにも応用が「象徴的」に可能になります。


象徴的にとはどういうことかと言えば、例えば日本料理を極めた人が、ほかのフランス料理や中国料理においても、分野は違えど根本的な料理のことでは理解ができるということです。


料理だけではなく、家具職人の仕事にも何らかの理解を及ばせることもできるかもしれません。


何でもできるオーラルラウンダーの人も、そこに根源的な何にでも通じるルール(共通点)を見い出し、象徴的に自分の中に落とし込んでいるからなのです。


どこかの会社で優秀なCEOだった人がまったく違う業種でもCEOに就いて活躍することができるのも、こうしたことと同じと考えられます。


なぜこのようなことができるかと言えば、とどのつまり、世界(宇宙)は同じ要素で構成されており、究極的にはひとつであるからです。


そのことをどの分野でも、あるいは何事もこなしていく人においても、皆さん、無意識的(あるいは意識的なこともあり)に理解しているのです。(しかしながらタロットの教義では、この段階はまだ1/3に過ぎません)


逆にいえば何にでも通用するルールが、どの極めた仕事の中からでも生み出せるのならば、世界がひとつであることの証明にもなります


ということで、ひとつのことをやっていくにしても、いろいろなものを同時にしていくことにしても、大きな共通点を探していく、比較検討していくということは心がけた方がよいと思います。


これまで述べてきたことは、実はタロットを学ぶとよくわかるようになります。そしてタロットそのものも根源的なものに近づく象徴の道なのです。


あと何年生きますか?

昨日は物事を「始まりから見るか終わりから見るか」によって変わってくるというようなお話をしました。


それでは今日は、この「終わりから見る」ということを、また別の観点でもって説明したいと思います。


実はそれはとてもシンプルなことです。


人生でいえば「終わり」、つまり言い方は悪いですが、「自分の死」を想定して今を見ていくということです。


こうした場合、悩んでいることが意外にあっさり解決してしまうことがあります。


それは結局昨日言ったことと重なるのですが、大目標、到達点から見れば、現在悩んでいることも実にささいなことのように見えてしまうということがあるからです。


またあるいは大目標の前では、小さなことに関わっている暇がない、もしくは今やっていることが本質的に目的と合致しないことに気付くという状態にもなるからです。


そしていったんは悩み事から解消されることもあるのですが、今度は逆にとてつもない恐怖や不安にかられることもあります。


なぜなら、死を考えますと、「もう、あとこれだけしか自分の人生は残されていない」という事実に気がつくためです。


たとえ輪廻転生が仮にあったとしても、今の「自分」で生きているのはまさにこの時だけと言えましょう。


この「自分」が現実の世界で生きていられるのも、たとえ病気にならなかったり事故に遭わなかったりしたとしても、寿命から考えて誰もがそう多くはないはずです。


今が10代でも70年生きられればいいほうかもしれません。ましてや30代、40代ともなれば本当に残りわずかです。


そしてよく歴史を見ていくと、そんなに安定して同じような状態が続く時代はないのです。長くてもせいぜい200年程度ではないでしょうか。


その中でも流行や習慣、様式、常識といわれる事柄が同様に続く期間は、さらに少ないのです。100年いや、50年もあるでしょうか。たとえば日本の今のスタイルも戦後50~60年そこそこです。


そう考えますと、自分の生きている時代と人生は、誰にとってもどの時代の人でも非常に特別で貴重だということになります。


また永遠にまったく同じことや安定した時が続くこともないのだと思うことができます。


今、日本では大きな出来事が起こり、これから全体としても個別としてもすさまじい変革を迎えると言われています。


少なくとも今までの数十年とは大きく異なってくることは誰もが実感していることでしょう。


となれば、自分の人生を逆算し、残り少ない時間をいかに有効に質として濃密に生きるかということが問われてくると思います。それも変革の潮流の中で、です。


安定の意味や、これまで言われていた幸せ観(感)というものも変化していくかもしれません。それは個人としてもです。


であるならば、最終的には大きな目標と自分の感性・直観を大切にし、自分の思う自己実現、自己表現も迷わず実行していくほうがよいかもしれません。もう時間がないのですし、自分が変わることが全体としても要求されているからです。


とはいえ、あせる必要はありません。前にも書きましたように、「終わり良ければすべてよし」であり、最終地点で「よかった」「生き抜いた」「すばらしい人生だった」と思えれば成功であり、その人にとってそれまでの道筋は栄光となり「完成」に至ったとも言えるからです。


ただやはり、無目的に自分をただ欲求のままに、あるいは流されるままに生きるという態度をするのではなく、向上心をもって意識的な生き方をし、学びと実践を続けていく人生を歩むことのほうが限りある命と時間を高められると考えられるのです。


それが自分のためでもあり、また人や社会のためにもなっていくと予想できます。


そのひとつの精神的ツールとして「タロットマンダラ」を自身の心にもっていると、人生の羅針盤として役に立つのではないかと私は考えています。


目標ある人生、ない人生。

以前にも書いたことがありますが、物事を終わりから見るか始まりから見るかによって自分の行動もずいぶん違ってくるものです。


これはわかりやすく言えば、目標や理想、終着点から逆算して行動するか、あるいは目標が見えなくても、行動しながらやりたいことや使命を発見するというようなことです。


前者は明確な目標・ゴールへのイメージがありますから、非常に推進力やモチベーションも高くなると言えますが、あまりに高い目標や到達事項であったり、自分がうまく目標に向かって進んでいないと感じたりすれば挫折しやすいという欠点もあります。


勢いが強いだけにブレーキがかかると転倒するおそれも強くなるのです。


これに対して目標を決めず、とにかく何かをしていく中で、自然と自分のやりたいことが見つかってくるということの場合、あまりモチベーションや勢いはありませんが、その分変化に対応しやすいですし、あせりというものが少ない利点があります。


とはいえ、いつまでもふらふらと目的も定まらず、気付くといつの間にか年を取り、ほとんど人生が終わってしまっていたということもあります。


結局どちらがいいのかはわかりませんが、ただタロットをする私が思うには、やはり崇高な目的・目標を持ちつつ、時にはそれを忘れてもよい自由さを許容するというふたつの思考があればよいのではないかと考えます。


ここでいう崇高な目的というのは、いわゆる普通の現実的な目標というものとは異なり、一言でいえば霊性と人間の完成、悟りのようなものです。


ですが、これはまず通常では無理だと誰しも思います。


それでも現実離れともいえる目的だからこそ、途上での実現できないあせりや挫折というものは少なくなるのでないでしょうか。


また崇高な目標であるので達成しにくい分、「これでいい」と自分を満足させることなく、「まだ先がある」と自分を律し、あらゆるものに対して謙虚になることもできます。


ここまで書いてくると、カモワン版マルセイユタロットを知る人は、「タロットマンダラ」のことを言っているのだということに気がつくかもしれません。そう、その通りなのです。


タロットマンダラは究極の目標と道筋が描かれていると同時に、その途上で自分の使命を発見することや個性の活かし方、自己実現といったことも含まれ象徴させています。


ですから、先述した始まりから見ることと終わりから見ること、両方の特徴を併せ持つのです。


そして結局、私たちはそれぞれが「愚者」であることを悟ることになります。


タロットとアストラル層

今日は非常にスピリチュアルな話になり、受け入れられない人は無視していただいて結構です。


タロット(カモワン版マルセイユタロット)にはアストロロジー(占星学)の象徴や意味も込められています。


どこがどうつながるのかは、絵柄からアストロロジーの惑星記号が見い出されたり、黄道十二宮が象徴されていたりということもあれば、カード全体がアストロジックな考えを導いている(と感じる)ということがあります。


そしてこのタロットにおけるアストロロジーは、現代的な占星学よりも古典占星学を適用したほうが理にかなっているように私には思えます。


特に天球理論というものがあるのですが、これは地球をそれぞれの惑星がボールのように何重にも回転しながら覆っているというイメージで表されるものです。


このことは基礎講座でもお伝えしているところですが、私たちが普通に今の科学としての天文学で認識している地球と惑星の関係、天体の動きや仕組みとはまるっきり概念が違うものなので、説明されないとすぐには理解できないと思います。


それはともかくとして、簡単にいえば、ある古典的な占星学においては、地球は星々で覆われているということです。


私はこの星々で覆われているということが、ちょうどタロットマンダラの階層や段階に見えてくるのです。さらに意識の次元やレベルよってもそれぞれの星々の層にわかれるのではないかと思っています。


つまり、地球を取り巻いて何重にも星々の円がさらに存在していて、それら円の層が意識の相違でもあり、タロットカードのそれぞれもある規則をもってその層とリンクしているということです。


それで何が言いたいのかといえば、地球というのはいわば象徴であり、同時にほかの星(惑星)も象徴体だと考えられ、それには地球意識の次元と別の星意識の次元があり、それぞれが合わさることで今の私たちの存在(意識)があると述べたいのです。


この場合、地球意識が一番次元が低いとも思いがちですが、私は単純にそういう話ではなく、地球以外の惑星の層の次元の影響があることを認識する、あるいはそうしたものがあることを知る、そして今の層の混じり具合を変えていくことが可能だと意識することが大切だと思っているのです。


層の混交度合いが変われば、当然影響も変化し、自分の意識が大きく変容していくと考えられるからです。言ってみれば、いつも見ているフィルターが変わるということでもあります。


これをもちろん王道の占星学で行ってもよいのですが、さきほどタロットと星の層のリンクにふれたように、タロットを使うことによって今の自分の層を変えていくこともできるのではないかと考えているのです。


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